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前九年戰
安倍賴時
是時に當りて陸奧むつの豪傑安倍賴時あべのよりとき、諸部落をあはせて、六郡の酋長しうちやうる。國守こくしゆ秋田城介あきたじやうのすけと、兵を合せて之をつ。賴時、むかちて大に之をやぶる。白河關しらかはのせき以北海にいたるまで、盡く叛き附く。朝議てうぎ、賴義を以て陸奧守と爲す。義家及び次子の義綱よしつなと、兵を率ゐて赴き伐つ。大赦たいしやふ。賴時、兵を解きて降り、賴義に臣としてつかふ。賴義遂に鎭守府ちんじゆふ將軍しやうぐんを兼ぬ。

永承七年永承七年、任滿ちて、將に還らんとし、府に入りて事をる。賴時、厚く其軍をねぎらふ。旣にして罷めて國府に歸り、阿栗あくり川に宿しゆくす。人あり、藤原光貞みつさだの營を襲ふ。初め賴時の長子貞任さだたふこんを光貞に請へどもゆるさず。故を以て之に報ぜしなり。

衣川關是に於て、賴義、貞任をとらへんと欲す。賴時、乃兵を擧げて反し、衣川關ころもがはのせきる。賴義そうして再任を請ひ、兵を發して之を伐つ。賴時の婿むこ藤原經淸つねきよ、平永衡ながひら、來りて官軍に屬す。或人、永衡、りよと私ありと吿ぐ。賴義、永衡をとらへてこれを