栗鼠は籠にはいっている

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本文[編集]

陽(ひ)のよくあたるひさしぶりの朝!
人はみな職場に、子供達は学校へ、みな行ってしまったあとの街を歩くことは、日頃(ひごろ)怠惰〈怠惰)な芸術家にとってなんという愉(たの)しいことだろう。うららかにもひっそりしている。道で会うのは赤(あか)ん坊(ぼう)をおぶったお婆(ばあ)さんか、自転車に乗った御用聞(ごようきき)しかない。高い土塀(どべい)に咲(さき)残(のこ)ったばらの匂(におい)が路面まで降りて来ている。さざんかの花を散らして小鳥が逃(に)げてゆく。
日光にはまだ生気がある。これが昼をすこし過ぎると、なぜあんなにも物悲しくなるのか?


そんなある朝、私は「鳥源」という小鳥屋の店先に立って、陽を浴びて騒(さわ)いでいる小鳥達を眺(なが)めていた。彼等(かれら)は餌(え)を貰(もら)ったところだったらしい。菜っ葉を食い裂(さ)き、粟(あわ)を蹴散(けち)らし、水をくくみ飲む有様(ありさま)はまことに異様な騒擾(そうじょう)であった。それが済んでしまうと彼等はまた横棒の上に帰って、眼白(めじろ)押(お)しに並(なら)びながら「あたしを買って頂戴(ちょうだい)」をやるのであろう。なんといううまい仕掛(しかけ)になっていることか。籠のなかの小鳥達!
そのうちに私は非常に興味のある一つの籠を発見した。それは黒い宝玉のような眼をした、褐色(かっしょく)に背に白い縞(しま)の走っている猫じゃらしのような尻(し)っ尾(ぼ)を持った、アクロバット一群だった。朝鮮(ちょうせん)栗鼠(りす)!
この連中は十匹(ぴき)で二十匹の錯覚(さっかく)を与えるために活動していた。餌を食いに来ている奴(やつ)のほかは、まるで姿がつかまらない。籠を垂直に駆(か)けあがってゆく。身を翻(ひるがえ)す。もう向う側を駆け下りている。また駆けあがってゆく。もう下りて来ている。また駆けあがってゆく。もう下りて来ている。
アーチだ!いつも一定に、好もしい、飛躍(ひやく)の恰好(かっこう)の残像で構成されている。
餌を食っている彼等はほんとうに可憐(かれん)に悧巧(りこう)そうに見える。猫じゃらしの穂(ほ)のように芯(しん)の通った尻っ尾をおったてて鉢(はち)の前へ坐(すわ)る。拝むような恰好に両手を揃(そろ)えて、穀類(こくるい)を掬(すく)っては食うのである。まるで行儀(ぎょうぎ)のよい子が握飯(にぎりめし)を食っているようではないか?そしてまた錯覚の、群飛の、アーチのなかへ駆けあがってゆくのである。
隣(とな)りの平たい籠のなかでは、彼等はまた車を廻(まわ)さされていた。
彼等の一匹が車のなかへはいると、車は猛然(もうぜん)と廻り出す。彼は駆ける駆ける。車は廻る廻る。まるで旋風機(せんぷうき)のように。桟(さん)もなにもかも見えなくなってしまう。そのなかから、彼の永久の疾駆(しっく)の恰好が商標のように浮(う)き出して来る。ついと彼が走りやめる。と、桟がブランブランと揺(ゆら)いで、一走りをすませた彼の姿がそのなかから下りて来る。そしてまた代りの奴がはいる。そしてまた車が廻り出す。
彼等はその遊びに驚(おどろ)くべく熱心である。なぜだろう?これが天性というのだろうか?それとも別の訓練がかくも彼等を「六日競争」の選手にしてしまったのだろうか?
しかし私はさきほどの籠のアクロバット達を見較(みくら)べてみることによって、「円の逆は点なり」という難しい数学の定理を思い出しながら、それを「天性」だと帰納してしまった。まことに円の逆は点なのである。
そのうちにまた私は驚ろき出した。その点が――静止の位置にいてしかも疾駆している彼が、ほんとうに遠くへ遠くへ、走り去ってゆくように見え出したのである。五十米(メートル)。百米。ああ走る走る、遠くへ遠くへ。
私は夢中になってしまった。こいつは恐(おそ)るべき革命家だ!車のなかにいながら、車から無限の遠さへ走っているではないか。こいつらは物理学の法則を破壊(はかい)してしまった。ああなんという疾駆だろう!
私は感歎(かんたん)してしまった。感歎しながら見入っていた。見入りながら考えはじめた。何を?隣りの奴らを。彼等もまた恐るべき革命家ではないか!
仰向(あおむ)けに飛躍(ひやく)する身軽さは重力の法則を消去している。おまけに「十は十に非ず」ということまで主張しようとしているではないか!
「恐しい革命家だ」
そうひとりごちながら最後に私はそこを立ち去った。愉しい朝の散歩の思わぬ収穫(しゅうかく)に心をときめかせながら。


しかし昼が去って、衰(おとろ)えた日影(ひかげ)をはや木枯(こがらし)が乱しはじめる。夕方。私の考えはなにもかもが陰気(いんき)になってしまう。私は朝の栗鼠のことを考え直してみる。
「革命家だなんて。たかだかが手品師かアクロバットではないか。それを革命家だなんて。栗鼠はやはり籠のなかにいるんだぜ」


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