し、馳せて海に入り、行葦を立てゝ表と爲す。賴信、軍を麾きて之に從ふ。忠常驚怖し、出でゝ降る。賴信、忠常を斬る之を斬り、首を京師に効す。功を以て從四位上に叙し、上野、常陸介に任ず。賴信謝して曰く、「臣天威を藉り、刃に血ぬらずして强賊を降すを得たり。何の功か之れ有らん。臣老いたり、遠任に堪へず。願はくは改めて丹波を守るを得ん。敢て望む所に非るなり」と。許されず。
賴義子の賴義、沉斷にして武略あり。小一條院の判官代となる。每に獵に從ひ、善く弱弓を用ゐて猛獸を殪す。平直方、其材藝を奇とし、女を以て之に妻す。旣にして賴義、八幡神より劍を賜ふと夢み、其妻姙むことありて、子を生む。賴義喜びて曰く、「此兒、必我が家を興さん」と。因りて名づけて義家と曰ふ。長ずるに及びて八幡の祠前に冠し、八幡太郞八幡太郞と稱す。人と爲り英果にして射を善くす。征行ある每に、未だ嘗て從はずんばあらず。賴義相模守となる。州俗、武を好む。賴義、義家、撫するに恩威を以てす。豪傑爭ひ服し之が用を爲すを樂しむ。
(安倍氏系圖)