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宗盛父子、皇弟、皇太后、平時忠以下と、義經に從ひて東す。命ありて、宗盛以下を京師にとなふ。宗盛、輿中より四望す。淸宗、仰ぎ視ず。旣にむ。皆義經の第に抅す。宗盛、衣を解かず。いぬるに袖を以て淸宗をおほふ。守兵見て之を憫む。五月、鎌倉に送る。賴朝之を前舍に延き、庭を隔てゝ相見る。命をおこなふ者至る。宗盛、悚然として死をゆるされんことを請ふ。賴朝、魚をまないたき、刀を加へて之を示し、諷して自殺せしめんとす。宗盛、其意をさとらず。又送りて京師に還す。篠原しのはら【篠原】近江
宗盛殺さる
に至り、父子別に抅す。將に殺されんとするを知るや、乃僧を請ひて佛を稱して曰く、「吾、壇浦に死せざるは、淸宗あるを以ての故のみ」と。是に於て皆斬らる。宗盛、次子あり。副將と曰ふ。先に京師に斬らる。初め壇浦の敗に、時子衆に謂て曰く、「宗盛は故相國しやうこくの子に非ず。吾の再姙するや、相國其男を生むを期す。而して女生まる。吾れ相國の恨怒を恐れ、ひそかに人をして之を一傘工の男兒