カッフェー・ラーヴェン

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本文[編集]

昨日のことだつた。自分は友人のRと一所(緒)に祇園のカッフェー・ラーヴェンにゐた。二階には私達二人ぎりだつた。Rはそこにおいてあつた人間苦を、私はシャドウランドの挿繪を見てゐた。Rは何ものまなかつたが、私はいつもの樣にビールを飮んでゐた。
――自分は二階を下りて便所へゆかうとした。その時自分は下駄をつつかけながら、便所を(へ)ゆく通り路にゐるある男を見た。その途端ビールで氣持がふらしかけてゐた私の神經は不意に尖つた。
腕力を誇りにしてゐる男、私等高等學校の生徒を見ればなにかとその腕力を發揮しや(よ)うと思つてゐる男。――ではなくとも殺氣を含んだ眼附きで威赫(嚇)を示しながら睨みつける男、私の眼とゆきあつたのはその巨な體骼(格)をした男の眼つきであつた。そんな風な意味をもつた目附きであつた。
私は下駄をひつかけてその男のゐる路をよけて用を足した、――それが自然な路であるのだが私の脅(怯)えやすい、然し餘計な誇りをもつた神經は私を不快にさせた。
私は自分の椅子にかへつても何故かその話しママをRにすることが出來なかつた。自分が今その話を、――
「今下にSがゐたよ。」と云ふときに私の顏にあらわ(は)れる表情が、私のそれに拘泥してゐることは現はすことをおそれて、私は話しママをするのを止してゐた。
暫くしてRがまた便所へゆくと云つて下りた。
少し小用にしては遲かつた。若しかすると、私よりは少しそんな男に對して平気なRが、その男のテーブルの傍もかまわ(は)ずに通りがかつた時その男が、例の樣に足でも出してそれを妨害したのぢやあるまいか。そしてRが――いやRはそこで争ふといふ樣なことの愚なのは知つてゐる。何とか云つてあがつて來るだらう。――にしても彼のことだからうんと不愉快になつて直ぐ皈らう位のことを云ふだらう。――といふ樣なことを私は心の一端で想像したりしてゐた。
然しRは直ぐ皈つて來た。
彼は讀みさしの人間苦にまた目をおとしかけた。私もシャドウランドの挿繪を見ながら、もう私の氣にかかつたことを云ひ出す心の靜けさと、それを云ふ謔諧的(諧謔的)な氣持を把へたので彼に話しかけた。
「……校の關取り。まだ下にゐたかい。」
「いや、そんなもの……」
「Sだよ。さつき下りて行つたらSがゐたんだよ。」
「そママうか。氣がつかなかつたのかもしれん。」
「皈つたんだらう。」
間もなく私達は歸りかけた。その時私達がやはり下駄をはかうとしてそこを見た時、彼等はやはりそこにゐた。
「おい、まだゐるよ。」
「あはゝゝ」
まだ外は夜になり切つてゐなかつた初夏の淸々しい夕暮がそこらあたりに漂つてゐて、その中に電燈の光が夜見るよりも涼しい光を薄れた陽の中に光らせながら町をづーと走つてゐた。
「あの一緒にゐた奴ね。」
「うん。」
「あれSの弟子なんだよ。Aの溫泉で俺見たんだがね、Sあの二人の弟子に身體を洗はせてゐた。變な趣味だね。」
「はゝゝゝゝ」
「あのSの顏を見ると、――あれでなかなか美男子なんだがね――なにか随分淫らなものを聯想しないかね?」
「そママういふ所はあるね。」
「ね、随分、ね。俺はまたあの弟子を見るとなんだか卑しい性格を直ぐ思う(ふ)んだ。直ぐ人の眼を盗む樣な眼つきをするんだ。」
「そうかね。」
私が少し熱を持つてそんなことを云つてゐたのに反して、Rは別に應じるといふ程の語調を見せなかつたので私はふと氣不味くなつた。私は心に問ふて見た。
「何故またそんなにS達を罵倒するんだ。そんな卑しい彼等にひけ目を感じて、その口惜しさに躍氣になつてゐるのか。」
そして私は少し不愉快になつて口をつぐんだ。


      * * *


そのことがあつてから私は私の前にかきためておいた――そして此頃はもう見るのも苦になつてゐる不味い原稿が新たに生命を得た樣に思つた。それにまた命をもたせることが出來る樣な氣になつた。その原稿は、やはり腕力――暴力で人々を窒息させ樣とする樣な種類の人間に對する私の或る夜の多少狂氣染みた昂奮の拘泥のデスクリプトなのであつたが私はそれのおしまひにかういふことをかいてゐる。
――なにしろ私がその種類の人間が意識の上で種々に私を苦しめることはその事件のあつた頃から影をひそめました。私は……(缺)

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