半七捕物帳 第四巻/お照の父

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お照の父[編集]

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「いつか向島(むこうじま)でお約束をしたことがありましたっけね」
「お約束……。なんでしたっけ」と、半七老人は笑いながら首をかしげていた。
「そら、向島で河童(かっぱ)と蛇の捕物の話。あれをきょう是非うかがいたいんです」
「河童……。ああ、なるほど。あなたはどうも覚えがいい。あれはもう去年のことでしたろう。しかも去年の桜どき――とんだ保名(やすな)の物狂いですね。なんしろ、そう強情におぼえていられちゃあ、とてもかなわない。こうなれば、はい、はい、申上げます、申上げます。これじゃあどうも、あなたの方が十手(じって)を持っているようですね。はははははは。いや、冗談はおいて話しましょう。ご承知の通り、両国(りょうごく)の川開きは毎年五月の二十八日ときまっていたんですが、慶応(けいおう)元年の五月には花火の催しがありませんでした。つまり世の中がそうぞうしくなったせいで、もうその頃から江戸も末になりましたよ」
老人は昔を偲(しの)び顔に話し出した。
「その二十八日の午(ひる)過ぎでした。いつもの年ならわたくしも子分どもを連れて、両国界隈(かいわい)を見廻らなければならないんですが、今年は川開きも見あわせになったと云うので、まあ楽ができると思って神田の家(うち)に寝ころんでいますと、一人の若い女が駈け込んで来たんです」


女は女房のお仙(せん)をつかまえて何か泣きながら話しているらしかったが、やがてお仙に連れられて半七の枕もとへ膝行(いざ)り込んで来た。起き直って見ると、それは柳橋(やなぎばし)のお照(てる)という芸妓(げいしゃ)の妹分で、お浪(なみ)という今年十八の小奇麗な女であった。
「やあ、浦島が昼寝をしているところへ、乙姫(おとひめ)さまが舞い込んで来たね」と、半七は薄ら眠いような眼をこすりながら笑った。「ことしは花火もご廃止と云うじゃあねえか。どうも不景気だね。だんだんに世の中が悪くなるんだから仕方がねえ。それでもいつもの日とは違うから、茶店は船宿(ふなやど)はちっとは忙がしかろう」
云いながらよく視(み)ると、柳橋の芸妓は島田を式(かた)のごとく美しく結いあげていたが、顔には白粉(おしろい)のあともなかった。自体がすこし腫れ眼縁(まぶち)のまぶたをいよいよ泣き腫らしていた。花火はなくともきょうは川開きという書入れの物日(ものび)に、彼女(かれ)はふだん着の浴衣のままで家を飛び出して来たらしかった。
「どうしたんだ。姉さんと何か喧嘩でもしたのか。この頃はもう何か出来たとか云う評判だから、それで姐さんと啀(いが)み合ったんじゃあねえか。そんな尻をおれの方へ持って来たって、辻番(つじばん)が違うぜ」と、半七はからかうように相手の顔をのぞくと、お浪は嫣然(にこり)ともしなかった。
「いいえ、お前さん。そんなどころじゃないんですとさ」と、お仙も顔をしかめながら云った。「姉さんが今、番屋(ばんや)に留(と)められたと云って、なあちゃんが泣き込んで来たんです。どうしたんでしょうねえ」
「ねえさんが番屋へあげられた」と、半七も団扇(うちわ)の手をやすめた。「なにかお客の引合いじゃあねえか」
「じゃあ、親分さんはまだご存じないんですか」と、お浪は眼を拭きながら云った。
「なんにも知らねえ。おめえの家(うち)に何かあったのかえ」
「お父(とっ)さんがけさ殺されたんですよ」
お浪の話によると、けさの六ツ(午前六時)前にお照の家の戸を軽くたたく者があった。朝寝坊の芸妓家では、台所に近い三畳で女中のお滝(たき)がようよう蚊帳(かや)をはずしているところであった。戸をたたく音を聞きつけて、お滝はすぐに入口へ出て行こうとすると、茶の間の六畳に寝ていたお照の父の新兵衛(しんべえ)が蚊帳の中から慌(あわ)てて呼び止めて、出てはいけない。明けてはいけないと、小声で叱るように云った。叱られてお滝も少しためらっていると、やがて表を叩く音はやんだ。と思うと、今度は裏口の方から跳(おど)り込んで来たものがあった。お滝が起きると、すぐに水口(みずぐち)の戸を一枚あけて置いたので、得体(えたい)のわからない闖入者(ちんにゅうしゃ)は薄暗がりの家の奥へまっしぐらに飛び込んで、新兵衛の蚊帳のなかへ鼠のようにくぐってはいった。年のわかいお滝は呆気(あっけ)に取られて眺めていると、かれは忽ち蚊帳から這い出して来て、もとの水口から駈け出してしまった。まだ起きたばかりで半分寝ぼけているお滝には、何がどうしたのか判らなかった。彼女(かれ)はしばらくは夢のように突っ立っていたが、なんだか少し不安にも思われるので、そっと茶の間へはいって蚊帳の中をのぞいて見ると、新兵衛の寝衣(ねまき)には紅(あか)い血が一面に沁み出していた。
腰を抜かさないばかりにびっくりして、お滝は二階へかけ上がった。二階には娘のお照と妹芸妓のお浪とが一つ蚊帳のなかに寝ているので、彼女は忙(いそ)がわしく二人の女を呼び起した。二人もおどろいて降りてみると、新兵衛は刃物で喉笛を切られてもう死んでいた。三人は一度に声をあげて泣き出した。朝寝の町もこの騒ぎにおどろかされて、近所の人たちもだんだんに駈けあつまって来た。町(ちょう)役人から式(かた)通りに変死の届けを出して、与力、同心も検視に出張した。
新兵衛は誰にどうして殺されたか、唯一(ゆいいつ)の証人は女中のお滝であるが、彼女は十七の若い女で、寝ぼけていたのと狼狽(うろた)えていたのとで、もちろん詳しいことはなんにも判らなかった。彼女が番屋で申立てたところによると、曲者は脊(せい)の低い小児(こども)のような怪物で、顔もからだも一面に黒かったのを見ると、おそらく裸体であったらしい。起って歩くかと思うと、這(は)ってあるいた。その以上にはお滝はなんにも記憶に残っていないとのことであった。しかしこんな奇怪なあいまいな申立てを、係りの役人は容易にほんとうとは受取らなかった。お滝はそのままに番屋に留められてしまった。
お照とお浪も無論に調べられた。お浪は仔細(しさい)ないと認められてひとまず釈(ゆる)されたが、お照は申口(もうちぐち)に少し胡乱(うろん)の廉(かど)があると云うので、これも番屋に留められた。これだけのことが決まったのは、その日もやがて午(ひる)に近い頃で、月番の行事(ぎょうじ)や近所の人たちがお照の家に寄り集っていろいろに評定を凝(こ)らしたが、差当りはどうすると云う分別の付かなかった。この上は然るべき親分の力を籍(か)りるよりほかはあるまいと云うので、お照もお浪もかねて半七を識(し)っているのを幸いに、お浪は着のみ着のままで神田まで駈け付けたのであった。
「そりゃあちっとも知らなかった。十手に対しても申訳がねえ」と、半七はすこし驚かされた。「なにしろ変なものが飛び込んだものだね。子供のような真っ黒なものかえ」
「お滝はそう云っているんです」と、お浪も腑に落ちないような顔をしていた。
「猿じゃありませんかね」と、お仙がそばから口を出した。
「やかましい。御用のことに口を出すな」
叱り付けて、半七はしばらく考えた。猿芝居の猿が火の見の半鐘を撞(つ)いて世間をさわがした実例は、彼の記憶にまだ新しく残っている。しかし猿が刃物を持って人を殺しに来るとは、作り話なら知らぬこと、実際には滅多(めった)にありそうもないように思われた。
「それにしても、姉さんはなぜ留められたんだ。云取り方が拙(まず)かったんだね」
「そうでしょう。留められると聞いたら、姉さんは蒼い顔をして黙っていました」
「ねえさんは一体どんなことを調べられた。おめえも一緒に行ったんだから、知っているだろう」
この問いに対して、お浪は捗々(はかばか)しい返事をしなかった。彼女(かれ)はお仙が出してくれた団扇を弄(いじ)くりながら、黙って俯向いていた。
「おい、何もかも正直に云ってくれねえじゃあいけねえ。姉さんが助かるのも助からねえのも、おめえの口一つにあることだ、なんでもみんな隠さず云って貰いてえ。姉さんはこの頃なにか親父(ちゃん)と折合いの悪いことでもあったんじゃあねえか」
「ええ。この頃は時どきに喧嘩をすることがあるんです」と、お浪はよんどころなしに白状した。
「情夫(れこ)の一件かえ」
「いいえ、そうじゃないんです」
「だって、姉さんには米沢町(よねざわちょう)の古着屋の二番息子が付いているんだろう」
「それはそうですけれど、喧嘩の基(もと)はそれじゃないんです。家(うち)のお父(とっ)さんが柳橋を引払って、沼津(ぬまづ)とか駿府(すんぷ)とか遠いところへ引っ越してしまおうと云うのを、姉さんが忌(いや)だと云って……」
「そりゃあ忌だろう」と、半七はうなずいた。「なぜまた、おめえのところの親父(ちゃん)はそんな可怪(おかし)なことを出しぬけに云い出したんだ。なにか訳があるだろう」
「それは判らないんですが、ただ無闇(みやみ)にこの土地にいるのは面白くないと云って……。それで姉さんとたびたび喧嘩をしているんです。あたしも中へはいって困ったこともありますが、なぜ引っ越すんだか、その訳が判らないんですもの。良いとも悪いとも云いようがありません」
「おかしいな。すると、その矢先に親父が殺されたんで、姉さんが……。まさかに自分が手をくだしもしめえが、何かそれに係り合いがあるだろうと見込みをつけられたんだね。まあ、無理もねえところだ。おれにしてもまずそんなことを考える。そこで古着屋の二番息子はまだ呼ばれなかったかえ」
「呼びに行ったんでしょう。ですけれど、ゆうべから何処(どこ)へか行って、まだ帰らないんだそうです」
「あの息子は何とか云ったっけね」
「定(さだ)さんと云うんです」
「違げえねえ。定次郎(さだじろう)と云うんだね。その定次郎はゆうべから帰らねえか」
半七は腕を拱(く)んだ。どういう仔細があるか知らないが、おやじの新兵衛は土地を売って他国へ行こうと云う。娘のお照は江戸を離れるのが忌(いや)なのと、もう一つには情夫(おとこ)と別れるのが辛(つら)いのとで、どうしても行かないと駄々をこねる。親子喧嘩がたびたび続く。その挙げ句に新兵衛が何者にか寝込みを襲われて殺された。こう煎じ詰めてくると男と女とが共謀か、それとも男ひとりの料簡(りょうけん)か、どっちにしてもその下手人(げしゅにん)は、かの定次郎らしく思われるのが、誰の眼にも映る暗い影であった。それに正直に白状しないために、お照は番屋に留められたのであろう。半七もその以上には、差し当って目串(めぐし)のさしようがなかった。
ただ、ここに一つの疑問として残っているのは、なぜ彼(か)の新兵衛が住み馴れた柳橋の土地を立退(たちの)いて、沼津とか駿府とかの遠い国へ引っ込もうと云うのか。半七はその仔細を知りたかった。


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「おめえは一つ家(うち)にいるんだから、何もかも残らず知っている筈だが、おめえのところの親父(ちゃん)は人から怨まれるような覚えがあるかえ」と、半七はまた訊(き)いた。
むかしは知らないが、今は決してそんな事はないとお浪は確かに云い切った。お父(とっ)さんが正直で、情けぶかい人であることは近所の人たちがみんな能(よ)く知っている。月の四日にはきっと両国の橋番の小屋へ行って、放生鰻(はなしうなぎ)をして帰るのを例としている。神まいりにも行く。寺詣りにもゆく。それで博奕(ばくち)は打たず、酒は飲まず、こうした稼業には似合わないくらいの堅気な結構人である。もしも家(うち)のお父さんを怨む人があれば、それは外道(げどう)の逆恨(さかうら)みか、但(ただ)しは物の間違いでなければならない。しかし今度の殺され方を見ると、どうしても物盗(ものと)りではない、意趣斬りであるらしい。それが自分には判らないと彼女は云った。
「それほど結構な人間なら、土地にいられないような不義理をした訳もあるめえに、折角売れ出した娘を無理に引摺って、なぜ草深いところへ引っ込む気になったのか。どうしてもおめえたちには心当りがねえんだね」
「どうも判りません」と、お浪はやはり頭(かぶり)をふった。「ですけれども、たった一度こんな事があったそうです。あたしが見た訳じゃありませんけれども、お滝の話には何でも先月の初め頃に、もう日の暮れかかる時分に一人の六部(ろくぶ)が家の前に立って、なにか鐸(かね)を鳴らしていると、そこへ丁度お父(とっ)さんが外から帰って来て、その六部と顔見あわせえ何だが大変にびっくりしたような風だったそうで、それから二人が小さい声でしばらく立ち話をして、お父さんはその六部に幾らかやったらしいと云うことです。その後にも日が暮れると、その六部が時どきに尋ねて来て、一度は草鞋(わらじ)をぬいで茶の間へ上がって来たこともあるそうですが、あたしたちはいつも其の時はお座敷へ出ていたのでよく知りません。なんでもその六部が来るようになってから、お父さんは田舎へ行くとか云い出したらしいんですが……」
「ふむう。そんなことがあったのか」
半七の眼は動いた。結構人と評判の高い老人と、なんだか怪しげな六十六部(ろくじゅうろくぶ)と、この間にはどういう糸が繋がっているかを、横から縦からいろいろに想像していたが、やがて彼はお浪に訊いた。
「おめえのところの親父(ちゃん)あ刺青(ほりもの)をしていたっけね」
「ええ。両方の腕に少しばかり」
「なにが彫(ほ)ってある」
「若い時の道楽で、こんなものは見得(みえ)にも自慢にならないと、なるたけ隠すようにしていましたから、あたしたちは能く見たこともないんですが、なんでも左の方は紅葉、右の方には桜が彫ってあったようです」
「背中にはなんにもねえか」
「背中は真っ白でした」
「ちゃんは幾つだっけね」
「たしか五十九だと思っています」
「姉さんは貰い児の筈だが、ちゃんは江戸者じゃあるめえね」
「なんでも信州の方(ほう)だとか云うことですが、姉さんもよく知らないそうです。善光寺(ぜんこうじ)様の話を時どきにしますから、信州の方にゃあ相違ないと思いますけれど……」
訊くだけのことは大抵訊き尽したので、半七はお浪を帰した。いずれ後から行くから、それまでおとなしく待っていろと云うと、お浪はくれぐれも頼んで帰った。
「お仙。ちょいと出るから着物を出してくれ、なんだか蒸し暑いと思ったら、少し陰(くも)て来たようだな」
支度をして門(かど)を出ると、半七は子分の幸次郎(こうじろう)に逢った。
「親分。柳橋の一件がお耳にはいっていますかえ」
「やっと今聞いたんだ。申訳がねえ。なにしろいい所へ面(つら)を持って来てくれた。これから柳橋のお照の家まで行ってくれ」
「ようがす」
二人はすぐに柳橋へゆくと、お照の家には近所の人たちがあつまって、なにかごたごた騒いでいた。待ち兼ねたように出て来たお浪を蔭(かげ)へ呼んで、半七はその後なんにも変ったことはないかと訊くと、別に変ったこともないが、もう少し前に古着屋の息子が来て、お照が番屋へ留められた話を聞いて、真蒼(まっさお)になって帰ったとお浪は話した。
「どうもその古着屋のせがれが面白くないじゃありませんか。かまわず引挙(ひきあ)げてしまいましょうか」と、幸次郎はささやいた。
「まあ、待て。おれも一旦(いったん)はそう思ったが、まあそれは二の次だ。もう少しほかに穿索(さぐ)って見る所がありそうだから、あんまりどたばたして方々へ塵芥(ほこり)を立てねえ方がいい」
半七は内へはいった。女中のお滝はどうしたと訊くと、けさから番屋へ留められたままで、まだ下げられないとの事であった。お照も無論帰って来なかった。新兵衛の死骸はもう検視が済んで、茶の間の六畳に横たえてあった。お照の下げられるのが遅いようならば、この時節柄いつまでも仏(ほとけ)を打っちゃっては置かれないので、近所の者が寄りあつまって何とか葬式(とむらい)を済ませなければなるまいと云っていた。半七も一応死人の傷口おあらためると、それは剃刀(かみそり)のような刃物で喉をえぐったらしかった。
それから水口(みずぐち)の方へまわって、怪しい物のはいって来たという路すじを調べてみると、台所の柱に黒い手の痕(あと)のようなものが小さく薄く残っているのを見つけた。半七は懐紙(ふところがみ)をとりだして綺麗に拭き取って、そばに立っている幸次郎のその紙をそっと見せた。
「こりゃあなんだ」
「鍋墨(なべずみ)のようですね」
「向う両国に河童(かっぱ)は何軒ある」
「河童は……」と幸次郎は考えた。「たしか一軒だと思っています」
「それじゃ訳はねえ」と、半七はほほえんだ。「お前はこれからその小屋へ行って、河童を引挙げて来い。だが、まだ少し時刻が捷。商売の邪魔をするのも可哀そうだから、もうちっと待っていると日が暮れるだろう。小屋の閉場(はね)るのを待っていて、すぐに河童を挙げるようにしろ」
幸次郎は心得て出て行った。半七は茶の間へ戻って、お浪にことわって仏壇から過去帳を出して繰ってみると、月の四日のところに釈寂幽信士(しゃくじゃくゆうしんじ)と戒名が見えた。新兵衛が両国の川へ毎月放生鰻(はなしうなぎ)をするというのは四日である。この四日の仏(ほとけ)が新兵衛になにか特別の関係をもっていなければならないと考えたので、半七はお浪に向って、この仏はここの家(うち)の何者だと詮議したが、お浪はそれを知らないと云った。しかしここの家に取っては余ほど大切の仏らしく、その日には新兵衛は手ずから仏壇に燈明を供えて、なにか念仏を唱えていたとのことであった。
「ちゃんはこの頃どっかへ行ったことがあるかえ」
「いいえ。もともとから出嫌いの人でしたが、この頃はちっとも外へ出ないで、内にばかり坐っていました。そうして、なんだか人に逢うのを忌(いや)がっているようでした」と、お浪は云った。
自分の鑑定がだんだんに中(あた)ってくると半七は思った。彼はもう一度新兵衛の死骸をあらためると、その左の二の腕には紅葉を一面に彫ってあって、その蒼黒い葉のかげに入墨(いれずみ)の痕がかくされているのが確かに判った。新兵衛はその過去に犯罪の暗い履歴をもっていて、その腕の刺青(ほりもの)は入墨を隠すためであることもすぐに覚(さと)られた。彼はその罪を悔いて情ぶかい結構人になった。その罪をほろぼすために毎月の放生鰻をした。彼の犯罪は月の四日の仏に関係をもっているらしいと半七は思った。しかし、どうしてその仏を見付け出していいか、半七はさすがに見当が付かなかった。
そのうちに浅草の七ツ(午後四時)がきこえたので、半七はともかくもここを出て、向う両国へまわって幸次郎の模様を見て来(こ)ようと、居あわせた人たちに挨拶して門(かど)を出ると、陰った空のうえから紫の光がさっとほとばしって来た。おや、光ったなと思う間もなく、大粒の雨がどっと降り出したので、半七は舌打ちをしながら再び内へ引返した。
「とうとう降って来た」
「夕立ですからすぐにやみましょう」と、お浪は入口の戸を一枚閉めながら云った。
よんどころなしに半七は茶の間へ戻ってまた坐ると、稲妻がまた光って、雷の音がだんだんに近くなって来た。ぶちまけるような夕立が飛沫(しぶき)を吹いて降り込んで来るので、みんなも手伝って方々の戸を閉めた。狭い家のなかには線香の煙りがうず巻いてみなぎって、息がつまるほどに蒸暑いのを我慢して、半七も扇を使いながら其処(そこ)に晴れ間を待っていると、雨はやがて小降りになったので、お浪が傘を貸そうというのを断わって出た。半七は手拭をかぶって、尻を端折(はしょ)って、ぬかるみを飛びとびに渡りながら両国橋を越えた。
川向うの観世物(みせもの)小屋はもう大抵しまっていた。今の夕立が往来の人を追払ってしまったらしく、ぐしょ濡れになった菰張(こもば)りの小屋の前には一人も立っている者はなかった。半七は向う側の心太屋(ところてんや)の婆さんに訊いて、そこだと教えられた河童の観世物小屋のまえに立って見あげると、白藤源太(しらふじげんた)らしい相撲取りが柳の繁っている堤(どて)を通るところへ、川の中から河童が飛び出して、その行く先を塞ぐように両手をひろげている絵看板が懸(か)けてあった。
その頃の向う両国にはお化けや因果物のいろいろの奇怪な観世物が小屋をならべていた。河太郎もその一つで、葛西(かさい)の源兵衛堀(げんべえぼり)で生捕(いけど)ったとか、筑後(ちくご)の柳川(やながわ)から連れて来たとか、子供だましのような口上を列べ立てているが、その種はもう大抵の人にも判っていた。十三、四歳の男の児を河童頭に剃らせて、顔や手足を鍋墨で真っ黒に塗って、大きな口から紅い舌をべろりと出して、がらがらがあと不思議な鳴き声を聞かせる。ただそれだけの他愛もない芸であるが、それでも河童とか河太郎とかいう評判に釣り込まれて、八文(もん)の木戸銭を払う観客が少なくない。半七はお照の台所の柱に残っていた鍋墨の手形から、新兵衛殺しの下手人はこの河童小僧と鑑定したのであった。
表はもう閉まっているので、裏木戸の方へ廻ってゆくと、楽屋の者もみんな帰ってしまって、楽屋番の爺さんが一人で後片付けをしているところであった。
「おい、六助さん。おめえはこの頃ここへ来ているのか」
「おや、親分さんですか。どうもご無沙汰をいたしました」と、楽屋番の六助はあわてて挨拶した。
「お化けの方はなぜ止(よ)したんだ」
「へえ、どうもあの楽屋は風儀が悪うござんして、御法度(ごはっと)の慰み事が流行(はや)るもんですから……」
「爺さんもあんまり嫌いな方じゃあるめえ。時に、家(うち)の幸次郎は見えなかったかね」
「幸さんはお見えになりました。いや、それで楽屋の者も心配して居りますよ」
「河童を連れて行ったのか」
「へえ、すぐに帰すと仰(おっ)しゃいましたけれど……。河童がなかなか素直に行きませんのを、無理にだまして連れておいでになりました」
「河童は幾つで、なんと云うんだえ」
「本名は長吉(ちょうきち)と申しまして、十五でございます」
「どこから拾って来たんだ。親はねえのか」
「なんでもこの一座が四、五年前に信州(しんしゅう)の善光寺へ乗込んだ時に連れて来ましたので、お察しの通り両親はございません。おふくろに死なれて路頭(ろとう)に迷っているのを、まあ拾いあげて来ましたようなわけで……。いえ、わたくしは能(よ)くは存じませんが、なんでもそんな話でございます」
「親父もないんだね」
「へえ、親父は長吉が生れると間もなく死にましたそうで」
「変死かえ」と、半七はすぐに訊いた。
「よくご存じで……。高い声では申されませんが、なんでも悪いことをしてお仕置になりましたそうで……」
「ふむう、そうか。そこで此の頃、河童のところへ誰かたずねて来た者はねえか」
六助は少し考えていたが、やがて思い出したように首肯(うなず)いた。
「あります、あります。廻国(かいこく)の六部のような男が……」


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半七の商売を知っている六助は、訊かれるに従って総(すべ)てのことをしゃべった。六部は四十近い、痩せて脊(せい)の高い、眼つきの少し恐ろしい男で、長吉の叔父だという話であった。顔立ちの幾らか肖(に)ているのを見ると、それは嘘ではないらしいと六助は云った。その六部がきのうふつうの浴衣(ゆかた)を着て、楽屋へふらりとたずねて来て、鰻を食わしてやるからと云って長吉をどこへか連れ出した。
「その六部は何処にいるのか知らねえか」
「なんでも下谷(しもや)の方にいると云うことですが、宿の名は存じません」
その以上のことは六助はまったく知らないらしいので、半七はここらで打切って小屋を出た。それにしても幸次郎はどこへ河童を連れて行ったか。大方そこらの番屋へ引挙げたのであろうと、半七はその足で近所の自身番へ行ってみると、そこには幸次郎の姿も見えなかった。それでも念のため店へはいって訊くと、自身番の親方は面目ないような顔をして答えた。
「実はそのことで幸次郎さんに大変怒られました……。なんとも申訳がございません」
「どうしたんですね」
「河童に逃げられました」と、親方は額(ひたい)の汗を拭いた。そこに居あわせた番太郎も小さくなって俯向いた。
河童を取逃した事情はこうであった。さっき幸次郎が観世物小屋から河童を引っ張って来て、この自身番へあずけて行った。自身番には店の中に一種の留置場ともいうべき六畳ほどの板の間があって、その太い柱に罪人をつないで置くのが例であった。河童もそこに繫がれていると、俄かに大夕立が降り出したので、番太郎はあわてて自分の家(うち)へ帰った。自身番の者どももおどろいて其処らを片付けた。店先の履物を取り込む者もあった。裏口の戸を閉めにゆく者もあった。そのどさくさまぎれに河童は縄をぬけて逃げ出した。勿論、その逃げてゆくうしろ姿を見つけた者はあったが、人間の河童は陸(おか)でも身が軽いので、あれあれと云ううちに吾妻橋(あずまばし)の方へ飛んで行ってしまった。そこへ幸次郎が帰って来た。
彼は柳橋へ半七を迎えに出たのであるが、途中で夕立に降り籠(こ)められて、そこらの軒下に雨宿りをして、小降りになるのを待ってお照の家へゆくと、どこで行き違ったか半七はもう出てしまった後であったので、また引返して自身番へくると、この始末である。幸次郎の怒るのも無理はなかった。彼は腹立ちまぎれに居あわせた者どもを頭ごなしに叱り付けた。そうして、すぐ河童のあとを追って行った。
「そりゃあ拙(まず)いことをやったもんだ。おめえたちの不行き届きで、なんと云われても仕方がねえ」と、半七はその話を聴いて眉をよせた。
「親分さん、実に申訳がございません」
あやまっても詫びても今更取返しは付かない。ここでぐずぐず云っているよりも、幸次郎に加勢して河童のゆくえを早く探し出す方がましだと思ったので、半七は草履を自身番にぬいで置いて、跣足(はだし)になって駈け出した。どこという的(あて)もないが、吾妻橋の方角へ逃げたと云うのを手がかりに、彼は岸づいたいに急いで行った。
むやみに駈け出しても仕方がないので、彼はこんな小僧は見なかったかと途中で訊きながら歩いた。すると、一軒の荒物屋(あらものや)へこの夕立の最中に一人の真っ黒な小僧が飛び込んで来て、店先にかけてあった菅笠(すげがさ)を掻っさらって逃げたと云うことが判った。その小僧は笠をかぶって小梅(こうめ)の方角へ行ったと云うのを頼りに、半七は向島の方へまた急いだ。
雨はもうやんだが、葉桜の堤(どて)は暗かった。水戸の屋敷の門前で、幸次郎のぼんやりと引返して来るのに出逢った。
「どうした。いけねえか」
「自身番の疝気(せんき)野郎、飛んでもねえどじを組みやがって、お話にもならねえ」と、幸次郎は忌々(いまいま)しそうに云った。「なんでもこっちの方角へ来たらしいんですが、どうしても当りが付かねえには困りました。どうしましょう」
「仕方がねえ」と、半七も溜息をついた。「だが、餓鬼(がき)のこった。まさかに草鞋を穿(は)くようなこともあるめえ。いずれ何処からか這い出して来るだろう。なにしろ、腹が空(へ)って来た。そこらで蕎麦でも手繰(たぐ)ろう」
二人は堤下へ降りて食い物屋をさがした。蜆(しじみ)の看板をかけた小料理屋を見つけて、奥の小座敷へ通されて夕飯を食っているうちに、萩を一ぱいに植え込んであるらしい庭先もすっかり暗くなって、庭も座敷も藪蚊(やぶか)の声に占領されてしまった。
「日が暮れたのに蚊いぶしを持って来やがらねえ。この村で商売していながら、気のきかねえ箆棒(べらぼう)あ。これだから流行(はや)らねえ筈だ」
むしゃくしゃ腹の幸次郎は無闇にぽんぽんと手を鳴らして、早く蚊いぶしをしろと呶鳴った。女中は蚊いぶしの道具を運んで来て、頻りにあやまった。
「相済みません。店でお化けの話を聴いていたもんですから、ついうっかりして居りました」
「へえ、お化けの話……。そりゃあおめえの親類の話じゃあねえか」
「よせよ」と、半七は笑った。「ねえさん、堪忍してくんねえ。この野郎少し酔っているんだから。そこで、そのお化けがどうしたんだ。ここの家へ出るわけじゃあるめえ」
「あら、ご冗談を……。たった今、家の旦那が堤(どて)で見て来たんですって。嘘じゃない、ほんとうに出たんですって、河童のようなものが……」
「え、河童だ」と、幸次郎もまじめになった。
半七はその主人をちょいと呼んでくれと云った。呼ばれて出て来たのは四十五、六の男で、閾越(しきいご)しで縁側に手をついた。
「ご用でございますか」
「いや、ほかじゃあねえが、おまえさんはたった今、堤で何か変なものを見たそうだね。なんですえ」
「なんでございましょうか。わたくしもぞっとしました。相手がお武家ですから好うござんしたが、わたくしどものような臆病(おくびょう)な者でしたら、すぐに眼を眩(まわ)してしまったかも知れません」
「河童だと云うが、そうですかえ」と、半七はまた訊いた。
「お武家は河童だろうと仰いしゃいました。まあ、こうでございます。わたくしが業平(なりひら)の方までまいりまして、その帰りに水戸様前からもうすこし此方(こっち)へまいりますと、堤の上は薄暗くなって居りました。わたくしの少し先を一人のお武家さんが歩いておいででございまして、その又すこし先に、十四、五ぐらいかと思うような小僧が菅笠をかぶって歩いて居りました」
「その小僧は着物をきていましたかえ」
「暗いのでよく判りませんでしたが、黒っぽいような単衣(ひとえもの)を着ていたようです。それが雨あがりの路悪(みちわる)の上に着物の裾(すそ)を引摺って、跣足(はだし)でびちょびちょ歩いているので、あとから行くお武家さんが声をかけて――お武家さんは少し酔っていらっしゃるようでした――おい、おい、小僧。なぜそんなだらしのない装(なり)をしているんだ。着物の裳をぐいとまくって、威勢よく歩けと、うしろから声をかけましたが、小僧には聞えなかったのか、やはり黙ってびちょびちょ歩いているので、お武家はちっと焦(じ)れったくなったと見えまして、三足ばかりつかつかと寄って、おい小僧、こうして歩くんだと云いながら、着物の裳をまくってやりますと……。その小僧のお尻の両方に銀のような二つの眼玉がぴかりと……。わたくしはぎょっとして立ちすくみますと、お武家はすぐにその小僧の襟首を引っ摑んで堤下(どてした)へほうり出してしまいました。そうして、ははあ河童だと笑いながらすたすたと行っておしまいなさいました。わたくしは急に怖くなって、急いで家へ逃げ帰ってまいりました」
半七は幸次郎と眼を見あわせた。
「そうして、その化け物はどっちの堤下へ投げられたんですえ」
「川寄りの方でございます」
「なるほど不思議なことがあるもんですね」
勘定を払って、二人は怱々(そうそう)にそこを出た。


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「親分、そのお化けというのは河童ですね」と、幸次郎はささやいた。
「ちげえねえ。たしかに河童だ」
粗忽(そそっか)しい武士はほんとうの河童だと思ったかも知れないが、それは河童の長吉に相違ないと半七は思った。両国の河童は真っ黒に塗った尻の右と左とに金紙や銀紙丸く貼りつけて、大きい眼玉と見せかけ、その尻を無作法に観客の方へ向けて四つン這いに這いまわるのを一つの芸当としている。酔っている武士と、臆病な亭主とは、ゆう闇の薄暗がりでその尻の眼玉におどろかされたのであろうが、半七から観れば、その尻の光ったというのが却(かえ)ってほんとうの化け物でない証拠であった。
「なにしろ、早く堤下へ行ってみようぜ」
亭主の教えてくれたのは此処らであろうと見当をつけて、二人は隅田川に沿うた堤下に降りると、岸と杭(くい)とのあいだに挟(はさ)まって何か黒いものが横たわっているらしかった。幸次郎はすぐに引摺あげて見ると、果してそれは河童の長吉であった。彼は武士に手ひどく投げつけられたはずみに、樹の根か杭かで脾腹(ひばら)を打たれたのであろう、片足を水にひたして息が絶えていた。杭に挟まれたのがこっちに取って勿怪(もっけ)の幸いで、さもなければ下流(しもて)の方へ遠く押し流されてしまったかも知れなかった。
「ほんとうに死んだのじゃあるめえ。そこらまで負って行ってやれ」と、半七は云った。
河童を負って幸次郎は堤へあがった。半七は先へ立って元の料理屋へ引返すと、家じゅうの者はおどろいて騒いだ。怖いもの見たさで女中たちもそっと覗きに来た。
「おい、ご亭主。気の毒だがこの河童の始末をして貰いてえ。泥だらけのこの姿じゃあ座敷へ入れることが出来ねえ」
半七の指図で、店の者は手桶に水を汲んで来た。河童の正体は大抵わかったので、亭主も急に強くなった。彼は家内のものと一緒になって河童の顔や手足を洗ってやった。尻の銀紙を発見したときに亭主も思わず噴き出した。こうした手当(てあて)には馴れているので、半七は河童を奥の小座敷へかつぎ込んで介抱すると、長吉はやがて息を吹き返した。半七は更に用意の藥を飲ませた。水を飲ませた。
「やい、河童。しっかりしろ。もう人間らしくなったか。ここは料理屋の座敷だが、てめえを調べるのは御用聞の半七という者だ。楽屋番を相手に微塵棒(みじんぼう)をしゃぶっているときとは訳が違うから、そのつもりで返事をしろ。てめえは今朝、柳橋の芸妓屋へ這い込んで、親父(おやじ)を剃刀(かみそり)で殺したろう。覚えがねえとは云わせねえ。台所の柱にてめえの手のあとが確かに残っていた。さあ、ありていに申立てろ。第一、てめえにうしろ暗いことがねえならば、なぜ番屋を逃げ出した。おまけに途中で笠を盗んで逃げやがったろう。さあ、証拠はみんな揃っているんだ。これでも恐れ入らねえか」
相手は子供である。半七に鋭く睨みつけられて、河童はもろく恐れ入った。彼は叔父の長平(ちょうへい)にそそのかされて、お照の父の新兵衛を殺したに相違ないと素直に白状した。
「それにしても、なぜその新兵衛を殺す気になったんだ。てめえの叔父さんは新兵衛に遺恨があるのか」
「新兵衛という奴はおいらのお父(とっ)さんの仇(かたき)なんだ。おいらあその仇討を立派にしたんだ」と、河童は鍋墨のまだ消え切らない顔に大きい眼をひからせ、俄かに肩をそびやかした。
「仇討……。ほんとうか」と、半七は少し案外に思った。しかし、だんだんにその話を聴いてみると、これも一種の復讐(ふくしゅう)には相違なかった。
長吉の父は長左衛門(ちょうざえもん)といつて、信州善光寺の在(ざい)に住んでいた。お照の父の新兵衛はむかしは新吉(しんきち)といって、やはり同じ村に生れた者であった。長左衛門も新兵衛も土地では札付きの悪党であったらしい。今から十三年前に二人は共謀して隣り村の或る大尽(だいじん)の家へ押込みにはいって、主人夫婦と娘とをむごたらしく斬り殺した。その詮議があまり厳重になたので、新兵衛は土地の御用聞のところへ駈け込んで、その罪人は長左衛門であると密告した。彼も共犯者であるらしいことは御用聞も薄うす察したであろうが、密告の功によって彼は土地を立退(たちの)くことが黙許された。彼はすぐに何処へか逃げてしまった。長左衛門は召捕られて磔刑(はりつけ)になった。
新兵衛は友を売って自分の身を全(まっと)うしたのである。その事情が長左衛門の遺族の耳にも洩れたが、御用聞も黙許で彼を逃したのであるから、今更どうすることも出来なかった。長左衛門の女房はそれを口惜(くや)しがって、死ぬきわまでも不実の友を呪っていた。長左衛門には長平という弟があって、これも兄とおなじ血をわけた悪党で、兄が仕置になった当時は隣国の越後(えちご)の方にさまよっていたが、これを聞き伝えて故郷へ帰って来た。新兵衛の裏切りを聞いて彼もひどく憤ったが、自分もうしろ暗い身のうえで、表向きには立派な口を利(き)けないので、恨みを呑んで再びどこへか立去ってしまった。
それから十年ほど経って、長平は久し振りで故郷へまた帰ってくると、嫂(あね)はもう死んでいた。甥(おい)の長吉は両国の河童に売られたという噂󠄀(うわさ)も聞いた。かさねがさねの一家の悲運を見て、長平もさすがに心さびしくなった。ここらでもう料簡を入れ替えて、兄や自分の罪ほろぼしに六十六部となって廻国修行の旅に出ようと思い立った。彼は仏の像を入れた重い笈(おい)を背負って、錫杖(しゃくじょう)をついて、信州の雪を踏みわけて中仙道(なかせんどう)へ出た。それから諸国をめぐりあるいて江戸へはいって来たのは、ことしの花ももう散りかかる三月のなかばであった。彼は下谷辺のある安宿を仮(かり)の宿として、江戸市中を毎日遍歴していた。
彼がふた月あまり江戸に足をとどめている間に、ほとんど同時に敵と味方とにめぐりあったのであった。かたきは彼(か)のお照の父で、新吉の名を今は新兵衛と呼びかえて、柳橋に芸妓屋を開いていることが判った。甥の長吉はやはり河童になって、両国の観世物小屋に晒(さら)されていることが判った。長平は甥にも逢った。偶然の機会から新兵衛にも出逢った。
新兵衛はもう生れ変ったような善人になっているので、むかしの友達の弟に逢ってしきりに過去の罪を謝(あやま)った。自分たちが手にかけた大尽一家の菩提(ぼだい)を弔うばかりでなく、長左衛門が仕置に逢ったのは二月四日で、その命日に毎月かならず放生鰻の供養を怠らないと云った。彼はある寺から長左衛門の戒名を貰って来て、仏壇に祀(まつ)ってあることも話した。長平もむかしとは人間が違っているので、悔い改めているこの善人を執念ぶかく責めることも出来なくなった。彼は新兵衛の罪をゆるすと云った。新兵衛はよろこんで、ご報捨のしるしだと云って彼に二十両の金を贈った。
その金が二人の禍(わざわ)いであった。久し振りで二十両の大金を受取った六十六部は、その晩すぐに服装(みなり)をこしらえて吉原へ遊びに行った。それが口火(くちび)となって彼の殊勝(しゅしょう)らしい性根はだんだんに溶けてしまった。六十六部は再び昔の長平に立ちかえって、新兵衛のところへたびたび無心に行った。しまいには金の無心ばかりでなく、彼は新兵衛の貰い娘(こ)のお照の美しいのを見て、飛んでもない無心までも云い出すようになった。相手の飽(あ)くことのない誅求(ちゅうきゅう)には、新兵衛もさすがにもう堪えられなくなって、終(つい)には手きびしくそれを拒絶すると、長平はいよいよ羊の皮裘(かわごろも)をぬいで狼の本性をあらわした。彼は甥の河童をそそのかして親のかたきを討たせたのであった。


「これは河童の長吉の白状と、長平の白状とをつきまぜたお話で、長吉は叔父の手先に使われて、ただ一途に親父のかたき討の料簡でやった仕事なんです」と、半七老人は説明した。「つまり新兵衛の方はすっかり善人になり切っていたんですが、長平の魂(たましい)はまだほんとうの善人になり切らないもんですから、すぐにあと戻りをして、とうとうこんな事件を出来(しゅったい)させてしまったんですよ」
「長平は勿論つかまったんですね」と、わたしは訊いた。
「河童の白状で大抵見当が付きましたから、それからお照の家(うち)の近所に毎晩張り込んでいますと、新兵衛の初七日(しょなのか)が済んだ明くる晩に、案の定(じょう)その長平が短刀を呑んで押込んで来て、どうする積りかお浪を嚇かしているところを、すぐに踏み込んで召捕りました。長平は無論に死罪でしたが、長吉の方はまだ子供でもあり、どこまでも親のかたきを討つつもりでやった仕事ですから、上にも御憐愍(ごれんびん)の沙汰があって、遠島(えんとう)ということで落着(らくちゃく)しました。これが作り話だと、娘や芸妓や其の情夫の定次郎の方にもいろいろの疑いがかかって、面白い探偵小説が出来上がるんでしょうが、実録ではそう巧(うま)くは行きませんよ。ははははは。ただちっとばかりわたくしの味噌をあげれば、はじめから芸妓や情夫の色っぽい方には眼もくれないで、なんでも善人の親父の方に因縁があるらしいと、その方ばかり睨み詰めていたことですよ。腕に入墨がはいっているくらいですから、新兵衛もその前にも悪いことを沢山やっていたんでしょうが、折角善人に生れ変ったものを可哀そうなことをしました。河童をほうり出した武士ですが、それはどこの人だか判りません。その人は向島で河童を退治したなどと一生の手柄話にしていたかも知れませんよ。まったくその頃の向島は今とはまるで違っていて、いつかもお話し申した通り、狸(たぬき)も出てば狐(きつね)も出る、河獺(かわうそ)も出る、河童だって出そうな所でしたからね」
「蛇も出たんでしょう」
「蛇……。いや、謎をかけないでもいい。ついでにみんな話しますよ。しかしこの蛇の方の話はすこしあいまいなところがあるんですね。まあ、そのつもりで聴いてください。場所は向島の寮で、当世の詞(ことば)でいえば、その秘密の扉(とびら)をわたくしが開いたと云うわけです」

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