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て、死を以て之を守り、我が兵數百人を殺す。賴義、人家をこはち塹をうづめしめ、馬を下りてはるかに京師を拜し、手に火を取り、がうして神火しんくわと爲し、之を投ず。風起こるに會ひ、壘柵るゐさく皆火となる。我が軍因りて急に之を圓む。虜、殊死して戰ふ。武則其一角を解く。虜逃れ走る。賴義撃ちて之をみなごろしにす。貞任、乃、獨身出でて鬪ふ。我が兵之を叢刺そうしす。しゆせず。之を巨楯きよじゆんに載せ、六人にて之をきて至る。賴義之を視るに、腰圍七尺、たけ之にかなふ。賴義其罪をかぞへて之を斬る。貞任捕はれて斬らる其子千代ちよ其弟重任しげたふに及ぶ。經淸も亦ばくせられて至る。賴義命じて鈍刀を用ゐて之を斬る。曰く、「猶よく白符を用ゐるか」と。宗任降る宗任等皆降る。賴義、柵中にりよかすむる所の美女數十人あるを見、盡く分ちて將士に賜ふ。六年六年二月、人をして貞任以下のかうべもたらして、闕下けっかに献ぜしむ。詔して正四位下に叙し、伊豫守いよのかみに任ず。義家從五位下に叙し、出羽守に任ず。義つな左衛門少尉さゑもんのせうじやうと爲し、淸原武則を