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成吉思汗実録/巻の七

提供:Wikisource

[188]



​チンギス カン ジツロク​​成吉思 汗 實錄​ ​マキ​​卷​​シチ​​七​


§186(07:01:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​タカイ​​塔孩​勇士の恩賞

 かく​ケレイト​​客咧亦惕​​タミ​​民​​クツプク​​屈服​せしめて​オノ​各​​ワ​​分​けて​トラ​​虜︀​へさせたり。​スルドス​​速勒都︀思​​タカイ バアトル​​塔孩 巴阿禿兒​卷三の塔孩)の​イサヲ​​功​​ユヱ​​故​に、​イツピヤク​​一百​​ヂンギン​​只兒斤​​アタ​​與​へたり。​マタ​​又​ ​チンギス カガン​​成吉思 合罕​ ​ミコト​​勅​あり。​ワンカン​​王罕​​オトヽ​​弟​​ヂヤカガンブ​​札合敢不​​フタリ​​二女​​ムスメ​​息女​ありし

​ヂヤカガンブ​​札合敢不​の二女

その​アネムスメ​​姊女​ ​イバカ ベキ​​亦巴合 別乞​を(卷八の末に二たび見ゆ​チンギス カガン​​成吉思 合罕​ ​ミヅカ​​自​​ト​​取​り、​イモトムスメ​​妹女​ ​シヨルカクタニ ベキ​​莎兒合黑塔泥 別乞​​トルイ​​拖雷​​アタ​​與​へたり(元史 本紀に、憲宗 桓肅 皇帝、諱は蒙哥、睿宗 拖雷の長子なり。母を莊獻 太后 怯烈 氏、諱は​ソルカテニ​​唆魯禾帖尼​と曰ふ。后妃表に、睿宗の唆魯和帖尼 妃子、怯烈 氏、追諡 莊聖 皇后、また顯懿 莊聖 皇后とあり。拖雷は、本傳に「睿宗 景襄 皇帝、諱は拖雷、太祖︀の第四子、太宗の母弟なり」とあり。)その​チナミ​​緣​​ヨ​​依​りて、​ヂヤカガンブ​​札合敢不​​カレ​​彼​​シタガ​​從​​ヂツキン​​昵近​​タミ​​民​​マトマリテ​​圓全​ ​ダイニ​​第二​​ナガエ​​轅​​ナ​​爲​れと​イ​​云​ひて、​オンシ​​恩賜​して​トラ​​虜︀​へさせざり[189]き。


§187(07:02:06)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​バダイ​​巴歹​ ​キシリク​​乞失里黑​の恩賞

 ​マタ​​又​ ​チンギス カガン​​成吉思 合罕​ ​ミコト​​勅​あるには「​バダイ​​巴歹​​キシリク​​乞失里黑​ ​フタリ​​二人​​イサヲ​​功​​ユヱ​​故​に、​ワンカン​​王罕​​コガネ​​金​​テンマク​​天幕​​フチン​​鋪陳​したる​コガネ​​金​​シユキヨク​​酒局​​キベイ​​器︀皿​を、​トリアツカ​​取扱​​ヒト​​人​ごめに[​アタ​​與​へん。]​オンゴヂト ケレイト​​汪豁只惕 客咧亦惕​は、(汪豁只惕 姓の客咧亦惕 人。汪豁只惕は、汪豁眞の複稱なり。卷四の溫眞は、親征錄の嫩眞、別咧津の弘豁攸惕にして、弘豁依惕は、卽ち汪豁只惕なれば、溫眞は、溫豁眞の中略 又は缺脫なるべし。​カレラ​​彼等​​バンシ​​番士​​ナ​​爲​れ。​ヤナグヒ​​箭筒​​オ​​帶​ばしめて、​アイサン​​喝︀盞​せしめて、(明譯​ノム​​飲​​サケヲ​​酒​​トキ​​時​​マタ​​又​ ​ユルシ​​許​​カレニ​​他​ ​アイサンヲ​​喝︀盞​​シソン​​子孫​​シソン​​子孫​​イタ​​至​るまで​ジザイ​​自在​​クワイラク​​快樂​せ[しめ]ん。​オホ​​多​​斡欒​​テキ​​敵​​ハシ​​奔​らば​タカラ​​財​​斡勒札​​エ​​得​​斡替阿速​ば、​エ​​得​​斡魯克撒阿兒​たるまゝに​ト​​取​れ。​ノ​​野​​斡喇阿​​ケダモノ​​獸​​コロ​​殺︀​​阿剌阿速​さば、​コロ​​殺︀​​阿剌黑撒阿兒​したるまゝに​ト​​取​​阿不惕​れ」と​ミコト​​勅​ありき。(

​アイサン​​喝︀盞​​レイ​​禮​

喝︀盞は、盞を乾かすと云ふ意にて、筵會の時に樂を奏して酒を進むるを云ふ。蒙語は​オトク​​斡脫克​にて、明譯には進酒とも譯せり。輟耕錄 卷の二十一に天子​スベテ​​凡​ 宴饗スルニ、一人酒觴、立於右、一人柏板、立於左。執レル者︀、抑其聲、贊シテ​オトト​​斡脫​。執レル者︀、如其聲シテヘバ​タビト​​打弼​、則執レル者︀、節︀一板。從而王侯卿相、合ベキ者︀、合ベキ者︀。於​コヽ​​是​ 眾樂皆作、然メテ。上飮ヘテ、眾樂皆止、別シテ、以飮シム陪位之官。謂​アイサント​​喝︀盞​。蓋沿亡金舊禮、至マデ。諸︀王大臣、非レバハル、不焉。​オト タビハ​​斡脫 打弼​、彼方言ナリ。未アラルニ其義斡脫は、卽ち斡脫克にして、打弼は、「宜し」なり。板を執れる者︀「酒を進めよ」と云へば、觴を執れる者︀「宜し」と應ふるなり。酒を飮む時にこの禮を用ふることは、諸︀王 大臣にても合罕の特許を得たる者︀に非ざれば能はざりしなり。​マタ​​又​ ​チンギス カガン​​成吉思 合罕​ ​ミコト​​勅​あるには「​バダイ​​巴歹​​キシリク​​乞失里黑​ ​フタリ​​二人​の、[​ワ​​我​が]​イノチ​​命​​アヒダ​​閒​​イサヲ​​功​​イタ​​致​せる​ユヱ​​故​に、​トコヨ​​長生​​アマツカミ​​上帝​​イウゴ​​祐︀護​せられて、[190]​ケレイト​​客咧亦惕​​タミ​​民​​クツプク​​屈服​せしめて、​タカ​​高​​クラヰ​​位​​イタ​​到​りたるぞ。この​ノチ​​後​ ​ワ​​我​​シソン​​子孫​​シソン​​子孫​に、​クラヰ​​位​​ヲ​​居​て、かくの​ゴト​​如​​イサヲ​​功​​イタ​​致​せることを​ツ​​繼​​ツ​​繼​ぎに​カヘリ​​省​みさせん」と​ミコト​​勅​ありき。

​ケレイト​​客咧亦惕​の民の分配

​ケレイト​​客咧亦惕​​タミ​​民​​トラ​​虜︀​​倒里​へて、​タレ​​誰​​客揑​にも​カ​​缺​​都︀塔​けざるまでに​チラ​​撒​​ア​​合​へり。​ヨロヅ​​萬​​土綿​​トベエン​​禿別延​卷五の土綿 禿別干。元史 完澤の傳、土伯燕 氏)を​チラ​​撒​​禿格額勒都︀​​ア​​合​ひて、​ヒキウ​​引受​​禿格帖列​けつゝ​ト​​取​​ア​​合​へり。​オホ​​多​​斡欒​​ドンガイト​​董合亦惕​​トヽノ​​整​​斡忽合​ふる​ヒ​​日​​イタ​​到​らず​トラ​​虜︀​へさせたるぞ。​チ​​血​​赤速禿​ある​モノ​​物​生きたる人)を​ハ​​剝​​トラ​​要​ふる​ヂルギン​​只兒斤​​ユウシ​​勇士​どもを​ヒラ​​開​​只速​きて​ワ​​分​けて、​トモ​​共​​イタ​​到​​アタ​​能​はざらしめたり。​ケレイト​​客咧亦惕​​タミ​​民​をかく​ホロボ​​滅​して、その​フユ​​冬​​アブヂア コデゲル​​阿卜只阿 闊迭格兒​親征錄​アブヂヤ コテゲル ノ ヤマ​​阿不札 闊忒哥兒 之 山​)に​フユゴモリ​​冬籠​したり。


§188(07:05:04)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​ワンカン​​王罕​の殺︀され

 ​ワンカン​​王罕​​サングン​​桑昆​ ​フタリ​​二人​​ミ​​身​​モテ​​以​​カエ​​反​りて​イ​​出​でて​サ​​去​ると、​ヂヂク サカル​​的的克 撒合勒​​ネクン ウスン​​捏坤 兀孫​捏坤の水。親征錄​ネクン ウスン ガハ​​捏羣 烏孫 河​)にて​ワンカン​​王罕​ ​ノド​​喉​ ​カワ​​乾​きて​イ​​入​りたるに、​ナイマン​​乃蠻​​モノミ​​斥候​ ​ゴリ スベチ​​豁哩 速別赤​親征錄​ホリ スバチ​​火里 速八赤​)の​トコロ​​處​​イ​​入​りき。​ゴリ スベチ​​豁哩 速別赤​は、​ワンカン​​王罕​​トラ​​拏​へけり。「​ワレ​​我​は、​ワンカン​​王罕​なり」と​イ​​云​へども、​ミト​​認​めず​シン​​信​ぜずして、そこに​コロ​​殺︀​しけり。​サングン​​桑昆​​ヂヂク サカル​​的的克 撒合勒​​ネクン ウスン​​捏坤 兀孫​​イ​​入​らず、​ホカ​​外​​サ​​去​りて

​ココチユ バテイ​​闊闊出 馬丁​​サングン​​桑昆​の棄てられ

​チエル​​徹勒​​イ​​入​りて​ミヅ​​水​ ​モト​​求​めたるに(徹勒は、唐書の勅勒 鐵勒の音に似たり。鐵勒の故地 又は故地の一部に古名の殘れるなるべし。卷十二に徹勒の地に井を穿てる事あり、廣き地方の名に似たり。​ノウマ​​野馬​ども(蒙語​クラト​​忽剌惕​黃にして薄靑き馬​アブ​​䖟​​サ​​刺​されて​タ​​立​てるを、​サングン​​桑昆​ ​ウマ​​馬​より​オ​​下​りて​ウカヾ​​覷​ひけリ。​サングン​​桑昆​​トモビト​​從者︀​ ​ココチユ​​闊闊出​​イ​​云​​バテイ​​馬丁​​ツマ​​妻​ありて、​サングン​​桑昆​[191]​ミタリ​​三人​にてありき。​ウマ​​馬​​ココチユ バテイ​​闊闊出 馬丁​​ト​​執​らしめけり。​ココチユ バテイ​​闊闊出 馬丁​、その​センバ​​騸馬​​ヒ​​牽​くと、​カヘ​​回​​ハシ​​走​りき。

馬丁の妻の忠言

その​ツマ​​妻​ ​イハ​​言​く「​コガネ​​金​​阿勒塔塔​あるを​キ​​被​​トキ​​時​​ジミ​​滋味​​奄塔塔​あるを​クラ​​食​​トキ​​時​、[​サングン​​桑昆​は]​ワ​​我​​ココチユ​​闊闊出​​イ​​云​ふなりき。​オノ​​己​​キミ​​君​​サングン​​桑昆​をいかんぞ かく​ス​​捨​てて​ハフ​​投​りて​サ​​去​りたる、​ナムチ​​爾​」と​イ​​云​ひて、その​ツマ​​妻​ ​タ​​立​ちて​ノコ​​殘​りけり。​ココチユ​​闊闊出​ ​イ​​言​はく「​サングン​​桑昆​​ヲトコ​​男​にせんとてなるぞ、​ナンヂ​​汝​」と​イ​​云​ひき。その​コトバ​​言​につき、その​ツマ​​妻​ ​イ​​言​はく「​ヲンナ​​婦​​ヒト​​人​​イヌ​​狗​​ツラ​​面​ありと​イ​​云​はるゝぞ、​ワレ​​我​​カレ​​彼​​コガネ​​金​​ツキ​​盂​をも​アタ​​與​へ、​ミヅ​​水​​ク​​汲​みて​ノ​​飮​ませよ」と​イ​​云​ひき。そこより​ココチユ バテイ​​闊闊出 馬丁​は、​カレ​​彼​​コガネ​​金​​ツキ​​盂​​ト​​取​るとて、​ウシロ​​後​​ム​​向​​ス​​棄​てて​ハシ​​走​りき。かくて​ク​​來​ると、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​トコロ​​處​​ココチユ バテイ​​闊闊出 馬丁​ ​キ​​來​て、

君を棄てたる馬丁の誅せられ

​サングン​​桑昆​をかく​チエル​​徹勒​​ス​​棄​ててて​キ​​來​ぬ、​ワレ​​我​」とて、そこに​イ​​言​​ア​​合​へる​イ​​言​​スベ​​都︀​てをみな​マウ​​申​して​ア​​上​ぐれば、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​ ​ミコト​​勅​ありて、その​ツマ​​妻​​オンシヤウ​​恩賞​して、その​ココチユ バテイ​​闊闊出 馬丁​をば「​セイシユ​​正主​​キミ​​君​をかく​ス​​棄​てて​キ​​來​ぬ。かゝる​ヒト​​人​ ​イマ​​今​ ​タレ​​誰​​トモ​​伴​とならば​イシン​​倚信​すべけん」と​イ​​云​ひて​キ​​斬​りて​ス​​棄​てたり。


§189(07:09:01)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​ワンカン​​王罕​​カウベ​​頭​​ナイマン​​乃蠻​にての祭

 ​ナイマン​​乃蠻​​タヤン カン​​塔陽 罕​親征錄​タヤン カガン​​太陽 可汗​元史 太祖︀紀 太陽罕、蒙古 源流 達延 汗)の​ハヽ​​母​ ​グルベス​​古兒別速​親征錄​グルバス​​菊兒八速​塔陽 罕の妻​イ​​言​はく「​ワンカン​​王罕​は、​サキ​​前​​オイ​​老​たる​オホキ​​大​なる​カン​​罕​なりき。​カレ​​彼​​カウベ​​頭​​モ​​持​​コ​​來​よ。​ソレ​​其​ならば​マツ​​祭​らん、​ワレラ​​我等​」と​イ​​云​ひて、​ゴリ スベチ​​豁哩 速別赤​​トコロ​​處​​ツカヒ​​使​​ヤ​​遣​りて、​カレ​​彼​​カウベ​​頭​​タ​​斷​[192]​モ​​持​​コ​​來​させて、​ミト​​認​めて​シロ​​白​​マウセン​​毛氈​​ウヘ​​上​​オ​​置​きて、​ヨメ​​媳婦​どもに​ヨメ​​媳婦​​レイ​​禮​​オコナ​​行​はしめて、​アイサン​​喝︀盞​せしめて、​ガクキ​​樂器︀​​ハジ​​彈​かしめて、​サカヅキ​​盞​​ト​​執​りて​マツ​​祭​りき。その​カウベ​​頭​かく​マツ​​祭​らるゝ​トキ​​時​ ​ワラ​​笑​ひけり。​ワラ​​笑​へりとて、​タヤン カン​​塔陽 罕​は、​クダ​​碎​くべく​フ​​踐​みけり。そこに​コクセウ サブラク​​可克薛兀 撒卜喇黑​ ​イ​​言​ひき。

​タヤン カン​​塔陽 罕​​ソシ​​譏​​コクセウ サブラク​​可克薛兀 撒卜喇黑​​ガイゲン​​慨︀言​

​シ​​死​にたる​ワウシヤ​​王者︀​蒙語​カン グウン​​罕 古溫​罕なる人)の​カウベ​​頭​​ナムチダチ​​爾等​ ​マタ​​又​ ​タ​​斷​ちて​モ​​持​​キ​​來​て、​ツギ​​次​には​ナムチダチ​​爾等​ ​マタ​​又​ ​クダ​​碎​きて、​ナン​​何​​ヨ​​善​​コト​​事​か。​ワレラ​​我等​​イヌ​​狗​​ホ​​吠​ゆる​コヱ​​聲​ ​ア​​惡​しく​ナ​​爲​れり。​イナンチヤ ビルゲ カン​​亦難︀察 必勒格 罕​ ​イ​​言​ひき。「​ツマ​​妻​ ​ワカ​​少​​ヲツト​​夫​なる​ワレ​​我​ ​オ​​老​いたり。この​タヤン​​塔陽​​キタウ​​祈︀禱​​ヨ​​依​りて​ウマ​​生​れさせけり。​アヽ​​嗚呼​ ​ヲヂナ​​懦​​ウマ​​生​れたる​ワ​​我​​コ​​子​は、​ユクスヱ​​久後​あまたの​カトウ​​下等​なる​ア​​惡​しき​ブシウ​​部眾​​ナ​​撫​でて​モ​​持​​アタ​​能​はんや」と​イ​​云​ひき。​イマ​​今​ ​イヌ​​狗​​コヱ​​聲​は[​ワザハヒ​​禍︀​の]​チカ​​近​づける​ホ​​吠​えを​ホ​​吠​えたり。​ワレラ​​我等​​カトン​​合敦​ ​グルベス​​古兒別速​​ハフド​​法度​​スルド​​鋭​​ナ​​爲​れり。​ワ​​我​​カン​​罕​ ​ヲヂナ​​懦​​タヤン​​塔陽​​ヨワ​​弱​くあり。​ナムチ​​爾​は、​タカ​​鷹​​ツカヒ​​使​ふこと​マキガリ​​圍獵​すること​フタ​​二​つより​ホカ​​外​​コヽロ​​心​​ワザ​​技​​ナ​​無​し」と​イ​​云​はれて、そこに​タヤン カン​​塔陽 罕​ ​イ​​言​はく

​タヤン カン​​塔陽 罕​​タイゲン​​大言​

「この​ヒガシ​​東​​スコシ​​些​​モンゴル​​忙豁勒​ありと​イ​​云​はれたり。​カレ​​彼​​タミ​​民​は、​オ​​老​いたる​オホイ​​大​なる​サキ​​前​​ワンカン​​王罕​​ヤナグヒ​​箭筒​にて​オド​​威​して​カエ​​反​らしめて​シ​​死​なしめたり。​イマ​​今​その​カン​​罕​​ナ​​爲​らんとしてあり、​カレラ​​彼等​​テン​​天​​ウヘ​​上​には​ヒツキ​​日月​ ​フタ​​二​​カヾヤ​​耀​​ヒカリ​​光​となれとて、​ヒツキ​​日月​ ​フタ​​二​つは​ア​​有​るぞ。​チ​​地​​ウヘ​​上​​フタ​​二​つの​カト​​合惕​罕の複稱)にはいかでか​ナ​​爲​られん。​ワレラ​​我等​ ​ユ​​往​きて​カ​​彼​​モンゴル​​忙豁勒​​モ​​持​​コ​​來​ん」と​イ​​云​[193]き。(

天無二日 地無二王

明譯​テンノウヘニ​​天上​​タヾ​​止​​アリ​​有​​ヒトツノ​​一箇​ ​ヒツキ​​日月​​チノウヘニ​​地上​ ​イカンゾ​​如何​ ​アラン​​有​​フタリノ​​兩箇​ ​シユジン​​主人​​イマ​​如今​ ​ワレラユキテ​​咱去​​ヲ​​將​​カノ​​那​ ​タタ​​達達​​トラン​​取​了。日月 二つを一箇と譯したるは違へり。修正 祕史は、この言を汪古惕 部に言ひ遣りたる言に入れたりと見えて、親征錄には、使者︀の言として「日月在天、了然見之。世豈有二王哉」と譯し、一つとも二つとも云はず、耀く光をば了然にてごまかせり。訶渥兒斯の重譯には「天に日二つ、一つの鞘に刀二つ、一つの目に眼二つ、一つの天下に二人の王あるべけんや」とあり。これは、修正 祕史の原文に拘らずして增飾したるなり。洪鈞の重譯は、刀眼の譬を省き、「我知天上惟一日一月、地下亦不兩王」と譯して、親征錄の文に近寄らせたり。元史の「天無二日、民豈有二王邪」と書けるは、祕史の文とは違へども、支那の古語にも合ひ、文意 簡明にして、筆力 雄健なり。)その​トキ​​時​その​ハヽ​​母​ ​グルベス​​古兒別速​ ​イ​​言​はく「いかにせんぞ、​カレラ​​彼等​を。

​クロ​​黑​​モンゴル​​忙豁勒​

​モンゴル​​忙豁勒​​タミ​​民​は、​キソク​​氣息​​忽訥兒​ ​ア​​惡​しく、​イフク​​衣服​​忽卜察速​ ​クロラカ​​黑暗​なりき。(宋の黃震の古今 紀要 逸︀編に「韃靼 之 近漢︀者︀、曰熟 韃靼、其 遠於漢︀者︀、曰生 韃靼。生 韃靼 有二、曰黑 曰白。皆 事女眞。黑 韃靼、至忒沒眞之、自 稱成吉思 皇帝」と云ひ、孟珙の蒙韃 備録に「韃靼 始起之地、處契丹 之 西北。其種有三、曰黑 曰白 曰生。今 成吉思 皇帝 及 將相 大臣、皆 黑 韃靼 也」と云ひ、又 彭大雅の黑韃 事略に「黑韃 之國、號大 蒙古」と云へり。黑 韃靼は、漢︀人の蒙古を呼べる名にして、之を黑と云へるは、蓋 衣服の黑きに由れり。然れども黑韃 事略に「其服右衽而方領、舊以氈毳革、新以紵絲金線、色用紅紫紺綠、紋以日月龍鳳、無貴賤等差」と云へば、黑衣の黑韃靼も、太宗の世に至りては、旣に文彩を尙ぶ風俗となれりしなり。​ホカ​​外​​トホ​​遠​ざかりて​ヲ​​居​れ。​カレラ​​彼等​​キヨ​​淸​​ヨメ​​媳婦​ども​ムスメ​​息女​どもを​モシ​​若​くは​ト​​取​​コ​​來​させて、​カレラ​​彼等​​テアシ​​手足​​アラ​​洗​はせて、​ウシ​​牛​ ​ヒツジ​​羊​​チ​​乳​​モシ​​若​くは​シボ​​擠​らしめん、​タヾ​​只​」と​イ​​云​ひき。その​トキ​​時​ ​タヤン カン​​塔陽 罕​ ​イ​​言​はく「かくあらば、​ナニ​​何​​ア​​有​らん。​カレラ​​彼等​ ​モンゴル​​忙豁勒​​トコロ​​處​​ユ​​往​きて、​カレラ​​彼等​​ヤナグヒ​​箭筒​​ビ​​必​​ト​​取​​モ​​持​​コ​​來​ん」と​イ​​云​ひき。


§190(07:13:06)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


老將の諫を​キ​​聽​かざる​タヤン カン​​塔陽 罕​の狂愚

 この​コトバ​​言​につき、​コクセウ サブラク​​可克薛兀 撒卜喇黑​ ​イ​​言​はく「​アア​​嗚呼​​オホイ​​大​なる​コトバ​​言​​イ​​言​ふかな、​ナムチダチ​​爾等​​アア​​嗚呼​​ヲヂナ​​懦​​カン​​罕​​ヨロ​​宜​しからんや。​ヒミツ​​祕密​​你兀惕渾​にせよ(明譯​ナムチ​​你​​ズ​​不​​ベカラ​​可​​イフ​​說​​タイワヲ​​大話​​コノハナシヲ​​這話​​ナムチフタヽビ​​你再​​ナ​​休​​イフ​​說​)」と​イ​​云​ひき。​コクセウ サブラク​​可克薛兀 撒卜喇黑​​スヽ​​勸​められ(諫められ)てあるに、​トルビ タシ​​脫兒必 塔失​〈[#「脫兒必 塔失」は底本では「脫兒必塔失」。白鳥庫吉訳「音訳蒙文元朝秘史」§190(07:13:09)の漢︀字音訳「脫兒必-塔失」に倣い二語に分割]〉​イ​​云​​ツカヒ​​使​[194]​オングト​​汪古惕​​アラクシ チギトクリ​​阿剌忽石 的吉惕忽哩​​イ​​言​ひて​ヤ​​遣​るには「この​ヒガシ​​東​​スコシ​​些​​モンゴル​​忙豁勒​ありと​イ​​云​はれたり。​ナンヂ​​汝​​ミギ​​右​​テ​​手​となれ。​ワレ​​我​はこゝより​チカラ​​力​​アハ​​幷​せて​カ​​彼​​スコ​​少​しの​モンゴル​​忙豁勒​​ヤナグヒ​​箭筒​​ト​​取​らん」と​イ​​云​ひて​ヤ​​遣​りき。

嚮背を誤らざる​オングト​​汪古惕​

その​コトバ​​言​に、​アラクシ チギトクリ​​阿剌忽石 的吉惕忽哩​ ​コタ​​答​へて​イ​​言​はく「​ミギ​​右​​テ​​手​となること​アタ​​能​はず、​ワレ​​我​」と​イ​​云​ひて​ヤ​​遣​りて、​アラクシ チギトクリ​​阿剌忽石 的吉惕忽哩​は、​ユクナン​​月忽難︀​​イ​​云​​ツカヒ​​使​もて​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​イ​​言​ひて​ヤ​​遣​るには「​ナイマン​​乃蠻​​タヤン カン​​塔陽 罕​は、​ナムチ​​爾​​ヤナグヒ​​箭筒​​ト​​取​りに​コ​​來​ん。​ワレ​​我​​ミギ​​右​​テ​​手​となれと​イ​​云​ひて​キ​​來​ぬ。​ワレ​​我​​ナ​​爲​らず。​イマ​​今​ ​ワレ​​我​ ​ナムチ​​爾​​ケイコク​​警吿​して​ヤ​​遣​りぬ。(明譯補足​モシ​​若​ ​ズバ​​不​隄防、)​キ​​來​​ヤナグヒ​​箭筒​​ト​​取​られん、​ナムチ​​爾​」と​イ​​云​ひて​ヤ​​遣​りき。(汪古惕の阿剌忽石 的吉惕忽哩は、親征錄に王孤 部 主 阿剌忽思 的乞火力、元史 本紀に白 達達 部 主 阿剌忽思、本傳に阿剌兀思 剔吉忽里 汪古 部 人とあり。白 達達は、汪古惕の漢︀名にして、卽ち古今 紀要、蒙韃 備錄の白 韃靼なり。親征錄に曰く「乃蠻 太陽 可汗、遣使 月忽難︀、謀於 王孤 部 主 阿剌忽思 的乞火里曰「近聞東方有王者︀。日月在天、了然見之。世豈有二王哉。君能益吾右翼、奪其弧矢。」阿剌忽思、卽遣使 朶兒必塔失、以是謀先吿於上、後擧族來歸。我之與王孤 部親好者︀、由此也。」乃蠻の使 脫必塔失 を汪古惕の使と誤り、汪古惕の使 月忽難︀を乃蠻の使と誤れり。又 元文類︀に、閻復の駙馬 高唐王 闊里吉思の碑あり。闊里吉思は、阿剌忽石の曾孫なり。その碑に曰く「亡金塹山爲界、以限南北。阿剌兀思 惕吉忽里 一軍扼其衝。太祖︀聖武皇帝起朔方、併吞諸︀部。有西北、曰帶陽 罕者︀、遣使 卓忽難︀來謂曰「天無二日、民無二王。汝能為吾右臂朔方不難︀定也。」阿剌兀思 料〈[#返点の「三」は底本では「二」にも「三」にも見える。昭和18年復刻版では「二」となっているが、おそらく間違い]〉太祖︀終成大事、決意歸之。卽遺麾下將 禿里必荅思、齎酒六榼、送卓忽難︀ 於太祖︀、吿以帶陽 之謀。時朔方未酒醴。太祖︀祭而後飮、擧爵者︀三。使還、酬以馬二千蹄、羊二千角。」この碑文も、使の名を誤れること、親征錄に同じ。元史 阿剌兀思の傳は、この碑文に本づきて、使の名をば略けり。​マサ​​正​にその​トキ​​時​ ​チンギス カガン​​成吉思 合罕​は、

​ラクダガハラ​​駱駝が原​​マキガリ​​圍獵​

​テメエン ケエル​​帖篾延 客額兒​駱駝が原。親征錄 元史​テメゲイ セン​​帖麥該 川​親征錄 また 帖木垓 川)に​マキガリ​​圍獵​して、​トルキンチエウト​​禿勒勤扯兀惕​​カコ​​圍​みて​ヲ​​居​る時、​アラクシ チギトクリ​​阿剌忽石 的吉惕忽哩​​ヤ​​遣​りたる​ユクナン​​月忽難︀​なる​ツカヒ​​使​ この​シラセ​​報​​イタ​​致​​キ​​來​ぬ。こ[195]​シラセ​​報​につき、​マキガリ​​圍獵​​ウヘ​​上​にて​スナハ​​便​ち「いかにかせん、​ワレラ​​我等​」と​イ​​云​​ア​​合​へれば、

​ナイマン​​乃蠻​ 征伐の評議

​オホ​​多​くの​ヒト​​人​ ​イ​​言​はく「​ワレラ​​我等​​センバ​​騸馬​ども​ヤ​​瘦​せたり。​イマ​​今​ ​ナニ​​何​かせん、​ワレラ​​我等​」と​イ​​云​​ア​​合​ひき。その​トキ​​時​ ​オツチギン ノヤン​​斡惕赤斤 那顏​卽 帖木格 斡惕赤斤​イ​​言​はく「​センバ​​騸馬​とも​ヤ​​瘦​せたりとて、いかんぞ​イナ​​辭​まれん。​ワ​​我​​センバ​​騸馬​どもは​コ​​肥​えたり。かゝる​コトバ​​言​​キ​​聞​きて、いかんぞ​スワ​​坐​られん」と​イ​​云​へり。​マタ​​又​ ​ベルグタイ ノヤン​​別勒古台 那顏​ ​イ​​言​はく「​イ​​生​きて​ヲ​​居​​アヒダ​​閒​​ケニン​​家人​ ​ヤナグヒ​​箭筒​​ト​​取​られば、​ウマ​​生​きて​ナニ​​何​​カヒ​​詮​​ア​​有​らん。​ウマ​​生​れたる​ヲトコ​​丈夫​​シ​​死​なば​マタ​​又​ ​ヤナグヒ​​箭筒​ ​ユミ​​弓​​カバネ​​骸​​ヒト​​一​つに​フ​​臥​さば​ヨ​​善​からずや。​ナイマン​​乃蠻​​タミ​​民​は、​クニ​​國​ ​オホキ​​大​​タミ​​民​ ​オホ​​多​しとて、​オホキ​​大​なる​コトバ​​言​​イ​​言​ひたり。​ワレラ​​我等​、この​カレラ​​彼等​​オホキ​​大​なる​コトバ​​言​​ヨ​​倚​り、​シユツバ​​出馬​して​ユ​​往​きて、​カレラ​​彼等​​ヤナグヒ​​箭筒​​ト​​取​らば、​カタ​​難︀​きことあらんや。​ユ​​往​​斡都︀​かば、​カレラ​​彼等​​あまた​​斡欒​​バグン​​馬羣​は、​トヾ​​止​まりて​ノコ​​殘​らざらんや。​カレラ​​彼等​​キウシツ​​宮室​​斡兒朶格兒​は、​カラ​​空​になりて​ノコ​​殘​らざらんや。​カレラ​​彼等​​あまた​​斡欒​​ブシウ​​部眾​は、​タカ​​高​​トコロ​​處​​ノガ​​遁​れて​ノボ​​上​らざらんや。​カレラ​​彼等​にこのかゝる​オホキ​​大​なる​コトバ​​言​​イ​​言​はしめて、いかんぞ​スワ​​坐​られん。​シユツバ​​出馬​せん、​スナハ​​便​ち」と​イ​​云​へり。


§191(07:18:01)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​オルヌウ ザン​​斡兒訥兀 山​​ハンガイ​​半崖​​チウエイ​​駐營​

 ​ベルグタイ ノヤン​​別勒古台 那顏​​コ​​此​​コトバ​​言​​ヨ​​善​しとして、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​は、​マキガリ​​圍獵​​ヤ​​罷​めて、​アブヂカ コテゲル​​阿卜只合 闊帖格兒​前の阿卜只阿 闊迭格兒)より​ウゴ​​動​きて、​カルカ ガハ​​合勒合 河​​オルヌウ ザン​​斡兒訥兀 山​​ハンガイ​​半崖​​ゲバ​​下馬​して、(半崖は、蒙語​ケルテガイ カダ​​客勒帖該 合荅​卷六の客勒帖該 合勒都︀惕〈[#「合勒都︀惕」は底本では「合勒 都︀惕」。白鳥庫吉訳「音訳蒙文元朝秘史」§164(05:36:03)のローマ字音訳「qaldud-ta」に倣い修正]〉と義 同じ。卽ち忽亦勒荅兒を葬りたる處なり。親征錄には哈勒合 河 建忒垓 山、元史には建忒該 山とありて、斡兒訥兀なる山の[196]名を脫し、半の蒙語なる客勒帖該を山の名とせり。喇失惕も親征錄に同じ。この句に依りて考ふれば、成吉思 汗の圍獵したる帖篾延 客額兒も、冬籠したる阿卜只阿 闊迭格兒も、溯りて王罕の不意打を食ひし者︀者︀額兒 溫都︀兒も、みな今の車臣汗 部の東南境にありて、王罕は、合剌合勒只惕の戰の後に、未だ土兀剌の黑林の舊庭に還らざりしなり。洪鈞は「この哈勒合 河は、必ず東方の哈勒哈 河に非ず」と云へれども、祕史の下文に、客魯嗹 河に泝り撒阿哩 客額兒に到るとあれば、東方の地なること、何の疑ひ かあらん。​カズ​​數​人數)を​カゾ​​數​​ア​​合​ひて、​セン​​千​をそこに​セン​​千​とし(千人を以て千人組とし)て、

千戶 百戶 ​ハイシトウ​​牌子頭​​チエルビン​​扯兒賓︀​の任命

​センコ​​千戶​​クワンニン​​官人​​ヒヤクコ​​百戶​​クワンニン​​官人​​ジツコ​​十戶​​クワンニン​​官人​をそこに​ヨサ​​任​したり。(元史 兵志に「國初典兵之官、視︀兵數多寡、爲爵秩崇卑、長萬夫者︀爲萬戶、千夫者︀爲千戶、百夫者︀爲百戶、」又「十人爲一牌、設牌頭」とあり。この牌頭は、後文にはみな牌子頭と云へり。然れば千戶の官人は、漢︀語にては只 千戶と云ひ、百戶の官人は、百戶と云ひ、十戶の官人は、牌子頭と云へるなり。蒙韃 備錄にも「韃人生長鞍馬間、起兵數十萬、略無文書。自元帥千戶百戶牌子頭、傳令而行」とあり。​チエルビン​​扯兒賓︀​侍從の官)をもそこに​ヨサ​​任​したり。​ドダイ チエルビ​​朶歹 扯兒必​卷三の多歹 扯兒必)、​ドゴルク チエルビ​​朶豁勒忽 扯兒必​〈[#ルビの「ドゴルク チエルビ」は底本では「ドコルク チエルビ」]〉卷三の多豁勒忽 徹兒必)、​オゲレ チエルビ​​斡格列 扯兒必​〈[#ルビの「オゲレ チエルビ」は底本では「オゲレイ チエルビ」]〉卷三の斡歌連 徹兒必、又 斡歌來 徹兒必)、​トルン チエルビ​​脫侖 扯兒必​、(親征錄 脫脫欒 闍兒必、脫の字一つ多し。元史 木華黎の傳 掇忽闌、哈八兒禿の傳 千戶 脫倫、石抹 也先の傳 脫忽闌 闍里必、石抹 孛迭兒の傳 奪忽闌 闍里必、忠義傳に伯八の父 脫倫 闍里必、晃合丹 氏、明里 也赤哥の子。別咧津は蒙格里克の子 脫命 扯兒必と云へり。明里も蒙格里克も、晃豁壇の蒙力克 額赤格なり。​ブチヤラン チエルビ​​不察㘓 扯兒必​、(前には見えず。​シエイケト チエルビ​​雪亦客禿 扯兒必​卷三の雪亦客禿 徹兒必)、この​ムタリ​​六人​​チエルビン​​扯兒賓︀​をそこに​ヨサ​​任​したり。​セン​​千​​セン​​千​とし、​ヒヤク​​百​​ヒヤク​​百​とし、​ジフ​​十​​ジフ​​十​とし(千人百人十人の組合を作り​ヲ​​畢​へて、​ハチジフ​​八十​​シユクヱイ​​宿衞​蒙語​ケブデウル​​客卜帖兀勒​​シチジフ​​七十​​ジヱイ​​侍衞​蒙語​トルカウト​​土兒合兀惕​明譯 散班)を

番士の新設

そこに​バンシ​​番士​番直の士、蒙語​ケシクテン​​客失克田​明譯 護衞、元史 兵志​ケセテイ​​怯薛歹​)に​エラ​​選​びて​イ​​入​らしむるに、​センコ​​千戶​ ​ヒヤクコ​​百戶​​クワンニン​​官人​どもの​コ​​子​ども​オトヽ​​弟​どもを​ツギ​​次​​ハクシン​​白身​​ヒト​​人​​コ​​子​ども​オトヽ​​弟​どもを​イ​​入​らしむるに、​ギノウ​​技能​あり​シンサイ​​身材​ ​ヨ​​好​​モノ​​者︀​どもを​エラ​​選​びて​イ​​入​らしめたり。

親軍 ​センプ​​千夫​​ヲサ​​長​なる​アルカイ カツサル​​阿兒孩 合撒兒​

そこに​アルカイ カツサル​​阿兒孩 合撒兒​​オンシ​​恩賜​して、「​イウシ​​勇士​どもを​エラ​​選​びて​センプ​​千夫​とせよ。​タヽカ​​戰​[197]​ヒ​​日​には​ワ​​我​​マヘ​​前​​タ​​立​ちて​タヽカ​​戰​へ。​オホ​​多​くの​ヒ​​日​​ワ​​我​​ジヱイ​​侍衞​​バンシ​​番士​となれ」と​ミコト​​勅​ありき。

​ジヱイ​​侍衞​​ヲサ​​長​なる​オゲレ チエルビ​​斡歌列 扯兒必​

​シチジフ​​七十​​ジヱイ​​侍衞​には、​オゲレ チエルビ​​斡歌列 扯兒必​〈[#ルビの「オゲレ チエルビ」は底本では「オゲレイ チエルビ」]〉 ​オサ​​長​となりて​ヲ​​居​れ。​クドス カルチエン​​忽都︀思 合勒潺​卷三なる忽都︀思にて忽必來の弟)と​ハカ​​議​​ア​​合​ひて​ヲ​​居​れ」と​イ​​云​へり。


§192(07:20:05)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​ジヱイ​​侍衞​ ​シユクヱイ​​宿衞​ 等の​シヨクシヤウ​​職掌​

 ​マタ​​又​ ​チンギス カガン​​成吉思 合罕​ ​ミコト​​勅​あるには「​セントウシ​​箭筒士​蒙語​ゴルチ​​豁兒赤​明譯​オブル​​帶​​ユミヤヲ​​弓箭​​モノ​​的​元史 兵志​ホルチ​​火兒赤​塔察兒の傳「火兒赤 者︀、佩櫜鞬左右者︀也。」​ジヱイ バンシ​​侍衞 番士​侍衞の番士なるべし。​カシハデ​​厨官​蒙語​バウルチ​​巴兀兒赤​元史 兵志「親烹飪以奉上飲食者︀曰博爾赤。」​カドモリ​​門者︀​蒙語​エウデンチ​​額兀顚赤​​ウマヅカサ​​馬官​蒙語​アクタチ​​阿黑塔赤​)ども、​ヒル​​晝​​バンチヨク​​番直​蒙語​ケシク​​客失克​)に​イ​​入​りて、​ヒ​​日​ ​オ​​落​つる​マヘ​​前​​シユクヱイ​​宿衞​​ワタ​​挪​して、―[​ウマヅカサ​​馬官​は]​センバ​​騸馬​​トコロ​​處​に―​イ​​出​でて​ヤド​​宿​れ(明譯​オブル​​帶​​ユミヤヲ​​弓箭​​ヒト​​人​ ​マタ​​幷​ ​サンパン​​散班​ ​ゴヱイ​​護衞​ ​カシハデ​​厨子​ ​カドモルヒト​​把門人​ ​ドモハ​​等​​サセ​​敎​​ヒルノウチ​​日裏​ ​イリ​​入​​ハンニ​​班​ ​コ​​來​​イタリ​​至​​ヒ​​日​ ​オツルトキニ​​落時​​ヲ​​將​​ツカサドレル​​管的​ ​ジブツ​​事物​​ワタシ​​交付​​アタヘ​​與​ ​シユクヱイノ​​宿衞​ ​モノニ​​的​​イデサリヤドルベシ​​出去宿者︀​​ゴトキハ​​若​​ツカサドル​​管​​ウマヲ​​馬​​モノヽ​​的​​マモレ​​守​著︀​ウマヲ​​馬​)。​シユクヱイ​​宿衞​は、​ヨル​​夜​ ​ヘヤ​​室​​マハリ​​周圍​​フ​​臥​すものには​フ​​臥​させて、​カド​​門​​タ​​立​つものには​リンチヨク​​輪直​して​タ​​立​たしめよ。​セントウシ​​箭筒士​ ​ジヱイ​​侍衞​は、その​ツギノアサ​​翌朝​ ​ワレラ​​我等​ ​ユ​​湯​​ノ​​飮​まば、​シユクエイ​​宿衞​​ツ​​吿​げて、​セントウシ​​箭筒士​ ​ジヱイ​​侍衞​ ​カシハデ​​厨官​ ​カドモリ​​門者︀​ども、​タヾタヾ​​只只​その​シヨクブン​​職分​​オコナ​​行​へ。その​ヰドコロ​​居處​​ヰ​​居​よ。[​シユクヱイ​​宿衞​は、]​ミヨ​​三夜​ ​ミカ​​三日​ ​バンチヨク​​番直​する​ヒ​​日​​ツク​​盡​して、​タヾ​​只​ ​マタ​​又​ ​ハフ​​法​に、​ヨ​​依​​ミヨ​​三夜​ ​ヤド​​宿​り(下宿し​ア​​合​ひて、​カハ​​替​​ア​​合​ひて、​ヨル​​夜​ ​シユクヱイ​​宿衞​して​ヲ​​居​れ。​マハリ​​周圍​​フ​​臥​して​ヤド​​宿​れ」と​ミコト​​勅​ありき。かく​セン​​千​​セン​​千​とし​ヲ​​畢​へて、​チエルビ​​扯兒必​​ヨサ​​任​して、​ハチジフ​​八十​​シユクヱイ​​宿衞​ ​シチジフ​​七十​​ジヱイ​​侍衞​​バンシ​​番士​​イ​​入​らしめて、​アルカイ カツサル​​阿兒孩 合撒兒​​イウシ​​勇士​どもを​エラ​​選​び(選ばしめ)て、​カルカ ガハ​​合勒合 河​[198]​オルヌウ ザン​​斡兒訥兀 山​​ハンガイ​​半崖​より​ナイマン​​乃蠻​​タミ​​民​​トコロ​​處​​シユツバ​​出馬​したるに、


§193(07:22:05)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​ナイマン​​乃蠻​ 征伐の首途

 ​ネズミ​​鼠​​トシ​​年​我が土御門 天皇 元久 元年 甲子、宋の嘉泰 四年、金の泰和 四年、西紀 一二〇四年、成吉思 汗 四十三歲の時)、​ナツ​​夏​​ハジメ​​首​​ツキ​​月​​ダイジフロク​​第十六​​ヒ​​日​​アカ​​紅​​ヒカリ​​光​に、​トウ​​纛​​マツ​​祭​りて​シユツバ​​出馬​したるに、​ケルレン ガハ​​客魯嗹 河​​サカノボ​​泝​り、​ヂエベ​​者︀別​ ​クビライ​​忽必來​親征錄 元史​フビライ​​虎必來​ ​ヂエベ​​哲別​​フタリ​​二人​​センポウ​​先鋒​として​ユ​​行​き、​サアリ ケエル​​撒阿哩 客額兒​​イタ​​到​れば、​カンカルカン ザン​​康合兒罕 山​​イタヾキ​​頂​​ナイマン​​乃蠻​​モノミ​​斥候​そこにありき。(康合兒罕 山 は、露西亞の地圖に見ゆる布爾林 達班 嶺なるべし。康合兒罕と云ふ名は、今の地圖には見えざれども、その嶺の東なる古の撒阿哩 客額兒の地を袞古魯台 草地と云ひ、その嶺の西南を渾呼魯台 戈壁と云ひ、袞古魯も渾呼魯も康合兒に近ければ、古は、その嶺 又はその嶺の一部を康合兒罕と云ひしならん。

兩軍 ​モノミ​​斥候​の衝突︀

​ワレラ​​我等​​モノミ​​斥候​​オ​​逐​​ア​​合​ひて、​ワレラ​​我等​​モノミ​​斥候​より、​ヒトツ​​一匹​​アヲウマ​​靑馬​​ア​​惡​しき​クラ​​鞍​あるを、​ナイマン​​乃蠻​​モノミ​​斥候​​ト​​取​られき。​ナイマン​​乃蠻​​モノミ​​斥候​は、その​ウマ​​馬​​ト​​取​りて​カタ​​語​​ア​​合​へらく「​モンゴル​​忙豁勒​​センバ​​騸馬​ ​ヤ​​瘦​せたり」と​イ​​云​​ア​​合​ひけり。​ワレラ​​我等​の[​イクサ​​軍​]は、​サアリ ケエル​​撒阿哩 客額兒​​イタ​​到​りて、そこに​トヾ​​止​まりて「いかにせん」と​イ​​云​​ア​​合​へば、

​ドダイ チエルビ​​朶歹 扯兒必​の疑兵の謀

そこに​ドダイ チエルビ​​朶歹 扯兒必​は、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​ケンゲン​​建言​すらく「​ワレラ​​我等​​タヾ​​但​ ​スクナ​​少​くあり。​スクナ​​少​きが​ウヘ​​上​​ツカ​​疲​れて​キ​​來​ぬ。かくも​トヾ​​止​まりて​センバ​​騸馬​どもを​ア​​飽​かせつゝ、この​サアリ ケエル​​撒阿哩 客額兒​​ヒロ​​廣​がり​カエイ​​下營​して、​イノチ​​命​あるだけの​ヒト​​人​​ゴト​​毎​に(この間に「男の」と譯すべき語あり。文法上の關係 確かならず。​イツトコロ​​五處​​ヒ​​火​​タ​​燒​きて、​ヒ​​火​にて​オドカ​​嚇​さん。​ナイマン​​乃蠻​​タミ​​民​​オホ​​多​しと​イ​​云​はれたり。​カレラ​​彼等​​カン​​罕​​イヘ​​家​より​イ​​出​でざりし​ヨワ​​弱​き[​ヒト​​人​]と​イ​​云​はれたり。​ヒ​​火​にて​マド​​惑​はする​アヒダ​​閒​に、​ワレラ​​我等​​センバ​​騸馬​どもも​ア​​飽​けらんぞ。​センバ​​騸馬​どもを​ア​​飽​かしめ、​ナイマン​​乃蠻​​モノミ​​斥候​[199]​オ​​逐​ひて​オヒセマ​​追逼​りて、​カレラ​​彼等​​チウグン​​中軍​​ア​​合​はしめ、その​ミダレ​​亂​​ウチ​​裏​​タヽカ​​戰​はば成らんか」と​ケンゲン​​建言​したれば、この​コトバ​​言​​ヨ​​善​しとして、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​ ​ミコト​​勅​あるには「かく​スナハ​​便​​ヒ​​火​​タ​​燒​かしめよ」とて、​イクサビト​​軍士​どもに​ガウレイ​​號令​​ツタ​​傳​へたり。かくて​サアリ ケエル​​撒阿哩 客額兒​​ヒロ​​廣​がり​カエイ​​下營​して、​イノチ​​命​あるだけの​ヒト​​人​[​ゴト​​毎​に]​イツトコロ​​五處​​ヒ​​火​​タ​​燒​かしめたり。​ヨル​​夜​ ​ナイマン​​乃蠻​​モノミ​​斥候​​カンカルカン ザン​​康合兒罕 山​​イタヾキ​​頂​より​ヨル​​夜​あまたの​ヒ​​火​​ミ​​見​て、「​モンゴル​​忙豁勒​を、​スクナ​​少​しとは​イ​​云​はざりしか。​ホシ​​星​より​オホ​​多​​ヒ​​火​あり」と​イ​​云​ひ、​タヤン カン​​塔陽 罕​​ア​​惡​しき​クラ​​鞍​ある​アヲウマ​​靑馬​​コウマ​​小馬​​オク​​送​りて​ヤ​​遣​りて、「​モンゴル​​忙豁勒​​イクサビト​​軍士​ども​サアリ ケエル​​撒阿哩 客額兒​​ミ​​滿​つるまで​カエイ​​下營​したり。​ヒル​​晝​​ウチ​​內​​マ​​增​したらんか。​ホシ​​星​より​オホ​​多​​ヒ​​火​あり」と​イ​​云​ひて​ヤ​​遣​りき。


§194(07:26:03)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


敵の銳を避くる​タヤン カン​​塔陽 罕​の協議

 ​モノミ​​斥候​のこの​シラセ​​報​​イタ​​到​られて、​タヤン カン​​塔陽 罕​​カンガイ ザン​​康孩 山​親征錄​ハンガイ ザン​​杭海︀ 山​元史 太祖︀紀 沆海︀ 山、世祖︀紀 十四 康里 脫脫の傳 杭海︀、今の杭愛 山)の​カチル ウスン​​合池兒 兀孫​合池兒の水、親征錄​ハデル ウスン ガハ​​哈只兒 兀孫 河​)にありしが、この​シラセ​​報​​イタ​​致​さるゝと、​グチエルク カン​​古出魯克 罕​〈[#ルビの「グチエルク カン」はママ。他の節︀ではすべて「グチユルク カン」。昭和18年復刻版もここだけ「グチエルク カン」]〉親征錄 屈出律 可汗、又 曲出律 可汗、元史 屈出律 罕、抄思の傳 曲書律)なる​コ​​子​​トコロ​​處​​ツ​​吿​げて​ヤ​​遣​るには「​モンゴル​​忙豁勒​​センバ​​騸馬​ども​ヤ​​瘦​せたり。​ホシ​​星​より​オホ​​多​​ヒ​​火​ありと​イ​​云​へり。​モンゴル​​忙豁勒​ ​オホ​​多​​ア​​有​り。​イマ​​今​ ​ワレラ​​我等​ ​ア​​合​​ヲ​​畢​へば、​ハナ​​離​るゝこと​カタ​​難︀​くならんか(明譯​イマモシ​​今若​​ト​​與​​カレ​​他​​ツラネバ​​連​​ヘイヲ​​兵​​ノチカナラズ​​後必​​ガタケン​​難︀​​トケ​​解​)。​ア​​合​​含禿敦​​ヲ​​畢​へば、その​クロ​​黑​​合喇​​メ​​目​​マジロ​​瞬​​喜兒篾思​​ナ​​做​さず、その​ホヽ​​腮​​合察兒​​サ​​刺​​合惕忽黑荅​さるとも、​クロ​​黑​​合喇​​チ​​血​ ​イ​​出​​合嚕​づとも、​サ​​避​​合勒塔里勒​くること​ナ​​無​​ガウ​​剛​​合堂斤​なる​モンゴル​​忙豁勒​​ア​​合​はば、​ナ​​成​らん[200]や。​モンゴル​​忙豁勒​​センバ​​騸馬​ども​ヤ​​瘦​せたりと​イ​​云​はれたり。​ワレラ​​我等​は、​ブシウ​​部眾​​アルタイ ザン​​阿勒台 山​親征錄 案臺、元史 按臺)を​コ​​越​えさせ​シリゾ​​退​かせ​ウゴ​​動​きて、​イクサ​​軍​​トヽノ​​整​へて、​カレラ​​彼等​​イザナ​​誘​ひて​ユ​​行​きて、​アルタイ ザン​​阿勒台 山​​モト​​下​​イタ​​到​るまで

​イヌ​​狗​​タヽカ​​鬭​

​イヌ​​狗​​タヽカ​​鬭​ひを​タヽカ​​鬭​ひて​ユ​​行​きて、​ワレラ​​我等​​センバ​​騸馬​どもは​コ​​肥​えてあり、​ハラ​​腹​​ヒキオコ​​引起​させ、​モンゴル​​忙豁勒​​センバ​​騸馬​どもを​ツカ​​疲​れさせ、​カレラ​​彼等​​ツラ​​面​​ウヘ​​上​​ミヅ​​水​ ​カ​​注​けん、​ワレラ​​我等​」と​イ​​云​ひて​ヤ​​遣​りき。(阿勒台の東南幹山は、東に向ひて烏蘭郭馬 山となり、奇勒稽思 泊の北を繞り、又 東南に向ひ白勒克那克 科克依 山となり、又 東して杭愛 山の陽に接す。白勒克那克 科克依 山の南麓に今 烏里雅蘇台 城あり。塔陽 罕は、蓋その邊に駐牧せり。こゝに阿勒台 山と云へるは、その杭愛 山に接する邊を指せるなり。

父を罵る​グチユルク カン​​古出魯克 罕​

その​コトバ​​言​につき、​グチユルク カン​​古出魯克 罕​ ​イ​​言​はく「​カレラ​​彼等​にかく​ヲミナ​​婦人​ ​タヤン​​塔陽​ ​コヽロ​​心​ ​オ​​怖​ぢて、この​コトバ​​言​​イ​​言​へり。​モンゴル​​忙豁勒​​オホ​​多​きは、いづこよりか​キ​​來​けん。​モンゴル​​忙豁勒​​タイハン​​大半​は、​ヂヤムカ​​札木合​とこゝに​ワレラ​​我等​​トコロ​​處​にあり。​ハラミヲンナ​​孕婦​​坤都︀額篾​​ユマリ​​更衣​​トコロ​​地​​合札兒​​イ​​出​​合嚕​でたること​ナ​​無​き、​クルマシタ​​車下​​古兒敦​​コウシ​​犢​​クサク​​草喫​​トコロ​​處​​イタ​​到​​古嚕​れること​ナ​​無​​ヲミナ​​婦人​ ​タヤン​​塔陽​は、​コヽロ​​心​ ​オ​​怖​ぢて、この​コトバ​​言​​イ​​言​ひておこせたるに​アラ​​非​ずや」とて、​ツカヒ​​使​​ヨ​​依​り、​チヽ​​父​​イタ​​痛​むるまで​ヤマシ​​疚​むるまで、​イ​​言​ひて​ヤ​​遣​りき。この​コトバ​​言​につき、​タヤン カン​​塔陽 罕​は、​オノレ​​己​​ヲミナ​​婦人​とせらるべく​イ​​言​はれて、​タヤン カン​​塔陽 罕​ ​イ​​言​はく「​チカラ​​力​あり​ユウ​​勇​ある​グチユルク​​古出魯克​​イタ​​到​​ア​​合​​コロ​​殺︀​​ア​​合​​ヒ​​日​​カナラ​​必​ずこの​ユウ​​勇​​ナ​​勿​ ​ウシナ​​失​ひそ。​イタ​​到​りあひ​ア​​合​​ヲ​​畢​へば、​ハナ​​離​るゝこと​ビ​​必​​カタ​​難︀​くあるぞ」と​イ​​云​へり。

君を罵る​ゴリ スベチ​​豁哩 速別赤​

その​コトバ​​言​につき、​タヤン カン​​塔陽 罕​​シタ​​下​​ツカサド​​管​れる​ダイクワンニン​​大官人​ ​ゴリ スベチ​​豁哩 速別赤​親征錄 元史 火力 速八赤​イ​​言​はく「​イナンチヤ ビルゲ カン​​亦難︀察 必勒格 罕​なるの​チヽ​​父​[201]は、​ドウトウ​​同等​​テキ​​敵​​ヲトコ​​男​​セナカ​​背​​センバ​​騸馬​​シリ​​臀​​ミ​​見​せざりき。​イマ​​今​ ​ナムチ​​爾​ ​アサハヤ​​朝早​​スナハ​​便​ち いかんぞ​コヽロ​​心​ ​オ​​怖​ぢたる、​ナムチ​​爾​。(「朝氣銳、畫氣惰、暮氣歸」と孫子 曰へり。今 早朝にして惰歸の氣あるは、恇怯 甚しきなり。​ナムチ​​爾​をかく​コヽロ​​心​ ​オ​​怖​づるを​シ​​知​りたらば、​カトン​​合屯​​ヒト​​人​にもあれども、​ナムチ​​爾​​ハヽ​​母​​グルベス​​古兒別速​​ツ​​伴​​キ​​來​​イクサ​​軍​​ヲサ​​治​めしめざらんや。(親征錄「昔君父 亦年 可汗、勇戰不回。士背馬後、未嘗使人見也。今何怯邪。果懼之、何不菊兒八速 來。」この譯は、簡にして質なり。元史は修飾を加へ「先王戰伐、勇進不回。馬尾人背、不使敵人見之。今爲此遷延之計、得心中有懼乎。苟懼之、何不后妃來統軍也」と改め、頗る雅馴なる文となれり。​アヽ​​嗟​ ​ヲシ​​惜​けくも​コクセウ サブラク​​可克薛兀 撒卜喇黑​​オ​​老​いられたり。いかにも​ワ​​我​​イクサ​​軍​​ハフド​​法度​​タイマン​​怠慢​になれり。​モンゴル​​忙豁勒​​テンジ​​天時​ ​キウン​​氣運​とぞ​ナ​​爲​れるに​アラ​​非​ずや、​アヽ​​嗚呼​​オヂナ​​懦​​タヤン​​塔陽​​オクビヤウ​​臆病​​ゴト​​如​くのみあり、​ナムチ​​爾​」と​イ​​云​ひて、その​ヤナグヒ​​箭筒​​ウ​​打​ちて​ワカ​​別​​カ​​驅​​サ​​去​れり。


§195(07:31:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​タヤン カン​​塔陽 罕​の奮進

 その​トキ​​時​ ​タヤン カン​​塔陽 罕​ ​イカ​​怒​りて​イハ​​言​く「​シ​​死​ぬる​イノチ​​命​​クルシ​​苦​​ミ​​身​は、すべて​ヒト​​一​つなるぞ(苦まんよりは死なん との意)。しかあらば​タヽカ​​戰​はん(明譯​ヒトシヌル​​人死​​イノチ​​性命​ ​クルシム​​辛苦​​ミ​​身軀​ ​スベテ​​都︀​ ​オナジ​​一般​​ナンヂラ​​您​ ​シカ​​那般​ ​イハバ​​說呵​​ワレラ​​咱​​ムカヘユキ​​迎去​​ト​​與​​カレ​​他​ ​タヽカハン​​厮殺︀​)」と​イ​​云​ひて、​カチル​​合池兒​​ミヅ​​水​より​ウゴ​​動​きて、​タミル ガハ​​塔米兒 河​水道 提綱の他米勒 河、會典の圖の塔米爾 河)に​シタガ​​沿​​ユ​​行​きて、​オルゴン ガハ​​斡兒桓 河​​ワタ​​渡​りて、​ナク​​納忽​​ガケ​​崖​​ヒガシ​​東​​スソ​​裾​​ス​​過​ぎ、​チヤキルマウト​​察乞兒馬兀惕​​イタ​​到​りて​キ​​來​つる​トキ​​時​​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​モノミ​​斥候​ ​ミ​​見​て、「​ナイマン​​乃蠻​ ​イタ​​到​りて​キ​​來​つ」と​イ​​云​​シラセ​​報​​イタ​​致​したれば、この​シラセ​​報​​イタ​​致​さるゝと、

逆戰の​ミコト​​敕​

​チンギス カガン​​成吉思 合罕​ ​ミコト​​勅​あるには「​オホ​​多​きよりは​オホ​​多​く、​スクナ​​少​きよりは​スクナ​​少​​ソンシツ​​損失​になるぞ(多き乃蠻には死傷 多く、寡き蒙古には死傷 寡からん)」と​イ​​云​ひて、「​カレラ​​彼等​​ムカ​​迎​へに​シユツバ​​出馬​して、​カレラ​​彼等​​モノミ​​斥候​[202]​オ​​逐​ひて、​イクサ​​軍​​トヽノ​​整​ふるに、

叢行き 海︀立合ひ 鑿戰ひ

​クサムラ​​叢​[の​ゴト​​如​き]​ユ​​行​きを​ユ​​行​きて​ウミ​​海︀​[の​ゴト​​如​き]​タチア​​立合​ひを​タチア​​立合​ひて、​ノミ​​鑿​[の​ゴト​​如​き]​タヽカ​​戰​ひを​タヽカ​​戰​はん」と​イ​​云​​ア​​合​へり。(叢行きは、廣がり行くこと、海︀立合ひは、廣がれる陣立、鑿戰ひは、烈しき突︀擊なり。黑韃 事略に「其行軍。常恐伏、雖偏師、亦必先發精︀騎四散而出、登高眺遠、深哨一二百里間、掩捕居者︀、以審左右前後之虛實」と云へるは、卽ち謂はゆる叢行きなり。「其陣、利戰、不利不進、動靜之間、知敵强弱、百騎環繞、可萬眾、千騎分張、可百里」と云へるは、卽ち謂はゆる海︀立合ひなり。「摧堅陷陣、全藉前鋒、衽革當先、例十之三」と云ひ、又「交鋒之始、每以騎隊徑突︀敵陣。一衝纔動、則不取寡、長驅直入、敵雖十萬、亦不支」と云へるは、卽ち謂はゆる鑿戰ひなり。)かく​イ​​云​ひて、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​ ​ミヅカ​​自​​センポウ​​先鋒​となりて、​カツサル​​合撒兒​​チウグン​​中軍​​トヽノ​​整​へさせて、​オツチギン ノヤン​​斡惕赤斤 那顏​​ジウバ​​從馬​​トヽノ​​整​へさせたり。

​ナイマン​​乃蠻​の退き 蒙古の進み

​ナイマン​​乃蠻​は、​チヤキルマウト​​察乞兒馬兀惕​より​シリゾ​​退​きて、​ナク​​納忽​​ガケ​​崖​​マヘ​​前​なる​ヤマ​​山​​スソ​​裾​​ヨ​​緣​りて​タ​​立​ちき。かくて​ナイマン​​乃蠻​​モノミ​​斥候​​ワレラ​​我等​​モノミ​​斥候​​オ​​逐​ひて、​ナク​​納忽​​ガケ​​崖​​マヘ​​前​なる​カレラ​​彼等​​タイ​​大​ ​チウグン​​中軍​​ア​​遇​ふまで​オ​​逐​ひて​イタ​​到​りき。かく​オ​​逐​ひて​イタ​​到​れるを​タヤン カン​​塔陽 罕​ ​ミ​​見​て、​ヂヤムカ​​札木合​はそこに​ナイマン​​乃蠻​​トモ​​共​​シユツジン​​出陣​して​キ​​來​ ​ア​​合​ひて、そこに​ヲ​​居​て、

​タヤン カン​​塔陽 罕​ ​ヂヤムカ​​札木合​の問答

​タヤン カン​​塔陽 罕​​ヂヤムカ​​札木合​​ト​​問​ひけり。「​カレラ​​彼等​はいかに。​オホ​​多​​ヒツジ​​羊​​オホカミ​​狼​ ​オ​​追​ひて​ヲリ​​圈​​イタ​​到​るまで​オ​​追​ひて​ク​​來​るが​ゴト​​如​きは、これらはいかなる​ヒト​​人​か かく​オ​​追​ひて​キ​​來​ぬる」と​ト​​問​へり。

人肉にて養へる四狗

​ヂヤムカ​​札木合​ ​イ​​言​はく「​ワ​​我​​テムヂン アンダ​​帖木眞 安荅​​ヨ​​四​つの​イヌ​​狗​​ヒト​​人​​ニク​​肉​にて​ヤシナ​​養​ひて、​クサリ​​鎖​つけて​ツナ​​繫​ぎて、​ヲ​​居​るなりき、​カレラ​​彼等​​ワレラ​​我等​​モノミ​​斥候​​オ​​追​ひて​キ​​來​ぬるは、​カレラ​​彼等​なるぞ。​カレラ​​彼等​ ​ヨ​​四​つの​イヌ​​狗​は、​アカヾネ​​銅​​失咧門​​ヒタヒ​​額​あり、​ノミ​​鑿​​失兀赤​​クチバシ​​嘴​あり、​キリ​​錐​​失不格​​シタ​​舌​あり、​クロガネ​​鐵​​帖木兒​​コヽロ​​心​あり、​クワンタウ​​環刀​​ムチ​​鞭​あり、​ツユ​​露​​失兀迭兒​​ノ​​喫​みて、​カゼ​​風​​ノ​​乘​りて​ユ​​行​く、[203]​カレラ​​彼等​​コロ​​殺︀​​阿剌勒都︀​​ア​​合​​ヒ​​日​は、​ヒト​​人​​哈闌​​ニク​​肉​​クラ​​喫​ふ、​カレラ​​彼等​​イタ​​到​​古魯​​ア​​合​​ヒ​​日​は、​ヒト​​人​​古溫​​ニク​​肉​​カレヒ​​糧​​古捏速​とす、​カレラ​​彼等​​クサリ​​鎖​​ト​​解​かれて、​イマ​​今​ ​ツナ​​繫​がれずして​ヲ​​居​るを​ヨロコ​​喜​びて、かく​ヨダレ​​涎​ ​タ​​垂​​キ​​來​ぬ、​カレラ​​彼等​」と​イ​​云​ひき。「それら​ヨ​​四​つの​イヌ​​狗​​タレタレ​​誰誰​はそれらか」と​イ​​云​へば、「​ヂエベ​​者︀別​​クビライ​​忽必來​ ​フタリ​​二人​​ヂエルメ​​者︀勒篾​​スベエタイ​​速別額台​ ​フタリ​​二人​、それら​ヨタリ​​四人​なり」と​イ​​云​ひき。​タヤン カン​​塔陽 罕​ ​イ​​言​はく「​タヾ​​但​それらの​シモビト​​下人​より​トホ​​遠​​タ​​立​たん」と​イ​​云​ひて、​シザ​​退​​ヒ​​引​きて、​ヤマ​​山​​オ​​負​ひて​タ​​立​てり。

​ヲド​​躍​​メグ​​繞​​ウルウト​​兀嚕兀惕​ ​モンクト​​忙忽惕​

その​ウシロ​​後​より​ヲド​​躍​りて​メグ​​繞​りて​キ​​來​ぬるものどもを​ミ​​見​て、​マタ​​又​ ​タヤン カン​​塔陽 罕​は、​ヂヤムカ​​札木合​​ト​​問​ひき。「​カレラ​​彼等​はいかに。​アシタ​​朝​​額兒帖​​ハナ​​放​てる​コマ​​駒​​ハヽ​​母​​額客​​チ​​乳​​ス​​咂​ひて​ハヽ​​母​​額客​​マハ​​廻​りを​ト​​疾​​ハシ​​走​​コマ​​駒​​ゴト​​如​く、いかんぞ かく​メグ​​繞​​キ​​來​ぬる、​カレラ​​彼等​」と​ト​​問​ひき。​ヂヤムカ​​札木合​ ​イ​​言​はく「​カレラ​​彼等​は、​ヤリ​​鎗​​赤荅​ある​ヲトコ​​男​​オ​​追​​只兀​ひて、​チ​​赤​​赤孫​あるもの(生きたる人)を​ハ​​剝​ぎに​ハ​​剝​ぐ、​クワンタウ​​環刀​​兀勒都︀​ある​ヲトコ​​男​​オ​​逐​​忽勒迭​ひて、​タフ​​倒​​兀納合​して​コロ​​殺︀​して​タカラ​​財​​兀卜脫納黑​​ハ​​剝​​ト​​取​る、​ウルウト​​兀嚕兀惕​​モンクト​​忙忽惕​​イ​​云​はる、​カレラ​​彼等​​イマ​​今​[​ツナ​​繫​がれ]ず[して​ヲ​​居​るを]​ヨロコ​​喜​びて、かく​ヲド​​躍​りて​キ​​來​ぬ、​カレラ​​彼等​」と​イ​​云​ひき。それより​タヤン カン​​塔陽 罕​ ​イ​​言​はく「​タヾ​​但​しかあらば、それらの​シモビト​​下人​より​トホ​​遠​​タ​​立​たん」と​イ​​云​ひて、​マタ​​又​ ​シザ​​退​​ヤマ​​山​​ノボ​​登​​タ​​立​てり。

​ムサボル​​貪​る鷹の如き​テムヂン​​帖木眞​

「その​ウシロ​​後​より​キ​​來​ぬる、​ムサボ​​貪​​タカ​​鷹​​ゴト​​如​​ヨダレ​​涎​ ​タ​​垂​れて​スヽ​​前​みて​キ​​來​ぬるは、​タレ​​誰​なる」と、​タヤン カン​​塔陽 罕​は、​ヂヤムカ​​札木合​​ト​​問​ひき。​ヂヤムカ​​札木合​ ​イ​​言​はく「この​キ​​來​ぬるは、​ワ​​我​​テムヂン アンダ​​帖木眞 安荅​​カレ​​彼​​ソウミ​​總身​は、​アカヾネ​​銅​​失咧木​にて​キタ​​鍛​​失列克迭​へられたるもの、​キリ​​錐​​失不格​​サ​​刺​すに​スキマ​​隙閒​ ​ナ​​無​く、​クロガネ​​鐵​​帖木兒​にて[204]​タヽ​​疊​​荅卜塔​みあげたるもの、​オホハリ​​大針​​帖別捏​​サ​​刺​すに​スキマ​​隙閒​ ​ナ​​無​​ワ​​我​​テムヂン アンダ​​帖木眞 安荅​​ムサボ​​貪​​タカ​​鷹​​ゴト​​如​く、かく​ヨダレ​​涎​ ​タ​​垂​​キ​​來​ぬるのみ。​ミ​​見​たりや、​ナンヂラ​​汝等​​ナイマン​​乃蠻​​シウ​​眾​は「​モンゴル​​忙豁勒​​ミ​​見​ば、​コヒツジ​​子羊​​テイヒ​​蹄皮​​アマ​​餘​さじ」と​イ​​云​ひたりき。​ナンヂラ​​汝等​ ​ミ​​見​よ」と​イ​​云​へり。(親征錄に「汝等 見案荅 擧止英異乎。乃蠻 語嘗有言「雖革去皮、猶貪不捨。」豈能當之」と云へるは、こゝの語を譯して修飾を加へたるに似たれども、文は甚だ蹇拙なり。元史に「乃蠻 初擧兵、視︀蒙古 軍、若羖䍽羔兒、意謂蹄皮亦不畱。今吾觀其氣勢、殆非往時矣」とあるは、親征錄の文に似ずして、却て祕史の文に似たり。蓋 元史のこの條は、親征錄に據らずして、大德 七年に成れる太祖︀ 實錄に據り、その實錄は、修正 祕史の文を辭通りに譯してありしなるべし。)この​コトバ​​言​につき、​タヤン カン​​塔陽 罕​ ​イ​​言​はく「​タヾ​​但​ ​オソロ​​畏​し。​ヤマ​​山​​ノボ​​登​​タ​​立​たん」と​イ​​云​ひて、​ヤマ​​山​​ノボ​​登​りて​タ​​立​ちけり。​マタ​​又​ ​タヤン カン​​塔陽 罕​は、​ヂヤムカ​​札木合​​ト​​問​ふに、「​マタ​​又​その​ウシロ​​後​より​アツ​​厚​く(大眾を率ゐて​キ​​來​ぬるは、​タレ​​誰​なる」と​ト​​問​へり。

大蟒の如き​ヂユチ カツサル​​拙赤 合撒兒​

​ヂヤムカ​​札木合​ ​イ​​言​はく「​ホエルン エケ​​訶額侖 額客​は、​ヒトリ​​一人​​コ​​子​​ヒト​​人​​ニク​​肉​にて​ヤシナ​​養​ひてありき。​ミヒロ​​三尋​​ミ​​身​あり、​サンサイ​​三歲​​トウコウ​​頭口​​クラ​​喫​ひ、​ミヘ​​三重​​ヨロヒ​​甲​​キ​​被​て、​サンビキ​​三匹​​キヤウギウ​​强牛​​ヒ​​拽​きて​ク​​來​るぞ。​ヤナグヒ​​箭筒​​豁兒​ある​ヒト​​人​​スベ​​都︀​​豁脫剌​てを​ノ​​嚥​むとも、​ノド​​喉​​豁斡來​​サヽ​​碍​へられず。​マタ​​全​​古卜臣​​ヲトコ​​男​​ノ​​呑​むとも、​シンザウ​​心臓​​斡咧​​サハ​​障​らず。​イカ​​怒​​阿兀兒剌​れば、​アンクア​​昂忽阿​箭の名)の​ヤ​​箭​​ヒ​​拽​きて​ハナ​​放​てば、​ヤマ​​山​​阿兀剌​​コ​​越​​阿魯思​えてある​トタリ​​十人​​哈兒班​ ​ハタタリ​​廿人​​ヒト​​人​​哈闌​​ウガ​​穿​つほどに​イ​​射​る。​タヽカ​​鬭​​客咧勒都︀​​テキ​​敵​​ヒロノ​​曠野​​客額兒​​ヘダ​​隔​​客禿思​ててあるものを​ケイブル​​客亦不兒​箭の名)の​ヤ​​箭​​ヒ​​拽​きて​ハナ​​放​てば、​ツラ​​連​​客勒乞​ぬるほどに​ウガ​​穿​つほどに​イ​​射​る(明譯​ヲ​​將​​ヒトツラネウガチトホス​​人連穿透​)。​オホイ​​大​​也客迭​​ヒ​​拽​きて​イ​​射​れば、​クヒヤクヒロ​​九百尋​​也孫札兀惕​​トコロ​​地​​イ​​射​る。​ヘラ​​減​​塔壇​​ヒ​​拽​きて​イ​​射​れば、​ゴヒヤクヒロ​​五百尋​​塔奔札兀惕​​トコロ​​地​​イ​​射​る。​ヒトビト​​人人​​古溫古溫​より​タガ​​違​ひ、​グレルグ​​古咧勒古​蟒の一種)なる​ウハヾミ​​蟒​​ウマ​​生​れたる​ヂユチ カツサル​​拙赤 合撒兒​[205]​イ​​云​はるゝは、​カレ​​彼​なるぞ」と​イ​​云​ひき。それより​タヤン カン​​塔陽 罕​ ​イ​​言​はく「​タヾ​​但​ ​シカ​​然​あらば、​ヤマ​​山​​タカ​​高​みを​アラソ​​爭​はん。​ウヘ​​上​​ノボ​​登​れ」と​イ​​云​ひて、​ヤマ​​山​​ノボ​​登​​タ​​立​てり。​マタ​​又​ ​タヤン カン​​塔陽 罕​は、​ヂヤムカ​​札木合​​ト​​問​ふに「​カレ​​彼​​ウシロ​​後​より​キ​​來​ぬるは、​タレ​​誰​なる」と​イ​​云​ひき。

肝ある​オツチギン​​斡惕赤斤​

​ヂヤムカ​​札木合​ ​イ​​言​はく「​カレ​​彼​は、​ホエルン エケ​​訶額侖 額客​​スエ​​末​​コ​​子​ ​オツチギン​​斡惕赤斤​​カン​​肝​ありと​イ​​云​はるゝなり。​ハヤ​​早​​ネム​​睡​​アカツキ​​曉​​オ​​起​き、​クラヤミ​​黑闇​​巴嚕安​よりも​オク​​後​れたること​ナ​​無​く、​タチドコロ​​立處​​巴亦荅勒​よりも​オク​​後​れたること​ナ​​無​し」と​イ​​云​ひき。​タヤン カン​​塔陽 罕​ ​イ​​言​はく「​シカ​​然​あらば、​ヤマ​​山​​イタヾキ​​頂​​ウヘ​​上​​ノボ​​上​らん」と​イ​​云​ひけり。


§196(07:42:01)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​ヂヤムカ​​札木合​の心がはり

 ​ヂヤムカ​​札木合​は、​タヤン​​塔陽​にこの​コトバ​​言​をかく​イ​​言​ふと、​ナイマン​​乃蠻​より​ハナ​​離​れ、​ワカ​​別​れて​イ​​出​でて、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​ハウコク​​報吿​​イ​​入​れて​ヤ​​遣​るに、「​アンダ​​安荅​​イ​​言​へ」とて​イ​​言​ひて​ヤ​​遣​るに「​タヤン カン​​塔陽 罕​は、​ワ​​我​​コトバ​​言​​兀格​​クラ​​昏​​兀窟惕古​みて、​ノボ​​上​​斡額迭​​アラソ​​爭​​オドロ​​驚​​兀兒古​きて​アガ​​上​れり。​クチ​​口​​阿馬阿兒​にて​コロ​​殺︀​​阿剌黑荅​されて、​オソ​​怕​​阿余​れて​ヤマ​​山​​阿兀剌​​ノボ​​登​​阿巴鄰​​アガ​​上​れり。​アンダ​​安荅​ ​カイシン​​戒愼​せよ。​カレラ​​彼等​は、​ヤマ​​山​​アガ​​上​れり。この​ヒト​​人​どもは、​ムカ​​逆​ふる​ケシキ​​氣色​なし。​ワレ​​我​こそは、​ナイマン​​乃蠻​より​ハナ​​離​れたれ」と​イ​​云​ひて​ヤ​​遣​りき。​チンギス カガン​​成吉思 合罕​は、​ヒクレ​​日晩​になられて、​ナク​​納忽​​ガケ​​崖​​ヤマ​​山​​トリマ​​取卷​​イクサダチ​​軍立​して​ヤド​​宿​れり。

​ナイマン​​乃蠻​​カイハイ​​潰敗​

その​ヨル​​夜​ ​ナイマン​​乃蠻​​ノガ​​躱​​ウゴ​​動​かんとし、​ナク​​納忽​​ウヘ​​上​より​オ​​墜​ちて、​ウヘ​​上​​ウヘ​​上​​カサ​​重​なり​ア​​合​ひて、​ホネカミ​​骨髮​​クダ​​碎​​タフ​​倒​​ア​​合​ひて、​クチキ​​爛木​[の​ゴト​​如​く]​タ​​立​つまで​オ​​壓​​ア​​合​ひて​シ​​死​​ア​​合​ひけり。

​タヤン​​塔陽​​トラ​​虜︀​はれ ​グチユルク​​古出魯克​の走り 諸︀部落の降り

その​アシタ​​明朝​ ​タヤン カン​​塔陽 罕​​キハ​​窮​めて​トラ​​拿​へたり。​グチユルク カン​​古出魯克 罕​は、​ベツ​​別​​ヰ​​居​たるにより、​ワヅカ​​僅​​ヒト​​人​にて​ソム​​背​[206]​ウゴ​​動​きて、​オヒカ​​追驅​けらるゝ​トキ​​時​​タミル ガハ​​塔米兒 河​​チウエイ​​駐營​しけり。その​ダンエイ​​團營​​タ​​立​てかねて、​ウゴ​​動​きて​ハシ​​走​りて​イ​​出​でて​サ​​去​れり。​ナイマン​​乃蠻​​タミ​​民​​ブラク​​部落​​アルタイ ザン​​阿勒台 山​​マヘ​​前​​キハ​​窮​めて​ヲサ​​收​めたり。​ヂヤムカ​​札木合​​ヰ​​居​たる​ヂヤダラン​​札荅㘓​​カタギン​​合塔斤​​サルヂウト​​撒勒只兀惕​​ドルベン​​朶兒邊​​タイチウト​​泰赤兀惕​​オンギラト​​翁吉喇惕​ ​ラ​​等​、そこに​マタ​​又​ ​クダ​​降​れり。(元史は火力 速八赤の言を叙べたる次に「太陽 罕 怒、卽躍馬索戰。帝以哈撒兒中軍。時 札木合 從太陽 罕來、見帝軍容整肅、謂左右云云、遂引所部兵遁去。是日帝與乃蠻 軍大戰、至晡禽殺︀ 太陽 罕。諸︀部軍一時皆潰、夜走絕險、墜崖死者︀、不勝計。明日、餘眾悉降。於是 朶魯班 塔塔兒 哈荅斤 散只兀 四部、亦來降」と云へり。これは、太祖︀ 實錄と親征錄 卽ち聖武 開天記とに本づきて、修飾を加へたるものにて、文は甚だ雅健なれども、事實は原本 祕史と稍 違へり。來降の部落の名にも誤りあり。塔塔兒の諸︀部は、前に已に殲滅せられたれば、この中に加はらざる方 事實なるべし。

​グルベス​​古兒別速​の召され

​タヤン​​塔陽​​ハヽ​​母​ ​グルベス​​古兒別速​​チンギス カガン​​成吉思 合罕​は、​ツ​​伴​​コ​​來​させて​イ​​言​はく「​ナンヂ​​汝​は、​モンゴル​​忙豁勒​​キソク​​氣息​ ​ア​​惡​しと​イ​​云​ひて​ヲ​​居​らざりしか。​イマ​​今​いかで​キ​​來​ぬる、​ナンヂ​​汝​」と​イ​​云​ひて、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​メド​​娶​りけり。


§197(07:45:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​メルキト​​篾兒乞惕​​サウタウ​​𠞰討​

 その​ネズミ​​鼠​​トシ​​年​ ​アキ​​秋​​カラダル クジヤウル​​合喇荅勒 忽札兀兒​〈[#「合喇荅勒 忽札兀兒」は底本では「合喇 荅勒 忽札兀兒」。白鳥庫吉訳「音訳蒙文元朝秘史」§197(07:45:02)の漢︀字音訳「合喇荅勒-忽札兀舌剌」に倣い二語に結合]〉合喇荅勒の源。親征錄​デルオ ガハノミナモト​​迭兒惡 河源​別咧津塔兒 河)に​メルキト​​篾兒乞惕​親征錄 蔑兒乞 部、元史 蔑里乞 部)の​トクトア ベキ​​脫黑脫阿 別乞​親征錄 元史 脫脫)と​チンギス カガン​​成吉思 合罕​ ​タイヂン​​對陣​して、​トクトア​​脫黑脫阿​​ウゴ​​動​かして、​サアリ ケエル​​撒阿哩 客額兒​​カレ​​彼​​ジンミン​​人民​ ​ヂウグ​​住具​ ​ブラク​​部落​​トラ​​虜︀​へたり。(この撒阿哩 原は、蒙古の舊庭の地と異なるに似たり。塞北には同名の地 甚だ多し。親征錄には迭兒惡 河 源 不剌納矮胡 之 地とあり。​トクトア​​脫黑脫阿​は、​クド​​忽都︀​ ​チラウン​​赤剌溫​なる​コ​​子​どもと、​ワヅカ​​僅​​ヒト​​人​にて、​ミ​​身​​モテ​​以​​ノガ​​逃​れて​イ​​出​でたり。かく​メルキト​​篾兒乞惕​​タミ​​民​ ​トラ​​虜︀​へらるゝ​トキ​​時​

​ダイル ウスン​​荅亦兒 兀孫​​ムスメ​​女​ ​クラン カトン​​忽闌 合屯​の拜謁︀

​ゴアス メルキト​​豁阿思 篾兒乞惕​卷二 卷三の兀洼思 篾兒乞惕、親征錄 兀花思 蔑兒乞 部)の​ダイル ウスン​​荅亦兒 兀孫​親征錄 元史​ダイル ウスン​​帶兒 兀孫​)は、​ムスメ​​息女​ ​クラン カトン​​忽闌 合屯​親征錄 忽蘭 哈敦、元史 后妃表 忽蘭 皇后)を​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​ミ​​見​せまつらんとて​ツ​​伴​[207]​キ​​來​ぬるに、​ミチ​​路​にて​イクサビト​​軍士​どもに​サマタ​​妨​げられて、​バアリン​​巴阿𡂰​​ナヤ ノヤン​​納牙 那顏​卷五なる你出古惕 巴阿𡂰の納牙阿)に​ア​​遇​ひて、​ダイル ウスン​​荅亦兒 兀孫​ ​イハ​​言​く「この​ムスメ​​息女​​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​ミ​​見​せまつらんとて​キ​​來​ぬ、​ワレ​​我​」と​イ​​云​ひき。そこに​ナヤ ノヤン​​納牙 那顏​ ​イハ​​言​く「​ナンヂ​​汝​​ムスメ​​息女​​ワレラ​​我等​ ​トモ​​俱​​ミ​​見​せまつらん」とて​トヾ​​止​めけり。​トヾ​​止​むる​トキ​​時​​ダイル ウスン​​荅亦兒 兀孫​に「​ナンヂ​​汝​ ​ヒトリ​​獨​にて​ユ​​往​かば、​ミチ​​路​にて​イクサビト​​軍士​ども​アバ​​亂​るゝ​トキ​​時​に、​ナンヂ​​汝​をも​イ​​活​さず、​ナンヂ​​汝​​ムスメ​​息女​をも​オカ​​亂​すべし」と​イ​​云​ひて、​ミカ​​三日​ ​ミヨ​​三夜​ ​トヾ​​止​めけり。そこより​クラン カトン​​忽闌 合敦​​トモ​​共​​ダイル ウスン​​荅亦兒 兀孫​​ヒキ​​率​ゐて、​トモ​​共​​ナヤ ノヤン​​納牙 那顏​は、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​イタ​​致​せり。それより​チンギス カガン​​成吉思 合罕​は、​ナヤ​​納牙​に「いかんぞ​サマタ​​妨​げて​ヰ​​居​たる、​ナンヂ​​汝​」とて、​ハナハ​​甚​​イカ​​怒​りて、​キビ​​嚴​しく​シサイ​​仔細​​ト​​問​ひて、「​ハフ​​法​にあてん」とて​ト​​問​ひつゝある​トキ​​時​​クラン カトン​​忽闌 合敦​ ​イ​​言​はく

​ナヤア​​納牙阿​の忠謹︀

​ナヤア​​納牙阿​​イ​​言​ひき。「​チンギス カガン​​成吉思 合罕​​タイクワンニン​​大官人​なり、​ワレ​​我​は。​ワレラ​​我等​ ​トモ​​俱​​ナンヂ​​汝​​ムスメ​​息女​​カガン​​合罕​​ミ​​見​せまつらん。​ミチ​​路​にて​イクサビト​​軍士​ども​オカ​​亂​さん」とて​スヽ​​勸​めけり。​イマ​​今​ ​ナヤア​​納牙阿​より​コト​​別​なる​イクサビト​​軍士​どもに​ア​​遇​はば、​ラン​​亂​に[​マタ​​又​は]​セイ​​正​​イ​​入​りけんか(明譯​モシ​​若​​ズ​​不​​アヒ​​遇​​テ​​著︀​ ​ナヤニ​​納牙​​トヾマリヰ​​畱住​​バ​​呵​​イマ​​如今​ ​マタ​​也​​ズ​​不​​シラ​​知​​イカニヲ​​如何​)。この​ナヤア​​納牙阿​​ア​​遇​ひたるは、​ワレラ​​我等​​サイハヒ​​幸​となれり。​イマ​​今​ ​ナヤア​​納牙阿​​ト​​問​​タマ​​給​ふに、​カガン​​合罕​ ​オンシ​​恩賜​せば、​アマツカミ​​上帝​​イノチ​​命​にて​チヽハヽ​​父母​​ウ​​生​みたる​ヒフ​​皮膚​​ト​​問​​タマ​​給​はば」と​マウ​​奏​さしめけり。​ナヤア​​納牙阿​は、​ト​​問​はるゝ​トキ​​時​​カガン​​合罕​より​ホカ​​外​​ワ​​我​​カホ​​面​は「​ムカ​​向​ふこと」​ナ​​無​くあるぞ。​トツクニ​​外國​​合哩​​タミ​​民​​ホヽ​​腮​​合察兒​ ​ウツク​​美​しき ​ムスメ​​女子​ ​キサキ​​妃​​合屯​​シリブシ​​臀節︀​​合兒含​ ​ヨ​​好​​センバ​​騸馬​​ア​​遇​へば、「​オホギミ​​大君​​合罕​のもの[それ]も」と​イ​​云​ひて​ヲ​​居​りしぞ、​ワレ​​我​。これより​ホカ​​外​​ワ​​我​​コヽロ​​心​あらば、​シ​​死​なん、​ワレ​​我​」と​イ​​云​ひき。​チンギス カガン​​成吉思 合罕​は、​クラン カトン​​忽闌 合敦​​ゴンジヤウ​​言上​​ヨ​​善​しとして、その​ヒ​​日​​スナハ​​便​​シラ​​審​​コヽロ​​試​みれば、​クラン カトン​​忽闌 合敦​​マウ​​奏​したるに​タガ​​違​はずして、​チンギス カガン​​成吉思 合罕​は、​クラン カトン​​忽闌 合敦​​オンシヤウ​​恩賞​して​イツクシ​​愛​みたり。​ナヤア​​納牙阿​​コトバ​​言​ ​タガ​​違​はずして、[​チンギス カガン​​成吉思 合罕​は]​ヨ​​善​しとして、「​マコト​​實​​コトバ​​言​ある[​ヒト​​人​]なりき」と​イ​​云​ひ、「​オホイ​​大​なる​コウタウ​​勾當​​ユダ​​委​ねん」とて​オンシヤウ​​恩賞​せり。


成吉思 汗 實錄 卷の七 終り。



  1. 明治四十一年三・四月『大阪朝日新聞』所載、「桑原隲藏全集 第二卷」岩波書店、那珂先生を憶う - 青空文庫
  2. 国立国会図書館デジタルコレクション:info:ndljp/pid/782220
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原文:

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。

 
翻訳文:

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。