半七捕物帳 第四巻/張子の虎

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張子の虎(とら)[編集]

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四月のはじめに、わたしは赤坂をたずねた。
「陽気も大分(だいぶ)ぽか付いて、そろそろお花見気分になって来ましたね」と、半七老人は半分あけた障子の間からうららかに晴れた大空をみあげながら云った。「江戸時代のお花見といえば、上野(うえの)、向島(むこうじま)、飛鳥山(あすかやま)、これは今も変りがありませんが、御殿山(ごてんやま)というものはもう無くなってしまいました。昔はこの御殿山がなかなか賑わったもので、ここは上野と違って門限もない上に、三味線でも何でも弾いて勝手に騒ぐことが出来るもんですから、去年飛鳥山へ行ったものは、今年は方角をかえて御殿山へ出かけるという風で、江戸辺の人たちは随分押出したもんでした。それいついてもいろいろお話がありますが、きょうはお花見が題じゃあないんですから、手っ取り早く本文に取りかかることにしましょう。しかしまんざらお花見に縁のないわけではない。その御殿山の花盛りという文久(ぶんきゅう)二年の三月、品川(しながわ)の伊勢屋(いせや)――と云っても例の化伊勢(ばけいせ)ではありません。お化けが出るとか云うのが売り物で、むかしは妙な売り物があったもんですが、それが評判で化伊勢と云って繁昌した店がありました。そのお化けの伊勢屋とは違います――そこの店で二枚目を張っているお駒(こま)という女が変死した。それがこのお話の発端(ほったん)です」
お駒はことし二十二の勤め盛りで、眼鼻立ちはまず普通であったが、ほっそりとした痩型(やせがた)の、いかにも姿のいい女で、この伊勢屋では売(うれ)っ妓(こ)のひとりに数えられていた。彼女(かれ)が売っ妓となったのは姿がいいばかりでなく、品川の河童天王(かっぱてんのう)のお祭りに自分の名を染めぬいた手拭を配ったばかりでなく、ほかにもっと大きい原因があって、宿場女郎(しゅくばじょろう)とは云いながら、品川のお駒の名は江戸じゅうに聞こえていたのであった。
彼女がそれほど高名になったのは、あたかも一場(いちじょう)の芝居のような事件が原因をなしているのであった。万延(まんえん)元年の十月、きょうは池上(いけがみ)の会式(えしき)というので、八丁堀(はっちょうぼり)同心室積藤四郎(むろづみふじしろう)がふたりの手先を連れて、早朝から本門寺(ほんもんじ)界隈(かいわい)を検分に出た。やがてもう五ツ(午前八時)に近いころに、高輪(たかなわ)の海辺へさしかかると、葭簀(よしず)張りの茶店へ腰をかけて、麻裏草履(あさうらぞうり)を草鞋(わらじ)に穿(は)きかえている年頃二十七八の小粋な男があった。藤四郎はそれにふと眼をつけると、すぐ手先どもに頤(あご)で知らせた。
藤四郎の眼にとまった彼の男は、石原(いしわら)の松蔵(まつぞう)という家尻(やじり)切りのお尋者(たずねもの)であった。彼は詮議(せんぎ)がだんだんに厳しくなって来たのを覚って、どこへか高飛びをする積りであるらしい。飛んだところで思いもよらない拾い物をしたのを喜んだ手先どもは、すぐにばらばらと駈けて行って、彼のうつむいている頭の上に御用(ごよう)の声を浴びせかけると、松蔵は今や穿こうとしていた片足の草履を早速の眼つぶしに投げつけて、腰をかけていた床几(しょうぎ)を蹴返して起(た)った。それと同時に、彼の利腕(ききうで)を取ろうとした一人の手先はあっと云って倒れた。松蔵はふところに呑んでいた短刀をぬいて、相手の横鬢(よこびん)を斬払ったのであった。眼にも止まらない捷業(はやわざ)に、こっちは少しく不意を撃たれたが、もう一人の手先は猶予なしに飛込んで、刃物を持ったその手を抱え込もうとすると、これも忽ち振り飛ばされた。そうして、左の肩の上を斜めに突き破られた。
一人は倒れる。ひとりは流れる血潮が眼にしみて働けない。今度は自分が手をくだす番になって、藤史郎はふところの十手(じって)の服紗(ふくさ)を払った。御用と叫んで打込んで来る十手の下をくぐって、松蔵は店を駈け出した。片足は草履、片足は草鞋で、彼は品川の宿(しゅく)をさして逃げてゆくのを、藤四郎はつづいて追った。藤四郎はもう五十以上の老人であったが、若い者とおなじように駈けつづいて、品川の宿まで追い込んでゆくと、松蔵ももう逃げおおせないと覚悟したらしい、急に振返って執念ぶかい追手(おって)に斬りかかった。
両側の店屋では皆あれあれと立騒いでいたが、一方の相手が朝日にひかる刃物を真向(まっこう)にかざしているので、迂闊(うかつ)に近寄ることも出来なかった。短刀と十手がたがいに空(くう)を打って、二、三度入れ違ったときに、藤四郎の雪駄(せった)は店先の打水にすべって、踏みこらえる間もなしに小膝を突いた。そこへ付け込んでひと足踏み込もうとした松蔵は、俄かによろめいて立竦(たちすく)んだ。頭の上の二階から重い草履がだしぬけに飛んで来て、彼の眼をしたたかに撲(ぶ)ったのであった。立竦む途端に、彼の足は藤四郎の十手に強く打たれた。これ以上は説明するまでもない。松蔵の運命はもう決まった。
草履の主(ぬし)は伊勢屋のお駒であった。彼女は朝帰りの客を送り出して、自分の部屋を片付けていると、表に捕物があるという騒ぎに、ほかの朋輩たちと一緒に表二階の欄干に出てみると、あたかもここの店先で十手と短刀とがひらめいている最中であった。かれらは息をのんで瞰下(みおろ)していると、捕手の同心が打水にすべって危うく倒れかかったので、お駒は思わず自分の草履を取って、一方の相手の顔に叩きつけた。その眼つぶしが効を奏して、おたずね者の石原の松蔵は両腕に縄をかけられたのである。この時代でも捕方(とりかた)に助勢して首尾よく罪人を取押さえたものにはお褒めがある。その働き方によってはご褒美も下されることになっていた。ましてお駒は男でない、賤(いや)しい勤め奉公の女として、当座の機転で罪人を撃ち悩まし、上(かみ)にご奉公を相勤めたること近ごろ奇特(きどく)の至りと云うので、彼女は抱え主附添いで町奉行所へ呼び出されて、銭(ぜに)二貫文(かんもん)のご褒美を下された。
遊女が上(かみ)からご褒美を貰うなどという例は極めて少ない。殊にそれがいかにも芝居のような出来事であっただけに、世間の評判は猶さら大きくなった。一度は話の種にお駒という女の顔を見て置こうという若い人たちも大勢あらわれて、お駒を買いに来る者と、ほかの女を買ってお駒の顔だけ見ようという者と、それやこれやで伊勢屋は俄かに繁昌するようになった。それはお駒が二十歳(はたち)の冬で、それから足かけ三年の間、彼女は伊勢屋の福の神としていつも板頭(いたがしら)か二枚目を張り通していた。そのお駒が突然に冥途(めいど)へ鞍替えしたのであるから、伊勢屋の店は引っくり返るような騒ぎになった。土地の素見(ひやかし)の大哥(あにい)たちも眼を皿にした。
お駒は寝床のなかで絞め殺されていたのであった。それは中引(なかび)け過ぎの九ツ半(午前一時)ごろで、その晩のお駒の客は三人あったが、本部屋へはいったのは芝源助町(しばげんすけちょう)の下総屋(しもうさや)という呉服屋の番頭吉助(きちすけ)で、彼は店者(たなもの)の習いとして夜なかに早帰りをしなければならなかった。いつもの事であるから相方(あいかた)のお駒も心得ていて、中引け前にはきっと起して帰すことになっていたのであるが、その晩はお駒も少し酔っていた。吉助も酔って寝込んでしまった。吉助は夜なかにふと眼をさまして、喉(のど)が渇(かわ)くままに枕もとの水を飲んで、それから煙草を一服すったが、二階じゅうはしんと寝静まって夜はもう余ほど更(ふ)けているらしい。これは寝すごしたと慌(あわ)てて起き直ると、いつも自分を起してくれるはずのお駒は正体もなく眠っていた。
「おい、お駒。早く駕籠(かご)を呼ばせてくれ」
云いながら煙管(きせる)を煙草盆の灰吹きでぽんと叩くと、その途端に彼は枕もとに小さい物の影が忍んでいるのを発見した。うす暗い行燈(あんどう)の光りでよく視(み)ると、それは黄いろい張子の虎で、お駒の他愛ない寝顔を見つめているように短い四足をそろえて行儀よく立っていた。宵にこんな物はなかった筈だと思いながら、彼はそれを手に取ってながめると、虎は急に眼がさめたように不格好な首を左右にふらふらと揺(ゆる)がした。しかしお駒は醒(さ)めなかった。彼女(かれ)はいつのまにか冷たくなって永い眠りに陥(おちい)っているのであった。それを発見した吉助は張子の虎をほうり出して飛び起きた。彼は顫(ふる)え声で人を呼んだ。
大勢(おおぜい)が駈け集まってだんだんに詮議すると、お駒は何物にか絞め殺されていることが判った。正体もなしに酔(え)い臥(ふ)していた吉助は、そばに寝ているお駒がいつの間に死んだのか知らないと云った。しかし一つ部屋に居合せた以上、彼は無論にその係り合いを逃れることを出来ないで、諸人がうたがいの眼はまず彼の上に注がれた。場所といい、事件といい、主人持ちの彼にとっては迷惑重々(じゅうじゅう)であったが、よんどころない羽目と覚悟をきめたらしく、彼は検視の終るまでおとなしくそこに抑留されていた。
伊勢屋の訴えによって、代官伊奈半左衛門(いなはんざえもん)からの役人も出張った。夜のあける頃には町与力(まちよりき)も出張った。品川は代官の支配であったが、事件が事件だけに、町方も立会って式(かた)のごとくに検視を行うと、お駒はやはり絞め殺されたものに相違なかった。彼女の首にはなんにも巻き付いていなかったが、おそらく手拭か細紐のたぐいで絞めたものであろうと認められた。本部屋にいた吉助は勿論、名代(みょうだい)部屋にいたお駒の客ふたりは高輪の番屋へ連れてゆかれた。


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「半七。一つ骨を折ってくれ。伊勢屋のお駒にはおれも縁がある。不憫(ふびん)なものだ。早くかたいを取ってやりてえ。何分たのむ」
半七は、八丁堀同心室積藤四郎の屋敷へ呼び付けられて、膝組みで頼まれた。藤四郎はおとどしの一件があるので、お駒の変死については人一倍に気を痛めているらしい。それを察して半七も快く請合(うけあ)った。
「かしこまりました。精いっぱい働いてみましょう」
半七はすぐに引返して品川の伊勢屋へ行った。彼は若い者の与七(よしち)を店口へよび出して訊いた。
「どうも飛んだ事が出来たね、名物のお駒を玉無しにしてしまったと云うじゃあねえか」
「まったく驚きました」と、与七も凋(しお)れ返っていた。「ご内証(ないしょう)でもひどく力を落しまして、まあ死んだものは仕方がないが、せめて一日も早くそのかたきを取ってやりたいと云って居ります」
「そりゃあ誰でもそう思っているんだ。取分けて上(かみ)からご褒美まで頂戴している女だから、草を分けても其の下手人を捜し出さにゃあならねえ。ところで、素人染(しろうとじ)みたことを云うようだが、そっちにはなんにも心当りはないかえ」
「それで困っているんです。なんと云っても下総屋の番頭さんに目串(めぐし)をさされるんですが、あんな堅い人がよもやと思うんです。気でもちがえば格別、別にお駒さんを殺すようなわけもない筈ですから」
「そりゃあ傍(はた)からは判らねえ。一体(いってえ)その番頭というのはどんな奴だえ」
与七の説明によると、下総屋の番頭吉助はもう四十近い男で、酒は相当飲むが至極おとなしい質(たち)の上に、金遣いも悪くないので、お駒も大事に勤めている馴染客であった。三月になってゆうべ初めて来たので、お駒と別に喧嘩したらしい様子もなく、いつもの通りのおとなしく寝床にはいったのである。一緒に寝ている女の死んだのを知らないと云うのは、いかにもうしろ暗いようにも思われるが、酔い倒れていたとあれば無理はない。おそらく二人が正体もなく寝入っているところへ、何者かが忍び込んでそっとお駒を絞め殺したのではあるまいかと与七はささやいた。商売柄だけに彼の鑑定もまんざら素人でないことを半七も認めた。
「そこで、此処(ここ)の家(うち)でお駒と一番仲がいいのは誰だえ」
「お駒さんは誰とも美しく附合っていたようですが、一番仲好くしていたのはお定(さだ)という下新造(したしん)のようでした。お定はちょうど去年の今頃からここへ来た女で、お駒さんとは姉妹(きょうだい)のように仲好くしていたと云うことです。それですからお定は今朝から飯も食わずにぼんやりしていますよ」
「じゃあ、そのお定をちょいと呼んでくれ」
眼を泣き腫らしたお定が店口へおずおずと出て来た。お定は二十五六で、色のあさ黒い、細おもての力(りき)んだ顔で、髪の毛のすこし薄いのを瑕(きず)にして、どこへ出してもまず十人なみ以上には踏めそうな中年増(ちゅうどしま)であった。半七からお駒の悔みを云われて、彼女(かれ)は涙をほろほろこぼしながら挨拶していた。
「お前はお駒と大変仲好しだったと云うが、今度の一件について何か思い当ることはねえかね」
「親分さん。それがなんにもないんです。わたくしはまるで夢のようで……」と、お定はしゃくりあげて泣き出した。
「そりゃあ困ったな。お駒の枕もとに何か張子の虎のようなものが置いてあったと云うが、そりゃあほんとうかえ」
お定は黙って泣いていると、与七はそばから代って答えた。
「ありました。小さい玩具(おもちゃ)のようなもので、それはご内証にあずかってあります。お目にかけましょうか」
「むむ、見せて貰おう」
半七はあがり口に腰をおろすと、与七は一旦(いったん)奥へ行ったが又すぐに出て来て、ともかくもこちらへ通ってくれと招じ入れた。奥へ通ると、主人夫妻は陰(くも)った顔をそろえて半七を迎えて、かの張子の虎というのを出してみた。虎は亀戸(かめいど)みやげの浮人形(うきにんぎょう)のたぐいで、背中に糸の穴が残っていた。半七はその小さい虎を手のひらに乗せて、その無心にゆらぐ首をしばらくじっと眺めていたが、やがてそれを膝の前にそっと置いて、煙草を一服徐(しず)かに吸った。
「この虎はお駒の物じゃあないんですね」
「お駒の部屋にはそんな物は無かったようです」と、主人は答えた。「お駒に限らず、この二階じゅうで誰もそんなものを持っていた者はないと申します。どこから誰が持って来たのか、一向にわかりません」
「ふうむ」と、半七は首をかしげた。「だが、これは大切な品だ。これがどんな手がかりにならねえとも限りませんから、どこへか確(しっ)かり預かって置いてください」
「大切におあずかり申して置きます」
それから与七に案内させて、半七は二階じゅうをひと廻り見てあるいた。表二階から裏二階へまわって、お駒の部屋も無論にあらためた。部屋は三畳と六畳との二間(ふたま)つづきで、六畳の突き当りは型のごとく欞子窓(れんじまど)になっていた。去年の暮あたりに手入れをしたらしい欞子はそのままになっていて、外から忍び込んだ者があるらしくも見えなかった。それでも念のために窓から表をのぞくと、伊勢屋の店は海側で、裏二階の下はすぐに石垣になっていた。品川の春の海はちょうど引き潮で、石垣の下には潮に引残された瀬戸物の毀(こわ)れや、粗朶(そだ)の折れのようなものが乱雑にかさなり合って、うららかな日の下にきらきらと光っていた。
遠目(とおめ)の利く半七は欞子に縋(すが)ってしばらく見おろしているうちに、何を見付けたか急に与七を見返って訊いた。
「お駒の草履は何足(なんぞく)あるね」
「二足ある筈です」
「それはみんな揃っているかえ」
「揃っている筈です」
「そうか。いろいろ気の毒だが、今度は裏口へ案内してくれ」
裏梯子を降りて裏口へまわって、半七は石垣の上に立った。彼は足の下をもう一度見おろして、それから石段を降りて行った。なにをするのかと与七は上からのぞいていると、半七はうず高い塵芥(ごみ)のあいだを踏み分けて、大きい五郎太石(ごろたいし)のかげから重ね草履の片足を拾い出した。彼は湿(しめ)った鼻緒をつまみながら与七にみせた。
「おい、よく見てくれ。こりゃあお駒のじゃあねえか」
「さあ」と、与七は覗きながら考えていた。
「親分さん」
上から呼ぶ声がするので見あげると、お定も二階の欞子から覗いていた。
「お前もこの草履を知っているか」と、半七は下から声をかけた。
「待ってください。今そこへ行きますから」
お定は欞子のあいだから姿を消したかと思うと、やがて裏口へ廻って来て、その草履をひと目見るとすぐにまた泣き出した。
「これはお駒さんのです。あの人がわたくしに一度見せたことがあります。それはお駒さんが大切にしまって置いた草履です」
「むむ、あれか」と、与七もうなずいた。「なるほど、そうです。きっと、あのときの草履でしょう」
それは室積藤四郎が石原の松蔵を召捕ったときに、お駒が二階から投げつけた草履であると、二人は代るがわる説明した。奉行所からご褒美を賜わって希代の面目を施したお駒は、一生の宝としてその草履を大切に保存して置いた。お定の話によると、お駒はそれを水色(みずいろ)縮緬(ちりめん)の服紗(ふくさ)につつんで、自分の部屋の箪笥の抽斗(ひきだし)にしまって置いたのを、去年の暮の煤掃(すすはき)の時にうやうやしく持出て見せたことがある。それは随分穿き古したもので、女郎の重ね草履といえばどれもこれも一つの型であるが、鼻緒の摺(す)れ工合などに確かに見おぼえがあるとお定は云った。
「だが、まあ念のためにお駒の部屋を調べてくれ」
半七は二人を連れてふたたび裏二階へあがって行った。お駒の部屋にはたった一つの箪笥がある。その四つ抽斗の二つ目の奥から水色縮緬の服紗だけは発見されたが、草履は果して紛失していた。何者かがその草履をぬすみ出して、欞子窓から海へ投げ込んだに相違ないとは、誰でも容易に想像されることであるが、半七が発見したのはその片足で、ほかの片足のゆくえは判らなかった。
「たびたび気の毒だが、もう少し手伝ってくれ」
与七を下へ連れ出して、半七は彼にも手伝わせて石垣の下を根よく探しまわったが、草履の片足はどうしても見付からなかった。おおかた引き潮に持って行かれたのであろうと、与七は云った。そうかも知れないと半七も思った。片足は大きい石のかげに支(つか)えていたために引残された。そんなことがないとも云えないと思いながら、半七の胸にはまだ解け切らない一つの謎が残っていた。しかしもうこの上には詮議のしようもないので、彼は鼻緒のゆるみかかった草履の片足を与七に渡して帰った。
「これも何かの役に立つかも知れねえ。しっかりと預かって置いてくれ」

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「草履の片足はとんだ鏡山(かがみやま)のお茶番だが、張子の虎が少しわからねえ」
半七は帰る途中で考えていたが、それから番屋へ行って聞きあわせると、下総屋の番頭吉助はなにを調べられても一向に知らぬ存ぜぬの一点張りで押通しているのと、彼のふだんの行状が悪くないと云うことが確かめられたのとで、ひとまず主人預けとして下げられた。名代部屋に寝ていた他の二人も、やはり主人あずけで無事に下げられたとのことであった。
あくる日、半七は八丁堀へ出向いて、きのう取調べただけの結果を報告すると、藤四郎はなるべく早く調べあげてくれと催促した。半七は承知して帰って、子分の多吉をよんで何事か耳打ちすると、多吉は心得てすぐに出て行った。
それから三日目である。花どきの癖で、長持ちのしない天気はきのうの夕方から生暖かく陰って、夜なかから細かい雨がしとしとと降り出した。早起きの半七がまだ顔を洗っている明け六ツ(午前六時)前に、伊勢屋の与七が息を切ってたずねて来た。
「親分。又いろいろのことが出来(しゅったい)しました」
「与七さんか。早朝からどうしたんだ。まあ、こっちへあがって話しなせえ」
「いえ、落着いちゃあいられないんです」と、与七は上がり框(がまち)に腰をおろしながら口早にささやいた。「ゆうべの引け四ツから、けさの七ツ(午前四時)頃までのあいだに、家(うち)のお浪(なみ)というのが駈落(かけおち)をしてしまったんです」
「お浪というのはどんな女だ」
「お駒の次で、三枚目を張っている女です。ふだんから席争いでお駒とはあんまり折合いがよくなかったようですが、お駒の方が柳に受けているので、別にこうと云う揉(も)め捫着(もんちゃく)も起らなかったんです。そのお浪が急に姿をかくしたには何か訳があるんだろうから、とりあえず親分にお報せ申せと主人が申しましたので……。それにもう一つ可怪(おか)しいことは、主人が確かにおあずかり申した筈の張子の虎、あれも何処(どこ)へか行ってしまったんです。いや、張子の虎が自然にあるき出す筈はないんですが、誰が持出したものか、影も形もなくなってしまったんです」
「一体どこへしまって置いたんだろう」
「ほかの品と違って、まあ、早く云えばお駒の形見(かたみ)のようなものだと云うので、ご仏壇に入れて置いたんだそうです」
「仏壇か。悪いところへ入れて置いたものだ」と、半七は舌打ちした。「が、まあ仕方がねえ。そこで、それはいつ頃なくなったんだ」
「それが判らないんです。なにしろきのうの夕方までは確かにあったと云うんですから、その後になくあったものに相違ないんです」
「なるほど」と、半七は眉を寄せた。「そこで、そのお浪という女には悪い足でもあるのかえ」
「どうも確かな見当が付かないんですが、ふだんから少し病身の女で、勤めが忌(いや)だと口癖に云っていました。けれども時が時で、おまけに張子の虎がなくなっているもんですから、なんだかそこが可怪しいので……」
「まったく可怪しい。なにか訳がありそうだ。ほかにはなんにも紛失物はないんだね」
「ほかには何もないようです」
「よし、判った。それもなんとか手繰(たぐ)り出してやろうから、主人によくそう云ってくれ」
「なにぶん願います」
与七は雨のなかを急いで帰った。材料はいつも三題噺(さんだいばなし)のようになる。重ね草履と張子の虎とお浪の駈落と、この三つの材料を繫(つな)ぎあわせて、半七はしばらく考えていた。商売上の妬(ねた)みか、又はなにかの遺恨で、お浪がお駒を絞め殺したと仮定する。宿場(しゅくば)かせぎの女郎などは随分そのくらいのことは仕兼ねない。相手を殺して素知らぬ顔をしていたが、なにぶんにも気が咎(とが)めるので、とうとう居たたまれなくなって逃げ出した。それも随分ありそうなことである。
しかし、張子の虎が判らない。お浪が何のためにそれを盗み出したか。この理窟が考え出せない以上は、謎はほんとうに解けないのであった。
午(ひる)過ぎになって、多吉がきまりの悪そうな顔を見せた。彼の探索は半七の註文通りになかなか運ばないのであるが、その一部だけは何(ど)うにか斯(こ)うにか洗い上げて来て、親分の前へ報告した。
「いや、ご苦労。それで大抵あたりは付いたが、もうひと息のところだ。踏ん張ってやってくれ」と、半七は更になにかの注意を彼にあたえて帰した。
日が暮れることに半七は伊勢屋へゆくと、お定は入口に立っていた。
「今晩は」と、彼女(かれ)は半七を見るとすぐに挨拶した。
「とうとう振り出したね」と、半七は傘のしずくを払いながら云った。「お浪がまた駈け出したと云うじゃあねえか」
「ほんとうにいろいろのことが続くので、なんだか忌(いや)な心持でなりません。家(うち)の人たちはお浪さんが殺したのだなんて云っていますけれど……」
「そりゃあ間違いだ。そんなことがあるもんじゃあねえ」と、半七は笑いながら打消した。
「そうでしょうか」と、お定はまだ不安らしい顔をして、相手の眼色をうかがっていた。
「そうじゃあねえ。お浪がなんで人殺しなんかするもんか」
「そうでしょうねえ」と、お定は僅かにうなずいた。
「まあ、待っていねえ。今にかたきを取ってやるから」
「どうぞおたのみ申します」
お定は襦袢(じゅばん)の袖口で眼をふいていた。それをあとにみて半七は奥へ通ると、主人夫婦はいよいよ顔を陰(くも)らせていた。お浪の駈落や張子の虎の詮議がひと通り済んだあとで、半七は主人を慰めるように云った。
「なに、もうご心配にゃあ及びません。もう見当は大抵ついています。あのお定という新造(しんぞう)は通いですか。家(うち)はどこですえ」
「すぐ二、三軒さきの酒屋の裏で、選択婆(ばあ)さんの二階を借りています」と、主人夫婦は答えた。
「じゃあ、わたしはこれからその留守宅を調べに行きますから、本人にも報(しら)せないようにして置いてください」
「お定にあにかご不審があるんですか」と、女房はびっくりしたように訊(き)いた。
「いや、まだ確かに判りません。まあ、ちょいと行って見ましょう」
半七は除(しず)かに起(た)って出て行ったが、それから小半時(こはんとき)も経たないうちに、手拭に巻いた片足の草履を持って来た。彼は与七を呼んで、この間あずけて置いた草履の片足を取寄せた。それとこれとを主人の眼の前で列(なら)べてみると、一足の草履がたしかに揃った。
「その片足がお定の家(うち)にあったんですか」と、与七は眼をみはった。
「わけはあとで話す」と、半七は笑った。「それよりも先にお定に用がある。そこらにいるなら、早く呼んでくれ」
「今しがたお客があったので、二階へ行っている筈ですが……」
なんだか烟(けむ)にまかれたような顔をして、与七はあたふたと出て行った。
迂闊(うかつ)に口を出すわけにも行かないので、主人夫婦は啞(おし)のように黙っていた。お駒が形見の草履を前にして深い沈黙がしばらく続いた。
「親分。お定は見えませんよ。二階じゅうをさがしても何処にもいないんです」
与七が声をひそめて訴えて来ると、半七は持っていた煙管を思わず投げ出した。
「畜生。素捷(すばや)い奴だ。よもや家(うち)へ帰りゃあしめえが、まあ念のため行ってみよう」
彼は急いで伊勢屋を出て、ふたたび酒屋の裏を尋ねると、お定はさっきから一度も姿を見せないとのことであった。半七は更にあるじの婆さんにむかって、このごろお定がどこへか出たことがあるか、また彼女(かれ)を尋ねて来た者があるかと詮議すると、お定は毎月一度ずつ千住(せんじゅ)の方へ寺参りにゆくほかは滅多(めった)に何処へも出かけたことはないらしい。訪ねて来る人もほとんど無い。たった一度、今からひと月ほど前にお店者(たなもの)らしい四十恰好の男が訪ねて来て、お定を門口(かどぐち)へ呼び出して何かしばらく立ち話をした上で、ふたりが一緒に連れ立って出て行ったことがあると、婆さんは正直に話した。半七はその男の人相や風俗をくわしく訊いて別れた。
宿(しゅく)の入口の小料理屋へはいって、半七は夕飯を食った。それから源助町の方角へ足を向けるころには、雨ももう歇(や)んでいた。尻を端折(はしょ)って番傘をさげて、半七は暗い往来をたどってゆくと、神明前の大通りで足駄(あしだ)の鼻緒をふみ切った。舌打ちしながら見まわすと、五、六軒さきに大岩(おおいわ)という駕籠屋の行燈(あんどう)がぼんやりと点(とも)っていた。ふだんから顔馴染であるので、彼は片足を曳き摺りながらはいった。
「やあ、親分。いい塩梅(あんばい)にあがりそうですね」と、店口で草履の緒を結んでいる若い者が挨拶した。「どうしなすった。鼻緒が切れましたかえ」
「とんだ孫右衛門(まごえもん)よ」と、半七は笑った。「すべって転(ころ)ばねえのがお仕合せだ。なんでもいいから、切れっ端(ぱし)か麻をすこしくんねえか」
「あい、ようがす」
店の炉のまわりに胡坐(あぐら)をかいていた若い者が奥へはいって麻緒を持って来ると、半七は框(かまち)に腰をおろした。
「親分。わたしは綰(す)げてあげましょう」
「手をよごさして気の毒だな」
若い者に鼻緒をすげさせながら不図みると、ひとりの男が傘を半分すぼめて、顔をかくすように門口に立っていた。半七は傍にいる若い者に小声で訊いた。
「ありゃあ何処の人だ。馴染かえ」
「源助町の下総屋の番頭さんです」
半七の眼は光った。主人預けになっている筈の彼が夜になって勝手に出あるく、それだけでも詮議ものであると思ったが、半七はわざと見逃して置いた。
「そうして、これから何処へ行くんだ。宿(しゅく)かえ」と、彼は再び小声で訊いた。
「なんだか大木戸(おおきど)まで送るんだそうです」
そう云っているうちに、一方の若い者の支度は出来て、門に忍んでいる番頭は駕籠に乗って出た。雨あがりの薄い月がその駕籠の上をぼんやりと照らしていた。
「おい、おれにも一挺頼む。あのあとをそっと尾(つ)けてくれ」
相手が相手であるから若い者はすぐに支度して、半七をのせた駕籠は小半町ばかりの距離を取りながら、人魂(ひとまだ)のように迷ってゆく駕籠の灯を追って行った。前の駕籠が大木戸でおろされると、半七も下りた。駕籠屋を帰して、彼はぬかるみを足早に歩き出した。鼻緒をすげてしまうのを待っている間がなかったので、彼は大岩の貸下駄を穿いていた。
今夜はもう五ツ(午後八時)を過ぎているので、海辺の茶店は閉まっていた。北から数えて五つ目の茶店の前で、下総屋の番頭吉助は立停まってそっと左右を見まわした。彼はいつの間にか頰かむりをしていた。


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「ふだんと違って今の身分だから、店をぬけ出すのは容易じゃない。これでも神明前から駕籠で来たのだ」
「でも、どんなに待ったか知れやあしない。あたしはきつと騙(だま)されたのかと思っていたのよ。騙したら料簡(りょうけん)があると覚悟していたんだけれど……」
それが女の声であるので、半七は肚(はら)のなかでほほえんだ。彼は葭簀(よしず)のかげに忍んで、隣りの茶店の奥の密談をいちいち盗み聴いていた。
「それで、これから何(ど)うしようと云うのだ。どうしても斯(こ)うしちゃあいられないのか」
「随分いろいろに趣向もして見たけれど、向うに荒神(こうじん)さまが付いているんでね。今夜という今夜はもうどうにもしようがないと見切りをつけて、おまえさんのところへ駈け付けた訳なんですから、その積りで度胸を据えてくださいよ」
「だが、うっかり姿を隠したら猶(なお)こっちに疑いがかかる訳じゃあないか」と、男はまだ躊躇しているらしく答えた。
「それがいけない。未練よ」と、女は焦(じ)れるように云った。「疑いがかかるどころじゃない。もうすかりと種をあげられてしまったんだから、うろうろしちゃあ居られないんですよ。お前さん、鈴(すず)ケ森(もり)で獄門にかけられて、沖の白帆でも眺めていたいのかえ」
「よしてくれ。聞いただけでも慄然(ぞっ)とする。そりゃああたしだって斯うなったら仕方がない。そうして、これからどこへ行く積りだ」
「駿府(すんぷ)の在(ざい)にちとばかり識(し)っている人があるから、ともかくもそこへ頼って行って、ほとぼりの冷めるまで麦飯で我慢しているのさ。お前さん、どうしても忌(いや)かえ」
「いやという訳じゃあないが、毒食わば皿で、そう度胸を据えるくらいならば、こっちにもまた路用や何かの都合もある。五両や十両の草鞋銭(わらじせん)でうかうか踏み出すのはあぶないからね」
「五両や十両……」と、女は呆(あき)れたように云った。「お前さん。たったそれぎりかえ。だから、さっきもあれほど念を押して置いたんじゃありませんか。嘘、きっと噓に相違ない。お前さん、もつと持っているんだろう。お見せなさいよ」
「いや、まったく十両と纏(まと)まっていないのだ。じゃあ、斯うしてくれないか。ここに八両と少しばかりある。これだけ持って、おまえはひと足先へ行ってくれないか。わたしはいったん家へ帰って、あと金(がね)を都合してから追っ掛けて行く。なに、嘘じゃあない、きっと行く」
「いけない、いけない」と、女は嘲(あざけ)るようにまた云った。「そんなことを云ってうまく誤魔化して、十両にも足りない手切れ金で、あたしを体(てい)よく追っ払おうとしても、そうは行きませんよ。あたしのような者に魅(み)こまれたのが因果で、あたしはあくまでもお前さんを逃がしゃあしませんよ」
「いや、決してそんな訳じゃあないが、まったく五両や十両じゃあしようがない。いや、隠しているんじゃない。疑うなら出してみせる」
話し声はひとしきり跡切(とぎ)れて、暗いなかで金をかぞえているらしい音が微かに聞えたかと思うと、だしぬけに床几の倒れるような物音が響いた。つづいて男の唸り声もきこえたので、半七は隣りの葭簀を跳(は)ねのけて出ると、出あいがしらに女と突き当った。女は転げるように往来へ駈けてゆくのを、半七は跣足(はだし)になって追いかけた。二、三間のうちに追い付かれて、食いついたり、引っ掻いたりして必死に反抗した女は、とうとう泥だらけになって土の上に引き伏せられた。彼女(かれ)は云うまでもない、お定であった。
吉助は茶店のなかに縊(くび)られていた。お定は番屋へ引っ立てられると、もう尋常に覚悟を決めてしまったらしく、何もかも素直に白状した。
お定は以前板橋(いたばし)で勤め奉公をしていた者で、かの石原の松蔵の情婦(いろ)であった。土地の大尽(だいじん)を踏み台にして身請(みう)けをされて、それから松蔵のところへ逃げ込んで、小一年も一緒に仲よく暮らしているうちに、男は詮議がだんだんにむずかしくなって来たので、女にも因果をふくめて、いったん江戸を立退(たちの)こうとするところを、高輪で室積藤四郎の手に捕われた。それに加勢して草履を投げた伊勢屋のお駒はご褒美を賜わった。その評判が江戸じゅうに伝わると、お定は男の不運を悲しむと共に、伊勢屋のお駒を深く怨(うら)んだ。捕り方は役目であるから是非もないが、素人のお駒が要(い)らざる加勢をしたために、男は遂に逃げ損じたのである。彼女は松蔵が死罪ときまった日に、お駒に対する根強い復讐(ふくしゅう)の決心をかためた。男の死体をひそかに引取って、自分の菩提寺にそっと埋葬して貰って、その命日にはかならず参詣していた。
相手が勤めの女である以上、彼女に近寄るには伊勢屋へ入り込むよりほかはないので、勤めあがりのお定はすぐに下新造(したしん)に住む込むことを考えた。伝手(つて)を求めて伊勢屋の奉公人になってから、彼女は努めてお駒の気に入るように仕向けて、やがて姉妹(きょうだい)同様に親しくなった。彼女は松蔵の顔に投げ付けたという大切の重ね草履をお駒にみせて貰った。こうして仇に近寄る機会は十分に作られたのではあるが、彼女は更にどういう手段を取るべきかを考えた。なにを云うにも人目の多い場所であるのと、自分の犯跡を晦(くら)ましたいという弱味があるので、彼女は容易に手をくだす機会を見いだし得ないで苛々(いらいら)しているうちに、彼女に取っては都合のいい相手があらわれた。それは下総屋の番頭の吉助であった。
吉助はお駒の馴染客であるので、無論にお定とも心安くしていた。心安いばかりでなく、それ者(しゃ)あがりのお定の年増姿が彼の浮気を誘い出して、お駒がほかの座敷へ廻っているあいだに、時どきに飛んだ冗談を云い出すこともあった。胸に一物(いちもつ)あるお定は結局彼になびいて、宿(しゅく)の或る小料理屋の奥二階を逢曳きの場所と定めていた。客のひとりを自分の味方に抱き込んで置かないと、目的を達するのに不便だと云うことを彼女はふだんから考えていたからである。斯うしてまず味方が出来た。しかもその味方が三月十二日の夜、月こそ変れ松蔵が召捕られた当日に遊びに来たので、今夜こそはとお定は最後の覚悟をきめて、座敷の引けない間に努めて吉助とお駒に酒をすすめた。
二階じゅうが大抵寝静まった時刻をうかがって、お定はそっとお駒の部屋へ忍び込んだ。正体なく眠っている仇の枕もとへ這い寄って、そこに有り合せた細紐で力まかせに絞め殺した途端に、そばに寝ていた吉助が眼をさました。おどろいて声を立てようとするのを彼女は制して、このことは決して他言してくれるなと泣いて頼んだ。余人でないお定の頼みに、気の弱い吉助は当惑した。彼は迷惑でもあり、また怖ろしくもあった。もし他言すれば、あたしの口ひとつでお前もきっと同罪に陥してみせるとお定は泣きながら彼を嚇(おど)した。吉助はもう頭が眩(くら)んでしまって、結局お定の指尺(さしがね)通りに動くことになった。お定は箪笥のひきだしから服紗につつんだ彼(か)の草履を取出して、その片足を欞子窓から海へ投げ込んで、残る片足を袖の下にかかえて立ち去った。それから少し間を置いて、吉助は顫え声で人を呼んだ。
こうして、復讐の目的も遂げた。犯罪の痕跡もどうやらこうやら晦(くら)ましたのであるが、お定の不安はまだ容易に去らなかった。海に投げ込んだ草履の片足を半七に発見された時に、彼女はじぶんの潔白を粧(よそお)うために、わざとお駒の物であることを証明したが、どうもそれでも落着いていられないので、更に苦しい知恵を絞り出して、お駒とは比較的仲のよくないお浪という女をそそのかした。彼女はお浪がふだんから病身に悩んでいるのを幸いに、うまくそそのかして駈落をさせて、あたかもお浪がその犯人であるかのように疑わせ、事件をいよいよこぐらかそうと試みたが、その小刀細工も失敗に終ったらしく、半七はあくまでも自分に眼をつけているらしいので、うしろ暗い彼女はもう居たたまれなくなった。
彼女は江戸を立退くについても路銀が必要であった。もう一つには、吉助が何を喋(しゃ)べるかも知れないという不安もあるので、彼女は吉助に路銀を才覚させて、一緒に連れて逃げるつもりで、下総屋からそっと吉助をよび出して、今夜高輪で落合う約束をして来たのであるが、相手は思ったほどの金を持って来なかった。さりとて自分の秘密を知っているたったひとりの彼を、江戸に残して置くのはどうも不安に堪えないので、お定は不意に自分の手拭を相手の首にまきつけて、お駒とおなじように押し付けてしまった。
「亭主の敵(かたき)を取ったら、なぜ神妙に名乗って出ない」
奉行所でこう訊問された時に、彼女は涙をながして答えた。
「わたくしが此の世に居りませんと、もう誰も松蔵の墓参りをしてくれる者がございませんから」
夫のかたきを討つ――この時代に於いては大いに憐憫(れんびん)のご沙汰を受くべき性質のものであった。事情によっては或いは無罪になるかも知れなかった。しかし彼女は罪人の妻で、人を怨むのは逆恨(さかうら)みである。殊に上(かみ)に対してご奉公を相勤めた伊勢屋のお駒を殺したのである。お駒ばかりでなく、吉助までも手にかけている。その罪重々であると云うので、お定は引廻しの上で獄門に晒(さら)された。


「これまでにも密訴した者に仕返しをすると云うことは時どきにありましたが、それは悪党の仲間同士に限ることで、召捕りの助勢をした素人に対して仕返しをするなどと云うのは珍しいことでよ」と、半七老人は云った。「殊(こと)にそれが女だから驚きます。今までの話で大抵お判りでしたろうが、わたくしは最初からお定に眼をつけていたんです。石垣の下で拾ったお駒の草履は、その鼻緒のまがった足癖と、底の減り工合とで、右の足に穿き慣れたものだと云うことはすぐに判りました。お駒が松蔵に投げたのは左の草履で、その肝腎の左の方が見えなくなって、右のだけが捨ててあるのはちっと可怪(おかし)い。潮に引残されたなら論はないが、さもなければ何か草履に縁のある――つまり松蔵に縁のある奴がお駒に仕返しをして、右の足だけをそこに打っちゃって置いて、左の方だけを持って行ったんじゃないかと、わたくしはふっと考え出したんです」
「そこで、張子の虎の方はどうなんです」と、わたしは訊いた。
「お駒の枕もとに置いてあった張子の虎、これも松蔵になにか縁があるんじゃないかと、子分の多吉に云いつけて奉行所の申渡書を調べさせると、石原の松蔵は天保(てんぽう)元年の庚虎(かのえとら)年の生れということが判りました。寅の男と、張子の虎、これもなるほど縁がある。こうなると松蔵になにか引っかかりのある奴がお駒を殺して、松蔵の位牌(いはい)代りに張子の虎を置いて行ったのじゃないかとも鑑定されます。この二つの証拠が揃ったので、もっぱら松蔵に係り合いのある奴を探索にかかりましたが、下手人(げしゅにん)はどうも外から入り込んだ形跡がない。その晩の客か、家内の者か、その判断がよほどむずかしいのですが、お定という下新造がお駒と特別に仲良くしていたと云うのが却(かえ)って疑いのかかる本(もと)で、もう一つには、松蔵が処刑になった後から伊勢屋に住み込んだものはお定一人しかないと云うのが手がかりで、だんだんにその身分を洗いあげているうちに、前にお話し申したような順序で、とうとう本人を引挙げてしまったんです。伊勢屋の仏壇にしまって置いた張子の虎はやはりお定が盗み出したもので、ほとぼりのさめた頃にそっと松蔵の墓に埋めて来る積りであったそうです。いよいよ処刑になる時に、当人が最後の願いを聞きとどけられて、お定は紙でこしらえた数珠のはしに其の小さい虎をぶら下げて、自分の首にかけながら引廻しの馬の上に乗せられました」

この著作物は、1939年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物はアメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。