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半七捕物帳 第一巻/お文の魂

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ふみたましい

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わたしの叔父は江戸の末期に生まれたので、その時代に最も多く行なわれた化け物屋敷の不入いらずの間や、ねたみ深い女の生霊いきりょうや、執念深い男の死霊や、そうしたたぐいの陰惨な伝説をたくさんに知っていた。しかも叔父は「武士たるものが妖怪ようかいなどを信ずべきものでない」という武士的教育の感化から、一切これを否認しようと努めていたらしい。その気風は明治以後になってもせなかった。わたし達が子供のときに何か取り留めのない化け物話などを始めると、叔父はいつでも苦い顔をして碌々ろくろく相手にもなってくれなかった。
その叔父がただ一度こんなことを云った。
「しかし世の中にはわからないことがある。あのおふみの一件なぞは……」
おふみの一件が何であるかは誰も知らなかった。叔父も自己の主張を裏切るような、この不可解の事実を発表するのが如何にも残念であったらしく、その以上には何も秘密をらさなかった。父にいても話してくれなかった。併しその事件の蔭にはKのおじさんが潜んでいるらしいことは、叔父の口ぶりにってほぼ想像されたので、わたしのおさない好奇心はとうとう私をうながしてKのおじさんのところへはしらせた。わたしはその時まだ十二であった。Kのおじさんは内縁の叔父ではない。父が明治以前から交際しているので、わたしは稚い時からこの人をおじさんと呼びならわしていたのである。
わたしの質問に対して、Kのおじさんも満足な返答をあたえてくれなかった。
「まあ、そんなことはどうでもいい。つまらない化け物の話なんぞすると、お父さんや叔父さんに叱られる」
ふだんから話し好きのおじさんも、この問題については堅く口を結んでいるので、わたしも押し返して詮索せんさくする手がかりが無かった。学校で毎日のように物理学や数学をどしどし詰め込まれるのに忙がしい私の頭からは、おふみという女の名も次第に煙りのように消えてしまった。それから二年ほどって、なんでも十一月の末であったと記憶している。わたしが学校から帰る頃から寒い雨がそぼそぼと降り出して、日が暮れる頃には可なり強い降りになった。Kのおばさんは近所の人に誘われて、きょうは午前ひるまえから新富座しんとみざ見物に出かけたはずである。
「わたしは留守番だから、あしたの晩は遊びにおいでよ」と前の日にKのおじさんが言った。わたしはその約束を守って、夕飯を済ますとすぐにKのおじさんをたずねた。その頃には江戸時代の形見という武家屋敷の古い屋敷の古い建物がまだ取払われずに残っていて、晴れた日にも何だかかげったような薄暗い町の影を作っていた雨のゆうぐれは殊にわびしかった。Kのおじさんもる大名屋敷の門内に住んでいたが、おそらくその昔は家老とか用人とかいう身分の人の住居であったろう。ともかくも一軒建てになっていて、小さい庭にはあらい竹垣が結いまわしてあった。
Kのおじさんは役所から帰って、もう夕飯をしまって、湯から帰っていた。おじさんは私を相手にして、ランプの前で一時間ほども他愛のない話などをしていた。時々に雨戸をなでる庭の八つ手の大きい葉に、雨音がぴしゃぴしゃときこえるのも、外の暗さを思わせるような夜であった。柱にかけてある時計が七時を打つと、おじさんはふと話をやめて外の雨に耳を傾けた。
「だいぶ降ってきたな」
「おばさんは帰りに困るでしょう」
「なに、人力車くるまを迎いにやったからいい」
こう云っておじさんは又黙って茶をんでいたが、やがて少しまじめになった。
「おい、いつかお前がいたおふみの話を今夜聞かしてやろうか。化け物の話はこういう晩がいいもんだ。しかしお前は臆病だからなあ」
実際わたしは臆病であった。それでもこわい物見たさ聞きたさに、いつも小さいからだを固くして一生懸命に怪談を聞くのが好きであった。殊に年来の疑問になっているおふみの一件をはからずもおじさんの方から切り出したので、わたしは思わず眼をかがやかした。明るいランプの下ならどんな怪談でも怖くないというふうに、わざと肩をそびやかしておじさんの顔をきっとみあげると、しいて勇気をよそおうような私の子供らしい態度が、おじさんの眼にはおかしく見えたらしい。彼はしばらく黙ってにやにや笑っていた。
「そんなら話して聞かせるが、怖くってうちに帰られなくなったから、今夜は泊めてくれなんて云うなよ」
まずこうおどして置いて、おじさんはおふみの一件というのをしずかに話し出した。
「わたしが丁度二十歳はたちの時だから、元治げんじ元年――京都では蛤御門はまぐりごもんのいくさがあった年のことだと思え」と、おじさんは先ず冒頭まくらを置いた。
その頃この番町に松村彦太郎まつむらひこたろうという三百石の旗本が屋敷を持っていた。松村は相当に学問もあり、殊に蘭学が出来たので、外国掛がいこくがかりの方へ出仕して、ちょっと羽振りの好い方であった。その妹のおみちというのは、四年前に小石川こいしかわ西江戸川端にしえどがわばた小幡伊織おばたいおりという旗本の屋敷へ縁付いて、おはるという今年三つの娘までもうけた。
すると、ある日のことであった。そのお道がお春を連れて兄のところへ訪ねて来て、「もう小幡の屋敷にはいられませんから、ひまもらって頂きとうございます」と、突然に飛んだことを云い出して、兄の松村をおどろかした。兄はその仔細しさいを聞きただしたが、お道はあおい顔をしているばかりで何も云わなかった。
「云わないで済むわけのものでない。その仔細をはっきりと云え。女が一旦他家へ嫁入りをした以上は、むやみに離縁なぞすべきものでも無し、されるべき筈のものでもない。ただだしぬけに暇を取ってくれではわからない。その仔細をよく聞いた上で、兄にも成程と得心とくしんがまいったら、また掛け合いのしようもあろう。仔細を云え」
この場合、松村でなくても、まずこう云うよりほかはなかったが、お道は強情に仔細を明かさなかった。もう一日もあの屋敷にいられないから暇を貰ってくれと、ことし二十一になる武家の女房が、まるで駄々っ子のように、ただ同じことばかり繰り返しているので、堪忍強い兄もしまいにはれ出した。
「馬鹿、考えてもみろ、仔細も云わずに暇を貰いに行けると思うか。また、先方でも承知すると思うか。きのうや今日きょう嫁に行ったのでは無し、もう足掛け四年にもなり、お春という子までもある。しゅうと小姑こじゅうとの面倒があるでは無し、主人の小幡は正直で物柔かな人物、小身ながらも無事にかみの御用も勤めている。なにが不足で暇を取りたいのか」
叱ってもさとしても手応てごたえがないので、松村も考えた。よもやと思うものの世間にためしが無いでもない。小幡の屋敷には若い侍がいる。近所となりの屋敷にも次三男の道楽者がいくらも遊んでいる。妹も若い身空であるから、もしや何かの心得違いでも仕出しでかして、自分から身をひかなければならないような破滅に陥ったのではあるまいか。こう思うと、兄の詮議はいよいよ厳重になった。どうしてもお前が仔細を明かさなければ、おれの方にも考えがある。これから小幡の屋敷へお前を連れて行って、主人眼の前で何もかも云わしてみせる。さあ一緒に来いと、襟髪えりがみを取らぬばかりにして妹を引き立てようとした。
兄の権幕けんまくがあまり激しいので、お道もさすがに途方に暮れたらしく、そんなら申しますと泣いてあやまった。それから彼女が泣きながら訴えるのを聞くと、松村はまた驚かされた。
事件は今から七日前、娘のお春が三つの節句のひなを片付けた晩のことであった。お道の枕もとに散らし髪の若い女が真っ蒼な顔を出した。女は水でも浴びたように、頭から着物までびしょれになっていた。その物腰は武家の奉公でもしたものらしく、行儀よく畳に手をついてお辞儀していた女はなんにも云わなかった。また別に人をおびやかすような挙動も見せなかった。ただ黙っておとなしく其処そこにうずくまっているだけのことであったが、それがたとえようもないほどに物凄ものすごかった。お道はぞっとして思わずよぎの袖にしがみ付くと、おそろしい夢はめた。
これと同時に、自分と添い寝をしていたお春もおなじく怖い夢にでもおそわれたらしく、急に火の付くように泣き出して、「ふみが来た。ふみが来た」と、つづけて叫んだ。濡れた女は幼い娘の夢も驚かしたらしい。お春が夢中で叫んだふみというのは、おそらく彼女の名であろうと想像された。
お道はおびえた心持で一夜を明かした。武家に育って武家に縁付いた彼女は、夢のような幽霊ばなしを人に語るのを恥じて、その夜の出来ごとは夫にも秘していたが、濡れた女は次の夜にも、又その次の夜にも彼女の枕もとに真っ蒼な顔を出した。そのたびごとに幼いお春も「ふみが来た」と同じく叫んだ。気の弱いお道はもう我慢が出来なくなったが、それでも夫に打ちあける勇気はなかった。
こういうことが四晩もつづいたので、お道も不安と不眠とに疲れ果ててしまった。恥も遠慮も考えてはいられなくなったので、とうとう思い切って夫に訴えると、小幡は笑っているばかりで取り合わなかった。しかし濡れた女はその後もお道の枕辺まくらべを去らなかった。お道がなんと云っても、夫は受け付けてくれなかった。しまいには「武士の妻にあるまじき」というような意味で、機嫌を悪くした。
「いくら武士でも、自分の妻が苦しんでいるのを、笑ってている法はあるまい」
お道は夫の冷淡な態度を恨むようになって来た。こうした苦しみがいつまでも続いたら、自分は遅かれはやかれ得体えたいの知れない幽霊のために責め殺されてしまうかも知れない。もうこうなったら娘をかかえて一刻いっときも早くこんな化け物屋敷を逃げ出すよりほかはあるまいと、お道はもう夫のことも自分のことも振り返っている余裕がなくなった。
「そういう訳でございますから、あの屋敷にはどうしてもいられません。お察し下さい」
思い出してもぞっとすると云うように、お道はこの話をする間にも時々に息をんで身をおののかせていた。そのおどおどしている眼の色がいかにも偽りを包んでいるようには見えないので、兄は考えさせられた。
「そんな事がまったくあるかしらん」
どう考えても、そんなことが有りそうにも思われあなかった。小幡が取り合わないのも無理はないと思った。松村も「馬鹿をいえ」と、頭から叱りつけてしまおうかとも思ったが、妹がこれほどに思い詰めているものを、唯いちがいに叱って追いやるのも何だか可哀そうのようでもあった。殊に妹はこんなことを云うものの、この事件の底にはまだほかに何かこみいった事情がひそんでいないとも限らない。いずれにしても小幡に一度った上で、よくその事情を確めてみようと決心した。
「お前の片口かたくちばかりでは判らん。ともなくも小幡に逢って、先方の料簡りょうけんを訊いてみよう、万事はおれに任しておけ」
妹を自分の屋敷に残して置いて、松村は草履取り一人を連れて、すぐ西江戸川端に出向いた。

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小幡の屋敷へゆく途中でも松村はいろいろに考えた。妹はいわゆる女子供のたぐいで、もとより論にも及ばぬが、自分は男一匹、しかも大小をたばさむ身の上である。武士と武士との掛け合いに、真顔になって幽霊の講釈でもあるまい。松村彦太郎、好い年をして馬鹿なやつだと、相手に腹をみられるのも残念である。なんとか巧い掛け合いの法はあるまいかと工夫くふうを凝らしたが、問題があまり単純であるだけに、横からも縦からも話の持って行きようがなかった。
西江戸川端の屋敷には主人の小幡伊織が居合わせて、すぐに座敷に通された。時候の挨拶あいさつなどを終っても、松村は自分の用向きを云い出す機会をとらえるのに苦しんだ。どうぜ笑われると覚悟をして来たものの、さて相手の顔をみると、どうも幽霊の話は云い出しにくなった。そのうちに小幡の方から口を切った。
「お道はきょう御屋敷へ伺いませんでしたか」
「まいりました」とは云ったが、松村はやはり後の句が継げなかった。
「では、お話し申したか知らんが、女子供は馬鹿なもので、なにかこのごろ幽霊が出るとか申して、ははははは」
小幡は笑っていた。松村も仕方がないので一緒に笑った。しかし、笑ってばかりいては澄まない場合もあるので、彼はこれをしおに思い切っておふみの一件を話した。話してしまってから彼は汗をいた。こうなると、小幡も笑えなくなった。かれは困ったような顔をしかめて、しばらく黙っていた。単に幽霊が出るということだけの話ならば、馬鹿とも臆病とも叱っても笑っても済むが、問題がこう面倒になって兄が離縁の掛け合いめいた使に来るようでは、小幡もまじめになってこの幽霊問題を取り扱わなければならないことになった。
「なにしろ一応詮議して見ましょう」と小幡は云った。彼の意見としては、もしこの屋敷に幽霊が出る――俗にいう化け物屋敷であるならば、こんにちまで誰かその不思議に出逢ったものが他にあるべき筈である。現に自分はこの屋敷に生まれて二十八年の月日を送っているが、自分は勿論もちろんのこと、誰からもそんなうわさすら聞いたことがない。自分が幼少のときに別れた祖父母も、八年前に死んだ父も、六年前に死んだ母も、かつてそんな話をしたこともなかった。それが四年前に他家から縁付いて来たお道だけに見えるというのが、第一の不思議である。たとい何かの仔細があって、特にお道だけに見えるとしても、ここへ来てから四年の後に初めて姿をあらわすというのも不思議である。しかし、この場合は、ほかに詮議のしようもないから、差し当っては先ず屋敷じゅうの者どもを集めて問いただしてみようというのであった。
「なにぶんお願い申す」と、松村も同意した。小幡は先づ用人ようじん五左衛門ござえもんを呼び出して調べた。かれは今年四十一歳で普代の家来であった。
せん殿様の御代おだいから、かつて左様な噂を承ったことはござりませぬ。父からも何の話も聞き及びませぬ」
彼は即座に云い切った。それから若党わかとう中間ちゅうげんどもを調べたが、かれらは新参の渡り者で、勿論なんにも知らなかった。次に女中共も調べられたが、かれらは初めてそんな話を聞かされて唯ふるえ上がるばかりであった。詮議はすべて不得要領に終った。
「そんなら池をさらってみろ」と、小幡は命令した。お道の枕辺にあらわれる女が濡れているというのを手がかりに、或いは池の底に何かの秘密が沈んでいるのではないかと考えられたからであった。小幡の屋敷には百坪ほどの古池があった。
あくる日は大勢の人足をあつめて、その古池の掻掘かいぼりをはじめた。小幡も松村も立ち会って監視していたが、ふなこいのほかには何の獲物もなかった。泥の底からは女の髪一と筋も見付からなかった。女の執念の残っていそうなくしやかんざしのたぐいも拾い出されなかった。小幡の発議で更に屋敷内の井戸もさらわせたが、深い井戸の底からは赤い泥鰌どじょうが一匹浮び出て大勢を珍らしがらせただけで、これも骨折り損に終った。
詮議のつるはもう切れた。
今度は松村の発議で、いやがるお道を無理にこの屋敷へ呼び戻して、お春と一緒にいつもの部屋に寝かすことにした。松村と小幡とは次の間に隠れて夜のけるのを待っていた。
その晩は月のくもった暖かい夜であった。神経の興奮し切っているお道は、とても安らかに眠られそうにもなかったが、なんにも知らない幼い娘はやがてすやすやと寝ついたかと思うと、たちまち針で眼球めだまでも突かれたようにけたたましい悲鳴をあげた。そうして「ふみが来た、ふみが来た」と低い声でうなった。
「そら、来た」
待ち構えていた二人の侍は押っ取り刀でやにわにふすまをあけた。閉め込んだ部屋のなかには春の夜のなまあたたかい空気が重く沈んで陰ったような行燈あんどんの灯はまたたきもせず母子おやこの枕もとを見つめていた。外からは風さえ流れ込んだ気配が見えなかった。お道はわが子をひしと抱きしめて、枕に顔を押しつけていた。
現在にこの生きた証拠を見せつけられて、松村も小幡も顔を見合わせた。それにしても自分たちの眼にも見えない闖入者らんにゅうしゃの名を、幼いお春がどうして知っているのであろう。それが第一の疑問であった。小幡はお春をすかしていろいろに問いただしたが、年弱としよわの三つでは碌々ろくろくに口も回らないので、ちっとも要領を得なかった。濡れた女はお春の小さい魂に乗りうつって、自分の隠れた名を人に告げるのではないかとも思われた。刀を持っていた二人ともなんだが薄気味悪くなって来た。
用人の五左衛門も心配して、あくる日は市ケ谷で有名な売卜者うらないしゃをたずねた。売卜者は屋敷の西にある大きい椿の根を掘ってみろと教えた。とりあえずその椿を掘り倒してみたが、その結果はいたずらに売卜者の信用をおとすに過ぎなかった。
夜はとても眠れないというので、お道は昼間寝床にはいることにした。おふみもさすがに昼は襲っては来なかった。これで少しはほっとしたものの、武家の妻が遊女かなんぞのように、夜は起きていて昼は寝る、こうした変則の生活状態をつづけてゆくのは甚だ迷惑でもあり、かつは不便でもあった。なんとかして永久にこの幽霊を追いはらってしまうのでなければ、小幡一家の平和を保つことは覚束おぼつかないように思われた。併しこんなことが世間に洩れては家の外聞にもかかわるというので、松村も勿論秘密を守っていた。小幡も家来どもの口を封じて置いた。それでも誰かの口から洩れたとみえて、けしからぬ噂がこの屋敷に出入りする人々の耳にささかやれた。
「小幡の屋敷に幽霊が出る。女の幽霊が出るそうだ」
蔭では尾鰭おひれをつけていろいろの噂をするものの、武士と武士との交際では、さすがに面と向って幽霊の詮議をする者もなかったが、その中に唯一人、すこぶる無遠慮な男があった。それがすなわち小幡の屋敷の近所に住んでいるKのおじさんで、おじさんは旗本の次男であった。その噂を聞くと、すぐに小幡の屋敷に押し掛けて行って、事の実否じっぴを確かめた。
おじさんは平生へいぜいから特に懇意にしているので、小幡も隠さず秘密を洩らした。そうして、なんとかしてこの幽霊の真相を探りきわめる工夫はあるまいかと相談した。旗本に限らず、御家人に限らず、江戸の侍の次三男などというものは、概して無役むやく閑人ひまじんであった。長男は無論その家をぐべく生まれたのであるが、次男三男に生れたものは、自分に特殊の才能があって新規御召出しの特典をうけるか、あるいは他家の養子にゆくか、この二つの場合を除いては、ほとんど世に出る見込みもないのであった。かれらの多くは兄の屋敷の厄介になって、大小を横たえた一人前の男がなんの仕事もなしに日を暮らしているという、一面から見ればすこぶ呑気のんきらしい、また一面から見れば、頗る悲惨な境遇に置かれていた。
こういう余儀ない事情はかれらを駆って放縦懶惰ほうじゅうらんだの高等遊民たらしめるよりほかはなかった。かれらの多くは道楽者であった。退屈しのぎに何か事あれかしと待ち構えているやからであった。Kのおじさんも不運に生まれた一人で、こんな相談相手に選ばれるには屈竟くっきょうの人間であった。おじさんは無論喜んで引き受けた。
そこで、おじさんは考えた。昔話のつな金時きんときのように、頼光らいこうの枕もとに物々しく宿直とのいつかまつるのはもう時代おくれである。まず第一にそのおふみという女の素姓を洗って、その女とこの屋敷との間にどんな糸がつながっているのかということを探り出さなければいけないと思い付いた。
「御当家の縁者、又は召使などの中に、おふみという女の心当りはござるまいか」
この問いに対して、小幡は一向に心当りがないと答えた。縁者には無論ない。召使はたびたび出代りをしているから一々記憶はしていないが、近い頃にそんな名前の女を抱えたことはないと云った。更にだんだん調べてみると、小幡の屋敷では昔から二人の女を使っている。その一人は知行所の村から奉公に出て来るのが例で、ほかの一人は江戸の請宿うけやどから随意に雇っていることが判った。請宿は音羽おとわ堺屋さかいやというのが代々の出入りであった。
お道の話から考えると、幽霊はどうしても武家奉公の女らしく思われるので、Kのおじさんは遠い知行所を後廻しにして、まず手近の堺屋から詮索に取りかかろうと決心した。小幡が知らない遠い先代の頃に、おふみという女が奉公していたことが無いとも限らないと思ったからであった。
「では、何分よろしく、しかしくれぐれも隠密にな」と、小幡は云った。
「承知しました」
二人は約束して別れた。それは三月末も晴れた日で、小幡の屋敷の八重桜にも青い葉がもう目立っていた。


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Kのおじさんは音羽の堺屋に出向いて、女の奉公人の出入り帳を調べた。代々の出入り先であるから、堺屋から小幡の屋敷へ入れた奉公人の名前はことごとく帳面にしるされている筈であった。
小幡の云った通り、最近の帳面にはおふみという名を見出すことは出来なかった。三年、五年、十年とだんだんにさかのぼって調べたが、おふゆ、おふく、おふさ、すべてふの字の付く女の名は一つも見えなかった。
「それでは知行所の方から来た女かな」
そうは思いながら、おじさんはまだ強情ごうじょうに古い帳面を片端から繰ってみた。堺屋は今から三十年前の火事に古い帳面を焼いてしまって、その以前の分は一冊も残っていない。店にあらん限りの古い帳面を調べても、三十年前が行き止まりであった。おじさんは行き止まりに突きあたるまで調べ尽くそうという意気込みで、すすけた紙に残っている薄墨の筆のあとをこん好くたどって行った。
帳面はもちろん小幡家のために特に作ってあるわけではない。堺屋出入りの諸屋敷の分は一切あつめて横綴じの厚い一冊に書き止めてあるのであるから、小幡という名を一々拾い出して行くだけでも、その面倒は容易ではなかった。殊に長い年代にわたっているのであるから、筆跡も同一ではない。折れ釘のような男文字のなかに糸屑のような女文字もまじっている、殆ど仮名ばかりで小児こどもが書いたようなところもある。その折れ釘や糸屑の混雑を丁寧に見わけてゆくうちには、こっちの頭も眼もくらみそうになって来た。
おじさんにそろそろ飽きて来た。面白ずくで飛んだ事を引受けたという後悔の念もきざして来た。
「これは江戸川の若旦那。なにをお調べになるんでございます」
笑いながら店先へ腰を掛けたのは四十二三のせぎすの男で、縞の着物に縞の羽織を着て、だれの眼にも生地きじ堅気かたぎとみえる町人風であった。色のあさ黒い、鼻の高い、芸人か何ぞのように表情に富んだ眼をもっているのが、彼の細長い顔の著しい特徴であった。かれは神田かんだ半七はんしちという岡っ引で、その妹は神田の明神下みょうじんしたで常盤津の師匠をしている。Kのおじさんは時々その師匠のところへ遊びに行くので、兄の半七とも自然懇意になった。
半七は岡っ引の仲間でも幅利きであった。しかし、こんな稼業の者にはめずらしい正直な淡泊あっさりした江戸っ子風の男で、御用をかさに着て弱い者をいじめるなどという悪い噂は、かつて聞えたことがなかった。彼は誰に対しても親切な男であった。
「相変らず忙がしいかね」と、おじさんは訊いた。
「へえ。きょうも御用でここへちょっとまいりました」
それから二つ三つ世間話をしている間に、おじさんは不図ふとかんがえた。この半七ならば秘密を明かしても差し支えあるまい、いっそ何もかも打明けて彼の知恵を借りることにしようかと思った。
「御用で忙がしいところを気の毒だが、少しお前に聞いて貰いたいことがあるんだが……」と、おじさんは左右を見まわすと、半七は快くうなずいた。
「なんだか存じませんが、ともかくも伺いましょう。おい、おかみさん。二階をちょいと借りるぜ。好いかい」
彼は先に立って狭い二階にあがった。二階は六畳ひと間で、うす暗い隅には葛籠つづらなどが置いてあった。おじさんも後からつづいてあがって。小幡の屋敷の奇怪な出来事について詳しく話した。
「どうだろう。うまくその幽霊の正体を突き止める工夫はあるまいか。幽霊の身許みもとが判って、その法事供養でもしてやれば、それでよかとうと思うんだが……」
「まあ、そうですねえ」と、半七は首をかしげてしばらく考えていた。「ねえ、旦那。幽霊はほんとうに出るんでしょうか」
「さあ」と、おじさんも返事に困った。「まあ、出ると云うんだが……。私も見たわけじゃない」
半七はまた黙って煙草をすっていた。
「その幽霊というのは武家の召使らしい風をして、水だらけになっているんですね。早く云えば皿屋敷さらやしきのおきくをどうかしたような形なんですね」
「まあ、そうらしい」
「あの御屋敷では草双紙のようなものを御覧になりますか」と、半七はだしぬけに、思いも付かないことを訊いた。
「主人は嫌いだが、奥では読むらしい。じきこの近所の田島屋たじまやという貸本屋が出入りのようだ」
「あのお屋敷のお寺は……」
「下谷の浄円寺じょうえんじだ」
「浄円寺。へえ、そうですか」と、半七はにっこり笑った。
「なにか心当りがあるかね」
「小幡の奥樣はお美しいんですか」
「まあ、いい女の方だろう。年は二十一だ」
「そこで旦那、いかがでしょう」と、半七は笑いながら云った、「お屋敷の内輪のことに、わたくしどもが首を突っ込んじゃあ悪うございますが、いっそこれはわたくしにお任せ下さいませんか。二、三日の内にきつとらちをあけてお目にかけます。勿論、これはあなたとわたくしだけのことで、決して他言は致しませんから」
Kのおじさんは半七を信用して万事を頼むと云った。半七も受け合った。しかし自分は飽くまでも蔭の人として働くので、表面はあなたが探索の役目を引き受けているのであるから、その結果を小幡の屋敷へ報告する都合上、御迷惑でも明日あしたから一緒に歩いてくれとのことであった。どうでひまの多い身体からだであるから、おじさんもじきに承知した。商売人の中でも、腕利きといわれている半七がこの事件をどんなふうに扱うかと、おじさんは多大の興味を持って明日を待つことにした。その日は半七に別れて、おじさんは深川ふかがわの某所に開かれる発句の運座うんざに行った。
その晩は遅く帰ったので、おじさんは明くる朝早く起きるのが辛かった。それでも約束の時刻には約束の場所で半七に逢った。
「きょうは先ず何処へ行くんだね」
「貸本屋から先へ始めましょう」
二人は音羽の田島屋へ行った。おじさんの屋敷へも出入りするので、貸本屋の番頭はおじさんをく知っていた。半七は番頭に逢って、正月以来かの小幡の屋敷へどんな本を貸し入れたかと訊いた。これは帳面に一々しるしてないので、番頭も早速の返事に困ったらしかったが、それでも記憶のなかから繰り出して二、三種の読本よみほんや草双紙の名をならべた。
「そのほかに薄墨草紙という草双紙を貸したことはなかったかね」と、半七は訊いた。
「ありました。たしか二月頃にお貸し申したように覚えています」
「ちょいと見せてくれないか」
番頭は棚を探して二冊つづきの草双紙を持ち出して来た。半七は手に取ってその下の巻をあけて見ていたが、やがて七、八丁あたりのところを繰り拡げてそっとおじさんに見せた。その挿絵は武家の奥方らしい女が座敷に坐っていると、その縁先に腰元風の若い女がしょんぼりと俯向うつむいているのであった。腰元はまさしく幽霊であった。庭先には杜若かきつばたの咲いている池があって、腰元の幽霊はその池の底から浮き出したらしく、髪も着物もむごたらしく湿れていた。幽霊の顔や形は女こどもをおびえさせるほどに物凄く描いてあった。
おじさんはぎょっとした。その幽霊の物凄いのに驚くよりも、それが自分の頭のなかに描いているおふみの幽霊にそっくりであるのにおびやかされた。その草双紙を受取ってみると、外題げだいは新編うす墨草紙、為水瓢長作と記してあった。
「あなた、借りていらっしゃい。面白い作ですぜ」と、半七は例の眼で意味ありげに知らせた。
おじさんは二冊の草双紙をふところに入れて、ここを出た。
「わたくしもその草双紙を読んだことがあります。きのうあなたに幽霊のお話をうかがった時に、ふいとそれを思い出したんですよ」と、往来へ出てから半七が云った。
「して見ると、この草双紙の絵を見て、怖い怖いと思ったもんだから、とうとうそれを夢に見るようになったのかも知れない」
「いいえ、まだそればかりじゃありますまい。まあ、これから下谷へ行って御覧なさい」
半七は先に立って歩いた。二人は安藤坂をのぼって、本郷から下谷の池の端へ出た。きょうは朝からちっとも風のなに日で、暮春の空はあおい玉を磨いたように晴れかがやいていた。
火の見やぐらの上にはとんびが眠ったように止まっていた。少し汗ばんでいる馬を急がしてゆく、遠乗りらしい若侍の陣笠のひさしにも、もう夏らしい光りがきらきらと光っていた。
小幡が菩提所の浄円寺は、かなりに大きい寺であった。門をはいると、山吹が一ぱいに咲いているのが目についた。ふたりは住職に逢った。
住職は四十前後で、色の白い、ひげのあとの青い人であった。客の一人は侍、一人は御用聞きというので、住職も疎略に扱わなかった。
ここへ来る途中で、二人は十分に打合わせをしてあるので、おじさんは先ず口を切って、小幡の屋敷にはこの頃怪しいことがあると云った。奥さんの枕もとに女の幽霊が出ると話した。そうして、その幽霊を退散させるために何か加持祈禱かじきとうのすべはあるまいかと相談した。
住職は黙って聴いていた。
「して、それは殿さま奥さまのお頼みでござりまするか。又あなた方の御相談でござりまするか」
と住職は数珠じゅず爪繰くまぐりながら不安らしく訊いた。
「それはいずれでもよろしい。とにかく御承知下さるか、どうでしょう」
おじさんと半七は鋭いひとみのひかりを住職に投げ付けると、彼は蒼くなって少しくふるえた。
修行しゅぎょうの浅い我々でござれば、果たして奇特きどくの有る無しはお受け合い申されぬが、ともかくも一心を凝らして得脱とくだつの祈禱をつかまつると致しましょう」
「なにぶんお願い申す」
やがて時分どきだというので、念の入った精進料理が出た。酒も出た。住職は一杯も飲まなかったが、二人は鱈腹たらふく飲んで食った。帰る時に住職は、「御駕籠でも申し付けるのでござるが……」と云って、紙につつんだものを半七にそっと渡したが、彼は突き戻して出て来た。
「旦那、もうこれで宜しゅうございましょう。和尚め、ふるえていたようですから」と、半七は笑っていた。住職の顔色の変ったのも、自分たちに鄭重ていちょうな馳走をしたのも、無言のうちに彼の降伏を十分に証明していた。それでもおじさんはまだに落ちないことがあった。
「それにしても小さい児がどうして、ふみが来たなんて云うんだろう。判らないね」
「それはわたくしにも判りませんよ」と、半七はやはり笑っていた。「子供が自然とそんなことを云う気遣いはないから、いずれ誰かが教えたんでしょうよ。唯、念のために申しておきますが、あの坊主は悪い奴で……延命院の二の舞で、これまでにも悪い噂が度々あったんですよ。それですから、あなたとわたくしとが押掛けて行けば、こっちで何も云わなくっても、先方はすねきずでふるえあがるんです。こうして釘をさして置けば、もう詰まらないことはしないでしょう。わたくしのお役はこれで済みました。これから先はあなたのお考え次第で、小幡の殿様へは宜しきようにお話しなすって下さいまし。では、これで御免をこうむります」
二人は池の端で解れた。


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おじさんは帰途かえりに本郷の友達のうちへ寄ると、友達は自分のっている踊りの師匠の大浚おおさらいが柳橋やなぎばしの或るところに開かれて、これから義理に顔出しをしなければならないから、貴公も一緒に附き合えと云った。おじさんも幾らかの目録を持って一緒に行った。綺麗な娘子供の大勢あつまっている中で、燈火あかりのつく頃までわいわい騒いで、おじさんは好い心地に酔って帰った。そんな訳で、その日は小幡の屋敷へ探索の結果を報告にゆくことが出来なかった。
あくる日小幡をたずねて、主人の伊織に逢った。半七のことはなんにも云わずに、おじさんは自分ひとりで調べて来たような顔をして、草双紙と坊主との一条を自慢らしく報告した。それを聴いて、小幡の顔色は見る見る陰った。
お道はすぐに夫の前に呼び出された。新編うす墨草紙を眼の前に突き付けられて、おまえの夢に見る幽霊の正体はこれかと厳重に吟味された。お道は色を失って一言もなかった。
「聞けば浄円寺の住職は破戒の堕落僧だという。貴様も彼にたぶらかされて、なにか不埒を働いているのに相違あるまい。真っ直ぐに云え」
夫にいくら責められても、お道は決して不埒を働いた覚えはないと泣いて抗弁した。しかし自分にも心得違いはある。それは重々恐れ入りますと云って、一切の秘密を夫とおじさんとの前で白状した。
「このお正月に浄円寺に御参詣にまいりますと、和尚様は別間でいろいろお話のあった末に、わたくしの顔をつくづく御覧になりまして、しきりに溜息ためいきをついておいでになりましたが、やがて低い声で『ああ、御運の悪い方だ』と独り言のように仰しゃいました。その日はそれでお別れ申しましたが、二月に又お詣りをいたしますと、和尚さまはわたくしの顔を見て、又同じようなことを云って溜息をついておいでになりますので、わたくしも何かを不安心になってまいりまして、『それはどうした訳でございましょう』と、こわごわ伺いますと、和尚さまは気の毒そうに『どうもあなたは御相ごそうがよくろしくない。御亭主を持っていられると、今にお命にもかかわるようなわざわいが来る。出来ることならば独り身におなり遊ばすとよいが、さもないとあなたばかりではない、お嬢さまにも、おそろしい災難が落ちて来るかも知れない』とさとすように仰しゃいました。こう聞いて私もぞっとしました。自分はともあれ、せめて娘だけでも災難をのがれる工夫はございますまいかと押し返して伺いますと、和尚さまは『お気の毒であるが、母子おやこは一体、あなたが禍いを避ける工夫をしない限りは、お嬢さまも所詮しょせんのがれることはできない』と……。そう云われた時の……わたくしの心は……お察し下さいまし」と、お道は声を立てて泣いた。
「今のお前たちが聞いたら、一と口に迷信とか馬鹿々々しいとかけなしてしまうだろうが、その頃の人間、殊に女などはみんなそうしたものであったよ」と、おじさんはここで註を入れて、わたしに説明してくれた。
それを聴いてからお道には暗い影がまつわって離れなかった。どんな禍いが降りかかって来ようとも、自分だけは前世の約束ともあきらめよう。しかし可愛い娘にまでまきぞえの禍いを着せるということは、母の身として考えることさえも恐ろしかった。あまりに痛々しかった。お道にとっては、夫も大切には相違なかったが、娘はさらに可愛かった。自分の命よりもいとおしかった。第一に娘を救い、あわせて自分の身を全うするには、飽きも飽かれもしない夫の家を去るよりほかにないと思った。
それでも彼女は幾たびか躊躇ちゅうちょした。そのうち二月も過ぎて、娘のお春の節句が来た。小幡の家でも雛を飾った。緋桃白桃の影をおぼろにゆるがせる雛段の夜の灯を、お道は悲しく見つめた。来年も再来年も無事に雛祭りが出来るであろうか。娘はいつまでも無事であろうか。のろわれた母と娘とはどちらが先に禍いを受けるのであろうか。そんな恐れと悲しみとが彼女の胸一ぱいに拡がって、あわれなる母は今年の白酒に酔えなかった。
小幡の家では五日の日に雛をかたづけた。今更ではないが雛の別れは寂しかった。その日のひるすぎにお道が貸本屋から借りた草双紙を読んでいると、お春は母の膝に取りつきながらその挿絵を無心にのぞいていた。草双紙は、あの薄墨草紙で、むごい主人の手討に逢って、杜若かきつばたの咲く古池に沈められたお文という腰元の魂が、奥方のまえに形をあらわしてその恨みを訴えるというところで、その幽霊が物凄く描いてあった。おさないお春もこれには余ほどおびやかされたらしく、その絵を指して、「これ、なに」と、こわごわ訊いた。
「それは文という女のお化けです。お前もおとなしくしないと、庭のお池からこういう怖いお化けがでますよ」
おどすつもりではなかったが、お道は何心なくこう云って聞かせると、それがお春の神経を強く刺戟しげきしたらしく、ひきつけたように真っ蒼になって母の腰にひしとしがみ付いてしまった。
その晩にお春はおそわれたように叫んだ。
「ふみが来た!」
明くる晩もまた叫んだ。
「ふみが来た!」
飛んだことをしたと後悔して、お道は早々かの草双紙を返してしまった。お春は三晩つづいてお文の名を呼んだ。後悔と心配とで、お道も碌々眠られなかった。そうして、これがの恐ろしい禍いの来る前触れではないかとも恐れられた。彼女の眼の前にも、お文の姿がまぼろしのように現われた。
お道もとうとう決心した。自分の信じている住職の教えにしたがって、ここの屋敷を立ち退くよりほかはないと決心した。無心の幼児おさなごがお文の名を呼びつづけるのを利用して、かれはにわかに怪談の作者となった。その偽りの怪談を口実にして、夫の家を去ろうとしたのであった。
「馬鹿な奴め」と、小幡は自分の前に泣き伏している妻をあきれるように叱った。しかし、こんな浅はかな女の巧みの底にも、人の母として我が子を想う愛の泉もひそんで流れていることを、Kのおじさんも認めないわけには行かなかった。おじさんの取りなしで、お道はようように夫のゆるしを受けた。
「こんなことは義兄あにの松村にも聞かしたくない。しかし義兄の手前、屋敷中の者どもの手前、なんとかおさまりを付けなければなるまいが、どうしたものでござろう」
小幡から相談をうけてKのおじさんも考えた。結局、おじさんの菩提寺の僧を頼んで、表向きは得体の知れないお文の魂のために追善供養を営むということにした。お春は医師の療治をうけて夜啼きをやめた。追善供養の功力くりきによって、お文の幽霊もその後は形を現わさなくなったと、まことしやかに伝えられた。
その秘密を知らない松村彦太郎は、世の中には理窟で説明できない不思議なことがあるものだと首をかしげて、日頃自分と親しい二、三の人達にひそかに話した。わたしの叔父もそれを聴いた一人であった。
お文の幽霊を草双紙のなかから見つけ出した半七の鋭い眼力を、Kのおじさんは今更のように感服した。浄円寺の住職はなんの目的でお道に恐ろしい運命を予言したか、それに就いては半七も余り詳しい註釈を加えるのをはばかっているらしかったが、それから半年の後にその住職は女犯にょぼんの罪で寺社方の手に捕われたのを聴いて、お道は又ぞっとした。彼女は危い断崖の上に立っていたのを、幸いに半七のために救われたのであった。
「今も云う通り、この秘密は小幡夫婦と私のほかには誰も知らないことだ。小幡夫婦はまだ生きている。小幡は維新後に官吏になって今は相当の地位にのぼっている。わたしが今夜は話したことは誰にも吹聴ふいちょうしない方がいいぞ」と、Kのおじさんは話の終りにこう付け加えた。
この話も済む頃には夜の雨もだんだんと小降りになて、庭の八つ手の葉のざわめきも眠ったように鎮まった。
幼いわたしのあたまには、この話が非常に興味あるものとして刻み込まれた。併しあとで考えると、これらの探偵談は半七としては朝飯前の仕事に過ぎないので、その以上の人の衝動するような彼の冒険仕事はまだまだほかにたくさんあった。彼は江戸時代にける隠れたシャアロック・ホームズであった。
わたしが半七によく逢うようになったのは、それから十年の後で、あたかも日清戦争が終りを告げた頃であった。Kのおじさんは、もう此の世にいなかった。半七は七十を三つ越したとか云っていたが、まだ元気の好い、不思議なくらいに水々しいお爺さんであった。養子に唐物商とうぶつやを開かせて、自分は楽隠居でぶらぶら遊んでいた。わたしは或る機会から、この半七老人と懇意になって、赤坂の隠居所へたびたび遊びに行くようになった。老人はなかなか贅沢で、上等の茶をれて旨い菓子を食わせてくれた。
その茶話ちゃばなしのあいだに、わたしは彼の昔語りをいろいろ聴いた。一冊の手帳は殆ど彼の探偵物語でうずめられてしまった。その中から私が最も興味を感じたものをだんだんに拾い出して行こうと思う、時代の前後を問わずに――

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