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おほ廣元ひろもとを奏して、廳使ちやうし衛尉ゑのじやうと爲す。攝政兼實其不可を議して曰く、「儒家進仕の例に非ず」と。藤氏公卿の門閥論を嘲る嗚呼あゝ門閥を以て賢と爲し、格例を以て政を爲す。其才俊驅りて以て梟雄をたすけしめて、猶覺悟せずして此の區々を爭ふ。兼實すら且然り。其他知るべし。さきに相家をして國を憂ふるの心と變に通ずるの略あらしめば何ぞ王權の外移するを患へんやおもふに嚮者、天慶の亂も、亦藤原忠平の廳使を平將門に許さゞりしに由るなり。久い哉。相家の豪傑を沈滯せしむること。抑、將門は自與じよせんと欲せしなり。而して得失を以て榮辱と爲せり。賴朝は之を其下に與へんと欲せしなり。而して從違を以て損益を爲さざりき。又以て世變を觀る可きかな