半七捕物帳 第四巻/金の蠟燭

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金の蠟燭[編集]

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秋の夜の長い頃であった。わたしが例のごとく半七老人をたずねて、面白い昔話を聴かされていると、六畳の座敷の電燈がふっと消えた。
「あ、停電か」
老人は老婢(ばあや)を呼んで、すぐに蠟燭(ろうそく)を持て来(こ)させた。
「行燈(あんどう)やランプと違って、電燈は便利に相違ないが、時どき停電するのが難儀ですね」
「それでもお宅には、いつでも蠟燭の用意があるのには感心しますね」と、わたしは云った。
「なに、感心するほどのことでも無い。わたくしなぞは昔者(むかしもの)ですからね、ランプが流行(はや)っても、電燈が出来ても、なんだか人間の家に蠟燭は絶やされないような気がして、いつでも貯えて置くんですよ。それが今夜のような時にはお役に立つので……」
ふた口目にはむかし者というが、明治三十年前後のこの時代に、普通の住宅で電燈を使用しているのはむしろ新しい方であった。現にわたしの家(うち)などでは、この頃もまだランプをとぼしていたのである。新しい電燈を用いて、旧(ふる)い蠟燭を捨てず、そこに半七老人の性格があらわれているように思われた。
こんにちと違って、そのころの停電は長かった。時には三十分も一時間も東京の一部を闇にして、諸人を困らせることがあった。今夜の停電も長い方で、主人も客も夜風にまたたく蠟燭の暗い火を前にして、しばらく話し続けているうちに、その蠟燭から縁を引いて、老人は『金の蠟燭』という昔の探偵物語をはじめた。
「ご承知の通り、安政(あんせい)二年二月六日の晩に、藤岡藤十郎(ふじおかとうじゅうろう)、野州(やしゅう)無宿(むしゅく)の富蔵(とみぞう)、この二人が共謀して、江戸城本丸の御金蔵(ごきんぞう)を破って、小判四千両をぬすみ出しました。この御金蔵破りの一件は、東京になってから芝居に仕組まれて、明治十八年の十一月、浜町(はまちょう)の千歳座(ちとせざ)で九蔵の藤十郎、菊五郎の富蔵という役割でしたが、その評判が大層いいので、わたくしも見物に行って、今更のように昔を思い出したことがありました。その安政二年はわたくしが三十三の年で、云わば男の働き盛りでしたから、この一件が耳にはいると、さあ大変だと云うので、すぐに活動を始めたんです。勿論、わたくしばかりじゃあない、江戸じゅうの御用聞は総がかりです。八丁堀の旦那衆もわたくしどもを呼びつけて、みんなも一生懸命に働けと云う命令です。その時代のことですから、御金蔵破りなどと云うことは決して口外してはならぬ。いっさい秘密で探索しろと云うのですが、人の口に戸は立てられぬの譬(たと)えの通りで、誰の口からどう洩れるものか、その噂󠄀はもう世間にぱっと広まっていました」


その年の四月二日の夜も、やがて四ツ(午後十時)に近い頃である。両国橋(りょうごくばし)の西寄りに当って、人の飛び込んだような水音が響いたので、西両国の橋番小屋から橋番のおやじが提灯をつけて出た。両国橋は天保(てんぽう)十年四月に架け換えたのであるが、何分にも九十六間の長い橋で、昼夜の往来も繁(はげ)しい所であるから、十七年目の安政二年には所々におびただしい破損が出来て、人馬の通行にも危険を感じるようになったので、ことしの三月から修繕工事に取りかかることになって、橋の南寄りすなわち大川(おおかわ)の下流(しもて)に仮橋(かりばし)が作られていた。その仮橋から何者かが飛び込んだらしいのである。
夜は暗く、殊に細雨(こさめ)が降っている。一方に橋の修繕工事用の足場が高く組まれている。それに列(なら)んで仮橋が架けられている。木材や石のたぐいを積み込んだ幾艘かの舟も繫(つな)がれている。その混雑のなかで、橋の上から提灯を振り照らしたぐらいの事ではどうなるものでも無い。結局はなんの発見も無しに終った。
橋番は多年の経験で、その水音が何であるかを知っていた。それは重い物を投げ込んだのではなく、人間が飛び込んだか、あるいは投げ込まれたに相違ないと云った。但(ただ)し暗夜のことであるから、不完全の仮橋から何かの粗相(そそう)で墜落したのかも知れない。いずれにしても、男か女か、その人間のゆくえは判らなかった。
それから六日目の朝である。神田三河町(かんだみかわちょう)の半七の家(うち)の裏口から、子分の幸次郎(こうじろう)が眼をひからせながらはいって来た。
「お早うございます。早速ですが、親分、両国の一件を聴きましたかえ」
「両国の一件……。四、五日前の晩に誰か落ちたと云うじゃあねえか。あの長げえ仮橋のまん中に、提灯一つぶら下げて置くだけじゃあ不用心だ」と、半七は顔をしかめた。「そこで、その死骸でも揚がったのか」
「まあ、揚がったようなわけで……。実はきのうの午(ひる)すぎに、何かの仕事の都合で上(かみ)の方の流れを少し堰(せ)いたので、西寄りの仮橋の裾の方が浅くなって干上(ひあ)がった。そうすると、女の死骸が沈んでいると云うので人足どもは大騒ぎ……。まあ、お聴きなせえ。それが可怪(おかし)い」と、幸次郎はいよいよその眼をひからせた。「その女は風呂敷包みを大事そうにしっかり抱えている……。その包みをあけて見ると、大きい蠟燭が五、六本……いや、確か五本あったそうです。ところが、その蠟燭が馬鹿に重いので、こいつは変だなと云って、人足のひとりがその一本をそこらの杭(くい)に叩き付けてみると、なるほど重い筈(はず)だ。芯(しん)は金無垢(きんむく)の伸べ棒で、その上に蠟を薄く流しかけて、蠟燭のように見せかけてある。これにはみんなも驚いて、早速に係りの役人衆に訴えて出る。それからだんだんに調べてみると、どの蠟燭も芯は金無垢の拵(こしら)え物……。どうです、まったく可怪いじゃありませんか」
「むむ、おかしいな。そこで、その死骸はどんな女だ」
「わっしは見ませんが、なんでも三十二三の小粋な女房で、その風呂敷包みのほかにはなんにも持っていなかったそうです。からだに疵(きず)は無し、水を嚥(の)んでいる。たしかに身投げに相違ねえと云うのですが、さてその蠟燭がわからねえ。芯が金無垢でこしらえた蠟燭なんていう物が、この世の中にある筈がねえ。一体(いったい)その女がどうしてそんな物を抱えていたのか、ひと詮議しなけりゃあなるめえと思うのですが、どうでしょう」
「おめえの云う通り、こりゃあ打っちゃって置かれねえな」と、半七は膝を立て直した。「おい、幸。しっかりしなけりゃあいけねえ。魚(さかな)は案外に大きいかも知れねえぞ」
「どうも唯事(ただごと)じゃ無さそうですね」
「なにしろ、いいことを嗅(か)ぎ出して来てくれた。さあ、帯を締め直して取りかかるかな」
金の蠟燭について、半七が俄かに緊張の色をみせたのは、それが彼(か)の御金蔵破りに関係があるらしいと認めたからである。犯人が何者であるか判然(はっきり)したのは、その翌々年すなわち安政四年のことであって、その当時は全く目星(めぼし)が付かない。江戸城内の勝手を知っている番士またはその家来どもの仕業であるか、あるいは町人どもの仕業であるか、その判断にも苦しんでいた矢先であるから、少しの手がかりでも見逃(みのが)すことは出来ないのである。いずれにしても、江戸城内へ忍び入って金蔵を破るほどの大胆者である以上、かれらにも相当の覚悟がある筈で、右から左にその大金を湯水のように使い捨てるような、浅はかな愚かなことはしないであろう。おそらく何処にか埋め隠して置いて、詮議のゆるんだ頃にそっと持出すという方法を取るであろうとは、何人(なんびと)も想像するところであった。
さてその金をかくす方法は、まず自宅の床下(ゆかした)に埋めて置くのが普通である。次は他人(ひと)の眼に付かないような場所を選んで、なにかの眼じるしを立てて埋めて置くのである。これは誰でも考えることで、今度の犯人もその一つを択(えら)んだであろうと察せられるが、そのほかの方法はその小判を鋳潰(いつぶ)して地金(じがね)に変えてしまうことである。通貨をみだりに地金に変えることは、国宝鋳潰しの重罪に相当するのであるが、すでに金蔵を破るほどの重罪犯人であれば、そのくらいの事を憚(はばか)る筈もない。たといその小判の全部でなくとも、その一部を鋳潰して、何かの形に変えて置くようなことが無いとも限らない。純金の伸べ棒を芯に入れて、それを大きい蠟燭に作って置くなどっも、確かに一つの方法であると半七は思った。
金蔵やぶりの盗賊が一人の仕業でないのは、容易に想像されることである。少なくとも二人または三人の同類が無ければならない。殊に鋳潰しなどを企てたとすれば、まだほかにも同類がありそうである。半七はすぐに子分らを呼びあつめて、江戸じゅうの蠟燭屋と、金銀細工の職人を片っぱしから調べてみろと云い付けた。
「さあ、これからどうするかな」
なにしろ一応は現場を見ておく必要があるので、半七は幸次郎を連れて出た。四月はじめの大空は蒼々(そうそう)と晴れて、町には初袷(はつあわせ)の男や女が賑わかしく往来していた。昔ほどの景気はないが、それでも初鰹(はつがつお)を売る声が威勢よくきこえた。
「すっかり夏になりましたね」と、幸次郎は云った。
「寒い時も困るが、おれたちの商売も暑くなると楽じゃあねえ。いってえ両国橋の繕(つくろ)いと云うのは、いつ頃までに出来上がるのだ」
「五月の末……川開きまでにゃあ済むのでしょう。それでなけりゃあ土地の者が浮かばれませんよ」
「そうだろうな」
柳原堤(やなぎわらどて)の夏柳を横に見ながら、二人は両国橋に行き着くと、橋の修繕はなかなかの大工事であるらしく、その混雑のために広小路の興行物はすべて休業で、職人や人足を目あての食い物屋ばかりが繁昌していた。
「おい、鯡(にしん)の蒲焼(かばやき)はどうだ」と、半七は幸次郎を見かえって笑った。
「やあ、ごめんだ」
「あんまりそうでもあるめえ」
作業場の役人にことわって、半七は仮橋のあたりを一応見まわった後に、西の橋番をたずねた。両国橋は東西に橋番の小屋があるが、金の蠟燭の一件は西寄りであったので、すべて西の橋番の係り合いとなったのである。橋番の久八(きゅうはち)というおやじは半七の顔を見識っているので、丁寧に挨拶(あいさつ)した。
「親分さん、ご苦労でございます。まあ、おかけ下さい」
「きのうはこの川で大変な掘出し物をしたと云うじゃあねえか」と、半七は腰をかけながら云った。「おれも一生に一度はそんな掘出し物をしてえものだ」
「いや、お前さん。あの女が散らし髪になって、怖(おそ)ろしい顔をして、死んでも放すまいと云うように、風呂敷包みをしっかり抱えていたのを見ると、慾(よく)も得(とく)もありません。金の蠟燭でも、金の伸べ棒でも、あんな物を貰ったら、きっと執念が残って祟(たた)られますよ」
「三十二三で、小粋な女だそうだね」
「今は堅気(かたぎ)のおかみさんでも、若い時にゃあ泥水を飲んだ女じゃあないかと思われました。木綿物じゃあありますが、小ざっぱりした装(なり)をして……まあ、見たところ、困る人じゃあ無さそうでしたね」
「困る筈はねえ。金の棒をかかえている位だ」と、幸次郎は笑った。「まあ、その晩のことを親分にひと通り話してくれ」


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「いってえ、その女は自分で飛び込んだのか、粗相で落ちたのか、誰かに突き落されたのか、おめえに心当りはねえのかね」と、半七は訊(き)いた。
「それはきのうも検視のお役人からご詮議がありましたが、まったく何も心当りが無いのです。わたくしはただ、ざぶんという水の音を聞いただけで、すぐに提灯を持って出ましたが、男か女か判らないので……」
久八は少し曖昧(あいまい)に答えた。身投げを見付けたらば直ぐに救うのが橋番の役であるが、今や欄干(らんかん)に手をかけた者を留めることはあっても、すでに飛込んでしまった者を救い揚げることは滅多(めった)に無い。久八も水音におどろかされて一旦(いったん)は出て行ったものの、もう遅いと諦めて、いい加減に引っ返したらしいのである。しかもそれが女であると判って、彼もいささか気が咎(とが)めないでも無かった。その時代の習慣として、男を見殺しにしたよりも、女や子供の弱い者を見殺しにしたと云うことが、余計に不人情と認められたからである。
しかし今の半七に取っては、そんな詮議はどうでもよかった。彼は重ねて訊いた。
「それがねえ、親分」と、久八は声を低めた。「実はすこし変だと思うことが無いでもないので……。その明くる日の朝、ようよう夜が明けた頃に、ひとりの男が仮橋の上に突っ立って、しばらく水の上を眺めていたのです。その時はさのみ気にも留めませんでしたが、ご承知の通り、その日は朝の四ツ(午前十時)頃から雨があがっていい天気になりました。そうすると、午(ひる)過ぎになって又その男が橋の上に来て、袈裟とおなじように水を眺めているのです。それが二日も三日も続いたので、いよいよ変だと思っていると……。ねえ、お前さん。きのう女の死体が揚がってみると、死体は丁度その男の立っていた橋の下あたりに沈んでいたわけで……。してみると、その男は何かの係り合いがあって、女がそこらに沈んでいることを知っていて、幾度も川を覗(のぞ)きに来たのじゃあないかと思われるのですが……」
「ふうむ。そんなことがあったのか。そこで、その男はどんな奴(やつ)だ」
「もう四十近い、色の浅黒い、がっしりした男で、まんざら野暮な人でも無いような装(なり)をしていました。勿論、別に証拠があるわけじゃあありませんが、ひょっとすると死骸の女の亭主で……」
「爺(じい)さん偉(え)れえ」と、幸次郎は喙(くち)を容(い)れた。「おれも其の話を聴いて、すぐにそう思った。世間によくあるやつで、女は夫婦(みょうと)喧嘩でもして飛込んだのかも知れねえ。それにしても、やっぱり判らねえのは金の蠟燭……。どうしてそんな物を抱えていたかな」
「それが判りゃあ仔細(しさい)はねえ」と、半七は苦笑(にがわら)いをした。「いや、判らねえところが面白いのかも知れねえ。その男はきょうも来たかえ」
「きょうはまだ見えないようです」と、久八は答えた。「死骸が揚がってしまったので、もう来ないのかも知れませんよ」
「むむ」と、半七は薄く眼を瞑(と)じて考えていた。「その男は西からか東からか、早く云えば日本橋(にほんばし)の方から来たのか、本所(ほんじょう)の方から来たのか、それも判らねえかね」
「いつでも柳橋(やなぎばし)の方から来るようですから、あの辺の人か、それとも神田か浅草(あさくさ)でしょうね」
「いや、ありがとう。御用とは云いながら、飛んだ邪魔をした。おい、爺さん、こりゃあ少しだが、煙草でも買いねえ、放生鰻(はなしうなぎ)の代りだ」
久八に幾らかの銭(ぜに)をやって、半七はここを出ると、幸次郎もつづいて出た。
「親分、女の亭主という奴はもう来(こ)ねえでしょうか」
「来ねえだろうな。困ったことには、人足どもが見付け出したのだから、方々へ行って喋(しゃべ)るだろう。そんな噂󠄀が立つと、奴らもきっと用心して証拠物を隠してしまうに相違ねえ。気の早い奴はどこへか飛んでしまうかも知れねえ。ぐずぐずしていると、折角の魚に網を破られてしまう。何とか早く埒(らち)を明けてえものだな」
「橋番のおやじがもう少し気が利(き)いていりゃあ何とかなるのだが……」
「あんな耄碌(もうろく)おやじを頼りにしていて、上(かみ)の御用が勤まるののか」と、半七は笑った。「まあ、柳橋の方へ行ってみよう」
女の亭主らしい男が柳橋の方角から来たと云うだけのことで、その方角へ向ってゆくのは甚だ知恵のない話のようであるが、柳橋の方角から来たと云うのに対して、本所深川の方角へ向うわけには行かない。たとい何の当てが無くとも、ともかくもその方角へむかって探索を進めてゆくのが、その時代の探索の定石(じょうせき)であると、半七老人は説明した。
前にも云う通り、橋の工事で広小路はふだんよりもさびれていたが、それでも食物屋(くいものや)のほかに、大道商人(だいどうあきんど)や大道易者(えきしゃ)の店も相当にならんでいた。易者は筮竹(ぜいちく)を襟にさし、手に天眼鏡を持ってなにか勿体(もったい)らしい講釈をしていると、その前にうつむいて熱心に耳を傾けているのは、十八九ぐらいの小奇麗な女であった。半七は幸次郎を見かえって訊いた。
「おい、おめえはあの女を知っているかえ」
「冗談じゃあねえ。いくらわっしだって、江戸じゅうの女をみんな知っているものか」
云いながら、幸次郎はおんなの横顔をのぞいて、笑い出した。
「いや、知っています、知っています。あれは奥山(おくやま)のお光(みつ)ですよ」
「むむ、宮戸川(みやとがわ)のお光か。道理で、見たような女だと思った。あいつ、いい亡者(もうじゃ)になって、大道占いに絞られている。はは、色男でも出来たかな」
「色男でも出来たか、おふくろと喧嘩でもしたか。まあ、そんな所でしょうね」
自分の噂󠄀をされているとも知らずに、お光は見料(けんりょう)の銭(ぜに)を置いて易者の店を出た。本来ならば唯(ただ)そのままに行き過ぎてしまうのであるが、虫が知らせると云うのか、半七は立停(たちど)まって彼女(かれ)のうしろ姿を暫く眺めていると、お光は更に両国橋に向って辿(たど)って行った。彼女は島田髷(しまだまげ)の頭を重そうに垂れて、なにかの苦労ありげに悄然としているのが半七の注意をひいたので、彼は幸次郎に眼配(めくば)せしながら、小戻りして其のあとを追った。
お光はそれにも気がつかないらしく、狭い仮橋の中程を行きつ戻りつしていたが、やがて立停まって四辺(あたり)を見まわしながら、川にむかってそっと手をあわせた。口の中でも何かを念じているらしかった。半七は幸次郎にささやいて、ふたたび橋番の小屋へはいった。
「爺さん、また来たよ、おれはちょいと奥を貸して貰うぜ」
半七は障子をあけて小屋の奥に身を忍ばせると、やがてお光が帰って来た。それを待ち受けていた幸次郎は声をかけた。
「おい、お光ちゃん。どこへ行った」
呼ばれてお光は驚いたように振返った。その顔は陰(くも)って蒼ざめていた。
「どうしたえ。ひどく顔の色が悪いじゃあねえか。麻疹(はしか)かえ。はは、そりゃあ冗談だ。なにしろまあここへ掛けねえ」と、幸次郎は笑いながら呼び込んだ。
お光は奥山の宮戸川という茶店の女で、幸次郎の職業もかねて知っているのであるから、呼びかけられて素通りも出来なかった。彼女は努めて笑顔を粧(つく)って、愛想よく挨拶した。
「おや、幸さん。急にお暑くなったようでございますね。きょうはこちらで何かのお見張りですか」
「なに、見張りというわけでもねえ。あんまりからだが閑(ひま)だから、野幇間(のだいこ)とおなじように、ここらへ出て来て岡釣りよ。そういう俺よりも、お光ちゃんこそ忙がしいからだで、ここらへ何しに出て来たのだ。おめえも色男の岡釣りかえ」
「ほほ、ご冗談でしょう。両国橋がご普請(ふしん)だと云うので、どんな様子か拝見に出て来たんですよ」
「と云うのは世を忍ぶ仮の名で、占い者にお手の筋を見てもらって……。それから両国の川へ行ってお念仏を唱えて……。これから何処へかお寺参りにでも行くのかね。はは、お若けえのにご奇特(きどく)なことだ」
お光は顔の色を変えて、しばらく無言で相手の顔を見つめていた。客商売に馴れている彼女も、当座の返事に困ったらしい。そこへ附け込んで、幸次郎は嚇(おど)すように云った。
「おい、お光。正直に云えよ。おめえは何でこの川へ来て拝んでいたのだ。後生(ごしょう)願いに放生鰻をするほどの皺(しわ)くちゃ婆さんでもあるめえ。それとも男をさんざん騙(だま)した罪亡ぼしかえ。おい、唯の人が訊くのじゃあねえ。おれが訊くのだ。正直に云えよ」
彼女はやはり黙って俯向(うつむ)いていたが、その顔色はいよいよ蒼ざめて来たので、幸次郎は嵩(かさ)にかかって嚇し付けた。
「こいつ、悪強情(わるごうじょう)な女だな。おい、爺さん、縄を持って来い。この阿魔(あま)をふん縛ってしまうから……」
いかにこの時代でも、単にこれだけのことで無闇(むやみ)に人を縛ることの出来ないのは判り切っているのであるが、若い女はその嚇しに乗せられたのか、但しはほかに仔細があるのか、縄をかけると聞いて彼女はひどく悸(おび)えた。口を利(き)くにも利かれず、逃げるにも逃げられず、彼女は身を固くして立竦(たちすく)んでいた。
ここらでよかろうと、半七は奥からふらりと出て来た。
「何だか嚇かされているじゃあねえか。宮戸川のお光が縄付きになったら、泣く人がたくさんあるだろう。なんとか助けてやりてえものだな」
幸次郎一人でさえも受け切れないところへ、又その親分が不意にあらわれて来たので、お光の顔は蒼いのを通り越して、土のような色になってしまった。


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「おい、お光。おれは幸次郎のように嚇かしゃあしねえ」と、半七は賺(すか)すように云い出した。「若い女を嚇しにかけて白状させたと云われちゃあ、御用聞の名折れになる。おれはおとなしくおめえに云って聞かせるのだ。その積りで、まあ聴け。宮戸川のお光には此の頃いい旦那が出来て、当人も仕合(しあわ)せ、おふくろも喜んでいる。ところが、その旦那には女房がある。これがお定まりのやきもちで、いろいろのごたごたが起る。その挙げ句の果てに、女房は二日の晩にこの大川へ飛込んだ。亭主もいい心持はしねえから、毎日この川へ覗きに来る。お光も寝覚めが悪いから、ひょっとすると、その枕もとへ女房の幽霊でも出るのかも知れねえ。そこで自分も大川へ来て、人に知れねえように南無阿弥陀仏か南無妙法蓮華経を唱えている。話の筋はまあこうだ。大道占いはどんな卦(け)を置いたか知らねえが、おれの天眼鏡の方が見透しの筈だ。おいい、どうだ、おれにも幾らか見料を出してもよかろう」
「恐れ入りました」と、お光は顫(ふる)えながら微かに答えた。
「おい、幸」と、半七は笑った。「恐れ入りましたと云う以上は、弱い者いじめをしちゃあいけねえ。これからはお互いに仲良くするのだ。そこで、お光。その旦那というのは何処(どこ)の人だ」
「田町(たまち)でございます」
「浅草の田町だな」
「はい。袖摺稲荷(そですりいなり)の近所で……」
「なんという男で、何商売をしている」
「宗兵衛(そうべえ)と申しまして、金貸しを商売にして居ります。おもに吉原(よしわら)へ出入りをする人たちに貸し付けているのだそうで……」
「じゃあ、小金(こがね)を貸しているのだな。身上(しんしょう)はいいのか」
「よくは知りませんが、不自由は無いようでございます」
「おめえは宗兵衛の女房を知っているか」
「知って居ります」と、お光は云い淀みながら答えた。「あたしの家(うち)へ幾度も来たことがありますので……」
「おめえの家はどこだ」
「馬道(うまみち)の露路(ろじ)の中でございます」
「女房が何をしに来た。暴(あば)れ込んで来たのか」
「旦那を迎えに……。初めのうちは旦那も素直に帰ったんですが、しまいには喧嘩を始めて……。おっ母(か)さんも、あたしも困ったことがあります。この二日の晩にも、旦那がよっぽど酔っているところへ、おかみさんが押掛けて来て、とうとうの大喧嘩になってしまって……。旦那はおかみさんを引摺り倒して、乱暴に踏んだり蹴ったりするので、あたしたちも見かねて仲へはいって、ともかくもおかみさんを宥(なだ)めて表へ連れ出そうとすると、おかみさんはもう半気違いのようになっていて、鬼のような顔をして旦那を睨んで、この野郎め、おぼえていろ、あたしが死んでも、蠟燭が物を云うぞ……」
「蠟燭が物を云うぞ……。女房がそんなことを云ったのか」と、半七は訊き返した。
「云いました」と、お光はうなずいた。「そうして、あたしたちを突きのけて、跣足(はだし)で表へ駈け出してしまいました。旦那は平気で冷(せせ)ら笑って、あいつは陽気のせいでちっと取り逆上(のぼ)せているのだ。あんな気違いに構うな、構うなと云って、相変らず酒を飲んでいましたが、そのうちふいと気がついたように、急ぎの用を思い出したから直ぐに帰ると云い出して、雨の降るなかを帰って行きました」
「そりゃあ何時(なんどき)だ」
「弁天山(べんてんやま)の四ツがきこえる前でした」
「その後に宗兵衛はおめえの家(うち)へ顔を見せたか」
「一度も来ません」
「その仮橋から身を投げたのは宗兵衛の女房だと云うことを、おめえはどうして知っているのだ」
「今も申す通り、あの晩おかみさんが出て行く時に、あたしが死んでも蠟燭が物を云う……。それが耳に残っているところへ、きのうこの川で揚がった女の死骸は、金の蠟燭をかかえていたと云う評判で、その年ごろも丁度おなじようですから、きっと旦那のおかみさんに相違ないと、おっ母さんは大変に心配しているんです。あたしも気になって堪まりませんから、その様子を聞きながらここへ来て、占い者に見て貰いますと、おまえさんには死霊が祟(たた)っていると云われたので、いよいよぞっとしました」
「宗兵衛は江戸者かえ」
「いいえ、なんでも東海道の方に長くいたそうで、大井川(おおいがわ)の話なんぞをしたことがあります。江戸へは一昨年(おととし)の春頃から出て来たと云うことです」
お光はさらに半七の問いに対して、宗兵衛はことし四十歳、女房のお竹(たけ)は三十三歳、夫婦のあいだに子供は無く、田町の家はお由(よし)という山出しの女中と三人暮らしである。他国者(よそもの)だけに、江戸には身寄りも無いらしく、かつて親類の噂󠄀などを聞いたことも無いと云った。
「そこで、その蠟燭の一件だが……」と、半七はまた訊(き)いた。「それに就いて何か聞いたことがあるかえ」
「二日の晩に初めて聞いたので……。それまで誰もそんな話をした事はありませんでした」
「そうか。じゃあ、きょうはまあこの位でよかろう。おっ母(かあ)にもあんまり心配するなと云って置け」
「ありがとうございます」
「宗兵衛という旦那が来ても、きょうのことは決して喋(しゃべ)っちゃあならねえ。詰まらねえおしゃべりをすると飛んだ係り合いになるぞ」
半七はよく云い含めてお光を帰した。
「ねえ、親分。あの女は旦那という奴に内通しやあしませんかね」と、幸次郎は云った。
「なに、奥山の茶屋女が慾得(よくとく)ずくで世話になっている旦那だ。心から惚れているわけでもあるめえ。それにしても宗兵衛という奴を早く引挙げなけりゃあならねえ。野郎め、女房にひどい意趣返しをされたな」
「意趣返しだろうか」
「意趣返しよ」と、半七は笑った。「亭主の悪事が露顕(ろけん)するように、女房は金の蠟燭を抱いて身を投げたのだ」
「そんならむしろ訴えて出ればいいのに……」
「それにゃあ訳があるのだろう。訴えて出れば自分もお仕置にならなけりゃあならねえ。自分はひと思いに死んでしまって、あとに残った亭主を磔刑(はりつけ)か獄門(ごくおん)にでもしてやろうと云う料簡だろう。女に怨まれちゃあ助からねえ。おめえも用心しろよ」
「はは、わっしは大丈夫だ」
二人は両国を出て浅草の方角にむかった。
「都合によっちゃあ、それからそれへと追っ掛けにならねえとも限らねえ」と、半七は云った。「刻限はちっと早えが、腹をこしらえて置こう」
茶屋町辺の小料理屋で午飯(ひるめし)を済ませて、二人は馬道(うまみち)から田町一丁目にさしかかった。表通りは吉原の日本堤(にほんづつみ)につづくひと筋道で、町家(まちや)も相当に整っているが、裏通りは家並(やなみ)もまばらになって、袖摺稲荷のあるあたりは、二、三の旗本屋敷を除くほか、うしろは一面の田地(でんじ)になっているので、昼でも蛙(かわず)の声が乱れてきこえた。稲荷の近所というのを心当てに、二人は探しあるいていると、往来で酒屋の小僧に出逢った。
「おい、ここらに金貸しの宗兵衛さんという家(うち)はねえかね」と、幸次郎は小僧を呼びとめて訊いた。
「宗兵衛さんはいないよ」
「どこへ行った」
「どこへ行ったか知らないが、ゆうべから帰らないと女中が云ったんだ」
「まあ、留守でもいいや。その家を教えてくれ」
小僧に教えられて、宗兵衛の家をたずねて行くと、征木(まさき)の生垣(いけがき)に小さい木戸の入口があって、それには昼でも鍵(かぎ)が掛けてあるので、二人はさらに横手へまわると、ここにも裏木戸があって、その戸を押すとすぐに明いた。
「ごめんなさい」
女中は居睡りでもしていたらしく、二、三度呼ばせてようやく出て来た。彼女(かれ)は水口(みずぐち)の障子をあけて、不審そうに半七らをながめていた。
「おまえさんは女中かえ。お由さんと云うのだね」と、半七はまず訊いた。
お由は無言でうなずいた。
「旦那はお留守ですかえ」
「ゆうべから帰りませんよ」
「馬道のお光さんのとことへ泊まり込みかね」
何でもよく知っていると云うように、お由は無言で半七らの顔をふたたび眺めた。
「実はそのお光さんの家(うち)に行ってみたのですが、ゆうべから旦那は来ないと云うので……。それでお宅の方へ参ったのですが、旦那はどこへ行くとも、いつ帰るとも云い置いて行きませんでしたかえ」
「なんにも云って行きませんよ」と、お由は素気(そっけ)なく答えた。
「おかみさんは……」
「おかみさんも留守ですよ」
「二日の晩から居ないのかえ」
お由は無言であった。
「隠しちゃあいけねえ。おかみさんは本当に二日の晩から帰らねえのだろう」
お由はやはり無言であった。半七は舌打ちをしながら幸次郎を見かえった。
「また両国と同じ芝居を打たにゃあならねえ。女を嚇かすのはおめえに限る。まあ、頼むよ」


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お由は下総(しもうさ)の松戸(まつど)の生れで、去年の三月からこの家に奉公して、今まで長年(ちょうねん)しているのであった。ことし十八で、いわゆる山出しの世間見ずではあるが、正直一方で働くのを取得(とりえ)に、主人夫婦にも目をかけられていた。そういう女であるから、宗兵衛夫婦のあいだにどんな秘密がひそんでいるかを勿論知っている筈はなかった。彼女は幸次郎に嚇されて、ただ顫えているばかりであったが、それでも途切れ途切れにこれだけの事を語り出した。
「旦那とおかみさんとは去年の夏頃からたびたび喧嘩をしていました。去年の暮にいったん別れるような話もありましたが、まあその儘になっていたのです。今月の二日の晩に、おかみさんは宵から出て行きましたが、出先でまた旦那と喧嘩をしたと見えて、散らし髪になって真蒼(まっさお)にな顔をして帰って来て、癪(しゃく)が起ったと云って暫く横になっていました。それから奥へはいって何か探し物をしている様子でしたが、やがてわたくしを呼んで、本所まで駕籠(かご)を一挺(いっちょう)頼んで来てくれと云うので、すぐに表通りの辻倉(つじくら)へ呼びに行きました。おかみさんがその駕籠に乗って出たあとへ、ひと足違いで旦那が帰って来ましたから、おかみさんはこうこうですと話しますと、旦那はすぐに奥へはいって、これも何か探し物をしているようでしたが、わたくしには何も云わずに、あわてて表へ出て行きました。その晩の四ツ過ぎに、旦那はひとりで帰って来ましたが、おかみさんはそれぎり帰りません。旦那の話では、おかみさんはからだが悪いので箱根へ湯治にやったと云うことでした」
「それは二日の晩のことで、旦那はそれから毎日どうしていた」と、半七は訊いた。
「それから毎日どかへ出て行きました。ゆうべも日が暮れてから帰って来て、わたくしにお湯へ行って来いと云いますから、近所のお湯屋へ行って来ますと、その留守のあいだに旦那は着物を着かえて、小さい包みを持って、旅へ出るような支度をしていて、おれもこれから箱根まで行って、十日(とおか)ばかりすると帰って来ると云い置いて出ました」
きのうの今日であるから、お由はまだ両国の噂󠄀を聞いていないのであった。正直者の彼女は旦那の云うことを一途(いちず)に信じて、おかみさんの帰らないのをさのみ怪しんでもいなかたらしい。半七はさらに訊いた。
「おかみさんは駕籠に乗って、本所のどこへ行ったか知らねえか」
「本所と聞いたばかりで、どこへ行ったか存じません」
「本所には親類か知人(しるべ)でもあるのか」
「本所からは増(ます)さんという人が時どきに見えますが、家(うち)はどこにあるのか存じません」
「おかみさんの駕籠は辻倉だね」
「そうでございます」
「じゃあ、表の辻倉まで行って来てくれ」と、半七は幸次郎に云いつけた。「二日の晩にここのおかみさんを担(かつ)いで行った駕籠屋を調べて、本所のどこまで送ったか訊きただして来るのだ」
幸次郎はすぐに出て行った。その帰るのを待っている間(ひま)に、半七は家内を見まわると、寄付き、茶の間、座敷、納戸(なんど)、女中部屋の五間(いつま)で、さすがは小金でも貸して暮らしているだけに、家内はきちんと片付いて、小綺麗に住んでいるらしく見えた。台所へ出ると、柱には細長い竹の紙屑籠(かみくずかご)が掛けてあった。
「おい。この紙屑はこのごろ売ったかえ」
「屑屋さんは先月の晦日(みそか)に来て、それぎり参りません」と、お由は答えた。
半七は紙屑籠をおろして、念のために紙屑をつかみ出した。それをいちいち拡(ひろ)げて丹念に調べているうちに、底の方から半紙の屑を発見した。半紙は幾きれにも引裂いて丸めてあるので、その皺を伸ばして継ぎ合せてみると、女の筆の走り書きで、書いては消し、消しては書き、どうも思うように書けないので中途で引裂いて紙屑籠へ押込んでしまったらしい。したがって、文意はよく判らないが、ともかくも、「五年前のことを忘れたか――不人情な男――死んで恨みを晴らしてやる――蠟燭が物を云う――」と、これだけの事はおぼろげに推察された。
蠟燭が物を云うは、お光の口から洩らされているので、別に新しい発見でもなかったが、五年前のことを忘れたか――この一句は半七の胸に強く響いた。それによると、金の蠟燭に絡(から)んだ一種の秘密は五年前以前の出来事であるらしい。江戸城本丸の金蔵破りは先々月の六日であるから、五年以前の出来事と無関係であるのは判り切っている。金蔵やぶりの盗賊が証拠湮滅(いんめつ)のために、小判を地金に鋳潰して蠟燭に作り換えたものではないかと、今まではひそかに見込みを付けていたのであるが、その推定は土台から引っくり返されることになった。五年以前の秘密、それが何であるかを改めて詮索しなければならないと、半七は思った。
勿論、一つの犯罪を探索しているうちに、その見込み違いから、さらに別種の犯罪を発見するような例は、これまでにもしばしば経験があるので、半七は今さら驚くという程でもなかったが、見込み違いは確かに見込み違いである。彼は一種の失望を感じた。
そこへ幸次郎が威勢よく飛込んで来た。彼は半七を座敷へひき戻して口早にささやいた。
「親分、魚(さかな)はやっぱり大きいようです。辻倉の若い者に訊いたら、ここのおかみさんを乗せて行った先は、本所のももんじい屋の近所の錺屋(かざりや)だそうですよ」
ゆく先が錺屋というので、彼は大いに意気込んでいるらしいが、今の半七の考えはもう違っていた。しかし金の蠟燭をかかえて身を投げた女――それが、古今に例のない不思議の出来事であるだけに、彼の職業的興味は再び湧き起った。それが五年前の出来事であるにもせよ、金蔵やぶりと無関係であるにもせよ、進んでその秘密を発(あば)かなければならないと思うにつけて、金の蠟燭と錺屋、そこに離るべからざる聯絡(れんらく)を見出だしたのを喜んだ。彼はお由を座敷へ呼んで訊いた。
「おい。本所から来る増さんというのは、錺屋かえ」
「はい。錺屋さんだそうでございます」
「なんの用で来るのか知らねえか」
「やっぱりお金を借りに来るようです」
「この女じゃあ埒が明きますめえ」と、幸次郎は催促するように云った。「なにしろ早いが勝だから、すぐ本所へ廻りましょう」
「むむ。出かけよう」
お由には当分おとなしくしているように云い聞かせて置いて、半七と幸次郎は更に本所へむかった。駒止橋(こまどめばし)の近所で錺屋の増さんと訊くと、すぐに知れた。
「あの店におしゃべりらしい嬶(かかあ)がいる。あすこへ寄って内聞(ないぎ)きをしてみろ」
半七に指図されて、幸次郎は路ばたの魚屋へ立寄った。店先で盤台を洗っている女房に話しかけて、錺屋の噂󠄀を聞き出すと、果して彼女(かれ)は口軽にいろいろのことを喋った。錺屋の増蔵(ますぞう)は三十二三で、去年の春に女房に死に別れ、今では小僧と二人暮らしの男世帯である。腕はなかなかにいい職人であるが、女房を亡(な)くしてから道楽を始めて、諸方に義理の悪い借金が出来たらしいと云う。それで大抵の見当も付いたので、二人は錺屋へたずねて行くと、小僧がぼんやりと店に坐っていて、親方は二階に寝ていると答えた。
呼びおろされて出て来た増蔵はほろよい機嫌であったが、これは山出しのお由とちがって、江戸生え抜きの職人であるだけに、半七らが唯(ただ)の人(ひと)でないことに早くも気がついたらしく、俄に形をあらためて丁寧に挨拶した。
「わたくしは増蔵でございますが、なんぞ御用でございますか」
「おれは三河町の半七だが、内の者はまだ誰も来(こ)ねえかね」
「いえ、どなたも……」と、増蔵は不安らしく相手の顔をみあげた。
「まだここららまでは廻って来ねえか。遅い奴らだな。じゃあ、すぐに御用に取りかかろう。本来ならば番屋へ引っ張って行くのだが、近所の手前もあるだろうから、ここで訊くことにするよ」
小僧を奥へ追いやって、半七は店にあがり込んだ。よもやと思うものの野暮(やぼ)に立騒いだらば直ぐに押さえる積りで、幸次郎は店先に腰をかけていた。
しかし相手は案外におとなくし、半七の調べに対して正直に答えた。
「まことに恐れ入りました。実はきのう両国の仮橋の下から女の死骸が揚がって、それが金の蠟燭をかかえていたと云う噂󠄀を聞きまして、すぐに訊きに行きますと、確かに見おぼえのある人でしたから、そこで正直にお係りのお方に申上げげようかと思ったのですが、なんだか気が咎(とが)めてそのままそっと帰って来てしまいました。それがためにいろいろお手数(てかず)をおかけしまして相済みません」
「おめえは以前から田町の宗兵衛を識っているのか」
「いえ、去年の九月頃からでございます。実は去年の正月に女房をなくしまして、それからちっとばかり道楽を始めたので、ふところがだんだん苦しくなりまして……。そのうちに、吉原の若い者の喜助(きすけ)という者と懇意になりまして、その喜助が袖摺稲荷の近所にいる宗兵衛という金貸しを識っていると云うので、喜助の世話でそこから小金を借りることになって、それからまあ足を近く出這入(ではい)りをするようになりました」
「宗兵衛からよっぽど借りたか」
「一度にたんと借りたことはございません。せいぜい二歩(ぶ)か三歩でしたが、それでもだんだんに元利が溜まってしまいまして、今では七、八両になって居ります」
「七、八両……。職人にしては大金だ。それを宗兵衛は催促しねえのか」
「ちっとも催促しないで……。先月の始めに田町の家へたずねて参りますと、宗兵衛は一本の大きい蠟燭を出して見せまして、おまえは商売だから金銀細工の地金屋(じがねや)を知っているだろう。これを一度に持って行くとおかしく思われるから、幾つかに分けて方々の地金屋へ持って行って、相当の相場で売って来てくれ。その働き賃には今までの借金を帳消しにするばかりでなく、相場によってはまた幾らかの手数料をやると云うのです。わたくしも慾が手伝って、無分別に請合(うけあ)って、一本の蠟燭をあずかって帰って、念のために蠟燭の横っ腹へ小さい穴をあけて見ると、なるほど金がはいっているのです。金無垢(きんむく)の伸べ棒を芯にした蠟燭……不思議な物もあるものだと思うに付けて、わたくしはまた急に気味が悪くなりました。宗兵衛という人はどうしてこんな物を持っているのだろうと、翌日また出直して仔細を訊きに行きました」
「宗兵衛はなんと云った」
「おまえは知るまいが、京大阪の金持は用心に、こういう物をこしらえて置く。どんな泥坊が徒党を組んで押込んで来ても、蠟燭なんぞには眼をかけないから、こうして隠して置くのが一番確かだ。もう一つには、それが通用の小判であると、自分もとかくに手を付けて使い勝だから、地金のままで仕舞って置くのが無事だと云うことになっている。町家(まちや)ばかりでなく、諸大名の屋敷でも軍用金はこうして貯えて置くんだと、そう云うのです」
そんなことが本当にあるか無いかを、半七もよく知らなかった。幸次郎は勿論知らなかった。二人はただ黙っていると、増蔵はなおも語りつづけた。
「それでまあ不審は晴れたのですが、わたくしのような貧乏人が金のかたまりを持ち歩いても、どこでも滅多(めった)に取合ってくれそうもありませんから、どうしたものかと考えているうちに、つい花どきものですから田町へ行ってまた一両借りてしまいました。そんなわけで、いよいよ退引(のっぴき)ならない羽目になって、わたくしも困っているとことへ、この二日の晩に宗兵衛のおかみさんが駕籠で乗付けて来て、ここの家にあずけてある蠟燭を返してくれと云うのです。その様子が何だか可怪(おかし)い。おかみさんは散らし髪で眼の色が変っていて、どうも唯事(ただごと)ではないらしく、夫婦喧嘩でもして来たらしいので、大事の品をうっかり渡していいかどうだかと、わたくしはまた困っていると、おかみさんは凄いような顔をして是非渡せと云う。そうなると、なおさら不安になって来て、旦那が来なければ渡されないと云う。いや、渡せと云う。しまいには喧嘩腰になって争っているところへ、いい塩梅(あんばい)に宗兵衛も駕籠に乗って来てくれました。その顔をみても、おかみさんは黙っていて口を利きません。それを宗兵衛が無理に二階へ連れて行って、どういう風になだめたか知りませんが、まあ仲直りをしたような様子で、夫婦は無事に二階を降りて来ました。もう四ツ時分だから駕籠を呼ばせようかと云いましたが、そこらへ出て辻駕籠を拾うからと云って、二人は細雨(こさめ)のふる中を出て行きました」
「その蠟燭はどうした」
「女房がやかましいからいったん返してくれと宗兵衛が云うので、わたくしも厄介払いをしたような心持で、すぐに返してやりました。その時におかみさんは、まだ何本かの蠟燭を重そうに抱えているようでした」
「それからどうした」
「それから先のことはなんにも知りません。夫婦は無事に田町へ帰ったものだと思っていると、実に案外の始末でびっくりしました。たぶん帰り路で二度の喧嘩をはじめて、おかみさんは両国の仮橋から飛び込んだのだろうと思います。宗兵衛はどうしたのか、田町へ様子を見に行こうと思いながら、うっかり出て行って飛んだ係り合いになっても詰まらない。といって、知らん顔をしているのも義理が悪いようで、なんだか心持がよくないもんですから、昼間から湯にはいって一杯飲んで、二階で横になっていたところです」
気の弱い職人の申立てはこれで終った。


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「そうすると、その宗兵衛という男は、何処からか金の蠟燭を盗んでいたんですね」と、わたしは訊いた。
「そうです」と、半七老人はうなずいた。「しかし宗兵衛が増蔵に話して聞かせたのは出たらめで、上方(かみがた)の金持が泥坊よけに金の蠟燭を拵(こしら)えるの、大名が軍用金に貯えて置くのと云うのは、みんないい加減の誤魔化しであることが、あとですっかり判りました。金の蠟燭はそんなわけの物ではなかったんです。そこで、かの宗兵衛夫婦がどうしてそんな不思議な物を持っていたかと云うと、ここに小説のようなお話があるうんです。まあ、お聴きください。
どなたもご承知でしょうが、東海道の大井川、あの川は江戸から行けば島田の宿(しゅく)、上方(かみがた)から来れば金谷(かなや)の宿、この二つの宿のあいだを流れています。その金谷の宿から少し距(はな)れたところに、日坂峠(にっさかとうげ)というのがあって、それから例の小夜(さよ)の中山(なかやま)に続いているんですが、峠の麓に一軒の休み茶屋がありました。立場(たてば)というほどでは無いんですが、休んだ旅人(たびびと)には番茶を出して駄菓子を食わせる。有合(ありあわ)せの肴で酒ぐらいは飲ませるという家で、その茶屋の亭主が宗兵衛、女房がお竹、夫婦二人で商売をしていたんです。宗兵衛は三州(さんしゅう)岡崎の生れですが、道楽のために家を潰して金谷の宿へ流れ込んで来た者で、女房のお竹は岡崎女郎衆の果てだそうです。それでも夫婦が無事に暮らしていると、ある日の午(ひる)過ぎに、武家の中間(ちゅげん)風の男が一人通りかかって、この店に休んで酒なぞを飲んでいたんですが、そのうちに急に気分が悪くなったから、少しのあいだ寝かしてくれと云うので、夫婦の寝所(ねどこ)になっている奥の間へ通して、ともかくも寝かして置くと、男は日の暮れるまで起きることが出来ない。だんだんに容態が悪くなって来るらしい。その頃のことですから、近所に医者もないので、夫婦は有合せの薬なぞを飲ませて介抱した。そこは人情で、夫婦も見識らない旅の男を親切に看病してやったらしいんです。
その看病の効があったのか、一時はむずかしそうに見えた病人も、明くる朝からだんだんに落ちついて、その日の午(ひる)飯には粥(かゆ)を食うようになったので、まあ好(よ)かったと喜んでいると、七ツ下がり(午後四時過ぎ)になってから旅の男はもうすっかり快(よ)くなったから発(た)つと云い出した。秋の日は短い、やがて暮れるという時刻になって峠を越すよりも、もうひと晩泊って養生して、あしたの朝早く発つことにしたら好かろうと勧めたが、男はさきを急ぐとみえて無理に振切って出て行った。その別れぎわに、男はきのうから世話になったお礼をしたいが、路用は手薄(てうす)であるし、ほかには持ちあわせも無いから、これを置いて行く。しかし今すぐに使ってはいけない。まあ半年ぐらいは仏壇の抽斗(ひきだし)へ仕舞って置くがいいと、謎のようなことを云い残して、一本の大きい蠟燭をくれて行きました。
「それが例の蠟燭なんですね」
わたしは待ちかねて、思わず喙(くち)を出した。話の腰を折られても、老人は別に忌(いや)な顔を見せなかった。
「その男の云った通りにしたならば、夫婦も余計な罪を作らずに済んだのかも知れませんが、折角くれた蠟燭を今すぐに使ってはいけないと云う、それが何だか可怪(おかし)いばかりでなく、その蠟燭があんまり重いので、夫婦が不思議がって眺めているうちに、どっちの粗相(そそう)だか土間に落して、そこにある石にかちりとあたると、蠟は砕けて芯(しん)が出た。それが金色に光ったので、夫婦は又おどろきました。それがすなわち金の蠟燭の由来……」
「その旅の男というのは何者ですか」
「まあ、お待ちなさい。まだお話がある。その蠟燭を見て、夫婦は考えたんです。中間風の旅の男がこんな物を持っている筈がない。殊(こと)に病い挙げ句のからだで、今頃から怱々(そうそう)に出て行ったのは、なにかうしろ暗い身の上であるに相違ない。亭主の宗兵衛は急に思案して、こんな物を貰って何かの係り合いになっては大変だから追っかけて行って返して来ると、その蠟燭を風呂敷につつんで、男のあとを追って出たが、それぎり暫く帰って来(こ)ない。そのうちに日が暮れて暗くなる。どうしたのかと女房が案じていると、亭主は風呂敷包みを重そうに抱えて帰って来た……。と云ったらお察しも付くでしょうが、一本の蠟燭が六本になっていたんです。本当に返す積りであったのか、それとも他に思惑(おもわく)があったのか、その辺はよく判りませんが、なにしろ追っかけて行ってみると、男は峠の中途に倒れて苦しんでいる。病気が再発したらしいので、木の蔭へ引っ張り込んで介抱しているうちに、宗兵衛は腰にさげている手拭(てぬぐい)をとって男を不意に絞め殺したうえに、残りの蠟燭をみんな引っさらって来たと云うわけです。これには女房も驚いたが今さら仕方がない。夫婦はその晩のうちに旅支度をして、六本の蠟燭をかかえて夜逃げをしてしまったんです。
それからひとまず京都へ行って、どういう風に誤魔化したか、ともかくも一本の蠟燭の芯を売って通用の金に換え、それを元手にして二年ほど商売をやっていたんですが、その商売が思うように行かなかったのか、何かのことで足が付きそうになったのか、京都を立退(たちの)いて江戸へ出て来て、浅草の田町で金貸しを始めることになったんです。吉原に近いところですから、小金を借りに来る者もあって、商売は相当に繁昌したんですが、相手が相手だから貸し倒れも多い。おまけに宗兵衛は江戸の水に浸みて、奥山の茶屋女に熱くなると云う始末だから、夫婦喧嘩の絶え間が無いばかりか、宗兵衛のふところも次第にさびしくなる。そこで錺屋の増蔵をうまく手なずけて、例の蠟燭をなんとか処分しようとしているうちに、女房のやきもちから椿事(ちんじ)出来(しゅったい)して、只今お話申したような手続きになったんです」
「宗兵衛はどうしました」
「宗兵衛は女房をなだめて、一緒に増蔵の家を出て、両国まで帰って来ると、お竹はかねて覚悟をしていたものか、仮橋の中ほどを過ぎた頃に、亭主の隙(すき)をみて不意に川のなかへ飛込んでしまった。もちろん、蠟燭は自分がしっかりと抱えたままで飛込んだのですから、宗兵衛も呆気(あっけ)に取られた。そのうちに橋番のおやじが出て来たので、あわてて東両国の方へ引っ返して、河岸(かし)伝いに吾妻橋(あずまばし)へ出て、無事に田町の家へ逃げて帰ったんですが、さてどうも気にかかるので、その後も両国へ毎日通って、橋の上から大川を眺めているうちに、とうとうお竹の死骸が引揚げられて、金の蠟燭の一件が露顕(ろけん)しそうになったので、もううかうかしてはいられないと思って、その晩すぐに支度をして、なんにも知らない女中のお由を置き去りにして、駈落を極めてしまったんです。
わたくしが本所の錺屋へ出張ったのは七日の午過ぎで、宗兵衛はその前夜に飛んでしまったんですから、その間に一日の差があります。どっちの方角へ逃げたか知らないが、逃げる方は一生懸命だから、一日おくれては容易に追い着かれそうもない。どうしたものかと思案しながら、幸次郎と一緒に錺屋を出て、両国の方へぶらぶら引っ返して来ると、仮橋の中ほどに一人の男が突っ立って、ぼんやりと水をながめている。その年頃や人相風俗が彼(か)の宗兵衛によく似ているので、つかつかと寄って「おい、宗兵衛」と声をかけると、男は二人を見て慌(あわ)てた様子で、いったんは川へ飛込もうとしたらしいんですが、夜と違って昼間のことですから、川には石や材木を積んだ船が幾艘も出ている。人足や船頭も働いている。そこへ飛込むことも出来なかったと見えて、引っ返して西両国の方へ逃げて行く。二人は追っかけて行く……。逃げる奴は何分にも素人(しろうと)の悲しさ、気ばっかり焦(あせ)って体が前へ泳いでいるので、ちょいと蹉(つまず)くとすぐに突んのめる。男が何かにつまずいてばったり倒れたところを、二人がすぐに取押さえました。
それが丁度、橋番の小屋の前でしたから、爺さんの久八を呼んで首実験をさせると、毎日この橋の上へ来て大川を眺めていた男は、確かにこいつに相違ないと云うので、もう一言もなく恐れ入ってしまいました。そこで、だんだんに調べてみると、宗兵衛は前の晩に田町の家(うち)を出て、東海道を行っては足が付くと思ったので、中仙道(なかせんどう)を行くことにして、その晩は仮橋の女郎屋に泊ったんです。明くる朝、そこからすぐに発(た)てばいいのに、例の宮戸川のお光に未練があるので、もう一度逢って行きたいような気になって、そこからまた引っ返して馬道へ来たが、なんだか近所の人が自分をじろじろ見ているような気がするので、思い切って露路のなかへはいることも出来ず、いっそ日が暮れてから尋ねて行こうと思って、あても無しに其処らをうろ付いているうちに、又なんだか両国の方へ行って見たくなった。たぶんお竹の魂に引寄せられたのでしょうと、本人は怪談めいたことを云っていましたが、犯罪者はとかくそうしたもので、自分に係り合いのある所へわざわざ近寄って、結局破滅を招くことになるのが習いです。宗兵衛もやはり其のたぐいでしょう」
これでこの事件の顛末は判ったが、最後に残っているのは金の蠟燭の問題である。それについて、老人はこう説明した。
「旅の男は宗兵衛に縊(くび)り殺されてしまったので、その身許(みもと)も蠟燭の出所((でどこ)もいっさい判らないんですが、宗兵衛の申立てに因(よ)って判断すると、その蠟燭は何処かの大名から江戸の役人たちへ贈る品で、その当時は『権門(けんもん)』なぞと云いましたが、つまりは一種の賄賂(わいろ)です。表向きは金をやるわけにも行かないので、菓子折の底へ小判を入れたり、金銀の置物をこしらえたり、いろいろの工夫をするのが習いでしたから、この蠟燭も一つの新工夫で、おそらく九州辺の大名が国産の蠟燭を進上するなぞと云って、金の伸べ棒入りの蠟燭を持込む積りであったのだろうと思われます。そこで、その進物(しんもつ)を国許から江戸へ送って来るには、もちろん相当の侍も付いているに相違ありませんが、その供の者、すなわち中間(ちゅうげん)どもの中に良くない奴があって、事情を知ってひと箱ぐらいを盗み出し、それを抱えて途中から逐電(ちくでん)したらしい。ほかに同類があったかどうだか知りませんが、その男は江戸へむかって逃げるのは危険だと思って、上方(かみがた)へむかって引っ返す途中、金谷の宿(しゅく)で急病が起った為に、とうとう宗兵衛の手にかかって、日坂峠の秋の露、消えて果敢(はか)なくなりにけりと云う事になったんでしょう。今更ではないが、悪いことは出来ません。
それがなぜ世間へ知れずにいたかと云うに、その大名も元来秘密の仕事ですから、たとい途中でどんな事があろうとも、表向きに詮議は出来ません。江戸の幕府の役人たちに蠟燭を贈ったなぞと云うことが世間に知れては、その屋敷の大迷惑になりますから、何事も泣き寝入りにして、闇から闇へと葬るのほかはない。それを承知で、持逃げをした奴もあるわけです。昔はそういうたぐいの秘密がいろいろにありました。いや、今日(こんにち)でも『珍物(ちんぶつ)』なぞという贈り物があるとか聞いていますが……。はははははは。
ついでに申上げますが、御金蔵やぶりの藤十郎と富蔵は、安政四年二月二十六日に召捕られ、五月十三日に千住(せんじゅ)の小塚(こづか)ッ原(ぱら)で磔刑(はりつけ)になりました。わたくしも随分これには頭を痛めたんですが、運がないのか、知恵が無いのか、他人(ひと)に功を奪われて、この捕物にはいっさい係り合いがなかったのを今でも残念に思っています」

この著作物は、1939年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。