Page:成吉思汗実録.pdf/122

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り​木勒客 脫塔黑​​ムルケ トタク​、(親征錄​慕哥​​モゲ​、元史 孛禿の傳​磨里 禿禿​​モリ トト​)​孛囉勒歹​​ボロルダイ​ (親征錄​卜欒台​​ブロンタイ​)、(孛禿の傳​波欒歹​​ボロンダイ​)​二人​​フタリ​、​成吉思 合罕​​チンギス カガン​に​古咧勒古​​グレルグ​に​居​​ヲ​る​處​​トコロ​に​報吿​​シラセ​を​送​​オク​り​來​​キ​ぬ。この​報吿​​シラセ​を​知​​シ​ると、​成吉思 合罕​​チンギス カガン​は、―​十三團​​ジフサンダン​ありき。(團 は、蒙語 古哩延、その複稱 古哩額惕なり。親征錄に十三翼と譯したるは、支那風に書きたるなり。)―​亦​​マタ​ ​三萬人​​サンマンニン​となりて、​札木合​​ヂヤムカ​の​迎​​ムカ​へに​出馬​​シユツバ​して、​荅闌 巴勒主惕​​ダラン バルヂユト​(親征錄 元史​荅闌 版朱思 之 野​​ダラン バンジユス ノ ノ​)に​立​​タ​ち​合​​ア​ひ(對戰し)て、​成吉思 合罕​​チンギス カガン​は、​札木合​​ヂヤムカ​にそこに​動​​ウゴ​かされ(敗られ)て、​斡難︀​​オナン​の​哲咧捏 合卜赤孩​​ヂエレネ カブチカイ​(哲咧捏の隘處)に​遁​​ノガ​れたり。

七十鍋の狼の​羹​​アツモノ​

​札木合​​ヂヤムカ​ ​言​​イ​はく「​斡難︀​​オナン​の​哲咧捏​​ヂエレネ​に​遁​​ノガ​れしめたり、​我等​​ワレラ​」と​云​​イ​ひて​回​​カヘ​る​時​​トキ​、​赤那思​​チノス​の​子​​コ​ら(家の子 一族)を​七十​​シチジフ​の​鍋​​ナベ​に​煮︀​​ニ​て、​捏兀歹 察合安 兀洼​​ネウダイ チヤカアン ウワ​の​頭​​カシラ​を​斬​​キ​りて、​馬​​ウマ​の​尾​​ヲ​に​拖​​ヒ​きて​去​​サ​りき。(赤那思 氏は、喇失惕 額丁に依れば、察剌孩 領忽の二子 堅都︀ 赤那、烏魯克眞 赤那の裔なり。堅都︀ 赤那は牡狼、烏魯克眞 赤那は牝狼の義にして、赤那思は、狼なる赤那の複稱なり。親征錄の撰者︀は、修正 祕史を譯するに當り、赤那思の姓氏なることを知らず、「半途爲七十二竈、烹狼爲食」と譯せり


§130(04:05:08)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


國來の祝︀

 そこに​札木合​​ヂヤムカ​を​其處​​ソコ​より​回​​カヘ​らすると、​兀嚕兀惕​​ウルウト​(元史 朮赤台の傳​兀魯兀台 氏​​ウルウタイ ウヂ​)の​主兒扯歹​​ヂユルチエダイ​(元史 本傳​朮赤台​​チユチタイ​、畏荅兒の傳​朮徹帶​​チユチエダイ​)は、​兀嚕兀惕​​ウルウト​(親征錄​兀魯吾 部​​ウルウ ブ​)を​率​​ヒキ​ゐ、​忙忽惕​​モンクト​(畏荅兒の傳​忙兀 氏​​モング ウヂ​)の​忽余勒荅兒​​クユルダル​(朮赤台の傳​忽因荅兒​​クインダル​、本傳​畏荅兒​​ウイダル​)は、​忙忽惕​​モンクト​(親征錄​忙兀 部​​モング ブ​)を​率​​ヒキ​ゐ、​札木合​​ヂヤムカ​より​離​​ハナ​れて、​成吉思 合罕​​チンギス カガン​の​處​​トコロ​に​來​​キ​ぬ。​晃豁壇​​コンゴタン​の​蒙力克 額赤格​​モンリク エチゲ​(蒙力克なる父)は、そこに​札木合​​ヂヤムカ​の​處​​トコロ​に​居​​ヲ​りて、​蒙力克 額赤格​​モンリク エチゲ​、その​七人​​ナヽタリ​の​子​​コ​と、​札木合​​ヂヤムカ​より​離​​ハナ​れて、そこに