成吉思汗実録/巻の三
チンギス カン ジツロク成吉思 汗 實錄 マキ卷のサン三。
§104(03:01:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ワンカン王罕の救を求めにテムヂン帖木眞 等のカラトン合喇屯 往き
かくノ陳べて、テムヂン帖木眞、カツサル合撒兒、ベルグタイ別勒古台 ミタリ三人は、ケレイト客咧亦惕のトオリル脫斡哩勒(親征錄トーリン脫憐、元史 太祖︀紀、脫里、哈剌哈孫の傳、脫斡璘〈[#「脫斡璘」の三文字目「璘」は底本では「王+鄰」。「王+鄰」に該当するUnicodeが見当たらないのでzh.wikisource.orgの元史 卷136を参考に「璘」とした]〉)ワンカン王罕のトコロ處に、トウラ ムレン土兀剌 木嗹(土兀剌 河)のカラトン合喇屯(黑林)にヲ居るトコロ處にユ往きてイ言はく「ミ三つのメルキト篾兒乞惕に、オモ意はずヲ居るトコロ處にキ來て、ツマコ妻子をトラ虜︀へてト取られたり。ワ我がカン エチゲ罕 額赤格(罕なる父)、ツマコ妻子をスク救ひてアタ與へよとてキ來ぬ、ワレラ我等」とイ云へり。
そのコトバ言のカヘリゴト返辭に、トオリル ワンカン脫斡哩勒 王罕 イ言はく「ワレ我 コゾ去年 ナンヂ汝にイ言はざりしか。テウソ貂鼠のカハコロモ裘をワレ我にモ持ちキ來つるに、「チヽ父のトキ時にアンダ安荅とイ云ひア合ひたるは、チヽ父のゴト如くあるぞ」とてキ被せられたれば、そこにワレ我 イ言はく「テウソ貂鼠不魯罕のカハコロモ裘のヘンレイ返禮に、[103]チ散不塔喇りたるナンヂ汝のブシウ部眾をマト纏不古惕格勒都︀めア合ひてアタ與へん。クロ黑合喇きテウソ貂鼠のカハコロモ裘のヘンレイ返禮合哩兀に、ハナ離合合察れたるナンヂ汝のブシウ部眾をアツ集含禿惕合勒都︀めア合ひてアタ與へん」とて、「コウシ腔子扯客咧のムネ胸扯額只にア存れ。コシ腰孛可咧のサキ尖孛克薛にア存れ」とイ云はざりしか、ワレ我。イマ今 カ彼のコトバ言にシタガ從はんと、テウソ貂鼠不魯罕のカハコロモ裘のヘンレイ返體に、スベ都︀不古迭てのメルキト篾兒乞惕をホロボ滅不咧勒すまで、ナンヂ汝のボルテ ウヂン孛兒帖 兀眞をスク救阿不喇ひてアタ與へん、ワレ我。クロ黑合喇きテウソ貂鼠のカハコロモ裘のヘンレイ返禮に、アマネ普合木黑きメルキト篾兒乞惕をウチヤブ打破合勒塔赤りて、ナンヂ汝のキサキ妃合屯 ボルテ孛兒帖をカヘ回合哩兀勒らせてツ伴れキ來なん、ワレラ我等。ナンヂ汝は、ヂヤムカ デウ札木合 迭兀〈[#「札木合 迭兀」は底本では「札木合迭兀」。「元朝秘史」§104(03:02:07~08)の漢︀字音訳に倣い二語に分割]〉に(札木合なる弟。年少き故に、弟と云へり。)デンゴン傳言してヤ遣れ。ヂヤムカ オトヽ札木合 弟は、ゴルゴナク ヂユブル豁兒豁納黑 主不兒(豁兒豁納黑 河原、小河の河原)にヲ居るぞ。ワレ我は、コレ此處よりニマンニン二萬人にてミギ右のテ手となりシユツバ出馬せん。ヂヤムカ オトヽ札木合 弟は、ニマンニン二萬人となりてヒダリ左のテ手となりシユツバ出馬せよ。ワレラ我等のヤククワイ約會(會合の場所 時日)は、ヂヤムカ札木合よりセ爲よ」とイ云へり。
§105(03:03:08)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ヂヤムカ札木合の救を求むるテムヂン帖木眞の使
テムヂン帖木眞、カツサル合撒兒、ベルグタイ別勒古台 ミタリ三人は、トオリル カン脫斡哩勒 罕よりカヘ回りてイヘ家にイタ到りて、テムヂン帖木眞は、ヂヤムカ札木合のトコロ處に、カツサル合撒兒、ベルグタイ別勒古台 フタリ二人をヤ遣り、「ヂヤムカ アンダ札木合 安荅に言へ(帖木眞と札木合と幼き時 安荅となれりし事は、後に委しく見ゆ。)」とて、イ言ひてヤ遣るには、「ミ三つのメルキト篾兒乞惕に、キ來てクラヰ座斡囉をカラ空豁黑脫兒忽にナ爲されたり、ワレ我。(妃を奪はれたり。こゝの豁は、音ホにて、斡に通ず。)コウシ扣子斡那兒(二物を結び合する紐釦の類︀)ヒト一つのもの(離れざる親友)ならずや、ワレラ我等。アタ讎斡雪勒をいかにかカヘ復斡薛さん。フトコロ懷額不兒をナカバ半含帖勒迭せられたり、ワレ我。(こゝの含は、音ハンにて下の句の哈と協ふ。)カン肝赫里堅のシンゾク親族(肺腑の親)ならずや、ワレラ我等。ウラミ怨哈赤をいかにかムク報哈赤剌いん、ワレラ我等」とイ云ひてヤ遣りぬ。[104]ヂヤムカ アンダ札木合 安荅にイ言ひてヤ遣りたるコトバ言、かくのゴト如し。マタ又 ケレイト客咧亦惕のトオリル カン脫斡哩勒 罕のイ言へるコトバ言をヂヤムカ札木合にイ言ひてヤ遣るには、「サキ前のヒ日、ワ我がエスガイ カン エチゲ也速該 罕 額赤格(也速該 罕なる父)にタスケ助をヨ好くナ爲されたるをオモ想ひて、トモ伴とならん、ワレ我。ニマンニン二萬人となりてミギ右のテ手となりシユツバ出馬せん。ヂヤムカ オトヽ札木合 弟にデンゴン傳言してヤ遣れ。ヂヤムカ オトヽ札木合 弟は、ニマンニン二萬人にてシユツバ出馬せよ。アヒ ア相 合ふヤククワイ約會はヂヤムカ オトヽ札木合 弟よりセ爲よ」とイ云へり。このコトバ言どもをツク盡させヲ畢へて、
ヂヤムカ札木合 イ言はく「テムヂン アンダ帖木眞 安荅を、クラヰ座斡囉 カラ空豁黑脫兒忽になれりとシ知りて、ワ我がコヽロ心斡咧 イタ痛額別惕めり。フトコロ懷額不兒 ナカバ半になれりとシ知りて、ワ我がカン肝赫里格 イタ痛額別惕めり。アタ讎斡雪勒をカヘ復斡旋しに、ウドイト兀都︀亦惕〈[#ルビ「ウドイト」は底本では「ウトイト」。昭和18年復刻版に倣い修正]〉、ウワス メルキト兀洼思 篾兒乞惕をホロボ滅兀魯惕客して、フジン夫人兀眞 ボルテ孛兒帖をスク救はん。ウラミ怨哈赤をムク報いに、アマネ普合木黑きカアト メルキト合阿惕 篾兒乞惕をウチヤブ打破合勒塔赤りて、キサキ妃合屯 ボルテ孛兒帖をカヘ回合哩兀侖らせスク救はん。イマ今 カ彼のクラノアフリ鞍韂戈勒篾をウ拍つトキ時 ツヾミ鼓可兀兒格のオト音となしてアワ遽可乞迭克てオドロ驚くトクトア脫黑脫阿は、ブウラ ケエル不兀喇 客額兒にヲ居るぞ。(不兀喇 原、駱駝 原。親征錄ブラセン不剌川。內府 與圖に、恰克圖の東に布拉 喀倫あり。喀倫の南に布拉 河あり、西に流れて色楞格 河に入る。露西亞の地圖には、ブレン河とあり。不兀喇 原は、この布拉 河の邊の原野なるべし)フタ蓋荅卜赤あるヤナグヒ箭筒をユラメカ搖閃荅兒巴勒札すトキ時 カヘ反歹只赤りハシ走るダイル ウスン歹兒 兀孫は、イマ今 オルコン斡兒桓 セレンゲ薛涼格 ニカ二河の[アヒダ閒なる]タルクン アラル塔勒渾 阿喇勒にヲ居るぞ。(斡兒桓 河は、今の鄂爾坤 河にして、唐書 回鶻の傳に昆河また嗢昆 水、元史 太宗紀に斡兒寒 河、明宗紀に斡耳罕 水、虞集の句容郡王 世績の碑に斡歡 河、歐陽玄の偰氏 家傳に斡爾汗 河などあり。薛涼格 河は、今の色楞格 河にして、唐書 回鶻の傳に仙娥 河、元史 巴而朮 阿而忒 的斤の傳に薛靈哥 水、耶律鑄の雙溪 醉隱集に錫蘭 河、偰氏 家傳に偰輦傑 河、瀚海︀集に習靈靄 河などあり。塔勒渾 阿喇勒 卽ち勇婦の島は、兩河 合流の處にある出島なるべし。)ヨモギ蓬含合兀勒孫にカゼ風克 ソヨ戰ぐトキ時 クロ黑合喇きハヤシ林槐をアラソ爭ふカアタイ ダルマラ合阿台 荅兒馬剌は、イマ今、カラヂ ケエル合剌只 客額兒にヲ居る[105]ぞ。(合剌只 原。高寶銓の說に、今の哈拉 河の下流の東北岸の地ならんと云へり。)イマ今 ワレラ我等は、タヾチ直にキルゴ ムレン乞勒豁 木嗹(乞勒豁 河、水道 提綱の啓兒活 河)をヨコ橫輕古思ぎるにチヨソウサウ猪︀鬃草撒合勒伯顏はイヅク何處にもア有れ、イカダ筏撒勒忽牙 ク組みてイ入らん。カ彼のアワ遽てオドロ驚くトクトア脫黑脫阿のソラマド天窻額嚕格のウヘ上よりイ入りて、カレ彼のキンエウ緊要額兒勤なるチヤウバウコツ帳房骨額額迭をタフ倒唵不囉すべくツ衝きて、カレ彼のツマコ妻子額篾可溫をツ盡額出勤くるまでトラ虜︀へん。カレ彼のフクノカミ福︀神︀忽禿黑のチヤウバウコツ帳房骨(大黑柱と云ふが如き者︀)をヲ折忽忽嚕るべくツ衝きて、カレ彼のスベ都︀豁脫剌てのブシウ部眾をムナ空豁斡孫しくなるまでトラ虜︀へん。」
§106(03:07:06)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ヂヤムカ札木合が出陣のしらせヤククワイ約會のトコロ地
ヂヤムカ札木合 マタ又 イ言はく「テムヂン アンダ帖木眞 安荅、トオリル カン アカ脫斡哩勒 罕 阿合(脫斡哩勒 罕なる兄)フタリ二人にイ言へ」とてイ言はく「ワレ我には、トホ遠合喇阿禿くミ見ゆるトウ纛をマツ祭れり、ワレ我。クロ黑合喇きキヤウギウ强牛不合のカハ皮にてハ張不哩克先りたるトウトウ鼕鼕不兒乞嗹たるオト音あるツヾミ鼓可兀兒格をウ打てり、ワレ我。クロ黑合喇きハヤキウマ快馬にノ乘れり、ワレ我。カタ硬合唐忽きイシヤウ衣裳をキ被たり、ワレ我。ハガネ鋼合壇のヤリ鎗をト執れり、ワレ我。テウヒ挑皮合惕忽喇速あるヤ箭をカ扣けたり、我。カアト メルキト合阿惕 篾兒乞惕のトコロ處にタヽカ戰合惕忽勒敦ひにシユツバ出馬せんスナハ便ちとイ言へ。ナガ長兀兒圖きトホ遠くミ見ゆるトウ纛をマツ祭れり、ワレ我。ウシ牛忽客兒のカハ皮にてハ張りたるニゴ濁斡惕刊れるコヱ聲あるツヾミ鼓をウ打てり、ワレ我。セグロ脊黑斡囉黑のハヤキウマ快馬にノ乘兀訥れり、ワレ我。カハ革忽迭速禿 キ被せたるヨロヒ鎧忽牙克をキ被たり、ワレ我。ツカ柄汪吉あるクワンタウ環刀兀勒都︀をト執れり、ワレ我。コウシ扣子斡那兒あるヤ箭をカ扣斡那剌けたり、ワレ我。ウドイト兀都︀亦惕、[ウワス兀洼思]メルキト篾兒乞惕のトコロ處にシ死兀忽勒都︀牙にア合はん(死戰せん)スナハ便ちとイ言へ。トオリル カン脫斡哩勒 罕 アニ兄 シユツバ出馬するにはブルカン ダケ不兒罕 獄のマヘ前よりテムヂン アンダ帖木眞 安荅をス過ぎてキ來て、オナン ガハ斡難︀ 河のミナモト源にボドカン ボオルヂ孛脫罕 孛斡兒只にヤククワイ約會せん。コヽ此處よりシユツバ出馬するには、オナン ガハ斡難︀ 河にサカノボ泝り、―アンダ安荅のブシウ部眾 コヽ此處にア在り。―アンダ安荅のブシウ部眾よりイチマンニン一萬人、ワレ我 コヽ此處[106]よりイチマンニン一萬人、ニマンニン二萬人となりて、オナン ガハ斡難︀ 河をサカノボ泝りユ往きて、ボドカン ボオルヂ孛脫罕 孛斡兒只にヤククワイ約會のトコロ地にクワイ會しア合はん」とイ言ひてヤ遣りぬ。
§107(03:09:09)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ヂヤムカ札木合のコ此のコトバ言を、カツサル合撒兒 ベルグタイ別勒古台 フタリ二人 キ來て、テムヂン帖木眞にイ言ひて、トオリル カン脫斡哩勒 罕にデンゴン傳言をイタ致せり。トオリル カン脫斡哩勒 罕は、ヂヤムカ札木合のコ此のコトバ言をイタ致さるゝと、ニマンニン二萬人にてシユツバ出馬せり。「トオリル カン脫斡哩勒 罕 シユツバ出馬するに、ブルカン ダケ不兒罕 獄のマヘ前なるケルレン客魯嗹のブルギ ガシ不兒吉 岸をサ指してキ來ぬ」とて、テムヂン帖木眞は、ブルギ ガシ不兒吉 岸にヰ居たるに、「ミチ路(脫斡哩勒 罕の路)のトコロ處にあり」とて、ウツ移りてトンゲリク統格黎克に(卷一の統格黎克 小河と名同じけれども、彼は斡難︀の源に在り、是は客魯嗹の源に在りて、同じからず、却て卷二の騰格里 小河に同じきに似たり。)サカノボ泝りタ起ちて、タナ ゴルゴン塔納 豁兒歡(塔納 小河、內府 輿圖の特納 河、克魯倫 河の上流に流れ入る小河)にてブルカン ダケ不兒罕 獄のマヘ前にゲバ下馬して、テムヂン帖木眞は、そこよりイクサ軍をオコ起してトオリル カン脫斡哩勒 罕はイチマンニン一萬人、トオリル カン脫斡哩勒 罕のオトヽ弟 ヂヤカガンブ札合敢不(親征錄 元史ヂヤアガンボ札阿紺孛)はイチマンニン一萬人、ニマンニン二萬人にてキムルカ ゴルゴン乞木兒合 豁兒歡の(乞木兒合 小河。豁兒歡は、豁囉罕に同じ。)アイル カラカナ阿亦勒 合喇合納にゲバ下馬してヲ居るにア會ひゲバ下馬せり。
§108(03:11:06)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ワンカン王罕の後れたるをヂヤムカ札木合のトガ咎め
テムヂン帖木眞、トオリル カン脫斡哩勒 罕、ヂヤカガンブ札合敢不 ミタリ三人 ヒト一つになりて、そこよりウゴ動きてオナン斡難︀のミナモト源なるボトカン ボオルヂ孛脫罕 孛斡兒只にイタ到りぬれば、ヂヤムカ札木合はヤククワイ約會のトコロ地にミカ マヘ三日 前にイタ到りてけり。ヂヤムカ札木合は、このテムヂン帖木眞、トオリル脫斡哩勒、ヂヤカガンブ札合敢不 ラ等のイクサ軍どもをミ見ると、ヂヤムカ札木合は、ニマン二萬のイクサ軍をトヽノ整へてタ立ちけり。このマタ又 テムヂン帖木眞、トオリル カン脫斡哩勒 罕、ヂヤカガンブ札合敢不 ラ等も、そのイクサ軍どもをトヽノ整へてイタ到りア合ひ[107]て、さてミト認めア合ひて、ヂヤムカ札木合 イ言はく「フヾキ風雪孛囉安になる孛魯ともヤクソク約束孛勒札勒には、アメ兩忽剌になるともヨリアヒ聚會忽喇勒にはナ勿 オク後れそとカタ語りア合はざりしか。ワレラ我等 モンゴル忙豁勒には、ヂエ者︀(諾する聲にて、我等のハイと云ふに等しき辭)はチカヒ誓したるにコト異ならんや。ヂエ者︀よりオク後れたるモノ者︀は、ハンレツ班列者︀兒格よりイダ出さんとカタ語りア合ひき」とイ云へり。ヂヤムカ札木合のコトバ言につき、トオリル カン脫斡哩勒 罕 イ言はく「ヤククワイ約會のトコロ地にミカ三日 オク後れてタ立てりとて、ツミナ罰ふことトガ咎むることをヂヤムカ札木合 オトヽ弟 シ知れ」とイ云へり。ヤククワイ約會のトガ咎めは、かくイ言ひア合ひて、
§109(03:13:06)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ボトカン ボオルヂ孛脫罕 孛斡兒只よりウゴ動きて、キルゴ ガハ乞勒豁 河にイタ到りてイカダ筏 ク組みてワタ渡ると、ブウラ バラ不兀喇 原に、トクトア ベキ脫黑脫阿 別乞(別乞は、族長の稱)のソラマド天窻額嚕格の上よりキンエウ緊要額兒勤なるチヤウバウコツ帳房骨額額迭をタフ倒唵不嚕すべくツ衝きイ入りて、カレ彼のツマ妻額篾 コ子可兀をツ盡額出勒くるまでトラ虜︀へたり、カレ彼のフクノカミ福︀神︀忽禿黑のチヤウバウコツ帳房骨をヲ折忽忽嚕るべくツ衝きて、カレ彼のスベ都︀豁脫剌てのブシウ部眾をタ絕豁乞喇ゆるまでトラ虜︀へたり。トクトア ベキ脫黑脫阿 別乞に、ネム睡りてヲ居るホド程にイタ到るべきを、キルゴ ガハ乞勒豁 河にヲ居るウヲトリ魚取、テウソトリ貂鼠取 、ケダモノトリ野獸取、チ散りたるモノ者︀ども、「テキ敵 キ來ぬ」とてヨドオ夜通しハシ走りシラセ報吿をイタ致しサ去りき。そのシラセ報吿をイタ致さるゝと、トクトア脫黑脫阿、ウワス メルキト兀洼思 篾兒乞惕のダイル ウスン歹兒 兀孫 フタリ二人 ア合ひて、セレンゲ ガハ薛涼格 河にシタガ沿ひバルクヂン巴兒忽眞(今の巴爾古精︀ 河の邊)にイ入り、ワヅカ僅にそのミ身をハシ走りノガ遁れけり。
§110(03:15:01)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
テムヂン帖木眞 ボルテ孛兒帖のサイクワイ再會
メルキト篾兒乞惕のブシウ部眾、セレンゲ ガハ薛涼格 河にシタガ沿ひハシ走りてユ行くトキ時、ワ我[108]がイクサ軍、ハシ走りてユ行くメルキト篾兒乞惕をヨル夜 マタ又 オヒカ追掛けてトラ虜︀へめユ行くトキ時、テムヂン帖木眞は、ハシ走りてク來るタミ民に、「ボルテ孛兒帖、ボルテ孛兒帖」とヨ喚びてユ行くトキ時 ア遇ひて、ボルテ ウヂン孛兒帖 兀眞は、そのハシ走るタミ民のナカ中にヲ居りき。テムヂン帖木眞のコヱ聲をキ聽きてミト認めて、クルマ車よりオ下りるとハシ走りてキ來て、ボルテ ウヂン孛兒帖 兀眞、ゴアクチン豁阿忽臣 フタリ二女は、テムヂン帖木眞のクツワヅラ轡繩 タヅナ手綱をヨル夜 ミト認めてト執りけり。ツキアカリ月明ありき。ミ見れば、ボルテ ウヂン孛兒帖 兀眞[なる]をミト認めて、イダ抱きア合ひにカケヨ驅寄りたり。ソコ其處よりテムヂン帖木眞は、トオリル カン脫斡哩勒 罕、ヂヤムカ アンダ札木合 安荅 フタリ二人にソノヨ本夜 スナハ便ちイ言ひてヤ遣るには「タヅ尋ぬるシヨヨウ所用をエ得たり、ワレ我。ヨル夜はナ勿 ヨドホ夜徹しせそ。コヽ此處にゲバ下馬せん、ワレラ我等」とイ云ひてヤ遣りぬ。メルキト篾兒乞惕のブシウ部眾 ハシ走りてク來るを、ヨ夜すがらチ散りてク來るアヒダ閒に、そのソコ其處にゲバ下馬してヤド宿れり。ボルテ ウヂン孛兒帖 兀眞にかくア遇ひア合ひて、メルキト篾兒乞惕のタミ民よりスク救ひたるコトノモト緣故、かくあり。
§111(03:17:04)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ボルテ孛兒帖をヲサ收めたるチルゲル赤勒格兒のサンゲ懺悔︀
ハジメ サキ初 先にウドイド メルキト兀都︀亦惕 篾兒乞惕のトクトア ベキ脫忽脫阿 別乞、ウワス メルキト兀洼思 篾兒乞惕のダイル ウスン歹兒 兀孫、[カアト メルキト合阿惕 篾兒乞惕の]カアタイ ダルマラ合阿台 荅兒馬剌、このミ三つのメルキト篾兒乞惕 サンビヤクニン三百人は、ヒ日のマヘ前(さきの日)トクトア ベキ脫黑脫阿 別乞のオトヽ弟 エケ チレド也客 赤列都︀よりエスガイ バアトル也速該 巴阿禿兒にホエルン エケ訶額侖 額客をウバ奪ひてト取られきとて、それにシカエ復しムク報いんとユ往きけり。テムヂン帖木眞をブルカン ダケ不兒罕 獄をミ三たびメグ繞らせて、ボルテ ウヂン孛兒帖 兀眞をそこにエ獲て、チレド赤列都︀のオトヽ弟 チルゲル ボコ赤勒格兒 孛闊(赤勒格兒 力士)にシウヨウ收容せし[109]めたりき。かくシウヨウ收容したるまゝにス住みて、チルゲル ボコ赤勒格兒 孛闊 カエ反りハシ走りてイ出づるトキ時 イ言はく「クロ黑合喇きヤマガラス老鴉克喇額は、ノコ殘合里速可哩速れるカハ皮をハ食むメイブン命分あるモノ者︀なるに、カリ雁合老溫 オホウ鷀䳓脫忽喇溫をハ食まんとノゾ望みたりき。グワイバウ外貌合塔兒 アシ惡きチルゲル赤勒格兒、ワレ我。キサキ妃合屯 ウヂン兀眞にセマ逼合勒忽るとなりてアマネ普合木黑きメルキト篾兒乞惕にワザハヒ禍︀となれり、ワレ我。シヅノヲ賤男合喇除なるアシ惡きチルゲル赤勒格兒は、クロ黑合喇きカシラ頭帖里溫に[ワザハヒ禍︀]イタ至らるべくなれり。ヒトリ獨合黑察罕のイノチ命をノガ逃れ、クラ暗合哪忽きハサマ隘處合卜察勒にキ鑽りイ入らば、シヤウヘイ障蔽合勒合にタレ誰にかナ爲らるゝことあらん、ワレ我。クラド忽剌都︀(鳥の名)なるアシ惡きトリ鳥は、ネズミ鼠忽魯罕 コネズミ小鼠忽出堅をハ食むメイブン命分あるモノ者︀なるに、テンガ天鵞渾 オホウ鷀䳓をハ食まんとノゾ望みたりき。フクサウ服裝忽納兒 アシ惡き チルゲル赤勒格兒、ワレ我。フク福︀忽禿黑ありサキ幸あるウヂン兀眞をオサ收忽哩牙めてク來るとなりて、スベ都︀豁脫剌てのメルキト篾兒乞惕にワザワヒ禍︀渾討兀となれり、ワレ我。ゴキル豁乞兒(譯する能はず)アシ惡きチルゲル赤勒格兒は、カ涸豁乞哩れたるカシラ頭に[ワザハヒ禍︀]イタ至らるべくなれり、ワレ我。ヤウフンクワイ羊糞塊豁兒豁孫のゴト如きイノチ命をノガ逃豁囉渾れ、クロ黑合喇禿くクラ暗合啷忽〈[#左ルビの2文字目は「元朝秘史」§111(03:19:04)の漢︀字音訳では「舌+郞」。白鳥庫吉訳「音訳蒙文元朝秘史」§111(03:19:04)の漢︀字音訳では「舌+郞」]〉きハサマ隘處合卜察勒にキ鑽りイ入らば、ヤウフンクワイ羊糞塊豁兒豁孫のゴト如きワ我がイノチ命にヰンシ院子豁哩牙安とタレ誰にかナ爲らるゝことあらん、ワレ我(院子は、明譯に從へり。院に匿まはるゝ意ならん。)」とイ云ふと、カヘ反りニ逃げサ去りき。
§112(03:20:03)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
カアタイ ダルマラ合阿台 荅兒馬剌のトラ虜︀はれ
カアタイ ダルマラ合阿台 荅兒馬剌をエ獲たり。ヒキ率ゐキ來て、イタ板合塔孫のカシ枷をオ帶ばしめて、ミタケ御嶽合勒敦 ブルカン不兒罕にムカ向はしめたり。
「ベルグタイ別勒古台のハヽ母、カ彼のトナリ隣にあり」とツ吿げられて、ベルグタイ別勒古台、そのハヽ母をト取りにユ往きて、カレ彼のヘヤ房に、ベルグタイ別勒古台は、ミギ右のカド門よりイ入れば、そのハヽ母は、ヤレコロモ ヒツジカハ破衣 羊皮のコロモ衣にてヒダリ左のカド門よりイ出でけり。ソノ外なるアダシビト他人[110]にイ言へらく「ワ我がコ子どもは、カト合惕(罕の複稱)になれりとツ吿げられたり、ワレ我。コヽ此處にアシ惡きヒト人にトツ配ぎて、イマ今 コ子どもをオモテ面をいかでミ見ん、ワレ我」とイ云ひ、ハシ走りてシゲ密きハヤシ林にキ鑽りイ入りき。かくてタヅ尋ねてエ得られざりき。ベルグタイ ノヤン別勒古台 那顏(別勒古台 官人)は、メルキト篾兒乞惕のタヾ只 ホネ骨あるヒト人(人と云う人)に「ワ我がハヽ母をツ伴れコ來よ」とイ云ひては、カブラヤ𩪛頭箭にてイコロ射殺︀すなりき。
ブルカン ダケ不兒罕 獄をカコ圍みア合ひたるサンビヤク三百のメルキト篾兒乞惕をシソン子孫のシソン子孫にイタ至るまでハヒ灰をフキハラ吹拂ふがゴト如くホロボ滅せり。ノコ殘れるカレラ彼等のツマコ妻子は、イダ抱くべきモノ者︀どもをばイダ抱けり。カド門にイ入らしめらるべきモノ者︀どもをばカド門にイ入らしめたり(明譯カレノソノアマレルツマコドモ彼的其餘妻子毎、ベキ可㆓以ナス做㆒㆑ツマトモノハナシ妻的做㆓了ツマ妻㆒、ナスベキ做㆓ニヒト奴婢㆒モノハナセリ的做㆓了ヌヒト奴婢㆒。)
§113(03:22:06)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ワンカン王罕 ヂヤムカ札木合にテムヂン帖木眞の感謝
トオリル カン脫斡哩勒 罕、ヂヤムカ札木合 フタリ二人をテムヂン帖木眞 カタジケナ感謝みてイ言はく「ワ我がカン エチゲ罕 額赤格、ヂヤムカ アンダ札木合 安荅 フタリ二人にトモ伴とナ爲られて、アマツカミ クニツカミ皇天 后土にチカラ力をソ添へられて、ミイツ稜威額兒客あるアマツカミ皇天にナ名のりて。ハヽ母額客なるクニ土地にイタ到額禿堅らしめて、(天を父とし、地を母とする故に、敵の國土をも母と云へり。到らしむは、到らしめらるの意なるべし。)ヲトコ男額咧のウラミ怨あるメルキト篾兒乞惕のタミ民を、カレラ彼等のフトコロ懷額不兒もカラ空豁黑脫兒灰になしたり。カレラ彼等のカン肝赫里格もナカバ半含帖勒にしたり、ワレラ我等。カレラ彼等のクラヰ位斡囉〈[#左ルビの「斡囉」は底本では「幹囉」。昭和18年復刻版に倣い修正]〉もカラ空豁黑脫兒灰になしたり。ウカラ親族兀嚕渾のヒト人をもウシナ失兀營惕格はしめたり、ワレラ我等。カレラ彼等のノコ殘許列克薛惕れるノコ者︀どもをもカス掠めたるぞ、ワレラ我等。メルキト篾兒乞惕のタミ民をかくヤブ壞りてシリゾ退かん」とイ云ひア合へり。[111]
§114(03:23:08)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ウドチト メルキト兀都︀亦惕 篾兒乞惕 ニ逃ぐるトキ時、テウソ貂鼠のバウ帽ある、メジカ牝鹿のテイヒ蹄皮のクツ靴ある、フンピ粉皮とミヅ水のテウソ貂鼠とハ接ぎたるコロモ衣ある、イツヽ五歲なる、クチユ曲出のナ名ある、そのメ目にヒ火あるヲサナゴ幼兒を、ワレラ我等のイクサビト軍人どもは、イヘヰ營盤のウチ內にノコ遺りたるをエ得て、ツ伴れキ來てホエルン エケ訶額侖 額客にキフジ給事にヰ率てアタ與へてサ去れり。
§115(03:24:07)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
テムヂン帖木眞 トオリル カン脫斡哩勒 罕、ヂヤムカ札木合 ミタリ三人 ヒト一つになりて、メルキト篾兒乞惕のオクムキ奧向綽兒罕のヘヤ房をオシタフ推倒して、ワガフ和合綽黑台せるヲミナ婦人をカス掠めて、オルカン斡兒罕(卽ち前の斡兒桓 河)セレンゲ薛涼格 ニカ二河のタルクン アラル塔勒渾 阿喇勒よりシリゾ退くに、テムヂン帖木眞、ヂヤムカ札木合 フタリ二人は、ヒト一つとなりて、ゴルゴナク ガハラ豁兒豁納黑 河原をサ指してシリゾ退けり。トオリル カン脫斡哩勒 罕 シリゾ退くには、ブルカン ダケ不兒罕 獄 のウシロ背よりホコルト ヂユルブ訶闊兒禿 主兒不をス過ぎ、(兒不の二字 倒置せるに似たり。)カチヤウラト スブチト合茶兀喇禿 速卜赤惕、クリヤト スブチト忽里牙禿 速卜赤惕をス過ぎ、そのケダモノ野獸をマキガリ圍獵して、トウラ土兀剌のクロバヤシ黑林をサ指しシリゾ退きたり。
§116(03:25:09)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
テムヂン帖木眞 ヂヤムカ札木合 幼き時 フタ二たびのアンダ安荅
テムヂン帖木眞、ヂヤムカ札木合 フタリ二人は、ゴルゴナク カハラ豁兒豁納忽 河原にア會ひゲバ下馬して、サキ曩のアンダ安荅とナ爲りア合へるをオモ想ひア合ひて、「アンダ安荅をシナホ爲直しア合ひてシタシ親みア合はん」とイ云ひア合へり。モトモサキ最前にアンダ安荅とナ爲りア合へるには、テムヂン帖木眞 ジフイツサイ十一歲なるトキ時、ヂヤムカ札木合は、オホシカ麅の(麅の骨にて作れる)ヒセキ髀石をテムヂン帖木眞にアタ與へて、テムヂン帖木眞のドウクワン銅灌の(銅灌の如き)ヒセキ髀石とカ換へア合ひて、アンダ安荅にナ爲りア合ひて、アンダ安荅とイ云ひア合ひたるは、オナン斡難︀のコホリ冰のウヘ上にヒセキ髀石をウ打つトキ時、ソコ其處にアンダ安荅とイ云ひア合ひた[112]りき。(玩葵生の蒙古 吉林 土風記 に曰く「羅丹、鹿蹄骨也。舊俗、以㆓蹄腕骨㆒、隨㆑手 攤擲 爲㆑戯、視︀㆓其偃仰橫側㆒、爲㆓勝負㆒。小者︀以㆑麞、大者︀以㆑鹿、瑩澤如㆑玉。兒童婦女、圍坐攤擲以相樂。以㆓薄圓㆒擊㆑之、則曰㆓伯格㆒。又有㆓較㆑遠之戲㆒、趨㆓冰上㆒、以㆑中爲㆑勝、名曰㆓撒罕㆒」と云へり。撒罕は、骨なる蒙語 撒合の轉なり。帖木眞 札木合の、冰の上にて髀石を打てるは、いはゆる較遠の戲れなるべし。)そのノチ後のハル春、キヅクリ木作のユミ弓にてヤ箭をイア射合ひてヲ居るトキ時、ヂヤムカ札木合は、ニサイノウシ二歲牛のフタ二つのツノ角をツ粘けてアナ孔あけてコヱ聲あるナリカブラ響︀𩪛頭(鳴鏑)をテムヂン帖木眞にアタ與へて、テムヂン帖木眞のヒノキ柏のカシラ頭あるカブラヤ鏑矢とカ換へア合ひて、アンダ安荅にナ爲りア合へり。フタ二たびアンダ安荅とイ云ひア合ひたるコトノモト緣故、かくあり。
§117(03:27:06)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
サキ曩にトシヨリ老人だちのコトバ言をキ聞きて「アンダ安荅のヒト人はイノチ命阿民 ヒト一つにてス棄てア合はず、イノチ命阿民のマモリ護阿哩赤となるなり」とて、シタシ親みア合へるコトノモト緣故、かくあり。イマ今 マタ又 アンダ安荅をシナオ爲直してシタシ親まんとイ云ひア合ひて、テムヂン帖木眞は、メルキト篾兒乞惕のトクトア脫黑脫阿をカス掠めてト取れるコガネ黃金のオビ帶をヂヤムカ アンダ札木合 安荅にカ繋けさせたり。トクトア脫黑脫阿のヒサ久しくコウビ交尾せざるタテガミクロ鬛黑きウマ馬にヂヤムカ アンダ札木合 安荅をノ乘らせたり。ヂヤムカ札木合は、ウワス メルキト兀洼思 篾兒乞惕のダイル ウスン歹兒 兀孫をカス掠めてト取れるコガネ黃金のオビ帶をテムヂン アンダ帖木眞 安荅にカ繋けさせたり。マタ又 ダイル ウスン歹兒 兀孫のツノ角あるコヒツヂ子羊のゴト如きシロウマ白馬にテムヂン帖木眞をノ乘らせたり。ゴルゴナク ガハラ豁兒豁納黑 河原のクルダカル忽勒荅合兒のキリギシ崖のマヘ前にシゲ繁れるキ木[のシタ下](忽圖剌 合罕の卽位したる處)にアンダ安荅とイ云ひア合ひてシタシ親みア合ひて、ウタゲ筵會しヨロコ歡びタノシ樂みア合ひて、ヨル夜はフスマ衾 ヒト一つにフ臥しア合ひたりき。
§118(03:29:05)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ウタガ疑はしきヂヤムカ札木合のイ言ひダ出し
テムヂン帖木眞 ヂヤムカ札木合 フタリ二人 シタシ親みア合ふことヒトトセ一年、ツギ次のトシ年のナカバ半ま[113]でシタシ親みア合ひて、そのス住めるイヘヰ營盤よりヒトヒ一日 タ起たんとイ云ひア合ひてタ起てるは、ナツ夏のハジメ首のツキ月のダイジフロク第十六のアカ赤くテ照るヒ日にタ起ちたり。テムヂン帖木眞、ヂヤムカ札木合 フタリ二人 トモ共にクルマ車のマヘ前にアユ步みてキ來つるに、ヂヤムカ札木合 イ言はく「テムヂン アンダ帖木眞 安荅、アンダ安荅。ヤマ山兀阿剌にヨ挨りゲバ下馬せん。ワレラ我等のウマカヒ馬飼︀阿都︀兀臣どもは、チヤウバウ帳房阿剌出黑にアリツ有附かん。タニ㵎豁勒にヨ挨りゲバ下馬せん。ワレラ我等のヒツジカイ羊飼︀豁紐赤惕どもコヒツジカイ羔飼︀忽哩合赤惕どもは、ノド喉豁斡來(喉を養ふ食物)にアリツ有附かん(明譯ワレラ咱每 イマ如今 ヨリ挨㆓テ著︀ ヤマニ山㆒オリバ下、ハナツ放㆑ウマヲ馬 モノ的 エン得㆓チヤウボウニスムヲ帳房住㆒。ヨリ挨㆓テ著︀ タニヽ㵎㆒オリバ下、ハナツ放㆑ヒツヂヲ羊 モノ的 ハナツ放㆓コヒツジヲ羔兒㆒モノ的 ノドニ喉嚨裏 エン得㆓クフモノヲ喫的㆒)」とイ云へり。テムヂン帖木眞は、ヂヤムカ札木合のこのコトバ言をサト覺りかねて、モダ默しタ立ちてオク後れてタ起つアヒダ閒、クルマ車どもをマ待ちてタ起たんとし、テムヂン帖木眞は、ホエルン エケ訶額侖 額客に「ヂヤムカ アンダ札木合 安荅はイ言へり。「ヤマ山阿兀剌にヨ挨りゲバ下馬せん。ワレラ我等のウマカヒ馬飼︀阿都︀兀臣どもは、チヤウバウ帳房阿剌出黑にありつかん。タニ㵎豁勒にヨ挨りゲバ下馬せん。ワレラ我等のヒツジカヒ羊飼︀豁組赤惕どもコヒツジカヒ羔飼︀忽哩合赤惕どもは、ノド喉豁斡來にありつかん」とイ言へり。ワレ我は、カレ彼のこのコトバ言をサト覺りかねて、カレ彼へのコタヘ答をナニ何ともイ言はざりき、ワレ我。ハヽ母にト問はんとてキ來ぬ、ワレ我」とイ云へり。
ホエルン エケ訶額侖 額客のコヱ聲せざるに、ボルテ ウヂン孛兒帖 兀眞 イ言はく「ヂヤムカ アンダ札木合 安荅は、ア厭きヤス易しとイ云はるゝなりき。イマ今 ワレラ我等をア厭くトキ時となれり。タヾイマ只今のヂヤムカ アンダ札木合 安荅のカタ語れるコトバ語はワレラ我等をスナハ便ちハカ圖らんとするコトバ言ならん。ワレラ我等はナ勿 ゲバ下馬せそ。このウゴ動きたるにヨ依りサワヤ爽かにハナ離れ、ヨドホ夜通しカ掛けてウゴ動かんスナハ便ち」とイ云へり。[114]
§119(03:32:05)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ベスト別速惕の家にノコ遺れるココチユ闊闊出
ボルテ ウヂン孛兒帖 兀眞のコトバ言にて、ヨ善しとしてゲバ下馬せず、ヨドオ夜通しウゴ動きてキ來つるアヒダ閒に、ミチ途にタイチウト泰赤兀惕をス過ぎたり。タイチウト泰赤兀惕もオドロ驚きて、ソノヨ本夜 スナハ便ちサ指しム向きてヂヤムカ札木合のトコロ處にウゴ動きたり。タイチウト泰赤兀惕の[トモ伴なる]ベスト ウヂ別速惕 氏のイヘヰ營盤にヒトリ一人のチイサ小きココチユ闊闊出とイ云ふコ子をイヘヰ營盤にノコ遺したるを、ワ我がシウ眾 ト取りてキ來て、ホエルン エケ訶額侖 額客にアタ與へたり。[それを]ホエルン エケ訶額侖 額客 ヤシナ養へり。
§120(03:33:06)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
そのヨ夜 ヨドオ夜通しして、ヒア日明くればミ見れば、ヂヤライル札剌亦兒(親征錄 元史ヂヤラルブ札剌兒部、元史またヤライル ブ押剌伊而 部)のカチウン トクラウン合赤溫 脫忽喇溫、カラカイ トクラウン合喇孩 脫忽喇溫、カラルダイ トクラウン合喇勒歹 脫忽喇溫、このミタリ三人のトクラウン脫忽喇溫 アニオトヽ兄弟、ヨドホ夜通ししア合ひてキ來たりき。マタ又 タルクト塔兒忽惕の(所出 詳かならず。)カダアン ダルドルカン合荅安 荅勒都︀兒罕、アニオトヽ兄弟 イツタリ五人のタククト塔兒忽惕もキ來たりき。マタ又 モンゲト キヤン蒙格禿 乞顏のコ子 オングル翁古兒 ラ等も、シヤンシウト敞失兀惕(所出 詳かならず。)バヤウト巴牙兀惕(卷一なる 馬阿里黑 伯牙兀歹の裔、輟耕錄 蒙古 七十二種の中の伯要歹 氏、元史の伯岳吾 氏 又 伯牙吾 氏)とトモ共にキ來たりき。バルラス巴嚕剌思よりクビライ忽必來(親征錄 元史クビライ虎必來)、クドス忽都︀思、アニオトヽ兄弟どもキ來ぬ。モンクト忙忽惕よりヂエタイ哲台、ドゴルク チエルビ多豁勒忽 徹兒必(徹兒必は、官名なり。後に任ぜられたる官の名を以て追稱せり。次の斡歌連 雪亦客禿も同じ。)オトヽ兄弟 フタリ二人 キ來ぬ。ボオルチユ孛斡兒出のオトヽ弟 オゲレン チエルビ斡歌連 徹兒必(元史 食貨志のオコライ ヂエリビ斡闊烈 闍里必)も、アルラト阿嚕剌惕(元史 博爾朮の傳アルラ ウヂ阿兒剌 氏)よりハナ離れて、そのアニ兄 ボオルチユ孛斡兒出にア合ひにキ來ぬ。ヂエルメ者︀勒篾のオトヽ弟(蒙語 迭兀、單稱の弟にて、察兀兒罕のみに係り、速別額台には係らず。)チヤウルカン察兀兒罕、スベエタイ バアトル速別額台 巴阿禿兒(親征錄スブタイ バード速不台 拔都︀元史 速不台 また 雪不台)は、ウリヤンカン兀哴罕(元史 兀良合、又 兀良罕 氏)よりハナ離れて、ヂエルメ者︀勒篾にア合ひにキ來ぬ。ベスト別速惕よ[115]りデガイ迭該、クチユグル窟出古兒、アニオトヽ兄弟 フタリ二人もキ來ぬ。スルドス速勒都︀思(元史スンドス ウヂ遜都︀思 氏)よりチルグタイ赤勒古台、タキ塔乞、タイチウダイ泰赤兀歹、アニオトヽ兄弟どももキ來ぬ。ヂヤライル札剌亦兒のセチエ ドモク薛扯 朶抹黑も、アルカイ カツサル阿兒孩 合撒兒、バラ巴剌なるフタリ二人のコ子とキ來ぬ。コンゴタン晃豁壇よりシエイケト チエルビ雪亦客禿 徹兒必もキ來ぬ。スケケン速客虔のヂエガイ ゴンダゴル者︀該 晃荅豁勒のコ子 スケガイ ヂエウン速客該 者︀溫もキ來ぬ。ネウダイ捏兀歹 ヂアカアン ウワ察合安 兀洼もキ來ぬ。(捏古思 氏の察合安 兀洼。捏古思氏は、赤那思 氏とも云ふ。喇失惕 額丁に依れば、察剌孩 領忽の二子 堅都︀ 赤那、烏魯克眞 赤那の裔なり。オルクヌウト斡勒忽訥兀惕のキンギヤダイ輕吉牙歹、ゴロラス豁囉剌思卷一なる豁哩剌兒の複稱。親征錄 元史ホルラス火魯剌思)よりセチウル薛赤兀兒、ドルベン朶兒邊よりモチ ベドウン抹赤 別都︀溫もキ來ぬ。イキレス亦乞咧思(親征錄イキラス亦乞剌思元史イキレス亦乞列思)のブト不圖(親征錄 元史ボト孛徒、元史 本傳ボト孛禿)も、こゝにムコ壻となりにユ行くにヨ依りキ來ぬ。(不圖は、帖木眞の妹 帖木侖の夫となれり。)ノヤキン那牙勤よりチユンソ種索もキ來ぬ。オロナル斡囉納兒(元史、斡剌納兒、斡耳納、斡魯納台 氏)よりヂルゴアン只兒豁安もキ來ぬ。バルラス巴嚕剌思よりスク セチエン速忽 薛禪も、カラチヤル合喇察兒なるコ子とキ來ぬ。(この合喇察兒は名高き帖木兒 駙馬の五世の祖︀なり。)マタ又 バアリン巴阿𡂰のゴルチ ウスン エブゲン豁兒赤 兀孫 額不堅〈[#ルビの「ゴルチ ウスン エブゲン」は底本では「ゴル ウスン エブゲン」。昭和18年復刻版に倣い修正]〉(豁兒赤 兀孫 翁)、ココシユス闊闊搠思も、あまたのバアリン巴阿𡂰とイチダン一團 キ來ぬ。
§121(03:37:07)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ゴルチ ウスン豁兒赤 兀孫のフメイ符命の宣揚
ゴルチ豁兒赤 キ來てイ言はく「ボドンチヤル ボグダ孛端察兒 孛黑多(孛端察兒 賢人)のトラ虜︀へてト取れるヲミナ婦人よりウマ生れたるワレラ我等[のオヤ祖︀]は、ヂヤムカ札木合[のオヤ祖︀]とハラヒト腹一つのハウシヤウ胞漿 ヒト一つのモノ者︀なりき、ワレラ我等。ヂヤムカ札木合よりハナ離れざるものなりき、ワレラ我等。ミツゲ神︀吿(神︀の御吿)クダ降りて、ワ我がメ目にミ見せたり。ナマシロ慘白きメウシ乳牛 キ來て、ヂヤムカ札木合をメグ繞りてユ行きて、そのイヘ家 クルマ車にフ觸るゝと、ヂヤムカ札木合にフ觸れて、カタカタ片方のツノ角を折りて、カタツノ片角とな[116]りて、「ワ我がツノ角をおこせ」とイ云ひイ云ひ、ヂヤムカ札木合のトコロ處にホ吼えホ吼え、ツチ土をア揚げ揚げタ立ちたり。ツノナ角無きナマジロ慘白きヲウシ牡牛は、オホイ大なるチヤウバウ帳房のユカ牀をウヘ上にモタ擡げて、カ駕してヒ拽きて、テムヂン帖木眞のシリヘ後よりオホクルマヂ大車路にヨ依りホ吼え吼えク來るに、「アマツカミ皇天 クニツカミ后土 ハカ議りア合ひて、テムヂン帖木眞をクニ國のウシ主人とナ爲れとイ云ひ、クニ國をノ載せてモ持ちてキ來たり」とイ云ひ、ミツゲ神︀吿をメ目にミ見せてワレ我にツ吿げたり。
テムヂン帖木眞 ナンヂ汝、クニ國のウシ主人とナ爲らば、ワレ我を[ワ我がかく]ツ吿げたるユヱ故に、いかにかタノシ樂ましむる、ナンヂ汝」とイ云へり。テムヂン帖木眞 イ言はく「マコト實にかくクニ國をシ知らしめば(管知せしめば)、バンコ萬戶のクワンニン官人とナ爲さん」とイ云へり。[ゴルチ豁兒赤は]「オホ多きリイウ理由をツ吿げたるヒト人をワレ我をバンコ萬戶のクワンニン官人とナ爲すとも、ナニ何のタノシ樂みかア有らん。バンコ萬戶のクワンニン官人とナ爲して、クニ國のウツク美しきヨ好きヲトメ少女らをジザイ自在にト取らしめて、サンジフニン三十人もヲミナ婦人あらしめ、マタ又 ナニ何にてもワ我がカタ語ることをムカ迎へキ聽け」とイ云へり。(前段に豁兒赤 兀孫を翁と云へるは、後に與へたる尊稱を以て追記せるなり。婦人をあまた望みたるを見れば、この時はまだ壯かりしならん。)
§122(03:41:01)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
ヂヤムカ札木合より離れ來ぬる諸︀部のシウ眾
クナン忽難︀をカシラ頭とせるゲニゲス格你格思のイチダン一團もキ來ぬ。マタ又 ダリタイ オツチギン荅哩台 斡惕赤斤のイチダン一團もキ來ぬ。ヂヤダラン札荅㘓よりムルカルク木勒合勒忽もキ來ぬ。マタ又 ウンヂン溫眞(親征錄ヌンヂン ブ嫩眞 部) サカイト撒合亦惕(親征錄サカイ ブ撒合夷 部)のイチダン一團もキ來ぬ。ヂヤムカ札木合よりかくハナ離れウゴ動きて、キムルカ ヲガハ乞木兒合 小河のアイル カラカナ阿亦勒 合喇合納にゲバ下馬してヲ居るトキ時、マタ又 ヂヤムカ札木合よりハナ離れて、ヂユルキン主兒勤(卽ち卷一の禹兒乞)[117]のシヨルカト ヂユルキ莎兒合禿 主兒乞(卽ち卷一の忽禿黑禿 禹兒乞)のコ子 サチヤ ベキ撒察 別乞(卽ち卷一の薛扯 別乞)タイチユ泰出(卽ち卷一の台出)フタリ二人のイチダン一團、マタ又 ネクン タイシ捏坤 太石のコ子 クチヤル ベキ忽察兒 別乞(親征錄 元史ホチヤル火察兒)のイチダン一團、マタ又 クトラ カン忽禿剌 罕(卷一の忽圖剌 合罕)のコ子 アルタン オツチギン阿勒壇 斡惕赤斤(卷一の阿勒壇)のイチダン一團、コレラ是等はマタ又 ヂヤムカ札木合よりハナ離れウゴ動きて、テムヂン帖木眞にキムルカ ヲガワ乞木兒合 小河のアイル カラカナ阿亦勒 合喇合納にゲバ下馬してヲ居るトコロ處にア會ひゲバ下馬せり。
ソコ其處よりタ起ちて、グルレグ ザン古咧勒古 山のウチ內なるサングル ヲガハ桑古兒 小河のカラ ヂユルゲン合喇 主嚕堅(卷二の合喇 只嚕竪)のココ ナウル闊闊 納兀兒(靑き湖水)にゲバ下馬せり。
§123(03:42:10)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
チンギス カガン成吉思 合罕 スヰタイ推戴のチカヒ盟
アルタン阿勒壇、クチヤル忽察兒、サチヤ ベキ撒察 別乞 ナド等 ハカ議りア合ひて、テムヂン帖木眞にイ言へらく「ナンヂ汝をカン罕とナ爲さん。テムヂン帖木眞をカン罕となさば、ワレラ我等はオホ多斡欒きテキ敵にセンポウ先鋒阿勒斤赤にハシ奔りて、カホ顏汪格 ヨ好きヲトメ少女斡勤 キサキ妃を、チヤウデン帳殿斡兒朶格兒のヘヤ房[にイ入斡囉りて、エ得斡勒てツ伴阿卜赤喇れキ來てアタ與斡克へん、ワレラ我等。]アダシクニタミ他國民合哩亦兒堅のホヽ顋合察兒 ウツク美しきキサキ妃合屯 ヲトメ少女を、シリブシ臀節︀合兒含 ヨ好きセンバ騸馬にノ騎合塔喇らしめてツレ伴れキ來てアタ與へん、ワレラ我等。ノ野兀囉阿のケダモノ獸をマキガリ卷狩せば、サキガケ先驅兀禿喇してアタ與へん、ワレラ我等。(卷六なる成吉思 汗の阿勒壇 忽察兒を責めたる語と較ぶるに、こゝにも一句脫ちたるに似たり。)アレノ曠野客額兒のケダモノ獸のハラ腹客額里をヒトナラビ一竝にヨ寄せてアタ與へん。キリギシ懸崖昆のケダモノ獸のモヽ腿忽牙をヒトナラビ一竝にヨ寄せてアタ與へん、ワレラ我等。タヽカ戰合惕忽ふヒ日にナンヂ汝のガウレイ號令合剌にタガ違はば、ワレラ我等のナリハヒ家業合哩失哩よりキサキ妃合屯 ヲミナ婦人よりハナ離合合察れさせて、ワレラ我等のクロ黑合喇きカシラ頭をヂ地合札兒のツチ土にス棄ててサ去れ。タヒラ平昻客けきヒ日にナンヂ汝のケフギ協議額耶をヤブ壞らば、ワレラ我等のヲトコ男額咧思どものナリハヒ家業よりツマ妻額篾 コ子可兀よりワカ別希哩扯れさせて、アルジ主額者︀なきトコロ地にス棄ててサ去れ。」かくコトバ言を[118]サダ定めア合ひて、これよりチカヒ盟して、テムヂン帖木眞をチンギス カガン成吉思 合罕(强盛なる大君)とナ名づけて、カン罕となしたり。(帖木眞の汗となれるは、蒙古 源流に據れば、己酉の年にして、二十八歲の時なり。己西の年は、我が後鳥羽︀ 天皇 文治 五年、宋の淳熙 十六年、金の大定 二十九年、西紀 一一八九年なり。)
§124(03:44:10)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
チンギス カガン成吉思 合罕、カン罕とナ爲ると、ボオルチユ孛斡兒出のオトヽ弟 オゲライ チエルビ斡歌來 徹兒必(前の斡歌連 徹兒必)、ヤナグヒ節︀筒をオ帶べり。
カヂウン トクラウン合只溫 脫忽喇溫(前の合赤溫 脫忽喇溫)、ヤナグヒ箭筒をオ帶べり。ヂエタイ哲台、ドゴルク チエルビ多豁勒忽 徹兒必、アニオトヽ兄弟 フタリ二人、ヤナグヒ箭筒をオ帶べり。(箭筒を蒙語に豁兒と云ひ、箭筒を帶ぶる者︀を豁兒臣 又は豁兒赤と云ふ。元史 塔察兒の傳に「ホルチ火兒赤 ハ者︀、オビテ佩㆓ヤナグヒユブクロヲ櫜鞬㆒ハベル侍㆓サイウニ左右㆒モノ者︀ナリ也」とあるは、これなり。)
ヲングル汪古兒(前の翁古兒)、シエイケト チエルビ雪亦客禿 徹兒必、カダアン ダルドル合荅安 荅勒都︀兒罕 ミタリ三人 イ言はく「アシタ朝馬納合兒のノミモノ飲物をナ勿 カ缺篾古迭兀勒かせそ。ユフベ夕兀迭のノミモノ飮物をナ勿 オコタ慢斡莎勒荅りそ」とて、バウルチン巴兀兒臣とナ爲れり。(巴兀兒臣、また巴兀兒赤と云ふ。元史 兵志に「ミヅカラハウジンシテ親烹餁以タテマツル奉㆓カミニインシヨクヲ上飮食㆒モノヲ者︀、イフ曰㆓ボールチト博爾赤㆒」とあるは、これなり。)
デガイ迭該 イ言はく「ニサイ二歲失列古のカツヤウ羯羊亦兒格〈[#左ルビの「亦兒格」は底本では、直前の字句「二歲の」についているが、白鳥庫吉訳「音訳蒙文元朝秘史」§124(03:45:06)の漢︀字音訳に倣い左ルビの位置を修正]〉をカワ渴かしめて、アシタ朝馬納合兒にナ勿 カ缺篾古迭きそ。イ寢豁那黑ぬるトキ時にナ勿 オク後豁只荅れそ。ハナ花阿剌黑赤兀惕のイロ色のヒツジ羊をノガヒ牧阿都︀兀剌して、シヤテイ車底阿藍にミタ滿さん。キイロ黃色晃豁黑赤兀惕のヒツジ羊豁你惕をノガイ牧して、カコヒ圈子豁團にミタ滿さん。クヒスギ貪食豁斡闌察兒はアシ惡くありき、ワレ我。ヒツジ羊豁你惕をノガヒ牧して、ハクチヤウ白腸管只牙孫をクラ食はん、ワレ我」とて、デガイ迭該は、ヒツジ羊をノガヒ牧せり。(羊を豁紉と云ひ、羊飼︀を豁你臣 又は豁你赤と云ふ。元史 兵志の火你赤は、これなり。)
そのオトヽ弟 グチユグル古出古兒(前の窟出古兒)イ言はく「クサリ鎖搠斡兒合あるクルマ車を、そのクサビ轄赤兀をナ勿 タフ倒赤兀迭兀勒れしめそ。シヤヂク車軸騰吉思格あるクルマ車を、クルマヂ車路帖兒格兀兒のウヘ上にナ勿 ヤブ壞帖兒咧兀勒れしめそ」とイ云ひて、「ヘヤ房 クルマ車をヲサ治めん」とイ云へり。ドダイ チエルビ多歹 扯兒必(前に見えざる人)は、「イヘ家のウチ內のメシツカヒ婢僕どもをス統べん」とイ云へり。
クビライ忽必來、チルグタイ赤勒古台、カルカイ トクラウン合兒孩 脫忽喇溫(前の合喇孩 脫忽喇溫)ミタリ三人に[119]「カツサル合撒兒とトモ共にカタナ刀をオ帶びて、イキホ勢古出兒格昆ふものは、そのクビ首古主兀惕をキ斬輕古哩惕れ。アラ荒斡抹兒合渾ぶるものは、そのムネ胷斡抹里兀をサ刺汪剌只惕せ」とイ云へり。(刀を兀勒都︀と云ひ、刀を帶ぶる者︀を兀勒都︀赤と云ふ。元史 兵志に「ハベリ侍㆑カミニ上オブル帶㆓カタナマタユミヤヲ刀及弓矢㆒モノヲ者︀イフ曰㆓ウンドチト云都︀赤㆒」とあるは、これなり。)
ベルグタイ別勒古台、カラルダイ トクラウン合喇勒歹 脫忽喇溫 フタリ二人に「センバ騸馬をト執れ。ウマヅカサ馬官(阿黑塔臣)とナ爲れ」とイ云へり。
タイチウダイ泰赤兀歹、クト モリチ忽圖 抹哩赤(前に見えざる人)、ムルカルク木勒合勒忽 ミタリ三人に「バグン馬羣をノガヒ牧せよ」とイ云へり。(馬羣を蒙語に阿都︀溫と云ひ、馬飼︀を阿都︀兀臣と云ふ。)アルカイ カツサル阿兒孩 合撒兒、タカイ塔孩〈[#ルビの「タカイ」は底本ではルビなし。昭和18年復刻版にもルビなし。底本の他の箇所に出てくる塔孩のルビ「タカイ」を転用した]〉(前の塔乞)、スケガイ速客該(前の速客該 者︀溫)、チヤウルカン察兀兒罕 ヨタリ四人に「トホ遠豁剌きゴオチヤルク豁斡察黑(箭の名)チカ近斡亦喇きオドラ斡多喇(箭の名)となれ」とイ云へり。(征討 巡警の事を掌れるならん。官名は、いまだ考へ得ず。)スベエタイ バアドル速別額台 巴阿都︀兒 イ言はく「ネズミ鼠忽魯罕となりて、アツ聚忽哩牙勒都︀速めア合はん。クロ黑合喇きヤマガラス老鴉となりて、ホカ外合荅溫にあるモノ物をヲサ收合兒馬勒都︀速めア合はん、ウマオホ馬覆粘別額ひのマウセン毛氈となりて、オホ覆揑木兒列勒敦ひア合はんとコヽロ試みん。カゼヨケ風除格里思格のマウセン毛氈となりて、イヘ家格兒をフセ禦格哩思格列勒敦ぎア合はんとコヽロ試みん」とイ云へり。
§125(03:48:06)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
キウシン舊臣をネギラ勞ひシンプ新附をスス奬むるユシ諭旨
そこにチンギス カガン成吉思 合罕、カン罕となりて、ボオルチユ孛斡兒出、ヂエルメ者︀勒篾 フタリ二人にイ言へらく「ナンヂラ汝等 フタリ二人、ワレ我を、カゲ影薛兀迭兒よりホカ外にトモ伴なきトキ時に、カゲ影薛兀迭兒となりて、ワ我がコヽロ心薛惕乞勒をヤス安からしめたるぞ、ナンヂラ汝等。コヽロ心薛惕乞勒のウチ內にア存れ」とイ云へり。「ヲ尾薛兀兒よりホカ外にムチ鞭赤出阿なきトキ時に、ヲ尾薛兀兒となりて、ワ我がコヽロ心只嚕格をヤス安からしめたるぞ、ナンヂラ汝等。ワ我がムネ胷徹額只のウチ內にア存れ」とイ云へり。「ナンヂラ汝等 フタリ二人は、マヘ前にタ立てるにヨ依り、コヽ此處にヲ居るモノ者︀どもにヲサ長となりてヲ居らずや、ナンヂラ汝等」とイ云へり。マタ又 チンギス カガン成吉思 合罕 イ言はく「アマツカミ クニツカミ皇天 后土にチカラ力をソ添へてタス祐︀けられば、 ナンヂラ汝等、ヂヤムカ アンダ札木合 安荅のトコロ處よりワレ我をとオモ思ひてオモ伴とならんとてキ來つるトシヨリ老人どもは、ワ我がサイハヒ福︀あるトモ伴とならざらんや」とイ云へり。オノ己もオノ己もヰニン委任せり、ナンヂラ汝等に。(この句、恐らくは脫文あらん。)
§126(03:50:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
チンギス カン成吉思 汗のソクヰ卽位を聞けるワンカン王罕のガジ賀辭
チンギス カガン成吉思 合罕をカン罕となしたりとて、ケレイト客咧亦惕のトオリル カン脫斡哩勒 罕に、ダカイ荅孩、スゲガイ速格該(前の塔孩、速客該)フタリ二人をツカヒ使にヤ遣りたり。トオリル カン脫斡哩勒 罕は、「テムヂン帖木眞なるワ我がコ子をカン罕とナ爲したるはハナハ甚だヨ善し。モンゴル忙豁勒にキミ君なく、いかにかスゴ過さん、ナンヂラ汝等。コ此額捏のケフギ協議額也をナ勿 ヤブ壞厄迭惕りそ。ケフギ協議をムス結掌吉べるをナ勿 ト解塔魯惕きそ。コロモ衣札合のエリ領をナ勿 ヒ扯談禿魯黑きそ」とイ云ひてヤ遣りて。(畢りのては、たりの誤りか。然らずば、下に脫字あらん。)
成吉思 汗 實錄 卷の三 終り。
- ↑ 明治四十一年三・四月『大阪朝日新聞』所載、「桑原隲藏全集 第二卷」岩波書店、那珂先生を憶う - 青空文庫
- ↑ 国立国会図書館デジタルコレクション:info:ndljp/pid/782220
- ↑ 3.0 3.1 テンプレート読み込みサイズが制限値を越えるので分冊化しています。
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