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半七捕物帳 第三巻/筆屋の娘

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筆屋の娘

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久しぶりで半七老人に逢うと、それがまた病みつきになって、わたしはむやみに老人の話が聴きたくなった。『蝶合戦』の話を聞いたのち四、五日を経て、わたしはこの間の礼ながらに赤坂へたずねてゆくと、老人は縁側に出て金魚鉢の水を替えていた。けさも少し陰(くも)って、狭い庭の青葉は雨を待つように、頭をうなだれて、うす暗いかげを作っていた。
「あなたはつけが悪い。きょうも降られそうですぜ」と、半七老人は笑っていた。
金魚の手がえしは梅雨(つゆ)のうちが一番むずかしいなどと云う話が出た。それからだんだんに糸を引いて、わたしはいつもの話の方へ引寄せてゆくと、老人は「又ですかい」とも云わず、けさは自分から進んですらすら話し出した。
「あれはいつでしたっけね」と、老人は眼をつぶりながら考えていた。「そうです、そうです。あの太郎稲荷(たろういなり)がはやり出した年ですから慶応(けいおう)三年の八月、まだ残暑の強い時分でした。ご存じでしょう、浅草(あさくさ)田圃(たんぼ)の太郎様を……。あのお稲荷様は立花(たちばな)様の下(しも)屋敷にあって、一時ひどく廃(すた)れていたんですが、どういう訳かこの年になって俄かに繁昌して、近所へ茶店や食物(くいもの)屋がたくさんに店を出して参詣人が毎日ぞろぞろ押掛けるという騒ぎでしたが、一年ぐらいで又ばったりと寂(さび)しくなりました。神様にも流行(はや)り廃(すた)りがあるから不思議ですね。いや、そんなことはまあどうでもいいとして、これからお話するのは慶応三年の八月はじめのことで、下谷(しもや)の広徳寺(こうとくじ)前の筆屋の娘が頓死したんです。ご承知の通り、下谷から浅草へつづいている広徳寺前の大通りは、昔からお寺の多いところでして、それに連れて法衣(ころも)屋や数珠(じゅず)屋のたぐいもたくさんありましたが、そのなかに二、三軒の筆屋がありました。その筆屋のなかでも東山堂(とうざんどう)という店が一番繁昌していました。繁昌するには訳があるので、はははははは」
「どういう訳があるんです」
「そこには姉妹(きょうだい)の娘がありましてね。姉はその頃十八で名はおまん、妹の方は十六でお年(とし)と云っていましたが、姉妹ともに色白の容貌(きりょう)よしで……。まあ、そういう看板がふたり坐っていれば、店は自然と繁昌するわけですが、まだ其のほかに秘伝があるので……。誰でもその店へ行って筆を買いますと、娘たちがきっとその穂を舐(な)めて、舌の先で毛を揃えて、鞘(さや)に入れて渡してくれるんです。白い毛の筆を買えば、口紅の痕までがほんのりと残っていようという訳ですから、若い人たちはみな嬉しがります。それが評判になって、近所のお寺の坊さんや本郷(ほんごう)や下谷浅草界隈の屋敷者などが、わざわざこの東山堂までやって来て、美しい娘の舐めてくれた筆を買って行くという訳で、誰が云い出したとも無しに『舐め筆』という名を付けられてしまって、広徳寺前の一つの名物のようになっていたんです。その姉娘が急に死んだのですから、近所では大評判でしたよ」


姉娘のおまんは急死したと披露されているけれども、どうも変死らしいという噂󠄀(うわさ)が立った。ここらを持場にしている下っ引の源次(げんじ)がそれを聞き込んで、だんだんに探索を進めて行くと、おまんは確かに変死であると判(わか)った。七月二十五日の夕方から、彼女(かれ)は気分が悪いと云い出した。最初はさしたることでもあるまいと思って、買いぐすりなどを飲ませていると、夜の五ツ(午後八時)頃になって、いよいよひどく苦しみ出して、しまいには吐血(とけつ)した。家内の者もびっくりして、すぐに医者を呼んで来たがもう遅かった。おまんは衾(よぎ)や蒲団を掻きむしって苦しんで、とうとう息が絶えてしまった。医者は何かの中毒であろうと診断した。
東山堂では医者にどう頼んだか知らないが、ともかくも食あたりと云うことで、その明くる日に葬式(とむらい)を出そうとした。その報告を源次から受取って、半七も首をかしげた。彼は念のために八丁堀(はっちょうぼり)同心へその次第を申立てると、不審の筋ありと云うので葬式はひとまず差止められた。町奉行所から当番の与力や同心が東山堂へ出張って、式(かた)のごとくにおまんの死体を検視すると、彼女は普通の食あたりでなく、たしかに毒薬を飲んだのであることが判った。しかしその毒薬を自分で飲んだのか、人に飲まされたのか、自殺が毒殺かは容易に判らなかった。検視が済んで、おまんの埋葬はとどこおりなく許されたが、あとの詮議がすこぶるむずかしくなった。
自害にしても其の事情はよく取調べなければならない。他人の毒殺となれば勿論、重罪である。いずれにしても等閑(なおざり)には致されない事件と認められて、第一の報告者たる半七が、その探索を申付けられた。半七はすぐ源次を近所の小料理屋へ連れて行った。
「おい。源次。ちょいと面白そうな筋だが、なにしろ娘はゆうべ死んで、もうすっかり後始末をしてしまったところへ乗込んで来たんだから、場所にはなんにも手がかりはねえ。どうしたもんだろう。おめえ、なんにも当りはねえのか」
「そうですねえ」と、源次は首をひねった。誰のかんがえも同じことで、舐め筆の娘の変死はいずれ色恋のもつれであろうと彼は云った。
「そこで自分で毒を食ったのか、それとも人に毒を飼(か)われたのか」
「親分はどう睨んだか知らねえが、わっしは自分でやったんじゃあるめえと思います。なにしろ其の日の夕方までは店できゃっきゃっとふざけていたそうですからね。それに近所の噂󠄀を聞いても、別に死ぬような仔細は無いらしいんです」
「そうか」と、半七はうなずいた。「そこで娘に毒を食わしたのは内の者か、外の者か」
「さあ。そこまでは判らねえが、まあ内の者でしょうね。わっしは妹じゃあないかと思うんですが……。別に証拠もありませんが、なにか一人の男を引っ張り合ったとか云うような訳で……。それとも姉に婿を取って身上(しんしょう)を譲られるのが口惜(くや)しいとか云うので……。どうでしょう」
そんなことが無いでもないと半七は思った。東山堂の店は主人の吉兵衛(きちべえ)と女房のお松(まつ)、姉妹の娘の二人のほかに二人の小僧とあわせて六人暮らしであった。小僧の豊蔵(とよぞう)はことし十六で、一人の佐吉(さきち)は十四であった。主人夫婦が現在の娘を毒害しようとは思われない。二人の小僧も真逆(まさか)にそんなことを巧(かく)もうとは思われない。もし家内のものに疑いのかかるあかつきには、まず妹娘のお年に眼串(めぐし)をさされるのが自然の順序であった。しかしまだ十六の小娘のお年がどこで毒薬を手に入れたか、その筋道を考えるのが余ほどむずかしかった。
「おれの考えじゃあどうも妹らしくねえな。ほかの奴が何か細工をしたんじゃあねえか」
「そうでしょうか」と、源次はすこし不平らしい顔をしていた。「そんなら東山堂ではなぜそれを表向きにしねえで、隠密に片付けてしまおうとしたのでしょう。それが可怪(おかし)いじゃありませんか。わっしの鑑定じゃあ、親たちも薄うすそれを気付いているか、表向きにすりゃあ妹の首に縄がつく。看板娘が一度に二人も無くなって、おまけに店から引廻しが出ちゃあ、もうこの土地で商売をしちゃあいられねえ。そこを考えて、もうし死んだものは仕方がねえと諦めて、科人(とがにん)を出さねえようにそっと片付けようとしたんだろうと思います」
「それも理窟(りくつ)だ。じゃあ、ともかくもおめえは妹の方を念入りに調べ上げてくれ。おれはまた、別の方角へも手を入れて見るから」
「ようごぜえます」
二人は約束して別れた。その明くる朝、半七が朝飯を食って、これからもう一度下谷へ行ってみようかと思っているところへ、源次が汗を拭きながら駈け込んで来た。
「親分、あやまりました。わっしはまるで見当違いをしていました。舐め筆の娘は、自分で毒を食ったんですよ」
「どうして判った」
「こういう訳です。あの店から、五、六間先の法衣屋(ころもや)の筋向うに徳法寺(とくほうじ)という寺があります。そこの納所(なっしょ)あがりに善周(ぜんしゅう)という若い坊主がいる。娘の死んだ明くる朝にやっぱり頓死したんだそうで……。それが同じように吐血して、なにか毒を食ったに相違ないと云うことが今朝になって初めて判りました。その善周というのは色の小白い奴で、なんでもふだんから筆屋の娘たちと心安くして、毎日のように東山堂の店に腰をかけていたと云いますから、いつの間にか姉娘とおかしくなっていて、二人が云いあわせて毒を飲んだのだろうと思います。なにしろ相手が坊主じゃあ、とても一緒にはなれませんからね」
「すると、心中(しんじゅう)だな」
「つまりそういう理窟になるんですね。男と女とが舞台を変えて、別べつに毒をのんで、南無阿弥陀仏を極めたんでしょう。そうなると、もう手の着けようがありませんね」と、源次はがっかりしたように云った。
若い僧と筆屋の娘とが親しくなっても、男が法衣(ころも)をまとっている身の上ではとても表向きに添い遂げられる的(あて)はない。男から云い出したか、女から勧めたか、ともかくも心中の約束が成立って、二人が分れわかれの場所で毒を飲んだ。それは有りそうなことである。二人がおなじ場所で死ななかったのは、男の身分を憚(はばか)ったからであろう。僧侶の身分で女と心中したと謳(うた)われては、自分の死後の恥ばかりでなく、ひいては師の坊にも迷惑をかけ、寺の名前にも疵(きず)が付く。破戒の若僧もさすがにそれらを懸念して、ふたりは死に場所を変えたのであろう。こう煎じつめてゆくと、二人が本望通りに死んでしまった以上、ほかに詮議の蔓(つる)は残らない筈である。源次が落胆するのも無理はなかった。
「そこで、その坊主には別に書置(かきおき)もなかったらしいか」と、半七は訊(き)いた。
「そんな話は別に聞きませんでした。あとが面倒だと思って、なんにも書いて置かなかったんでしょう」
「そうかも知れねえ。それから妹の方には別に変った話はねえのか」
「妹は先月頃から嫁に行く相談があるんだそうです。馬道(うまみち)の上州屋(じょうしゅうや)という質屋の息子がひどく妹の方に惚れ込んでしまって、三百両の支度金でぜひ嫁に貰いたいと、しきりに云い込んで来ているんです。三百両の金もほしいが看板娘を連れて行かれるのも困る。痛(いた)し痒(かゆ)しというわけで、親たちもまだ迷っているうちに、婿取りの姉の方がこんなことになってしまったから、妹をよそへやるという訳には行きますめえ。どうなりますかね」
「妹には内証(ないしょ)の情夫(おとこ)なんぞ無かったのか」と、半七はまた訊いた。
「さあ、そいつは判りませんね。そこまではまだ手が達(とど)きませんでしたが……」と、源次は頭を掻いた。「面倒でもそれをもう一度よく突き留めてくれ」


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源次を帰したあとで、半七は帷子(かたびら)を着かえて家を出た。彼は下谷へ行く途中、明神下(みょうじんした)の妹の家をたずねた。
「おや、兄(にい)さん。相変らず厚うござんすね」と、お粂(くめ)は愛想よく兄を迎えた。
「おふくろは……」
「ご近所のかたと一緒に太郎様へ……」
「むむ、太郎様か。この頃は滅法界(めっぽうかい)にはやり出したもんだ。おれもこのあいだ行って見てびっくりしたよ。まるで御開帳(ごかいちょう)のような騒ぎだ」
「あたしもこのあいだご参詣に行っておどろきました。神様もはやるとなると大変なもんですね」
「時にこんな物を加賀(かが)様のお手古(てこ)の人に貰ったから、おふくろにやってくんねえ」
半七は風呂敷をあけて落雁(らくがん)の折(おり)をだした。
「ああ、墨形(すみがた)落雁。これは加賀様のお国の名物ですってね。家(うち)でも一度貰ったことがありました。阿母(おっか)さんは歯がいいから、こんな固いものでも平気でかじるんですよ」と、お粂は笑っていた。
彼女(かれ)は茶を淹(い)れながら、兄に訊いた。
「兄さん。この頃は忙がしいんですか」
「むむ、たいしてむずかしい御用もねえが、広徳寺前にちょっとしたことがあるから、これからそっちへ行って見ようかと思っている」
「広徳寺前……。舐め筆の娘じゃないの」
「おめえ知っているのか」
「あの娘(こ)は姉妹とも三味線堀(しゃみせんぼり)のそばにいる文字春(もじはる)さんという人のところへお稽古に行っていたんです。妹はまだ行っているかも知れません。その姉さんの方が頓死したと云うんで、あたしもびっくりしました。毒を飲んだと云うのはほんとうですか」
「そりゃあほんとうだが、自分で飲んだのか、人に飲まされたのか、そこのところがまだはっきりとおれの腑(ふ)に落ちねえ。おまえ、その文字春という師匠を識っているなら、そこへ行って妹のことを少し訊いて来てくんねえか。妹はどんな女だか、なにか情夫(おとこ)でもあるらしい様子はねえか、東山堂の親たちはどんな人間か、そんなことを判るだけ調べて来てくれ」
「よござんす。お午(ひる)すぎに行って訊いて来ましょう」
「如才(じょさい)もあるめえが、半七の妹だ。うまくやってくれ」
「ほほほほほ。あたしは商売違いですもの」
「そこを頼むんだ。うまく行ったら鰻(うなぎ)ぐらい買うよ」
妹に頼んで半七はそこを出ると、どこの店でももう日除(ひよけ)をおろして、残暑の強い朝の日は蕎麦屋の店先に干(ほ)してあるたくさんの蒸籠(せいろう)をあかあかと照らしていた。
徳法寺をたずねて住職に逢うと、住職はもう七十くらいの品のいい老僧で、半七の質問に対していちいち明らかに答えた。徒弟(とてい)の善周は舟橋(ふなばし)在の農家の次男で、九歳の秋からこの寺へ来て足かけ十二年になるが、年の割には修業が積んでいる。品行もよい。自分もその行く末を楽しみにしていたのに、なんの仔細(しさい)でこんな不慮の往生を遂げたのか一向に判らない。無論に書置もない、毒薬らしい物もあとに残っていない。したがって詮議のしようもないのに当惑していると、老僧は白い眉をひそめて話した。
筆屋の娘との関係については、彼は絶対に否認した。
「なるほど、近処(きんじょ)づからの事でもあれば、筆屋の店に立寄ったこともござろう。娘たちと冗談くらいは云ったこともござろう。しかし娘といたずら事など、かけても有ろう筈はござらぬ。それは手前(てまえ)が本尊阿弥陀如来の前で誓言(せいごん)立てても苦しゅうござらぬ。たとい何人(なんびと)がなんと申そうとも、左様の儀は……」
立派に云い切られて、半七も躊躇(ちゅうちょ)ひた。住職の顔色と口吻(くちぶり)とない何の陰影もないらしいことは、多年の経験で彼にもよく判っていた。それと同時に、心中の推定が根本からくつがえされてしまうことを覚悟しなければならなかった。彼は更に第二段の探索に取りかかった。
「いかがでございましょうか。その善周さんという人のお部屋を、ちょっと見せていただく訳にはまいりますまいか」
「はい。どうぞこちらへ」
住職は故障なく承知して、すぐに半七を善周の部屋に案内した。部屋は六畳で、そこには、十二、三の若僧と十五、六の納所(なっしょ)とが経を読んでいたが、半七のはいつて来たのを見て、丸い頭を一度に振り向けた。
「ごめん下さい」と、半七は会釈(えしゃく)した。ふたりの僧は黙って会釈した。
「善周さんのお机はどれでございます」
「これでございます」と、若僧は部屋の隅にある小さい経机を指差して教えた。机の上には折本の経本(きょうほん)が、二、三冊積まれて、その隅には小さい硯箱(すずりばこ)が置いてあった。
「拝見いたします」
一応ことわって、半七は硯箱の蓋(ふた)をあけると、箱のなかには磨り減らした墨と、二本の筆とが見いだされた。筆は二本ながら水筆(すいひつ)で、その一本はまだ新しく、白い穂の先に墨のあとが薄黒くにじんでいるだけであった。半七はその新しい筆をとって眺めた。
「この筆はこの頃お買いになすったんでしょうねえ。ご存じありませんか」
それは善周が死んだ前日の夕方に買って来たものらしいと若僧は云った。いつも東山堂で買うのであるから、それも無論に同じ筆屋で買って来たのであろうと彼はまた云った。半七は更にその筆の穂を自分の鼻の先にあてて、そっとかいでみた。
「この筆を暫時(ざんじ)拝借して行くわけにはまいりますまいか」
「よろしゅうござる。お待ちください」と、住職は云った。
その筆を懐紙につつんで、半七は部屋を出た。
「善周さんのお葬式(とむらい)はもう済みましたか」と、彼は帰るときに住職に訊いた。
「きのうの午すぎに検視を受けまして、暑気の折柄でござれば夜分に寺内に埋葬いたしました」
「左様でございますか。いや、これはどうもお邪魔をいたしました」
寺を出ると、半七はすぐに東山堂へ行った。娘の葬式はゆうべの筈であったが、俄かに検視が来たため刻限がおくれて、今朝あらためて、橋場(はしば)の菩提寺へ送ることになったので、きょうは勿論に商売を休んで、店の戸は半分おろしてあった。戸のあいだから覗いて見ると、小僧の一人がぼんやりと坐っていた。
「おい。おい。小僧さん」
半七は外から声をかけると、小僧は入口へ起(た)って来た。
「皆さんはお送葬(とむらい)からまだ帰りませんかえ」
「まだ帰りません」
「小僧さん。ちょいと表まで顔を貸してくださいな」
小僧は妙な顔をして表へ出て来たが、彼は半七の顔を思い出したらしく、急に形をあらためて行儀よく立った。
「ゆうべは騒がせて気の毒だったな」と、半七は云った。「ところで、お前に少し訊きたいことがあるんだが、一昨日(おととい)か一昨々日(さきおととい)頃、この店へ筆を取換えに来た人はなかったかえ。この水筆(すいひつ)だ」
ふところから紙につつんだ水筆を出してみせると、小僧はすぐにうなずいた。
「ありました。おとといのお午過ぎに若い娘が取換えに来ました」
「どこの子だか知らねえか」
「知りません。この筆を買って帰ってから、一時(いっとき)ほど経ってまた引っ返して来て、穂の工合が悪いからほかのと取換えてくれと云って、ほかのと取換えて貰って行きました」
「ほかには取換えに来た者はねえか」
「ほかにはありませんでした」
「その娘は幾つぐらいの子で、どんな装(なり)をしていた」
「十七、八でしょう。島田髷(しまだまげ)に結って、あかい帯をしめて、白い浴衣(ゆかた)を着ていました」
「どんな顔だ」
「色の白い可愛らしい顔をしていました。どこかの娘か小間使でしょう」
「その娘は今まで一度も買いに来たことはねえか」
「さあ、どうも見たことはないようです」
「いや、ありがとう」
小僧に別れて、浅草の方角へ足をむけると、半七は往来で源次に出逢った。
「親分。舐め筆の娘はどっちも堅い方で、これまで浮いた噂󠄀はなかったようです」と、源次は摺り寄ってささやいた。
「そうか。時に丁度いいところで逢った。おめえこれから浅草へ行って、庄太(しょうた)にも手を貸してもらって、上州屋にいる奉公人の身許(みもと)をみんな洗って来てくれ。男も女もみんな調べるんだぜ。いいか」
「判りました」
「じゃあ、おめえに預けておれは帰るぜ。大丈夫だろうな」
「大丈夫です」
それから二、三軒用達(ようたし)をして、半七は神田の家へ帰った。近所の銭湯で汗を流して来て、これから夕飯を食おうとするところへ、お粂が来た。
「行って来ましたよ」
「やあ、ご苦労。そこでどうだ」
「文字春さんのところへ行って訊きましたが、舐め筆の娘には姉妹ともに悪い噂󠄀なんぞちっとも無いそうです。親たちも悪い人じゃあ無いようです」
それは源次の報告と一致していた。心中の事実は跡方もないに決まってしまった。


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「でね、兄(にい)さん。文字春さんからいろいろの話を聴いているうちに、あたし少し変だと思うことがあるんですよ」と、お粂は団扇(うちわ)を軽く使いながら云った。
「どんなことだ」
「妹のお年ちゃんの方は今でも毎日文字春さんのところへお稽古に来るんですが、なんでも先月頃から五、六度お年ちゃんが来て稽古をしているのを、窓のそとから首を伸ばして、じっと内をのぞいている娘があるんですって」
「十七、八の、色白の可愛らしい娘じゃあねえか」と、半七は喙(くち)を容(い)れた。
「よく知っているのね」と、お粂は涼しい眼をみはった。「その娘はいつでもお年ちゃんの浚(さら)っている時に限って、外から覗いているんですって、変じゃありませんか」
「それはどこの娘か判らねえのか」
「そりゃあ判らないんですけれど、ほかの人の時には決して立っていたことが無いんだそうです。なにか訳があるんでしょう」
「むむ。訳があるに違げえねえ。それでおれも大抵わかった」と、半七はほほえんだ。
「もう一つこう云うことがあるんです。文字春さんの家(うち)の近所に馬道の上州屋の隠居所があるんです。あのお年ちゃんという娘(こ)は、上州屋から容貌(きりょう)望みで是非お嫁にくれと云い込まれているんだと云うじゃありませんか。その話はなんでも先月頃から始まったんだと云うことです。その先月頃から文字春さんの家のまえに立って、窓からお年ちゃんを覗いている女があると云うんですから、その娘はきっと上州屋の隠居所へ来る女で、そっとお年ちゃんを覗(のぞ)いているんだろうと思うんです。文字春さんもそんなことを云っていました。けれども、考えようによっては、それがいろいろに取れますね」
「そこでお前はどう取る」と、半七は笑いながら訊いた。
その娘は上州屋の奉公人で、三味線堀近所の隠居所へ時どきに使にくるに相違ないとお粂は云った。自分の邪推かは知らないが、ひょっとすると其の娘は上州屋の息子となにか情交(わけ)があって、今度の縁談について一種の嫉妬(ねたみ)の眼を以てお年を窺っているのではあるまいかと云った。
「なかなか隅へは置けねえぞ」と、半七はまた笑った。「どうだい。いっそ常磐津の師匠なんぞやめて御用聞にならねえか」
「おほ、随分なことを云う。なんぼあたしだって、撥(ばち)の代りに十手を持っちゃあ、あんまり色消しじゃありませんか」
「ははは、堪忍しろ。それからどうだと云うんだ」
「もういやよ。あたし、なんにも云いませんよ。ほほほほほほ。あたしもう姉さんの方へ行くわ」
お粂は笑いながら女房のいる方へ起(た)ってしまった。冗談半分に聞き流していたものの、妹の鑑定はなかなか深いところまで行き届いていると半七は思った。自分が源次に云いつけて、上州屋の奉公人どもの身許(みもと)をあらわせたのも、つまりはそれと同じ趣意であった。そして文字春の窓をたびたびのぞいていた娘と、東山堂へ筆を取換えに来た娘と、その年頃から人相まで同一である以上、自分の判断のいよいよ誤らないことが確かめられた。半七は生簀(いけす)の魚(うお)を監視しているような心持でその晩を明かした。
あくる朝になって、源次が来た。その報告によると、上州屋の奉公人は番頭小僧あわせて男十一人、仲働きや飯炊きをあわせて女四人である。この綬五人の身許を洗うにはなかなか骨が折れたが、馬道の庄太の手をかりて、まずひと通りは調べて来たと云った。男どもの方は後廻しにして、半七はまず女の方のしらべを訊くと、仲働きはお清(きよ)、三十八歳。お丸(まる)、十七歳。台所の下女はお軽(かる)、二十二歳。お鉄(てつ)、二十歳というのであった。
「このお丸というのはどんな女だ」
「芝口(しばぐち)の下駄屋の娘で、兄貴は家(いえ)の職をしていて、弟は両国(りょうごく)の生薬屋(きぐすりや)に奉公しているそうです」と、源次は説明した。
「よし、判った。すぐにその女を引挙げなければならねえ」
「へえ、そのお丸というのが可怪(おかし)いんですかえ」
「むむ、お丸の仕業(しわざ)に相違ねえ。弟が薬種屋に奉公していると云うのなら猶(なお)のことだ。よく考えてみろ。舐め筆の娘の死んだ日にお丸そっくりの女が筆を買いに来て、一時(いっとき)ばかり経って又その筆を取換えに来た。そこが手妻(てづま)だ。取換えに来たときに、筆の穂になにか毒薬を塗って来たに相違ねえ。そうして、ほかの筆と取換えて、その筆を置いて行ったんだ。勿論、なめ筆の評判を知っての上で巧(たく)らんだことに決まっている。娘はそれを知らねえで、その筆を売る時にいつもの通りに舐めてやった。買った奴は徳法寺の善周という坊主で、これも又その筆を舐めた。毒の廻り方が早かったので、娘はその晩に死んだ。坊主の方はあくる朝になって死んだ。心中でもなんでもねえ。一本の筆が廻り廻って二人の人間の命を取るようになったので、娘は勿論だが、坊主も飛んだ災難で、訳もわからずに死んでしまったんだ。可哀そうとも何とも云いようがねえ」
「なるほど、そんな理屈ですかえ」と、源次は溜息をついた。「それにしても何故(なぜ)そのお丸という女が途方もねえことを巧らんだのでしょうかね」
「それはまだ確かに判らねえが、おれの鑑定じゃあ多分そのお丸という女は、上州屋の忰と情交(わけ)があって、つまり嫉妬から筆屋の娘を殺そうとしたんだろうと思う。だが、上州屋へ嫁に行くのは妹の方で、殺されたのは姉の方だ。ここが少し理窟に合わねえように思われるが、お丸という女の料簡じゃあ、そこまで深く考えねえで、なんでも売り物の筆に毒を塗っておけば、妹の娘が舐めるものと一途(いちず)に思い込んでいたのかも知れねえ。年の若けえ女なんて云うものは案外に無考えだから、おまけにもう眼が眩(くら)んでいるから、それできっと仇が打てるものと思っていたんだろう。厄介なことをしやあがった。人間ふたりを殺してどうなると思っているんだか、考えると可哀そうにもなるよ」
半七も溜息をついた。
「そうなると、その生薬屋に奉公している弟というのも調べなければなりませんね」と、源次は云った。
「勿論だ。おれがすぐに行って来る」
支度をして、半七はすぐに両国へゆくと、その薬種屋は広小路に近いところにあって、間口(まぐち)もかなりに広い店であった。店では三人ばかりの奉公人が控えていて、帳場には二十二、三の若い男が坐っていた。
「こちらに宗吉(そうきち)という奉公人がいますかえ」と、半七は訊いた。
「はい、居ります。唯今(ただいま)奥の土蔵へ行って居りますから、しばらくお待ちください」と、番頭らしい男が答えた。
店に腰をかけて待っていると、やがて奥から十四、五の可愛らしい前髪が出て来た。
「おい、おめえは宗吉というのか。ちょいと番屋まで来てくれ」
「はい」と、宗吉は素直に出て来た。その様子があまり落着いているので、半七もすこし案外に思った。
町内の自身番へ連れて行って、半七は宗吉を詮議したが、その返事はいよいよ彼を失望させた。自分の姉は上州屋に奉公しえいるが、姉はちっとも自分を可愛がってくれない。したがって今まで姉に何も頼まれたことはない。姉はお洒落(しゃれ)でお転婆(てんば)だから両親にも兄にも憎まれている。上州屋の使で、自分の店へ薬を買いに来ることはあっても、自分は碌に口もきなかいと、宗吉はしきりに姉の讒訴(ざんそ)をした。その申立てはいかにも子供らしい正直なものであった。いくら嚇(おど)しても賺(すか)しても宗吉はなんにも知らないと云った。
「嘘をつくと、てめえ、獄門になるぞ」
「嘘じゃありません」
宗吉はどうしても知らないと強情を張り通していた。それがまったく噓でもないらしいので、半七はあきらめて彼をゆるして帰した。それから馬道へ行って上州屋をたずねると、お丸はひと足ちがいで使に出たと云うことであった。
下女を呼び出して、それとなく探ってみると、ここでもお丸の評判はよくなかった。年も若いし、虫も殺さないような可愛らしい顔をしているが、人間はよほどお転婆で身持もよろしくない。現に家(うち)の若旦那ともおかしい素振りが見える。そればかりでなく、ほかにも二、三人の情夫(おとこ)があるという噂󠄀もきこえている。そんなふしだらな奉公人が暇を出されないと云うのも、うまく若旦那をまるめ込んでいるからであると、彼女(かれ)の評判はさんざんであった。勿論それには女同士の嫉妬もまじつているのであろうが、大体に於いて弟の申立てと符合しているのをみると、お丸という女が顔に似合わないふしだらな人間であるのは疑いのない事実であるらしかった。
半七は下女の口から更にこういう事実を聞き出した。上州屋の女房は両国の薬種屋の媒介(なかだち)でここへ縁付いたもので、その関係上、多年親類同様に附合っている。馬道からわざわざ薬を買いにゆくのもその為である。薬種屋には与之助(よのすけ)という今年二十二の息子があって、上州屋へも時どき遊びに来る。お丸がその与之助に連れられて、両国の観世物などを観に行ったことがあるらしいとの事であった。
毒物の出所もそれで大抵判ったので、半七はまた引返して両国へゆくと、宗吉は店先に水を打っていた。息子らしい男のすがたは帳場には見えなかった。
「おい、若旦那はどうした」と、半七は宗吉に訊いた。
「わたしが番屋から帰って来たら、その留守にどこへか行ってしまったんです」と、宗吉は云った。
ほかの番頭に訊いても要領を得なかった。若主人の与之助はこのごろ誰にも沙汰無しに、ふらりと何処へか出てゆくことがたびたびある。きょうも宗吉が番屋へ曳(ひ)かれて行った後で、すぐに表へ出て行ったがやがて引返して来た。それから又そわそわと身支度をして何処へか出て行ったが、その行く先は判らないとのことであった。
半七は肚(はら)のなかで舌打ちした。小僧の挙げられあのに怖気(おじけ)がついて、与之助はどこへか影を隠したのではあるまいかとも疑われたので、彼は馬道へまた急いで行った。そこに住んでいる子分の庄太を呼んで、上州屋のお丸の出這入りをよく見張っていろと云い付けて帰った。
「親分、しようがねえ。お丸の奴はきのう出たぎりで今朝まで帰らねえそうです。両国の薬屋の忰もやっぱり鉄砲玉だそうですよ」
それは明くる朝、庄太から受取った報告であった。自分らのうしろに黒い影が付きまとっているのを早くも覚って、男も女も姿を晦(くら)ましたのであろう。もう討ち捨てては置かれないので、半七は両国へ出張って表向きの詮議をはじめた。与之助の親たちや番頭どもを自身番へ呼び出して、いちいち厳しく吟味の末に、与之助は家の金五十両を持出して行ったことが判った。信州に親類があるので、おそらくそこへ頼って行ったのではあるまいかという見当も付いた。
「足弱(あしよわ)連れだ。途中で追っ付くだろう」
半七は庄太を連れて、その次の日に江戸を発(た)った。


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八月はじめの涼しい夜であった。
上州は江戸よりも秋風が早く立って、山ふところの妙義(みょうぎ)の町には夜露がしっとりと降(お)りていた。関戸屋(せきどや)という女郎屋のうす暗い四畳半の座敷に、江戸者らしい若い旅びとが、行燈(あんどう)のまえに生(なま)っ白(ちろ)い腕をまくって、おこんという年増(としま)の妓(おんな)に二の腕の血を洗ってもらっていた。
旅びとはここらに多い山蛭(やまびる)に吸い付かれたのであった。土地に馴れない旅びとはとかくに山蛭の不意撃ちを喰らって、吸われた疵口の血がなかなか止まらないものである。妙義の妓は啣(ふく)み水でその血を洗うことを知っているので、今夜の客も相方の妓のふくみ水でその疵口を洗わせていた。
「おまえさんの手は白いのね。まるで女のようだよ」と、おこんは男の腕を薄い紙で拭きながら云った。
「怠け者の証拠がすぐにあらわれた」と、男は笑っていた。「今夜はなんだか急に寒くなったようだ」
「そりゃあこの通りの山の中ですもの。それにきょうは霧が深かったから、あしたは降るかも知れない」
「山越しに降られちゃあ難儀だ。お天気になるように妙義様へ祈ってくれ」
「いやさ」と、おこんも笑った。「山越しの出来ないように、あしたは抜けるほど降るがいい。妙義の山の女に吸い付かれたら、山蛭よりも怖ろしいんだから、そのつもりで腰を据えていることさ。ねえ、そうおしなさいよ」
「いや、そうは行かねえ。少し急ぎの道中だから」
「急ぎの道中なら坂本から碓氷(うすい)へかかるのが順だのに、わざわざ裏道へかかって妙義の山越しをするお客様だもの、一日や二日はどうでもいい」と、おこんは意味ありげにまた笑った。
男はもう黙ってしまって、山風にゆれる行燈(あんどう)の灯にその蒼白い顔をそむけながら、冷えた猪口(ちょこ)をちびりちびり飲んでいた。
「なにを考えているの、おまえさん」と、おこんは膝をすり寄せた。「あたしはおまえさんが可愛いから内証(ないしょ)で教えてあげる。さっおまえさんがこの暖簾(のれん)をくぐると、少しあとからはいって来た二人連れがあるのを知っているかえ」
男の顔はいよいよ蒼くなった。
「その二人はどうもお前さんの為にならないお客らしいから、その積りで用心おしなさいよ」
「よく教えてくれた。ありがたい」と、男は拝むようにしてささやいた。「じゃあ、もう此処(ここ)にうかうかしちゃあいられねえ。夜の更(ふ)けないうちにそっと発(た)たしてくれ」
「ああ、よござんす。あたしがほかの座敷へ廻っている間に、この窓からそっとぬけ出して……。今の内に荷物をよく纏めてお置きなさいよ」
この相談が廊下に忍んでいた庄太の耳にも洩れたので、彼はすぐに自分の座敷へ引返して半七に囁(ささや)いた。
「女が味方をしているらしから、油断すると逃(のが)しますぜ」
「それじゃあおれは外へ出ている。おめえはいい頃に座敷へ踏ん込め」
打合せをして置いて、半七はそっと表へ出ると、眼のさきに支(つか)えている妙義の山は星あかりの下に真っ黒にそそり立って、寝鳥をおどろかす山風が時どきに杉の梢をゆすっていた。大きい小杉を小楯にして、半七は関戸屋の二階に眼を配っていると、やがて竹窓をめりめりと押破るような音が低くきこえて、黒い人影が二階の横手にあらわれた。影は板葺(いたぶき)の屋根を這って、軒先に突き出ている大きい百日紅(さるすべり)を足がかりに、するすると滑(すべ)り落ちて来るらしかった。
「与之助。御用だ」と、半七はその影を捕えようとして駈け寄ると、影はあと戻りをして坂路を一散に駈け降りた。半七はつづいて追って行った。
杉林に囲まれた坂路をころげるように駈けてゆく与之助は、途中から方角をかえて次の坂路を駈け上がろうとするらしかった。半七はふと気づいた。この坂の上には黒門(くろもん)がある。妙義の黒門は上野の輪王寺(りんのうじ)に次ぎ寺格で、いかなる罪人でもこの黒門の内へかけ込めば法衣(ころも)の袖に隠されて、外からは迂闊(うかつ)に手がつけられなくなる。それに気がつくと、半七も少し慌てた。中仙道をここまで追い込んで来て、ひと足のところで黒門へ駈け込まれてしまっては何にもならない。彼は一生懸命に与之助のあとを追った。
逃げる者も勿論一生懸命である。与之助は暗い坂路を呼吸(いき)もつかずに駈けあがって行った。坂の勾配(こうばい)はなかなか急で、逃げる者も追うものも浸(ひた)るような汗になった。ふたりの距離はわずかに一間ばかりしか離れていないのであるが、半七の手はどうしても彼の襟首にとどかなかった。そのうしに長い坂ももう半分以上を越えてしまって、法衣の袖を拡げたような黒い門は、星の光りでおぼろげに仰がれた。門のなかには石燈籠の灯が微かに見えた。
半七はもう気が気でなかった。この坂を一つ無事に越すか越さぬかは、与之助に取っても一生の運命の岐(わか)れ道であった。黒門の影がだんだんに眼のまえに迫って来るにしたがって、与之助も急いだ。半七もあせった。しかし与之助は運がなかった。彼は黒門から二間ほどの手前で、石につまずいて倒れてしまった。


「あのときには全く汗になりましたよ」と、半七老人は云った。「なにしろ、あの長い坂を夢中で駈け上がったんですもの、その翌朝は足がすくんで困りましたよ。そこで、だんだん調べてみると斯(こ)ういう訳なんです。前にも申上げた通りそのお丸という女は顔に似合わない、質(たち)のよくない女で、つまり今日(こんにち)でいう不良少女のお仲間なんでしょう。自分の奉公している上州屋の息子は勿論、手あたり次第に大勢の男に係り合いを付けていて、両国の薬種屋の息子とも情交(わけ)があったんです。そのうちに上州屋の息子は東山堂の娘を見そめて、三百両の支度金で嫁に貰おうと云うことになったので、お丸は自分のふしだらを棚にあげて、ひどくそれを口惜(くや)しがって、とうとう東山堂の娘を毒殺しようと怖(おそ)ろしいことを巧(たく)らんだのです。その毒薬は薬種屋の息子をだまして手に入れたもので、筆に塗りつけて巧(うま)く娘に舐めさせたんですが、相手が違って姉の方を殺してしまったんです。むやみに毒をつけて置いても、それを姉が舐めるか妹が舐めるか判ったものじゃあないのに、随分無考えなことをしたもんですよ。悪いことをする人間には案外そんなのが沢山ありますがね。このお丸だって、あんまり悧巧(りこう)な奴じゃありません」
「で、そのお丸はどうしました」と、わたしは訊いた。
「お丸は使に行くと云って主人の家を出て、与之助のところへ逢いにゆくと、弟が丁度わたくしに引っ張られて番屋へ行ったあとで、与之助もなんだか薄気味が悪いので、店をぬけ出してうろうろしているところへ、与之助をそそのかして何処へか駈落ちをすることになったのですが、こいつはよくよく悪い奴で、なんでも中仙道を行く途中、熊谷(くまがい)の宿屋で男の胴巻をひっさらって姿を隠してしまったんです。捨てられた男は一人ぼっちになって信州へ落ちて行くところを、妙義の町でわたくしどもに追い付かれて、もうひと足で黒門へ逃げ込むところを運悪く捉(つか)まったのですが、当人ももういけないと覚悟したのか、それとも転ぶはずみに我知らずに咬んだのか、私が襟首をつかまえた時には、舌を咬み切って口から真っ紅な血を吐いていました。もとの女郎屋へ引摺て来て、いろいろに手当てをしてやりましたが、もうそれぎりで息を引取ってしまいましたよ。そういう訳ですから、死人に口無しで、お丸がなんと云って与之助から毒薬を受取ったのか、その辺はよく判りませんでした」
「お丸のゆくえは知れなかったんですか」と、わたしはまた訊いた。
「お丸はそれから何処をどうさまよい歩いたのか知りませんが、やっぱり上州の赤城(あかぎ)の山のなかに素裸(すはだか)で死んでいたそうです。着物も帯も腰巻きも無しで……。誰かに身ぐるみ剝(は)がれて、絞め殺されたんでしょう。死骸の二の腕に上州屋の息子の名前が彫ってあったので、お丸だと云うことがようよう判ったのです。上州屋もそれがために飛んだ引合(ひきあい)を付けられて、ずいぶん金をつかったようでした。そんなわけで舐め筆の娘との縁談も無論お流れになってしまいました。東山堂もそれからけちが付いて、店もだんだんにさびれて来ました。あすこの筆を舐めると死ぬなんて、云い触らす奴があるからたまりませんよ。妹娘はその後に洋妾(らしゃめん)になったとか云う噂󠄀ですが、ほんとうだかどうだか知りません。舐め筆ではやり出した店が舐め筆でつぶれたのも、なにかの因縁でしょう」
老人の予言の通り、帰る頃には雨となった。

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