交尾 (遺稿)
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[編集]- 堺の水族館をよく見に行つた時分がある。私は他所の水族館は知らないながら<に>、此處のは〔とても〕大變いいんだと獨りぎめにして見に行つてゐた。實際たくさんの種類の魚族があつた。薄暗い館の中でぐるりの水槽だけが明るい。<水槽のなかは>水の高さが人の眼の高さよりも高くつて、〔水の〕なかへ下ろしてある硝子管から出る泡が〔水の表面〕明るい水〔の表〕面へ浮〔いて行つては打つかる〕きあがつて行くのが美しく、水の中からのやうに見える。まあこんなことはどこの水族館でも同じだらうが美しく珍しい氣がする。ただ蚊がたくさんゐて足を刺すのだけにはいつも閉口した。
- 私は、<結局>どんなこと〔を〕いふと漠然としてゐるのだが、種々樣々な魚の運動を見てゐることになにか會得するもののあるのを感じてゐた。いろいろな鯛の泳ぎ方、赤鰾の泳ぎ方、一尺以上はどうしても眞直〔泳いで行けない〕には泳げない、運命的に𢌞らずにはゐられないやうなかははぎの泳ぎ方、そのほか蛸、ひめおこぜなど何時まで見てゐても倦きなかつた。そこを出て明るい公園へ出ると何時もホツとした氣持がした。
- 何時も行つてゐた〔ん〕のだから、そのうちに一度位は變つたこと〔がある〕に打つかるのは當然だつたのだが、ある日私は隅(偶)然すつぽんの交尾を見る機會に會つた。すつぽんはそれまで一つの槽に一匹しか入れてなかつたのだが、その日は何故か二匹はいつてゐた。彼の風怪な顏付は實際滑稽だ。銀座のうまいもの屋の<水族館仕掛の>飾窓のなかに鮎や鯉などと一緒に入れてあつても、〔彼が前脚で水を掻き分ける〕――「なんでも、かんでも」といふ風に彼が鼻先の世界を掻き分けてゐるのをみると
- 以下書き直しと思われる。
- すつぽんあそれまで一つの槽に一つしか入れてなかつたのだが、その日は何故か二匹はいつてゐた。平生はあまり立留らない槽なのだがひよつと覗いて見ると二匹のすつぽんがもつれあつてゐる。そのまま私はその前に立留つてしまつた。
- 元來すつぽんの顏貌ほど風怪にして滑稽な〔る〕ものはない。銀座のうまいもの屋の飾窓のなかでも、鮎や鮒などが美しく泳いでゐるのに對して、彼がもう「なんでも、かんでも」といふ風にやけ糞になつて鼻先の世界を掻き分けてゐる格好は、〔實際厭世哲學者シヨウペンハウエルに見せ度いやうな圖〕誰をどう厭世に導かないとも限らない圖である。それでどうかといふと、手を突いてグーツとあたりを見𢌞はすときの恰好などはまさに調兆(凡か俗か)の俤があつて、手甲脚絆に身を固めた甲賀者といふ役どころは確にあるのだから遣り切れない。その彼が今や、膝栗毛の主人公の指に嚙みついた角質の齒でもつて雌の頸に〔嚙み〕かじりついてゐるのである。
- 私はその前に大阪ですつぽん料理を食つてゐた。だからすつぽんに對してはまた「うまそうだ〔ママ〕」といふ感じを持つことも出來た。彼の嚙りついてゐるのはあのぶよぶよの頸である。
- ところが私がさうやつて見てゐるところへ、順を追つて魚槽を𢌞つて來た見物客がやつて來た。すると私の專心な動物的關心のなかには俄然人間的關心がはいつて來た。正直に云へば私はこれを人と一緒には見物したくなかつた。なほ正直に云へば誰も氣がつかずに行つてしまつて欲しかつたのである。しかしそんなことは云へない。……
- たうとうその客がやつて來た。田舎の親爺さんである。ところがやはり不思議な氣がしたらしい。しばらく硝子へ顏を寄せて見てゐたが、
- 「さ、さかつとる!」
- なんとも云へない變な顏をして先客である私の顏を振り向いた。私は――私は信〔ず〕じるのだが――私の顏はその時意味のわからない〔曖昧漠(模)糊とした〕謎のやうな〔顏をして〕表情を浮べてゐ〔て〕たにちがひない。私はただじつとして槽<の方>を眺めてゐた〔ばかりである〕。するとその親爺さんはちよつと私の顏を見直したなり、直ぐまた目を〔魚槽〕硝子の方へ向けた。しかしもう交尾してゐるすつぽんはそれ以上親爺さんの興味を惹かなかつたら<し>い。もう一度私の顏を見直しながら、隣の槽へ手摺を摺つて行つてしまつた。
- それからやつて來たのは商人風の若い男である。彼は別に魚を見るまでもなく蹌々浪々(踉々)と步いてゐたが、私がじつと立つてゐるので〔ちよつと〕一寸覗いて見る氣にもなつたのだらう。そばへ寄つて來たが、忽ち發見してしまつた。〔二匹のすつぽんはその時<重なり合ひながら>〕<その時雌の>すつぽんは<まともに>腹を硝子へつけて踊るやうな恰好を物憂く繰返してゐた。するとその男はぐるつと後ろを見𢌞して盛に手招きをはじめた。連れがゐるらしい。……(缺)
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