籔熊亭

本文[編集]

私達はそこを藪熊亭と云つてゐたが、村の人は畑山と呼んでゐた。畑山といふのは多分その家の苗字だつたんだらうが、村の人はそれを同じ飮屋の角屋とか世古樓とかさう云つた〔名前と〕屋號と同じに呼んでゐたのである。
あおこは村のなかでもなかなかいい位置にあつた。天城へかかる街道が、村の主要部分である<小學校や>役場や郵便局<や銀行>のある人家の家並を過ぎて、パツと眼界の展けたところへ出る。そこは恰度天城の奧から發して來た二つの溪川が眼の下で落合ふ所〔なの〕で〔あつたが〕、その打ち展けた眺めを眺めながらしばらく行くと次に來るのが藪熊亭なのであつた。藪熊亭はそんな街道の道端にあつて匂(勾)配のついた地勢へ張り出してある屋臺のやうな家〔なのであつた〕であつたが、店先がとてもごたごたしてゐるにも拘はらず、店先からぢかに見えてゐる座敷の窓からの眺めが〔いいので〕よく、何時も私の心に殘つてゐた。いい眺めと云つてもそれは別段文字通りにいい眺めといふのではない。さきほどの溪の落合つてゐるところはもう見えなかつたし、溪とももう緩い匂配ママで距つてゐるので、眺めは極く平凡になつてしまつてゐるのだが、その緩い匂配ママのついた畠〔が何とはなしにいいのだつた。〕を前にして風景に對してゐる眺めがなんとはなしにいいのだつた。
〔それはその畠についた路を〕
〔それはその畠に〕
その氣持はその畠についた道を溪の方からやつて來るときに一層明瞭になつたらう。私はその座敷からも見えてゐる溪の吊橋を渡つて、畠の道を街道へ登つて來ることがあつたが、その時藪熊亭の座敷はいくらか〔私に〕<畠の匂配ママに>向つて反り身になり、なんとなく家全體が感傷的に見えるのだつた。だからそのかはり藪熊亭の座敷から畠の道をやつて來る人を見た場合、きつとその人間は〔いく〕幾分か前かがみに、匍つて來るやうに見えたにちがひない。さういふ〔風景の高みと低〕高みと風景の低い部分との間には何時も感情の「コレスポンダンス」ともいふべきものが成立するのだ。高みにゐるものは〔その身が高みにありながら低い〕低い風景のなかにゐる人物を面白く見るばかりではなく、〔その身[は]高みにありながら自分を低い風景のなかへ想像する。〕自分が今彼處にをればどんなに見えるだらうといふことを考へ、また彼處からは此處がどんなに見えてゐるだらうといふことを考へる。また低いところにゐるにんげんはちようどママその逆のことを考へるのである。〔そしてさうした《空想が》想像がひつくる《めて》まつて《なんとはなしに感傷的な氣持を起させる》
《無意識に感傷的な》
なんとはなく感傷的な氣持を起させる風景となる。〕
〔そしてさうした想像がみな一緒になつて〕
〔さう云つた譯で〕
〔私は一度〕
そしてさうした想像がひつくるまつてなんとはなく風景〔に感傷的な氣持〕を感傷的に〔するのだ。〕思はせるのだ。
〔街道を通りかかると何時も私は一度その座敷で酒《に醉つて見渡》を飮んで見度〕
〔私はいつか一度その座敷へあがつて麥酒でも飮んで見〕
そんな譯で私は何時も通りかかる度に藪熊亭の座敷を心に留めてゐた。しかしその座敷へ坐つたことはながいあいだに一度――それもそこを藪熊亭と名をつけた友達と二人のときで〔あつた。〕何時も私は其處の女中達にぢろぢろと顏を見られながらその前を通り過ぎてゐた。要するに田舎の飮屋らしい大變感じの惡い家だつたのである。
それは春先のある日のことだつた。私はそこの店先に見なれない動物が手製の檻に入れられて置いてあるのを通りがかりに發見した。〔私は散步をするとき珍らしいものに出會つたら何によらずそれを眺めてゐる癖があつたので〕
〔私は散步すると〕
私の散步といふのは<つまりは>村のさう云つたものを〔毎日のやうに<いろいろ>〕見て𢌞るのが仕事で、その日も〔村の小學校に飼つてゐる小鹿を〕
村の小學校の方へ鹿を見に行かうとしてゐたのであるが、そこでそんなものを見付けると、いつもあまり顏を向けないやうにしてゐる家でありながら、その儘そこへ踞まつてしまつた。
〔私には一體それが何といふ獸であるかわからなかつた。ただその獸は非常に臆病で、私はそばへ寄つて行くとぶるぶる身體を震はせて、出來るだけ此方との距離を離さうと向ふの羽目板へ身體を摩りつけてしまふのだつた。身體は<平たくて>黑みがかつた褐色の毛をしてゐる。足は短かくて先には巖丈な爪がついてゐる。身體はあまり大きくない。何といふ動物かわからない。しかし如何にもこれは野獸だなといふ氣が强くするのである。それはその獸の眼だ。力一杯の恐怖wあらはしたその眼は、深山の湖のやうに深く澄み亘つてゐた。それはその動物が如何に人を見知らないかといふことをあらはしてゐた。私がすこしでも足〕
  • 別稿
そ〔の獸〕れは黑みがかつた褐色の毛をした、身體の平たい獸だつた。身體はあまり大きくなく短い足をしてゐて、一見してあまり敏捷な獸ではなささう〔だつた〕に見えた。そして非常に臆病な獸と見えて、わたしがそばへ寄つて行くと、身體を向ふの羽目板へ摩りつけたまま、ぶるぶる此方を見て震へてゐた。しかしこの獸の眼にはなんだか不思議な人を惹きつけるところがあつた。<身體>全體の愚鈍な感じには似ず不思議に淸らかな感じを持つたそれは眼だつた。私はなんとなく純粹な靑年に出會つたやうないい感じがしてその場を離れた。
  • 別稿
力一杯恐怖をあらはしたその眼は、不思議に澄んだ眼だつた。それはその動物が如何に人を見知らないかといふことをあらはしてゐるとともに、〔一種なんとも云へない〕<なんとなく>淸らかな感じを與へた。絕えずその眼を此方から離さず、すこし足をいざらすのにも〔飛びあが}まるで飛び上りさうに慴えるので、此方の方〔で〕から遠慮をしながら見てゐなければならないのだつたが、さうしながらも私の心には、純樸な人間に出合つたやうな淸らかな感じが起つてゐた。
これが私は藪熊を見た最初だつたのだ。私は臆病つていいものだな……(缺)


それからよく私はその獣を見にこちらの方へ散步に出掛けて來た。その頃私は「臆病つていいものだなあ」といふ言葉と「何とかを見たければ藪熊亭の前へ行け」といふ言葉を胸のなかで繰返してゐた記憶がある。これは私がその頃一人で誰とも話相手がなく暮してゐたためで、獨言を云ふといふより、次に誰かと話す機會が來るまでその感動を留めておくためのラツフな表現であつたのだ。
ある日私はその檻のそばにゐたそこの主人とその動物の話をした。
「これは何といふ獸です?」
「これは藪熊つて云ふんでさ。こんなに小さ〔くても〕いけれどこれでも熊ですぜ」
「はあさうですか」
「見て下さい。手だけは本熊だで……」
それまで氣がつかなかつたが、云はれて見るとなるほど短い足の先には巖丈さうな爪がついている。〔私は主人の本熊で〕〔主人のその本熊といふのに危く笑ひさう〕私は主人のユーモラスな云ひ方には笑ひさうになつたが、それが熊の一種であることは〔疑はなかつた〕一先づ主人の云ふことを信じてゐた。ところがこれが違つてゐたのだ。〔しかしそれがわかつたのはずつとあとになつてからだ〕尤もづつママとあとになつてわかつたことだが。
溪に咲いた山櫻がまだすつかり散り切らない頃東京から友人がやつて來た。〔私はその友人を案内して村の中を見て步いたときこの藪熊の前へも連れて來たの〕
散步に出ると私は早速その友人を連れてこの檻の前にやつて來た。ところが何時もであれば私は決してこの神々しいまでに臆病な動物の前へ出る作法を失しないのであるが、そのときは友人と一緒だつたためついがさつな態度をとりたうとう慴り切つた動物を爆發させてしまつた。私は「足だけは本熊だ」といふ條りを説明するために、つい〔指で〕ステツキの先でその方を指したのだ。途端にグワツと耳元の空氣が裂けて私の友人は飛び上つた。藪熊は恐怖のため自分自身を押しつけてゐた最後の陣地から赤い口を一杯に開けてわれわれを威嚇してゐた。
日數がだんだん經つにつれて恐怖に澄んだ藪熊の眼は〔光を失つて〕どんよりして來た。檻のなかには食べ荒された煮肴の骨が何時も皿に殘つてゐて、大低ママの場合藪熊は<そのそばでごろりと轉がつて>寐てゐた。その寐方も、以前その動物〔の淸らかに澄んだ眼を覺えてゐる私には、〕がいい眼をしてゐた頃〔に比べると、〕のことを考へると、妙にいぎたないママ


私はある日また店先にゐた主人に〔その動物がよく〕〔話しかけたが、その話によると〕その動物がよくなれて來たことを話しかけたが、主人は自分の掌を出して私に見せて
「見て下さい。<こんなに>二たとこも此奴に嚙まれ〔まし〕た」と黑くなつた傷痕を見せた。
〔なるほど黑くなつてその傷が殘つてゐる。
なぜそんなに二たとこも嚙まれたのかと〕
どうして嚙まれた<の>か聞くと一度は餌をやるとき一度は藪熊が逃げたとき捕まへに行つて嚙まれたのだといふ。逃げてよく捕まつた〔な〕と云ふと、もうこれで二度も逃げてゐる。どうして捕まへるのだといふと、近所のどこかの穴にゐるからそれを捜して捕まへるのだと如何にも事なげにいふのでそんなものかなあと私は思つた。〔主人はまた行く行くはこの藪熊を博覽會へ出して博覽會を連れて步くんだと云つて、もう此頃《主人》自分に抱かれて餌を食べるやうになつたといふので〕
「一つ此奴を博覽會へ出してやらうと思つ……(缺)


  • 書き直し二編
「だいぶんよく檻に馴れて來ましたな」
〔藪熊亭の主人は<自分の家の>店先をうろうろしてゐるときでも鳥打帽を冠つてゐる。〕
藪熊亭の主人は自分の店先をうろうろするのにも何時も鳥打帽を冠つてゐる。その鳥打帽はまた非常に古風なもので〔縞目の古い半纏着〕〔やはりこの男の何時も着てゐる〕彼の半纏着 それからやはり同じやうに古い眼鏡などとよく調和して……(缺)


ある日また私は店先に出てゐた主人と話をした。
「だいぶん〔よく馴れて來〕よう檻に馴れて來ましたな」
「見て下さい、こんな二たとこも此奴に嚙むまれたで」
主人のさし出す掌を見るとなるほど傷痕が黑くなつて殘つてゐる。聞いて見ると餌をやるときに一囘嚙まれ、藪熊が逃げたとき〔に〕捕まへに行つてもう一度嚙まれたのだといふ。
「逃げた奴がよく捕まりましたな」
「なに。もう二度べえ逃げとるで」
「どうして摑まへるんです」
「いやなに。近所のどこかの穴へはいつとるで、そ奴をとりに行くだで」
そんなものかなあと私は思つてゐた。
〔藪熊亭の主人といふのは着物の上へ半纏を着て實に古風な鳥打〕
〔主人はまたこの動物に手づから餌をやるために苦心をしてゐる〕
〔餌をやるときに嚙まれたといふのも〕……(缺)

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