Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/187

提供:Wikisource
このページは校正済みです

る。且、征戰せいせんの際、功勞有る者十餘人、爲に抽賞ちうしやうを請へども、未だ裁許を得ず。是を以て敢て任に赴かず。况や去歲九月、任符にんぷを賜はる。遲引ちいんの罪、已むを獲ざるに出づ。四歲の任、空く二ねんを過ぎ、官物を徵納ちようなふする能はず。而るに封家納官ほうかなふくわん督責とくせき雲の如し。仍りて私物を以て、しばらく進濟しんさいつぐなへり。彼州の吏言りげんを聞くに、頻年ひんねん旱凶かんきようにして、田に秋實しふじつなく、民に菜色さいしよくありと。臣謹みて傍例ぼうれいを按ずるに、きやうのぞむの年限をべて、以て闔國かふこく凋弊てうへいを救ふ者、其人まことおほし。况や希世きせいの功を致す者、いづくん殊常しゆじやうの恩無からんや。昔班超はんてうは三十年を以て西域さいゐきを平げぬ。今賴義は十二歲を以て東夷を誅せり。遲速優劣は、採擇さいたくする難きに非ず。たとひ、千戶の封を受くる無きも、なん重任ちようにんの典を許さざらんや。天恩を望み請ふらくは、臣が意を哀矜あいきようして、忝く允可いんかを賜ひ、臣をして徐に與復の計を處し、以て辨濟べんさいの方を致すを得られんことを。臣、懇欵こんくわんに任へず」と。

是より先、もろの降虜皆に處せらる。義家、宗任宗任むねたふの勇を愛して、とくに之を親信しんす。私する所の女子を問はんと、車に乘りて往く。獨宗任從ふ。心ひそかに報復をはかり、刀を拔きて車中をうかゞへども、其ねむるを見て敢て發せず。後遂に心をかたむけて之に事へきと云ふ。