する所に非ず。然れども既に國讎たり。竟に誅を免れじ。其人に死せんより、寧子に死せん」と。義朝、意決し、政家をして誘ひて之を殺さしめ、自ら其首を奉じて闕に詣る。賴賢以下五人皆誅に伏す。
猶四弟あり。乙若、龜若、鶴若、天王と曰ふ。皆幼し。義朝、詔を以て人を遺し之を殺さしむ。鶴若、使者に謂て曰く、「抗闘する者は死に當らん。吾儕何ぞ科を同くせん。恐らくは汝謬り聞けるならん」と。龜若曰く、「家兄誤れり。吾輩をして存在せしめば、數百の士卒よりも多らん」と。乙若諸弟を諭して曰く、「汝が輩復言ふ勿れ、下野守既に父に忍ぶ。何ぞ弟に有らんや。是れ他なし。淸盛の計中に陷りて、自ら其羽翼を鍛てるのみ。事已に此に至る。生きて猶辱を蒙らんより、速に死して以て父に地下に從ふに若かず」と。首を駢て刄を受く。
爲朝、輪田に匿れ、將に鎭西に奔らんとす。平氏の將平家貞、之を要すと聞きて果さず。適疾ありて、民家に浴す。或人其身材魁偉なるを視て、之を官に吿ぐ。兵を遣して之を圍む。官、爲朝裸體にて柱を抉し、數人を擊殺して縛に就き、闕庭に至る。特に死一等を减じ、其臂筋を拔きて大島に流す。爲朝筋力减ずと雖も箭を用ゐるは長きを加ふ。曰く、「天子我に大島を賜ふ」と。遂に傍の五島を併有