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歸宅前後

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民哉の放蕩――それは放蕩と云ふよりは寧ろ誇張された氣持から、前後を辨へずに、やけで選び取られた破滅の道なのであつたがそれも遂には行き着くところまで行つてしまつた。


――初め家から民哉の下宿宛に出した手紙がそのまゝで、何の返事も歸つて來なかつた。次の手紙もそママうであつた。不審に思つて學校宛に出された手紙も同樣であつた。それらは投げられた礫の樣に行つたまゝ、民哉からは何の音沙汰もなかつた。
ママうなれば民哉が學校を缺席してゐる上、下宿にもゐなくなつてゐることが兩親にとつて明瞭になつた。
この樣な時に困るのは母親のお兼であつた。
といふのは民哉が現在行つてゐるその高等學校へ彼を入學させたのについてはお兼の意志が主に働いてゐたからであつた。中學を卒業した匇々に受けさせた高工の入學試驗が不首尾に終つた時、民哉はその年の六月の高等學校の試驗を受けさせて呉れと云つて母親のお兼に熱心に願つたのであつたが、お兼にしても、一つは民哉がいとほしくもあつたし、一つはその熱心さに絆されて、元來大學へ迄もやる意志のなかつた父親を無理に納得させて高等學校へ入れる樣にしてやつたのであつた。そういふ譯で民哉の身の上の心配事は母親のお兼には二重になつて影響するのであつた。
然しその樣な二重の苦しみがお兼を惱ましたのは此度が初めてではなかつた。お兼が多くの望みをかけてゐた民哉が、たゞお兼の豫期に反した結果のみが次々に曝露されていつたのであつた。
その年の六月の入學試驗に合格した民哉の得意な態度が先づ彼女の神經に觸れた。お兼とても民哉の合格したことでは人一倍嬉しいにはちがひなかつたが、民哉が高等學校へ入つたことを鼻にかけてゐるらしいその態度の安っぽさにはどうしても神經をいらだたせずにはゐられなかつた。そしてその態度が父や長男の前で振舞はれるときにそのもう一方の神經はいらだつて來るのであつた。また民哉が何かにつけて身分に無相應な金を兩親からとることいも主人への遠慮以外に、我が子ながら民哉の考えママの淺墓なことを憂へずにはゐられなかつた。
然し民哉が兩親に最初の露骨な氣不味い思ひをさせたのは、民哉が野島の娘に露骨な態度を示したことで野島から苦情を持ち込まれた時であつた。
民哉が野島の娘を思つてゐるのを、お兼が知つたのは、民哉が高等學校の試驗の準備に憂き身をやつしてゐたその最中であつた。
お兼の眼に民哉が日に日にやつれて行くのや、飯も錄(陸)に食はなくなつたのがはつきりして來た頃には、彼女は唯それが試驗の勉强の爲だとはどうしても思へなかつた。丁度その時、二日の間に三本も同じ手蹟で同じ型の封筒が民哉の所へ來たのであつたが、神經が過敏になつてゐるお兼にはそれが民哉の溜息や空洞(うつろ)な眸の暗示するなぞ(謎)を解く鍵だと思はれた。お兼がそれが何所かの女から來たのだと思はずにはゐられなかつた。そしてお兼はとママうとう民哉を呼んでその手紙を彼女に見せる樣に云ひつけたのであつたが、民哉はどうしても應じなかつた。そしてそれが友人からの手紙であることを主張して止まなかつた。然し民哉がそれを拒む態度がお兼の疑ひを決定してしまつた。到頭民哉も我を折つた。然し彼が家の門を出切つてしまふまでそれに手を觸れることを禁じて民哉はその封筒を渡したまゝ外出してしまつた。
その手紙は民哉が云つた通り家へも時々遊びにくる彼の友人から來たものではあつたが、その中には野島の娘に思ひを寄せてゐる民哉を慰め、落ち付ママいて勉强して入學試驗に合格することがそれの成就のためにも望ましいことであることを、感じ易い少年の感傷と共に繰返し繰返しかゞれてゐるのであつた。
そしてその手紙を讀んでゐる中に氣强いお兼も、いつか涙を誘はれずにはゐられなかつた。
その民哉が到頭入學したのであつた。野島の家から苦情が持ち込まれたのはそれから〇月程の後であつた。
野島はもと民哉の父親と友達でもあり事業の仲間でもあつたが、歐州(洲)の戰爭の影響は一本立ちの野島の方にあふれる程幸して、會社員である民哉の父親には何も齎さなかつた。
お兼は憤りに憤る父親をどう慰めていゝかわからなかつた。そして悲しい民哉の心の中を憐れみながらも、卑却(怯)な彼を情なく思はずにはゐられなかつた。それも民哉が高等學校へ入つて心が漫(たか)ぶつたことが災したのだと思ふときお兼の胸の中はなほ一層の苦しみで充たされるのであつた。
それから間もなく民哉が酒を呑むといふ噂󠄀が野島の口から兩親に齎された。それは野島の甥、千代子にとつては從兄の、民哉と同じ市の大學へ通つてゐる人からの知識らしかつた。
民哉は重い肋膜炎に罹つて兩親の家へ送り皈されて來たのはやはりそれから間もなくのことであつた。そしてそれが民哉の進級試驗の妨げになつて民哉は落第してしまつた。
その樣に民哉が不首尾を重ねてゆく度にお兼の心には民哉について心配する苦しみの外に主人に對する引け目が段々深く感ぜられてゆくのであつた。
然し肋膜炎から肺尖を冒された民哉のいとほしさが彼女を切なくさせた。
轉地をさすにしても藥飾(餌)を求めるにしても民哉のためにかさむ出費がまた彼女の胸をしめつけた。
然し民哉はお兼の心を知らうとはせずに荒い金費ひを改めなかつた。それをお兼は口を酢(酸)くして干渉せずにはゐられなかつた。と云つても最後ではどうしても甘いところを見せるのであつたし、又主人に對しては民哉をかばひ勝ちであつた。反對に民哉は種々の點で寛大な父親の方になつくのであつたが、父親も酒に醉つては氣が大きくなつて民哉に紙幣を握らせることが間々あつた。然しその後で父親は民哉に與へたことを忘れて醉が醒めてから紙入れの中に金が失ママくなつたなどと云つてお兼に尋ねるのであった。またその金を民哉がどう使つたかなどと民哉の前で寛大な父がお兼にとげしくきくのがお兼には耐えママられないことであつた。
それに民哉は時々借金が背負ひ切れなくなつて皈つてくることがあつた。
民哉がおずママおずとそれを切り出すとき、お兼は――あゝ、またか――と、思はず、腹の工合を變にしてしまふのであつた。
それはお兼にとつて見れば、一家の經濟の不意の支出を意味してゐるに過ぎないことであつたけれども、然しこの場合では單にそれだけのことが、何といふ不愉快な機械(からくり)で行はれることだらう!
夥多の小遣ひの遣ママひ路ママ、それに對する心配だけでもお兼にとつては多すぎる位だのに、主人の莭藏の非難や、また出來すぎる程險(儉)約をして學生時代を送つた兄の白い眼が、お兼の方へ向けられてゐることを感じるとき程、「間違つたことをしたことがない」といふお兼の意識を不愉快に曇らすものはなかつた。
――お兼の前へそれを持つて出て來るまでには、何日間薄暗い思ひをしてそれを苦に病んだかしれない、氣の小さな民哉の顏
――結局はそこへおちてゆくのがわかり切つたことだのに、それがなんとも云へないいやないやな道で――その故、この道へ出るのを氣の小ささから一日一日と延ばしてそれだけ一日一日と負債を重くして、終にはその重さでひとりでに落ちてしまはねばならなくなつたそのたとへ樣のない嫌な道――母親の前のそれの尻拭ひを賴むこと。――そして今やその代償として、そのたまらなく嫌なことを即ちあらん限りの隣(憐)憫をお兼の前にさらけ出してゐる民哉の愚かな顏。
その顏を見るのがお兼にとつてはどんなにいやなことだつたらう。
それが一度ではなかつた。二度三度、然もそれを打ち明けるまではお兼の方で借金の有無を尋ねても、民哉はそれを否定するのであつたし、然も何とかかとか云つては金を持ち出してゆくのであるが、その口實が一度打(ち)明ける段になると何から何まで噓で固めてあつたことがお兼には明かになるので、殊にその前の囘の打ちあけ殘しを、次の囘で打ち明ける、そしてその囘の打ち明けがそれで全部ではないことまでお兼にはわかつてゐるのであつたが、そんな場合お兼がなしうることはともかくも民哉の申し出を本當と見做した態で取扱ふよりは仕方がないのであつた。


そんなことが一度二度、三度、そして今度が民哉の一切の告白――放蕩――なのであつた。


民哉が學校に出席してゐないことがわかり下宿からも姿を消してゐることが感ず(づ)かれたとき、お兼と節藏と長男の郁之助の三人は電燈の下でお互に不愉快な顏を見合はした。筆不精の郁之助は學校と下宿へ宛ての民哉の近頃の動靜を問ひ合はせる手紙をかゝせられて餘計不愉快らしく裝つてゐた。


「一體どうしたといふんぢやらう、民哉の奴め、あれにはわたしも壽命が縮つてしまふ。」
ママう云つてお兼は心配らしい顏を郁之助の方へ向けた。
「本當にこれぢや仕方がありませんね。」

「野島の千代さんのことをきいてたとお前さつき云ふたが、それはいつのことかいな。」

「さあ、いつだつたか忘れましたが……でも民哉は自分でお母さんにきいたのでせう。わたしには、それとなしにお母さんにでもきて探つてくれんかと云つたのですがね。」
「お前等は馬鹿ぢや。民哉は海へも山へも行かせん。皈つてくる。野たれ死にしても何ぢや。あんな野良息子。あんな野良息子。今頃どこの女郎屋でねとるかもわからせん。それに馬鹿な、大體親が馬鹿なんぢや。甘いのぢや。」
平常の樣に酒に醉つてゐる節藏はたゞわけもなしにこの不愉快な空氣をかき亂す樣にそママうわめいたのであつたが、お兼にして見れば、その言葉が一つ一つ悲しく、一つ一つ口惜しく刺す樣に響くのであつた。
「おい、お酒をもう一本つけて呉れ。」
「いやもういけません。さつきはもうそれ一本でしまひにするとお云ひぢやつたのに。今晩それで何本目ぢやと思ひなさる。」
「ええい。もう一本つけなさい。」
「郁之助。この通りぢや。親がこの通りぢやつて、子がまもとに育つ道理がない。民哉が酒を飮んでもあんた意見が出來ますか。」
「ほつといて呉れ。民哉は民哉、わしはわしぢや。」
「あんたはあんたで承知が出來るかもしれません。然しあんたが大酒のむために、このわたしに弱い子供ばかり生まして、それでことがすむと思ふてなさるか。出來てくる兒出來て來る兒、みな郁之助や民哉の樣に大きうなつてから肺病になるのでは、わたしに何で生きて來た甲斐があるのぢや。なあ、郁之助、お父さんはそれのあまつさへが毎晩毎晩酒を飮んではこゝに坐り込んだまゝ、下らんことばつかり子供の前でしたり云ふたり、ほんに夕飯の膳がいつ片付くことかわからせん。それに子供の事と云へば何一つ思ふてやると云ふことなぞありはせんのぢや。民哉の前でもお酒に醉ふとは甘い顏を見せて、それ金をやる、旅行して來いなど云つといて、あとになつたらやれ紙入に金がなくなつたのなにがなくなつたのとあたり散らかして、また此度の樣なことになつたら自分のことは棚へ上げておいて惡いのは、一にも二にも民哉とお兼ぢやとこママうぢや。」
「またそママうぢやないかい。」
「えゝ?!」と甲走つたお兼の聲が郁之助を居たたまれずさせた。
「もうお母さん何にも云はずにおやすみなさい。お父さんももうお酒をあがらずにやすんで下さい。」
「なあ郁之助、お母さんの身になつて考えママてお見。折角大きうした子が次々に體が弱くなつて行くし、民哉は民哉で折角やつてある學校を怠けて酒をのむ樣になつてしまふ。これでわたしの育て甲斐があるかね。兒共ママが可哀いばつかしにこゝまで一所ママに連れ添うて來たのに、――ほんに子達ママさへなかつたらとうの昔しママに離緣してるわ――お母さんは今までから苦勞の仕續けぢや。自分ながら今までの苦勞を思ふと胷が惡うなつてくる。民哉も來年卒業するとやれ一息ぢやと思ふてゐると、この通りぢや。學校にもゐぬ、下宿にもゐぬ、行方知れずぢや。わたしはいつのなつたら樂が出來るかわけがわからん樣になつてしまふ(う)た。向ふ岸へ泳ぎ着く樣に思ふてあと五年、あと四年と思ふてるのに、賽の河原で石を積む樣にそれがくず(づ)されてしまふ……。」
お兼の言葉がしまひの方では涙に雜つてきいてゐる郁之助の心までがしめつけられる樣になつて來るのであつたが、郁之助の心の中はお兼の心の中を思ふ心よりも、――
郁之助にはそんな感傷の餘裕などはなかつた、それが一々目の前の現實で、その現實を見つめれば見つめる程心が不愉快のどん底までおち込んでしまふのであつた。


その愁嘆場へ民哉は歸るところであつた。
彼にとつてはその狂氣染みた生活は殆ど十日程も前に既に燃え盡してしまつてゐたのであつた。民哉はもう着のみ着まゝであつたし金になるものなら僅かの額によりならない使用中の敎科書までも金に代へて、彼の生活の炎に最後の薪を投じてゐたのであつた。
その樣にして本當の所民哉は既に十日程前に家へ皈るより仕方がなくなつてゐた。意志といふべきものが極端にまで働らかなくなつてゐた彼には思ひ切つてその堪えママ難い生活から離れることが出來難くなつてゐたので彼はその反對に窮乏の重みが段々加はつて遂には自然とおちなければならない樣な境遇に意識して彼自身を追ひ込めてゐたのであつたので、その最後のどん底の未練ママまでおりつくしたといふことは、彼を本當に未練なく厭離の生活を送る曉を意味してゐたのであつた。
頽れた生活に手あぶりをしてゐた樣な最初から、次には彼がえられるすべてを薪としてその火の中に投じて身を燒かずには醫られなくなり、次には火も消え薪もつきてしまつた時(それが十日ほど以前であつた。)その時からこちら、民哉はその溫(ぬく)もりの灰の中に轉げ込んでその最後の溫みを貪らずには醫られなくなつてゐたのであつた。それがその愛護の十日間の生活であつた。
然しこの夜がいよいよ彼の最期の夜、そして彼の新しい生活の最初の夜であると民哉は心積りをしてゐたのであつたが、――その夜彼は自分の家のある市で活動寫眞を見てゐたのであつた。
その廢頽した生活の終り頃、彼の荒廢し切つた心が求めた、寂しい寂しい享樂は 何所かで氣不味い都合をして來た金を握つて活動寫眞館のじめじめした一隅で、スクリーンの上へけばけばしくうつされる、惡漢の追跡や、可憐な少女の戀や、馬鹿々々しい道化に彼の心を委ねることであつた。
その寫眞がどれ程下らないものであつても彼にはそれが有難かつた。彼はプログラムが一通り濟んでしまつてもそのじめじめした席から立たなかつた。そしてもう一度寸分違はずに寫し立(出)される、寸分ちがわママない馬鹿馬鹿しいフイルムに魂を奪はせる――どんな少しの面白さにでも一生懸命で心を釣込ませやママうとのみ思つてゐた。――そうして見てゐると以前には彼がどうしても耐えママられなくなつてしまふ樣なものんいも、幾分かの、いや可成りの面白さがあるのであつた。そしてつい釣込まれては微笑ひを洩らすのであつたが、そのはかない微笑もはつと我に皈る次の瞬間には〔消えた、〕そして次には笑ひが寂しく顏を歪ませるのであつた。
――その活動寫眞を彼は見てゐたのである。然しその夜は二人の連れがあつた。
一人(その男は假りに甲と呼ぶ)は民哉の學校の友達であつた、彼はその日の晝間にその男と連れ立つてその市からこの市へ歸つて來て、今一人の友達(その男を假りに乙と呼ぶ)を誘ひ出した。
民哉とその甲とその乙――この三人の顏觸れは或る意味で民哉の亂離の生活の意味のある一幕の顏觸れであつたのだつたが、それがその晩また隅(偶)然民哉のその生活の最期の幕を演ずる樣なまわママりあはせになつたのであつた。彼等三人は中學の同窓で、卒業して直ぐに現在の高等學校へ入つた民哉に二年おくれて甲が入學して來たので、その甲とその乙は前からの親しい友達であつたのが民哉が甲と接近するにつれて乙とも接近し、その意味ある一幕では三人が肝膽相照しあつて、甲と乙とが民哉の戀愛の熱心の聽き手となつてゐたのであつた。――こゝで云はれる民哉の戀愛、それは千代子に對するそれではなく、千代子に對する戀愛と一對をなしてゐるも一つの同じくはかない、しかも民哉にとつては同じく一生涯忘れることの出來ない戀愛なのであつた。
その相手といふのがその三人とはまた同窓であつた島村といふ男であつた。
そしてその島村がまた乙の戀愛の相手でもあつたことは民哉がそれを二人に洩らしたときにまた民哉が乙からきかされたことなのであつた。
その樣な事情で民哉で民哉は圖らずも興味のある位置におかれた聽き手を持つたといふ譯なのであつた。それが民哉のその生活と如何なる關係を持つて醫るかと云へば、次の樣であつた。


民哉は自分の身を燒き焦す樣なその狂氣染みた生活の炎の中に、四年前に彼の心の隅(偶)像の神々しい姿を見たのであつた。――その二つの隅ママ像を、一つは千代子、一つは島村の。


その一幕、それはある晩のことであつた。民哉とその甲の男がやはりその時の樣にその市へ皈つて來て、その時の樣の乙を誘ひ出して酒を飮んだ時であつた。
二軒三軒と飮みまわママる内に、それが民哉のいつもの癖なのであるが、彼の心の中には柔々とした感傷が鎌首をもたげ初めて來た。そしてその二人が彼にとつての、たとへ樣もなく安らかな、夢見る樣な子守唄か、古く慕(なつか)しい戀愛の曲でゞもある樣に思はれて來はじめた。そしてそれにみ(魅)せられた者の如く、彼は自分の胸の中にある秘密や惱みをみな吐き出して、涙をもつてその中へとかし込みたい樣な誘惑が强く促して來るのであつた。
民哉はその相手が誰だかあてゝ見ろと云つた。當つてらそママうだと頷くからと云つた。――そして民哉は二度目に頷かされた、それと同時に泪が彼の頰を傳つて流れた。そしてかれはきたない手拭で顏をおさへて嗚咽してしまつたのであつた。
それが民哉の默し難い友愛の最高の表示なのであつた。胸の中なる最も聖らかなもの、それを見せてしまふといふことは、處女が戀人に淸淨な肉體を捧げることにも比して彼には思へるのであつた。
〔その晩彼等は異常な昂奮に支配せられた。〕
そして翌日彼等が目を覺した所は、その市から數哩距つた山間の溫泉宿であつた。
民哉は脛にかすり傷をたくさんつけてゐて、それがひりひり痛んだ。そして彼の着物の袂からはたくさんの稻の穗が出て來た。
民哉は前夜の記憶が夢の樣に辿られた。そして島村の話を打ち明けたことを思つたとき、――失敗つた――といふ樣な悔が氣不味く心を嚙んだ。
わけのわからない荒つぽいこと、喧嘩の樣なことをした樣な記憶、人群りの中で喚いてゐた樣な記憶――それらは或は夢かも知れない、(深く醉ふ時にはよくそんな夢を見るものである。)然し島村の話しはどう考へて見ても本當であつた。
それを思ひ出すとその朝の折角の麗らかな太陽が急に翳る樣な氣持がしたのであつた。
然し溫泉にひたつてからまた酒をのみはじめた頃には民哉には島村のことが次から次へたとへ樣もなく慕(なつ)かしく、匂高い思ひ出としてまた蘇つて來た。
そしてその思ひ出の數々のきゝ手としては、やはり島村の家の近所に住つてゐた甲と、島村にはげしい戀慕を捧げてゐた乙の、その二人がどうしても語り甲斐のある人々なのであつた。
そしてその終りには、民哉の今まで秘められたはげしい戀心を、民哉が卒業の二年間前から卒業してから此のかた三年の間表面はたゞの親しい友としてのみ交際つてゐた島村に打ちあけることが、甲と乙とによつて遮二無二説かれた。
あの氣のやさしい島村がそのことをきいたなら決して惡い樣にしない。必ず今までよりはもつと幸福な調和が生み出されるにちがいない。――それを甲と乙とは口を極めて保證したのであつた。
そして民哉の心には、今まで一度も射したことのない新しい光がほのかに射して來た樣に思はれた。
民哉が島村と同じ級で送つた卒業前の二年間にその考えママはほんの一度でも浮んだことがなかつた。民哉は中學時代には自分自身をミゼラブルなものに考へてゐた。そして彼には島村と交際が出來る、といふことがそれだけで唯一つの大きな幸福であると思つてゐた。彼にはそれ以上のこと、――民哉の見る眼では彼よりも優れた何十人もの求愛者がその邊に群れてゐる輝かしい島村にそのミゼラブルな彼が心を打ちあける――そんなことは唯の一度でも頭へ浮かんだことはなかつたのであつた。
彼にはたゞ島村と話が出來、島村の家へ遊びに行くことが出來、そして島村のために宿題などの手傳をすること、それ以上は何も望まなかつた。然もそれらのことでさへ病氣で一年休學して前には一級下であつた島村達の級へ四年級の時に新しく仲間入りをした彼には、(そしてその時が彼の戀の芽生えた時であつたが)たゞそれだら(け)のことでさへ、自分をミゼラブルに考えママる習慣のついてゐた彼には樣々に心を碎いた結果として與へられた幸福なのであつた。
そして卒業してから後、初め島村が入る樣に云つてゐた故にそれだけ民哉が入りたい欲望に燃えたその高等學校へ民哉が入り、そして島村は志望を變へて私立の大學へ入つてしまつたその卒業後も、民哉は休暇になれば留守居勝ちなのを知りつゝも彼の家を訪ずにはゐられなかつたのであるが、その打ち明けるといふ考えママだけは唯の一度も心に浮んだことがなかつたのであつた。――それがその時、丸で思ひがけなかつた新しい光がほのかに民哉の上に射して來た樣に思へたのであつた。
そして民哉はその考えママに夢中になつてしまつた。そしてそれを果すといふことが彼の生活を激しい力で覆さずには醫ない樣な豫感が民哉の上に感ぜられた。そして民哉にはその日から激しい昂奮が續いたのであつた。
――これが彼等三人で演ぜられた、民哉の亂離の生活にとつてはかなり意味のあるその一幕なのであつた。


民哉が島村を一つの偶像として見出したのは彼が肋膜炎のため一年休學した後、以前には一級下であつた島村の級へ入つて來た時であつた。その時彼等は四年級であつた。
民哉は倭(矮)小な、容貌のあがらない生徒であつた。運動も得意ではなかつたし、操行にしても學課にしても、それが取り立てゝ敎師に認められる程良くも惡くもなかつた。
然し島村は運動の花形であつた。――と云つて身體は民哉程倭(矮)小なのであつたがそれだけ敏捷な動作を持つてゐた。美しい容貌と、その容貌に相應しい快活な、そして溫順な心を持つてゐた。――形も心もそれは可愛らしい生徒であつた。


彼はアブノルマルな心を半ば意識してそれを告白し、それの産み出す新しい調和を空想した。然しもともとそれは彼のそれまでの心とは殆ど調和をしないことなのであつた。
島村と民哉とはその五年の間、友達としての交際で終始してゐて、民哉の欲望もその樣に終始することをおいてより外にはなにもなかつたのであつた。その淋しい聖らかな果實を収穫することのみが彼の欲望であり且つ民哉はその収穫の滿足を今までにいくらか味はつて來てゐるのであつた。
で彼にはたゞその意志に從ふことより外には身に合ふものはなかつたのであつた。
然も島村はもう二十一にもなつてゐた。彼の輝かしかつた紅顏があせてしまつて、出ばつて來た觀(顴)骨が以前の魅惑をなくしてしまひ、そのかわりに一個の成長した男らしい風の異つた美がそれにかはつてゐた。
然し民哉がその頃まで屢々夢に見る島村はあの三年前の島村であつた。〔然し民哉が島村に會ふ時にはやはりその成長した顏が、その昔を偲ぶよすがとなつてゐたのではあつたが。〕


二十一の靑年に二十二の靑年が――それは何といふ馬鹿げたことだ。――然し――と民哉は思つた、それを昔しママのこととしてさりげなく話したらどうだらう。否!否!
民哉の想像を致命的に破壊してしまふ最後のこと、それは島村がそのことをきいて民哉を輕蔑しやしないかといふことであつた。島村がしかめ面をして迷惑がる――そのことを考へると彼はもう一寸の先きも思へなくなるのであつた。自分自身をミゼラブルに卑下して來た、民哉の陰氣な中學校の生活で、築きあげた周圍に對す〔る〕ものゝ考えママ方、そして島村に對する自分の位置の自覺が、どこまでも彼を離れなかつた、いやそれはもう民哉自身に即した、最も調和した考へ方なのであつた。
彼はその生活で、自分の心をたゞ最も深奧な所へおし込めて友人としてのみ島村と交際して來て、彼はその深奧なものを決してそのまゝあらはすことはたゞの一度もしなかつた。それはたゞ友愛の形に、繁き友愛の形を巧みに、無意識に變形せられて、島村と彼の間をつないでゐたのであつた。その習慣 それはもう民哉とは離るべからざるものになつてゐるのであつた。
そして彼の新しい企ては全くそれの破壊であつた。その企ては彼の生活全體が全くうけつけないものなのであつた。
然し彼のアブノルマルになつてゐる心はそれの企てに無理に調和をしやママうと試みた。それを實行に侈(移)すこと、それが彼の生活の形式を覆すだらうといふ豫感が彼を襲つたのは……(缺)


その時より一月足らず前から民哉の生活は少しずママつ頽(デイケイ)しかけてゐた。
どう見積つても毎日出席するといふこと以外には、近道もなにもありえないと云はれてゐる學校の課業を彼は一と月足らず前から丸つきり放擲してゐたのであつた。
それがどんなに辛いことであつても、出席することが最も賢明な最も簡易な方法であつて、一日の缺席が、それに何倍もの、或はどんな勞力でも取りかへすことが出來ない程のロッスを與へると云はれてゐる民哉の科で、その一ケ月足らずの放擲がどれだけの辛さで報いて來るかと云ふことを考へる時、彼はそれが空恐ろしくなつて來るのであつた。が、然も彼はその怖しい考えママをなだめすかして、彼の意識の上に現れて來ない樣にして、その日その日の怠惰な生活に身を委ねてゐたのであつたが、その强迫して來る恐ろしい眞實はどうしても彼をおびやかし勝ちであつた。
民哉がこんなにびくするのはそれはまだ理由があつたのである。その理由さへなければ彼はさうびくつくのではなかつた。その理由といふのは、民哉は一學期に十日間程出席したばかりで、その學期試驗もうけたといふのは名ばかりで、彼は去年友人が使つた古いノートを頻りにほんお申譯けばかりの勉强をしてそれに間にあはせたので滿足な點がちつともとれてゐないからであつた。また試驗をすつぽかした課目が二課目程あつた。そんなわけで彼は絕えず不安につきまとはれてゐて、しかも飽くまで怠惰な生活をはねかへしてしまふ力が起らなかつた。
そして毎日の樣に酒でその不安から逃れることをしてゐた。
一度か二度彼はそれをはねかへそママうと思つて久しく坐らなかつた机の前で、貸(借)りて來たノートの寫しを試みるのであつたが、一頁か二頁寫す間に忽ち盛り上つてくる不愉快な氣持に彼は直ぐ參つてしまつて、そして險惡な顏附をしながら走らんばかりにして酒を飮みにゆくのであつた。それもはじめは次の機會を、その不愉快を耐えママおうせ、級の者と步調をあはせる所まで努力を續ける力が汪(勃)然と起つて來るべき次の機會を待つ氣持であつたし、またその氣持はその不安な無爲なの生活の各瞬間にもいつ來るかわからないその機會が來ることを信じる樣な氣でゐたのであつたが、一日は一日とその負擔は重くなつてゆくばかりで、それに應じて彼の焦燥も一日一日と度を高めてゆき――そして彼自身の意志はますますいぢけすくんでしまつて、彼はたゞその日その日を、傷いた野獸の樣な恐しく荒んだ感情の導くまゝに生活しつゞけてゐたのであつた。で彼は、酒をどうしても離すことが出來なかつたし、また一人でゐることは堪えママられないことであつた。
――そんな日が續いた。
友達と街を步いてゐるとき、彼はしばしばその友達に固く手を握つて步いて貰ひたがつた。そしてそれを云ひ出す時には自分でもその變な甘え方に氣を惡くして、手をつないで貰つても、思つてゐた樣ないゞ氣持は決してえられなかつたのであるが。またその友達の生毛が汚く生えた首すじを見てゐるといきなり撲りつけたい樣な欲望にとらへられることがあつた。また街の中で急に途方もない野獸の樣な叫び聲をあげることなどがあつた。そして人々が彼の方を見返へると、彼はもう一度大きい聲で怒(呶)鳴つた。
また彼は議論などをはじめると、是が非でも相手を粉微塵にやつつけてしまひたくなつた。そして友達と仲を惡くした。
そしてもう彼は自分の下宿へ皈らなかつた。
彼の下宿が遠くにあつたのと、それ以上の理由は一人で寐ることが嫌だつたからである。
そして度々肺尖を惡くした身體が、以前に覺えのある經過を追つて段々惡くなつて來た。――そしてもつと惡くしてやれ――といふ氣持が起つて來た。
彼は紅葉の名所へ友人と遊びに出かけて、そこの川で泳いだりした。それで半時間ばかり……(缺)


……最後の埋れ火――民哉はその男の財布で、それこそ生活の最期を飾るにふさわママしい夜をすごした。

この著作物は、1932年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。