Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/168

提供:Wikisource
このページは校正済みです

道隆みちたか道兼みちかね道長みちながと曰ふ。皆兄弟政を爭ふ。伊尹の女、華山を生む。兼家の女、一條を生む。故に兼家道兼をして華山をすかし位を遜れしめて而して一條を以て之に代らしむ是れ其最甚しき者なり。後一條より下三帝、皆道長の女の生みし所、是れ其最寵榮を極めし者なり。道長の二子賴通よりみち敎通のりみち、相繼ぎて政を執る。而して賴通、師實もろざねを生む。師實、忠實たゞざねを生む。忠實、其長子の忠通たゞみちうとんじて、少子賴長よりながを愛す。是に於てか、保元の禍あり。忠通の三子基實もとざね基房もとふさ兼實かねざねあり。基實、基通もとみちを生む。基房、師家もろいへを生む。兼實、良經よしつねを生む。かはる朝政を源平の際に執る。兼實其論議るべき者は、獨、兼實あり。他は位に充つるのみ。其後一姓分れて、五攝家
【五派】近衛、九條、二條、一條、鷹司
五派と爲り、かはる攝關と爲る。而して其進退は復天下の事に關らず。錄するに足らざるなり。之をぶるに良房より下奕葉鈞をる、大抵務めて私門を營み國家の休戚を以て心に經せず而して其權を爭ふに當りては父子兄弟且相保たずして奔競從諛し朝を擧げて風を成せり宜なるかな大亂の是に基すること藤原の末路而して其終り王室と俱に衰へ、共に頽れ、徒に空名を存せり。哀まざるべけんや。

外史氏曰く。吾れ史をけみして、王覇の廢興せる所以を知るあり。源賴朝、甞て