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雲 (梶井基次郎)

本文

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若しその名前をつけるなら、白雲郷とでも云つたところへ私は住〔み度い〕〔んでゐたいのだ。〕み度いと思つてゐるのだ。私は輕い寐椅子を持ち出してひねもす溪の空を渡つてゆく雲を眺めてゐやうママ、……(缺)


……私には見えない雲のなかの高みで、そのやうな脚によつて捧げあげられてゐる、なんとも云へない高貴なものの感じと〔の、〕この二つ〔なのである。〕の感じなのである。それが海嘯のやう〔に通過して行つた〕に押し渡つて行つたあとで――私はきつとその反對の觀念を思ひ浮べたが、音樂のことでも考へたのではないかと思ふが――バラバラバラと小太鼓を鳴らすやうな感じとともに、實に小さな馬がたくさん行列して續いて來るのである。しかしそれらの馬は〔小さいと云つても、最も小さなソオセイヂ 腸詰のあの指ほどの奴みたいに、小さければ小さいなりに、小さいことは小さいがとても逞しくがつちりしてゐて〕小さいとは云ふものの<小型の腸詰のやうに>とても逞しさうにかつちりしてゐて、〔まるで小型の腸詰が並んで來たやうで、〕しかもそのうへにはやはり小さな騎手が揃ひの服裝をして乘つてゐたのである……(缺)

この著作物は、1932年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。