義家、甞て藤原賴通(よりみち)が第(てい)を過(よぎ)り、陸奥の戰事を談ず。博士(はかせ)大江匡房(おほへまさふさ)、別室に在り之を聞きて曰く、「好男子、惜(をし)むらくは未だ兵法を知らず」と。宗任微(ひそか)に之を聞き、慍(いきどほ)りて義家に吿ぐ。義家曰く、「其或は然らん」と。匡房の出づるを見て、之に禮し、遂に就きて學ぶ。
承暦三年【美濃亂】源重宗、源國房、兵を構ふ承暦三年、美濃亂る。義家に詔して往きて之を定めしむ。亂人之を聞きて皆遁る。
延久三年延久三年、陸奥亂る。守(かみ)源賴俊(よりとし)討ちて之を平ぐ。賴俊は賴親(よりちか)の孫、賴義の從姪(じうてつ)なり。
永保二年永保二年、賴義卒(しゆつ)す。