音訳蒙文元朝秘史

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[4]東洋文庫叢刊第八

音譯蒙文元朝祕史白鳥庫吉譯

財團法人東洋文庫刊行



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 元朝祕史の原本は、元の太祖︀及び太宗の時に成りし「蒙古の祕史」にして、畏兀兒文字を用ひ、蒙 古語にて記されしものなるが、明初、朝廷に於いて、その文字を漢︀字に改め、字音によりて原語を 寫し、且つ原語の一々に對する支那語譯と原文のやゝ自由なる支那文譯とを附し、元朝祕史と 名づけて之を刊行したり。然れども傳本甚だ稀にして世これを知るもの少かりき。その我 が國に存するに至りしは、明治三十四・五年の交、淸の文廷式が其の家藏の鈔本を更に鈔寫せし めて一本を內藤博士に贈︀り、內藤博士は更にこれを鈔して那珂博士に贈︀りしに始まる。

 那珂博士は此の書を得て欣喜し、之によりて蒙古史の硏究に裨補するところ多からんこと を期待せられしも、本文は漢︀字にて音譯せられたる蒙古語なるを以て、之を解讀して其の眞價 を究明するには、確實なる蒙古語の知識を要す。然るに、當時我が學界にありては、之に通ずる 者︀殆ど有らざりしを以て、博士は深く之を慨︀し、數〻その學習を後進の學徒に慫慂せられしも、 多くは逡巡して志を決するに至らざりき。是に於て、博士はみづから奮つて其の任に當らん とし、銳意これに從事せられしも、當時にありては參考文籍極めて乏しく、コワレウスキーの蒙 露佛辭典、ゴルスツンスキーの蒙露辭典の如きも、未だ將來せられず、たゞ僅にシュミットの文 典と語彙多からぬ辭典との存するのみなりしを以て、その困難は甚だ大なるものありき。然[6]れども、博士は其の熱情と努力とにより、幾許もなくしてよく此の語に通じ、かくて始めて元朝 祕史の眞面目に接するを得らるゝに至れり。此の書の國語譯に著︀手せられしは、實に此の間 のことにして、拮据數年、明治四十年に至り、終にこれを完成せられたり。成吉思汗實錄卽ちこ れなり。

 成吉思汗實錄は、博士が我が國古今の語彙文體を巧に混和折衷し、これによりて、原文の文脈 語法に從ひつゝ、其の一語一語を國語に譯出せられたる點に、その特色を有す。翻譯に當りて、 原語の意義を正確に表現し、原文の語感を損せず、また原典の精︀神︀を發揮せんとせられたる博 士の周到なる用意と、並に其の苦心と努力とは、譯語の上にも、行文の間にも、また全篇に遍き其 の情趣の裡にも、容易にこれを看取するを得。やゝ親しみがたき感なきにあらざる特異の文 體を用ゐられしも、またこれがためなり。此の如きは、我が國古今の文學に關する造詣深く、ま た支那の古典と近代文とに通曉し、かねて蒙古語の本質を理會せられたる博士にして、始めて なし得るところたるのみならず、また博士の敬虔なる學的良心の發露なるを見る。我が國に 於ける蒙古史の硏究に一新時期を劃し、東洋學の進步に多大の貢獻をなしゝものたるは、固よ りいふを須ゐざるべし。然れども、此の書のはじめて上梓せられし時にありては、世人は殆ど 其の眞價を知らず、學者︀の間にすら博士の心事を解するもの極めて少かりしが如し。これ實 に今より三十餘年の前に於ける我が文化の水準の高からず、學問のなほ幼稚なりしを證する ものにして、當時、余は深くこれを憾むと共に、博士の至大なる功績が世に認めらるゝ日の速か に來らんことを、學界のために希望して止まざりき。

 元朝祕史の國語譯は此の如き情勢の下に那珂博士によつて完成せられしも、此の書の蒙古 語は畏兀兒文字によつて表現せられたる其の原本とは異なり、漢︀字の字音によつて寫されし ものなるを以て、原語原音が此の書によつて如實に傳へられたりとは、必しもいひ難し。是に 於いてか、此の書を正確なる蒙古語に還譯するの必要あり。「蒙古の祕史」の眞價はかくして始 めて發揚せらるべきなり。博士は實に思をこゝに致し、これが實行の志を抱かれしも、業未だ 緖につかざるに、不幸にして白玉樓中の人となられ了りぬ。蒙古史蒙古語の硏究に微力を注 ぎ來りし余は、博士の長逝に對して哀悼の情禁じ難きものあると共に、博士の遺志を繼いで此 の業を成就せんは余の任務なるを感じ、心私に期するところありき。たゞ學事多忙、歲月徒ら に過ぎしが、大正の初期に及び、數年を費して此の事に當り、六年に至り一たび其の業を卒ふる を得たり。これ卽ち本書の初稿なり。爾來二十餘年、其の間、數次の補修を經、印刷漸く成りて 今はじめて之を公にするを得るに至れり。固よりみづから視︀るに完璧を以てするものにあ らず、學者︀の是正にまつところ甚だ多きを知ると雖も、那珂博士の遺業をつがんとせし當年の 心事を囘想すれば、少しく意を安んずるところあるに似たり。

 元朝祕史が蒙古開國の史料として頗る尊重すべきことは、夙に錢大昕等の注意せる所なり。[7]然れども那珂博士の成吉思汗實錄が成りし時には、此の書の刊本の存するもの無かりしが、其 の翌年(光緖三十四年)、葉德輝、新に之を刊行し、これより東西の學者︀の間に此の書に注意するも の漸く生じたり。葉德輝の刊行せし底本は、陳垣の考證せし如く、文廷式の鈔本なるべきも、此 の本には往々錯簡誤脫あり。昭和十一年(民國二十五年)に四部叢刊に編入して刊行せられし ものは、之に比すれば原本の面目を保つこと多きに似たり。然れども、支那にありては李文田 の元祕史注、これに對する高寶詮の補正を始め、近くは昭和九年(民國二十三年)に陳垣の元朝祕 史譯音用字攷の如き硏究も世に出でたれど、未だ蒙古語還譯の業を企てしものあるを聞かず。 之を企てしは西洋の學者︀にして、五十餘年前、旣にロシヤのポツドニエフによつてそのことは 行はれしなり。惜むらくは、彼の業は完成に至らずして止み、その一部分の公にせられしもの も、傳本甚だ少くして今これを得んこと難し。然るに近年に至りドイツのヘーニッシュまた 之に志し、昭和六年(一九三一年)に其の一部分の初稿公にせられ、昭和十二年(一九三七年)に其の 完譯始めて出版せられたり。なほフランスのペリオもまたこの業に從事せりといふ。され ど未だその書の公にせられしを聞かざるが如し。我が國、滿洲國及び蒙古にありても、最近 服部四郞・都︀嘎爾札布二氏共編の蒙文元朝祕史卷一及びブヘクシク(卜和克什克)またガシグバツ がそれ全部または一部を現代蒙古語に翻譯せしもの世に出でたるも、これらは何れも元 朝祕史の蒙古語復原を企てしものにはあらずして、譯者︀の意圖は別に存せしに似たり。又、 東京外國語學校敎授神︀谷衡平氏・ダフール人メルセにも類︀似の譯業ありと言ふ。なほ小林高四郞氏 が「蒙古の祕史」と題して此の書を我が國の現代語に翻譯せられしことをも、こゝに附記せ んとす。元朝祕史が此の如くにして世界の學界に其の全貌を示し、我が國及び東亞諸︀國の間 に廣く其の面かげの傳へらるゝに至りしは、或は世界文運の進步を示すものとして、或は我が 國威の昻揚に伴ふものとして慶賀に堪へざるところなり。特に我が國に於いて上記の如き 譯書が世に行はるゝを見、成吉思汗實錄が殆ど人の顧るところとならざりし那珂博士在世の 當時を追想すれば、爾後三十餘年間に於ける我が國の文化の發達、知識の進步の眞に著︀しきも のあるを感ぜざるを得ず。博士の遺志をつぎし余の譯業の成れるも、また此の文運の賜にし て、實に盛世の餘澤に外ならず。

 終に臨んで、多年稿本の補修に協力せられし東京外國語學校敎授故出村良一君及び同助敎 授竹內幾之助君に對して深厚なる謝意を表す。特に出村君が前途多望の身を以て忽焉長逝 せられしは、余の痛惜措く能はざるところなり。また索引の作製に從事せられし 和田淸、石田幹之助、岩井大慧の三君に對して、其の好意と努力とを感謝すると共に、東洋文庫が始終この事 業に大なる支援を與へられしことを、こゝに特記せざるを得ず。

昭和十七年二月十一日

白鳥庫吉



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凡例

一 本書は葉德輝刊行の「元朝祕史」を底本とし、丁數行數に至るまですべて底本の體裁を襲ひ、漢︀ 字にて音譯せられたる蒙古語の左側に、羅馬字にて寫したる推定原音を附記せるものなり。

一 蒙古語原音の標出に當りては、蒙古文語の音譯に普通用ゐらるゝ用式を採用せり。

一 但し葉本第八卷三十五丁は、明かに同卷三十七丁の次に來るべきものなるを以て、その順序 を正し、葉本三十六丁を三十五丁に、三十七丁を三十六丁に、三十五丁を三十七丁に改め、第九 卷十七丁裏三―四行は同卷十九丁表の一―二行と重複せるも、前者︀は總譯を缺ける點より 攙入なること明かなるにより、これを削除せり。因みにこれらは葉本の祖︀本たる文廷式本 に據られし那珂博士の旣に正されし所にして、四部叢刊本も亦誤らず。

一 葉本にありては

​(太祖︀)名​​成吉思​ ​皇帝的​中᠋中᠋罕訥​ ​根源​​忽札兀舌᠋兒​ (第一卷一丁a)

の如く、人名には雙鉤、單語には單鉤の傍線を附し〈[#Wikiでは雙鉤と單鉤を表現するのは難しいため、雙鉤と單鉤を省いた]〉、各語の關係を明かにせるも、本書にありて は羅馬字音譯により相互の關聯明瞭なるを以て、これを削除せり。

[9]一 本文中括弧を附せるは、訂正もしくは修補を施せる箇所なり。但し削除による訂正の箇所 は、原形を本文中に存し難きが故に、他日正誤表及び索引出版の際に之を指示すべし。

一 漢︀字音譯の左肩に附せられし「中」或は「舌」の如き記號を訂補したる場合には、印刷の都︀合上括 弧を附し難かりしを以て、これまた索引によりて訂正修補の跡を示すべし。

一 底本にはなき所なれど、意義上、語法上、二語間に密接なる關係ある場合はその間の本文に-を挿入せり。

一 本文中の用字、形式は可及的に統一せり。例へば男子、女子、兒童、娘の名を、或は傍譯を欠き、又 は單に「名」とありしを凡べて「人名」「婦人名」「兒名」「女名」の如く記せり。又「咱每」「俺每」の如きは、咱・俺 が旣に複數の意を有するを以て「每」を省略し、すべて「咱」「俺」と爲せり。蒙古語の助詞iを示す に「冝」「宜」、inを示すに「囙」「因」の兩種を用ゐたるは、すべて「冝」「因」に統一せり。

一 底本が原音を漢︀字によりて標出せる際の用意を列擧すれば次の如し。

一 蒙古語の母音には a, e, i, o, u, ö, ü の七音あるも左の如く男女中の三性に分類︀せられ、

男性母音(後方母音) a, o, u,
女性母音(前方母音) e, ö, ü,
中性母音(前方母音) i

一 語內にありては、男性・女性の兩母音混綴せざるを原則とし、最初の母音男性なる時は 其の語の母音は全部男性より成り、女性母音の場合また同樣なれども、中性母音は男女 兩性母音のいづれにも混綴せらるゝこと、周く人の知る所なり。

一 蒙古語にありては、子音は中性なれども、q・γの音は男性母音に、k・gの音は女性母音に 限り連綴せらる。底本にありてはこのq・γ音は表音漢︀字の左肩に「中」を附してk・g音 と區別せり。例へば

​狗名​中᠋合撒舌᠋兒​​qasar​ ​狗​​那中᠋孩​​noγai​ (第二卷十一丁a)

に於ける「中᠋合」「中᠋罕」の如し。こは、思ふに、蒙古語のq・γの音が當時の漢︀字音にあること無き 氣音hを伴ふ音にして、k或はgとhとの中間音として聽取せられたるに因るならん。 男性母音の語にありても、中性母音iの前にありては記號「中」を附せず、ki, giと音ぜし めてqi, γiとすることなし。從つて助詞iと連なるγ音はg音と爲る。 また現代にありては殆んど消滅せる語頭のh音は、男性母音を有する語に於いても、記 號「中」を附することなし。

一 捲舌音rは元來漢︀字音に存せざるを以て、底本に於いては、l音漢︀字の左肩に記號「舌」を 附してそのr音なることを表示せり。例へば

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​上​​迭額舌᠋列​​deġere​ ​天​​騰格舌᠋理​​teṅgeri​ (第一卷一丁a)

の如し。因みに、母音と母音との中間に存する ġ又はγ̇音は一種の半母音にして、後來 連結する母音の性質に依り弱き半有聲のg音或は w, y 又は ​ゼロ​​0​たる可き音なり。

一 母音を伴はざる子音 l・m・s・d・γ或は gは、それぞれに小字「勒」、「木」、「思」、「惕」、「黑」、「克」を以て示 す。その例次の如し。

​營盤做 着​​嫩禿黑᠌剌周​​nutuγlažu​ (第一卷一丁a)

こは漢︀字には單に子音のみを示す文字無きが故に、特に小字もてこれを示せるなり。 但しr及び語尾に存するsのみは、それぞれ「舌᠋兒」「思」と大字もて表示せらる。


一 羅馬字譯に當りて特に注意せる所次の如し。

原則として漢︀字の有氣音は無聲音もて、無氣音は有聲音もて標示せり。例へば有氣「塔」 「察」は無聲音ta, čaに、無氣音「荅」「札」は有聲音da, žaと標音せり。但し與格(dative case)の助 詞「圖舌᠋兒」、「突︀舌᠋兒」、「禿舌᠋兒」、「途舌᠋兒」、「都︀舌᠋兒」は漢︀字音の如何に拘らず、蒙古文語の語法に從ひ、子音r, s, d, γ或はg, bの後にあつては-tur(-tür)と無聲に、その他の子音及び母音の後にあり ては-dur(-dür)と錄音せり。これ今日なほ當時の語法を明かにし難きを以てなり。

一 與格(dative case)、造格(instrumental case)の助詞には諸︀種ありて、それぞれ先行する名詞の 語尾音の性質及び意義の如何により變化す。その助詞の變化と名詞との關係に就い ては、なほ硏究を要するものあれども、本書に於いては從來の語法に於ける與格の助詞 -iyan(-iyen)、造格の助詞 -iyar(-iyer) を -yan(-yen), -yar(-yer)と記せり。

例へば次の如し。

​子(每)自的行​​可兀的-顏​​köġüd(i)-yen​ (第一卷三十二丁b)

一 蒙古語に於いては、長母音は原則として存在せず。但し同種二母音が重複結合し、又は γ̇或はġ音の無聲化せる結果、その前後の二母音のみ示されたる時は長母音の如くに 標出し、母音の上にーを附してこれを示せり。例へば第七卷の「​人名​​納牙​」は第五卷に「​人名​​納牙阿​」 とあるによりNajaγ̇aを原音とすべきにより、これをNajaと復原せる如し。

​人名​​桑昆​Seṅgüm(五卷三十六丁a)の昆gümは、元來günの如く語尾n音なりしかと考へらる るも、特に思ふところあり、mを以て標出せり。

一 本文の原稿及び音譯蒙文元朝祕史の題は白鳥博士の作製せられし所なれど、本書印刷 の時、不幸にして博士は病臥せられ、校正その他本書出版に關する一切のことは、これを 親らせらるゝ能はずして逝去せられたり。本書に過誤遺失の存するあらば、偏に刊行 に從ひしものの責任なり。敢へて附記す。




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