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天慶の亂の源因抑々將門をして一檢非違使を得しめば、則未だ必しも甘じて反賊とならじ。故に天慶の亂は皆相門驕傲にして上下を壅塞せしが致す所なり

其事なきに當りては、朝廷の名爵を私門にめて、人の職を失ふをうれへず。其急なるに及びては、乃、にはかに朱紫を揭げ、天下に呼號し、天下の英雄をして、以て朝廷を窺ふこと有らしむ。源平興起の原因後世源平爭ひ起り功を以て其上にねがふ者は焉ぞ其此にもとづかざるを知らんや

淸盛の評世、淸盛の功は其罪を償はずと稱し、不臣の者をぐれば、輙、以て稱首とす。而して【相家】藤原氏淸盛藤原に學ぶ相家の不臣なるはすでに淸盛に什倍じふばいするを知らず淸盛は盖し視てこれを學びしのみ否らざれば則何ぞ遽に此に至らんや。詩【詩】小雅、裳裳者華の篇に曰く、『唯其れ之あり、是を以て之を似す』と。

相門の權を專にしてより、后は皆其女、天子は皆其女の生みし所。而して卿相は皆其子弟親屬なり。苟も其族類に非ざれば、じよして之を去る。皇族と雖も免るゝこと能はず。甚しきは則其主を易へ置くこと、猶奕棊を視るが如し。淸盛の爲す所、一として彼の己氏に似ざる者なし。而して加ふるに鷙悍を以てす。其意に曰く、「無功の人を以て猶權寵をほしいまゝにせしこと此の如し。吾れの王室に大造ある、