Page:成吉思汗実録.pdf/123

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​成吉思 合罕​​チンギス カガン​に​合​​ア​ひに​來​​キ​ぬ。​札木合​​ヂヤムカ​より​此等​​コレラ​の​民​​タミ​ ​來​​キ​ぬとて、​成吉思 合罕​​チンギス カガン​は、​己​​オノ​が​處​​トコロ​に​國​​クニ​ ​來​​キ​ぬと​喜​​ヨロコ​びて、​成吉思 合罕​​チンギス カガン​は、​訶額侖 兀眞​​ホエルン ウヂン​、​合撒兒​​カツサル​、​主兒勤​​ヂユルキン​の​撒察 別乞​​サチヤ ベキ​、​泰出​​タイチユ​らと​共​​トモ​に、「​斡難︀​​オナン​ の​林​​ハヤシ​の​裏​​ウチ​に​筵會​​ウタゲ​せん」と​云​​イ​ひ​合​​ア​ひて​筵會​​ウタゲ​したるに、​成吉思 合罕​​チンギス カガン​に、​訶額侖 兀眞​​ホエルン ウヂン​に、​合撒兒​​カツサル​に、​撒察 別乞​​サチヤ ベキ​〈[#「撒察 別乞」は底本では「撒察別乞」。直前の「撒察 別乞」に倣い名前の区切りを追加]〉になど​首​​ハジメ​として​一​​ヒト​つの​甕​​ミカ​(馬乳酒を入るゝ革の嚢)を​傾​​カタム​けけり。​又​​マタ​ ​撒察 別乞​​サチヤ ベキ​の​少​​ワカ​き​母​​ハヽ​(莎兒合禿 主兒乞 の妾、撒察 別乞の生母​額別該​​エベガイ​親征錄 元史​薛徹 別吉​​セチエ ベギ​​次母​​ジボ​ ​野別該​​エベガイ​)を​首​​ハジメ​として​一​​ヒト​つの​甕​​ミカ​を​傾​​カタム​けたる​故​​ユヱ​に、​豁哩眞 合屯​​ゴリヂン カトン​、​忽兀兒臣 合屯​​クウルチン カトン​(莎兒合禿 主兒乞の二妃。親征錄 元史​忽兒眞​​フルヂン​ ​火里眞​​ホリヂン​ ​二​​ニ​​哈敦​​ハトン​)

​主兒勤​​ヂユルキン​の二妃の怒

​二女​​フタリ​「​我​​ワレ​を​首​​ハジメ​とせず、​額別該​​エベガイ​を​首​​ハジメ​として​何​​ナン​ぞ​傾​​カタム​けたる」と​云​​イ​ひ、​厨官​​カシハデ​ ​失乞兀兒​​シキウル​(親征錄 元史​主膳者︀​​シユゼンシヤ​ ​失丘兒​​シキウル​)を​打​​ウ​ちけり。​打​​ウ​たれて​厨官​​カシハデ​ ​失乞兀兒​​シキウル​ ​言​​イ​はく「​也速該 巴阿都︀兒​​エスガイ バアドル​、​捏坤 太石​​ネクン タイシ​ ​二人​​フタリ​ ​死​​シ​にたる​故​​ユヱ​に、かく​我​​ワ​が​打​​ウ​たれたるはいかに」と​云​​イ​ひて、​大聲​​オホゴヱ​にて​哭​​ナ​きけり。


§131(04:08:04)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​不哩​​ブリ​に肩​斫​​キ​らるゝ​別勒古台​​ベルグタイ​

 その​筵席​​エンセキ​を、​我等​​ワレラ​よりは​別勒古台​​ベルグタイ​ ​整治​​セイヂ​し、​成吉思 合罕​​チンギス カガン​の​騸馬​​センバ​を​執​​ト​りて​立​​タ​ち​居​​ヲ​りき。​主兒勤​​ヂユルキン​よりは​不哩 孛闊​​ブリ ボコ​(親征錄 元史​播里​​ボリ​)その​筵席​​エンセキ​を​整治​​セイヂ​し​居​​ヲ​りき。​我等​​ワレラ​の​聚馬處​​ウマヨセバ​より(蒙語​乞魯額思​​キルエス​、親征錄 元史​乞列思​​キレス​、錄は禁外 繋馬所と注し、史は野外 牧場と注せり。)​合塔斤​​カタキン​〈[#ルビの「カタキン」はママ。他の節︀ではすべて「カタギン」。昭和18年復刻版も同じ]〉の人 ​韁皮​​タヅナカハ​を​盜​​ヌス​みたるに、​盜人​​ヌスビト​を​拏​​トラ​へき。​不哩 孛闊​​ブリ ボコ​その​人​​ヒト​を​回護​​カバ​ひて、​別勒古台​​ベルグタイ​は​常​​ツネ​の​如​​ゴト​く​搏​​ウ​ち​合​​ア​ふに、​右​​ミギ​の​袖​​ソデ​を​脫​​ヌ​ぎ