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- 2023年7月28日 (金) 15:32 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/209」を作成しました (未校正: ページの作成:「する所に非ず。然れども既に{{r|國讎|こくしう}}たり。{{r|竟|つひ}}に誅を免れじ。其人に死せんより、{{r|寧|むしろ}}子に死せん」と。義朝、意決し、政家をして誘ひて之を殺さしめ、自ら其首を奉じて闕に{{r|詣|いた}}る。賴賢以下五人皆誅に伏す。 猶四弟あり。{{r|乙若|おつわか}}、{{r|龜若|かめわか}}、{{r|鶴若|つるわか}}、{{r|天王|てんわう}}と曰…」) タグ: 未校正
- 2023年7月23日 (日) 10:31 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/208」を作成しました (未校正: ページの作成:「爲義、{{r|將|まさ}}に東國に遁れんとすれども、病みて行く能はず。{{r|蓑浦|みのうら}}に{{r|抵|いた}}る。追兵來り{{r|薄|せま}}る。諸子力戰して之を{{r|郤|しりぞ}}く。士卒{{r|盡|つ}}くるに{{r|垂|なん{{く}}}}とす。乃、髮を削り、義朝に因りで降を請はんと欲す。爲朝、諫めて曰く、「上皇は、帝の同母兄なり。而して{{r|左府|さふ}}は關白の親弟たり…」) タグ: 未校正
- 2023年7月22日 (土) 17:59 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/207」を作成しました (テキストなし) タグ: テキストなし
- 2023年7月22日 (土) 17:59 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/206」を作成しました (テキストなし) タグ: テキストなし
- 2023年7月22日 (土) 17:58 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/205」を作成しました (テキストなし) タグ: テキストなし
- 2023年7月22日 (土) 17:58 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/204」を作成しました (テキストなし) タグ: テキストなし
- 2023年7月22日 (土) 17:58 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/203」を作成しました (未校正: ページの作成:「其{{r|魄|はく}}を{{r|褫|うば}}はん」と。家季曰く、「誤るなきを得んや」と。爲朝曰く、「第、吾が爲す所を觀よ」と。乃、射で{{r|冑臍|ちうせい}}を穿ちて、{{r|門扇|もんせん}}を{{r|貫|つらぬ}}く。義朝大に驚き、乃、呼びて目く、「八郞、射来だ{{r|精|くは}}しと爲さず」と。爲朝曰く「敢てせざる{{r|耳|のみ}}。{{r|卽|も}}し{{r|許|ゆる}}さるれば甲…」) タグ: 未校正
- 2023年7月22日 (土) 17:43 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/202」を作成しました (未校正: ページの作成:「{{r|中|あ}}つ。爲朝大に怒りて、二十八騎と門を{{r|闢|ひら}}きて突出す。政家{{r|辟易|へきえき}}して退き走る。義朝、二百騎を以て之に馳す。呼びて曰く、「吾れ{{r|宣旨|せんじ}}を奉じて來る。汝{{r|盍|なん}}ぞ速に降らざる。乃、弓を其兄に{{r|彎|ひき}}ゐんせんくや」と。爲朝曰く、「判官公{{r|院宣|ゐんぜん}}を受けて、爲朝等をして{{r|拒戰|き…」) タグ: 未校正
- 2023年7月20日 (木) 21:29 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/201」を作成しました (未校正: ページの作成:「選兵四百を以て、白河殿を襲ふ。平淸盛も亦これに赴く。兵凡數千人なり。 上皇の{{r|謀者|てふじや}}還り報ず。爲朝{{r|哂|わら}}ひて曰く、「{{r|固|もと}}より當に然るべきのみ」と。賴長、爲朝が用を爲さゞりしを恐れ。{{r|遽|にはか}}に拜して{{r|藏人|くらんど}}とす。爲朝曰く、「吾れ何ぞ藏人を用ゐることを爲さん。吾れ鎭西八郞にて可なり」…」) タグ: 未校正
- 2023年7月20日 (木) 11:43 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/200」を作成しました (未校正: ページの作成:「べし。卽し利あらずば、關東に幸せよ。臣、家人を糾合して、輿を奉じ{{r|闕|けつ}}に復せん。臣之を{{r|籌|はか}}るに難からず」とし賴長{{r|聽|ゆる}}さず。爲義退きて言て曰く、「吾れ{{r|死所|ししよ}}を知らず」と。其六子、{{r|賴賢|よりかた}}、{{r|賴仲|よりなか}}、{{r|爲宗|ためむね}}、{{r|爲成|ためなり}}、{{r|爲朝|ためとも}}、{{r|爲仲|ためなか}}…」) タグ: 未校正
- 2023年4月2日 (日) 15:47 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/199」を作成しました (未校正: ページの作成:「爲義、又{{r|策|さく}}を進めて曰く、「{{r|本宮|ほんぐう}}は{{r|垣溝單淺|ゑんこうたんせん}}にして、地の據る可きなし。寡兵を以て此を保つは計に非ざるなり。陛下宜しく南都に{{r|幸|かう}}し、宇治橋を撤して以て守る」) タグ: 未校正
- 2023年4月2日 (日) 15:45 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/198」を作成しました (テキストなし: 空白のページを作成しました) タグ: テキストなし
- 2023年4月2日 (日) 15:45 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/197」を作成しました (テキストなし) タグ: テキストなし
- 2023年4月2日 (日) 15:44 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/196」を作成しました (未校正: ページの作成:「れんのみ。則、乘興必出でざるを得ず。臣乃矢を其從兵に{{r|加|くは}}へ、與を此に徒して、陛下を彼に奉ぜんこと、易きこと{{r|掌|たなぞこ}}を反すが如し。則、東方未だ{{r|白|あ}}けざるに、大事{{r|集|た}}らん」と。{{r|賴長|よりなが}}曰く、「爲朝年{{r|少|わか}}くして{{r|氣|き}}を{{r|負|お}}ふ。言ふ所皆{{r|鄙人|ひじん}}{{r|私鬪|しとう}}の事なり{{r|…」) タグ: 未校正
- 2023年4月2日 (日) 15:16 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/195」を作成しました (未校正: ページの作成:「上皇、兵を起こして{{r|白河殿|しらかはでん}}に據る。左大臣藤原{{r|頼長|よりなが}}謀主となりて、{{r|四|よも}}に兵を{{r|募|つの}}る。京畿大に{{r|擾|みだ}}る。得子乃{{r|筐|きやう}}を{{r|啓|ひら}}けば、則、武臣十人の名を書せり。義朝之が{{r|首|はじめ}}たり。卽、義朝を召す。義朝乃兵を率ゐて、族の{{r|賴政|よりまさ}}等と倶に{{r|高松殿|たかまつ…」) タグ: 未校正
- 2023年4月1日 (土) 07:31 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/194」を作成しました (未校正: ページの作成:「居ること五歳、南部の僧兵叡山を攻む。又爲義に命ず。爲義、十七騎と、{{r|栗子山|くりこやま}}に逆へ擊ちて、之を走らす。後十餘歲、{{r|累遷|るゐせん}}して{{r|檢非違使|けびゐし}}{{r|左衛門大尉|さゑもんのだいじやう}}と爲り、五位に叙せらる。 爲義、二十三子あり。長を{{r|義朝|よしとも}}と曰ふ。尤、善く戰ふ。相模の鎌倉に居る。關東の{{r|…」) タグ: 未校正
- 2023年4月1日 (土) 06:14 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/193」を作成しました (未校正: ページの作成:「{{r|兵器|へいき}}を献ぜしめて、之を鎭む。義家一の{{r|玄弓|げんきう}}を献じて{{r|御枕|おんまくら}}の{{r|上|ほとり}}に建つ。卽、患無し。法皇問ひて曰く、「乃、東征に{{r|執|と}}る所なる{{r|毋|な}}からんや」と。對へて曰く「臣記せざるなり」と。法皇これを{{r|嗟賞|さしやう}}す。然して義家の官位甚だ{{r|卑|ひく}}し。{{r|正四位下右衛門尉|うゑ…」) タグ: 未校正
- 2023年4月1日 (土) 05:58 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/192」を作成しました (未校正: ページの作成:「は何ぞや。名簿果して{{r|安|いづく}}に在る」因りて千任を{{r|執|とら}}へて其舌を抜き、武衡を斬らしむ。武衡{{r|哀|あい}}を義光に乞ふ。義光請ひて曰く、「降る者は宜しく{{r|赦|ゆる}}すべし」と。義家、色を{{r|作|な}}して曰く、「過を悔いて來り歸す。宗任の如き者、是れ之を降ると謂ふのみ。{{r|擒|とら}}へられて{{r|活|くわつ}}を求むるは、降…」) タグ: 未校正
- 2023年3月31日 (金) 17:05 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/191」を作成しました (未校正: ページの作成:「ます。義光の從臣{{r|腰秀方|こしひでかた}}、日として勇列に{{r|列|つらな}}らざるなし。{{r|吉彥秀武|よしひこひでたけ}}、降りて我軍に在り。進みて說く、「宜しく久きを持し、之を{{r|困|くる}}しましむべし」と。義家之に從ひ、令を下して戰を休む。{{r|武衡|たけひら}}、人をして來り言はしめて曰く、「我が軍、事無きを苦しむ。我に{{r|健兒龜…」) タグ: 未校正
- 2023年3月31日 (金) 10:44 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/190」を作成しました (未校正: ページの作成:「寛治元年九月、自數萬騎を將ゐて之を攻む。柵を去ること數里にして{{r|雁行|がんかう}}の亂るヽを望み見て曰く、「是れ{{r|伏|ふく}}有らん」と。兵を縱ちて{{r|搜|さぐ}}り{{r|索|もと}}む。果して獲て之を鏖にす。衆に謂て曰く、「兵法に言はく、『鳥亂るゝ者は伏なり』と。我れ學ばざらば則{{r|殆|あやふ}}からん」と遂に進みて柵を圍む。相摸の人…」) タグ: 未校正
- 2023年2月24日 (金) 14:48 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/189」を作成しました (未校正: ページの作成:「三年、義家に詔して{{r|陸奥守|むつのかみ}}と爲し、{{r|鎭守府|ちんじゆふ}}{{r|將軍|しやうぐん}}を兼ねしむ。初め{{r|淸原武則|きよはらたけのり}}、二子あり。{{r|武貞|たけさだ}}、{{r|武衡|たけひら}}と曰ふ。武貞、{{r|眞衡|さねひら}}を生む。又藤原經淸の{{r|寡婦|くわふ}}を納れて、{{r|家衡|いへひら}}を生む。亦經淸の子{{r|淸衡|きよつら}}を養ふ。…」) タグ: 未校正
- 2023年2月24日 (金) 14:43 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/188」を作成しました (未校正: ページの作成:「義家、甞て藤原{{ruby|賴通|よりみち}}が{{r|第|てい}}を{{r|過|よぎ}}り、陸奥の戰事を談ず。{{r|博士|はかせ}}{{r|大江匡房|おほへまさふさ}}、別室に在り之を聞きて曰く、「好男子、{{r|惜|おし}}むらくは未だ兵法を知らず」と。宗任微に之を聞き、{{r|慍|いきどほ}}りて義家に吿ぐ。義家曰く、「其或は然らん」と。匡房の出づるを見て、之に禮し、遂に…」) タグ: 未校正
- 2023年2月15日 (水) 14:28 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/187」を作成しました (未校正: ページの作成:「る。且、{{r|征戰|せいせん}}の際、功勞有る者十餘人、爲に{{r|抽賞|ちうしやう}}を請へども、未だ裁許を得ず。是を以て敢て任に赴かず。况や去歲九月、{{r|任符|にんぷ}}を賜はる。{{r|遲引|ちいん}}の罪、已むを獲ざるに出づ。四歲の任、空く{{r|二稔|ねん}}を過ぎ、官物を{{r|徵納|ちようなふ}}する能はず。而るに{{r|封家納官|ほうかなふくわん}}、{{r|…」) タグ: 未校正
- 2023年2月14日 (火) 15:08 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/186」を作成しました (未校正: ページの作成:「鎭守府將軍と爲す。八月、賴義、八幡の{{r|祠|やしろ}}を鎌倉{{ruby|鶴岡|つるがおか}}に建てゝ戰功を賽す。 七年春、賴義、義家{{ruby|諸|もろ{{く}}}}の降虜を以て入朝し、奏して有功の將士を賞せんことを請ふ。朝議未だ許さず。故を以て未だ任に赴かず。任國{{ruby|登|みの}}らず。私資を以て{{r|貢賦|こうふ}}を{{r|濟|な}}す。是の如くせしこと二年、…」) タグ: 未校正
- 2023年2月14日 (火) 14:52 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/185」を作成しました (未校正: ページの作成:「て、死を以て之を守り、我が兵數百人を殺す。賴義、人家を{{r|壞|こは}}ち塹を{{r|堙|うづ}}めしめ、馬を下りて{{r|遙|はるか}}に京師を拜し、手に火を取り、{{r|號|がう}}して{{r|神火|しんくわ}}と爲し、之を投ず。風起こるに會ひ、{{r|壘柵|るゐさく}}皆火となる。我が軍因りて急に之を圓む。虜、殊死して戰ふ。則其一角を解く。虜逃れ走る。賴義撃…」) タグ: 未校正
- 2023年2月14日 (火) 14:42 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/184」を作成しました (未校正: ページの作成:「ふ。{{r|武則|たけのり}}、曰く、「我れ{{r|客兵|かくへい}}にして、粗{{ruby|乏|とぼ}}し。利速に戰ふに在り。彼れ{{r|坐|い}}ながら之を{{r|困|くる}}しめんとせずして來り戰ふは、是れ自、首を授くるなり」と。賴義大に喜び、{{r|長蛇陣|ちやうだのぢん}}を爲し、{{r|逆|むか}}へ戰ふこと半日、大に之を破る。走るを追ひて、{{r|磐井河|いはゐかは}}に至り…」) タグ: 未校正
- 2023年2月13日 (月) 15:00 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/183」を作成しました (未校正: ページの作成:「康平五年、任滿ち、{{r|高階經重|たかしなつねしげ}}に詔して代り任ぜしむ。國民賴義を慕ひて、經重に服せず。經重已むを得ずして去る。 是に於て、{{r|賴義必虜|りよ}}を滅ばさんことを{{r|矢|ちか}}ひ、人をして出羽の{{r|酋|しう}}{{r|淸原光賴|きよはらみつより}}、及び弟{{ruby|武則|たけのり}}に說かしめ、{{r|諭|さと}}すに{{r|大義|たいぎ}}を以てせ…」) タグ: 未校正
- 2023年2月13日 (月) 14:44 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/182」を作成しました (未校正: ページの作成:「斬る。經淸も亦自ら安んぜず。{{r|遁|のが}}れて賴時に歸す。賴時の族{{ruby|富忠|とみたゞ}}、勇にして衆あ賴義、勅旨を以て{{r|諭|さと}}し、官軍に應ぜしむ。賴時も亦親往きて之を說く。賴義富忠をして兵を{{r|伏|ふ}}せて要擊せしめ、賴時を獲て、之を誅す。而れども貞任の軍猶張る。貞任{{ruby|魁傑|くわいけつ}}にして、善く兵を用ゐる。官軍{{ruby…」) タグ: 未校正
- 2023年2月13日 (月) 14:34 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/181」を作成しました (未校正: ページの作成:「是時に當りて{{r|陸奥|むつ}}の豪傑{{ruby|安倍賴時|あべのよりとき}}、諸部落を{{r|併|あは}}せて、六郡の{{r|酋長|しうちやう}}と{{r|爲|な}}る。{{r|國守|こくしゆ}}、{{r|秋田城介|あきたじゃうのすけ}}と、兵を合せて之を伐つ。賴時、{{r|逆|むか}}へ{{r|擊|う}}ちて大に之を{{r|敗|やぶる}}る。{{r|白河關|しらかはのせき}}以北海に{{r|傳|いた}}るまで、盡く叛…」) タグ: 未校正
- 2023年2月10日 (金) 15:38 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/180」を作成しました (未校正: ページの作成:「し、{{r|馳|は}}せて海に入り、{{r|行|ゆく{{く}}}}}{{r|葦|あし}}を立てゝ表と爲す。賴信、軍を{{r|麾|さしまね}}きて之に從ふ。忠常驚怖し、出でゝ{{r|降|くだ}}る。之を{{r|斬|き}}り、{{r|首|かうべ}}を京師に{{r|効|いた}}す。功を以て從四位上に叙し、上野、常陸介に任ず。賴信{{ruby|謝|しや}}して曰く、「臣{{ruby|天威|てんゐ}}を{{ruby|籍|か}}り、{{r|刃|やい…」) タグ: 未校正
- 2023年2月10日 (金) 15:30 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/179」を作成しました (未校正: ページの作成:「其弟{{ruby|右|う}}大將{{ruby|道兼|みちかね}}、之と權を爭ふ。賴信、素より道兼に事へたり。賴光に謂て曰く、「吾が力能く道隆を刺し、我が主をして之に代らしめん」と。賴光、其口を{{r|掩|おほ}}ひて曰く、「妄言する{{r|毋|なか}}れ。事敗るれば、{{r|肝腦|かんなう}}地に{{r|塗|まみ}}れん。汝が主も亦豈晏然として止る可けんや」と。賴信、乃{{ruby|…」) タグ: 未校正
- 2023年2月9日 (木) 14:46 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/178」を作成しました (未校正: ページの作成:「{{r|好古|よしふる}}に從ひて賊黨藤原{{r|純友|すみとも}}を伐つ。終に正四位下に叙し、{{r|鎭守府|ちんじゆふ}}{{r|將軍|しやうぐん}}に任ぜらる。{{r|子孫世|よゝ}}武臣たり。其旗白きを用ゐる。 八子あり。長は{{r|滿仲|みつなか}}、攝津の{{r|多田|ただ}}に生る。父の{{r|職位|しよくゐ}}を襲ぎ、{{r|關東|くわんとう}}の士心を得たり。{{r|冷泉|れいぜい}}{{…」) タグ: 未校正
- 2023年2月9日 (木) 14:27 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「邦文日本外史/卷之二」を作成しました (ページの作成:「{{header | title ={{PAGENAME}} | section = | previous =[[../卷之一|卷之一]] | translator = | next =[[../卷之三|卷之三]] | edition = | notes = {{stub}} }} <div style="margin-left:80pt"> <pages index="Hōbun Nihon Gaishi.pdf" from="177" to="222"/> </div>」)
- 2023年2月9日 (木) 12:17 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/177」を作成しました (未校正: ページの作成:「源氏は、淸和天皇より出づ。天皇の{{r|宮人|きうじん}}{{r|王氏|わうし}}、{{r|貞純親王|さだずみしんわう}}を生む。四{{r|品|ほん}}に叙し、{{r|兵部卿|ひやうぶきやう}}に任ぜられ、{{r|桃園|ももぞの}}親王と稱せり。親王二子あり。{{r|經基|つねもと}}と曰ひ、{{r|經生|つねなり}}と曰ふ。皆源氏姓を賜はる。 經基、武幹あり、騎射を善くす。親王は{{r|帝…」) タグ: 未校正
- 2023年2月2日 (木) 14:38 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/169」を作成しました (未校正: ページの作成:「{{r|大江|おほえ}}{{r|廣元|ひろもと}}を奏して、{{r|廳使|ちやうし}}、{{r|衛尉|ゑのじやう}}と爲す。攝政兼實其不可を議して曰く、「儒家進仕の例に非ず」と。{{r|嗚呼|あゝ}}門閥を以て賢と爲し、格例を以て政を爲す。其才俊驅りて以て梟雄を{{r|資|たす}}けしめて、猶覺悟せずして此の區々を爭ふ。兼實すら且然り。其他知るべし。{{傍点|style=open circle…」) タグ: 未校正
- 2023年2月2日 (木) 14:34 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/168」を作成しました (未校正: ページの作成:「{{r|道隆|みちたか}}、{{r|道兼|みちかね}}、{{r|道長|みちなが}}と曰ふ。皆兄弟政を爭ふ。伊尹の女、華山を生む。兼家の女、一條を生む。故に{{傍点|style=open circle|兼家、道兼}}をして{{傍点|華山を{{r|賺|すか}}し位を遜れしめて、而して一條を以て之に代らしむ。是れ其最甚しき者なり}}。後一條より下三帝、皆道長の女の生みし所、是れ{{傍点|style=open c…」) タグ: 未校正
- 2023年2月2日 (木) 14:12 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/167」を作成しました (未校正: ページの作成:「然れども、余{{r|謂|おも}}へらく、藤原氏の驕專なる、其來る久し。獨文徳の時に始りしに非ざるなり。{{r|鎌足|かまたり}}、天智を助け、力を王室に{{r|効|いた}}し、其子{{r|不比等|ふひと}}四朝の元老たり。文武、聖武、並に其女を娶りて、孝謙は其外孫女なり。而れども皆淫縱、{{r|惠美押勝|ゑみのおしかつ}}、孝謙に嬖せられ、殆ど國家を危くす。…」) タグ: 未校正
- 2023年2月2日 (木) 14:01 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/166」を作成しました (未校正: ページの作成:「く。而して天武叔父を以て篡立し、之に持統、文武、元明、元正、聖武、孝謙、帝大炊に傳へらる。凡七世にして天武の嗣絕ゆ。光仁は天智の孫を以て、入りて大統を繼ぎ、之を其子に傳へらる。是を桓武帝とす。桓武の三子、平城、嵯峨、淳和、兄弟相及ぶ。仁明は嵯峨の子を以て之を繼ぐ。文德は仁明の子を以て又之を繼ぐ。文德、幼子なれど…」) タグ: 未校正
- 2023年2月2日 (木) 13:56 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/165」を作成しました (未校正: ページの作成:「寵を{{r|擅|ほしいまま}}にし、進みて止るを知らざるも、{{傍点|style=open circle|{{r|曷|なん}}ぞ{{r|尤|とが}}むるに{{r|足|た}}らんや}}。 {{r|假設|たとへ}}ば、重盛、父に後れて死し、盡く其爲す所を{{r|反|はん}}して、子弟を戒飭し、王室を{{r|輔翼|ほよく}}せば、則藤原氏に{{r|踵|あと}}を{{r|接|つ}}ぎ、隆を比すと雖も可ならん。而れば源氏、何に{{r|資|よ}}…」) タグ: 未校正
- 2023年2月2日 (木) 13:45 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/164」を作成しました (未校正: ページの作成:「何をしてか不可ならん」と。世、其拔興の漸無きを以て、群起して之を咎(とが)む。而れども之が師と爲る者有るを言はず。』且、淸盛の此(こゝ)に至る所以は、後白河帝の其勢を養成せしに由るのみ。夫れ名爵、公器は、私に用ゐる可からず。人臣にして名爵を私するは、是れ其君に負(そむ)くなり。人君にして名爵を私するは、是れ其先王に負く…」) タグ: 未校正
- 2023年2月2日 (木) 13:37 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/163」を作成しました (未校正: ページの作成:「抑々將門をして一檢非違使を得しめば、則未だ必しも甘じて反賊とならじ。故に{{傍点|style=open circle|天慶の亂は、皆相門驕傲にして、上下を塞塞せしが致す所なり}}。 其事なきに當りては、朝廷の名爵を私門に{{ruby|籠|こ}}めて、人の職を失ふを{{r|恤|うれ}}へず。其急なるに及びては、乃、{{r|遽|にはか}}に朱紫を揭げ、天下に呼號し、天下の英雄を…」) タグ: 未校正
- 2023年2月2日 (木) 13:18 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/162」を作成しました (未校正: ページの作成:「す。道廣其の盛嗣なるを知れども問はず。既にして道廣に隨ひて京師に{{r|如|ゆき}}き、{{r|故|もと}}の妾家に遊ぶ。妾家之を源氏に吿ぐ。乃、道廣をして之を捕へしむ。乃、道廣、カ士數人を遣し、其浴するを{{r|候|うかが}}ひて之を圍む。盛嗣、罵りて曰く、「奴輩、吾遁れんと欲せば、即遁れん。而れども主人を{{r|累|わづら}}はすを欲せず」と。…」) タグ: 未校正
- 2023年2月2日 (木) 13:13 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/161」を作成しました (未校正: ページの作成:「を刺さんと欲す。魚鱗を眼に嵌して、以て{{r|眇|すがめ}}と爲り、{{r|畚|ふご}}を{{r|荷|にな}}ひて出入す。賴朝、見て{{r|恠|あや}}しみ、之を執ふれば、利刀を懷にせり。曰く、「平氏の臣忠光なり。故主のために仇を復せんと欲す」と。其黨を究問す。曰く、「獨盛嗣あるあり。聞く前に丹波にあり。{{r|今何|いづく}}に之けるを知らず」と。復言はず…」) タグ: 未校正
- 2023年2月2日 (木) 13:06 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/160」を作成しました (未校正: ページの作成:「に易へしむ。宜なるかな、其重盛に若かずして、以て此に至る」と。宗盛既に死し、時忠等、皆流に處す。 時に義經、賴朝と隙あり。逃れて西海に奔る。賴朝其平氏の遺黨と相依託して、亂を作さんことを恐るヽや、{{r|北條|ほうでう}}{{r|時政|ときまさ}}を京師に遺し、平氏の胤子の所在に伏匿する者を購ひ索めしめ、幼孩は之を{{r|生|いき}}ながら…」) タグ: 未校正
- 2023年2月2日 (木) 12:56 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/159」を作成しました (未校正: ページの作成:「宗盛父子、皇弟、皇太后、平時忠以下と、義經に從ひて東す。命ありて、宗盛以下を京師に徇ふ。宗盛、興中より四望す。淸宗、仰ぎ視ず。既に{{r|罷|や}}む。皆義經の第に抅す。宗盛、衣を解かず。{{r|寢|いね}}るに袖を以て淸宗を庇ふ。守兵見て之を憫む。五月、鎌倉に送る。賴朝之を前舍に延き、庭を隔てゝ相見る。命を{{r|將|おこな}}ふ者至る…」) タグ: 未校正
- 2023年2月2日 (木) 12:50 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/158」を作成しました (テキストなし) タグ: テキストなし
- 2023年2月2日 (木) 12:50 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/157」を作成しました (テキストなし) タグ: テキストなし
- 2023年2月2日 (木) 12:49 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/156」を作成しました (テキストなし) タグ: テキストなし
- 2023年2月2日 (木) 12:48 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/155」を作成しました (テキストなし: 空白のページを作成しました) タグ: テキストなし
- 2023年2月2日 (木) 12:48 Gogozil トーク 投稿記録 がページ「Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/154」を作成しました (テキストなし) タグ: テキストなし