半七捕物帳 第三巻/小女郎狐

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小女郎狐(こじょうろぎつね)[編集]

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なにかのことから大岡政談(おおおかせいだん)の話が出たときに、半七老人は云った。
「江戸時代には定まった刑法がなかったように考えている人もあるようですが、それは間違いですよ。いくら其の時代だからと云って、芝居や講釈でする大岡捌(さば)きのように、なんでも裁判官の手心(てごころ)ひとつで決められてしまっちゃあ堪(た)まりません。勿論、多少は係りの奉行の手心もありますけれども、奉行所には一定の目安書(めやすがき)というものがあって、すべてそれに拠って裁判を下(くだ)したもので、奉行の一料簡(いちりょうけん)で殺すべきものを生かすなんて自分勝手のことは、なかなか出来ないような仕組みになっていたんです。それは昔も今も同じことです。しかしその目安書というのが今日の刑法などに比べると余ほど大づかみに出来ていますから、なにか毛色の変った不思議な事件が出来(しゅったい)すると、目安書だけでは見当が付かなくなって、どんな捌きを下(くだ)していいのか、係りの役人どもはみんな頭を痛めてしまうんです。そこらが名奉行とぼんくらとの岐(わか)れるところで、大岡越前守(おおおかえちぜんのかみ)や根岸肥前守(ねぎしひぜんのかみ)はそういう難問題をうまく切り捌いたのでしょう。江戸の町奉行所でさえその通りですから、まして諸国の代官所――それは諸国にある徳川の領地、俗に天領(てんりょう)と云うところを支配しているので、その土地の出来事は皆この代官所で裁判することになっていたんです。――そこでは、とてもむずかしい捌きなどは出来ないし、又うっかりした捌き方をして、後日(ごじつ)に譴責(けんせき)をうけるようなことがあっても困るので、少し手にあまるような事件には自分の意見書を添えて『何々の仕置可申付哉(もうしつくべくや)、御伺(おうかがい)』といって、江戸の方までわざわざ問合せて来る。それに対して、江戸の奉行所から返事をやるのを『御差図書(おさしずがき)』と云います。つまり先方の意見に対して、その通りとか、再吟味とか、あるいは奉行所の意見を書き加えてやるとかするので、それに因って初めて代官所の裁判が落着(らくちゃく)するんです。死罪のような重い仕置は勿論のこと、多寡(たか)が追放や棒敲(ぼうたた)きぐらいの軽い仕置でも、その事件の性質に因っては江戸までいちいち伺いを立てたもので、くどくも云う通り、いくらその時代だからと云って、人間ひとりに裁判を下すと云うことは決して容易に決められるものではなかったのです
いや、飛んだ前置きが長くなりましたが、その代官所からわざわざ伺いを立てて来るほどのものは、いずれも何か毛色の少し変った事件ですから、江戸の奉行所でも後日の参考のために『御仕置例書(おしおきれいがき)』という帳面に書き留めて置くことになっていました。勿論、これは係りのほかに他見を許されないことになっているんですが、わたくしを贔屓(ひいき)にしてれくる吟味与力(ぎんみよりき)から貸して貰って、ちょっと珍らしいと思う物だけを少し書きぬいて置きました。そうそう、そのなかに小女郎狐という変った事件がありましたから、お話し申しましょう。この事件は『御仕置例書』の日付けによると寛延(かんえん)元年九月とありますから、今からざっと百七十何年前、かの忠臣蔵の浄瑠璃が初めて世に出た年のことですから、ずいぶん遠い昔のことですよ」


御仕置例書にはいずれも国名と村名とを記してあるだけで、今日のように郡名を記していないので、ちょっと調べるのに面倒であるばかりでなく、その当時とは村の名の変っているのもあるので、その方角を見定めるのはいよいよ困難であるが、ともかくも『御仕置例書】には下総国(しもうさのくに)新石下村(しんいしげむら)とある。寛延元年九月十三日夜の亥(い)の刻(こく)(午後十時)から夜明けまでのあいだに、五人の若い男が即死、二人は半死半生という事件が出来(しゅったい)したので、村じゅうは大騒ぎになった。
場所は庄屋茂右衛門(もえもん)が持(もち)の猪番(ししばん)小屋で、そこには下男(げなん)の七助(しちすけ)というのが住んでいた。猪番小屋といえば何処(どこ)でも小さい狭いものであるが、これはともかくも人の住めるだけには出来ていたらしく、番人の七助は夜も昼もそこを自分の家にして、昼は野良(のら)かせぎの手伝いに日を暮らし、夜はそこで猪の番をしていた。七助はまだ十九の若い者であるので、村の若い者たちはそこをいい遊び場所にして、毎晩のように寄りあつまって馬鹿話に夜をふかすばかりか、悪い手慰(てなぐさ)みなどもするという噂󠄀であったが、主人の茂右衛門は別に咎めもしないで捨てて置いた。
事件の起った晩に集まったのは、佐兵衛(さへえ)、次郎兵衛(じろべえ)、弥五郎(やごろう)、六右衛門(ろくえもん)、甚太郎(じんたろう)、権十(ごんじゅう)の六人で、今夜は後(のち)の月見というので、どこからか酒や下物(さかな)を持ち込んで来て、宵から飲んで騒いでいた。
「猪番なんぞはどうでもいい。猪の奴め、この騒ぎにおっ魂消(たまげ)て滅多に出て来るもんじゃあねえ」
こんなことを云って、万人の七助をはじめ、六人の者もさんざんにしゃべて、騒いで、いい心持に酔い倒れてしまった。畑のなかの一軒家ではあるが、かれらの笑い騒ぐ声が亥の刻頃まで遠くきこえたのを村の者は知っていた。しかしその夜が明けても猪番小屋の戸は明かなかった。いつも早起きの七助が今朝は起きて来(こ)ないのを怪しんで、庄屋の家の者が見まわりに来ると、表の戸は閉め切ってあって、戸の隙間(すきま)から眼にしみるような煙が流れ出していた。いよいよ可怪(おかし)く思って戸をあけると、狭い小屋の中から薄黒い煙りが一度にどっと噴き出して来て、一時は眼口(めくち)もあけられない程であった。もともと狭い小屋のなかに、大の男が七人も重なり合って倒れているのであるから、ほとんど足の踏みどころもない。それをいちいち呼び起すと、かすかに返事をしたのは甚太郎と権十の二人だけで、番人の七助と佐兵衛、次郎兵衛、弥五郎、六右衛門の五人はもう息が絶えていた。ほかの二人も半死半生であった。
小屋主(ぬし)の茂右衛門は勿論、村じゅうの者が駈けつけていろいろ介抱したが、どうにかこうにか正気づいたのは、やはり甚太郎と権十の二人だけで、ほかの五人はどうしても生きなかった。生き返った二人の話によると、かれらは正体もなく酔い倒れてしまったので、何事も知らない。夢うつつのように何だか無闇(むやみ)に息苦しくなったと思いながら、身動きすることも出来なかったと云うのである。初めは何か食い物の毒あたりではないかという説もあったが、だんだんに調べてみると、炉のなかには松葉を焚いたらしい灰うず高く積っている。焼け残った青い松葉もそこらに散っている。かれらは夜寒(よさむ)を凌ぐために焚火をして、その煙りに窒息(ちっそく)したのではないかとも思われたが、ふたりは松葉などを燃やした覚えはないと云い張っていた。夜がふけて雨戸をしめたのは知って居るが、炉のなかに木の葉など炙(く)べたことはない、第一この小屋のなかには青い松葉などを積み込んであるのを見たことがないと云った。
しかしこの炉に松葉をくべた証拠はありありと残っている。しかもおびただしい松葉を積みくべたのは、そのうず高い灰を見ても知られた。更に調べてみると、松葉ばかりでなく、靑唐辛(あおとうがらし)をいぶした形跡もある。七人の男が正体もなく寝入っている隙をうかがって、何者かがこの小屋に忍び込んで、靑松葉や青唐辛のたぐいを炉に積みくべて、かれらをいぶし責めに責め殺したのであろう。狐つきの病人から狐を追い出そうとして、病人をむごたらしい松葉いぶしにして、とうとうそれを責め殺してしまったと云うような話は、江戸にも田舎にも時どきに伝えられるが、これは単に酔い倒れている男七人を松葉いぶしにしたのである。あまりの怖ろしさ人びとも顔を見あわせた。
場所が猪番の小屋であるから、それが盗みの目的でないことは判り切っていた。さりとて七人が七人、揃って人の恨みを受けそうもない。勿論、そのなかには何の罪もなっく傍杖(そばづえ)の災難をうけた者もあるかも知れないと、庄屋の茂右衛門が先に立っていろいろに詮議したが、差しあたり是れという心あたりも見いだされなかった。そのうちに誰が云い出すともなっく、それは狐の仕業(しわざ)であるという噂󠄀が伝えられた。
昔からこの土地には、小女郎狐というのが棲んでいて、いろいろの不思議をみせると云い伝えられている。ある時には美しい女に化けて往来の人をたぶらかすこともある。美少年にも化ける、大入道にも化ける。あるときには立派な大名行列を見せる。源平屋島(やしま)の合戦を見せる。こういう神通力(じんつうりき)をもっている狐であるから、土地の者も「小女郎さん」と畏(おそ)れうやまって、決して彼女(かれ)に対して危害を加えようとする者もなかった。ところが、今から五、六日ほど前に、この畑で猪を捕るために掘ってある陥穽(おとしあな)のなかに小さい狐が一匹落ちて迷っているのを発見して、番人の七助とあたかもそこに来あわせた佐兵衛、次郎兵衛、弥五郎、六右衛門との五人がすぐにその狐の児を生捕(いけど)って、いたずら半分に松葉いぶしにして責め殺したことがある。おそらく彼(か)の小女郎狐の眷族(けんぞく)であって、その復讐のためにかれらもまた松葉いぶしのむごたらしい死を遂げたのであろう。その証拠には直接に手をくだした五人は命をとられて、無関係の二人は幸いに助かった。それらの事情から考えると、どうしてもこれは人間の仕業でなく、たしかに狐の祟(たた)りに相違ないという説がだんだんに有力になって来た。
役人の検視も一応に済んで、五人の死骸は村の高厳寺に葬られた。ここらの葬式は夜であったが、その宵に無数の狐火が寺のうしろの丘の上に乱れて飛んでいるのを見た者があった。


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「どうも朝夕はめっきり冷たくなりました」
八州廻(はっしゅうまわ)りの目明(めあかし)の中でも古狸の名を取っている常陸屋(ひたちや)の長次郎(ちょうじろう)が代官屋敷の門をくぐって、代官の手附(てつき)の宮坂市五郎(みやさかいちごろう)に逢った。長次郎はその頃もう六十に近い男で、絵にかいた高僧のように白い眉を長く伸ばしていた。
「やあ、常陸屋か。だんだんと日が詰まって来るな」と、市五郎は玄関に近い小座敷で彼と向い合った。
「なにかとお忙がしいでございましょうね」と、長次郎は会釈(えしゃく)して筒提の煙草入れを取出した。「早速でございますが、何か新石下の方にご検視があったそうで……。わたくしは親類に不幸がございまして、きのうまで土地を留守にして居りましたもんですから、一向(いっこう)に様子が判りませんのでございますが……」
「検視は八州の方で取扱ったので、わたしもよくは知らないが、その顛末(てんまつ)だけは詳(くわ)しく知っている。新石下の百姓どもが五人死んで、ふたりは生き返った」
松葉いぶしの一件を市五郎からくわしく説明されて、長次郎は顔をしかめた。彼は煙草を一服すってしまって、徐(しず)かに云い出した。
「なんだか妙なお話ですね。小女郎狐と云うことはわたくしも前から聞いては居りますが、その狐がかたき討に五人の男を殺すなんて、今の世の中にゃあちっと受取れませんね。それこど眉毛に唾(つば)ですよあなたのお考えはいかがです」
「わたしにも別に考えはない」と、市五郎は困ったような顔をしていた。「ほかに詮議のしようもないらしいので、まずそれに決めてしまったのだが、烟(けむ)にむせて死んだには相違ない。狐の祟りはどうだか知らないが、松葉いぶしはほんとうだ。生き残った二人はそんな覚えがないと云うけれども、自分たちが火を焚いたのを忘れているのだろう。なにしろ正体もないほどに酔っていたと云うからしようがあるまい」
「下手人(げしゅにん)はあるじゃありませんか」と、長次郎は笑った。「小女郎狐という立派な下手人があるんでしょう」
市五郎は苦笑(にがわら)いをしていた。
「ねえ、宮坂さん」と、長次郎はひと膝すすめた。「及ばずながらわたくしがその小女郎狐を探索しようじゃございませんか。狐はきっとどっかにいますよ」
「むむ。こっちが古狸で、相手が狐、一つ穴だからな」
「洒落(しゃれ)ちゃあいけません。真剣ですよ。ともかくも古狸の狐狩というところで、常陸屋の働きをお目にかけようじゃありませんか。いずれまた伺いますが、お代官様にもよろしくお願い申します」
市五郎に別れて出て、長次郎はその足で高厳寺へゆくと、そこらに群がって飛ぶ赤とんぼの羽がうららかな秋の日に光って、門の中にはゆうべの風に吹きよせられたいろいろの落葉が、玄関にかよう石甃(いしだたみ)を一面にうずめていた。庫裏(くり)をのぞくと、寺男の銀蔵(ぎんぞう)おやじが薄暗い土間で枯枝をたばねていた。
「おい、忙がしいかね」と、長次郎は声をかけた。「焚き物はたくさん仕込んで置くがいい。もう直き筑波(つくば)が吹きおろして来るからね」
「やあ、お早うございます」と、銀蔵は手拭の鉢巻を取って会釈した。「まったく朝晩は急に冬らしくなりましたよ。なにしろ十三夜を過ぎちゃあ遣り切れねえ。今朝なんぞはもう薄霜がおりたらしいからね」
「十三夜と云やあ、あの晩にゃあ飛んだことがあったそうだね。私もたった今、お代官所の宮坂さんから詳しいことを聞いて来たんだが、働き盛りの若けえのが五人も一度にいぶされちゃあ堪まらねえ。刈入れを眼のまえにひかえて、どこでも困るだろう。五人の墓はみんなこの寺内にあるんだね」
「そうですよ。先祖代々の墓がみんなこの寺内にあるんだからね。ところが、どうも困ったことが出来てね」
「なんだ。何が困るんだ」と、長次郎はそこに束(たば)ねてある枯枝の上に腰をおろした。
「小女郎狐がやっぱり悪戯(いたずら)をするらしい。毎晩のようにやって来て、五人の墓の前に立っている新しい塔婆を片っぱしから引っこ抜いてしまうんですよ。花筒(はなづつ)の樒(しきみ)の葉は掻きむしってしまう。どうにもおうにも手に負えねえ。初七日(しょなのか)を過ぎてまだ間もねえことだし、親類の人たちだって、誰が参詣に来ねえとも限らねえから、あまりこう散らかして置いてもよくねえと思って、毎朝わしが綺麗に直して置くと、毎晩根(こん)よく掻っ散らして行く。こっちも根負けがしてしまって、きのうも佐兵衛どんの兄貴が来た時にその訳をよく話して、もうそのままに打っちゃて置くつもりですよ。けさはまだ行って見ねえが、きっとやっているに相違ねえ。小女郎もあんまり執念ぶけえ。五人の命まで奪(と)ったら、もういい加減に堪忍してやればいいに……。生霊(いきりょう)や死霊とは違って、あの小女郎ばかりは和尚様の回向(えこう)でも供養でも追っ付かねえ。ほんとうに困ったもんですよ」
「村の者はみんな小女郎の仕業(しわざ)と決めているんだね」
「まあ、そうですよ」と、銀蔵は手拭で洟(はな)をこすりながら首肯(うなず)いた。「なにしろ子狐を責め殺したのが悪かったんですよ。死んだ者の親類の人たちもまあ仕方がねえと諦めていたんだが、その中でたった一人、今も云った佐兵衛どんの兄貴の善吉(ぜんきち)、あの男だけはまだそれを疑って、どうも狐の仕業(せい)じゃあるめえと云い張っているんだが、ほかにはなんにも証拠も手がかりもねえことだから、どうにもしようがねえ。どう考えても狐の仕業と決めてしまうよりほかはありますめえよ」
「そうさ。それにしても執念ぶかく墓をあらすのは良くねえな。なにしろ、その新ぼとけの墓というのを拝ましてくれねえか」
銀蔵に案内させて、長次郎は墓場の方へ行ってみると、かなりに広い墓場の入口にまず六右衛門の墓場を見いだした。墓の前には新しい卒塔婆(そとば)が立っていた。樒の花筒がすこし傾いているのは昨夜の風の為であるらしく、何者にか掻き散らされた形跡も見えなかった。銀蔵は怪訝(けげん)な顔をして眼を見はった。
「はてね。けさは何ともなっていねえぞ」
彼はあわてて石塔のあいだを駈けまわって、更に次郎兵衛の墓の前に出ると、ここにも卒塔婆や花筒が行儀よく立っていた。それから順々に見てまわると、ほかの三人の墓の前にも今朝はなんの異状もなかった。
」「こりゃ不思議だ。もう十日んもなるから、小女郎も堪忍してくれたかな」と、銀蔵はほっとしたように云った。
「きのうの朝はみんな倒してあったんだね」
「塔婆も花筒もみんな打(ぶ)っ倒してあったのを、わたしがいちいち立て直したんですよ」
「むむ」と、長次郎は新しい卒塔婆の一本に手をかけて、明るい日のひかりに透かして見た。彼は更に自分の足もとを見まわしながら云った。「お前、以前はずいぶん綺麗好きだったが、だんだんに年を取ったせいか、この頃はあんまり掃除が届かねえようだね。きのうここらを掃かねえのかね」
「きのうは葬式(とむらい)で、茶を沸かすやら、火を起すやら、わし一人でなかなかここらの掃除までは手が廻らなかたからねえ」と、銀蔵は笑っていた。
長次郎は落葉を踏みわけて、五人の墓の前の卒塔婆をいちいち見てあるいた。中にはそれを引抜いて、打ち返してじっと眺めているのもあった。彼は草履の爪先でうず高い落葉を蹴散らしあがら、墓のまわりの湿(しめ)った土の上をいつまでも見廻した。それが済んで引返そうとする時に、彼は隅の方に立っている小さい墓にふと眼をつけた。その前に立っている卒塔婆もあまり古いものではないらしく、花筒には野菊の新しい花がたくさんに生けてあった。長次郎は銀蔵に見かえって訊いた。
「あれはどこの墓だね」
「あれかね」と、銀蔵は伸び上がりながら指さした。「あれはおこよ坊の墓ですよ」
「花がたくさん供えてあるじゃあねえか。おこよと云うのはこのあいだ身を投げた娘だろう。違うかね」
「そうですよ。可哀そうなことをしましたよ」
ふたりの足はおのずとその墓の前に立った。
「おこよの死んだのっはいつだっけね」
「先月……ちょうど十五夜の晩でしたよ」
「十五夜か」と、長次郎はすこし考えていた。「いったいあの娘はどうして死んだんだ。いい娘だったという噂󠄀だが……」
「川のうちへ芒(すすき)を取りに行って滑り込んだと云うんだがね。世間じゃあいろいろのことを云いふらす者もあって、何がなんだか判らねえ」
「どんなことを云い触らすんだね」
云いながら長次郎は身をかがめて、又もやその墓のまわりを見廻していた。
「ほとけに疵(きず)をつうけるのはいけねえことだ」と、銀蔵は溜息をついた。「まして若けえ娘っ子に……。あんまり可哀そうで滅多(めった)なことは云われねえ」
彼は固く口をつぐんで、その以上のことは何にも云わなかった。長次郎は無理に訊き出そうともしなかった。銀蔵おやじの強情なことをよく知っている彼は、ここで無益の詮議をするよりも、おこよの死については幾らも探索の道があると思ったので、そのままに聞き流してこの寺を出た。


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「おや、親分さん。いらっしゃいまし」
茶店の女房は愛想(あいそ)よく長次郎を迎えた。茶店といっても、この村はずれに荒物屋と駄菓子屋とを兼ねている小さい休み茶屋で、店の狭い土間には古びた床几(しょうぎ)が一脚すえてあった。女房がすぐに持出して来た煙草盆と駄菓子の盆とを前において、長次郎は温(ぬる)い番茶を一杯のんだ。店の前には大きな榎(えのき)が目じるしのように突っ立って、おあつらえ向きの日除(ひよけ)になっていた。時候の挨拶や、この出来秋(できあき)の噂󠄀などが済んで、長次郎はやがてこんなことを云い出した。
「ねえ、おかみさん。御用でおれは時どきこっちへも廻って来るが、もともとこの村の落穂を拾っている雀でねえから、土地の様子はあんまりよく知らねえ。なんでも先月の十五夜の晩に、おこよと云ういい娘(こ)が川へ陥(はま)って死んだと云うじゃあねえか」
「ほんとうにあの娘は可哀そうなことをしましたよ」と、女房は俄かに眼を瞬(しばたた)いた。「村では評判の容貌(きりょう)よしで、おとなしい孝行者でしたが、十五夜の晩に芒を取りに出たばっかりに、あんなことになってしまって……」
「十五夜は朝から判り切っているのに、日が暮れてから芒を取りに出ると云うこともねえじゃねえか」と、長次郎は嘲笑(あざわら)うように云った。「あの娘は幾つだったね」
「十九の厄年です」
「十九といえばもう子供じゃあねえ。お月さまの顔を拝んでから芒を取りに行くほどにうっかりもいねえ筈だ。親孝行でも、おとなしくても、十九といえば娘盛りだ。おまけに評判の容貌よしと云うんだから、傍(はた)が打っちゃって置かねえだろう。あの娘が死んだのは、なんでもほかに訳があるんだと世間じゃあ專(もっぱら)噂󠄀しているが、おかみさんは知らねえのかね」
「親分さんもそんな事をお聞き込みでしたか」と、女房は相手の顔をじっと見つめた。
「世間の口に戸(と)は閉(た)てられねえ。粗相(そそう)で死んだのか、身をなげたのか、自然に人の知っているのさ。高厳寺でもそんなことを云っていたっけ」
「高厳寺で……。和尚さまですか、銀蔵さんですか」
「まあ、誰でもいい」と、長次郎はやはり笑っていた。「ねえおかみさんも知っているんだろう」
相手が御用聞である以上に、高厳寺から大抵のことを聞き出して来たらしいので、女房もうっかり釣り込まれて、訳も無しに長次郎の問いに落ちた。その話によると、おこよの死は不思議なことがその原因をなしているのであった。
おこよは四十を越えた盲目(めくら)の母とふたりで貧しく暮らしている娘であった。水呑百姓(みずのみびゃくしょう)の父はとうに世を去って、ことし十四になる妹娘のお竹(たけ)は、四里ほど距(はな)れたところに奉公に出ている。おこよは孝行者で、昼間は庄屋の茂右衛門の家(うち)へ台所働きに行って、夜は自分の家へ帰って近所の人の賃仕事などをして、何(ど)うにか斯(こ)うにか目の不自由な母を養っていたが、彼女(かれ)が容貌がいいのはここらでも評判であった。したがって、村の若い者どもからたびたびなぶられたり袖を曳かれたりしたこともあったが、おとなしい彼女は振り向いても見なかった。
そのうちに、彼女の身の上に思いもよらない幸運が向いて来た。彼女の孝行と容貌よしとが隣り村にもきこえたので、相当の家柄の百姓の家(うち)から嫁に貰いたいという相談を運んで来て、母も一緒に引取って不自由させまいと云うのであった。その媒介人(なこうど)はかの高厳寺の住職で、話はもう半分以上まで進行したときに、今度は思いもよらない不運が彼女の上に落ちかかって来た。それは実に飛んでもない話で、彼女は彼(か)の小女郎狐と親しくしているという噂󠄀であった。
おこよは用の都合で、暮れてから庄屋の家(うち)を出ることもあった。その帰り途で、彼女はここらにめずらしい寺小姓風の美少年に出逢って、暗い鎮守の森の奥や、ひと目のない麦畑のなかへ一緒に連れ立って行ったことがある。その美少年は小女郎狐か、もしくはその眷族(けんぞく)の化身(けしん)で、彼女は畜類と交わっているのであると云う奇怪の噂󠄀はだんだんに広まって来た。それが隣り村にもきこえたので、縁談は中途で行き悩みになった。さりとは途方もないことであると、高厳寺の住職はおどろいて怒って、その噂󠄀の主(ぬし)をしきりに詮議したが、確かにそれと取留めたこともないうちに、折角の縁談は毀(こわ)れてしまった。それから三日後の十五夜の晩に、おこよの死体は村ざかいの川しもに見いだされた。
若い美しい娘の死については何かの秘密がまつわっているであろうとは、長次郎も最初から大抵想像していたが、彼女の運命もまた小女郎狐に呪(のろ)われていようとはさすがに思いも寄らなかった。
「なるほど飛んでもねえ話だ」と、長次郎も溜息をついた。「しかし隣り村の家と云うのもあんまし遄(はや)まっているじゃあねえか。ほかの事と違って、嘘かほんとうかよく詮議して見たらよかろうに、それですぐに破談にしてしまうと云うのは可哀そうだ。それがために容貌よしの孝行娘を殺してしまったんだね」
「ほんとうにむごたらしいことをしましたよ」と、女房も鼻をつまらせた。「つまりあの娘の不運なんですよ。狐のことは嘘かほんとうか判りません。なにを云うにも相手が小女郎さんですから、どんなことをしないとも限りませんけれど……」
いずれにしても、おこよの死は悼(いた)ましいものであったと、女房は不幸にひどく同情していた。そして、更にこんなことを付け加えて話した。おこよを嫁に貰おうとしたのは、となり村の平左衛門(へいざえもん)という百姓の家で、彼女の夫となるべき平太郎(へいたろう)という忰は小女郎狐の噂󠄀を絶対に否認して、是非ともおこよを自分の妻にしたいと云い張ったが、父の平左衛門は首をかしげた。むかし気質(かたぎ)の親類どもからも故障(さしさわり)が出た。たといそれが嘘であろうとも、ほんとうであろうとも、仮りにもそんな忌(いま)わしい噂󠄀を立てられた女を迂闊(うかつ)に引入れると云うことは世間の手前もある。ひいては家名にも疵がつく。嫁はあの女に限ったことではない。そういう多数の議論に圧し伏せられて、平太郎はよんどころなしに諦めてしまったが、内心はなかなか諦め切れないでいるところへ、おこよの水死の噂󠄀が伝わったので、それは芒を取りに行った為のあやまちではない、その死因はたしかに縁組の破談にあると彼は一途(いちず)に認定した。その以来、彼はなんだか物狂わしいような有様となって、時どきに取留めもないことを口走るので、家内の者も心配している。現に二、三日まえにも鎌を持出して、これから小女郎狐を退治にゆくと狂いまわるのを、大勢がようよう抱き止めたと云うのであった。
「そうかえ」と、長次郎はまた溜息をついた。「そりゃあ困ったものだ。重(かさ)ねがさねの災難だね」
「やっぱり小女郎さんが祟っているのかも知れません」と、女房は怖ろしそうにささやいた。
「そればかりじゃありません。親分もご承知でしょうが、お庄屋さんの猪番小屋で五人も一緒に死ぬという、あれも唯事(ただごと)じゃありますまい」
云うときに店の前に餌を拾っている雀がおどろいたようにぱっと起ったので、長次郎はふろそっちに眼をやると、大きい榎のかげから一人の男が忍ぶように出て行った。長次郎はそのうしろ影を頤(あご)で指しながら小声で女房に訊いた。
「あの男は誰だえ。村の者だろう」
「善吉さんのようです」と、女房は伸びあがりながら云った「このあいだ、猪番小屋で死んだ佐兵衛さんの兄さんですよ」
「むむ、そうか」
長次郎はうなずきながらそっと店の先に出て、再び彼のうしろ姿を見送ると、善吉はなにか思案に耽っているらしく、俯向きがちにぼんたりと歩いて行った。うしろ姿から想像すると、彼はまだ二十四、五の若い者であるらしかった。寺男の銀蔵おやじの話によると、彼は弟の横死を狐の仕業と信じていないと云う。――その話を長次郎は今更のように思い出した。
「おかみさん。どうもいつまでもお饒舌(しゃべり)してしまった。だが、まあ気をつけねえ。お前のような年増盛りは、いつ小女郎に魅(み)こまれるかも知れねえ」
「ほほ、忌(いや)でございますよ。毎度ありがとうございました」
茶代を置いて、長次郎はそこを出た。この村にはほかに知っている家もないので、彼はもう一度代官の屋敷へ引返して、宮坂のところで午飯(ひるめし)を食わせてもらって、それから遠くもない隣り村へ出かけて行った。平左衛門の家の近所へ行って、よそながら平太郎の噂󠄀を聞くと、彼がこのごろ物狂わしくなったのは事実で、この月初めから二、三度も家を飛び出したことがある。世間の聞えをはばかって親たちはそれを秘密にしているが、自分の妻にと思い込んだ女が突然に悲惨の死を遂げると同時に、彼も取乱して本性を失ったのは、近所でもみな知っているとのことであった。平太郎はことし二十歳(はたち)で、ふだんがおとなしい男であるだけに、一時に赫(かっ)と取詰めたのであろうと云う者もあったが、大体に於いてはやはり彼(か)の小女郎の仕業という説が勝を占めていた。小女郎さんが魅(み)こんでいる女を横取りして自分の女房にしようとしたので、その祟りで女は執り殺された。平太郎にも狐が乗憑(のりうつ)って、あんな乱心の体たらくになったのであると、顔をしかめて囁(ささや)くものが多かった。
乱心して時どきに家を飛びだす男――すでに乱心している以上は何事を仕出来(しでか)すか判らない。長次郎は更に平左衛門の家の作男(さくおとこ)をそっとよび出して、主人の忰はこの十三夜の夜ふけに寝床をぬけ出して村境の川縁(かわべり)にさまよっていたのを、ようように見つけ出して連れ戻ったという事実を新しく聞き出した。その家は成程ここらでも相当の旧家であるらしく、古い門の内には広い空地(あきち)があって、大きい柿の実の一面に色づいているのも何となく富裕にみえた。作男と話しながら、長次郎は時どきに門の内を覗いていると、ひとりの若い男がどこからか不意にあらわれた。彼は跳(おど)りあがって長次郎の眼の前に突っ立った。
「さあ、一緒に来い。小女郎めを退治に行くから」
それが平太郎であることを長次郎はすぐに覚った。彼はつづいて叫んだ。
「小女郎ばかりでねえ。佐兵衛も六右衛門もみな殺してやる。あいつらは狐の廻し者だ。あと方もねえことを触れて歩きやあがって、おれの女房を狐の餌食(えじき)にしてしまやがった」
長次郎は笑いながら彼の蒼ざめた顔をじっと眺めていた。


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その晩、新石下の村でまた一つの事件が起った。かの善吉の妹のお徳(とく)が兄の寝酒を買いに出た帰り途に、田圃路(たんぼみち)で何者にか傷つけられた。善吉と佐兵衛とお徳とは三人の兄妹(きょうだい)で、彼女(かれ)はまだ十五の小娘であった。近ごろ中(なか)の兄を失って心さびしい彼女は宵闇の田圃路を急ぎ足にたどって来ると、暗いなかから何者かが獸(けもの)のように飛び出して来て、だしぬけに彼女の顔を掻きむしったので、お徳はきゃっと悲鳴をあげて、手に持っていた徳利を投げ捨てて逃げ出した。ようように家へころげ込んで母や兄に見て貰うと、彼女は頰や頸筋を滅茶苦茶に引っ掻かれて、その爪のあとには、生血(なまち)がにじみ出していた。
「狐の仕業(しわざ)だ。佐兵衛を殺したばかりでは気が済まねえで、今度は妹に祟ったのに相違ねえ」
こんな噂󠄀が又すぐに村じゅうにひろがった。これも寝明を買いに出た高厳寺の銀蔵は、途中でその噂󠄀を聞いて急に薄気味悪くなって、どうしようかと路ばたに突っ立って思案していると、不意にその肩を叩く者があった。ぎょっとして透かしてみると、頰かむりをした長次郎が暗い蔭に忍んでいた。
「おお、親分。お聞きでしたか、小女郎がまた何か悪さをしたそうで……」
「そんな話だ」と、長次郎はうなずいた。「ときにお前に無心がある。今夜はお前のところへひと晩泊めてくれねえか」
耳に口を寄せて囁くと、銀蔵も幾たびかうなずいた。
「判りました、わかりました。さあ、すぐにお出でなせえ」
「お前、どっかへ行くんじゃあねえか」
「寝酒を一合買いに行こうと思ったんだが、まあ止(よ)しだ」
「酒はおれが買う。遠慮なく行って来(き)ねえ」
「だが、まあ止そうよ」
「じいさんも狐が怖いか」と、長次郎は笑った。
「あんまり心持がよくねえ。おまけに今夜は闇だから」
銀蔵は長次郎と一緒に引返した。庫裏(くり)に隣った彼の狭い部屋に案内されて、長次郎は炉の前でしばらく世間話などをしていたが、やがて四ツ(午後十時)に近いことに、彼はふたたび手拭に顔をつつんで暗い墓場の奥へ忍んで行った。
宵闇空には細かな糠星(ぬかぼし)が一面にかがやいて、そこらの草には夜露が深くおりていた。大きい石塔のかげに這いかがんで、長次郎はしずかに夜のふけるのを待っていると、そよりとも風の吹かない夜ではあったが、秋ももう半ばに近いこの頃の夜寒(よさむ)が身にしみて、鳴き弱った蛼(こおろぎ)の声が悲しくきこえた。
半時(はんとき)あまりも息を殺していると、うしろの小さい丘を越えて、湿(しめ)った落葉を踏んで来るような跫音(あしおと)がかさこそと微かにひびいた。長次郎は耳を地につけて聞き済ましていると、その小さい跫音はだんだんにこちらへ近づいて、墓場の垣根をくぐって来るらしかった。垣根はほんの型(かた)ばかりに粗(あら)く結ってあるので、誰でも自由にくぐり込むことを長次郎は知っていた。星のひかりに透かしてみると、黒い小さい影は犬のように垣根をくぐって、一つの石塔の前に近寄ったかと思うと、その石塔の暗いかげから又ひとつの黒い大きい影が突然あらわれた。
大きい影は飛びかかって、小さい影を捻じ伏せようとするらしかった。小さい影は振り放そうと争っているらしく、二つの影は無言で暗いなかに縺(もつ)れ合っていた。やがて小さい影が組み伏せられたらしいのを見たときに、長次郎も自分の隠れ家から飛び出して、まずその大きい影を捕えようとすると、彼はそこにある卒塔婆を引きぬいて滅多なぐりに打ち払った。その隙をうかがって小さい影は掻いくぐって逃げようとしたが、大きい影はその摑んだ手を容易にゆるめなかった。長次郎に卒塔婆を叩き落されて、大きい影がそこに引据えられると同時に、小さい影も一緒に倒れた。袂から呼子の笛を探り出して、長次郎がふた声三声ふき立てると、それを合図に銀蔵が枯枝の大松明(おおたいまつ)をふり照らして駈け付けた。
松明の火に照らし出された二人の影の正体は、二十四、五の大男と十四の小娘であった。銀蔵はまずおどろいて声をあげた。
「あれ、まあ、善吉どんにお竹っ子か」
男は佐兵衛の兄の善吉であった。娘はかのおこよの妹お竹であった。自分の弟の松葉いぶしに逢ったのを小女郎狐の仕業と確信することの出来ない善吉は、その墓をあらす者も併(あわ)せて疑って、果してそれが狐であるか無いかを確かめる為に、彼は誰にも知らさずに昨夜もこの墓場に潜んでいると、夜の明けるまで何者も忍んで来る形跡はなかった。きょうの午前(ひるまえ)に、彼が村はずれの休み茶屋を通りかかると、茶屋の女房が客を相手に小女郎狐の噂をしていた。それがふと耳にはいったので、彼は店先の榎のかげに隠れて立ち聴きをしていると、隣り村の平太郎の噂󠄀が耳にはいった。それに就いては少し思い当ることもあるので、彼は松葉いぶしの下手人の疑いを平太郎の上に置いた。そうして弟の仇を捕るために、その方面にむかって探索しようと決心していると、その宵には妹のお徳が何者かに傷つけられた。重ねがさねの禍(わざわ)いに彼はいよいよ焦燥(いらだ)って、もう一度その実否(じっぴ)をたしかめるために、今夜もこの寺内に忍び込んで、長次郎よりひと足さきに墓場にかくれて、自分の弟の墓のかげに夜のふけるのを待ってたのであった。
さすがは商売人だけに、長次郎は跫音をぬすむのに馴れているので、善吉もそれには気がつかなかった。お竹の跫音はすぐに判ったので、彼はその近寄るのを待ちうけて、とうとう彼女を取押さえた。しかしその曲者が十四の小娘であったのは、彼に取っても意外の事実であったらしく、善吉はいたずらに眼をみはって、松明の下にうずくまっているお竹の姿を見つめていた。
「お前はここへなにしに来た」と、長次郎はまずお竹に訊いた。
「姉の墓参りに……」
「そんななぜ垣をくぐって来た」
「お寺のご門がもう閉まって居りましたから」と、お竹は小声ながらはっきりと答えた。
「むむ、子供のくせになかなか悧巧(りこう)だな」と、長次郎は笑った。「よし、判った。ぞれじゃあこっちへちょいと来い」
彼はお竹を弥五郎の墓の前に連れて行って、一本の新しい卒塔婆をぬいて見せた。銀蔵もあとから付いて来て松明をかざした。
「おい、お竹。お前の手を出してみろ」
「はい」
何ごころなく差出す彼女が右の手をぐっと引っ摑んで、長次郎は卒塔婆の上に押し付けた。
「さあ、悪いことは出来ねえぞ。この塔婆にうすく残っている泥のあとを見ろ。泥のついた手でこの塔婆をつかんで引抜いたから、指のあとがちゃんと付いている。どうも子供の手の痕らしいと思ったら、案の通りだ。てめえ、毎晩この墓場へ忍んで来て、当場を引っこ抜いたろう。花筒を掻っ散らしたろう。さあ、白状しろ。まだそればかりでねえ、てめえは庄屋の猪番小屋へ行って何をした」
お竹はだまって俯向いていた。
「さあ、素直に云え」と、長次郎は畳かけて云った。「てめえはなんの訳で墓あらしをしたんだ。いや、まだほかにも証拠がある。この五人の墓のまわりに小さい足跡が付いていることも昼間のうちにちゃんと見て置いたんだぞ。いくら強情を張っても、墓あらしはもう手前とは決まっているが、猪番小屋の方はどうだ。これもたしかにてめえだろう。さあ、神妙に申立てろ。さもないとおふくろを代官所へ引摺って行って水牢へ叩き込むが、いいか」
お竹はわっと泣き出した。
「もう仕方がねえ。おまえ、覚(おぼ)えのあることなら、親分さんの前で正直に云ってしまう方がよかろうぜ」と、銀蔵もそばからお竹に注意した。
長次郎はともかくも、善吉とお竹を庫裏の土間へ引立てて行った。そうして、だんだんに吟味すると、善吉が墓場に忍んでいた仔細は前にも云う通りの簡単なもんであったが、お竹がそこへ忍んで来たのには驚くべき事情がひそんでいた。庄屋の猪番に松葉と青唐辛とを積み込んで、番人あわせて五人の男をいぶし殺したのは彼女(かれ)の仕業であった。小女郎狐の正体はことし十四の少女であった。
もう逃(のが)れられないと覚悟したらしく、お竹は長次郎の前で何事も正直に申立てた。彼女は姉のかたきを取るために、男五人をむごたらしくいぶし殺したのであった。姉が変死の報(しら)せを受取って、彼女は四里ほど離れている奉公先から暇を貰って帰ってくると、盲目(めくら)の母はただ悲嘆に沈んでいるばかりで、くわしい事情もよく判らなかったが、姉のおこよが縁組の破談から自殺を遂げたらしいことは、年のゆかない彼女にも想像された。そればかりでなく、彼女は仏壇の奥から姉の書置を発見した。母は盲目でなんの気もつかなかったのであるが、お竹はすぐにそれに眼をつけて、とりあえず開封してみると、それは姉から妹にあてたもので、おこよの死因は明白に記されてあった。
おこよが隣り村へ縁付くことになったのを妬(ねた)んで、今まで自分たちの恋のかなわなかった若い者どもが、隣り村へ行って途方もないことを云い触らした。それは彼女が小女郎狐と親しくしているという噂󠄀で、彼女はもう狐の胤(たね)を宿しているとまで吹聴(ふいちょう)した。罪の深いこの流言が正直な人たちをまどわして、かれらが目論(もくろ)んだ通りおこよの縁談は無残に破れてしまった。それを云い触らした発頭人(はっとうにん)はかの七助をはじめとして、佐兵衛、次郎兵衛、六右衛門、弥五郎、甚太郎、権十の七人であった。おこよは自分の縁談の破れたのを悲しむよりも、人間の身として畜生と交わりをしたという途方もない事実を云い触らされたのを非常に恥て怨(うら)んだ。おとなしい彼女はもう世間に顔向けができないように思って、その事実の有無(うむ)を弁解するよりも、いっそ死んだ方が優(まし)であると一途(いちず)に思いつめた。彼女はその書置に七人のかたきの名を記(しる)して、姉の恨みをかならず晴らしてくれと妹に頼んで死んだ。
姉と違って勝ち気に生れたお竹は、その書置を読まされて身も顫(ふる)うばかりに憤った。あられもない濡衣(ぬれぎぬ)をきせて、たった一人の姉を狂い死にさせた七人のかたきを唯(ただ)そのままに置くまいと堅く決心したが、なにを云うにも相手はみな大の男である。ことし十四の小娘の腕ひとるで、容易にその復讐はおぼつかないので、しばらく忍んで時節を窺っているうちに、あたかも彼(か)の佐兵衛ら七人が十三夜の宵から猪番小屋にあつまったのを知って、彼女は小屋の外にかくれて彼らの酔い倒れるのを待っていた。しかし自分の小腕で七人の男を刺し殺すことはむずかしいと思ったので、彼女は俄かに松葉いぶしを思い立って、そこから松葉や青唐辛をあつめて来て、七人のかたきを狐か狸のようにいぶしてしまった。
お竹はその足ですぐに代官所へ名乗って出るつもりであったが、母のことを思い出してまた躊躇した。姉も自分もこの世を去っては、盲目の母を誰が養ってくれるだろう。それを思うと、彼女は命が惜しくなった。一日でも生きられるだけは生き延びるのが親孝行であると思い直して、彼女は人に覚(さと)られないのを幸いに自分の家へ逃げて帰った。
偶然に思いついた松葉いぶしが勿怪(もっけ)の仕合せで、世間ではそれを狐の祟りと信じているらしいので、彼女はひそかに安心していたが、それでもまだなんだか不安にも思われるので、それが確かに狐の仕業であると云うことを裏書きするために、彼女は更に高厳寺に忍んで行って、五人の墓をたびたびあらした。しかし五人の遺族のうちで、佐兵衛の兄だけは狐の仕業であるか無いかと疑っていると云う噂󠄀があるので、彼女はあくまでも狐であることを信用させるために、暗い田圃のなかに待ち受けていて、善吉の妹をも傷つけた。相手の顔を掻きむしったのも、狐の仕業と思わせる一つの手だてであった。乱心の平太郎がこの事件になんの関係もないことは明白であった。
「わたくしが生きて居りませんと、盲目の母を養うものがございません。もう一つには仇のうちで五人は首尾よく仕留めましたが、二人は助かりました。その二人を仕留めませんでは、姉の位牌に申訳がないと存じまして、今まで卑怯にかくれて居りました。それがためにいろいろお手数(てかず)をかけまして重々恐れ入りました」
お竹は悪びれずに申立た。


この捌きには、土地の役人どもも頭を悩まして、例の「御伺」を江戸へ差向けると、ひと月余りの後に「御差図書」が廻って来た。江戸の奉行所の断案によると、かの七人の者どもは重罪である。あと方もなき風説を云い触らして、それがためにおこよという女を殺したのは憎むべき所業である。殊(こと)に人間が畜生の交わりをしたなどと云うのは、人倫を紊(みだ)るの罪重々である。すでに死去したものは是非ないが、生き残った甚太郎と権十の二人には死罪を申付くべしと云うのであった。
お竹は幼年の身として姉のかたきを討ったのは奇特(きどく)のことである。一切(いっさい)お咎めのない筈であるが、彼女はその罪跡を掩(おお)わんがために、墓場をあらしたのと、罪もないお徳の顔を掻きむしったのと、この二つの科(とが)により所払いを申付ける。しかし盲目の母を引連れて流転(るてん)するのは難儀のことを察しられるから、村方一同は彼女に代って母の一生を扶持(ふち)すべしとあった。
これでこの一件も落着(らくぢゃく)した。人間の幸不幸は実にわからない。幸いにいぶし殺されるのを免れた甚太郎と権十とはいったん入牢(じゅろう)の上で、やがて死刑に行われた。
お竹は村を立退(たちの)いて、水戸の城下へ再び奉公に出た。盲目の母は高厳寺に引取られて、村方から毎年何俵かの米を貰うことになった。その以来、この村では小女郎狐の噂󠄀も絶えてしまった。

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