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上皇、兵を起こして白河殿しらかはでんに據る。左大臣藤原頼長よりなが謀主となりて、よもに兵をつのる。京畿大にみだる。得子乃きやうひらけば、則、武臣十人の名を書せり。義朝之がはじめたり。卽、義朝を召す。義朝乃兵を率ゐて、族の賴政よりまさ等と倶に高松殿たかまつでんまもる。賴政は賴光よりみつ五世の孫也。

安藝守平淸盛も亦召に應じ入りてまもる。

是に於て、上皇使者をして爲義を召さしむ。爲義辭して曰く、「臣老贏らうるゐ、復、平昔へいせきに非ず。長子義朝勇にしてしゆうあり。而れども既に禁內きんだいおもむけり。餘子よしは獨爲朝用ゐる可し。君請ふ、之を用ゐ給へ、臣を以て爲す毋れ。且、臣、家に傳へし所の八かふ、風のたゞよはす所を夢む。臣、心に之を惡む。往くも必利あらじ」と。使者之をふ。爲義已を得ずして、諸子を率ゐて之に赴く。上皇喜び以て判官代ほうぐわんだいと爲し、邑及び寶劔ほうけんを賜ひ、四子賴賢よりかたを以て藏人くらうどと爲す。因りて會して戰を議す。爲朝進み言て曰く、「臣、大戰二十たび。小戰二百たび。以て九國を芟鋤せんじよせり。少を以て衆を擊つは、つねに夜攻に利あり。臣請ふ、今夜、高松殿を襲ひ、其三方にして、これを一面にえうせん。其善く戰ふ者は獨、臣の兄義朝あり。然れども臣一もて之をたふさん。平淸盛輩の如きに至りては、臣鎧袖がいしうしよくせば、皆、自、倒