成吉思汗実録/巻の四

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[120]​チンギス カン ジツロク​​成吉思 汗 實錄​ ​マキ​​卷​​シ​​四​

§127(04:01:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​アルタン​​阿勒壇​ ​クチヤル​​忽察兒​​イ​​言​はしむる​ヂヤムカ​​札木合​のいやみ

 ​アルカイ カツサル​​阿兒孩 合撒兒​​チヤウルカン​​察兀兒罕​ ​フタリ​​二人​​ヂヤムカ​​札木合​​トコロ​​處​​ツカヒ​​使​​ヤ​​遣​りたれば、​ヂヤムカ​​札木合​ ​イ​​言​はく「​アルタン​​阿勒壇​​クチヤル​​忽察兒​ ​フタリ​​二人​​イ​​言​へ」とて、​イ​​言​ひて​ヤ​​遣​るには「​アルタン​​阿勒壇​ ​クチヤル​​忽察兒​​ナンヂラ​​汝等​ ​フタリ​​二人​は、​テムヂン アンダ​​帖木眞 安荅​​ワレ​​我​​フタリ​​二人​​アヒダ​​閒​に、​アンダ​​安荅​​コシノクビレ​​腰窩​​速別額​​サ​​截​​薛赤​して、​アバラボネ​​肋骨​​合必兒合​​ツカ​​攫​​合惕忽​みて、​ナン​​何​​ハナ​​離​れしめたる、​ナンヂラ​​汝等​​アンダ​​安荅​ ​ワレ​​我​ ​フタリ​​二人​​ハナ​​離​れしめず​ヒトトコロ​​一處​​ヲ​​居​​トキ​​時​​テムヂン アンダ​​帖木眞 安荅​​カン​​罕​​ナン​​何​​ナ​​爲​さざりし、​ナンヂラ​​汝等​​イマ​​今​ ​ナニ​​何​​タヾ​​只​ ​コヽロ​​心​​オモ​​思​ひてか​カン​​罕​となしたる、​ナンヂラ​​汝等​​アルタン​​阿勒壇​​クチヤル​​忽察兒​ ​ナンヂラ​​汝等​ ​フタリ​​二人​は、​イ​​言​へる​コトバ​​言​​シタガ​​從​ひ、​アンダ​​安荅​​コヽロ​​心​​ヤス​​安​からしめて、​ワ​​我​​アンダ​​安荅​​ヨ​​善​くも​トモ​​伴​となりて​アタ​​與​へよ」と​イ​​云​ひて​ヤ​​遣​[121]て、


§128(04:02:05)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


盜みしたる​ヂヤムカ​​札木合​の弟の殺︀され

 その​ノチ​​後​ ​ヂヤムカ​​札木合​​オトヽ​​弟​ ​タイチヤル​​台察兒​親征錄 元史​トタイチヤル​​禿台察兒​)は、​ヂヤラマ​​札剌麻​山の名)の​マヘ​​前​なる​オレガイ ブラク​​斡列該 不剌黑​斡列該の泉。親征錄 元史​ユルゲノ イヅミ​​玉律哥 泉​)に​ス​​住​めるに、​ワレラ​​我等​​サアリ ケエル​​撒阿里 客額兒​​ヲ​​居​​ヂユチ ダルマラ​​拙赤 荅兒馬剌​親征錄​シユヂ タルマラ​​搠只 塔兒馬剌​)、(元史 搠只)の​バグン​​馬羣​​ヌス​​盜​みに​ユ​​往​きけり。(

​サアリ​​撒阿里​の原のありか

撒阿里 客額兒は、撒阿里の原にて、親征錄 元史に薩里 川とあり。薩里 河ともあるは、非なり河にはあらず、廣き谷なり。川なれば、谷の義にも用ふ。元史 明宗紀に據るに、天曆 二年 正月、和寧の北に卽位し、三月、潔堅 察罕の地に止まり、五月四日、斡耳罕 水(斡兒桓 河)の東に至り、二十三日、禿忽剌 河(土兀剌 河)の東に至り、六月 十五日、撒里 怯兒の地に至り、二十一日、闊朶傑 阿剌倫に至り、それより南に進みて上都︀に向へり。撒里 怯兒は、卽ち撒阿里 客額兒なり。闊朶傑 阿剌倫は、此書の末に見ゆる闊迭額 阿喇勒にして、客魯嗹 河の中洲なり。西より進みて、闊迭額 島より前に撒阿里 原に至れるを見れば、撒阿里 原は、客魯嗹河の上流の地なるべし。金幼孜の北征錄に「雙泉海︀、卽 撒里 怯兒。元 太祖︀ 發跡之所、舊建宮殿。山川環繞、有二海︀子。西北有三關 口、通飮馬河土拉河」とあり、その宮殿は、卽ち太祖︀紀に薩里川 哈老徒の行宮とある處なれば、二海︀子の一つは、必ず哈老徒の海︀子、今の噶老台の池ならん。​タイチヤル​​台察兒​は、​ヂユチ ダルマラ​​拙赤 荅兒馬剌​​バグン​​馬羣​​ヌス​​盜​みて​ヰ​​率​​サ​​去​りき。​ヂユチ ダルマラ​​拙赤 荅兒馬剌​は、​バグン​​馬羣​​ヌス​​盜​みて​サ​​去​られて、​トモビト​​從者︀​どもに​コヽロ​​心​ ​オク​​臆​せられて、​ヂユチ ダルマラ​​拙赤 荅兒馬剌​のみ​オ​​追​ひて​ユ​​往​きて、​ヨル​​夜​その​バグン​​馬羣​​ホトリ​​邊​​イタ​​到​りて、​オノ​​己​​ウマ​​馬​​タテガミ​​鬛​​ウヘ​​上​​ハラ​​腹​にて​フ​​伏​して​イタ​​到​りて、​タイチヤル​​台察兒​​セボネ​​脊梁​​ヲ​​折​るべく​イ​​射​​コロ​​殺︀​すと、​バグン​​馬羣​​ヒキ​​率​ゐて​キ​​來​ぬ。


§129(04:03:08)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​ダラン バルヂユト​​荅闌 巴勒主惕​の戰

 「​オトヽ​​弟​ ​タイチヤル​​台察兒​​コロ​​殺︀​されたり」とて​ヂヤムカ​​札木合​​カシラ​​頭​となれる​ヂヤダラン​​札荅㘓​は、​ジフサンブ​​十三部​ ​トモ​​伴​なひて、​サンマンニン​​三萬人​となりて、​アラウウト​​阿剌兀兀惕​明譯文は阿剌兀惕)、​トルカウト​​土兒合兀惕​二山の名。親征錄​アラウ トラウ​​阿剌烏 禿剌烏​ ​ニザン​​二山​)に​ヨ​​依​​コ​​越​えて、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​トコロ​​處​​シユツバ​​出馬​して​キ​​來​ぬとて、​イキレス​​亦乞咧思​[122]​ムルケ トタク​​木勒客 脫塔黑​、(親征錄​モゲ​​慕哥​元史 孛禿の傳​モリ トト​​磨里 禿禿​​ボロルダイ​​孛囉勒歹​親征錄​ブロンタイ​​卜欒台​)、(孛禿の傳​ボロンダイ​​波欒歹​​フタリ​​二人​​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​グレルグ​​古咧勒古​​ヲ​​居​​トコロ​​處​​シラセ​​報吿​​オク​​送​​キ​​來​ぬ。この​シラセ​​報吿​​シ​​知​ると、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​は、―​ジフサンダン​​十三團​ありき。(團 は、蒙語 古哩延、その複稱 古哩額惕なり。親征錄に十三翼と譯したるは、支那風に書きたるなり。)―​マタ​​亦​ ​サンマンニン​​三萬人​となりて、​ヂヤムカ​​札木合​​ムカ​​迎​へに​シユツバ​​出馬​して、​ダラン バルヂユト​​荅闌 巴勒主惕​親征錄 元史​ダラン バンジユス ノ ノ​​荅闌 版朱思 之 野​)に​タ​​立​​ア​​合​ひ(對戰し)て、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​は、​ヂヤムカ​​札木合​にそこに​ウゴ​​動​かされ(敗られ)て、​オナン​​斡難︀​​ヂエレネ カブチカイ​​哲咧捏 合卜赤孩​哲咧捏の隘處)に​ノガ​​遁​れたり。

七十鍋の狼の​アツモノ​​羹​

​ヂヤムカ​​札木合​ ​イ​​言​はく「​オナン​​斡難︀​​ヂエレネ​​哲咧捏​​ノガ​​遁​れしめたり、​ワレラ​​我等​」と​イ​​云​ひて​カヘ​​回​​トキ​​時​​チノス​​赤那思​​コ​​子​ら(家の子 一族)を​シチジフ​​七十​​ナベ​​鍋​​ニ​​煮︀​て、​ネウダイ チヤカアン ウワ​​捏兀歹 察合安 兀洼​​カシラ​​頭​​キ​​斬​りて、​ウマ​​馬​​ヲ​​尾​​ヒ​​拖​きて​サ​​去​りき。(赤那思 氏は、喇失惕 額丁に依れば、察剌孩 領忽の二子 堅都︀ 赤那、烏魯克眞 赤那の裔なり。堅都︀ 赤那は牡狼、烏魯克眞 赤那は牝狼の義にして、赤那思は、狼なる赤那の複稱なり。親征錄の撰者︀は、修正 祕史を譯するに當り、赤那思の姓氏なることを知らず、「半途爲七十二竈、烹狼爲食」と譯せり


§130(04:05:08)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


國來の祝︀

 そこに​ヂヤムカ​​札木合​​ソコ​​其處​より​カヘ​​回​らすると、​ウルウト​​兀嚕兀惕​元史 朮赤台の傳​ウルウタイ ウヂ​​兀魯兀台 氏​)の​ヂユルチエダイ​​主兒扯歹​元史 本傳​チユチタイ​​朮赤台​畏荅兒の傳​チユチエダイ​​朮徹帶​)は、​ウルウト​​兀嚕兀惕​親征錄​ウルウ ブ​​兀魯吾 部​)を​ヒキ​​率​ゐ、​モンクト​​忙忽惕​畏荅兒の傳​モング ウヂ​​忙兀 氏​)の​クユルダル​​忽余勒荅兒​朮赤台の傳​クインダル​​忽因荅兒​本傳​ウイダル​​畏荅兒​)は、​モンクト​​忙忽惕​親征錄​モング ブ​​忙兀 部​)を​ヒキ​​率​ゐ、​ヂヤムカ​​札木合​より​ハナ​​離​れて、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​トコロ​​處​​キ​​來​ぬ。​コンゴタン​​晃豁壇​​モンリク エチゲ​​蒙力克 額赤格​蒙力克なる父)は、そこに​ヂヤムカ​​札木合​​トコロ​​處​​ヲ​​居​りて、​モンリク エチゲ​​蒙力克 額赤格​、その​ナヽタリ​​七人​​コ​​子​と、​ヂヤムカ​​札木合​より​ハナ​​離​れて、そこに[123]​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​ア​​合​ひに​キ​​來​ぬ。​ヂヤムカ​​札木合​より​コレラ​​此等​​タミ​​民​ ​キ​​來​ぬとて、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​は、​オノ​​己​​トコロ​​處​​クニ​​國​ ​キ​​來​ぬと​ヨロコ​​喜​びて、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​は、​ホエルン ウヂン​​訶額侖 兀眞​​カツサル​​合撒兒​​ヂユルキン​​主兒勤​​サチヤ ベキ​​撒察 別乞​​タイチユ​​泰出​らと​トモ​​共​に、「​オナン​​斡難︀​​ハヤシ​​林​​ウチ​​裏​​ウタゲ​​筵會​せん」と​イ​​云​​ア​​合​ひて​ウタゲ​​筵會​したるに、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​に、​ホエルン ウヂン​​訶額侖 兀眞​に、​カツサル​​合撒兒​に、​サチヤ ベキ​​撒察 別乞​〈[#「撒察 別乞」は底本では「撒察別乞」。直前の「撒察 別乞」に倣い名前の区切りを追加]〉になど​ハジメ​​首​として​ヒト​​一​つの​ミカ​​甕​馬乳酒を入るゝ革の嚢)を​カタム​​傾​けけり。​マタ​​又​ ​サチヤ ベキ​​撒察 別乞​​ワカ​​少​​ハヽ​​母​莎兒合禿 主兒乞 の妾、撒察 別乞の生母​エベガイ​​額別該​親征錄 元史​セチエ ベギ​​薛徹 別吉​​ジボ​​次母​ ​エベガイ​​野別該​)を​ハジメ​​首​として​ヒト​​一​つの​ミカ​​甕​​カタム​​傾​けたる​ユヱ​​故​に、​ゴリヂン カトン​​豁哩眞 合屯​​クウルチン カトン​​忽兀兒臣 合屯​莎兒合禿 主兒乞の二妃。親征錄 元史​フルヂン​​忽兒眞​ ​ホリヂン​​火里眞​ ​ニ​​二​​ハトン​​哈敦​

​ヂユルキン​​主兒勤​の二妃の怒

​フタリ​​二女​​ワレ​​我​​ハジメ​​首​とせず、​エベガイ​​額別該​​ハジメ​​首​として​ナン​​何​​カタム​​傾​けたる」と​イ​​云​ひ、​カシハデ​​厨官​ ​シキウル​​失乞兀兒​親征錄 元史​シユゼンシヤ​​主膳者︀​ ​シキウル​​失丘兒​)を​ウ​​打​ちけり。​ウ​​打​たれて​カシハデ​​厨官​ ​シキウル​​失乞兀兒​ ​イ​​言​はく「​エスガイ バアドル​​也速該 巴阿都︀兒​​ネクン タイシ​​捏坤 太石​ ​フタリ​​二人​ ​シ​​死​にたる​ユヱ​​故​に、かく​ワ​​我​​ウ​​打​たれたるはいかに」と​イ​​云​ひて、​オホゴヱ​​大聲​にて​ナ​​哭​きけり。


§131(04:08:04)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​ブリ​​不哩​に肩​キ​​斫​らるゝ​ベルグタイ​​別勒古台​

 その​エンセキ​​筵席​を、​ワレラ​​我等​よりは​ベルグタイ​​別勒古台​ ​セイヂ​​整治​し、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​センバ​​騸馬​​ト​​執​りて​タ​​立​​ヲ​​居​りき。​ヂユルキン​​主兒勤​よりは​ブリ ボコ​​不哩 孛闊​親征錄 元史​ボリ​​播里​)その​エンセキ​​筵席​​セイヂ​​整治​​ヲ​​居​りき。​ワレラ​​我等​​ウマヨセバ​​聚馬處​より(蒙語​キルエス​​乞魯額思​親征錄 元史​キレス​​乞列思​錄は禁外 繋馬所と注し、史は野外 牧場と注せり。​カタキン​​合塔斤​〈[#ルビの「カタキン」はママ。他の節︀ではすべて「カタギン」。昭和18年復刻版も同じ]〉の人 ​タヅナカハ​​韁皮​​ヌス​​盜​みたるに、​ヌスビト​​盜人​​トラ​​拏​へき。​ブリ ボコ​​不哩 孛闊​その​ヒト​​人​​カバ​​回護​ひて、​ベルグタイ​​別勒古台​​ツネ​​常​​ゴト​​如​​ウ​​搏​​ア​​合​ふに、​ミギ​​右​​ソデ​​袖​​ヌ​​脫​[124]​アカハダ​​赤膚​にて​ユ​​行​きたりき。かく​ヌ​​脫​ぎたるその​アカハダ​​赤膚​​カタ​​肩​を、​ブリ ボコ​​不哩 孛闊​​クワンタウ​​環刀​にて​サ​​劈​くべく​キ​​斫​り(斫り劈き)けり。​ベルグタイ​​別勒古台​かく​キ​​斫​られたれども、​ナニ​​何​ともなさず​アラソ​​爭​はず、​チ​​血​​ナガ​​流​して​ユ​​行​くを、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​コカゲ​​木蔭​​ヰ​​居​て、​エンセキ​​筵席​​ウチ​​內​より​ミ​​見​て、​イ​​出​でて​キ​​來​​イ​​言​はく「​ナン​​何​ぞ かく​ナ​​爲​されたりし、​ワレラ​​我等​」と​イ​​云​へるに、​ベルグタイ​​別勒古台​ ​イ​​言​はく「​キズ​​傷​​イマダ​​未​なりき。​ワ​​我​​ユヱ​​故​​アニオトヽ​​兄弟​​ナカワロ​​中惡​​ナ​​爲​​ア​​合​はんや。​ワレ​​我​​サシツカ​​差支​へず。​ワレ​​我​​ヤヽ​​稍​ ​ヨ​​好​くあり。​アニオトヽ​​兄弟​​ワヅカ​​纔​​ナ​​慣​​ア​​合​​ヲ​​居​​トキ​​時​​アニ​​兄​やめよ。​シバラ​​暫​​タ​​立​ちとまれ」と​イ​​云​へり。


§132(04:10:04)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​チンギス カン​​成吉思 汗​の棒打

 ​チンギス カガン​​成吉思 合罕​は、​ベルグタイ​​別勒古台​かく​スヽ​​勸​むれども​キ​​肯​かず、​キ​​木​​エダ​​枝​​ヲ​​折​るべく​ヒ​​引​き(引き折り)て、​カハヲケ​​皮桶​​カキマハシボウ​​撞乳棒​​ヌ​​抽​きだして​ト​​執​りて、​ウ​​打​​ア​​合​ひて、​ヂユルキン​​主兒勤​​カ​​勝​ちて、​ゴリヂン カトン​​豁哩眞 合屯​​クウルチン カトン​​忽兀兒臣 合屯​ ​フタリ​​二女​​ウバ​​奪​ひて​ト​​取​れり。​カヘツ​​却​​カレラ​​彼等​に「​ムツ​​睦​​ア​​合​はん」と​イ​​云​はれて、​ゴリヂン カトン​​豁哩眞 合屯​​クウルチン カトン​​忽兀兒臣 合屯​ ​フタリ​​二女​​カヘ​​還​して、​ムツ​​睦​​ア​​合​はんとて​ツカヒ​​使​​ア​​合​ひて​ヲ​​居​​トキ​​時​に、​キタト​​乞塔惕​​タミ​​民​​アルタン カン​​阿勒壇 罕​金の章宗 皇帝)は、

​カンガン ジヨウ​​完顏 襄​​タタル​​塔塔兒​征伐

〈[#「完顏 襄」は底本では「完顏襄」で姓名の単語区切りなし。]〉​タタル​​塔塔兒​​メグヂン セウルト​​篾古眞 薛无勒圖​親征錄 元史​メウヂン セウリト​​篾兀眞 笑里徒​​ラ​​等​に、その​メイ​​命​​シタガ​​從​はれず、​ワンキン シヤウジヤウ​​王京 丞相​王金は、金の國姓なる完顏の轉。金史 列傳の內族 襄 卽ち 右丞相 完顏 襄)に「​イクサ​​軍​​トヽノ​​整​へて​ナ​​勿​ ​タメラ​​踞踏​ひそ、​スナハ​​便​ち」と​イ​​言​ひて​ヤ​​遣​りき。(金史の紀傳を見るに、この役は、金の章宗 承安 元年 丙辰の歲にあり。我が後鳥羽︀ 天皇 建久 七年、宋の寧宗 慶元 二年、西紀 一一九六年、成吉思 汗 三十五歲の時なり。)「​ワンキン シヤウジヤウ​​王京 丞相​は、​メグヂン セウルト​​篾古眞 薛兀勒圖​​カシラ​​頭​たる​タタル​​塔塔兒​を、​ウルヂヤ ガハ​​兀勒札 河​金史 內族 襄の傳​オリヂヤ ガハ​​斡里札 河​今の烏爾匝 河、また 烏爾載 河)に​サカノボ​​泝​り、​バグン​​馬羣​ ​リヤウシヨク​​糧食​ごめに[125]​オイマク​​追捲​りて​キ​​來​ぬ」とて​ウハサ​​噂​​シ​​知​れり。その​ウハサ​​噂​​シ​​知​ると、


§133(04:11:10)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​チンギス カン​​成吉思 汗​ ​ワンカン​​王罕​​タタル​​塔塔兒​​ハサ​​夾​み攻め

 ​チンギス カガン​​成吉思 合罕​ ​イ​​言​はく「​サキ​​前​​ヒ​​日​より​タタル​​塔塔兒​​タミ​​民​は、​ミオヤ​​御祖︀​なる​チヽ​​父​​ウシナ​​失​ひたる​アタ​​讎​ある​タミ​​民​なりき。​イマ​​今​この​キクワイ​​機會​​チカラ​​力​ ​ア​​合​はせん(金の軍と夾み攻めん)、​ワレラ​​我等​」と​イ​​云​ひて、​トオリル カン​​脫斡哩勒 罕​​トコロ​​處​に「​アルタン カン​​阿勒壇 罕​​ワンキン シヤウジヤウ​​王京 丞相​は、​タタル​​塔塔兒​​メグヂン セウルト​​篾古眞 薛兀勒圖​​カシラ​​頭​たる​タタル​​塔塔兒​​ウルヂヤ ガハ​​兀勒札 河​​サカノボ​​泝​​オイマク​​追捲​りて​キ​​來​ぬと​イ​​云​へり。​ワレラ​​我等​​ミオヤ​​御祖︀​なる​チヽ​​父​​ウシナ​​失​ひたる​タタル​​塔塔兒​​ハサ​​夾​​セ​​攻​めん、​ワレラ​​我等​​トオリル カン エチゲ​​脫斡哩勒 罕 額赤格​ ​ト​​疾​​コ​​來​よ」とて、この​デンゴン​​傳言​​イタ​​致​しに使を​ヤ​​遣​りぬ。この​デンゴン​​傳言​​イタ​​致​さるゝと​トオリル カン​​脫斡哩勒 罕​ ​イ​​言​はく「​ワ​​我​​コ​​子​​ジヨブ​​勺卜​丁度善し、善き機會なり)と​イ​​言​ひておこせたり。​チカラ​​力​ ​ア​​合​はせん、​ワレラ​​我等​」と​イ​​云​ひて、​ダイサン​​第三​​ヒ​​日​​イクサビト​​軍士​​アツ​​聚​めて​イクサ​​軍​​オコ​​起​して、​トオリル カン​​脫斡哩勒 罕​は、​スミヤカ​​速​​オモム​​赴​きて、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​トオリル カン​​脫斡哩勒 罕​ ​フタリ​​二人​は、​ヂユルキン​​主兒勤​​サチヤ ベキ​​撒察 別乞​​タイチユ​​泰出​​カシラ​​頭​たる​ヂユルキン​​主兒勤​親征錄​ユルキン​​月兒斤​)に​イ​​言​ひて​ヤ​​遣​るに「​サキ​​前​​ヒ​​日​より​ワレラ​​我等​​ミオヤ​​御祖︀​なる​チヽ​​父​​ウシナ​​失​ひたる​タタル​​塔塔兒​​イマ​​今​この​キクワイ​​機會​​ハサ​​夾​​セ​​攻​めん。​モロトモ​​諸︀共​​シユツバ​​出馬​せん」と​イ​​云​ひて​ヤ​​遣​りぬ。​ヂユルキン​​主兒勤​​コ​​來​らるゝことを​ムユカ​​六日​ ​マ​​待​ちて[​マ​​待​ち]かねて、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​トオリル カン​​脫斡哩勒 罕​ ​フタリ​​二人​​モロトモ​​諸︀共​​イクサ​​軍​​オコ​​起​して、​ウルヂヤ​​兀勒札​​シタガ​​沿​ひ、​ワンキン シヤウジヤウ​​王京 丞相​​チカラ​​力​ ​ア​​合​はせに​キ​​來​つる​トキ​​時​​ウルヂヤ​​兀勒札​​クスト シトエン​​忽速禿 失禿延​〈[#「忽速禿 失禿延」は底本では「忽速禿失禿延」。白鳥庫吉訳「音訳蒙文元朝秘史」§133(04:13:09)の漢︀字音訳「忽速禿-失禿延」に倣い二語に分割]〉​ナラト シトエン​​納喇禿 失禿延​〈[#「納喇禿 失禿延」は底本では「納喇禿失禿延」。白鳥庫吉訳「音訳蒙文元朝秘史」§133(04:13:09~10)の漢︀字音訳「納喇禿-失禿額捏」に倣い二語に分割]〉親征錄、納剌禿 失圖、忽速禿失圖 之 野)に​タタル​​塔塔兒​​メグヂン​​篾古眞​​カシラ​​頭​たる​タタル​​塔塔兒​は、そこに​トリデ​​寨​​ヨ​​據​りき。[126]​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​トオリル カン​​脫斡哩勒 罕​ ​フタリ​​二人​ は、かく​タテコモ​​楯籠​れる​メグヂン セウルト​​篾古眞 薛兀勒圖​をその​トリデ​​寨​より​トラ​​拏​へて、​メグヂン セウルト​​篾古眞 薛兀勒圖​をそこに​コロ​​殺︀​して、​カレ​​彼​​シロカネ​​銀​​ウバグルマ​​繃車​​トウシユ​​東珠​ある​フスマ​​衾​​チンギス カガン​​成吉思 合罕​そこに​ト​​取​りき。


§134(04:15:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​ヂヤウトクリ​​札兀惕忽哩​の官 ​ワンカン​​王罕​​ガウ​​號​

 ​メグヂン セウルト​​篾古眞 薛兀勒圖​​コロ​​殺︀​したりとて、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​トオリル カン​​脫斡哩勒 罕​ ​フタリ​​二人​、(この二人の名は、上の篾古眞の上 又は下の篾古眞の上にあるべきに似たり。​ワンキン シヤウジヤウ​​王京 丞相​は、​メグヂン セウルト​​篾古眞 薛兀勒圖​​コロ​​殺︀​しけりと​シ​​知​ると、​イタ​​甚​​ヨロコ​​喜​びて、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​ヂヤウトクリ​​札兀惕忽哩​​ナ​​名​​アタ​​與​へたり。(親征錄 元史​チヤウクル​​察兀忽魯​札兀惕は、百なる札溫の複稱なり。忽哩は、聚むる と云ふ 忽哩牙、聚會と云ふ忽喇勒などの語根なれば、牧長の義あるべし。然らば札兀惕 忽哩は。百戶の長の譯語ならんか。​ケレイト​​客咧亦惕​​トオリル​​脫斡哩勒​​ワン​​王​​ナ​​名​をそこに​アタ​​與​へたり。​ワンカン​​王罕​​ナ​​名​は、​ワンキン シヤウジヤウ​​王京 丞相​​ナ​​名​づけたるに​ヨ​​依​り、その​トキ​​時​より​ナ​​爲​れり、​ワンキン シヤウジヤウ​​王京 丞相​ ​イ​​言​はく「​メグヂン セウルト​​篾古眞 薛兀勒圖​​ナンヂラ​​汝等​​チカラ​​力​ ​ア​​合​はせて​コロ​​殺︀​したるは、​アルタン カン​​阿勒壇 罕​​イト​​最​ ​オホ​​大​きなる​タスケ​​助​​ナ​​爲​せり、​ナンヂラ​​汝等​​ナンヂラ​​汝等​​コ​​此​​タスケ​​助​​アルタン カン​​阿勒壇 罕​​マウ​​奏​​ア​​上​げん、​ワレ​​我​​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​コレ​​此​より​オホ​​大​きなる​ナ​​名​​クハ​​加​ふることを、​セウタウ​​招討​​ナ​​名​​アタ​​與​ふることを、​アルタン カン​​阿勒壇 罕​ ​シロ​​知​しめさん」と​イ​​云​へり。​ワンキン シヤウジヤウ​​王京 丞相​は、そこよりかく​ヨロコ​​喜​びて​シリゾ​​退​けり。​チンギス カガン​​成吉思 合罕​ ​ワンカン​​王罕​ ​フタリ​​二人​は、そこに​タタル​​塔塔兒​​トラ​​虜︀​へて​ワカ​​分​​ア​​合​ひて​ト​​取​​ア​​合​ひて、​イヘイヘ​​家家​​カヘ​​回​りて​ゲバ​​下馬​せり。


§135(04:16:10)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​タタル​​塔塔兒​​トリデ​​寨​​ノコ​​遺​れる​ヲサナゴ​​幼兒​ ​シキケン クドク​​失乞刊 忽都︀忽​

 ​タタル​​塔塔兒​​タテコモ​​楯籠​れる​ナラト シトエン​​納喇禿 失禿延​〈[#「納喇禿 失禿延」は底本では「納喇禿失禿延」。白鳥庫吉訳「音訳蒙文元朝秘史」§135(04:16:10)の漢︀字音訳「納喇禿-失禿額捏」に倣い二語に分割]〉​オロ​​下​したる​イヘヰ​​營盤​​ウチ​​內​[127]​カス​​掠​むる​トキ​​時​​ヒトリ​​一人​​チヒサ​​小​​ヲサナゴ​​幼兒​​ス​​棄​てたるを​ワレラ​​我等​​イクサビト​​軍士​ども​イヘヰ​​營盤​より​エ​​得​けり。​コガネ​​金​​ワ​​環​​ハナワ​​鼻環​ある、​キンシ​​金絲​​ヌノ​​布​​テウソ​​貂鼠​にて​ウラヅ​​裏附​けたる​ハラガケ​​腹掛​ある​チヒサ​​小​​ヲサナゴ​​幼兒​​ツ​​伴​​キ​​來​て、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​は、​ホエルン エケ​​訶額侖 額客​​キフジ​​給事​にとて​アタ​​與​へたり。​ホエルン エケ​​訶額侖 額客​ ​イ​​言​はく「​ヨ​​好​​ヒト​​人​​コ​​子​なるぞ。​イヘスヂ​​家系​ ​ヨ​​善​​ヒト​​人​​タネ​​胤​なるぞ。​イツタリ​​五人​​コ​​子​には​オトヽ​​弟​​ダイロク​​第六​にて​コ​​子​となさん。」​シキケン クドク​​失乞刊 忽都︀忽​​ナ​​名​づけて​ハヽ​​母​ ​ヤシナ​​育​へり。(後の文には失吉 忽禿忽とありて、刊の字なし。親征錄 元史に、忽都︀忽、元史 太宗紀に胡土虎ともあり。


§136(04:18:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​ヂユルキン​​主兒勤​の殺︀掠を聞ける​チンギス カン​​成吉思 汗​の怒

 ​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​ラウエイ​​老營​は、​ハリルト ナウル​​哈哩勒禿 納兀兒​​ア​​在​りき。(哈哩勒禿 湖 親征錄​ハレントタク​​哈連徒澤​露西亞の地圖に、克魯倫 河の南流の東に折るゝ處より西南に當り、哈里隆︀ 湖あり。露國 東方 經營 圖には、哈里隆︀ 湖なく、それより東に倚りて、ハラリオル泊あり。哈哩勒禿 湖は、この二湖の內なるべし。​ラウエイ​​老營​​ノコ​​殘​れる​モノ​​者︀​を、​ヂユルキン​​主兒勤​は、​ゴジフ​​五十​​ヒト​​人​​キモノ​​衣服​​ハ​​剝​ぎけり。​トヲ​​十​​ヒト​​人​​コロ​​殺︀​しけり。「​ヂユルキン​​主兒勤​​シカ​​然​ ​ナ​​爲​されたり」とて、​ワレラ​​我等​​ラウエイ​​老營​​ノコ​​殘​れる​モノ​​者︀​ども、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​ツ​​吿​げたれば、この​シラセ​​報吿​​キ​​聽​くと、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​ ​イタ​​甚​​イカ​​怒​りて​イ​​言​はく「​ヂユルキン​​主兒勤​にいかでか かく​ナ​​爲​されたりし、​ワレラ​​我等​​オナン​​斡難︀​​ハヤシ​​林​​ウタゲ​​筵會​せる​トキ​​時​​カシハデ​​厨官​ ​シキウル​​失乞兀兒​をも​カレラ​​彼等​ ​ウ​​打​ちたり。​ベルグタイ​​別勒古台​​カタ​​肩​をも​カレラ​​彼等​ ​キ​​斫​りたり。​ムツ​​睦​​ア​​合​はんと​イ​​云​はれて、​ゴリヂン カトン​​豁哩眞 合屯​​クウルチン​​忽兀兒臣​ ​フタリ​​二女​​カヘ​​還​して​アタ​​與​へたり、​ワレラ​​我等​。その​ノチ​​後​ ​サキ​​曩​​アタ​​讎​あり​ウラミ​​怨​ある​ワレラ​​我等​​ミオヤ​​御祖︀​なる​チヽ​​父​​ウシナ​​失​ひたる​タタル​​塔塔兒​​ハサミゼメ​​夾攻​​シユツバ​​出馬​せんとて、​ヂユルキン​​主兒勤​​ムユカ​​六日​ ​マ​​待​ちても​コ​​來​られざりき。​イマ​​今​ ​マタ​​又​ ​テキ​​敵​​ヨ​​倚​り、​テキ​​敵​​カレラ​​彼等​​ナ​​爲​[128]れり」と​イ​​云​ひて、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​は、​ヂユルキン​​主兒勤​​トコロ​​處​​シユツバ​​出馬​せり。​ヂユルキン​​主兒勤​を、​ケルレン​​客魯嗹​​コドエ アラル​​闊朶額 阿喇勒​​ドロアン ボルダウト​​朶羅安 孛勒荅兀惕​​ヲ​​居​​カレラ​​彼等​​タミ​​民​​トラ​​虜︀​へたり。(闊朶額 洲は、卷十五〈[#「卷十五」はママ。昭和18年復刻版も同じ。実際には底本の卷十二]〉に闊迭兀 阿喇勒とも闊迭額 阿喇勒ともあり。朶羅安は七つ、孛勒荅兀惕は孤山なる孛勒荅黑の複稱にして、七つ岡なり。親征錄​ドロン ボンダ サン​​朶欒 盤陀 山​卷十五〈[#「卷十五」はママ。昭和18年復刻版も同じ。実際には底本の卷十二]〉の末に、朶羅安 孛勒荅黑とあり。撤阿里 原の東南に當れる客魯嗹の河中島の小山にして、後に成吉思 汗の大斡兒朶の設けられたる處なり。​サチヤ ベキ​​撒察 別乞​​タイチユ​​泰出​ ​フタリ​​二人​は、​ワヅカ​​僅​​ミ​​身​​ノガ​​遁​れたり。

​サチヤ​​撒察​ ​タイチユ​​泰出​の捕り殺︀され

​カレラ​​彼等​​シリヘ​​後​より​オソ​​襲​ひて、​テレゲト アマサル​​帖列格禿 阿馬撒兒​に(帖列格禿の口。親征錄 帖列徒 之 隘、元史 帖烈徒 之 隘。露西亞の地圖に、車臣汗の駐牧地より一度ほど南に當り、租里格圖と云ふ處ありて、內蒙古に往く路に當れるは、帖列格禿の轉なるに似たり。​ハ​​馳​​イタ​​至​りて、​サチヤ ベキ​​撒察 別乞​​タイチユ​​泰出​ ​フタリ​​二人​​トラ​​拏​へたり。​トラ​​拏​へて、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​は、​サチヤ​​撒察​​タイチユ​​泰出​ ​フタリ​​二人​​イ​​言​へらく「​サキ​​前​​ヒ​​日​ ​ワレラ​​我等​​ナニ​​何​​イ​​言​​ア​​合​ひしか」と​イ​​云​はれて、​サチヤ​​撒察​​タイチユ​​泰出​ ​フタリ​​二人​ ​イ​​言​はく「​イ​​言​へる​コトバ​​言​​ワレラ​​我等​​シタガ​​従​はざりき。​ワレラ​​我等​​コトバ​​言​​シタガ​​從​はしめよ」と​イ​​云​ひて、その​コトバ​​言​​シ​​知​らせて、​マカ​​任​せ(頸を伸べ)て​アタ​​與​へたり。​カレラ​​彼等​​コトバ​​言​​シ​​知​らせられて、​カレラ​​彼等​​イ​​言​​シタガ​​従​はしむべく​カタヅ​​片付​け(殺︀し)て、​スグ​​直​​ソコ​​其處​​ス​​棄​てたり。(前日の言とは、成吉思 汗を立てたる時の盟の言を云へるなり。


§137(04:21:07)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​ヂヤライル​​札剌亦兒​の人 ​ムカリ​​模合里​ 等の降附

 ​サチヤ​​撒察​ ​タイチユ​​泰出​ ​フタリ​​二人​​カタヅ​​片付​くると、​カヘ​​回​りて​キ​​來​て、​ヂユルキン​​主兒勤​​タミ​​民​​ウゴ​​動​かする​トキ​​時​​ヂヤライル​​札剌亦兒​​テレゲト バヤン​​帖別格禿 伯顏​帖別格禿の長者︀)の​コ​​子​ ​グウングア​​古溫兀阿​元史 木華黎の傳​コンウンクワ​​孔溫窟哇​)、​チラウン カイチ​​赤剌溫 孩赤​元史 忙哥撒兒の傳​チラウン カイチ​​赤老溫 愷赤​)、​ヂエブケ​​者︀卜客​ ​ミタリ​​三人​は、その​ヂユルキン​​主兒勤​​トコロ​​處​​ヲ​​居​りき。​グウングア​​古溫兀阿​は、​ムカリ​​模合里​親征錄 元史​ムホアリ​​木華黎​)、​ブカ​​不合​蒙韃 備錄​ムカ​​抹歌​)なる​フタリ​​二人​​コヅ​​子伴​れにて[129]​マミ​​見​えて​イ​​言​はく「​ナムチ​​爾​​トグチ​​戶口​​孛莎合​​ヤツコ​​奴​​孛斡勒​となさん。​ナムチ​​爾​​トグチ​​戶口​​孛莎合​より​ニゲマハ​​逃廻​​不勒只​らば、​カレ​​彼​​アシノスヂ​​脚筋​​孛兒必​​キ​​斷​れ。​ナムチ​​爾​​カド​​門​​額兀顚​​キンジユ​​近習​​奄出​​ヤツコ​​奴​となさん。​ナムチ​​爾​​カド​​門​​額兀顚​より​ハナ​​離​​赫亦魯​れば、​カレ​​彼​​カン​​肝​​額里格惕​​サ​​割​​額惕客​きて​ス​​棄​てよ」と​イ​​云​ひて​アタ​​與​へたり。​チラウン カイチ​​赤剌溫 孩赤​も、​トンゲ​​統格​​カシ​​合失​なる​フタリ​​二人​​コ​​子​​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​マミ​​見​え[しめ]て​イ​​言​はく「​ナムチ​​爾​​コガネ​​金​​阿勒壇​​トグチ​​戶口​​マモ​​守​りて​ヰ​​居​​阿禿孩​よとて​タテマツ​​奉​れり、​ワレ​​我​​ナムチ​​爾​​コガネ​​金​​阿勒壇​​トグチ​​戶口​より​ホカ​​外​​昻吉荅​​サ​​去​らば、​カレ​​彼​​イノチ​​命​​阿米​​タ​​絕​ちて​ス​​棄​てよ。​ナムチ​​爾​​ヒロ​​寬​​斡兒堅​​カド​​門​​モタ​​擡​げて​ア​​上​​斡克​げよ(擡ぐる事をして上げよ)とて​タテマツ​​奉​​斡克​れり、​ワレ​​我​​ナムチ​​爾​​ヒロ​​寬​​カド​​門​​斡兒堅​より​ソト​​外​​斡額咧​​サ​​去​​斡都︀​らば、​カレ​​彼​​シンザウ​​心臟​​斡咧​​フ​​蹈​みて​ス​​棄​てよ」と​イ​​云​へり。​ヂエブケ​​者︀卜客​をば、​カツサル​​合撒兒​​アタ​​與​へたり。

​ヂユルキン​​主兒勤​〈[#「主兒勤」は底本では「主兒勒」]〉の家より得たる​ヲサナゴ​​幼兒​ ​ボロウル​​孛囉兀勒​

​ヂエブケ​​者︀卜客​は、​ヂユルキン​​主兒勤​​イヘヰ​​營盤​より​ボロウル​​孛囉兀勒​親征錄 元史​ボロフン​​博羅渾​元史 本傳​ボルフ​​博爾忽​)と​イ​​云​へる​チヒサ​​小​​オサナゴ​​幼兒​​ツ​​伴​​キ​​來​て、​ホエルン エケ​​訶額侖 額客​​マミ​​見​ゆべく​アタ​​與​へたり。


§138(04:24:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​ホエルン​​訶額侖​の養子 四人

 ​ホエルン エケ​​訶額侖 額客​は、​メルキト​​篾兒乞惕​​イヘヰ​​營盤​より​エ​​得​られたる​グチユ​​古出​卷三の曲出)と​イ​​云​​ヲサナゴ​​幼兒​を、​タイチウト​​泰赤兀惕​​ウチ​​內​なる​ベスト​​別速惕​​イヘヰ​​營盤​より​エ​​得​られたる​ココチユ​​闊闊出​​イ​​云​​ヲサナゴ​​幼兒​を、​タタル​​塔塔兒​​イヘヰ​​營盤​より​エ​​得​られたる​シキケン クトク​​失吉刊 忽禿忽​​イ​​云​​ヲサナゴ​​幼兒​を、​ヂユルキン​​主兒勤​​イヘヰ​​營盤​より​エ​​得​られたる​ボロウル​​孛囉兀勒​​イ​​云​​ヲサナゴ​​幼兒​を、この​ヨタリ​​四人​​イヘ​​家​​ウチ​​內​​ヤシナ​​養​ふに、​ホエルン エケ​​訶額侖 額客​は、「​コ​​子​ども[の​タメ​​爲​]に、​ヒル​​晝​​兀都︀兒​​ミ​​視︀​​兀者︀​​メ​​目​​ヨル​​夜​​雪泥​​キ​​聽​​莎那思​​ノミ​​耳​​タレ​​誰​​ナ​​爲​らしめんか」とて、​イヘ​​家​​ウチ​​內​​ヤシナ​​養​へり。[130]


§139(04:25:03)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​ヂユルキン​​主兒勤​の民の​コトノモト​​緣由​

 この​ヂユルキン​​主兒勤​​タミ​​民​​コトノモト​​緣由​​ヂユルキン​​主兒勤​​ナ​​爲​るには、​カブル カン​​合不勒 罕​​ナヽタリ​​七人​​コ​​子​​オホアニ​​大兄​ ​オキン バラカク​​斡勤 巴喇合黑​ありき。​ソ​​其​​コ​​子​ ​シヨルカト ヂユルキ​​莎兒合禿 主兒乞​ありき。​ヂユルキン​​主兒勤​となるには、​カブル カン​​合不勒 罕​​コ​​子​どもの​アニ​​兄​​イ​​云​ひて、その​タミ​​民​​亦兒堅​​ウチ​​中​より​エラ​​擇​びて、​カン​​肝​はら)に​キモ​​膽​ある、​オホユビ​​拇指​​赫咧該​にて​ヨ​​善​​イ​​射​る、​ハイ​​肺​​阿兀失吉​ ​ミ​​滿​つる​ムネ​​心​ある(胸に肺の滿ちたる)、​クチ​​口​​阿蠻​ ​ミ​​滿​つる(大聲を發する​ガウイ​​剛氣​ある、​ヲトコ​​男​​額咧​ごとに​ギノウ​​技能​​額兒迭木惕​ある、​タケ​​猛​​キリヨク​​氣力​あるを​エラ​​擇​びて、​アタ​​與​へて、​ガウキ​​剛氣​あり​キモ​​膽​あり​ユウ​​勇​あり​サカ​​抗​​モノ​​者︀​ ​ナ​​無​き(蒙語​ヂユルキメス​​拙兒乞篾思​)、(明譯​タヾ​​但​​アレバ​​有​​ユクトコロ​​去處​​ミナセメヤブリ​​皆攻破​​ナキ​​無​​ヒトノヨクテキスル​​人能敵​)が​ユヱ​​故​​ヂユルキン​​主兒勤​​イ​​云​はれたる​コトノモト​​緣由​かくあり。かゝる​ユウ​​勇​ある​タミ​​民​​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​マツロ​​降服​はせて、​ヂユルキン​​主兒勤​ ​ウヂ​​姓​ある​モノ​​者︀​​ホロボ​​滅​せり。​カレラ​​彼等​​タミ​​民​​ブラク​​部落​を、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​は、​オノ​​己​​ヂツキン​​昵近​​タミ​​民​となしたり。


§140(04:26:09)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​ベルグタイ​​別勒古台​に殺︀さるゝ​ブリ ボコ​​不哩 孛可​

 ​チンギス カガン​​成吉思 合罕​は、​ヒトヒ​​一日​ ​ブリ ボコ​​不哩 孛可​、(前の不哩 孛闊​ベルグタイ​​別勒古台​ ​フタリ​​二人​に「​ウ​​搏​​ア​​合​はしめん(相撲 取らせん)」と​イ​​云​へり[​サキ​​先​に]​ブリ ボコ​​不哩 孛可​は、​ヂユルキン​​主兒勤​​トコロ​​處​​ヰ​​居​たりき。​ブリ ボコ​​不哩 孛可​は、​ベルグタイ​​別勒古台​​カタテ​​片手​にて​トラ​​拏​へて​カタアシ​​片足​にて​ハ​​撥​ねて​タフ​​倒​して​ウゴ​​動​かせず​オシツ​​壓着​けたりき。​ブリ ボコ​​不哩 孛可​は、​クニ​​國​​ボコ​​孛可​力士)。そこに​ベルグタイ​​別勒古台​​ブリ ボコ​​不哩 字可​ ​フタリ​​二人​​スマヒ​​相撲​せしめたり。​ブリ ボコ​​不哩 孛可​は、​カ​​勝​たれざる人[なれども、​コトサラ​​殊更​に]​タフ​​倒​れて​アタ​​與​へたり。​ベルグタイ​​別勒古台​は、​オシツ​​壓着​けかね、​カタ​​肩​ ​ト​​把​りて、​シリ​​臀​​ウヘ​​上​​ノボ​​上​りて、​ベルグタイ​​別勒古台​ ​カヘリ​​顧​みて、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​ミ​​見​れば、​カガン​​合罕​​シタクチビル​​下脣​​カ​​咬​めり。​ベルグタイ​​別勒古台​ ​サト​​悟​​エ​​得​て、​カレ​​彼​​ウヘ​​上​[131]​ウマノリ​​馬乘​して、​カレ​​彼​​フタ​​二​つの​エリ​​領​​マジ​​交​​オサ​​扼​へて、​カレ​​彼​​セボネ​​脊梁​​ヒザ​​膝​​ス​​据​ゑて​ヲ​​折​りて​ヤ​​遣​りたり。​ブリ ボコ​​不哩 孛可​は、​セボネ​​脊梁​​ヲ​​折​られて​イ​​言​はく「​ベルグタイ​​別勒古台​​カ​​勝​たれ(負け)ざるなりき、​ワレ​​我​​カガン​​合罕​​オソ​​恐​れて、​イツハ​​佯​​タフ​​倒​​タメラ​​猶豫​ひて、​イノチ​​命​​ト​​取​らせたり、​ワレ​​我​」と​イ​​云​ふと、​ス​​死​にて​サ​​去​りぬ。​ベルグタイ​​別勒古台​は、​カレ​​彼​​セボネ​​脊梁​​ヒ​​扯​​ヲ​​折​ると、​ヒキズ​​引摺​りて​ノ​​除​けて​サ​​去​りぬ。​カブル カン​​合不勒 罕​​ナヽタリ​​七人​​コ​​子​​アニ​​兄​ ​オキン バルカク​​斡勤 巴兒合黑​ありき。​ツギ​​次​​バルタン バアトル​​巴兒壇 巴阿禿兒​ありき。その​コ​​子​ ​エスガイ バアトル​​也速該 巴阿禿兒​ありき。(明譯 この間に下の句あり。​エスガイノ コハ​​也速該 子​​スナハチ​​卽​​ナリ​​是​​タイソ​​太祖︀​。)​カレ​​彼​巴兒壇)の​ツギ​​次​​クトクト モンレル​​忽禿黑圖 蒙列兒​卷一の忽禿黑禿 蒙古兒)ありき。その​コ​​子​ ​ブリ​​不哩​ありき。​ト​​取​​ア​​合​ひ(物を爭ひ)て、​バルタン バアトル​​巴兒壇 巴阿禿兒​​コ​​子​より​ヘダ​​隔​​客禿思​たり、​バルカク​​巴兒合黑​​ユウ​​勇​ある​コ​​子​らに​トモ​​伴​となれるが​タメ​​爲​に、​ブリ ボコ​​不哩 孛可​​クニ​​國​​ボコ​​孛可​​ベルグタイ​​別勒古台​​セボネ​​脊梁​​ヲ​​折​られて​シ​​死​にたり。


§141(04:30:01)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


十一部の​ヂヤムカ​​札木合​ ​スヰタイ​​推戴​

 その​ノチ​​後​ ​ニハトリ​​雞​​トシ​​年​我が土御門 天皇 建仁 元年 辛酉、金の章宗 泰和 元年、宋の寧宗 嘉奉 元年、西紀 一二〇一年、成吉思 汗 四十歲の時)、​カタギン​​合塔斤​​サルヂウト​​撒勒只兀惕​親征錄 元史​ハタギン​​哈荅斤​​サンヂウ​​散只兀​​ヒト​​一​つになりて、​カタギン​​合塔斤​​バクシユロギ​​巴忽搠囉吉​​カシラ​​頭​たる​カタギン​​合塔斤​​サルヂウト​​撒勒只兀惕​​チルギタイ バアトル​​赤兒吉歹 巴阿禿兒​​カシラ​​頭​たる[​サルヂウト​​撒勒只兀惕​]は、​ドルベン​​朶兒邊​親征錄 元史​ドルバン​​朶魯班​)、​タタル​​塔塔兒​​ムツ​​睦​​ア​​合​ひて、​ドルベン​​朶兒邊​​カヂウン ベキ​​合只溫 別乞​​カシラ​​頭​たるもの、​タタル​​塔塔兒​​アルチ タタル​​阿勒赤 塔塔兒​塔塔兒の分部の名。親征錄 元史​アンチ タタル​​案赤 塔塔兒​)の​ヂヤンブリカ​​札隣不合​〈[#「札隣 不合」は底本では「札隣不合」。白鳥庫吉訳「音訳蒙文元朝秘史」§141(04:30:05)の漢︀字音訳「札鄰-不合」に倣い二語に分割]〉​カシラ​​頭​たるもの、​イキレス​​亦乞咧思​親征錄 元史​イキラス​​亦乞剌思​)の​ドゲマカ​​土格馬合​​カシラ​​頭​たるもの、​オンギラト​​翁吉喇惕​親征錄 元史​ホンギラ​​弘吉剌​)の​デルゲク エメル​​迭兒格克 額篾勒​[132]親征錄​テムゲ アマン​​帖木哥 阿蠻​明譯は、二人とせり。今 征錄、喇失惕の集史の一人とせるに從ふ。)、​アルクイ​​阿勒灰​ ​ラ​​等​​ゴロラス​​豁囉剌思​卷一の豁哩剌兒 姓。親征錄 元史​ホルラス​​火魯剌思​)の​チヨナク​​綽納黑​​チヤカアン​​察合安​​カシラ​​頭​たるもの、​ナイマン​​乃蠻​より​グチユウト ナイマン​​古出兀惕 乃蠻​乃蠻の分部の名)の​ブイルク カン​​不亦嚕黑 罕​親征錄​ブイル カガン​​盃祿 可汗​元史​ブルユ ハン​​不魯欲 罕​魯欲は、欲魯の誤りなり。​メルキト​​篾兒乞惕​​トクトア ベキ​​脫黑脫阿 別乞​親征錄​トト ベギ​​脫脫 別吉​)の​コ​​子​ ​クト​​忽禿​親征錄​ホド​​和都︀​また​ホド​​火都︀​)、​オイラト​​斡亦喇惕​親征錄 元史​オイラ​​斡亦剌​)の​クドカ ベキ​​忽都︀合 別乞​親征錄​フドハ ベギ​​忽都︀花 別吉​)、​タイチウト​​泰赤兀惕​​タルクタイ キリルトク​​塔兒忽台 乞哩勒禿黑​親征錄​タルフタイ ヒリント​​塔兒忽台 希憐禿​)、​ゴドン オルチヤン​​豁敦 斡兒長​親征錄​フドン フルヂヤン​​忽敦 忽兒章​)、​アウチユ バアトル​​阿兀出 巴阿禿兒​親征錄​アフチユ バード​​阿忽出 拔都︀​喇失惕の集史​アクチユ バハドル​​阿忽出 巴哈都︀兒​​ラ​​等​​タイチウト​​泰赤兀惕​​コレラ​​此等​​ブラク​​部落​は、​アルクイ ブラク​​阿勒灰 不剌黑​阿勒灰の泉。親征錄 元史​アルイノ イヅミ​​阿雷 泉​)に​ツド​​聚​ひて、​ヂヤダラン​​札荅㘓​​ヂヤムカ​​札木合​​キミ​​君​​イタヾ​​戴​かんとて、​ヲウマ​​牡馬​ ​メウマ​​牝馬​​ドウギリ​​腰斬​​キ​​斬​​ア​​合​ひて​チカ​​盟​​ア​​合​ひて、​ソコ​​其處​より​エルグネ ムレン​​額兒古捏 木嗹​額兒古捏 河、水道 提綱の額爾古納 河、朔方 備乘の額爾古訥 河)に​シタガ​​沿​​タ​​起​ちて、​ケンムレン​​刊木嗹​刊河。親征錄 元史​ゲンガハ​​犍河​召烈台 抄兀兒の傳​ゲンガハ​​堅河​龍沙 紀略の根河、中俄 分界圖の旱河)の​エルグネ​​額兒古捏​​ソヽ​​注​​デジマ​​出島​​カド​​角​元史​トルベルノ カハギジ​​禿律別兒 河岸​抄兀兒の傳​クラン エルギ​​忽蘭 也兒吉​赤き崖、卽ち赤壁)にて、​ヂヤムカ​​札木合​​ソコ​​其處​​グル カン​​古兒 罕​普き君、すめらぎ。合木渾 罕に同じ。親征錄​グル カガン​​局兒 可汗​元史​グル ハン​​局兒 罕​)に​イタヾ​​戴​きたり。​グル カン​​古兒 罕​​イタヾ​​戴​くと、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​ ​ワンカン​​王罕​ ​フタリ​​二人​​トコロ​​處​​シユツバ​​出馬​せんと​イ​​云​​ア​​合​へり。​シユツバ​​出馬​せんと​イ​​云​​ア​​合​へるを、

​ゴリダイ​​豁哩歹​の急報

​ゴロラス​​豁囉剌思​​ゴリダイ​​豁哩歹​親征錄​ホリタイ​​火力台​)は、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​グレルグ​​古咧勒古​​ヲ​​居​​トコロ​​處​​コ​​此​​シラセ​​報吿​​イタ​​致​して​ヤ​​遣​りき。この​シラセ​​報吿​​コ​​來​らるゝと、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​は、​ワンカン​​王罕​にこの​シラセ​​報吿​​イタ​​致​して​ヤ​​遣​りたれ[133]ば、​ワンカン​​王罕​は、​シラセ​​報吿​​イタ​​致​さるゝと、​イクサ​​軍​​オコ​​起​して​イソ​​急​​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​トコロ​​處​​ワンカン​​王罕​ ​イタ​​到​りて​キ​​來​ぬ。


§142(04:32:09)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


兩軍 ​センポウ​​先鋒​の呼び合ひ

 ​ワンカン​​王罕​​コ​​來​らるゝと、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​ ​ワンカン​​王罕​ ​フタリ​​二人​ ​ヒト​​一​つになりて、​ヂヤムカ​​札木合​​ムカ​​迎​へに​シユツバ​​出馬​せんと​イ​​云​​ア​​合​ひて、​ケルレン ガハ​​客魯嗹 河​​シタガ​​沿​​シユツバ​​出馬​するに​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​アルタン​​阿勒壇​​クチヤル​​忽察兒​​ダリタイ​​荅哩台​ ​ミタリ​​三人​​センポウ​​先鋒​​ユ​​行​かしめたり。​ワンカン​​王罕​は、​サングン​​桑昆​王罕の子。親征錄 元史 朮赤台の傳​セングン​​鮮昆​)、​ヂヤカガンブ​​札合敢不​〈[#「札合敢不」は底本では「札合敢木」。白鳥庫吉訳「音訳蒙文元朝秘史」§142(04:33:03)の漢︀字音訳「札合敢不」に倣い修正]〉​ビルゲ ベキ​​必勒格 別乞​ ​ミタリ​​三人​​センポウ​​先鋒​​ユ​​行​かしめたり。この​センポウ​​先鋒​より​マヘ​​前​​マタ​​又​ ​モノミ​​斥候​​ヤ​​遣​るに、​エネグン クイレト​​額捏堅 歸列禿​に(親征錄​ネゲン クイント​​捏干 貴因都︀​捏の上 額の字を脫し、列は因と誤れり。​ヒトクミ​​一坐​​モノミ​​斥候​​ハナ​​放​ちたり。​ソレ​​其​​カナタ​​彼方​ ​チエクチエル​​徹克徹兒​卷一 卷二の扯克徹兒。親征錄​チエチエル ザン​​徹徹兒 山​また徹兒山)に​ヒトクミ​​一坐​​モノミ​​斥候​​ハナ​​放​たしめたり。​ソレ​​其​​カナタ​​彼方​ ​チクルク​​赤忽兒忽​親征錄​チフルク ザン​​赤忽兒黑 山​)に​ヒトクミ​​一坐​​モノミ​​斥候​​ハナ​​放​たしめたり。​ワレラ​​我等​​センポウ​​先鋒​ ​アルタン​​阿勒壇​​クチヤル​​忽察兒​​サングン​​桑昆​ ​ラ​​等​​ウトキヤ​​兀惕乞牙​​イタ​​到​りて、​ゲバ​​下馬​せんと​イ​​言​​ア​​合​​ヲ​​居​​トキ​​時​​チクルク​​赤忽兒忽​​ハナ​​放​てる​モノミ​​斥候​より​ヒト​​人​ ​ハシ​​走​りて​キ​​來​て「​テキ​​敵​ ​キ​​來​ぬ」と​イ​​云​​シラセ​​報吿​​オク​​送​​キ​​來​ぬ。その​シラセ​​報吿​ ​ク​​來​ると、​ゲバ​​下馬​せず、​テキ​​敵​​ムカ​​迎​へに(敵を迎へて​シラセ​​報吿​​ト​​取​らん(偵察せん)とて、​ユ​​行​きて​チカ​​近​づきて、​シラセ​​報吿​​ト​​取​り(偵察し)て、​ソナヘ​​備​ありやと​サグ​​探​れば、​ヂヤムカ​​札木合​​センポウ​​先鋒​は、​モンゴル​​忙豁勒​より​アウチユ バアトル​​阿兀出 把阿禿兒​​ナイマン​​乃蠻​​ブイルク カン​​不亦嚕黑 罕​​メルキト​​篾兒乞惕​​トクトア ベキ​​脫黑脫阿 別乞​​コ​​子​ ​クト​​忽禿​​オイラト​​斡亦喇惕​​クドカ ベキ​​忽都︀合 別乞​、この​ヨタリ​​四人​​ヂヤムカ​​札木合​​センポウ​​先鋒​​ユ​​行​きけり。​ワレラ​​我等​​センポウ​​先鋒​は、​カレラ​​彼等​​トコロ​​處​​ヨ​​呼​[134]​ア​​合​ひて​サケ​​叫​びて、​クレ​​晩​になられて、「あす​タヽカ​​戰​はん」と​イ​​言​ひて、​シリゾ​​退​きて​タイグン​​大軍​​ア​​合​​ヤド​​宿​れり。


§143(04:35:05)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


風雨の​マジナヒ​​呪​

 ​アス​​明日​ ​ユ​​行​かしめて、​チカ​​近​づきて​コイテン​​闊亦田​親征錄 元史​ケイタン​​闕亦壇​)に​タイヂン​​對陣​して、​クダ​​下​りつ​ノボ​​上​りつ​イド​​挑​​ア​​合​​セイゾロヘ​​勢揃​​ア​​合​ひて​ヲ​​居​​トキ​​時​​カレラ​​彼等​​ブイルク カン​​不亦嚕黑 罕​​クドカ​​忽都︀合​ ​フタリ​​二人​​マジナヒ​​呪​蒙語​ヂヤダ​​札荅​)を​シ​​知​りて​ヲ​​居​りき。​マジナヒ​​呪​したるに、​アラシ​​風雨​蒙語​ヂヤダ​​札荅​呪ひて起したる風雨​ヒルガヘ​​翻​りて、​カレラ​​彼等​​ウヘ​​上​​アラシ​​風雨​となりき。​カレラ​​彼等​ ​ユ​​行​​アタ​​能​はずして​ミゾ​​溝​​ウチ​​裏​​タフ​​倒​るゝと、「​アマツカミ​​上帝​​メグ​​愛​まれざりき、​ワレラ​​我等​」と​イ​​言​​ア​​合​ひて​ツイ​​潰​えけり。(札荅の事は、輟耕錄 卷四 に「往往見蒙古人之禱雨者︀、惟取淨水一盆、浸石子數枚而已。其大者︀若雞卵、小者︀不等。然後默持密呪、將石子淘漉玩弄。如此良久、輒有雨。石子、名曰鮓荅、乃走獸腹中所產。獨牛馬者︀最妙。恐亦是牛黃狗寶之屬耳。」金幼孜の北征錄に「永樂八年五月二十八日、發雙淸源、午至河、縛筏渡水。得一木板、上有虜︀字。譯史讀之、乃祈︀雨之言也。虜︀語謂之札達、華言云風雨。蓋虜︀中有此術也。」東華錄に載せたる康熙 五十六年の勅喩に「書册所載、有所語雷斧雷楔。大約得深林者︀皆石、得平原者︀皆銅。朕所得最多。將小石一塊、置於泉水之、卽可祈︀雨。蒙語謂之査達齊、書冊則曰資達也。」方觀承の松溪章詩の注に「蒙古西域祈︀雨、以楂達石水中之、輒驗。楂達生駝羊腹中。圓者︀如卵、扁者︀如虎脛。在腎以鸚鵡嘴者︀良、色有黃白。駝羊有此、則漸羸瘁。生剖得者︀尤靈」などあり。この迷信は、古に起りて今も變はらずにありと見ゆ。


§144(04:36:05)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


諸︀部の潰走

 ​ナイマン​​乃蠻​​ブイルク カン​​不亦嚕黑 罕​は、​アルタイ ザン​​阿勒台 山​​マヘ​​前​なる​ウルクタク​​兀魯黑塔黑​親征錄​ウルタ ザン​​兀魯塔 山​)を​サ​​指​し、​ハナ​​離​​ウゴ​​動​きけり。(阿勒台 山は、古の金山、淸 一統志の阿爾泰 山にして、綿亙 二千餘里、その最大幹は、烏布薩 諾爾の西北に在り。淸露 兩國の界をなし、科布多 城の北に當れり。古出兀惕 乃蠻の王庭のありし兀魯黑塔黑の地は、阿勒台 山の前 卽ち南に在りと云へば、卽ち今の科布多 地方なるべし。​メルキト​​篾兒乞惕​​トクトア​​脫黑脫阿​​コ​​子​ ​クト​​忽禿​は、​セレンゲ ガハ​​薛涼格 河​​サ​​指​​ウゴ​​動​きけり。​オイラト​​斡亦喇惕​​クドカ ベキ​​忽都︀合 別乞​は、​ハヤシ​​林​​アラソ​​爭​ひ、​シスギス​​失思吉思​​サ​​指​​ウゴ​​動​きけり。​タイチウト​​泰赤兀惕​​アウチユ バアトル​​阿兀出 巴阿禿兒​[135]​オナン ガハ​​斡難︀ 河​​サ​​指​​ウゴ​​動​きけり。​ヂヤムカ​​札木合​は、​オノレ​​己​​キミ​​君​​イタヾ​​戴​きたる​タミ​​民​​トラ​​虜︀​ふると、​エルグネ ガハ​​額兒古捏 河​​シタガ​​沿​​ヂヤムカ​​札木合​​カヘ​​回​​ウゴ​​動​きけり。​カレラ​​彼等​をかく​ツイ​​潰​やして、​ワンカン​​王罕​は、​エルグネ ガハ​​額兒古捏 河​​シタガ​​沿​​ヂヤムカ​​札木合​​オ​​追​ひたり。(この時、札木合は、蓋 王罕に降れり。

​チンギス カン​​成吉思 汗​​タイチウト​​泰赤兀惕​ 追撃

​チンギス カガン​​成吉思 合罕​は、​オナン ガハ​​斡難︀ 河​​トコロ​​處​​タイチウト​​泰赤兀惕​​アウチユ バアトル​​阿兀出 巴阿禿兒​​オ​​追​ひたり。​アウチユ バアトル​​阿兀出 巴阿禿兒​は、その​ブラク​​部落​​トコロ​​處​​イタ​​到​ると、​ブシウ​​部眾​​イソ​​急​がし​ウゴ​​動​かして、​アウチユ バアトル​​阿兀出 巴阿禿兒​​ゴドン オルチヤン​​豁敦 斡兒長​[​ラ​​等​の]​タイチウト​​泰赤兀惕​は、​オナン ガハ​​斡難︀ 河​のかなたの​ホトリ​​邊​にあまたの​タテ​​楯​蒙語​トラス​​禿剌思​明譯 方牌)もてる​イクサビト​​軍士​​トヽノ​​整​へて、​タヽカ​​戰​はんとて​トヽノ​​整​へて​タ​​立​ちけり。​チンギス カガン​​成吉思 合罕​ ​イタ​​到​ると、​タイチウト​​泰赤兀惕​​タヽカ​​戰​へり。​スコブ​​頗​​カヘ​​返​​カヘ​​返​​タヽカ​​戰​ひて、​クレ​​晩​になられて、その​タヽカ​​戰​へる​トコロ​​地​​ムカ​​抗​ひ合ひて​ヤド​​宿​れり。​ブシウ​​部眾​​イソ​​急​ぎて​キ​​來​​マタ​​又​そこに​イクサビト​​軍士​どもと​ヒト​​一​つに​ダン​​團​をなして​ダン​​宿​​ア​​合​へり。


§145(04:38:08)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​チンギス カン​​成吉思 汗​の重傷を​ヂエルメ​​者︀勒篾​の看護

 ​チンギス カガン​​成吉思 合罕​は、その​タヽカヒ​​戰​ひの​ナカ​​中​​ケイミヤク​​頸脈​​キズツ​​傷​けられて、​チ​​血​​トヾ​​止​むれども​トヾ​​止​まらず、​ナヤ​​惱​まさるゝ​トキ​​時​​ヒ​​日​ ​オ​​落​ちて、すぐ​ソコ​​其處​​ムカ​​抗​​ア​​合​ひて​ゲバ​​下馬​して、​フサ​​塞​がれる​チ​​血​​ヂエルメ​​者︀勒篾​ ​ス​​吮​​ス​​吮​​クチ​​口​​チ​​血​まみれにして、​ヂエルメ​​者︀勒篾​​ホカ​​他​​ヒト​​人​​タヨ​​賴​らず、​マモ​​守​​ア​​合​ひて​ヰ​​居​​ヨハ​​夜半​になるまで​フサ​​塞​がれる​チ​​血​​クチ​​口​​ミ​​滿​たし​ノ​​嚥​みては​ハ​​吐​きて、​ヨハ​​夜半​​ス​​過​ぐれば、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​ ​コヽロ​​心​ ​サ​​醒​めて​イ​​言​はく「​チ​​血​ ​カワ​​乾​きて​シマ​​了​へり。​ノド​​喉​ ​カワ​​渇​けり、​ワレ​​我​」と​イ​​云​へり。

裸盜人

そこより​ヂエルメ​​者︀勒篾​は、​バウ​​帽​ ​クツ​​靴​ ​ウハギ​​上衣​ ​シタギ​​下衣​ ​スベ​​都︀​てを​ヌ​​脫​ぎて、​タヾ​​只​ ​フドシ​​褌​ある[136]​アカハダカ​​赤裸​にて、​ムカ​​抗​​ア​​合​ひて​タ​​立​てる(陣どれる​テキ​​敵​​ウチ​​內​​ハシ​​走​りて、かなたに​ダン​​團​をなせる​タミ​​民​​クルマ​​車​​ノボ​​上​りて、​ウマノチ​​馬乳​​タヅ​​尋​ねて​エ​​得​ずして[……。​テキ​​敵​は]​イソ​​急​げる​トキ​​時​​メウマ​​騍馬​​チヽ​​乳​ ​シボ​​擠​らずに​ハナ​​放​ちたるなりき。​ウマノチ​​馬乳​​エ​​得​かねて、​ヒト​​一​つの​オホイ​​大​なる​フタヲケ​​蓋桶​​ニウラク​​乳酪​をその​クルマ​​車​より​ト​​取​りて​モタ​​擡​げて​キ​​來​ぬ。その​アヒダ​​閒​ ​ユ​​往​くにも​ク​​來​るにも​ヒト​​人​​ミ​​見​られざりき。​アマツカミ​​上帝​​タヾ​​只​ ​マモ​​護​​タマ​​給​ひたるぞ。​ニウラク​​乳酪​​フタヲケ​​蓋桶​にあるを​モ​​持​​キ​​來​て、その​ヂエルメ​​者︀勒篾​ ​ミヅカ​​自​​ミヅ​​水​​タヅ​​尋​ねて​モ​​持​​キ​​來​て、​ニウラク​​乳酪​​テウガフ​​調合​して​カガン​​合罕​​ノ​​飮​ませたり。​ミ​​三​たび​ヤス​​休​みて​ノ​​飮​みて、​カガン​​合罕​ ​イ​​言​はく「​ワ​​我​​コヽロ​​心​ ​マナコ​​眼​ ​アカ​​明​るくなれり」と​イ​​云​ひて、​アクビ​​欠​​オ​​起​きて​ス​​坐​わりつゝ、​ヒ​​日​ ​ア​​明​けて​アカ​​明​るくなりて​ミ​​見​れば、その​ス​​坐​われる​マハリ​​周圍​は、​ヂエルメ​​者︀勒篾​​ス​​吮​​ス​​吮​​フサ​​塞​がれる​チ​​血​​ハ​​吐​きたる​マハリ​​周圍​は、​ヒヂリコ​​泥濘​となれりけり。​チンギス カガン​​成吉思 合罕​ ​ミ​​見​​イ​​言​はく「こは​ナニ​​何​となれる。​トホ​​遠​​ハ​​吐​かばいかにありけん」と​イ​​云​へり。それより​ヂエルメ​​者︀勒篾​ ​イ​​言​はく「​ナムチ​​爾​​ナヤ​​惱​まさるゝ​トキ​​時​​トホ​​遠​​サ​​去​らば​ナムチ​​爾​より​ハナ​​離​れんことを​ハク​​伯​れて、​イソ​​急​ぎて​ノ​​嚥​むをば​ノ​​嚥​みて、​ハ​​吐​くをば​ハ​​吐​きて、​アワ​​遽​てて​ワ​​我​​ハラ​​腹​にも​イク​​幾​ばくかは​イ​​入​りぬ」と​イ​​云​へり。​チンギス カガン​​成吉思 合罕​ ​マタ​​又​ ​イ​​言​はく「​ワ​​我​がかくなりて​フ​​臥​​ヲ​​居​​ホド​​程​に、​アカハダカ​​赤裸​にて​ナン​​何​​ハシ​​走​りて​イ​​入​りたる、​ナンヂ​​汝​​ト​​捕​へられば、​ワレ​​我​をかくあるを​ツ​​吿​げざらんや」と​イ​​云​へり。​ヂエルメ​​者︀勒篾​ ​イ​​言​はく「​ワ​​我​​コヽロ​​心​には、​アカハダカ​​赤裸​にて​ユ​​往​きて、もし​トラ​​捕​へられば「​ワレ​​我​[137]​ナンヂラ​​汝等​​トウ​​投​ずる​コヽロ​​心​ありき。​サト​​覺​りて​ト​​捕​へて​コロ​​殺︀​さんとて、​ワ​​我​​キモノ​​衣服​ ​スベ​​都︀​てを​ヌ​​脫​ぎて、​タヾ​​只​ ​フドシ​​褌​​ヌ​​脫​がざるに、​タチマ​​忽​​ノガ​​遁​れて、​ナンヂラ​​汝等​​トコロ​​處​にかく​ハ​​馳​せて​キ​​來​ぬ、​ワレ​​我​」と​イ​​言​はん[​カンガ​​考​ヘ]なりき。​ワレ​​我​​マコト​​實​となして、​イフク​​衣服​​ワレ​​我​​アタ​​與​へて​セワ​​世話​するならん。​ワレ​​我​ ​ウマ​​馬​​ノ​​乘​りて​ミ​​見​つゝ、かゝる​アヒダ​​閒​​コ​​來​ざることあらんや、​ワレ​​我​。しか​オモ​​思​ひて、​カガン​​合罕​​カワ​​渴​​ナヤ​​惱​める​コヽロ​​心​​イヤ​​愈​さんとて、​マナコ クロ​​眼 黑​く(膽太く)かく​オモ​​思​ひて​ユ​​往​きけり、​ワレ​​我​」と​イ​​云​へり。

​ヂエルメ​​者︀勒篾​の三つの恩

​チンギス カガン​​成吉思 合罕​ ​イ​​言​はく「​イマ​​今​ ​ナニ​​何​をか​イ​​云​へる。​マヘ​​前​​ヒ​​日​ ​ミ​​三​つの​メルキト​​篾兒乞惕​ ​キ​​來​て、​ブルカン ダケ​​不兒罕 獄​​ミ​​三​たび​メグ​​繞​らしめたる​トキ​​時​​ワ​​我​​イノチ​​命​​ヒト​​一​たび​モ​​持​ちて​イ​​出​でたりき、​ナンヂ​​汝​​イマ マタ​​今 又​ ​カワ​​乾​きてある​チ​​血​​クチ​​口​にて​ス​​吮​ひて​ワ​​我​​イノチ​​命​​ヒラ​​開​きたり、​ナンヂ​​汝​​マタ​​又​ ​カワ​​渴​きて​ナヤ​​惱​​ヲ​​居​​トキ​​時​​イノチ​​命​​ス​​棄​てて、​テキジン​​敵人​​トコロ​​處​​マナコ クロ​​眼 黑​​イ​​入​りて、​ノミモノ​​飮物​ ​タ​​足​りて​ワ​​我​​イノチ​​命​​イ​​入​らしめ(とりとめ)たり、​ナンヂ​​汝​​ナンヂ​​汝​がこの​ミ​​三​つの​オン​​恩​​ワ​​我​​コヽロ​​心​​ウチ​​內​​ソン​​存​せん」と​ミコト​​勅​ありき。


§146(04:45:01)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​テムヂン​​帖木眞​​ヨ​​喚​べる​カダアン​​合荅安​

 ​ヒ​​日​ ​ア​​明​​ヲハ​​了​れば、​ムカ​​抗​​ア​​合​ひて​ヤド​​宿​れる​イクサビト​​軍士​ども、​ヨル​​夜​ ​スナハ​​便​​ツヒ​​潰​えたりき。​ダン​​團​をなしたる​タミ​​民​は、​ノガ​​逃​るゝ​アタ​​能​はずとて、​ダン​​團​をなしたる​トコロ​​地​より​ウゴ​​動​かざりき。​ハシ​​走​れる​ブシウ​​部眾​​トヾ​​止​めんとて、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​は、​ヤド​​宿​れる​トコロ​​地​より​シユツバ​​出馬​して、​ハシ​​走​​タミ​​民​​トヾ​​止​めつつ​ユ​​行​​トキ​​時​​タウゲ​​峠​​ウヘ​​上​​ヒトリ​​一人​​アカ​​紅​​ウハギ​​上衣​​ヲミナ​​婦人​、「​テムヂン​​帖木眞​よ」とて​オホゴヱ​​大聲​​ヨ​​喚​び、​ナ​​哭​きつゝ​タ​​立​てるを、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​ ​ミヅカ​​自​​キ​​聽​[138]きて「いかなる​ヒト​​人​​ツマ​​妻​にてかく​ヨ​​喚​びたる」と​ト​​問​はせに​ヒト​​人​​ヤ​​遣​りぬ。その​ヒト​​人​ ​ユ​​往​きて​ト​​問​ひたれば、その​ヲミナ​​婦人​ ​イ​​言​はく「​ソルカン シラ​​鎖兒罕 失喇​​ムスメ​​女​​ワレ​​我​ ​カダアン​​合荅安​​イ​​云​ふもの。​ワ​​我​​ヲツト​​夫​をこゝに​イクサビト​​軍士​ども​トラ​​拏​へて​コロ​​殺︀​したり。​オツト​​夫​​コロ​​殺︀​さるゝ​トキ​​時​​テムヂン​​帖木眞​を、​ワ​​我​​オツト​​夫​​スク​​救​​タマ​​給​へとて、​サケ​​叫​びて​ヨ​​喚​びて​ナ​​哭​きたり、​ワレ​​我​」と​イ​​云​へり。その​ヒト​​人​ ​キ​​來​て、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​にこの​コトバ​​言​​ノ​​述​ぶれば、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​この​イ​​言​​キ​​聽​くと、​ウマ​​馬​​ハシ​​走​らして​イタ​​到​りて、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​は、​カダアン​​合荅安​​トコロ​​處​​クダ​​下​りて​イダ​​抱​​ア​​合​へり。​カレ​​彼​​ヲツト​​夫​をば​ワレラ​​我等​​イクサビト​​軍士​ども​サキ​​生​​コロ​​殺︀​したりき。かの​タミ​​民​​ヒキモド​​引戻​すと、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​タイグン​​大軍​は、すぐ​ソコ​​其處​​ゲバ​​下馬​して​ヤド​​宿​れり。​カダアン​​合荅安​​ヨ​​召​びて​コ​​來​させて​カタハラ​​傍​​ス​​坐​ゑたり。

​オク​​後​れて來ぬる​ソルカン シラ​​鎖兒罕 失喇​

​ア​​明​くる​ヒ​​日​ ​ソルカン シラ​​鎖兒罕 失喇​​ヂエベ​​者︀別​親征錄 元史​ヂエベ​​哲別​元史また遮別、折不、哲伯、只別、者︀必、闍別、柘柏など​フタリ​​二人​、[​スナハ​​卽​ち]​タイチウト​​泰赤兀惕​​トドゲ​​脫朶格​​ケニン​​家人​なるその​フタリ​​二人​​キ​​來​ぬ。​チンギス カガン​​成吉思 合罕​は、​ソルカン シラ​​鎖兒罕 失喇​​イ​​言​へらく「​クビ​​頸​​古主渾​​ウヘ​​上​​オモ​​重​​坤都︀​​キ​​木​​チ​​地​​闊薛兒​​ス​​去​てさせたる、​エリ​​衣領​​札合​​ウヘ​​上​​カシ​​枷​​札兒必牙勒​​ム​​木​​マヌガ​​免​​札亦剌兀勒​れさせたる​ナンヂラ​​汝等​ ​オヤコ​​父子​どもの​オン​​恩​ありしぞ、​ナンヂラ​​汝等​。いかでか​オク​​後​れたる、​ナンヂラ​​汝等​」と​イ​​云​へり。​ソルカン シラ​​鎖兒罕 失喇​ ​イ​​言​はく「​ワレ​​我​ ​コヽロ​​心​​マノアタリ タヨリ​​見在 倚仗​​オモ​​思​ひて​ヲ​​居​りき。いかんぞ​イソ​​急​がん、​ワレ​​我​。「​イソ​​急​ぎて​サキ​​先​​コ​​來​ば、​ワ​​我​​タイチウト​​泰赤兀惕​​クワンニン​​官人​ ​ダチ​​等​​ワ​​我​​ノコ​​殘​れる​ツマコ​​妻子​ ​バグン​​馬羣​ ​リヤウシヨク​​糧食​​ハヒ​​灰​​ゴト​​如​​ハイメツ​​廢滅​せん、​カレラ​​彼等​」と​イ​​云​ひて​イソ​​急​がず、​イマ​​今​ ​カガン​​合罕​​トコロ​​處​​ア​​合​はんと​オヒカ​​追掛​けて​キ​​來​ぬ、[139]​ワレラ​​我等​」と​イ​​云​へり。​カタ​​語​​ヲ​​了​ふれば、​ヨ​​善​しと​イ​​云​へり。


§147(04:49:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


戰馬を射たる​ヂエベ ノヤン​​者︀別 那顏​

 ​マタ​​又​ ​チンギス カガン​​成吉思 合罕​ ​イ​​言​はく「​コイテン​​闊亦田​​タイヂン​​對陣​して​イド​​挑​​ア​​合​​セイゾロヘ​​勢揃​​ア​​合​ひて​ヲ​​居​​トキ​​時​​カ​​彼​​ミネ​​嶺​​ウヘ​​上​より​ヤ​​箭​ ​キ​​來​て、​ワ​​我​​タヽカ​​戰​​クチ​​口​ ​シロ​​白​​キイロノウマ​​黃馬​​アゴボネ​​鎖子骨​​ヲ​​折​るべく​タレ​​誰​​イ​​射​ける、​ヤマ​​山​​ウヘ​​上​より」と​イ​​云​へり。その​コトバ​​言​につき​ヂエベ​​者︀別​ ​イ​​言​はく「​ヤマ​​山​​ウヘ​​上​より​ワレ​​我​ ​イ​​射​けり。​イマ​​今​ ​カガン​​合罕​​シ​​死​なしめられば、​テノヒラ​​掌​​ゴト​​如​​チ​​地​​ケガ​​汙​して​ノコ​​殘​らん。​オンシ​​恩賜​せられば、​カガン​​合罕​​マヘ​​前​に、​フカ​​深​​徹額勒​​ミヅ​​水​​兀孫​​ヨコ​​橫​​豁黑脫嚕​ぎり、​ヒカ​​光​​超堅​​イシ​​石​​赤剌溫​​クダ​​碎​​潮嚕​くべく​ツ​​衝​きて​アタ​​與​へん。​イタ​​到​​古兒​れと​イ​​云​​トコロ​​地​​アヲイシ​​靑石​​闊闊古嚕​​ヤブ​​破​​客兀魯​り、​イ​​出​​合勒​でよと​イ​​云​​トコロ​​地​​クロイシ​​黑石​​合喇古嚕​​サ​​裂​​含合嚕​くべく​ツ​​衝​きて​アタ​​與​へん」と​イ​​云​へり。​チンギス カガン​​成吉思 合罕​ ​イ​​言​はく「​テキ​​敵​となりたる​ヒト​​人​は、​コロ​​殺︀​したることを、​テキタイ​​敵對​したることを、​ミ​​身​​カク​​隱​して、​ハナシ​​話​​イ​​諱​みて​オソ​​怕​るゝなり。この​コト​​事​こそはと​イ​​云​へば、​カヘツ​​却​​コロ​​殺︀​したることを、​テキタイ​​敵對​したることを​イ​​諱​まず、​カヘツ​​却​​ツ​​吿​げたり。​トモ​​伴​とすべき​ヒト​​人​なり。」​ヂルゴアダイ​​只兒豁阿歹​​イ​​云​​ナ​​名​なりき。「​ワ​​我​​タヽカ​​戰​​クチ​​口​ ​シロ​​白​​キイロノウマ​​黃馬​​アゴボネ​​鎖子骨​​イ​​射​たる​ユヱ​​故​に、​ヂエベ​​者︀別​​ナ​​名​づけて、​タヽカ​​戰​は[しめ]ん、​カレ​​彼​を」とて、​ヂエベ​​者︀別​​ナ​​名​づけて「​ワ​​我​​マヘ​​前​​ユ​​行​け」と​ミコト​​勅​ありき。(戰ふ口 白き黃馬、蒙語に​ヂエベレグ アマン チヤガン クラ​​者︀別列古 阿蠻 察罕 忽剌​者︀別列古は戰ふ、阿蠻は口、察罕は白き、忽剌は黃馬なり。者︀別列古 忽剌 卽ち戰馬を殺︀したる故に、戰馬に代りて働けとて者︀別と名を賜ひたるなり。然るを、明譯文に「者︀別、軍器︀之名也」とあるは、本文の意に非ざる上に、俗文譯の文體に似ず。後人のさかしらに加へたるものなるべし​ヂエベ​​者︀別​​タイチウト​​泰赤兀惕​より​キ​​來​​トモ​​伴​となれる​コトノモト​​緣由​かくあり。



成吉思 汗 實錄 卷の四 終り。


序論目録巻の一巻の二巻の三巻の四巻の五巻の六巻の七巻の八巻の九巻の十巻の十一-1巻の十一-2巻の十二-1巻の十二-2続編-目次続編-1続編-2[3]


  1. 明治四十一年三・四月『大阪朝日新聞』所載、「桑原隲藏全集 第二卷」岩波書店、那珂先生を憶う - 青空文庫
  2. 国立国会図書館デジタルコレクション:info:ndljp/pid/782220
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この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。

 
翻訳文:

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。