成吉思汗実録/巻の一
チンギス カン ジツロク成吉思 汗 實錄 マキ卷のイチ一。(蒙古語の原の名は、モンゴルン ニウチヤ トブチヤアン忙豁侖 紐察 脫卜察安、譯すれば蒙古の祕史。忙豁侖は蒙古の、紐察は祕密、脫卜察安は實錄なり。委しくは序論の初に言へり。明譯本には、元朝 祕史と題して、その下に分注 二行あり。右は、忙豁侖 紐察の五字なり。左は、脫卜察安の四字なるべきを、今の鈔本には、卜の字を脫せり。卜は、母音なき巴行の音を譯せる字にて、細字 旁書なるが故に、影寫の際 脫し易し。本文にも、トの字の脫ちたるは、屢あり。二行の分注に、右 五字にて左 三字なる筈なければ、トの脫ちたりけんこと疑ひなし。)
ゲンノ元 タイソ太祖︀ イマセルトキ在時、バクホクノブンシン漠北文臣ムメイシ無名氏、モテ以㆓モウコブン蒙古文ウイウルモジヲ委兀兒字㆒センジユツス撰述。
ミンノ明 コウブ洪武ジフゴネン十五年、カンリンジコウ翰待講クワゲンケツ火原潔ラ等、カンジニテ漢︀字 オンヤクシ音譯、ゾクゴニテ俗語 ハウヤクス旁譯。
ニツポン日本メイジ明治サンジフクネン三十九年、モリオカノ盛岡ナカミチヨ那珂通世、モテ以㆓ワブンヲ和文㆒チヨクヤクシ直譯 フス附㆓カウチウヲ校注㆒。
§1(01:01:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
チンギス カガン成吉思 合罕のオホモト根原。
タカマノハラ上天よりミコト命ありてウマ生れたるアヲ蒼きオホカミ狼ありき。(蒙語ボルテ チノ孛兒帖 赤那、蒙古 源流ブルテ チノ布爾特 齊諾。この注に引ける蒙古 源流は、乾隆︀の史臣の飜譯せる漢︀文の本なり。昨年 乙巳の九月、我が友 內藤 湖南は、盛京[61]の官庫にて、蒙古 源流の蒙古文の原本を得て寫し取れる由なり。その書は、蒙文 祕史に次ぎて、史學 文學に益ある珍書なり。その書に據りて漢︀譯本を考訂せんには、恰も蒙文 祕史に據りて明譯 俗文の誤謬を正し得るが如くなるべし。)そのツマ妻なるナマジロ慘白きメジカ牝鹿ありき。(蒙語ゴアイ マラル豁埃 馬喇勒、蒙古 源流ゴワ マラル郭斡 瑪喇勒。郭斡は、美しきなり)テンギス騰吉思(海︀ 又は大なる湖)をワタ渡りてキ來ぬ。オナン ムレン斡難︀ 木嗹(斡難︀ 河。今のオノン ガハ鄂嫩 河)のミナモト源にブルカン カルドン不兒罕 合勒敦(不兒罕 嶽、卽ち神︀が嶽。元史 闊闊の傳ブリハン ハリドン不里罕 哈里敦、蒙古 源流ブルガン ガラドン布爾干 噶拉敦、今のダイケンテ ザン大肯特 山)にイヘヰ營盤して、ウマ生れたるバタチカン巴塔赤罕(蒙古 源流ビタチヤガン必塔察干)ありき。
§2(01:01:09)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
バタチカン巴塔赤罕よりカルチユ合兒出まで八世
バタチカン巴塔赤罕のコ子 タマチヤ塔馬察(蒙古 源流テメチエク特墨︀徹克)。タマチヤ塔馬察のコ子 ゴリチヤル メルゲン豁哩察兒 篾兒干(篾兒干は善射者︀なり。蒙古 源流ホリチヤル メルゲン和哩察爾 墨︀爾根)。ゴリチヤル メルゲン豁哩察兒 篾兒干のコ子 アウヂヤン ボロウル阿兀站 孛囉兀勒(蒙古 源流アグヂム ボゴロル阿固濟木 博郭囉勒)。アウヂヤン ボロウル阿兀站 孛囉兀勒のコ子 サリ カチヤウ撒里 合察兀(蒙古 源流サリ ガルヂグ薩里 噶勒濟固)。サリ カチヤウ撒里 合察兀のコ子 エケ ニドン也客 你敦。(譯すれば大眼。蒙古 源流にはニゲ ニドン尼格 尼敦、譯すれば獨眼、下の都︀蛙 鎻豁兒と混れたるに似たり。)エケ ニドン也客 你敦のコ子 セムソチ撏鎻赤(蒙古 源流サムスチ薩木蘇齊)。セムソチ撏鎻赤のコ子 カルチユ合兒出(蒙古 源流ハリ ハルチユ哈里 哈爾楚)。
§3(01:02:06)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
カルチユ合兒出のコ子 ボルヂギダイ メルゲン孛兒只吉歹 篾兒干(孛兒只吉惕の善射者︀。蒙古 源流ボルジヂタイ メルゲン博爾濟吉台 墨︀爾根)は、モンゴルヂン ゴア忙豁勒眞 豁阿(蒙古部の美女。蒙古 源流モングルヂン ゴワ ハトン蒙古勒津 郭斡 哈屯)とイ云ふツマ妻ありき。ボルヂギダイ メルゲン孛兒只吉歹 篾兒干のコ子 トロゴルヂン バヤン脫囉豁勒眞 伯顏(譯すれば脫囉豁勒部の富人 卽ち長者︀。蒙古 源流ドラルヂン バヤン都︀喇勒津 巴延)は、ボロクチン ゴア孛囉黑臣 豁阿(蒙古 源流ボロクチン ゴワ ハトン博囉克沁 郭斡 哈屯)とイ云ふツマ妻、ボロルダイ スヤルビ孛囉勒歹 速牙勒必とイ云ふワカタウ若黨、ダイル荅亦兒、ボロ孛囉と云ふニヒキ二匹のスグ駿れたるキンキリウマ騸馬ありき。トロゴルヂン脫囉豁勒眞のコ子、ドワ ソゴル都︀蛙 鎻豁兒(蒙古 源流ドワ ソホル都︀斡 索和爾)、ドブン メルゲン朶奔 篾兒干(元史 太祖︀ 本紀、宗室 世系[62]表、陶宗儀の輟耕錄トブン メリゲン脫奔 咩哩犍、蒙古 源流ドブン メルゲン多本 墨︀爾根)フタリ二人ありき。
§4(01:03:04)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ドワ ソゴル都︀蛙 鎻豁兒のヒトツメ獨眼
ドワ ソゴル都︀蛙 鎻豁兒は、ヒタヒ額のナカ中にヒトツメ獨眼あり、ミツカヂ三日程のトコロ地をノゾ望むなりき。
§5(01:03:07)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ヒトヒ一日 ドワ ソゴル都︀蛙 鎻豁兒は、ドブン メルゲン朶奔 篾兒干なるオトヽ弟とブルカン ダケ不兒罕 嶽のウヘ上にノボ上れり。ドワ ソゴル都︀蛙 鎻豁兒は、ブルカン ダケ不兒罕嶽のウヘ上よりノゾ望みて、トンゲリク ゴロカン統格黎克 豁囉罕(統格黎克 小河。元史 本紀トンギリ フル統急里 忽魯、蒙古 源流トンゲリク フルホン通格里克 呼魯歡)にシタガ沿ひヒトムレ一羣のタミ民 タ起ちてイ入りてキ來ぬるをノゾ望みてミ見て、
§6(01:04:03)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
イ言はく「カ彼のタ起ちてキ來ぬるタミ民のウチ內に、ヒト一つのクロ黑きコシ輿あるクルマ車のオルヂゲ完勒只格(明譯 車前、車の前室)にヒトリ一人のオトメ女子 カホヨ妍きあり。アタ與へられず(嫁がず)あらば、ドブン メルゲン朶奔 篾兒干 オトヽ弟、ナンヂ汝がタメ爲にモト求めん」とイ云ひて、ドブン メルゲン朶奔 篾兒干 オトヽ弟をミ見にヤ遣りぬ。
§7(01:04:09)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ドブン メルゲン朶奔 篾兒干、カ彼のタミ民のトコロ處にイタ到れば、ゲ實にもウツク美しく(蒙語 豁阿)カホヨ妍くコヱ聲(聞え譽れ)ナ名のオホ大きなるアラン ゴア阿闌 豁阿(阿闌 媛。豁阿は、美より轉じて、媛 卽ち美女なり。元史 本紀、世系表、輟耕錄、アラン ゴホア阿蘭 果火、蒙古 源流アルン ゴワ阿掄 郭斡)のナ名ありて、ヒト人にもアタ與へられざるヲトメ女子なりき。
§8(01:05:03)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ゴリラルタイ メルゲン豁哩剌兒台 篾兒干のムスメ女
カ彼のムレ羣 ヰ居るタミ民は、マタ又 コル バルクヂン トグム闊勒 巴兒忽眞 脫古木(闊勒 巴兒忽眞の隘處。親征錄、元史 本紀バルフヂン ノ アイ八兒忽眞 之 隘。額兒忒曼は、巴兒古臣 禿古嚕姆と云ふ。今の拜喀爾湖の東岸なるバルグチン巴爾古精︀の地)のウシ主人 バルグダイ メルゲン巴兒忽歹 篾兒干(巴兒忽惕部の善射者︀)のムスメ女 バルクヂン ゴア巴兒忽眞 豁阿(巴兒忽眞 媛、巴兒忽惕 部の美女。蒙古 源流バラゴチン ゴワ巴喇郭沁 郭斡)と云ふヲトメ女子をゴリ トマト豁哩 禿馬惕の(喇失惕 額丁の蒙古 集史に依れは、禿馬惕は、巴兒古惕の中の一部落にして、巴兒古臣 禿古嚕姆の地に住めりと云ふ。されども下の阿哩黑 兀孫は、今の伊爾庫 河ならば、禿馬惕の地は、[63]拜喀爾 湖の西に在るべし。元史 兵志に、太僕寺の牧地「北踰㆓火里 禿麻㆒」とあるは、この地なり)クワンニン官人 ゴリラルタイ メルゲン豁哩剌兒台 篾兒干(蒙古 源流ゴリダイ メルゲン郭哩岱 默爾根)にアタ與へられたりき。ゴリ トマト豁哩 禿馬惕のチ地にてアリク ウスン阿哩黑 兀孫にて(阿哩黑の水。蒙古 源流アリク ウスン阿哩克 烏遜。高寶銓の說に、今の伊爾庫租克 州の伊爾庫 河なりと云ふ。)ゴリラルタイ メルゲン豁哩剌兒台 篾兒干の[ツマ妻]バルクヂン ヒメ巴兒忽眞 媛よりウマ生れたるアラン ビメ阿闌 媛とイ云ふヲトメ女子 シカ然り。
§9(01:06:01)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ゴリラルタイ メルゲン豁哩剌兒台 篾兒干は、ゴリ トマト豁哩 禿馬惕のチ地のウチ內、テウソ貂鼠 セイソ靑鼠 ケダモノ野獸あるチ地をサシト差止めア合ひて(仲間內にて互に禁約して)、ウレ憂へア合ひて(明譯ゴリ トマドン豁哩 禿馬敦 ジメン地面
§10(01:07:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
アラン ビメ阿闌 媛はドブン メルゲン朶奔 篾兒干のトコロ處にキ來て、フタリ二人のコ子をウ生めり。ブグヌタイ不古訥台(蒙古 源流ベグンデイ伯衮徳依)、ベルグヌタイ別勒古訥台(蒙古 源流ベルグテイ伯勒格特依)とイ云へるなりき。(下文に依れば、不古訥台は弟、別勒古訥台は兄なり。)
§11(01:07:05)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ドワ ソゴル都︀蛙 鎻豁兒なるソ其の(朶奔 篾兒干の)アニ兄は、ヨタリ四人のコ子ありき。シカ然あるホド程に、ドワ ソゴル都︀蛙 鎻豁兒なるそのアニ兄は、ナ無くなれり(死にたり)。[64]ドワ ソゴル都︀蛙 鎻豁兒 ナ無くなれるノチ後、そのヨタリ四人のコ子は、ドブン メルゲン朶奔 篾兒干 ヲヂ叔父をミウチ親族とナ爲さず、アナド侮︀りてワカ分れてス棄ててタ起てり。ドルベン朶兒邊 ウヂ姓となり(朶兒邊は四つなり。兄弟 四人なるが故に、四つを以て姓となし)て、ドルベン朶兒邊(親征錄、元史 本紀ドルバン ブ朶魯班 部)のタミ民とカレラ彼等の[シソン子孫]はナ爲れり。
§12(01:08:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ウリヤンカン兀哴罕より鹿の燒肉をドブン メルゲン朶奔 篾兒干の得たる
そのノチ後にヒトヒ一日 ドブン メルゲン朶奔 篾兒干は、トゴチヤク ウンドル脫豁察黑 溫都︀兒(脫豁察黑 高地、卽ち脫豁察黑岡)のウヘ上にケダモノガリ獸狩にノボ上れり。ハヤシ林のナカ中にてウリヤンカン兀哴罕(種族の名。卽ち前の哂赤 伯顏の姓なる兀喰孩)のヒト人、サンサイノシカ三歲鹿をコロ殺︀して、そのアバラ肋そのハラワタ臟腑をヤ燒きてヲ居るにア遇ひて、
§13(01:08:07)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ドブン メルゲン朶奔 篾兒干 イ言はく「トモ友よ、ヤキジシ燒肉を」とイ云ひき。「アタ與へん」とイ云ひて、そのハイザウ肺臟あるハラ腹のカハ皮をト取りて、サンサイノシカ三歲鹿のシヽ肉 ミナ皆をドブン メルゲン朶奔 篾兒干にアタ與へたり。
§14(01:09:01)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ドブン メルゲン朶奔 篾兒干は、そのサンサイノシカ三歲鹿をウマ馬にツ駄けてキ來ぬるに、ミチ路にてヒトリ一人のマヅ貧しきヒト人そのコ子をヒ引きてユ行くにア遇ひて、
§15(01:09:04)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ドブン メルゲン朶奔 篾兒干「ナンビト何人ぞ、ナンヂ汝」とト問へば、そのヒト人 イ言はく「ワレ我は、マアリク馬阿里黑(名。蒙古 源流マハライ瑪哈賚)バヤウダイ伯牙兀歹(姓。元史バヤウ伯岳吾又 伯牙吾、輟耕錄 伯要歹)、コンキウ困窮してユ行くなり。そのケダモノ獸のシヽ肉よりワレ我にアタ與へよ。ワレ我このコ子をナンヂ汝にアタ與へん」とイ云ひき。
§16(01:09:10)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ドブン メルゲン朶奔 篾兒干は、そのコトバ言につき、サンサイノシカ三歲鹿のカタカタ片方のモヽ腿をヲ折りてアタ與へて、カレ彼のそのコ子をツ伴れキ來て、イヘ家のウチ內にツカ使ひ[65]てス住みたりき。
§17(01:10:04)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
かくス住めるホド程に、ドブン メルゲン朶奔 篾兒干 ナ無くなれり。ドブン メルゲン朶奔 篾兒干をナ無くなしたるノチ後、アランヒメ阿闌媛〈[#「阿闌媛」はママ。他の節︀では「阿闌 媛」でルビは「アラン ビメ」]〉は、ヲトコ男 ナ無きにミタリ三人のコ子をウ生めり。ブク カタギ不忽 合塔吉(元史 本紀、世系表、輟耕錄ボカン カダキ博寒 葛荅黑、蒙古 源流ブグ ハタギ布固 哈塔吉)、ブカト サルヂ不合禿 撒勒只(元史、輟耕錄ボカト サリヂ博合覩 撒里直、蒙古 源流ボクド サルヂグ博克多 薩勒濟固)、ボドンチヤル モンカク孛端察兒 蒙合黑(元史、輟耕錄、孛端叉兒、蒙古 源流、勃端察兒)とイ云へるなりき。
§18(01:10:09)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
サキ前にドブン メルゲン朶奔 篾兒干よりウマ生れたるベルグヌタイ別勒古訥台、ブグヌタイ不古訥台、フタリ二人のコ子は、そのハヽ母 アラン ビメ阿闌 媛のカゲ背處にてイ言ひア合へらく「このワレラ我等のハヽ母は、アニオトヽ兄弟なるボウシン房親のヒト人(夫の兄弟)ナ無くヲトコ男(外夫)ナ無くありつゝ、このミタリ三人のコ子をウ生めり。イヘ家のウチ內にヒトリ獨 マアリク バヤウダイ馬阿里黑 伯牙兀歹のコ子あり。(子は、原文に古溫とありて、語譯には人と譯し、文譯には家人と譯したれども、古溫は、子の蒙語なる可溫の誤りなるべし。)このミタリ三人のコ子は、カレ彼のなるぞ」とハヽ母のカゲ背處にてウハサ噂しア合へるを、そのハヽ母 アラン ビメ阿闌 媛 サト覺りて、
§19(01:11:07)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ハル春のヒトヒ一日、ラフヤウ臘羊をニ煮︀て、ベルグヌタイ別勒古訥台、ブグヌタイ不古訥台、ブク カタギ不忽 合塔吉、ブカト サルヂ不合禿 撒勒只、ボドンチヤル モンカク孛端察兒 蒙合黑、このイツタリ五人のコ子どもをナラ列べス坐ゑて、ヒトスヂ一條づゝのヤ箭を「折れ」と云ひてアタ與へたり。ヒトスヂ一條づゝをいかでトヾ畱めん、ヲ折りてノ去けたり。マタ又 イツスヂ五條のヤ箭をヒト一つにツカ束ねて、「ヲ折れ」とイ云ひてアタ與へたり。イツタリ五人にて、イツスヂ五條 ツカ束ねたるヤ箭をヒト人ごとにト取りてマハ𢌞してヲ折りかねたり。
§20(01:12:06)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
そこにアラン ビメ阿闌 媛なるカレラ彼等のハヽ母はイ言へり。「ナンヂラ汝等。[66]ベルグヌタイ別勒古訥台、ブグヌタイ不古訥台なるワ我が〈[#「が」は底本では「か」。昭和18年復刻版に倣い修正]〉フタリ二人のコ子よ。ワレ我を「このミタリ三人のコ子をウ生めり。タレ誰のナニ何のコ子なるか」とウタガ疑ひア合ひてウハサ噂しア合へり。ナンヂラ汝等のウタガ疑ふもモツトモ是なり。
§21(01:13:01)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ヨ夜ごとにヒカ光るキイロ黃色のヒト人、ヘヤ房のソラマド天窻のトグチ戶口のアカルミ明處よりイ入りて、ワ我がハラ腹をサス摩りて、そのヒカリ光はワ我がハラ腹のウチ內にトホ透るなりき。イ出づるには、ヒツキ日月のヒカリ光にて、キイヌ黃狗のゴト如くハ爬ひてイ出づるなりき。カルハズミ輕率迭列篾にナン何ぞイ言ふ、ナンヂラ汝等。これ帖兀別兒にてミ察れば、アキラ明忝迭克かにカレ彼の(光る人の子)は、アマツカミ皇天騰格哩のミコ御子なるぞ。クロ黑合喇きカシラ頭帖哩兀のヒト人(謂はゆる黎民 又は黔首)にクラ比合泥勒罕べてナン何ぞイ言ふ、ナンヂラ汝等。カムクン カト合木渾 合惕(普き君、すめらぎ、合木渾 罕の複稱)とならば、タミグサ民草合喇除思はそこにサト覺らんぞ」とイ云へり。
§22(01:14:01)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
マタ又 アラン ビメ阿闌 媛は、イツタリ五人のコ子をヲシ敎ふるコトバ言にイ言はく「ナンヂラ汝等、ワ我がイツタリ五人のコ子は、ヒトリ獨のハラ腹よりウマ生れたり。ナンヂラ汝等は、アタカ恰もイツスヂ五條のヤ箭のゴト如し。ヒトリビトリ獨獨にならば、カ彼のヒトスヂ一條づゝのヤ箭のゴト如く、タレ誰にもタヤス容易くヲ折られん、ナンヂラ汝等。カ彼のツカ束ねたるヤ箭のゴト如く、モロトモ諸︀共にヒト一つのハカラヒ商量あるとならば、タレ誰にもタヤス容易くはナン何ぞならん(何ぞ敗られん)、ナンヂラ汝等」とイ云へり。かくス住めるホド程に。アラン ビメ阿闌 媛なるカレラ彼等のハヽ母はナ無くなれり。
§23(01:14:09)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
そのハヽ母 アラン ビメ阿闌 媛をナ無くなしたるノチ後、アニオトヽ兄弟 イツタリ五人にて、バグン馬羣 リヤウシヨク糧食をワ分けア合ふに、ベルグヌタイ別勒古訥台、ブグヌタイ不古訥台、ブク カタギ不忽 合塔吉、ブカト サルヂ不合禿 撒勒只、ヨタリ四人にてトモ共にト取れり。ボドンチヤル モンカク孛端察兒 蒙合黑はヲヂナ弱[67]くありとて、ミウチ親族にカゾ算へず、ワケマヘ分前をアタ與へざりき。
§24(01:15:06)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ボドンチヤル孛端察兒は、ミウチ親族にカゾ算へられずして、「こゝにス住みてナニ何」とイ云ひて、セガサ脊瘡豁勒荅阿哩あるヲミジカ尾短豁多黎薛兀勒のセグロ脊黑のアヲウマ靑馬にノ乘りて、「シ死なばカレラ彼等の[オトヽ弟]シ死なん。イ活きばカレラ彼等の[オトヽ弟]イ活きん」とイ云ひて、オナン ガハ斡難︀ 河にシタガ沿ひサ去りてハナ放ちたり(その身を自ら放ちたり)。サ去りてバルヂユン アラ巴勒諄 阿喇(明本語譯には水名、文譯には地名。阿喇は、阿喇勒にて、河中島なり。巴勒諄 島は、斡難︀ 河の島なるべし。元史 本紀バリトン アラン ノ チ八里屯 阿懶 之 地)にイタ到りて、そこにクサ草のイホ菴のヘヤ房をツク作りて、そこにス住みヰ居たり。
§25(01:16:03)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
かくス住めるトキ時にヒナ雛なるワカタカ黃鷹のノカケ野雞をトラ捕へてク喫ひヰ居るをミ見て、セガサ脊瘡あるヲミジカ尾短のセグロ脊黑のアヲウマ靑馬のヲ尾のケ毛にてワナ套 ツク作りてトラ捕へてソダ育てたり。
§26(01:16:07)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ク喫ふクヒモノ食物なくス住めるには、オホカミ狼のキリギシ崖にてトリマ取卷けるケダモノ獸をウカヾ窺ひてイ射てコロ殺︀してク喫ひア合ひ、オホカミ狼のク喫へる(喫ひ殘せる)をヒロ拾ひてク喫ひ、オノレ己のノド喉をマタ又 ワカタカ黃鷹をヤシナ養ひア合ひ、そのトシ年 ス過ぎたり。
§27(01:17:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ハル春になれり。カモ鴨どもキ來ぬるトキ時に、ワカタカ黃鷹をウ飢ゑさせてハナ放てり。カモカリ鴨雁どもを、カレキ枯木豁只兀剌思ごとにクサキカ臭氣荒失兀惕を、カワ乾洪只瓦列思けるキ木ごとにナマグサ腥洪失兀惕きカ氣をキ聞くまでにオ置きたり(明譯トラヘ拏㆓ウルヿ得ガアフヲ鵞鴨㆒オホクテ多了、クヒ喫ズ不㆑ツクサ盡、カケテ掛㆓アリ在カク コジユノ ウヘニ各 枯樹 上㆒スベテ クサクナレリ都︀ 臭了)。
§28(01:17:06)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
トンゲリク統格黎克 ヲガハ小河の民との交り
ドイレン都︀亦嗹(明譯 山名)のウシロ背よりトンゲリク統格黎克 ヲガハ小河にシタガ沿ひ、ムレビト羣民 タ起ちてキ來ぬ。ボドンチヤル孛端察兒、カ彼のタミ民のトコロ處にワカタカ黃鷹をハナ放ちユ往きて、ヒル晝は[68]ウマノチ馬乳を[モト求めて]ノ飮みて、ヨル夜はクサ草のイホ菴のヘヤ房にキ來てイ寢ぬるなりき。
§29(01:18:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
カ彼のタミ民、ボドンチヤル孛端察兒のワカタカ黃鷹をモト求むれども、アタ與へざりき。カ彼のタミ民、ボドンチヤル孛端察兒にタレ誰のともナニ何のともト問ふことナ無く、ボドンチヤル孛端察兒もカ彼のタミ民にナニタミ何民とト問ひア合ふことナ無くオコナ行ひア合へり。
§30(01:18:07)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ブク カタギ不忽 合塔吉なるそのアニ兄は、ボドンチヤル モンカク孛端察兒 蒙合黑 オトヽ弟を「このオナン ガハ斡難︀ 河にシタガ沿ひサ去れり」とてタヅ尋ねキ來て、トンゲリク統格黎克 ヲガハ小河にシタガ沿ひタ起ちてキ來にけるタミ民に「かくかくのヒト人、かゝるウマ馬あるなりき」とてト問へば、
§31(01:19:03)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
カ彼のタミ民 イ言はく「ヒト人もウマ馬も、ナンヂ汝のト問へるにニ似たるあり。ワカタカ黃鷹あるにぞある。ヒ日ごとにワレラ我等のトコロ處にキ來て、ウマノチ馬乳をノ飮みてサ去れり。ヨル夜はケダシ蓋いづくにかヤド宿りけん。ニシキタ西北よりカゼ風 オコ起れば、ワカタカ黃鷹にト捕らせたるカモカリ鴨雁どものハネケ翎毛は、ヒルガヘ飄るユキ雪のゴト如くチ散りてハ刮かれてク來るなり。こゝにチカ近くあるぞ。イマ今 ク來るトキ時となれり。シバラ暫くマ待て」とイ云へり。
§32(01:20:03)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
シバラ暫くありてトンゲリク統格黎克 ヲガハ小河にサカノボ泝りヒトリ一人のヒトク人 ク來るあり。イタ到りてキ來ぬればボドンチヤル孛端察兒なりき。ブク カタギ不忽 合塔吉なるそのアニ兄 ミ見ると(蒙語、兀者︀ 額惕、見てすぐに、又は見るや否やの意にて、稍 輕し。以下すべて動詞の下に額惕なる後置詞ある時は、大抵「云云すると」と譯せり)ミト認めて、ヒ引きツ伴れて、オナン ガハ斡難︀ 河にサカノボ泝りウマ馬をカ驅りてサ去り[69]てハナ放ちたり(自由の身にしたり)。
§33(01:20:08)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ボドンチヤル孛端察兒は、ブク カタギ不忽 合塔吉 アニ兄のシリヘ後よりシタガ隨ひて、ウマ馬をカ驅りてユ行くユ行くイ言はく「アニ兄、アニ兄。ミ身にカシラ頭ありコロモ衣にエリ領あるヨ善し」と云へり。そのアニ兄 ブク カタギ不忽 合塔吉は、そのコト言をナニ何ともナ爲さ(思は)ざりき。
§34(01:21:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
マタ又そのコト言をイ言へども、そのアニ兄はナニ何ともナ爲さず、そのコタヘ答はコヱ聲せざりき。ボドンチヤル孛端察兒 ユ行きて、マタ又そのコト言をイ言へり。そのコト言につき、そのアニ兄 イ言はく「サキホド先程よりそれそれナニ何のコト言をか言へる、汝」と云へり。
§35(01:21:07)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
オソ襲ひカス掠むるハカ議り合ひ
それよりボドンチヤル孛端察兒 イ言はく「タヾイマ只今のトンゲリク統格黎克 ヲガハ小河にヲ居るタミ民は、オホ大きチヒサ小きアシ惡きヨ好きカシラ ヒヅメ頭 蹄(上下)なくヒトシナミ齊等なり。ヤスキ容易きタミ民なり。ワレラ我等はカレラ彼等をオソ襲はん」とイ云へり。
§36(01:22:01)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
それよりそのアニ兄 イ言はく「ウベ諾。(蒙語ヂエ者︀、唯とも諾とも善しとも然りとも譯すべし。)シカ然あらば、イヘ家にイタ到りて、アニオトヽ兄弟ともハカ議りア合ひてカ彼のタミ民をオソ襲はん」とイ云ひア合ひて、
§37(01:22:05)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
イヘ家にイタ到ると、アニオトヽ兄弟どもカタ談りア合ひてウマ馬にノ乘れり。(蒙語モリラ バイ抹哩剌 罷。抹哩剌の本義は乘馬なれども、馬に乘りて征伐するを云ふ。以下は出馬 出征など譯せり。)そのボドンチヤル孛端察兒をサキガケ先驅にハシ奔らせたり。
§38(01:22:08)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ハラ孕めるヲミナ婦人のトリコ擒
ボドンチヤル孛端察兒は、サキガケ先驅にハシ奔りて、ハラ孕めるヲミナ婦人をトラ拏へて、「ナニウヂ何姓の人ぞ、ナンヂ汝」とト問へり。そのヲミナ婦人 イ言はく「ヂヤルチウト札兒赤兀惕(名)アダンカン阿當罕[70] ウリヤンカ兀哴合 ウヂ姓(兀哴罕の分族)、ワレ我」とイ云へり。
§39(01:23:03)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
カ彼のタミ民をアニオトヽ兄弟 イツタリ五人にてトラ虜︀へて、バグン馬羣阿都︀溫、リヤウシヨク糧食、ケニン家人哈闌のメシツカヒ召使、ス住阿灰むヰドコロ居處にアリツ有付きたり。
§40(01:23:06)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ヂヤダラン札荅㘓 ウヂ姓の祖︀なるヂヤヂラダイ札只喇歹
そのハラ孕めるヲミナ婦人は、ボドンチヤル孛端察兒のトコロ處にキ來てコ子 ウ產めり。アダシビト他人(蒙語ヂヤト イルゲン札惕 亦兒堅)のコ子なりとて、ヂヤヂラダイ札只喇歹とナ名づけたり。(札只喇歹は、札荅喇歹とも云ふ。あだしの蒙語なる札惕の尾を變じたるにて、あだしきの意なり。蒙古 源流にはワヂルタイ斡濟爾台、元史 世系表チヤヂライ挿只來。)ヂヤダラン札荅㘓のトホツオヤ遠祖︀とその[ヒト人]はナ爲れり。そのヂヤダラダイ札荅喇歹のコ子 トグウダイ土古兀歹とイ云へるありき。トグウダイ土古兀歹のコ子 ブリ ブルチル不哩 不勒赤嚕ありき。ブリ ブルチル不哩 不勒赤嚕のコ子 カラ カダアン合喇 合荅安ありき。カラ カダアン合喇 合荅安のコ子 ヂヤムカ札木合(親征錄 元史ヂヤムカ札木合)ありき。ヂヤダラン札荅㘓(蒙古 源流ワヂルタイ斡濟爾台、元史 孛禿の傳ヂヤチラダイ札赤剌歹)ウヂ姓とカレラ彼等はナ爲れり。
§41(01:24:05)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
バアリン巴呵𡂰 ウヂ姓の祖︀なるバアリダイ巴阿哩歹
そのヲミナ婦人、マタ又 ボドンチヤル孛端察兒よりヒトリ一人のコ子をウ生めり。トラ拏へ(蒙語バリ巴哩)てト取れるヲミナ婦人なりとて、そのコ子をバアリダイ巴阿哩歹(蒙古 源流バガリタイ巴噶哩台)とナ名づけたり。バアリン巴阿𡂰(親征錄バリン霸鄰、元史バリン八鄰)のトホツオヤ遠祖︀とその[ヒト人]はナ爲れり。バアリダイ巴阿哩歹のコ子 チドクル ボコ赤都︀忽勒 孛闊(赤都︀忽勒 力士)。チドクル ボコ赤都︀忽勒 孛闊は、ヲミナ婦人 オホ多くありき。そのコ子 アマタ眾多(蒙語メネム篾捏木)ウマ生れたり。メネン バアリン篾年 巴阿𡂰(眾 巴阿𡂰)ウヂ姓とカレラ彼等はナ爲れり。
§42(01:25:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
アニオトヽ兄弟 イツタリ五人より出でたる五つのウヂ姓
ベルグヌタイ別勒古訥台は、ベルグヌト別勒古訥惕 ウヂ姓とナ爲れり。ブグヌタイ不古訥台は、ブグヌト不古訥惕 ウヂ姓とナ爲れり。ブグ カタギ不古 合塔吉は、カタギン合塔斤(親征錄、元史 本紀、ハタギン哈荅斤)ウヂ姓とナ爲れり。ブカト サルヂ不合禿 撒勒只は、サルヂウト撒勒只兀惕 ウヂ姓とナ爲れり。(親征錄、元史 本紀、[71]サンヂウ ブ散只兀 部。元史に、珊竹、散朮台、散竹台、珊竹帶、撒里知兀䚟とも書けり。)ボドンチヤル孛端察兒は、ボルヂギン孛兒只斤 ウヂ姓となれり。(こは、曾祖︀父 孛兒只吉歹 篾兒干の名に依れるなり。蒙古 源流ボルヂギン博爾濟錦。その複稱は、孛兒只吉惕にして、蒙古 游牧記に、博明の西齋偶得を引きて、今の蒙古の元裔は、みな博爾濟吉特 氏なりと云へり。)
§43(01:25:07)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ボドンチヤル孛端察兒の子 カビチ合必赤 ヂヤウレダイ沼咧歹
ボドンチヤル孛端察兒のヨバ通へるヲミナ婦人よりウマ生れたるバリン シイラト カビチ巴啉 失亦喇禿 合必赤(元史、輟耕錄、バリン シヘラト ハビチ八林 昔黑剌禿 哈必畜、蒙古 源流ハビチ バートル哈必齊 巴圖爾)とイ云へるありき。そのカビチ バアトル合必赤 巴阿禿兒(合必赤 勇士)のハヽ母のジウフ從婦(嫁ぎに從へる婦人)をボドンチヤル孛端察兒 ヒ扯きてヲ居りき。ヒトリ一人のコ子 ウマ生れたり。ヂヤウレダイ沼咧歹とイ云へるなりき。(原書には、沼兀咧歹と書けり。沼兀と書きても沼の一字と音同じき故に、兀の字を略けり。かゝる例は、後にもあまたあり。一一には註せず。)ヂヤウレダイ沼咧歹は、サキ前にヂユゲリ主格黎(明本 旁譯ニテ以㆑サヲ竿カケテ懸㆑ニクヲ肉マツル祭㆑テンヲ天トコロ處)にイ入りたりき(明譯ボドンチヤル孛端察兒 アリシトキ在時、ヲ將㆑カレ他ナシ做㆑コト兒、サイシノ祭祀 トキニオナジク時同 サイシシ祭祀 タリキ有來)。
§44(01:26:03)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ボドンチヤル孛端察兒 ナ無くなれるノチ後、そのヂヤウレダイ沼咧歹を「イヘ家にはツネ常にアダンカ ウリヤンカダイ阿當合 兀哴合歹(卽ち前の阿當罕 兀哴合 姓)のヒト人 ス住めり。カレ彼のなるぞ」とイ云ひて、サイテンシヨ祭天處よりイダ出して、ヂヤウレイト沼咧亦惕 ウヂ姓とナ爲して、ヂヤウレイト沼咧亦惕(親征錄 元史ヂヤウレイ照烈、またチヤウレタイ召烈台)のトホツオヤ遠祖︀とその[ヒト人]はナ爲れり。
§45(01:26:09)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
カビチ バアトル合必赤 巴阿禿兒のコ子 メネン トドン篾年 土敦ありき。(元史本紀メネン ドドン咩撚 篤敦。世系表 輟耕錄は、撚を麻と誤れり。蒙古 源流マハ トダン瑪哈 圖丹、哈必齊の孫とせり)メネン トドン篾年 土敦のコ子 カチ クルク合赤 曲魯克、(蒙古 源流ハチ クルク哈齊 庫魯克。元史 世系表、輟耕錄は、誤りて旣拏 篤兒罕と云へり。)カチン合臣、(世系表カシヤン合產、敦必乃の第三子とせり。)カチウ合赤兀、(世系表カチユフ葛朮虎、敦必乃の長子とせり)カチユラ合出剌、(世系表カフラ ギリタン葛忽剌 急里擔、敦必乃の第二子とせり。)カチウン合赤溫、(世系表カチフン葛赤渾、敦必乃の第五子とせり)カラルダイ合㘓歹、(世系表ハララダイ哈剌喇歹、[72]敦必乃の第四子とせり。)ナチン バアトル納臣 巴阿禿兒(納臣 勇士。元史 本紀 世系表ナチン納眞、朮赤台の傳ラチン バード剌眞 八都︀、畏荅兒の傳 剌眞 八都︀兒)ナヽタリ七人ありき。(輟耕錄の宗室 世系は、大抵 元史の世系表に同じ。蓋 世系表は、輟耕錄に據れるなり。この後 世系表を引ける場合には、輟耕錄をば必ずしも引かず。)
§46(01:27:04)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
カチ クルク合赤 曲魯克のコ子 カイド海︀都︀(元史ハイド海︀都︀)は、ノモルン エケ那莫侖 額客(那莫侖と云ふ母)よりウマ生れたるなりき。(元史 本紀はモナルン莫挐倫に作り、咩撚 篤敦の妻 海︀都︀の祖︀母とせり。)カチン合臣のコ子 ノヤギダイ那牙吉歹とイ云へるありき。クワンニン官人(蒙語ノヤン那顏)ぶるサガ性あるユヱ故に、ノヤキン那牙勤 ウヂ姓となれり。(親征錄ノエキン那也勤。元史ノハカル那哈合兒、葛朮虎の子孫とせり。)カチウ合赤兀のコ子 バルラタイ巴嚕剌台とイ云へるありき。オホ大きなるミ身にてクヒモノ食物にタケ健く(蒙語バル巴嚕)ありき。バルラス巴嚕剌思 ウヂ姓(健啖氏)となれり。(世系表、八魯剌斯、大小 二族あり、皆 葛朮虎の子孫に非ず。)カチユラ合出剌のコ子も、クヒモノ食物にタケ健きユヱ故に、エケ バルラ也客 巴嚕剌(大 巴嚕剌)ウチユゲン バルラ兀出干 巴嚕剌(小 巴嚕剌)とナ名づけて、バルラス巴嚕剌思 ウヂ姓とナ爲して、エルデント バルラ額兒點圖 巴嚕剌、トドエン バルラ脫朶延 巴嚕剌がカシラ頭たる(――を頭とせる)バルラス巴嚕剌思とカレラ彼等はナ爲れり。(世系表、大 八魯剌斯のみは、葛忽剌 急里擔の子孫にして、小 八魯剌斯は、合產の子孫とせり。)カラルダイ合㘓歹のコ子どもは、カユメシ粥飯︀(蒙語ブダアン不荅安)をアラソ爭ひナウ腦 カシラ頭 ナ無き(兄弟の閒に長上なき)故に、ブダアト不荅阿惕(世系表ボデアテ博歹阿替)ウヂ姓とカレラ彼等はナ爲れり。カチウン合赤溫のコ子 アダルキダイ阿荅兒乞歹とイ云へるありき。アニオトヽ兄弟のアヒダ閒にカンテフ閒諜する(蒙語アダルク阿荅兒黑)ユヱ故に、アダルギン阿荅兒斤(親征錄 同じ。世系表アダリギ阿荅里急)ウヂ姓となれり。ナチン バアトル納臣 巴阿禿兒のコ子 ウルウダイ兀嚕兀歹(元史 朮赤台の傳ウルウタイ兀魯兀台)、モンクタイ忙忽台(朮赤台の傳モング忙兀、畏荅兒の傳モングル忙兀兒)とイ云へるありき。ウルウト兀嚕兀惕(親征錄ウルウ兀魯吾。世系表ウチヤウト兀察兀禿。察は、魯に作るべし。輟耕錄に據りて誤れり。)モンクト忙忽惕(親征錄 元史モング忙兀)のウヂ姓とカレラ彼等[73]はナ爲れり。ナチン バアトル納臣 巴阿禿兒のヨバ通へるヲミナ婦人よりウマ生れたるシヂユウダイ失主兀歹、ドゴラダイ朶豁剌歹とイ云へるありき。
§47(01:29:03)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
カイド海︀都︀のコ子、ベ センゴル ドクシン伯 升豁兒 多黑申、(元史 本紀バイ シングル拜 姓忽兒。世系表 輟耕錄は、姓を住に誤れり、蒙古 源流バイ シングル ドクシン拜 星呼爾 多克申、哈齊 庫魯克の子となせり。)チヤラカイ リンク察喇孩 領忽、(領忽は、漢︀語 令公の轉なり。世系表チヤラハ ニンクン察剌哈 寧昆。輟耕錄に察剌罕 寧兒とあるは、昆を兒に誤れるなり。)チヤウヂン オルテガイ抄眞 斡兒帖該(世系表リヤフヂン ウトテガ獠忽眞 兀禿迭葛禿は、兒の誤りなり。)ミタリ三人ありき。ベ センゴル ドクシン伯 升豁兒 多黑申のコ子 トンビナイ屯必乃 セチエン薛禪(屯必乃 賢者︀。元史トンビナイ敦必乃、蒙古 源流トムバガイ チエチエン托木巴該 徹辰)ありき。チヤラカイ リンク察喇孩 領忽のコ子 シヤングン ビルゲ想昆 必勒格(世系表 誤りてチナス直拏斯)[ありき]。(この閒 脫文あり。明譯には、下の如き譯文あり。シヤングン ビルゲ想昆 必勒格
§48(01:30:03)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
トンビナイ セチエン屯必乃 薛禪のコ子、カブル カガン合不勒 合罕(合不勒 大君。元史カブル カン葛不律 寒、蒙古 源流ハブル カン哈布勒 汗)、セムセチユレ撏薛出列 二人ありき。セムセチユレ撏薛出列の子、ブルテチユ バアトル不勒帖出 巴阿禿兒(親征錄ブンタチユ バード奔搭出 拔都︀)ありき。
カブル カガン合不勒 合罕のコ子 ナヽタリ七人ありき。そのコノカミ長はオキン バルカク斡勤 巴兒合黑、(をとめ巴兒合黑。顏好きが故に名づくと云ふ。世系表コキン バラハハ窠斤 八剌哈哈。[74]窠は、窩の誤りならん。輟耕錄は、又 笛不の二字に誤れり。)[ツギ次は]バルタン バアトル巴兒壇 巴阿禿兒(元史バリダン八哩丹、蒙古 源流バルダム バートル巴爾達木 巴圖兒)、クトクト モングル忽禿黑禿 蒙古兒(卷四に古を列とせり。親征錄フドト モンナル忽都︀徒 忙納兒、元史フドル メネル忽都︀魯 咩聶兒)、クトラ カガン忽圖剌 合罕(忽圖剌 大君。親征錄フトラン カガン忽脫蘭 可汗、世系表フルラ ハン忽魯剌 罕)、クラン忽闌(親征錄 世系表フラン忽蘭)、カダアン合荅安(世系表カダン バードル合丹 八都︀兒)、トドエン オツチギン脫朶延 斡惕赤斤、(親征錄トドン脫端、世系表トドン オチギン掇端 斡赤斤。斡惕赤斤は、竈なり。轉じて家產の義となる。蒙古の俗、少子は父の遺產を受くる故に、斡惕赤斤 卽ち 竈君と稱す。元史には、斡赤斤、斡眞、斡嗔、斡陳など書けり。)このナヽタリ七人ありき。
§49(01:30:10)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
オキン バルカク斡勤 巴兒合黑のタネ胤なるユルキ禹兒乞 ウヂ姓
オキン バルカク斡勤 巴兒合黑のコ子 クトクト ユルキ忽禿黑禿 禹兒乞ありき。(この人は、卷三にも卷四にも莎兒合禿 主兒乞とあれば、忽禿黑禿は、莎兒合禿の誤りにして、忽禿黑禿 蒙古兒と混じたるなり)クトクト ユルキ忽禿黑禿 禹兒乞のコ子、セチエ ベキ薛扯 別乞(別乞は、族長の稱。親征錄 元史 本紀セチエ ベギ薛徹 別吉)、タイチユ台出(親征錄、元史 本紀、タイチウ大丑)フタリ二人ありき。ユルキ禹兒乞(親征錄ユルキン月兒斤)ウヂ姓とカレラ彼等はナ爲れり。
§50(01:31:03)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
バルタン バアトル巴兒壇 巴阿禿兒のコ子、モンゲト キヤン忙格禿 乞顏(乞顏は、合不勒 合罕の子孫、蒙古の嫡流の姓なり。孛兒只斤は、孛端察兒の子孫 總體の姓にして、我が經基王の子孫みな源氏と稱するが如く乞顏は、その宗家に限られ、我が 新田 足利 德川の如し。元史 本紀のキヤウン奇渥溫は、音 正しからず。世系表モンキト キヤン蒙奇睹 黑顏、蒙古 源流ムンゲト チエチエン孟格圖 徹辰)、ネクン タイシ捏坤 太石(太石は、漢︀語 太師の轉にして、遼代 以來 北人の美稱となれり。今は台吉と書き、タイヂと呼びて、蒙古の爵の名となれり。明本 音譯に太子と書けるは、譯人の誤りなり。蒙古には儲君なし。太子は、儲君にして、タイツと呼び、音 義みな違ふ。後來 元帝の諸︀子をみな太子と稱するは、皇子の義にして、太石とは又 別なり。世系表ネグン タイシ聶昆 太司、蒙古 源流ネグン タイシ訥衮 泰實)、エスガイ バアトル也速該 巴阿禿兒(親征錄 元史レツソ シンゲン クワウテイ エスガイ烈祖︀ 神︀元 皇帝 也速該、蒙古 源流イスガイ バートル伊蘇凱 巴圖兒)、ダリタイ オツチギン荅哩台 斡惕赤斤、(親征錄ダリタイ荅里台、元史 本紀ダリタイ荅力台、世系表ダリヂン荅里眞。眞は、直の誤りか。然らざれば、里眞の閒に台斡の二字脫ちたるなり。蒙古 源流ダリダイ オヂギン達哩岱 諤濟錦)、このヨタリ四人ありき。
クトクト モングル忽禿黑禿 蒙古兒のコ子 ブリ ボコ不哩 孛闊(不哩 力士)ありき。オナン斡難︀のハヤシ林(斡難︀ 河原の林)にウタゲ筵會せるトキ時、ベルグタイ別勒古台(成吉思 汗の弟)のカタ肩をサ劈きキ斫り[75]たるは、このヒト人の[ワザ業]なりき。(この事、卷四にあり。)
§51(01:31:09)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
クトラ カガン忽圖剌 合罕のコ子、ヂユチ拙赤(親征錄シユヂ カガン搠只 可汗)、ギルマウ吉兒馬兀、アルタン阿勒壇(親征錄、元史本紀、アンタン按壇、またアンタン按彈)ミタリ三人ありき。
クラン バアトル忽蘭 巴阿禿兒(世系表フラン バードル忽蘭 八都︀兒)のコ子 エケ チエレン也客 扯嗹ありき。バダイ巴歹、キシリク乞失黎黑 フタリ二人のダルカン荅兒罕のクワンニン官人は、この人の[ケニン家人]なりき。(この二人の事は、卷五 卷六にあり。)カダアン合荅安、トドエン脫朶延 フタリ二人は、ウミノコ子孫なかりき。
§52(01:32:05)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
カブル合不勒の後 アンバカイ俺巴孩のウシハ管き
アマネ普きモンゴル忙豁勒(全 蒙古 部)をカブル カガン合不勒 合罕 ウシハ管きたり。(蒙古の酋長は、合不勒に至り始めて合罕と稱したり。大金 國志の熙宗 皇統 七年の處に「朦骨 酋長 熬羅 孛極烈、自稱㆓祖︀元 皇帝㆒」とある熬羅は、卽ち合不勒なり。金の皇統 七年は、我が近衞 天皇 久安 三年 丁卯、宋の高宗 紹興 十七年、西紀 一一四四年、成吉思 汗の生るゝより十五年前なり。)カブル カガン合不勒 合罕のノチ後、カブル カガン合不勒 合罕のコトバ言にて、そのナヽタリ七人のコ子あれども、シヤングン ビルゲ想昆 必勒格のコ子 アンバカイ カガン俺巴孩 合罕は、アマネ普きモンゴル忙豁勒をウシハ管きたり。(忙豁勒の名は、甚だ古し。唐書 室韋の傳の蒙兀 室韋、松漠 紀聞の盲骨子、朦古、契丹 國志の蒙骨、蒙古里、遼史の萌古、蒙韃 備錄の蒙古斯、大金 國志の蒙骨子、朦骨、萌骨 等は、皆この忙豁勒なり。)
§53(01:32:09)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ブユル ナウル不余兒 納兀兒、コレン ナウル闊連 納兀兒(納兀兒は湖水。今のブイル ノール布伊爾 諾爾、フルン ノール呼倫 諾爾)ニコ二湖のアヒダ閒なるウルシウン ムレン兀兒失溫 木嗹(今のウルシユン ガハ烏爾順 河)にヲ居るアイリウト阿亦里兀惕、ビルウト備嚕兀惕(二姓)なるタタル塔塔兒のタミ民に、アンバカイ カガン俺巴孩 合罕は、ムスメ女をアタ與へて、ミヅカ自らそのムスメ女をオク送りてユ往きたるに、タタル塔塔兒のヂユイン主因(種姓)のタミ民は、アンバカイ カガン俺巴孩 合罕をトラ拏へて、キタト乞塔惕の(契丹の複稱。蒙古人は、支那人を乞塔惕と云ひ、契丹人を合喇 乞塔惕と云ふ。)アルタン カガン阿勒壇 合罕に(阿勒壇は、黃金なり。蒙語 乞塔敦 阿勒壇 合罕は、支那の金 皇帝、云ふに同じ。この金 皇帝は、廢帝 亮なるべし。)ヰ率てユ往くトキ時、アンバカイ カガン俺巴孩 合罕は、ベスト別速惕のヒト人 バラカチ巴剌合赤なるツカヒ使もてイ言ひてヤ遣るに、「カブル カガン合不勒 合罕のシチシ七子のナカ中[76]なるクトラ忽圖剌にイ言へ。[マタ又 ワ我が]ジツシ十子のウチ內 カダアン タイシ合荅安 太石にイ言へ」とてイ言ひてヤ遣るに、「カムクン カガン合木渾 合罕(普き大君、すめら おほぎみ)、クニ國のウシ主人となりて、ムスメ女をミヅカ自らオク送れることをワレ我によりイマシ戒めよ。タタル塔塔兒のタミ民にトラ拏へられたり、ワレ我。イツ五塔奔つユビ指をツメ爪 ハガ刷塔木すまで、トヲ十哈兒班のユビ指をスリヘラ磨滅哈兀惕すまで、ワ我がカタキ仇哈赤をムク報いコヽロ試みよ」とイ云ひてヤ遣りき。
§54(01:34:04)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
そのコロ頃 エスガイ バアトル也速該 巴阿禿兒は、オナン ガハ斡難︀ 河にタカ鷹をツカ使ひユ行くトキ時、メルキト篾兒乞惕(親征錄 元史メリキ ブ蔑里乞 部)のエケ チレド也客 赤列都︀(蒙古 源流イケ チレト伊克 齊埓圖)、オルクヌウト斡勒忽訥兀惕(蒙古 源流オルゴノト鄂勒郭諾特)のタミ民よりヲトメ女子をト取りてオク送りてキ來ぬるにア遇ひて、ウカヾ偵ひてミ見れば、カホバセ顏色のコト殊なる(殊色ある)ヲトメ童女 キサキ貴女なるをミ見て、イヘ家にカヘ回りハシ奔りて、ネクン タイシ捏坤 太石なるアニ兄、ダリタイ オツチギン荅哩台 斡惕赤斤なるオトヽ弟をヒキ率ゐてキ來ぬ。
§55(01:35:01)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
イタ到れば、チレド赤列都︀ オソ懼れて、―ハヤ速きウスキイロ淡黃色のウマ馬ありき。そのウスキイロ淡黃色のウマ馬のモヽ腿をウ打ちて、オカ岡をコ越えカク躱れたれば、そのシリヘ後よりミタリ三人にてツヾ續きア合ひたり。チレド赤列都︀は、ヤマ山のハナ鼻をメク繞りカヘ回りて、クルマ車のトコロ處にキ來ぬれば、そこにホエルン ウヂン訶額侖 兀眞〈[#「訶額侖 兀眞」は底本では「訶額命 兀眞」。昭和18年復刻版に倣い修正]〉(兀眞は、漢︀語 夫人の轉。元史センイ クワウゴウ ウエルン宣懿 皇后 月倫、蒙古 源流ウゲレン ハトン烏格楞 哈屯)イ言はく「カ彼のミタリ三人のヒト人をサト覺れるか、ナムヂ爾。カオガオ顏顏 アシ惡くあり。ナムチ爾のイノチ命〈[#ルビ「イノチ」は底本では「イノ」。昭和18年復刻版に倣い修正]〉をト取らんケシキ氣色あり。ナムチ爾のイノチ命だにあらば、シヤゼン車前完勒只格(車の前室)ごとにヲトメ童女斡乞惕、クロクルマ黑車合喇兀ごとにキサキ貴女合禿惕あらん。ナムチ爾のイノチ命だにあらば、ヲトメ童女 キサキ貴女は得らるゝぞ、[77]ナムチ爾 コト異なるナ名のをホエルン訶額侖とマタ又 ナ名づくべきぞ、ナムチ爾。イノチ命をノガ遁れ、ワ我がカ香をカ嗅ぎてユ行け」とて、ミジカギヌ短衣をヌ脫ぎて[アタ與へたるを、チレド赤列都︀]ウマ馬のウヘ上よりサグ探りてト取りたれば、ミタリ三人にてヤマ山のハナ鼻をメグ繞りてイタ到りてキ來ぬれば、チレド赤列都︀は、ハヤ速きウスキイロ淡黃色のウマ馬のモヽ腿をウ打ちて、イソ急ぎハシ走りてオナン ガハ斡難︀ 河にサカノボ泝りハシ走れり。
§56(01:36:09)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ミタリ三人にてアト後よりオ追ひて、ナヽ七つのヲカ岡をコ越ゆるまでハシ走りて、カヘ回りてキ來てホエルン ウヂン訶額侖 兀眞を(明譯補足ツヽミモチサリ裹將去)、エスガイ バアトル也速該 巴阿禿兒 タヅナ韁をヒ牽きてネクン タイシ捏坤 太石なるそのアニ兄 ミチビキ嚮導して、ダリタイ オツチギン荅哩台 斡惕赤斤なるそのオトヽ弟 ナガエ轅にソ傍ひてク來るトキ時、ホエルン ウヂン訶額侖 兀眞 イ言はく「ワ我がセ兄(蒙語アカ阿合、兄をも夫をも云ふ)チレド赤列都︀は、カゼ風克にサカラ逆ひカミ髮客古勒をハラ拂客額速はれたることナ無くアレノ荒野客額兒のチ地にハラ腹客額里をウ飢ゑさせたることナ無かりき。イマ今はいかサマ樣に。フタ二つのベンパツ辦髮をヒト一たびはセ背のウヘ上にヤ遣りて、ヒト一たびはフトコロ懷のウヘ上にヤ遣りて、ヒト一たびはマヘ前にム向け、ヒト一たびはウシロ後にム向け、いかサマ樣にナ爲してサ去れる」とイ云ひて、オナン ガハ斡難︀ 河をナミタ波立脫勒乞思塔剌たするまで、ハヤシガハラ林河原槐主不兒をトヨモ震動擣哩思塔剌すまで、オホゴヱ大聲にナ哭きてキ來つるトキ時、ダリタイ オツチギン荅哩台 斡惕赤斤 ソ傍ひてユ行きてイ言はく「ナンヂ汝のイダ抱帖別哩ける[ヒト人]は、タウゲ峠荅巴阿勒をオホ多くコ越荅巴えたり。ナンヂ汝のナ哭委剌荅かるゝ[ヒト人]は、ミヅ水兀速惕をオホ多くワタ渡れり。サケ叫合亦剌ぶとも、カヘリ顧合剌亦みてミ見ざらん、ナンヂ汝を。アト跡合亦 オ追ふとも、カレ彼のミチ路合兀魯合をエ得ざらん、ナンヂ汝、モダ默してよ」とイ云ひてイサ諫めたり。ホエルン ウヂン訶額侖 兀眞を、エスガイ也速該は、かくてそのイヘ家にツ伴れキ來[78]ぬ。ホエルン ウヂン訶額侖 兀眞をエスガイ也速該のツ伴れキ來ぬるコトノモト緣由、かくあり。
§57(01:39:01)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
クトラ忽圖剌 ソクヰ卽位のウタゲ筵會
アンバカイ カガン俺巴孩 合罕の、カダアン合荅安、クトラ忽圖剌 フタリ二人をナ名ざしてヤ遣りたるにヨ依り、アマネ普きモンゴル忙豁勒、タイチウト泰赤兀惕は、オナン斡難︀のゴルゴナク ヂユブル豁兒豁納黑 主不兒(豁兒豁納黑 河原、卽ち小河の河原)にツド聚ひて、クトラ忽圖剌をカガン合罕(カン罕のカン罕、君の君、大罕 おほぎみ、舊史のカガン可汗)となせり。モンゴル忙豁勒のタノ樂しきオド踊りウタゲ筵會 タノ樂しくありき。クトラ忽圖剌をキミ君にイタヾ戴くと、ゴルゴナク豁兒豁納黑のシゲ繁れるキ木のマハリ周圍にアバラ肋合必兒合だけのミゾ溝合兀魯合、ヒザ膝額不都︀克だけのクボミ窪斡勒客克となるまでヲド踊れり。
§58(01:39:09)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
クトラ忽圖剌、カガン合罕となると、カダアン タイシ合荅安 太石とフタリ二人、タタル塔塔兒の民のトコロ處にシユツバ出馬せり。タタル塔塔兒のコドン バラカ闊端 巴喇合、ヂヤリ ブハ札里 不花〈[#「札里 不花」は底本では「札里不花」。白鳥庫吉訳「音訳蒙文元朝秘史」§58(01:39:10)の漢︀字音訳「札里-不花」に倣い二語に分割]〉 フタリ二人のトコロ處にジフサン十三たびタヽカ戰ひて、アンバカイ カガン俺巴孩 合罕のアダ讎斡雪兒 カヘ復斡旋し ウラ怨乞撒兒み ムク報乞散いかねたり。
§59(01:40:05)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
デリウン迭里溫 コザン孤山にチンギス カガン成吉思 合罕のウマ生れ
そこにエスガイ バアトル也速該 巴阿禿兒は、タタル塔塔兒のテムヂン ウゲ帖木眞 兀格(親征錄テムヂン オケ帖木眞 斡怯)、ゴリ ブハ豁哩 不花(親征錄フル ブハ忽魯 不花)がカシラ頭たる(――を始めとせる)タタル塔塔兒をトラ虜︀へてキ來つれば〈[#「來つれば」は底本では「來つれは」。昭和18年復刻版に倣い修正]〉、そこにホエルン ウヂン訶額侖 兀眞 ハラ孕みてありて、オナン斡難︀の デリウン ボルダク迭里溫 孛勒荅黑に(迭里溫 孤山。親征錄デリウン ボンダ ザン跌里溫 盤陀 山、蒙古 源流デリグン ブルタク チハウ德里衮 布勒塔克 地方。揑兒臣思克に居りし露西亞の商人 裕啉思奇、その地を尋ね得て、鄂嫩 河の右岸にて也客 阿喇勒 洲の上流 七 ヹルストにありと云へり。)ヲ居るトキ時、マサ正にそこにチンギス カガン成吉思 合罕(元史タイソ ハフテン ケイウン セイブ クワウテイ太祖︀ 法天 啓運 聖武 皇帝、ガウス號㆓チンギス クワウテイト成吉思 皇帝㆒、蒙古 源流ソド ボグダ チンギス カン索多 博克達 靑吉斯 汗)ウマ生れき。ウマ生るゝトキ時、ミギ右のテ手にヒセキ髀石(蒙古の羣兒 擲ちて戯れとする玩具、獸骨を以て作り、光澤あり玉の如し。蒙語シア失阿)のゴト如きチコヾリ血塊をニギ握りてウマ生れき。タタル塔塔兒のテムヂン ウゲ帖木眞 兀格を[79]ヰ率てキ來つるトキ時 ウマ生れたりとて、テムヂン帖木眞(親征錄 同じ。元史テムヂン鐵木眞、蒙古 源流テムヂン特穆津)のナ名をアタ與へたること、かくあり。(この年は、我が二條 天皇 應保 二年 壬午、宋の高宗 紹興 三十二年、金の世宗 大定 二年、西紀 一一六二年 なり。)
§60(01:41:04)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
エスガイ バアトル也速該 巴阿禿兒のホエルン ウヂン訶額侖 兀眞より、テムヂン帖木眞、カツサル合撒兒、カチウン合赤溫、テムゲ帖木格、このヨタリ四人のコ子 ウマ生れたり。テムルン帖木侖とイ云ふヒトリ一人のムスメ女 ウマ生れたり。テムヂン帖木眞 コヽノツ九歲なるトキ時、ヂユチ カツサル拙赤 合撒兒(元史本紀ハツサル哈撒兒、輟耕錄シワウ シユチ ハツサル淄王 搠只 哈撒兒。世系表シユチ ハル ワウ搠只 哈兒 王、撒の字を脫せり。蒙古 源流ハツサル哈薩兒)は、ナヽツ七歲なりき。カチウン エルチ合赤溫 額勒赤(輟耕錄セイワウ ハチウン濟王 哈赤溫、世系表ハチウン ダイワウ哈赤溫 大王、蒙古 源流ハヂギン哈濟錦)はイツヽ五歲なりき。テムゲ オツチギン帖木格 斡惕赤斤(世系表テムゲ オチギン コクワウ鐵木哥 斡赤斤 國王、蒙古 源流オチユゲン諤楚肯)は、ミツ三歲なりき。テムルン帖木侖(元史 諸︀公主表シヤウコク タイチヤウコウシユ テムルン昌國 大長公主 帖木倫)は、ウバグルマ繃車にア在りき。(帖木眞 九歲なる時は、我が高倉 天皇 嘉應 二年 庚寅、宗の孝宗 乾道 六年、金の大定 十年、西紀 一一七〇年なり。)
§61(01:42:01)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
エスガイ也速該とデイ セチエン德 薛禪のデア出遇ひ
エスガイ バアトル也速該 巴阿禿兒は、テムヂン帖木眞のコヽノツ九歲なるトキ時、ホエルン エケ訶額侖 額客(訶額侖なる母)のサトカタ外家なるオルクヌウト斡勒忽納兀惕のタミ民のトコロ處にて、カレ彼(帖木眞)のハヽカタ母方のヲヂ舅だちよりムスメ息女をモト求めんとて、テムヂン帖木眞をヰ率てユ往きたり。ユ往くトキ時、チエクチエル扯克徹兒、チクルグ赤忽兒古 ニザン二山のアヒダ閒にて、オンギラト翁吉喇惕〈[#ルビ「オンギラト」は底本では「オン ラト」。昭和18年復刻版に倣い修正]〉(親征錄 元史ホンギラ弘吉剌、蒙古 源流ホンギラト鴻吉喇特)のデイ セチエン德 薛禪(親征錄、元史 大祖︀紀デイ迭夷、元史 本傳テ セチエン特 薛禪、蒙古 源流ダイ チエチエン岱 徹辰)にア遇へり。(二山の地は、いまだ考へ得ず。只、露西亞の地圖を見るに、呼倫 諾爾の西南 六十餘里、克魯倫 河の北岸に齊克提喇克と云ふ處あり、二山の名と音近し。)
§62(01:42:08)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
デイ セチエン德 薛禪 エスガイ也速該の問答
デイ セチエン德 薛禪 イ言はく「エスガイ也速該 クダ忽荅(也速該なる親家 卽ち緣者︀)。タレ誰のトコロ處をサ指し[80]てかキ來つる」とイ云ひき。エスガイ バアトル也速該 巴阿禿兒 イ言はく「このワ我がコ子のハヽカタ母方のヲヂ舅なるオルクヌウト斡勒忽納兀惕のタミ民のトコロ處にてヲトメ少女をモト求めんとてキ來つ」とイ云ひき。デイ セチエン德 薛禪 イ言はく「このナンヂ汝が子は、メ目你敦にヒ火合勒あり、メン面你兀兒にヒカリ光格咧あるコ子なり。
§63(01:43:05)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
エスガイ也速該 シンカ親家。ワレ我、このヨ夜(昨夜)、ユメ夢をユメ夢みたり、ワレ我。シロ白きカイセイ海︀靑(鷹の一種)は、ヒツキ日月 フタ二つをトラ拏へ、ト飛びてキ來てワ我がテ手のウヘ上にオ落ちたり。このユメ夢をヒト人にカタ語らく「ヒツキ日月は、ノゾ望みてミ見らるゝなりき。今このカイセイ海︀靑は、トラ拏へてモ持ちキ來てワ我がテ手にオ落ちたり。シロ白きトリ鳥は、マタ又(蒙語チヤガン バウ バイ察罕 保兀 罷。察罕は白き、保兀は降り、罷は「たり」なり。白 降りたりにては、意 通ぜず。思ふに、保の上に失の字を脫し、罷は巴の誤讀ならん。失保兀は鳥、巴は又なり。)ナニ何をもてかくヨ善くミ見せたらん(白き以下を、明譯は、節︀略して、必然好の三字に譯せり)」とイ云ひて[ありき]。エスガイ也速該 シンカ親家。このワ我がユメ夢は、ナンヂ汝を、タヾ只そのコ子をヒ引きてク來るをミ見たるなりき。ユメ夢をヨ善くユメ夢みたり。いかなるユメ夢ならん。ナンヂラ汝等 キヤト乞牙惕(乞顏の複稱。蒙古 源流キヤト卻特)のタミ民のメデタキシルシ吉兆をキ來てツ吿げたるなりき。
§64(01:44:06)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ワレラ我等 オンギラト翁吉喇惕のタミ民は、ムカシ昔のヒ日よりメヒ甥女者︀額のスガタ姿只孫、ムスメ息女斡勤のカホバセ顏色汪格ある[トコロ處にて、タコク他國合鄰]ブラク部落をアラソ爭はず、ホヽ腮合察兒 ウツク美しきヲトメ女子らを、ナンヂラ汝等のオホギミ大君合罕となれるモノ者︀に[アタ與へ]オホグルマ大車合撒黑帖兒堅にノ載せて、クロ黑合喇 ラクダ路駝不兀喇をカ駕して、ギヨ馭合塔喇せしめてユ往きて、キサキ妃合屯のクラヰ位にヒト一含禿つに(君と共に)スワ坐らせたり、ワレラ我等。ブラク部落兀魯思 ジンミン人民をアラソ爭はず兀祿、カホバセ顏汪格 ヨ好きヲトメ女子斡乞惕らをソダ育斡思格てて、車前完勒只格あるクルマ車にノ載兀訥兀兒せて、アヲグロ靑黑斡列 ラクダ駱駝不兀喇をカ駕してオク送額兀思格りて、往き斡惕[81]て、タカ高溫都︀兒きクラヰ位にカタヘ傍斡咧額列なるソバ側額帖惕にスワ坐らせたり、ワレラ我等。ムカシ昔よりオンギラト翁吉喇惕のタミ民は、キサキ妃合屯のダンハイ團牌合勒合(明譯に從ふ。楯、唐團扇の類︀、貴女の體を蔽ふ者︀)ある、ヲトメ女子斡乞惕らのミヤヅカヘ奏事斡赤勒する、メヒ甥女者︀額のスガタ姿只孫、ムスメ息女斡勤のカホバセ顏色汪格にヨ依るトコロ處なりき、ワレラ我等。
§65(01:45:07)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ムスメ息女を見せにデイ セチエン德 薛禪の導き
ワレラ我等のヲ男訥溫のコ子はイヘヰ營盤嫩禿黑(明譯カダウ家道)をノゾ望む。ワレラ我等のメ女斡勤のコ子は、カホバセ顏色汪格をミ見らる。エスガイ也速該 シンカ親家。ワ我がイヘ家にユ往かん。ワ我がムスメ息女はチヒサ小くあり。シンカ親家 ミ見よ」とイ云ひて、デイ セチエン德 薛禪は、そのイヘ家にミチビ導きて、ウマ馬よりオ下りたり。
§66(01:46:03)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
そのムスメ女をミ見ればメン面你兀兒にヒカリ光格咧ありメ目你敦にヒ火合勒あるヲトメ女子[なる]をミ見て、コヽロ心にイ入らしめたり(心に適へり)。テムヂン帖木眞よりヒトヽセ一年 オホ大きく、トヲ十なりき。ボルテ孛兒帖(元史 后紀表ボルテ孛兒台、蒙古 源流ブルデ布爾德)とイ云ふ。ヨルヤド夜宿りて、アシタ明朝そのムスメ女をモト求むれば、デイ セチエン德 薛禪 イ言はく「アマタタビ多遍 モト求めさせてアタ與ふれば、タフト貴ばる。ワヅカニ少遍 モト求めさせてアタ與ふれば、イヤシ賤めらる。[されども]ニヨニン女人のメイ命(女となる天の命)にウマ生れたるは、カド門のウチ內にオ老ゆることナ無し。ムスメ女をもアタ與へん。そのコ子をムコ壻としオ置きてユ往け」とイ云へり。ウベ諾なひア合ひて、エスガイ バアトル也速該 巴阿禿兒 イ言はく「このコ子をムコ壻としオ置かん。ワ我がコ子はイヌ狗をオソ恐る。シンカ親家、ワ我がコ子をイヌ狗にナ勿 オドロ驚かせそ」とイ云ひて、そのヒキウマ牽馬(副馬)をユヒナフ結納にアタ與へて、テムヂン帖木眞をムコ壻としオ置きてサ去りて、
§67(01:47:09)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
エスガイ バアトル也速該 巴阿禿兒は、ミチ路にチエクチエル扯克扯兒(卽ち前の扯克徹兒 山)のシラ ケエル失喇 客額兒(黃なる荒野)にて、タタル塔塔兒のタミ民のウタゲ筵會しヲ居るにア遇ひて、カワ渴き[82]てカレラ彼等のウタゲ筵會のトコロ處にゲバ下馬せり。カレラ彼等 タタル塔塔兒 ミト認めたりき。「エスガイ キヤン也速該 乞顏 キ來つ」とイ云ふと、ムカシ昔 トラ虜︀へられたるウラミ恨をオモ想ひて、ヒソカ陰にハカ謀りソコナ害ひて、ドク毒をマ和ぜてアタ與へき。ミチ路にヤ病みサ去りて、ミトマリ三宿 ユ行きて、イヘ家にイタ到るとワロ惡くなりて、
§68(01:48:08)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
エスガイ バアトル也速該 巴阿禿兒 イ言はく「ワ我がムネ胸 ワロ惡くあり。カタヘ傍にタレ誰かある」とイ云ひて、コンゴタン晃豁壇のチヤラカ エブゲン察喇合 額不堅(察喇合 翁。親征錄、元史チヤラハイ察剌海︀)のコ子 モンリク蒙力克「ミマヘ御前にア在り」とイ云へば、ヨ喚びてコ來させてイ言はく「ワ我がワラハ童子 モンリク蒙力克よ。コ子どもはチヒサ小くあり、ワレ我。ワ我がコ子 テムヂン帖木眞をムコ壻としオ置きてキ來ぬるミチ路に、タタル塔塔兒のタミ民にヒソカ陰にハカ謀られたり、ワレ我。ワ我がムネ胸 ワロ惡くあり。ヲサナ幼きノコ遺れるモノ者︀ども(遺孤)オトヽ弟どもヤモメ寡婦なるアニヨメ嫂をアイゴ愛護することをナンヂ汝 シ知れ。ワ我がコ子 テムヂン帖木眞をばスミヤ速かにユ往きてヰ率てコ來よ。ワ我がワラハ童子 モンリク蒙力克よ」とイ云ふとミマカ歿りぬ。
成吉思 汗 實錄 卷の一 終り。
- ↑ 明治四十一年三・四月『大阪朝日新聞』所載、「桑原隲藏全集 第二卷」岩波書店、那珂先生を憶う - 青空文庫
- ↑ 国立国会図書館デジタルコレクション:info:ndljp/pid/782220
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