を刺さんと欲す。魚鱗を眼に嵌して、以て眇と爲り、畚を荷ひて出入す。賴朝、見て恠しみ、之を執ふれば、利刀を懷にせり。曰く、「平氏の臣忠光なり。故主のために仇を復せんと欲す」と。其黨を究問す。曰く、「獨盛嗣あるあり。聞く前に丹波にあり。今何に之けるを知らず」と。復言はず。食飮を絕つこと、月餘にして死す。賴朝大に天下に索むれども、獲る所なし。
後五年、知忠、伊賀より還りて京師に入り、法性寺の側に匿る。盛嗣、景淸之を聞きて皆至る。諸舊臣稍來り屬し、賴朝の妹婿前原能保を襲はんと謀る。能保之を覺り、兵をして圍み攻めしむ。我が兵二十餘人亂射し、敵を殺して死す。知忠友方と俱に自殺す。盛嗣盛嗣、景淸、遁れ走り、忠房紀伊に在りと聞き、往きて之に歸し、兵を擧げて湯淺城に據る。熊野別當に攻め破られ、忠房捕殺せられ、盛嗣、景淸、又遁る。
景淸賴朝、東大寺に慶するに會ふ。景淸、衆中に
雜れて、これを刺さんと欲す。事
覺れて捕へらる。これを
和田義盛に
屬す。義盛、其不遜を苦しみ、之を辭す。乃、
八田知家に
屬す。景淸、終に食はずして死す。盛嗣、姓名を變じ、但馬の人
氣比道廣に仕へ、其厩卒となる。因りて其女に通ず。馬に浴する每に馳射の狀を爲