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夕燒雲

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私は日の暮方を愛した。そして幾度となくその經驗を繰りかへしてゐるうちに、私はいひやうもなく陰氣なことを結論してしまつたのだ。
夕暮が近づいて來て〔晷〕、<日射し>が地上を去つてゆくとき、〔云ふに云はれぬ〕<何ともいへない>靜かな安息が風景におりて來る。その〔不思議〕な氣配は私がどんな閉じママ籠つた部屋にゐるときにでも、どんな書物に讀み耿(耽)つてゐるときにでも、またどんな苦しみに捕へられてゐるときにでも、不思議に私の胸へ忍び入つて來るのだつた。
今だ!よく私はさう思つて身構へした。〔窓を明けて眺めると、日光が立去つたあとの風景は〕そして窓に倚つて外面を眺めるの〔であるが〕に、いつもその感じに誤りはなかつた。
入り交つた光と影に亂されてゐた〔風景は〕窓近くの山は、いまや澄み透つた遠近に浮き出してゐた。私が杉林を愛するのは、〔この時刻があるためだつた。〕<いつもこの時刻に於てである。この時刻だ。>いままでたゞ重なりあつて見えてゐた<その>梢々は、夕暮の空氣のなかでしんしんと竝び立〔つ〕ち、立ち靜つてゐた。この暮方の不思議な氣に感じ、若し私の身が空に流れる蜘蛛のやうに輕くなるなら、それらの穗先穗先を飛び傳〔ひながらどこまでも步いてゆけさうだ、そんなことを私の空想は唆かされた。〕つてどつかの國へまで步いてゆけさう〔だ、と<よく>私の空想〕にそれは見える。
〔どうひてこんな靜けさがこの時刻生まれて來るのか、よく私はさう思つた。しかしいま私はそれを空に起る夕燒雲に結びつけることを躊躇しない。〕
その靜けさのさなかに私は再び愕然とする。今だ!それは地上を遠ざかつてゆく陽が〔空〕いまや〔雲〕空の雲〔を火の色に染めはじめたのである。〕へ屆いた。そこで夕燒を起してゐるのである。
輝やかしい金色は一つの雲に起り、見てゐるうちに次々の雲〔を染め出してゆく。その金色は刻々に入りを深め焔の色に燃えはじめ〕<に移つて行く。〔金色は焔の光に深まり燃えはじめる。〕>何という莊麗ママ。やがて私はその金色が焔の色に染まつて來たのを感じる。〔そして私の心には既に<私の心からは>安靜が去つてゐる。私の眼は〕しかし私が〔それに〕〔一つの雲に〕見入つてゐた〔間に〕わが眼を他の雲に轉じるとき、おゝ隣りの方がずつと立派だつたのだ。私はそれに眼を移す。しかし私がまた眼を移したとき、それよりももつともつと立派な雲はいたるところに〔蜂起〕輝いてゐるではないか。〔おゝ、そして私〕そしてまたそれに氣を呑まれてゐ〔る間に〕た間に、私は最初の雲が既に死灰の色に變じてゐたのを知らなかつた!〔死灰〕燃え盡きた雲のなんといふはかなさ。今までは榮光に輝いた神の軍勢のやうに空を渡つてゐた、それは、〔何といふ變化だらう、死の軍勢のやうではないか。〕<いまや空を蔽つて進む死の軍勢のやう。>若し〔空が〕その夕暮が雨上りかなにかで、空に雲の多いときには、既に夕燒を終つた雲の上にまた夕燒をはじめる雲〔が出て來る〕を見るだらう。そしてほんの僅か〔な時間の〕の間に、空は幾度にも變つた相を呈する。そして〔空がみな漠々とした灰色雲ばかりになつてしまふまで、私の心には何の安靜も與へられなかつたのである!〕それらがみな漠々とした灰色雲に終つてしまふまで、白狀する、私の心にはひとときの安靜も與へられなかつたのである。私はいらいらばかりしてゐた。夕燒を靜かな觀照のなかに見終つたことはない。
夕燒雲に轉身してしまひ度い願……(缺)

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