雪の日 (梶井基次郎)

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本文[編集]

或る朝明り窓のそと近くで羽搏つ雀の羽音がした。「米はなかつた筈だ」と床のなかで純一は思つてゐた。微かなものがさらさらと戸に觸れる氣配がした。それを聞くともなしに聞きながら彼は復睡りの中へひき入れられて行つた。
やうやく晝頃床を離れた。雪の降る、寒い日であつた。齒楊子を使つてゐると、風の収まつた天から輕い雪片が、靜かに、あとからあとから舞ひ下りて來た。手荒鉢の水面へそれが下りると、滅入り込む樣に消えてゆく。純一は近頃にない珍らしい氣持でそれを眺めてゐた。
「今日は・・堂の子供に約束しておいた日だ」純一はふとそれを憶ひ出した。かなり以前からその小さい本屋の借が拂へなかつた。本屋ではその金が貰へたらマントを買つてやると其所の十餘りの女の子に云つてゐる。と云ふことを彼は・・堂の隣りに下宿してゐる友達から聞いてゐた。二度三度その女の子はやつて來たが何時も拂へなかつた。女の子はいつも同じ内氣な表情で、いつも同じ文面の請求書を書いて貰つて來て彼の前に立つのだつた。が、その度にその請求書を彼に取上げられるのだつた。
今日もその子が來る――彼はそママう思つて見て「雪の日や」といふ句を思ひ出しながらやゝ感傷的になつた。そして今日も拂へないといふことが直接に響いて來なかつた。
食事を濟ませ煙草を喫むと、またしても同じ悒鬱な日であつた。何故斯うがつがつ食つたのだらう、そして飯のお(を)さまらない前に煙草を喫つたりなどして、――自分の意志からではなかつた様に彼は殘念な氣がした。
「コツコツ――コツコツ」外では雀がトユへ棲つた模樣であつた。チユと飛立つた拍子にビユッといふ、羽交の下のぬくみがわかる樣な羽音がする。それを聽きながら床の中で思つてゐた米のことを純一は「左う、左う」と憶出した。そして打散〔ら〕かした紙を踏んで袋戸棚へ行つた。足の下でマツチの箱を摧けた音がした。袋戸棚をあけると、花瓶に小便を入れた儘隱してあつたのが微かに匂つてゐた。窓を明け、凍りついた唾(痰)壺を片脇へ除けて彼は米を蒔いた。――俺の氣配がすると、人の顏を見ないで逃げてゆく、――米を啄みに來る雀のあたふたした恰好がふと彼の頭に浮んだ。そしてなんとなく今日の悒鬱の奥深くに、毎日の凶暴とは打つて變つた、珍らしく淸々しいものを感じてゐる自分を意識した。それはなにか涙で心を洗ひ淨めたい樣な、そしてそんなことが出來そママうな氣持であつた。それに觸れると、彼の心は敏感に身構へした。
黑谷、鹿ケ谷、法然院、若王寺、南禅寺。その道筋が直ぐ頭へ來た。永の間思ひ浮んでも肯ふまでには却々であつたその道筋が、今は珍らしく親しく純一の心に蘇つた。
傘がないが、それはいゝが、本屋の子を彼は待つてゐてやり度かつた。然しそんな未練は自分の馬鹿だと思つた。此氣持は直ぐ消えるものかも知れないと思つた。彼は直ぐ立ち上つた。そして用意をしながら、彼の部屋も今日は掃除が出來そうだと思つた。
家の外へ一步出ると、雪は降るまゝに道を泥濘(ぬか)らせてゐた。彼の下駄は磨り減つた厚齒だつたので、そして雪は積るものと獨り極めをしてゐたので、やゝ輕い當惑があつたが、先刻手荒で見たと同じ樣な雪が、慈姑やぜんまいの着けてある八百屋の桶へ同じ樣に下りてゐるのを美しく見直した時分には自ら希望が出來てゐた。
下宿に近い黑谷の山内へ入ると雪はやゝ積つてゐた。學校歸りらしい女の兒がジヤケツを着、一人でとぼとぼ純一の前を步いてゐた。短く剪つた髪の上で雪の溶ママけるのを見ながら彼女を追越して、石段の上から見てゐると、その兒は石甃の上で鞠をついたりしながら純一の方へやつて來た。その幼な心がふと純一の心に觸れた。
黑谷から日枝神社への新し〔い〕切通しに出ると、雪のなかに比叡、大文字が夢の樣にとぢこめられてゐた。雪は先刻よりも少し大きくなつてゐた。やや泥濘(ぬかる)むその道を下りながら彼はこの間からの絕望の谷へ封じ込められた樣な思ひを憶出してゐた。
假幻。夢。魅(バカ)し。自分を取繞く現象や觀念(殊に義務 親子の約束。)が單にそう云つたものに過ぎないといふ想念が此頃しきりに浮ぶ。誰が訛(化)かすのか、訛(化)される前は何であうたのか、一體その憑き物がおちたらどうなるのか、そんなことは考へなかつた、またわからなかつた。然したゞ度數の頻繁だけがそれにはあつた。ひんぱん(頻繁)は當然だ。想出しな(た)くないことが浮んで來る度それで胡麻化ママママうとするんぢやないか。
――彼はたゞ現在が惡夢であつたらという想像から、今もそれを考へ、それを妨げる何の根據をも見出さなかつた。然しそれで危く自分を瞞ちやく(著)しやママうと思つてゐた自分の虫のよさを見出した。それに一亥でも倚りかゝらうと思ふのは自分の馬鹿だと思つた。そんなものに凭りかゝつてもう一度落第する氣か、此度は退學だぞと思つた。
此の場合たとへ眞面目な情熱が起きやママうとも今、一切の形而上學は惡魔だと思つた。前夜の不安な氣持に、「コペルニクス的」と迄は名ず(づ)けなかつたが、轉向といふ字を冠らせたのも明かにトルストイを模(摸)倣しやママうとした自分の馬鹿だと思つた。
そのトルストイを彼は一年前の此頃讀んだのであつた。とママうとう學校を落第するので父母に懺悔をした。その懺悔の後、貪る樣にトルストイに親んだ。……(缺)


……「逝者如斯不舎晝夜」そう孔子が云つたといふ江の速さはこんな速さだつたにちがひない。そんなことを思ひながら純一は水路の緣に沿つてゐた。
水路は一種の速さを持つてゐる。澄んだ水の上へ落ちた雪片は瞬間流れるのが見〔え〕た。
わなにかゝつた鼠が水に漬けられて、あちこちの網の目へ鼻を突込む。「此頃の自分はそう云つた工合だ。一體水に漬けてはあげ、あげては漬けるその者は何なのだ。今年の正月元旦嚴かに許して呉れた父か、またその時『いかばかり嬉しからまし年と共に人の心の改まりなば』といふ歌を讀んで呉れた母か、それとも俺か。」然しそれが誰にしろ、鼻を網へ突込みながら騒いでゐる自分はふと可哀想に思へた。
「學校は末、魂が第一」それも俄仕立の一つの網目であつた。「最後まで改めることをせず、白刄を拔いて俄にそう居直らうとする自分の無類の惡性者!發心は一年續いたか、一と月自由になれば直ぐ酒に陷つた自分ではないか」思ひつゝ新しい力が湧かなかつた。身體を壊してゐるうへこの寒さに出て來た自分を純一は悔んだ。一秒でもいゝ、早く橫になり度い、そんな疲勞が感ぜられた。
「やはりこんなに寒く眞暗闇だつた。」
彼は前年の冬の或る夜を憶ひ出した。學校……(缺)


……身體は疲れてゐた。その時遠い所から響がして來た。汽車、どこを通るんだらうと思つてゐた、それがさほどとほくない眼の前であつた。暗のなかから不意に光列があらはれた。彼はその溫かそうな客車や寢臺車や濛々と湯氣をたてゝゐる食堂車を見て涙ぐんだ。遠い所へゆく、その心持を思つて涙ぐんだ。そして暗の空氣をたゞ無闇矢鱈に震動させて過ぎてゆくその痛い快い響で涙ぐんだ。
――然も今その憶出は色褪せ不快さへ含んで純一に來てゐる。あれになつては、と思ふ氣持も直ぐ疲勞の腹立しさと惡く粉(絡)んでしまふのだつた。グワラ。そしてどこで鳴るのかカランと輕い音がする。今もその響きは耳に殘つてゐた。
南禅寺から隧道になつて來る水路は若王寺のプールの樣な所を滿たし樋から落ちてまた流れてゆく。
純一はそのあたりへ來た。
いつの間にか雪は小竭(歇)みになつてゐた。其處から、仆れて腐つた椎の木や落葉や妻木で被はれた若王寺の谷間へ純一は入つた。積つた雪を除けると半ば濕つた木の葉が匂つた。彼はそれや枯草を集めて火を點けた。「人には木の端の樣に思はるゝよ」昔の人はそう云つたが、つま木、枯葉は腐つてゐながらも何とうきよ(浮世)の垢にそまない淸々しいものだらう、彼はそんなことを思つてゐた。
乾いた枯草は直ぐにめらめらと燃えてしまつて落葉にはなかなか侈(移)らなかつた。濃い煙の刺戟で涙がいくらでも出た。煙が流れて木の間から逃げてゆく。やってゐるうちに純一は焚火を作るのが少し面白くなつて來た。彼處此處と燃えそうなものを見付けて來て幾度もやつて見た。むくむくと立騰る煙の間からやつと本物らしい焔が見えはじめた。枯葉の燻る匂ひが溫まつてゆく彼の身體にほのかな寂れた喜びを傳へて來た。
崖を被ふ苔の中へ鼻を埋めた。昂奮したな、と思つた。
やつと谷から出て樋に近い石碑の前の階段へ歸つて來た時先刻の雪は卽にあがつてゐた。空遠く雲も切れかけてゐた。いくらか力も貯つてゐた。
暫く石段の上へ腰を休めてゐると、樋の上の橋を渡つて二人、人がやつて來た。靜に生き寂びた夫婦と云つた感じであつた。見てゐるとオーバーに身を包んだ男の人は質素な被布を着た女の人を殘して純一の方へ近寄つて來た。
「お尋ねしますが。若王寺の墓地へはどう參ります。」
落付ママいた感じの、ちよつと敎授と云つた恰好をしてゐた。叮嚀に尋ねられて純一は少しかたくなつた。
「そこを上つて、行かれたらいゝんです」指さしながら答えママ、答えてからなぜか立上つてゐた。
「いや、どうも。」そして女の人に眼交(眴)せした。女の人(やはり夫人らしかつた。)は手に花束を持つてゐる、品のいゝ五十がらみの人であつた。二人は靜かママに山の方へ入つて行つた。
若王寺の上には基督敎の墓地がある。新島襄や安得烈と云つた風に感じで名をかいた外國の僧侶の墓などもある。墓參らしい、いゝ氣持だな、と純一は思つた。
また暫くすると二三人の人が來た。一人の人が牧師らしかつた。それが手振しながら橋の上でなにか云つてゐた。これは少し感じが惡かつた。やがてその人達も山の方へ步いて行つた。
弱い日射しが雲間から洩れはじめた。先程から、今日の一日が幾晩をも越えた樣な、變な、時間の錯誤感が來てゐた。薄陽はその何處かいぶかしい氣持、それと縺れ……(缺)


……「來るべきに來た日」その思ひが空怖ろしかつた。
平安神宮の裏と綿(錦)林校に挾まれた落葉樹の下を空虚な疲勞を覺えながら彼は步いてゐた。櫛形の軒窓がその木立の奥の家の閉された窓の上に、二つ、眼の樣に燈を寫してゐた。そんなものにさえママ常になくおびえた。彼は神苑の竹垣からよく枯れてゐそうな竹を拔いた。そして小用を足した。
冷〔た〕い廊下を通つて取亂した自分の部屋へ純一は歸つた。最近酒氣なしでは歸つたことのない部屋の匂ひが冷たく澄んで、鼻に浸みた。以前一まとめにしてあつた感想や原稿を撒き散して、掃除を斷つてから一週間程にもなつてゐた。ノート、古雜誌、紅茶の渣(かす)、寐ママ床。その間に鉋屑が散つてゐる。洟かみが捨てゝある。純一は袴も脱がず火鉢にこゞんで、取つて來た古竹を折つた。火鉢だけ掃除してあつた。灰が冷えてゐて、鼻を刺す樣なひがする。近ごろ痰を吐きこむがそれぢやないかと彼は思つた。火をつけると古竹はプスと油をふいて燃えた。濃い茶色の烟が澄んで靜かな空氣〔の〕なかへ立騰つた。
それを見ながら純一は此の間からのことをあれからこれへと憶ひ出してゐた。四條のにびきの前で不圖弟の顏が憶ひ出されたこと。その時の弟の顏は四五年も以前の顏で何故か涙をこぼしながら飯を食つてゐた。そして成長した此頃の顏がどうしても憶ひ浮ばずその姿だけが純一の頭をしつこく惱ませたそのこと。八坂の塔の下で後姿が母に似たみすぼらしい女が彼の前を過つたこと。寐る前に必ず來る母の聲音の幻聽が此頃氣になりはじめたこと。「來るべきに來た日。」――純一はそれを有難く思はうと考えママた。推(押)し流されてゐるべきときではない。急流を遡るといふ巖の樣に、それに逆らつて、立たねばならぬ。おう、力よ、湧け。
隅に變つてゆく竹がキキキと音をたてた。純一は立上つて東に向いた明り窓の外の炭俵から炭を出した。星は空に强く冷〔た〕い光を放つて、眞如堂にあたる杉木立の梢は黑々と見えた。ほっと吐いた息が直ぐに凍つて冷〔た〕い夜氣に溶けた。
どうしても氣持が支へきれなくなる。純一は胸が掻きむしられる樣に思つた。
「學校へ出るのはこの時期だ。出やママうとさへ思へばたとへ今夜撤(徹)夜してでも。始業の間には合はう。」
――「然しその先きは?」それはとても齒が立たない氣がした。「級の中でも最も有力な落第候補者が出て來たのを彼等は變に思ふだらう。そして自分も變だ。」無理をしろ。氣持よ、乘つかゝれ。
「自分の缺席日數は疾くに百日を超えてゐる。報告(リポート)の期日は何度も過ぎた。そして山の樣な空白頁(ブランク)。」……「卒業試驗にはあと三週間。」彼は大膽に勘定して見た。
純一は惡くすれば惡くなりはぐれそうな今夜の氣持を寐ることで明日まで持〔ち〕越そうと思つた。そして羽織を脱いで床へむママぐつた。
「どうにかなる、どうにかなる」で、どうにもならぬ所まで出切つて仕舞はうとする瞞ちやく(箸)を今夜は今夜ははじめて未然に取抑へたと思つた。然し今寐てしまふといふことは何故かやはりそれに敗けた樣な氣もされた。一方今夜ぐれたら明日からは一層性が惡るママくなるとも思へた。
「これでいゝのだ。明日を待たう。」
少〔し〕あやふやではあつたが何ケ月振りでいゝ睡りが出來そうに純一は思つた。彼處此處で鷄が鳴いた。一時過かな? と思つた。やはり眠むママれなかつた。
「山城さん。電報」几帳面な配達夫の聲を純一は聞いた。下宿人は彼とも二人、身體が硬くなつた。
「山城さん電報」純一は行かうとした。不安な豫感が足を澁らせる。否、否 足が無理に進む。二三段階段を下りた處で、下宿の首府が受取〔り〕に出たけた氣配がした。
「こゝから。」眠〔む〕た氣にそう云つてゐる。純一は不意に掌を合せた。「今はかなはない、いまは!」
醉ひがあつたな、それを感じながら、寧ろそれをいゝしほになほ身體を硬ばらせて「どうそ どうぞ」とつぶやいた。
「……樸ぢやないか?」
「いゝえ、家(うち)のな……」そこまで大きな聲で云つてあとは息子に小聲で話してゐる。
「あゝよかつた。」身體にはまた疲れが流れてゐた。電報の聲で直ぐ父と母を想ひ浮べた自分が悲しく思はれた。また輕卒(率)にも父母に不吉を投げかけた自分が口惜しかつた。

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