は何ぞや。名簿果して安に在る」因りて千任を執へて其舌を抜き、武衡を斬らしむ。武衡哀を義光に乞ふ。義光請ひて曰く、「降る者は宜しく赦すべし」と。義家、色を作して曰く、「過を悔いて來り歸す。宗任の如き者、是れ之を降ると謂ふのみ。擒へられて活を求むるは、降るに非ず」と。遂に之を斬る。家衡は其下に殺さる。義家、武衡、家衡以下の首を献ぜんと欲して、奏して官符を下さんことを請ふ。廷議、其を私鬪なりと謂て許さず。故を以て將士を賞せず。遂に首を途に棄てゝ還る。
(源義肖像)義家、父祖の業を承ぎ、善く將士を
撫す。其陸奥を征するや、前は九年、後は三年。東國の士民、皆其恩信に服し、相與に共に請ひて其子弟を留め、之を
擁戴して、自其
家人と呼び、義家を稱して八幡公と曰ふ。是時に當りて八幡公の
威名、
朝野に
徧し。白河法皇、嘗て
夢魘を患ひ給ふ。義家に詔して、其