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冬の蠅



本文[編集]

冬の蝿とは何か?
よぼよぼと歩いている蝿。指を近づけても逃げない蝿。そして飛べないのかと思っているとやはり飛ぶ蝿。彼らは一体どこで夏ごろの不逞ふていさや憎々しいほどのすばしこさを失って来るのだろう。色は不鮮明にくろずんで、翅体したい萎縮いしゅくしている。きたない贓物で張り切っていた腹は紙撚こよりのようにせ細っている。そんな彼らがわれわれの気もつかないような夜具の上などを、いじけ衰えた姿でっているのである。
冬から早春にかけて、人は一度ならずそんな蝿を見たにちがいない。それが冬の蝿である。私はいま、この冬私の部屋にんでいた彼らから一篇の小説を書こうとしている。

1[編集]

冬が来て私は日光浴をやりはじめた。渓間たにまの温泉宿なので日がかげりやすい。渓の風景は朝おそくまでは日影のなかに澄んでいる。やっと十時ごろ渓向うの山にきとめられていた日光が閃々せんせんと私の窓を射はじめる。窓をけて仰ぐと、渓の空はあぶはちの光点が忙がしく飛びっている。白く輝いた蜘蛛くもの糸が弓形にふくらんで幾条も幾条も流れてゆく。(その糸の上には、何という小さな天女!蜘蛛が乗っているのである。彼らはそうして自分らの身体からだを渓の此方こちら岸から彼方あちら岸へ運ぶものらしい。)昆虫。昆虫。初冬といっても彼らの活動は空に織るようである。日光がかしこずえに染まりはじめる。するとその梢からは白い水蒸気のようなものが立ちのぼる。霜が溶けるのだろうか。溶けた霜が蒸発するのだろうか。いや、それも昆虫である。微粒子のような羽虫がそんな風に群がっている。そこへ日が当ったのである。
私は開け放った窓のなかで半裸体の身体をさらしながら、そうした内湾うちうみのようににぎやかな渓の空をながめている。すると彼らがやって来るのである。日蔭ひかげではよぼよぼとしている彼らは日なたのなかへ下りて来るやよみがえったように活気づく。私のすねへひやりととまったり、両脚りょうあしげてわきの下をくようなねをしたり手をりあわせたり、かと思うと弱よわしく飛び立ってはからみ合ったりするのである。そうした彼らを見ていると彼らがどんなに日光をたのしんでいるかがあわれなほど理解される。とにかく彼らが嬉戯きぎするような表情をするのは日なたのなかばかりである。それに彼らは窓が明いている間は日なたのなかから一歩も出ようとはしない。日が翳るまで、移ってゆく日なたのなかで遊んでいるのである。虻や蜂があんなに溌剌はつらつと飛びまわっている外気のなかへも決して飛び立とうとはせず、なぜか病人である私を模ねている。しかし何という「生きんとする意志」であろう!彼らは日光のなかでは交尾することを忘れない。おそらく枯死からそう遠くない彼らが!
日光浴をするとき私のかたわらに彼らを見るのは私の日課のようになってしまっていた。私はかすかな好奇心と一種馴染なじみの気持から彼らを殺したりはしなかった。また夏のころのようにたけだけしい蝿取はえとり蜘蛛がやて来るのでもなかった。そうした外敵から彼らは安全であったと云えるのである。しかし毎日大抵二匹ずつほどの彼らがなくなって行った。それはほかでもない。牛乳のびんである。私は自分の飲みっ放(しを日なたのなかへ置いておく。すると毎日決ったようにそのなかへはいって出られないやつが出来た。壜の内側を身体に附着した牛乳を引きりながらのぼって来るのであるが、力のない彼らはどうしても中途で落ちてしまう。私は時どきそれを眺めていたりしあが、こちらが「もう落ちる時分が」と思うころ、蝿も「ああ、もう落ちそうだ」という風に動かなくなる。そして案のじょう落ちてしまう。それを見ていて決して惨酷でなくはなかった。しかしそれを助けてやるというような気持は私の倦怠アンニュイからは起って来ない。彼らはそのまま女中が下げてゆく。ふたをしておいてやるという注意もなおのこと出来ない。翌日になるとまた一匹ずつはいって同じことを繰り返していた。
「蝿と日光浴をしている男」いま諸君の目にはそうした実象が浮かんでいるにちがいない。日光浴を書いたついでに私はもう一つの表象「日光浴をしながら太陽を憎んでいる男」を書いてゆこう。
私の滞在はこの冬で二た冬目であった。私は好んでこんな山間にやって来ているわけではなかった。私は早く都会へ帰りたい。帰りたいと思いながら二た冬もいてしまったのである。いつまでっても私の「疲労」は私を解放しなかった。私が都会を想い浮かべるごとに私の「疲労」は絶望に満ちた街々まちまちを描き出す。それはいつになっても変改されない。そしてはじめ心に決めていた都会へ帰る日取りはとうの昔に過ぎ去ったまま、いまはその影も形もなくなっていたのである。私は日を浴びていても、いな、日を浴びるときはことに、太陽を憎むことばかり考えていた。結局は私を生かさないであろう太陽。しかもうっとりとした生の幻覚で私をだまそうとする太陽。おお、私の太陽。私はだらしのない愛情のように太陽がしゃくさわった。けごろものようなものは、反対に、緊迫衣ストレート・ジャケットのように私を圧迫した。狂人のようなもだえでそれを引き裂き、私を殺すであろう酷寒のなかの自由をひらすらに私は欲した。
こうした感情は日光浴の際身体の受ける生理的な変化――さかんになって来る血行や、それにしたがって鈍麻どんましてゆく頭脳や――そういったもののなかに確かにその原因を持っている。鋭い悲哀をやわらげ、ほかほかと心を怡します快感は、同時に重っ苦しい不快感である。この不快感は日光浴の済んだあとなんとも云えない虚無的な疲れで病人を打ちかしてしまう。おそらくそれへの嫌悪けんおから私のそうした憎悪ぞうお胚胎はいたいしたのかも知れないのである。
しかし私の憎悪はそればかりではなく、太陽が風景へ与える効果――眼からの効果――の上にも形成されていた。
私が最後に都会にいたころ――それは冬至に間もないことであったが――私は毎日自分の窓の風景から消えてゆく日影に限りない愛惜を持っていた。私は墨汁ぼくじゅうのようにこみあげて来る悔恨といらだたしさの感情で、風景をうずめてゆく影を眺めていた。そして落日を見ようとする切なさにられながら見透みとおしのつかない街をあわてふためいてうろうろしたのである。今の私にはもうそんな愛惜はなかった。私は日の当った風景の象徴する幸福な感情を否定するのではない。その幸福は今や私を傷つける。私はそれを憎むのである。
渓の向う側には杉林が山腹をおおっている。私は太陽光線の偽瞞ぎまんをいつもその杉林で感じた。昼間日が当っているときそれはただ雑然とした杉の堆積たいせきとしか見えなかった。それが夕方になり光が空からの反射光線に変るとはっきりした遠近にわかれて来るのだった。一本一本の木が犯しがたい威厳をあらわして来、しんしんと立ち並び、立ち静まって来るのである。そして昼間は感じられなかった地域があそこにここに杉の秀並ほなみの間へ想像されるようになる。渓側にはまた樫やしいの常緑樹に交って一本の落葉樹が裸の枝に朱色の実をれて立っていた。その色は昼間は白くを吹いたように疲れている。それが夕方になると眼が吸いつくばかりのあざやかさにえる。元来一つの物に一つの色彩が固有しえちるというわけのものではない。だから私はそれをも偽瞞と云うのではない。しかし直射光線には偏頗へんぱがあり、一つの物象の色をその周囲の色との正しい諧調かいちょうから破ってしまうのである。そればかりではない。全反射がある。日蔭は日表ひなたとの対照でやみのようになってしまう。なんという雑多な溷濁こんだくだろう。そしてすべてをそうしたことが日の当った風景を作りあげているのである。そこには感情の弛緩しかんがあり、神経の鈍麻があり、理性の偽瞞がある。これがその象徴する幸福の内容である。おそらく世間における幸福がそれらを条件としているように。
私は以前とは反対に渓間を冷たく沈ませてゆく夕方を――わずかの時間しか地上にとどまらない黄昏たそがれおごそかなおきてを――待つようになった。それは日が地上を去って行ったあと、みちの上のみずたまりを白く光らせながら空から下りて来る反射光線である。たとえ人はそのなかでは幸福ではないにしても、そこには私の眼を澄ませ心を透きとおらせる風景があった。
「平俗な日なた!早く消えろ。いくら貴様が風景に愛情を与え、冬の蝿を活気つけても、おれ愚昧化ぐまいかすることだけは出来ぬわい。俺は貴様の弟子の外光派につばをひっかける。俺は今度会ったら医者に抗議を申し込んでやる」
日に当りながら私の憎悪はだんだんたかまってゆく。しかしなんという「生きんとする意志」であろう。日なたのなかの彼らは永久に彼らのたのしみを見棄みすてない。壜のなかの奴も永久に登っては落ち、登っては落ちている。
やがて日が翳りはじめる。高い椎のへ隠れるのである。直射光線が気疎けうとい回析光線にうつろいはじめる。彼らの影も私の脛の影も不思議な鮮やかさを帯びて来る。そして私は褞袍どてらをまとって硝子ガラスまどを閉ざしかかるのであった。
午後になると私は読書することにしていた。彼らはまたそこへやって来た。彼らは私の読んでいる本へまとわりついて、私のはぐるページのためにいつも身体をはさみ込まれた。それほど彼らは逃げ足が遅い。逃げ足が遅いだけならまだしも、わずかな紙の重みの下で、あたかもはりに押えられたように、仰向けになったりして藻掻もがかなければならないのだった。私には彼らを殺す意志がなかった。それでそんなとき――ことに食事のときなどは、彼らの足弱がかえって迷惑になった。食膳しょくぜんのものへとまりに来るときは追うはしをことさらゆっくり動かさなくてはならない。さもないと箸の先で汚らしくもつぶれてしまわないとも限らないのである。しかしそれでもまたそれにねられてしるのなかへ落ち込んだりするのがいた。
最後に彼らを見るのは夜、私が寝床へはいるときであった。彼らはみな天井にりついていた。じっと、死んだように貼りついていた。――一体脾弱ひよわな彼らは日光のなかで戯れているときでさえ、死んだ蝿が生き返って来て遊んでいるような感じがあった。死んでから幾日も経ち、内臓などもかわきついてしまった蝿がよくほこりにまみれてころがっていることがあるが、そんな奴がまたのこのこと生き返って来て遊んでいる。いや、事実そんなことがあるのではなかろうか。といった想像も彼らのみてくれからは充分に許すことが出来るほどであった。そんな彼らが今やじっと天井にとまっている。それはほんとうに死んだようである。
そうした、錯覚に似た彼らを眠る前枕まくらの上から眺めていると、私の胸へはいつも廓寥かくりょうとした深夜の気配がみて来た。冬ざれた渓間の旅館は私のほかに宿泊人のない夜がある。そんな部屋はみな電燈が消されている。そして夜がけるにしたがってなんとなく廃墟はいきょに宿っているような心持に誘うのである。私の眼はその荒れ寂びた空想のなかに、恐ろしいまでに鮮やかな一つの場面を思い浮かべる。それは夜深く海の香をたてながら、澄み透った湯をあふれさせている渓傍の浴槽よくそうである。そしてその情景はますます私に廃墟の気持を募らせて行く。――天井の彼らを眺めていると私の心はそうした深夜を感じる。深夜のなかへ心がひろがってゆく。そしてそのなかのただ一つ起きている部屋へやである私の部屋。――天井に彼らのとまっている、死んだようにじっととまっている私の部屋が、孤独な感情とともに私に帰って来る。
火鉢ひばちの火は衰えはじめて、硝子窓を潤おしていた湯気はだんだん上から消えて来る。私はそのなかから魚のはららごに似た憂欝ゆううつな紋々があらわれて来るのを見る。それは最初の冬、やはりこうして消えて行った水蒸気がいつの間にかそんあ紋々を作ってしまったのである。床の間のすみには薄うく埃をかむった薬壜が何本もからになっている。何という倦怠、なんという因循だろう。私の病欝は、おそらくよその部屋には棲んでいない冬の蝿さえ棲ませているではないか。いつになったら一体こうしたことにけりがつくのか。
心がそんなことにひっかかると私はいつも不眠をわざわいされた。眠れなくなると私は軍艦の進水式を想い浮かべる。その次には小倉百人一首を一首ずつ思い出してはそれの意味を考える。そして最後には考え得られる限りの残虐な自殺の方法を空想し、その積み重ねによって眠りを誘おうとする。がらんとした渓間の旅館の一室で。天井に彼らの貼りついている、死んだようにじっと貼りついている一室で。――

2[編集]

その日はよく晴れたあたたかい日であった。午後私は村の郵便局へ手紙を出しに行った。私は疲れていた。それから渓へ下りてまだ三、四丁も歩かなければならない私の宿へ帰るのがいかにも億劫おっくうであった。そこへ一台の乗合自動車が通りかかったそれを見ると私は不意に手を挙げた。そしてそれに乗り込んでしまったのである。
その自動車は村の街道を通る同族のなかでも一種目だった特徴で自分を語っていた。暗いほろのなかの乗客の眼がみな一様に前方を見つめていることや、泥除どろよけそれからステップの上へまで溢れた荷物を麻縄あさなわが車体へ縛りつけている恰好かっこうや――そんな一種のものものしい特徴で、彼らが今から上り三里下り三里の峠をえて半島の南端の地へ十一里の道をゆく自動車であることが一目で知れるのであった。私はそれに乗ってしまったのである。それにしてはなんという不似合いな客であったろう。私はただ村の郵便局まで来て疲れたというばかりの人間に過ぎないのだった。
日はもう傾いていた。私には何の感想もなかった。ただ私の疲労をまぎらしてゆく快い自動車の動揺ばかりがあった。村の人が背負い網を負って山から帰って来るころで、見知った顔が何度も自動車を除けた。そのたび私はだんだん「意志の中ぶらり」に興味を覚えて来た。そして、それはまたそれで、私の疲労をなにか変った他のものに変えてゆくのだった。やがてその村人にも会わなくなった。自然林が廻った。落日があらわれた。渓の音が遠くなった。年古としふりた杉の柱廊が続いた。冷たい山気が沁みて来た。魔女のまたがったほうきのように、自動車は私を高い空へ運んだ。一体どこまでゆこうとするのだろう。峠の隧道トンネルを出るともう半島の南である。私の村へ帰るにも次の温泉にゆくにも三里の下り道である。そこへ来たとき、私はやっと自動車を止めた。そして薄暮の山の中へ下りてしまったのである。何のために?それは私の疲労が知っている。私は腑甲斐ふがいない一人の私を、人里離れた山中へ遺棄してしまったことに、気味のいい嘲笑ちょうしょうを感じていた。
樫鳥が何度も身近から飛び出して私をおどろかした。道は小暗い谿襞たにひだを廻って、どこまで行っても展望がひらけなかった。このままで日が暮れてしまってはと、私の心は心細さで一杯であった。幾たびも飛び出す樫鳥は、そんな私を、近くで見る大きな姿で脅かしながら、葉の落ちたけやきならの枝をうように渡って行った。
詩顎にとうとう谿が姿をあらわした。杉のが細胞のように密生しているはるかな谿!何というそれは巨大な谿だったろう。遠靄とおもやのなかには音もきこえない水も動かない滝が小さく小さくかっていた。眩暈めまいを感じさせるような谿底には丸太を組んだ橇道そりみちが寒ざむと白く匍っていた。日は谿向うの尾根へ沈んだところであった。水を打ったような静けさがいまこの谿を領していた。何も動かず何もこえないのである。その静けさはひょっと夢かと思うような谿の眺めになおさら夢のような感じを与えていた。
「ここでこのまま日の暮れるまですわっているということは、何という豪奢ごうしゃな心細さだろう」と私は思った。「宿では夕飯の用意が何も知らずに待っている。そして俺は今夜どうなるかわからない」
私は私の置き去りにしてきた憂欝な部屋を思い浮かべた。そこで私は夕餉ゆうげの時分きまって発熱に苦しむのである。私は着物ぐるみ寝床へはいっている。それでもまだ寒い。悪寒おかんふるえながら私の頭は何度も浴槽を想像する。「あすこへつかったらどんなに気持いいことだろう」そして私は階段を下り浴槽の方へ歩いてゆく私自身になる。しかしその想像のなかでは私は決して自分の衣服を脱がない。衣服ぐるみそのなかへはいってしまうのである。私の身体には、そして、ささえがない。私はぶくぶくと沈んでしまい、浴槽の底へ溺死体できしたいのように横たわってしまう。いつもきまってその想像である。そして私は寝床のなかで満潮のように悪寒が退いてゆくのを待っている。――
あたりはだんだん暗くなって来た。日の落ちたあとの水のような光を残して、えざえとした星が澄んだ空にあらわれて来た。凍えた指の間の煙草たばこの火が夕闇ゆうやみのなかで色づいて来た。その火の色は曠漠こうばくとした周囲のなかでいかにも孤独であった。その火をおいて一点の燈火も見えずにこの谿は暮れてしまおうとしているのである。寒さはだんだん私の身体へ匍い込んで来た。平常外気の冒さない奥の方まで冷え入って、ふとろころ手をしてもなんの役にも立たないくらいになって来た。しかし私はやみと寒気がようやく私を勇気づけて来たのを感じた。私はいつの間にか、これから三里の道を歩いて次の温泉までゆくことを自分に予定していた。ひしひしと迫って来る絶望に似たものはだんだん私の心に惨酷な欲望を募らせて行った。疲労または倦怠アンニュイが一たんそうひたものに変ったが最後、いつも私は終りまでその犠牲になり通さなければならないのだった。あたりがどっぷり暮れ、私がやっとそこを立ち上ったとき、私はあたりにまだ光があったときとは全くちがって感情で私自身を艤装ぎそうしていた。
私は山のてついた空気のなかを暗をわけて歩き出した。身体はすこしも温かくもならなかった。ときどきそれでも私のほおを軽くなでてゆく空気が感じられた。はじめ私はそれを発熱のためか、それとも極端な寒さのなかで起る身体の変調かと思っていた。しかし歩いてゆくうちに、それは昼間の日のほとぼりがまだまだらに充ちに残っているためであるらしいことがわかって来た。すると私には凍った闇のなかに昼の日射ひざしがありありと見えるように思えはじめた。一つの燈火も見えない暗というものも私には変な気を起させた。それは灯がついたということで、もしくは灯の光の下で、文明的な私たちははじめて夜を理解するものであるということを信ぜしめるに充分であった。真暗な闇にもかかわらず私はそれが昼間と同じであるような感じをいだいた。星の光っている空は真青であった。道を見分けてゆく方法は昼間の方法と何の変ったこともなかった。道を染めている昼間のほとぼりはなおさらその感じを強くした。
突然私の後ろから風のような音が起った。さっと流れて来る光のなかへ道の上の小石が歯のような影を立てた。一台の自動車が、それを避けている私には一顧の注意も払わず走り過ぎて行った。しばらく私はぼんやりしていた。自動車はやがて谿襞を廻った向うの道へ姿をあらわした。しかしそれは自動車が走っているというより、ヘッドライトをつけた大きな闇が前へ前へ押し寄せてゆくかのように見えるのであった。それが夢のように消えてしまうとまたあたりは寒い闇に包まれ、空腹した私が暗い情熱にあふれて道を踏んでいた。
「何という苦い絶望した風景であろう。私は私の運命そのままの四囲のなかに歩いている。これは私の心そのままの姿であり、ここにいて私は日なたのなかで感じるような何らの偽瞞ぎまんも感じない。私の神経は暗い行く手に向って張り切り、今や決然とした意志を感じる。なんというそれは気持のいいことだろう。定罰のような闇、はだつんざく酷寒。そのなかでこそ私の疲労は快く緊張し新しい戦慄せんりつを感じることが出来る。歩け。歩け。へたばるまで歩け」
私は惨酷な調子で自分を鞭打むちうった。歩け。歩け。歩き殺してしまえ。


その夜晩おそく私は半島の南端、港の船着き場を前にして疲れ切った私の身体を立たせていた。私は酒を飲んでいた。しかし心は沈んだまますこしも酔っていなかった。
強い潮の香に混って、瀝青れきせいや油のにおいが濃くそのあたりを立てこめていた。もやい綱が船の寝息のようにきしり、それを眠りつかせるように、静かな波のぽちゃぽちゃと舷側げんそくたたく音が、暗い水面にきこえていた。
「××さんはいないかよう!」
静かな空気を破ってなまめいた女の声が先ほどから岸で呼んでいた。ぼんやりとしたあかりをむそうにげている百トンあまりの汽船のともの方から、見えない声が不明瞭ふめいりょうになにか答えている。それは重々しいバスである。
「いないのかよう。××さんは」
それはこの港に船の男を相手にこびを売っている女らしく見える。私はその返事のバスに人ごとながら聴き耳をたてたが、相変らず曖昧あいまいな言葉が同じように鈍い調子で響くばかりで、やがて女はあきらめたようすでいなくなってしまった。
私は静かな眠った港を前にしながら転変に富んだその夜を回想していた。三里はとっくに歩いたと思っているのにいくらしてもおしまいにならなかった山道や、谿のなかに発電所が見えはじめ、しばらくすると渓の底を提灯ちょうちんが二つ三つしずかな夜の挨拶あいさつかわしながらもつれて行くのが見え、私はそれが大方村の人が温泉にはいりにゆく灯で、温泉はもう真近にちがいないと思い込み、元気を出したのに、見事当てがはずれたことや、やっと温泉に着いて凍え疲れた四肢ししを村人の混み合っている共同湯で温めたときの異様な安堵あんどの感情や、――ほんとうにそれらは回想という言葉にふさわしいくらい一晩の経験んとしては豊富すぎる内容であった。しかもそれでおしまいというのではなかった。私がやっと腹をふくらして人心つくかつかぬに、私のたされない惨酷な欲望はもう一度私に夜の道へ出ることを命令したのであった。私は不安な当てで名前も初耳な次の二里ばかりも離れた温泉へ歩かなければならなかった。その道でとうとう私は迷ってしまい、途方に暮れて暗のなかへうずくまっていたとき、晩い自動車が通りかかり、やっとのことでそれを呼びとめて、予定を変えてこの港の町へ来てしまったのであった。それから私はどこへ行ったか。私はそんなところには一種の嗅覚きゅうかくでも持っているかのように、掘割に沿った娼家しょうかの家並のなかへ出てしまった。藻草もぐさまとったような船夫たちが何人も群れて、白く化粧した女を調戯からかいながら、よろよろと歩いていた。私は二度ほど同じ道を廻り、そして最後に一軒の家へはいった。私は疲れた身体に熱い酒をそそぎ入れた。しかし私は酔わなかった。しゃくに来た女は秋刀魚船さんまぶねの話をした。船員の腕にふさわしいたくましい健康そうな女だった。その一人は私に婬をすすめた。私はその金を払ったまま、港のありかをきいて外へ出てしまったのである。
私は近くの沖にゆっくり明滅している廻転燈台の火を眺めながら、永い絵巻のような夜の終りを感じていた。舷の触れ合う音、とも綱の張る音、睡たげな船の灯、すべてが暗く静かにそして内輪で、なごやかな感傷を誘った。どこかに捜して宿をとろうか、それとも今の女のところへ帰ってゆこうか、それはいずれにしても私の憎悪に充ちた荒々しい心はこの港の埠頭ふとうで尽きていた。ながい間私はそこに立っていた。気疎けうとい睡気のようなものが私の頭を誘うまで静かな海の暗を見入っていた。――


私はその港を中心にして三日ほどもその附近の温泉で帰る日を延ばした。明るい南の海の色や匂いはなにか私には荒々しく粗雑であった。その上卑俗で薄汚い平野の眺めはすぐに私をかせてしまった。山や渓がせめぎ合い心を休める余裕や安らかな望みのない私の村の風景がいつか私の身についてしまっていることを私は知った。そして三日の後私はまた私の心を封じるために私の村へ帰って来たのである。


3[編集]

私は何日も悪くなった身体を寝床につけていなければならなかった。私には別にさした後悔もなかったが、知った人びとの誰彼がそうしたことを聞けばさぞ陰気になり気を悪くするだろうとそのことばかり思っていた。
そんなある日のこと私はふと自分の部屋に一匹も蝿がいなくなっていることに気がついた。そのことは私を十分驚ろかした。私は考えた。おそらく私の留守中誰も窓を明けて日を入れず火をたいて部屋を温めなかった間に、彼らは寒気のために死んでしまったのではなかろうか。それはありそうなことに思えた。彼らは私の静かな生活の余徳を自分らの生存の条件として生きていたのである。そして私が自分の欝屈うっくつした部屋から逃げだしてわれとわが身を責めさいなんでいた間に、彼らはほんとうに寒気と飢えで死んでしまったのである。私はそのことにしばらく憂欝を感じた。それは私が彼らの死をいたんだためではないく、私にもなにか私を生かしそしていつか私を殺してしまうきまぐれな条件があるような気がしたからであった。私は其奴の幅広い背を見たように思った。それは新しいそして私の自尊心を傷つける空想だった。そして私はその空想からますます陰欝を加えてゆく私の生活を感じたのである。

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