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何をしてか不可ならん」と。世、其㧞興の漸無きを以て、群起して之をとがむ。而れども之が師【師】藤原氏と爲る者有るを言はず。後白河天皇淸盛の勢を養成す且、淸盛のこゝに至る所以は、後白河帝の其勢を養成せしに由るのみ。夫れ名爵、公器は、私に用ゐる可からず。人臣にして名爵を私するは、是れ其君にそむくなり。人君にして名爵を私するは、是れ其先王に負くなり。先王の名爵を淸盛に濫授し藉りて以て其私を濟す而して其功をたの上にねがふの心を長じ制す可らざるに至るはた誰を咎めんや。然りと雖も平氏の勢を成すものは、獨、帝に始まりしにあらざるなり。初め忠盛、寵を白河、鳥羽に受け、しきりに官爵を進む。人以て不次と爲す。平氏の力を以て源氏を抑へ藤原氏の權を殺ぐ盖し朝廷其力にりて以て源氏をおさへぬ源氏を抑へたるは相家の權をぎし所以なり。源氏、滿仲みつなか賴光よりみつより、つねに相門の爪牙たり。攝政兼家かねいへの花山を騙しゝや、源賴信よりのぶ、實に道途を捍衛せり。降りて文治の際に至りて、朝廷、關白兼實かねざねの源賴朝を助けしを疑ひしも、亦其よゝ相黨援せしを以てせしに非ずや。是に由りて之を觀れば、平宗を延きて以て相門に抗せしめしは院政國論の相傳承する所其れ猶寬平の菅氏を擢任せしが如きか文武異なりと雖も其意は一なり。菅公の賢を以てして、猶權をしたふ意なき能はず。平氏は、重盛を除くの外、皆不學無術なり。其功にほこり、