Gogozilの投稿記録
表示
利用者の編集は284回。 2019年8月2日 (金)にアカウント作成。
2023年7月31日 (月)
- 23:362023年7月31日 (月) 23:36 差分 履歴 −24 細 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/209 編集の要約なし 最新
- 13:342023年7月31日 (月) 13:34 差分 履歴 +81 細 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/192 →校正済 最新 タグ: 校正済
- 13:302023年7月31日 (月) 13:30 差分 履歴 +36 細 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/191 編集の要約なし 最新
2023年7月30日 (日)
- 15:232023年7月30日 (日) 15:23 差分 履歴 0 細 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/190 編集の要約なし 最新
- 15:112023年7月30日 (日) 15:11 差分 履歴 +762 Index talk:Hōbun Nihon Gaishi.pdf →傍注について: 返信 タグ: 返信
- 13:272023年7月30日 (日) 13:27 差分 履歴 +120 細 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/191 編集の要約なし
- 03:382023年7月30日 (日) 03:38 差分 履歴 +422 Index talk:Hōbun Nihon Gaishi.pdf →傍注について: 返信 タグ: 返信
2023年7月28日 (金)
- 15:322023年7月28日 (金) 15:32 差分 履歴 +2,182 新 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/209 →未校正: ページの作成:「する所に非ず。然れども既に{{r|國讎|こくしう}}たり。{{r|竟|つひ}}に誅を免れじ。其人に死せんより、{{r|寧|むしろ}}子に死せん」と。義朝、意決し、政家をして誘ひて之を殺さしめ、自ら其首を奉じて闕に{{r|詣|いた}}る。賴賢以下五人皆誅に伏す。 猶四弟あり。{{r|乙若|おつわか}}、{{r|龜若|かめわか}}、{{r|鶴若|つるわか}}、{{r|天王|てんわう}}と曰…」 タグ: 未校正
2023年7月23日 (日)
- 10:312023年7月23日 (日) 10:31 差分 履歴 +1,640 新 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/208 →未校正: ページの作成:「爲義、{{r|將|まさ}}に東國に遁れんとすれども、病みて行く能はず。{{r|蓑浦|みのうら}}に{{r|抵|いた}}る。追兵來り{{r|薄|せま}}る。諸子力戰して之を{{r|郤|しりぞ}}く。士卒{{r|盡|つ}}くるに{{r|垂|なん{{く}}}}とす。乃、髮を削り、義朝に因りで降を請はんと欲す。爲朝、諫めて曰く、「上皇は、帝の同母兄なり。而して{{r|左府|さふ}}は關白の親弟たり…」 最新 タグ: 未校正
- 10:252023年7月23日 (日) 10:25 差分 履歴 0 細 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/203 編集の要約なし 最新
- 06:002023年7月23日 (日) 06:00 差分 履歴 0 細 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/202 編集の要約なし 最新
- 05:592023年7月23日 (日) 05:59 差分 履歴 +7 細 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/203 nop追加
- 05:582023年7月23日 (日) 05:58 差分 履歴 +262 利用者・トーク:Gogozil →ページ末尾での改行処理について: 返信 最新 タグ: 返信
- 04:252023年7月23日 (日) 04:25 差分 履歴 +3 細 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/192 編集の要約なし
2023年7月22日 (土)
- 17:592023年7月22日 (土) 17:59 差分 履歴 0 新 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/207 →テキストなし 最新 タグ: テキストなし
- 17:592023年7月22日 (土) 17:59 差分 履歴 0 新 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/206 →テキストなし 最新 タグ: テキストなし
- 17:582023年7月22日 (土) 17:58 差分 履歴 0 新 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/205 →テキストなし 最新 タグ: テキストなし
- 17:582023年7月22日 (土) 17:58 差分 履歴 0 新 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/204 →テキストなし 最新 タグ: テキストなし
- 17:582023年7月22日 (土) 17:58 差分 履歴 +1,369 新 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/203 →未校正: ページの作成:「其{{r|魄|はく}}を{{r|褫|うば}}はん」と。家季曰く、「誤るなきを得んや」と。爲朝曰く、「第、吾が爲す所を觀よ」と。乃、射で{{r|冑臍|ちうせい}}を穿ちて、{{r|門扇|もんせん}}を{{r|貫|つらぬ}}く。義朝大に驚き、乃、呼びて目く、「八郞、射来だ{{r|精|くは}}しと爲さず」と。爲朝曰く「敢てせざる{{r|耳|のみ}}。{{r|卽|も}}し{{r|許|ゆる}}さるれば甲…」 タグ: 未校正
- 17:452023年7月22日 (土) 17:45 差分 履歴 0 細 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/193 編集の要約なし 最新
- 17:432023年7月22日 (土) 17:43 差分 履歴 +1,099 新 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/202 →未校正: ページの作成:「{{r|中|あ}}つ。爲朝大に怒りて、二十八騎と門を{{r|闢|ひら}}きて突出す。政家{{r|辟易|へきえき}}して退き走る。義朝、二百騎を以て之に馳す。呼びて曰く、「吾れ{{r|宣旨|せんじ}}を奉じて來る。汝{{r|盍|なん}}ぞ速に降らざる。乃、弓を其兄に{{r|彎|ひき}}ゐんせんくや」と。爲朝曰く、「判官公{{r|院宣|ゐんぜん}}を受けて、爲朝等をして{{r|拒戰|き…」 タグ: 未校正
2023年7月20日 (木)
- 21:292023年7月20日 (木) 21:29 差分 履歴 +2,076 新 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/201 →未校正: ページの作成:「選兵四百を以て、白河殿を襲ふ。平淸盛も亦これに赴く。兵凡數千人なり。 上皇の{{r|謀者|てふじや}}還り報ず。爲朝{{r|哂|わら}}ひて曰く、「{{r|固|もと}}より當に然るべきのみ」と。賴長、爲朝が用を爲さゞりしを恐れ。{{r|遽|にはか}}に拜して{{r|藏人|くらんど}}とす。爲朝曰く、「吾れ何ぞ藏人を用ゐることを爲さん。吾れ鎭西八郞にて可なり」…」 最新 タグ: 未校正
- 21:012023年7月20日 (木) 21:01 差分 履歴 0 細 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/200 編集の要約なし 最新
- 20:432023年7月20日 (木) 20:43 差分 履歴 −3 細 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/200 編集の要約なし
- 11:442023年7月20日 (木) 11:44 差分 履歴 0 細 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/200 編集の要約なし
- 11:432023年7月20日 (木) 11:43 差分 履歴 +2,240 新 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/200 →未校正: ページの作成:「べし。卽し利あらずば、關東に幸せよ。臣、家人を糾合して、輿を奉じ{{r|闕|けつ}}に復せん。臣之を{{r|籌|はか}}るに難からず」とし賴長{{r|聽|ゆる}}さず。爲義退きて言て曰く、「吾れ{{r|死所|ししよ}}を知らず」と。其六子、{{r|賴賢|よりかた}}、{{r|賴仲|よりなか}}、{{r|爲宗|ためむね}}、{{r|爲成|ためなり}}、{{r|爲朝|ためとも}}、{{r|爲仲|ためなか}}…」 タグ: 未校正
2023年4月2日 (日)
- 16:092023年4月2日 (日) 16:09 差分 履歴 0 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/196 編集の要約なし 最新
- 15:472023年4月2日 (日) 15:47 差分 履歴 +295 新 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/199 →未校正: ページの作成:「爲義、又{{r|策|さく}}を進めて曰く、「{{r|本宮|ほんぐう}}は{{r|垣溝單淺|ゑんこうたんせん}}にして、地の據る可きなし。寡兵を以て此を保つは計に非ざるなり。陛下宜しく南都に{{r|幸|かう}}し、宇治橋を撤して以て守る」 最新 タグ: 未校正
- 15:452023年4月2日 (日) 15:45 差分 履歴 0 新 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/198 →テキストなし: 空白のページを作成しました 最新 タグ: テキストなし
- 15:452023年4月2日 (日) 15:45 差分 履歴 0 新 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/197 →テキストなし 最新 タグ: テキストなし
- 15:442023年4月2日 (日) 15:44 差分 履歴 0 細 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/196 編集の要約なし
- 15:442023年4月2日 (日) 15:44 差分 履歴 +1,132 新 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/196 →未校正: ページの作成:「れんのみ。則、乘興必出でざるを得ず。臣乃矢を其從兵に{{r|加|くは}}へ、與を此に徒して、陛下を彼に奉ぜんこと、易きこと{{r|掌|たなぞこ}}を反すが如し。則、東方未だ{{r|白|あ}}けざるに、大事{{r|集|た}}らん」と。{{r|賴長|よりなが}}曰く、「爲朝年{{r|少|わか}}くして{{r|氣|き}}を{{r|負|お}}ふ。言ふ所皆{{r|鄙人|ひじん}}{{r|私鬪|しとう}}の事なり{{r|…」 タグ: 未校正
- 15:162023年4月2日 (日) 15:16 差分 履歴 +2,045 新 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/195 →未校正: ページの作成:「上皇、兵を起こして{{r|白河殿|しらかはでん}}に據る。左大臣藤原{{r|頼長|よりなが}}謀主となりて、{{r|四|よも}}に兵を{{r|募|つの}}る。京畿大に{{r|擾|みだ}}る。得子乃{{r|筐|きやう}}を{{r|啓|ひら}}けば、則、武臣十人の名を書せり。義朝之が{{r|首|はじめ}}たり。卽、義朝を召す。義朝乃兵を率ゐて、族の{{r|賴政|よりまさ}}等と倶に{{r|高松殿|たかまつ…」 最新 タグ: 未校正
2023年4月1日 (土)
- 16:552023年4月1日 (土) 16:55 差分 履歴 +6 細 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/194 編集の要約なし 最新
- 07:312023年4月1日 (土) 07:31 差分 履歴 0 細 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/193 編集の要約なし
- 07:312023年4月1日 (土) 07:31 差分 履歴 +2,113 新 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/194 →未校正: ページの作成:「居ること五歳、南部の僧兵叡山を攻む。又爲義に命ず。爲義、十七騎と、{{r|栗子山|くりこやま}}に逆へ擊ちて、之を走らす。後十餘歲、{{r|累遷|るゐせん}}して{{r|檢非違使|けびゐし}}{{r|左衛門大尉|さゑもんのだいじやう}}と爲り、五位に叙せらる。 爲義、二十三子あり。長を{{r|義朝|よしとも}}と曰ふ。尤、善く戰ふ。相模の鎌倉に居る。關東の{{r|…」 タグ: 未校正
- 06:142023年4月1日 (土) 06:14 差分 履歴 +2,244 新 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/193 →未校正: ページの作成:「{{r|兵器|へいき}}を献ぜしめて、之を鎭む。義家一の{{r|玄弓|げんきう}}を献じて{{r|御枕|おんまくら}}の{{r|上|ほとり}}に建つ。卽、患無し。法皇問ひて曰く、「乃、東征に{{r|執|と}}る所なる{{r|毋|な}}からんや」と。對へて曰く「臣記せざるなり」と。法皇これを{{r|嗟賞|さしやう}}す。然して義家の官位甚だ{{r|卑|ひく}}し。{{r|正四位下右衛門尉|うゑ…」 タグ: 未校正
- 05:582023年4月1日 (土) 05:58 差分 履歴 +1,340 新 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/192 →未校正: ページの作成:「は何ぞや。名簿果して{{r|安|いづく}}に在る」因りて千任を{{r|執|とら}}へて其舌を抜き、武衡を斬らしむ。武衡{{r|哀|あい}}を義光に乞ふ。義光請ひて曰く、「降る者は宜しく{{r|赦|ゆる}}すべし」と。義家、色を{{r|作|な}}して曰く、「過を悔いて來り歸す。宗任の如き者、是れ之を降ると謂ふのみ。{{r|擒|とら}}へられて{{r|活|くわつ}}を求むるは、降…」 タグ: 未校正
2023年3月31日 (金)
- 17:052023年3月31日 (金) 17:05 差分 履歴 +2,131 新 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/191 →未校正: ページの作成:「ます。義光の從臣{{r|腰秀方|こしひでかた}}、日として勇列に{{r|列|つらな}}らざるなし。{{r|吉彥秀武|よしひこひでたけ}}、降りて我軍に在り。進みて說く、「宜しく久きを持し、之を{{r|困|くる}}しましむべし」と。義家之に從ひ、令を下して戰を休む。{{r|武衡|たけひら}}、人をして來り言はしめて曰く、「我が軍、事無きを苦しむ。我に{{r|健兒龜…」 タグ: 未校正
- 10:462023年3月31日 (金) 10:46 差分 履歴 −12 細 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/189 編集の要約なし
- 10:442023年3月31日 (金) 10:44 差分 履歴 0 細 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/190 編集の要約なし
- 10:442023年3月31日 (金) 10:44 差分 履歴 +2,164 新 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/190 →未校正: ページの作成:「寛治元年九月、自數萬騎を將ゐて之を攻む。柵を去ること數里にして{{r|雁行|がんかう}}の亂るヽを望み見て曰く、「是れ{{r|伏|ふく}}有らん」と。兵を縱ちて{{r|搜|さぐ}}り{{r|索|もと}}む。果して獲て之を鏖にす。衆に謂て曰く、「兵法に言はく、『鳥亂るゝ者は伏なり』と。我れ學ばざらば則{{r|殆|あやふ}}からん」と遂に進みて柵を圍む。相摸の人…」 タグ: 未校正
2023年2月24日 (金)
- 15:002023年2月24日 (金) 15:00 差分 履歴 0 細 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/182 編集の要約なし
- 14:482023年2月24日 (金) 14:48 差分 履歴 +1,389 新 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/189 →未校正: ページの作成:「三年、義家に詔して{{r|陸奥守|むつのかみ}}と爲し、{{r|鎭守府|ちんじゆふ}}{{r|將軍|しやうぐん}}を兼ねしむ。初め{{r|淸原武則|きよはらたけのり}}、二子あり。{{r|武貞|たけさだ}}、{{r|武衡|たけひら}}と曰ふ。武貞、{{r|眞衡|さねひら}}を生む。又藤原經淸の{{r|寡婦|くわふ}}を納れて、{{r|家衡|いへひら}}を生む。亦經淸の子{{r|淸衡|きよつら}}を養ふ。…」 タグ: 未校正
- 14:432023年2月24日 (金) 14:43 差分 履歴 +837 新 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/188 →未校正: ページの作成:「義家、甞て藤原{{ruby|賴通|よりみち}}が{{r|第|てい}}を{{r|過|よぎ}}り、陸奥の戰事を談ず。{{r|博士|はかせ}}{{r|大江匡房|おほへまさふさ}}、別室に在り之を聞きて曰く、「好男子、{{r|惜|おし}}むらくは未だ兵法を知らず」と。宗任微に之を聞き、{{r|慍|いきどほ}}りて義家に吿ぐ。義家曰く、「其或は然らん」と。匡房の出づるを見て、之に禮し、遂に…」 タグ: 未校正
2023年2月15日 (水)
- 14:372023年2月15日 (水) 14:37 差分 履歴 0 細 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/187 編集の要約なし
- 14:282023年2月15日 (水) 14:28 差分 履歴 +2,313 新 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/187 →未校正: ページの作成:「る。且、{{r|征戰|せいせん}}の際、功勞有る者十餘人、爲に{{r|抽賞|ちうしやう}}を請へども、未だ裁許を得ず。是を以て敢て任に赴かず。况や去歲九月、{{r|任符|にんぷ}}を賜はる。{{r|遲引|ちいん}}の罪、已むを獲ざるに出づ。四歲の任、空く{{r|二稔|ねん}}を過ぎ、官物を{{r|徵納|ちようなふ}}する能はず。而るに{{r|封家納官|ほうかなふくわん}}、{{r|…」 タグ: 未校正
2023年2月14日 (火)
- 15:082023年2月14日 (火) 15:08 差分 履歴 +2,401 新 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/186 →未校正: ページの作成:「鎭守府將軍と爲す。八月、賴義、八幡の{{r|祠|やしろ}}を鎌倉{{ruby|鶴岡|つるがおか}}に建てゝ戰功を賽す。 七年春、賴義、義家{{ruby|諸|もろ{{く}}}}の降虜を以て入朝し、奏して有功の將士を賞せんことを請ふ。朝議未だ許さず。故を以て未だ任に赴かず。任國{{ruby|登|みの}}らず。私資を以て{{r|貢賦|こうふ}}を{{r|濟|な}}す。是の如くせしこと二年、…」 タグ: 未校正
- 14:562023年2月14日 (火) 14:56 差分 履歴 0 細 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/184 編集の要約なし
- 14:522023年2月14日 (火) 14:52 差分 履歴 +1,579 新 Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/185 →未校正: ページの作成:「て、死を以て之を守り、我が兵數百人を殺す。賴義、人家を{{r|壞|こは}}ち塹を{{r|堙|うづ}}めしめ、馬を下りて{{r|遙|はるか}}に京師を拜し、手に火を取り、{{r|號|がう}}して{{r|神火|しんくわ}}と爲し、之を投ず。風起こるに會ひ、{{r|壘柵|るゐさく}}皆火となる。我が軍因りて急に之を圓む。虜、殊死して戰ふ。則其一角を解く。虜逃れ走る。賴義撃…」 タグ: 未校正