Page:成吉思汗実録.pdf/125

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​追捲​​オイマク​りて​來​​キ​ぬ」とて​噂​​ウハサ​を​知​​シ​れり。その​噂​​ウハサ​を​知​​シ​ると、


§133(04:11:10)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​成吉思 汗​​チンギス カン​ ​王罕​​ワンカン​の​塔塔兒​​タタル​​夾​​ハサ​み攻め

 ​成吉思 合罕​​チンギス カガン​ ​言​​イ​はく「​前​​サキ​の​日​​ヒ​より​塔塔兒​​タタル​の​民​​タミ​は、​御祖︀​​ミオヤ​なる​父​​チヽ​を​失​​ウシナ​ひたる​讎​​アタ​ある​民​​タミ​なりき。​今​​イマ​この​機會​​キクワイ​に​力​​チカラ​ ​合​​ア​はせん(金の軍と夾み攻めん)、​我等​​ワレラ​」と​云​​イ​ひて、​脫斡哩勒 罕​​トオリル カン​の​處​​トコロ​に「​阿勒壇 罕​​アルタン カン​の​王京 丞相​​ワンキン シヤウジヤウ​は、​塔塔兒​​タタル​の​篾古眞 薛兀勒圖​​メグヂン セウルト​が​頭​​カシラ​たる​塔塔兒​​タタル​を​兀勒札 河​​ウルヂヤ ガハ​に​泝​​サカノボ​り​追捲​​オイマク​りて​來​​キ​ぬと​云​​イ​へり。​我等​​ワレラ​の​御祖︀​​ミオヤ​なる​父​​チヽ​を​失​​ウシナ​ひたる​塔塔兒​​タタル​を​夾​​ハサ​み​攻​​セ​めん、​我等​​ワレラ​。​脫斡哩勒 罕 額赤格​​トオリル カン エチゲ​ ​疾​​ト​く​來​​コ​よ」とて、この​傳言​​デンゴン​を​致​​イタ​しに使を​遣​​ヤ​りぬ。この​傳言​​デンゴン​を​致​​イタ​さるゝと​脫斡哩勒 罕​​トオリル カン​ ​言​​イ​はく「​我​​ワ​が​子​​コ​は​勺卜​​ジヨブ​(丁度善し、善き機會なり)と​言​​イ​ひておこせたり。​力​​チカラ​ ​合​​ア​はせん、​我等​​ワレラ​」と​云​​イ​ひて、​第三​​ダイサン​の​日​​ヒ​に​軍士​​イクサビト​を​聚​​アツ​めて​軍​​イクサ​を​起​​オコ​して、​脫斡哩勒 罕​​トオリル カン​は、​速​​スミヤカ​に​赴​​オモム​きて、​成吉思 合罕​​チンギス カガン​、​脫斡哩勒 罕​​トオリル カン​ ​二人​​フタリ​は、​主兒勤​​ヂユルキン​の​撒察 別乞​​サチヤ ベキ​、​泰出​​タイチユ​が​頭​​カシラ​たる​主兒勤​​ヂユルキン​(親征錄​月兒斤​​ユルキン​)に​言​​イ​ひて​遣​​ヤ​るに「​前​​サキ​の​日​​ヒ​より​我等​​ワレラ​の​御祖︀​​ミオヤ​なる​父​​チヽ​を​失​​ウシナ​ひたる​塔塔兒​​タタル​を​今​​イマ​この​機會​​キクワイ​に​夾​​ハサ​み​攻​​セ​めん。​諸︀共​​モロトモ​に​出馬​​シユツバ​せん」と​云​​イ​ひて​遣​​ヤ​りぬ。​主兒勤​​ヂユルキン​に​來​​コ​らるゝことを​六日​​ムユカ​ ​待​​マ​ちて[​待​​マ​ち]かねて、​成吉思 合罕​​チンギス カガン​、​脫斡哩勒 罕​​トオリル カン​ ​二人​​フタリ​、​諸︀共​​モロトモ​に​軍​​イクサ​を​起​​オコ​して、​兀勒札​​ウルヂヤ​に​沿​​シタガ​ひ、​王京 丞相​​ワンキン シヤウジヤウ​と​力​​チカラ​ ​合​​ア​はせに​來​​キ​つる​時​​トキ​、​兀勒札​​ウルヂヤ​の​忽速禿 失禿延​​クスト シトエン​〈[#「忽速禿 失禿延」は底本では「忽速禿失禿延」。白鳥庫吉訳「音訳蒙文元朝秘史」§133(04:13:09)の漢︀字音訳「忽速禿-失禿延」に倣い二語に分割]〉、​納喇禿 失禿延​​ナラト シトエン​〈[#「納喇禿 失禿延」は底本では「納喇禿失禿延」。白鳥庫吉訳「音訳蒙文元朝秘史」§133(04:13:09~10)の漢︀字音訳「納喇禿-失禿額捏」に倣い二語に分割]〉親征錄、納剌禿 失圖、忽速禿失圖 之 野)に​塔塔兒​​タタル​の​篾古眞​​メグヂン​が​頭​​カシラ​たる​塔塔兒​​タタル​は、そこに​寨​​トリデ​に​據​​ヨ​りき。