ある心の風景

提供: Wikisource
移動先: 案内検索
  • 底本:1968(昭和43)年4月5日中央公論社発行『日本の文学36 滝井孝作 梶井基次郎 中島敦』

本文[編集]

[編集]

喬(たかし)は彼の部屋の窓から寝静まった通りに凝視(みい)っていた。起きている窓はなく、深夜の静けさは暈(かさ)となって街燈のぐるりに集まっていた。固い音が時どきするのは突き当って行く黄金虫(ぶんぶん)の音でもあるらしかった。
そこは入り込んだ町で、昼間でも人通りは尠(すくな)く、魚の腹綿や鼠(ねずみ)の死骸(しがい)は幾日も位置を動かなかった。両側の家家はなにか荒廃していた。自然力の風化して行くあとが見えた。紅殻(べにがら)が古びてい、荒壁の塀(へい)は崩(くず)れ、人びとはそのなかで古(ふる)手拭(てぬぐ)いのように無気力な生活をしているように思われた。喬の部屋(へや)はそんな通りの、卓子で云うなら主人役の位置に窓を開いていた。
時どき柱時計の振子の音が戸の隙間(すきま)から洩(も)れきこえて来た。遠くの樹(き)に風が黒く渡る。と、やがて眼近(まぢか)い夾竹桃(きょうちくとう)は深い夜のなかで揺れはじめるのであった。峻はただ凝視(みい)っている。――闇(やみ)のなかに仄白(ほのじろ)く浮かんだ家の額(ひたい)は、そうした彼の視野のなかで、消えてゆき現われて来、喬は心の裡(うち)に定かならぬ想念のまた過ぎてゆくのを感じた。蟋蟀(こおろぎ)が鳴いていた。そのあたりから――と思われた―微(かす)かな植物の朽(く)ちてゆく匂(にお)いが漂って来た。
「君の部屋は仏蘭西(フランス)の蝸牛(エスカルゴ)の匂いがするね」
喬のところへやって来たある友人はそんなことを云った。またある一人は
「君はどこに住んでもすぐその部屋を陰欝(いんうつ)にしてしまうんだな」と云った。
いつも紅茶の滓(かす)が溜(た)まっているピクニック用の湯沸し器。帙(ちつ)と離ればなれに転(ころ)がっている本の類。紙切れ。そしてそんなものを押しわけて敷かれている蒲団(ふとん)。喬はそんななかで青鷺(あおさぎ)のように昼は寝ていた。眼が覚(さ)めては遠くに学校の鐘を聞いた。そして夜、人びとが寝静まったころこの窓へ来てそとを眺(なが)めるのだった。
深い霧のなかを影法師のように過ぎてゆく想念がだんだん分明になって来る。
彼の視野のなかで消散したり凝集(ぎょうしゅう)したりしていた風景は、ある瞬間それが実に親しい風景だったかのように、またある瞬間は全く未知の風景のように見えはじめる。そしてある瞬間が過ぎた。――喬にはもう、どこまでが彼の想念であり、どこからが深夜の町であるのか、わからなかった。暗(やみ)のなかの夾竹桃はそのまま彼の憂欝であった。物陰の電燈に写し出されている土塀、暗と一つになっているその陰影。観念もまたそこで立体的な形をとっていた。
喬は彼の心の風景をそこに指呼することが出来る、と思った。


[編集]

どうして喬がそんな夜更(よふ)けて窓に起きているか、それは彼がそんな時刻まで寝られないからでもあった。寝るにはあまり暗い考えが彼を苦しめるからでもあった。彼は悪い病気を女から得て来ていた。
ずっと以前彼はこんな夢を見たことがあった。
――足が地脹(じば)れをしている。その上に、噛(か)んだ歯がたのようなものが二列(ふたなら)びついている。脹れはだんだんひどくなって行った。それにつれてその痕(あと)はだんだん深く、まわりが大きくなって来た。
あるものはネエヴルの尻(しり)のようである。盛りあがった気味悪い肉が内部から覗(のぞ)いていた。またある痕は、細長く深く切れ込み、古い本が紙魚(しみ)に食い貫(ぬ)かれたあとのようになっている。
変な感じで、足は見ているうちに青く脹れてゆく。痛くもなんともなかった。腫物(はれもの)は紅(あか)い、サボテンの花のようである。
母がいる。
「あああ。こんなになった」
彼は母に当てつけの口調だった。
「知らないじゃないか」
「だって、あなたが爪(つめ)でかたをつけたのじゃありませんか」
母が爪で圧(お)したのだ、と彼は信じている。しかしそう云ったとき喬に、ひょっとしてあれじゃないだろうか、という考えが閃(ひらめ)いた。
でもまさか、母は知ってはいないだろう、と気強く思い返して、夢のなかの喬は
「ね!お母さん!」と母を責めた。
母は弱らされていた。が、しばらくしてとうとう
「そいじゃ、癒(なお)してあげよう」と云った。
二列の腫物はいつも間にか胸から腹へかけて移っていた。どうするのかと彼が見ていると、母は胸の皮を引っ張って来て(それはいつの間にか、萎(しぼ)んだ乳房(ちぶさ)のようにたるんでいた)一方の腫物を一方の腫物のなかへ、ちょうど釦(ボタン)を嵌(は)めるようにして嵌め込んでいった。夢のなかの喬はそれを不足そうな顔で、黙って見ている。
一対(いっつい)ずつ一対ずつ腫物は他の一列へそういう風にしてみな嵌ってしまった。
「これは××博士の法だよ」と母が云った。釦の多いフロックコートを着たようである。しかし、少し動いてもすぐ脱(はず)れそうで不安であった。――
何よりも母に、自分の方のことは包み隠して、気強く突きかかって行った。そのことが、夢の中のことながら、彼には応(こた)えた。
女を買うということが、こんなにも暗く彼の生活へ、夢に出るまで、侵(し)み込んで来たのかと喬は思った。現実の生活にあっつても、彼が女の児(こ)の相手になっている。そしてその児が意地の悪いことをしたりする。そんなときふと邪慳(じゃけん)な娼婦(しょうふ)は心に浮かび、喬はたまらない自己嫌厭(けんえん)に堕(お)ちるのだった。生活に打ち込まれた一本の楔(くさび)がどんなところまで歪(ひず)みを及ぼして行っているか、彼はそれに行き当るたびに、内面的に汚(よご)れている自分を識(し)ってゆくのだった。
そしてまた一本の楔、悪い病気の疑いが彼に打ち込まれた。以前見た夢の一部が本当になったのである。
彼は往来で医者の看板に気をつける自分を見出すようになった。新聞の広告をなにげなく読む自分を見出すようになった。それはこれまでの彼が一度も意識してしたことのないことであった。美しいものを見る、そして愉快になる。ふと心の中に喜ばないものがあるのを感じて、それを追ってゆき、彼の突きあたるものは、やはり病気のことであった。そんなとき喬は暗いものに到るところ待ち伏せされているような自分を感じないではいられなかった。
時どき彼は、病める部分を取り出して眺めた。それはなにか一匹の悲しんでいる生き物の表情で、彼に訴えるのだった。

[編集]

喬はたびたびその不幸な夜のことを思い出した。――
彼は酔っ払った嫖客(ひょうきゃく)や、嫖客を呼びとめる女の声の聞こえて来る、往来に面した部屋に一人坐(すわ)っていた。勢いづいた三味線(しゃみせん)や太鼓の音が近所から、彼の一人の心に響いて来た。
「この空気!」と喬は思い、耳を欹(そばだ)てるのであった。ゾロゾロと履物(はきもの)の音。間を縫って利休が鳴っている。――物音はみな、あるもののために鳴っているように思えた。アイスクリーム屋の声も、歌をうたう声も、なにからなにまで。
小婢(こおんな)の利休の音も、すぐ表ての四条通りではこんな風に響かなかった。
喬は四条通りを歩いていた何分か前の自分、――そこでは自由に物を考えていた自分、――と同じ自分をこの部屋の中で感じていた。
「とうとうやって来た」と思った。
小婢が上って来て、部屋には便利炭の蝋(ろう)が匂った。喬は満足に物が云えず、小婢の降りて行ったあとで、そんなすぐに手の裏返したようになれるかい、と思うのだった。
女はなかなか来なかった。喬は屈託した気持で、思いついたまま、勝手を知ったこの家の火の見へ上ってこようと思った。
朽ちかけた梯子(はしご)をあがろうとして、眼の前の小部屋の障子が開(あ)いていた。なかには蒲団が敷いてあり、人の眼がこちらを睨(にら)んでいた。知らぬふりであがって行きながら峻は、こんな場所での気強さ、と思った。
火の見へあがると、この界隈(かいわい)を覆(おお)っているのは暗い甍(いらか)であった。そんな間からところどころ、電燈をつけた座敷が簾越(すだれご)しに見えていた。レストランの高い建物が、思わぬところから頭を出していた。四条通りはあすこかと思った。八坂(やさか)神社の赤い門。電燈の反射をうけて仄かに姿を見せている森。そんなものが甍越しに見えた。夜の靄(もや)が遠くはぼかしていた。円山(まるやま)、それから東山。天(あま)の川がそのあたりから流れていた。
喬は自分が解放されるのを感じた。そして、
「いつもここへ登ることにきめよう」と思った。
五位(ごい)が鳴いて通った。煤黒(すすくろ)い猫(ねこ)が屋根を歩いていた。喬は足許に闌(すが)れた秋草の鉢(はち)を見た。
女は博多(はかた)から来たのだと云った。その京都言葉に変な訛(なま)りがあった。身嗜(みだしな)みが奇麗で、峻は女にそう云った。そんなことから、女の口はほぐれて、自分がまだ出て匆々(そうそう)だにに、先月はお花を何千本売って、この廓(くるわ)で四番目なのだと云った。またそれは一番から順に検番に張り出され、何番かまではお金が出る由云った。女の小ざっぱりしているのはそんな彼女におかあはんというのが気をつけてやるのであった。
「そんなわけやでうちも一生懸命にやってるの。こないだからもな、風邪(かぜ)ひいとるんやけど、しんどうてな、おかあはんは休めというけど、うちは休まんのや」
「薬は飲んでるのか」
「うちでくれたけど、一服五銭でな、……あんなものなんぼ飲んでもきかせん」
喬はそんな話を聞きながら、頭ではS――という男の話にきいたある女のことを憶(おも)い浮かべていた。
それは醜い女で、その女を呼んでくれと名を云うときは、いくら酔っていても羞(はずか)しい思いがすると、S――は云っていた。そして来ている寝間着の汚(きたな)いこと、それは話にならないよと云った。
S――は最初、ふとした偶然からその女に当り、その時、よもやと思っていたような異様な経験をしたのであった。その後、S――はひどく酔ったときなどは、気持にはどんな我慢させてもという気になってついその女を呼ぶ、心が荒くなってその女でないと満足できないようなものが、酒を飲むと起るのだと云った。
喬はその話を聴いたとき、女自身に病的な嗜好(しこう)があるのなればとにかくだがと思い、畢竟(ひっきょう)廓での生存競争が、醜いその女にそのような特殊なことをさせるのだと、考えは暗いそこへ落ちた。
その女は瘂(おし)のように口をきかぬとS――は云った。もっとも話をする気にはならないよと、また云った。一体、やはり瘂の、何人ぐらいの客をその女は持っているのだろうと、その時喬は思った。
t歌詞はその醜い女とこの女とを思い比べながら、耳は女のお喋(しゃべ)りに任せていた。
「あんあは温柔(おとな)しいな」と女は云った。
女の肌(はだ)は熱かった。新らしいところへ触れて行くたびに「これは熱い」と思われた。――
「またこれから行かんならん」と云って女は帰る仕度(したく)をはじめた。
「あんたも帰るのやろ」
「うむ」
喬は寝ながら、女が此方を向いて、着物を着ておるのを見ていた。見ながら彼は「さ、どうだ。これだ」と自分で確かめていた。それはこんな気持であった。――平常自分が女、女、と思っている。そしてこのような場所へ来て女を買うが、女が部屋に入って来る、それまではまだいい、女が着物を脱ぐ、それまでもまだいい、それからそれ以上は、何が平常から思っていた女だろう。
「さ、これがの腕だ」と自分自身で確かめる。しかしそれはまさしく女の腕であって、それだけだ。そして女が帰り仕度をはじめた今ごろ、それはまたの姿をあらわして来るのだ。
「電車はまだあるか知らん」
「さあ、どうやろ」
喬は心の中でもう電車がなくなっていてくれればいいと思った。階下のおかみは
「帰るのがお厭(いや)どしたら、朝まで寝とおいやしても、うちはかましまへん」と云うかも知れない。それより
「誰ぞお呼びやおへんのどしたら、帰っとくれやす」と云われる方が、と喬は思うのだった。
「あんた一緒に帰らへんのか」
女は身じまいはしたが、まだぐすついていた。「まあ」と思い、彼は汗づいた浴衣(ゆかた)だけは脱ぎにかかった。
女は帰って、すぐ彼は「ビール」と小婢に云いつけた。


ジュ、ジュクと雀(すずめ)の啼(な)き声が樋(とゆ)にしていた。喬は朝靄(あさもや)のなかに明けて行く水みずしい外面を、半分覚めた頭に描いていた。頭を挙(あ)げると朝の空気のなかに光の薄れた電燈が、睡(ねむ)っている女の顔を照していた。
花売りの声が戸口に聞えたときも彼は眼を覚ました。新鮮な声、と思った。榊(さかき)の葉やいろいろの花にこぼれている朝陽(あさひ)の色が、見えるように思われた。
やがて家々の戸が勢いよく開いて、学校へ行く子供の声が路(みち)に聞こえはじめた。女はまだ深く睡っていた。
「帰って、風呂(ふろ)へ行って」と女は欠伸(あくび)まじりに云い、束髪の上へ載せた丸く編んだ毛を掌(てのひら)に載せ、「帰らしてもらいまっさ」と云って出て行った。喬はそのまままた寝入った。


[編集]

喬は丸太町の橋の袂(たもと)から賀茂磧(かもがわら)へ下りて行った。磧に面した家々が、そこに午後の日陰(ひかげ)を作っていた。
護岸工事に使う小石が積んであった。それは秋日の下で一種の強い匂いをたてていた。荒神橋の方に遠心乾燥器が草原に転がっていた。そのあたりで測量の巻尺が光っていた。
川水は荒神橋のた下手(しもて)で簾(すだれ)のようになって落ちている。夏草の茂った中洲(なかす)の彼方で、浅瀬は輝きながらサラサラ鳴っていた。鶺鴒(せきれい)が飛んでいた。
背を指すような日表(ひなた)は、蔭となるとさすが秋の冷たさが跼(くぐま)っていた。喬はそこに腰を下した。
「人が通る、車が通る」と思った。また
「町では自分は苦しい」と思った。
川向うの径を徒歩や車が通っていた。川添いの公設市場。タールの樽(たる)が積んである小屋。空地(あきち)では家を建てるのか人びとが働いていた。
川上からは時どき風が吹いて来た。カサコソと彼の坐っている前を、皺になった新聞紙が押されて行った。小石に阻(はば)まれ、一しきり風に堪えていたが、ガックリ一つ転がると、また運ばれて行った。
二人の子供に一匹の犬が川上の方へ歩いて行く。犬は戻(もど)って、ちょっとその新聞紙を嗅(か)いで見、また子供のあとへついて行った。
川の此方岸には高い欅(けやき)の樹が葉を茂らせている。喬は風に戦(そよ)いでいるその高い梢(こずえ)に心は惹(ひ)かれた。ややしばらく凝視(みい)っているうちに、彼の心の裡(うち)になにかがその梢に棲(とま)り、高い気流のなかで小さい葉とともに揺れ青い枝とともに撓(たわ)んでいるのが感じられた。
「ああこの気持」と喬は思った。「視ること、それはもうなにかなのだ。自分の魂の一部分あるいは全部がそれに乗り移ることなのだ」
喬はそんなことを思った。毎夜のように彼の坐る窓辺、その誘惑――病欝(びょううつ)や生活の苦渋が鎮(しず)められ、ある距(へだ)たりをおいて眺められるものとなる心の不思議が、ここの高い欅の梢にも感じられるのだった。
「街では自分は苦しい」
北には加茂の森が赤い鳥居を点じていた。その上に遠い山々は累(かさ)なって見える。比叡(ひえい)山――それを背景にして、紡績工場の煙突が煙を立ち登らせていた。赤煉瓦(あかれんが)の建物。ポスト。荒神橋には自転車が通り、パラソルや馬力が動いていた。日蔭は磧に伸び、物売りのラッパが鳴っていた。


[編集]

喬は夜更けまで街をほっつき歩くことがあった。
人通りの絶えた四条通りは稀(まれ)に酔っ払いが通るくらいのもので、夜霧はアスファルトの上までおりて来ている。両側の店はゴミ箱を舗道(ほどう)に出して戸を鎖(とざ)してしまっている。ところどころに嘔吐(へど)がはいてあったり、ゴミ箱が倒されていたりした。喬は自分も酒に酔ったときの経験は頭に上り、今は静かに歩くのだった。
新京極(しんきょうごく)に折れると、たてた戸の間から金盥(かなだらい)を持って風呂へ出かけてゆく女の下駄が鳴り、ローラースケートを持ち出す小店員、うどんの出前を運ぶ男、往来の真中で棒押しをしている若者などが、異様な盛り場の夜更けを見せている。昼間は雑閙(ざっとう)のなかに埋(うも)れていたこの人びとはこの時刻になって存在を現わして来るのだと思えた。
新京極を抜けると町は本当の夜更けになっている。昼間は気のつかない自分の下駄の音が変に耳につく。そしてあたりの静寂は、なにか自分が変なたくらみを持って町を歩いているような感じを起させる。
喬は腰に朝鮮の小さい鈴を提(さ)げて、そんな夜更け歩いた。それは岡崎公園にあった博覧会の朝鮮館で友人が買って来たものだった。銀の地に青や赤の七宝(しっぽう)がおいてあり、美しい枯れた音がした。人びとのなかでは聞こえなくなり、夜更けの道で鳴り出すそれは、彼の心の象徴のように思えた。
ここでも町は、窓辺から見る風景のように、歩いている彼に展(ひら)けてゆくのであった。
生れてからまだ一度も踏まなかった道。そして同時に、実に親しい思いを起させる道。――それはもう彼が限られた回数通り過ぎたことのあるいつもの道ではなかった。いつのころから歩いているのか、喬は自分がとことわの過ぎてゆく者であるのを今は感じた。
そんな時朝鮮の鈴は、喬の心を顫(ふる)わせて鳴った。ある時は、喬の現身(うつそみ)は道の上に失われ鈴の音だけが町を過(よぎ)るかと思われた。またある時それは腰のあたりに湧(わ)き出して、彼の身体(からだ)の内部へ流れ入る澄み透(とお)った渓流(けいりゅう)のように思えた。それは身体を流れめぐって、病気に汚(よご)れた彼の血を、洗い清めてくれるのだ。
「俺はだんだん癒(なお)ってゆくぞ」
コロコロ、コロコロ、彼の小さな希望は深夜の空気を清らかに顫わせた。


[編集]

窓からの風景はいつの夜も渝(かわ)らなかった。喬にはどの夜もみな一つに思える。
しかしある夜、喬は暗(やみ)のなかの木に、一点の蒼白(あおじろ)い光を見出した。いずれなにかの虫には違いないと思えた。次の夜も、次の夜も、喬はその光を見た。
そして彼が窓辺を去って、寝床の上に横になるとき、彼は部屋のなかの暗にも一点の燐光(りんこう)を感じた。
「私の病んでいる生き物。私は暗闇(くらやみ)のなかにやがて消えてしまう。しかしお前は睡らないでひとりおきているように思える。そとの虫のように……青い燐光を燃しながら……」

著作者は1932年に亡くなっているので、この著作物は、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後50年以下(団体著作物にあっては公表後又は創作後)である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物はアメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。