彷徨
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[編集]- 「酒が惡魔的な昂奮劑で、紅茶が道德的昂奮劑か。成程、三杯も飮んだ加減か知らないが、變に俺は何だか考え〔ママ〕えてゐる。考え〔ママ〕ざらんとしても腦髄の機械が運轉しはじめたんだ。そして空中の塵埃でも何でも機械の中へ吸ひ込んで、それから何かを造り上げや〔ママ〕としてゐる。全く變だ。何にもまとまつたことを考へてもゐないのに、丸で何かくよくよ考へてゐる時の氣持がしてゐる。機械が空囘(カラマワ(ハ))りをしてやがるんだ。こんな時に上等の材料を、かけてやると、素敵なものが出來上るんだが。
- ――さて。五時半か。俺はこれから一體どうしや〔ママ〕う。この珈琲店を出て。出る爲には四十銭か。そ〔ママ〕うすると幾何殘るんだ。
- 吉太郎に借金を拂つてしまはうかな。拂つてあいつの宿でやう〔ママ〕か。いや損だ損だ。
- 例の所で例の如く醉っ拂ふ方がよさそ〔ママ〕うだ。
- 大體吉太郎て奴は虫が好かない。あいつの借金だけが嫌に苦になる。人に金を借(貸)して、敵氣心を抱かれるなんて、あいつも割にあわ(は)ない男だな、か哀そ〔ママ〕うに。孝行者だ。小金もためてゐる。女などには見向きもしない。しかもあいつに借りた金だけは、叩きつけて返してしまい〔ママ〕度い程苦になる。催促したり、借金のかたに俺におごらせたりする仲間の奴等とは一風變つてゐるが、俺は仲間の奴共の方が氣持がいゝ。……(缺)
未定稿
[編集]- 一體どうして俺はこんなにやくざなんだらう。俺には意志が働かないんだ。ものゝ善惡(ヨシアシ)はわかつてゐるんだが、善い方に押し切つて進むことがどうしても出來ないんだ。强ひて進まうとすれば、身體の活力の燃燒を感じる。なんだか可哀そ〔ママ〕うなものを虐殺する樣な氣がするんだ。そ〔ママ〕うだ、あの首を振る電気扇(モーターフアン)が、右や左へ𢌞轉してゐる奴を、うんと手でつかまへて首を振れない樣にして、自分の襟の中へ風を入れる馬鹿な奴の所業の樣な氣がするんだ。俺はあんなことをするのを見ると、中の電動機(モーター)がもう俺の眼の前で燒けてゆくのが見える樣で堪え(へ)られなくなる。
- 俺は一體、それぢや俺の生活が俺にぴつたり適應してゐるんだらうか。魚が水の中に生活しなければならない樣に、俺にはこの生活が必要なんだらうか。この淫蕩な懶惰な不健全な生活が。
- いや俺はこれが堪え〔ママ〕難いのだ。いつもこの生活が俺を殺してゆく樣な氣がするのだ。
- 俺は何度もこの生活から逃げ出そ〔ママ〕うと思つたのだ。すると可哀そ〔ママ〕うなものを虐殺する樣な憂愁が俺をつかまへてしまふ。俺はその度に「ぢたばたしたつてどうにもならないよ」と云ふ運命の嘲笑を見る樣な氣がする。また頑固に「此〔ママ〕度こそは」と思つてやりかけて見ても、「一體お前がそんなに、不愉快な思ひをして、獅嚙みついて醫る生活が一體それだけの勞力を費す價値があるのかい」と叱りつける樣に誰かゞ云ふのだ。すると俺は一生〔ママ〕懸命に考え〔ママ〕る。考え〔ママ〕て見るとその生活が單に淫蕩な生活の反動の生活に過ぎない樣な氣がする。一體生き甲斐のある生活てどんな生活だ。一體善しと云ひ惡ししと云ふのは何だ。と考へるんだ。俺のことだからこの考えも續きはしない。またもとの蟻地獄の底まで落ち込んでしまふのだ。
- 地道の生活が俺にはどんなに慕はしいだらう。然し地道の生活に身を置くと俺は死んでしまふ樣な氣がする。考へて見れば、俺は地道は生活に憧憬(あこがれ)るのは單に今の生活の嫌さの反動だけがそうさせるのかな。實際今の生活にも樂しいことがあるのだ。然しいけないことには樂しさの次にきつと苦しさが來るんだ。
- この生活の持つてゐる魅力といふのも結局その樂しさが俺をひきつけるんだ。
- この生活は樂しさがさきで銭堪(勘)定が後なんだ。樂しむだけでこゝからはぬけて出られないんだ、きつとその報酬を拂はせられるんだ。その樂しさを見せびらかして俺の眼をくらますんだ。すると何時もの事ながら俺はそれの償ひを考へずにとび込んでしまふ。
- そうして見ると、世間の地道な生活は苦勞がさきで、樂しみは後だ。つまり錢堪(勘)定がさきなんだ。
- 考へて見ると俺は若い時から借金さす飮屋や本屋なら、大きな氣になつて食つたり飮んだりした。尻の仕舞はどうにかなると思つてゐたんだ。親が借金做(濟)しをして呉れるとか、兄貴が金を呉れるとかそんな具體的なものぢやなかつたんだ。然し仕舞はどうにかなると思つてゐた。いやこれもやはり酒や本が只で取れると思ふ考え〔ママ〕が俺をくらませてしまつたのだ。
- 世間の借金は俺は随分倒した。倒そ〔ママ〕うとはじめは決して思つてゐなかつたんだがそんな樣になつてしまつたんだ。今でも金さへ出來れやどこだつて拂つてやるし、死ぬ迄にはきつと返せる樣な氣がしてゐる。
- 然し俺の生活ではこの倒しがきかないのだ。死太く命のある限りついまとつて來る。
- 然し俺はこの生活の魅力には無抵抗だ。
- それぢや俺はどうしたらいゝんだ。
- 今の生活の魅力にはかなはないが、その報酬を拂ふのには堪え〔ママ〕られない。先き佛ひの地道の生活は俺を殺してしまふ。
- それぢや俺はどうしたらいゝんだ。
- 然し待てよ。俺はこのだらしのない生活の魅力には、丸で無抵抗なのか。丸で反抗出來ないんだらうか。
- また世間の地道な生活は本當に不可能なのか。
- 兩方ともそうぢやない。俺が本氣にさへなれば、それがみな逆に出來るのだ。
- 然し本氣と云つても、過古〔ママ〕の習慣が全然頭(姿)を消して、急に本氣といふものにはなれない。やはり腹を決めて、辛抱する氣で、過古のと戰はなきやならない。
- あゝその戰ひが厄介なんだ。その戰の御利益が上つて來るのは、戰ひ終え(へ)た後ぢやないとやつて來ない。それに毎日毎晩あの活力の内部燃燒の思ひを辛抱しなければならない。
- すると俺はとても堪らなくなる。終にはその内攻が爆發してしまふんだ。
- 俺に力が足りないのか、それとも腹のきめ方が足りないのか。俺は平常から善惡の判斷で動くよりは、前の行爲の反動をいつでもやるのだ。だから考え〔ママ〕て見ると、善惡の判斷なしに急に腹をきめるんだ。だから腹のきめ方が不合理で落付〔ママ〕いて考へて見ると丸で蟲のいゝことを考へてやつてゐる。
- この以前にも何度となく地道な生活に戾りかけた。自分は自分がどれどれの事が出來て、それ以上は出來ないといふ、自分の馬力をはかつて見ないのだ。
- そして計畫は随分立派だが一度とりかゝると自分の馬力が足りないことがわかる。
- そしておぢやんになつてしまふんだ。
- またそこでゆき惱んでゐると、放蕩の誘惑がやつて來る。その時に俺の眼に見える放蕩はなんといふ氣樂な放蕩だらう。自分はどうしてもそれが苦勞をかもすつてなことは考え〔ママ〕られなくなる。そしてまたとび込むんだ。
- また苦しくなつて來る。地道の生活が慕はしくなる。そして地道の生活を樂しいものだと思ふ。皈つて見るとそれが辛い辛いことなんだ。
- どうして俺はこんなに忘れつぽいんだらう。また自分の能力を極めることができないんだらう。俺は蟲のいゝ空想家だ。
- たゞ行く方の美しさのみが俺をひきつける。そこの氣候がわるいと知つても、俺の身體が大丈夫それをもち耐え〔ママ〕ると思ふ。苦勞、それも面白いぢやないかつてな氣になる。
- 俺は本當に樂天家で呆(呑)氣屋なんだな。
- 何といふ下らない性格だらう。これをひつくるめて意志が弱いといふんだ。
- この生活は生存競爭には不適當だ。
- いつでも同じおとし穴にひつかかつてゐる馬鹿な猪だ。
- こんな性格を持つてゐる位なら死んだ方が勝しぢやないか。俺はいつでも何かに苦しめられてゐる。嫌だ嫌だと思つてゐる。
- 死んだ方がずつと勝しぢやないか。
- 然し俺は何度も死にかけた。死ぬ間際になると浮世の苦勞がみな甘く見えるんだ。牢獄の中にでも花が咲いてゐる。乞食にも春が來る。死ねばみなおじ〔ママ〕やんとなる樣な氣がする。
- 生きてゐるといふことだけで、そのどんなみにくい、卑劣なことでも俺があんなに欲しがつてゐた價値がある樣に思はれる。
- と(た)うとう自分はその決心を捨てるんだ。
- 俺には生きてゐるそのことがいゝことなんだといふ譯は一度ならずよくわかつた。
- 然し生きる段になると生きてゐる價値などはどうでも(な)よくなつて來る。それから前と同じだ。
- あゝ、自分の身體が急に淸朗な空氣の下で、すつきりした氣持になつて、うんと胷を張つて深呼吸する。といふ樣な境地が戀しい。
- 淸朗あ氣持ち。すつきりした氣持ちが戀しい。今のまゝではどちらを向いても頭がにごつてゐる樣な氣がするし、いくら洗つても落ちないけがれがある樣に思へるし、手に砂糖がついてゐる樣な氣持がしてばかりゐる。
- ぶつっと突き拔けた、何のわだかまりもない生活。あゝどんなにいゝだらう。
- あゝそれが欲しい。欲しい。それを思ふと泣き度くなる。あゝそんな生活をして見たい。
- 何をするのも嬉しくつて、嬉しいことをすればその報酬に何倍も嬉しいことが目の前に見えて來る。嬉しい結果をまねく原因が嬉しい行爲。あゝ。無暗にほしい。
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