コンテンツにスキップ

半七捕物帳 第六巻/幽霊の観世物

提供:Wikisource

幽霊の観世物

[編集]

[編集]
七月七日、梅雨あっがりの暑い宵であったと記憶している。その頃(ころ)わたしは銀座(ぎんざ)の新聞社に勤めていたので、社から帰る途中、銀座の地蔵の縁日をひやかして歩いた。電車のまだ開通しない時代であるから、尾張町(おわりちょう)の横町から三十間堀(ざんじっけんぼり)の河岸へかけて、いろいろの露店がならんでいた。河岸の方には観世物小屋と植木屋が多かった。
観世物は剣舞、大蛇、ろくろ首のたぐいである。私はおびただしい人出のなかを揉(も)まれながら、今や河岸通りの観世物小屋の前へ出て、ろくろ首の娘の看板をうっとりと眺めていると、黙って私の肩をたたく人がある。振り返ると、半七老人がにやにや笑いながら立っていた。
洋服を着た若い者が、口をあいてろくろ首の看板をながめているなどは、余りいい図ではないに相違ない。飛んだところを老人に見つけられて、わたしは少々赤面したような気味で、あわてて挨拶(あいさつ)した。老人は京橋(きょうばし)辺の知人のところへ中元の礼に行った帰り路だとか云うことで、ふた言三言立ち話をして別れた。
それから四、五日の後、わたしも老人を赤坂(あかさか)の宅へ中元の礼ながらにたずねてゆくと、銀座の縁日の話から観世物の噂󠄀が出た。ろくろ首の話も出た。
「世の中がひらけて来たと云っても、観世物の種はあんまり変らないようですね」と、老人は云った。「ろくそ首の観世物なんぞは、江戸時代からの残り物ですが、今に廃らないのも不思議です。いつかもお話し申したことがありますが、氷川のかむろ蛇の観世物、その正体を洗えば大抵そんな物なんですが、つまりは人間の好奇心とか云うのでしょうか、騙(だま)されると知りながら木戸銭を払うことになる。そこが香具師(やし)あ因果物師の付け目でしょうね。観世物の種類もいろいろありますが、江戸時代にはお化けの観世物、幽霊の観世物なぞというのが時どきに流行(はや)りました。
お化けと云っても、幽霊と云っても、まあ似たようなものですが、ほかの観世物のようにお化けや幽霊の人形がそこに飾ってあると云うわけではなく、まず木戸銭を払って小屋へはいると、暗い狭い入口がある。それをはいると、やはり薄暗い狭い路があって、その路を右へ左へ廻って裏木戸の出口へ行き着くことになるんですが、その間にいろいろの凄(すご)い仕掛けが出来ている。柳の下に血だらけの女の幽霊が立っているかと思うと、竹藪(たけやぶ)の中から男の幽霊が半身を現わしている。小さい川を渡ろうとすると、川のなかには蛇がいっぱいにうようよと這(は)っている。そこらに鬼火のような焼酎火(しょうちゅうび)が燃えている。なにしろ路が狭く出来ているので、その幽霊と摺(す)れ合って通らなければならない。路のまん中にも大きい蝦蟇(がま)が這い出していたり、人間の生首がころげていたりして、忌(いや)でもそれを跨(また)いで通らなければならない。拵(こしら)え物と知っていても、あんまり心持のいい物ではありません。
ところが、前にも申す通り、好奇心と云うのか、怖いもの見たさと云うのか、こういうたぐいの観世物はなかなか繁昌したものです。もう一つには、こういう観世物は大抵景品付きです。無事に裏木戸まで通り抜けたものには、景品として浴衣地一反をくれるとか、手拭(てぬぐい)二本をくれるとか云うことになっているので、慾(よく)が手伝ってはいる者も少なくないんです」
「通り抜ければ、ほんとうに浴衣や手拭をくれるんですか」と、わたしは訊(き)いた。
「そりゃあくれるにはくれます」と、老人は笑いながらうなずいた。「いくら江戸時代の観世物だって、遣ると云った以上はやらないわけには行きません。そんな与太を飛ばせば、小屋を打毀(うちこわ)されます。しかし大抵に者は無事に裏木戸まで通り抜けることが出来ないので、途中から引っ返してしまうようになっているのです。と云うのは、初めのうちはさほどでもないが、いよいよ出口へ近いところへ行くと、ひどく気味の悪いのに出っくわすので、もう堪(た)まらなくなって逃げ出すことになる。おれは無事に通って反物を貰(もら)ったなぞと云い触らすのは、興行師の方の廻し者が多かったようです。そのうわさに釣られて、おれこそはと云う意気込みで押掛けて行くと、やっぱり途中できゃあと叫んで逃げて来る。つまり馬鹿にされながら金を取られるようなわけですが、前にも云う通り、怖い物見たさと慾とが手伝うのだから仕方がない。
その幽霊の観世物について、こんなお話があります。一体こういう観世物は夏から秋にかけて興行するのが習いで、冬の寒いときに幽霊の観世物なぞは無かったようです。芝居でも怪談の狂言は夏か秋に決まっていました。そこでこのお話も安政(あんせい)元年の七月末――いつぞや『正雪(しょうせつ)の絵馬(えま)』というお話をしたでしょう。淀橋(よどばし)の水車小屋が爆発した一件。あれは安政元年の六月十一日の出来事ですが、これは翌日の下旬、たしか二十六七日頃のことと覚えています。
その頃、浅草(あさくさ)、仁王門(におうもん)のそばに、例の幽霊の観世物小屋が出来ました。これは悧口(りこう)なやりかたで、出口が二ヵ所にある。途中から路がふた筋に分れていて、右へ出ればさのみ怖くなが、その代りに景品をくれない。左へ出るといろいろな怖い目に逢(あ)うが、それを無事に通れば景物をくれる。つまりは弱い者にも強い者にも見物が出来るような仕組みになっているので、女子供もはいりました。その女のなかで幽霊に悸(おび))えて死んでしまったのがある。それからひと騒動、まあお聴きください」


死んだ女は日本橋材木町(にほんばしざいもくちょう)、俗に杉(すぎ)の森新道(もりしんみち)というところに住んでいるお半(はん)という者であった。お半といえば若そうにきこえるが、これは長右衛門(ちょうえもん)に近い四十四歳の大年増(おおどしま)で、照降町(てりふりまち)の駿河屋(するがや)という下駄屋(げたや)の女隠居でう。照降町は下駄や雪駄(せった)を売る店が多いので知られていたが、その中でも駿河屋は旧家で、手広く商売を営んでいた。
駿河屋の主人仁兵衛(にへえ)は八年以前に世を去ったが、跡取りの子供がない。但しその以前から主人の甥(おい)の信次郎(しんじろう)というのを養子に貰ってあったので、当座は後家のお半が後見をしていたが、三年前から養子に店を譲って、お半は近所の杉の森新道に隠居したのである。
お半は変死の当日、浅草観音へ参詣(さんけい)すると云って、朝の四ツ(午前十時)頃に家を出た。女中も連れずに出たのであるから、出先のことはよく判らないが、まず観音に参詣して、そこらで午飯(ひるめし)でも食って、奥山のあたりでも遊びあるいて、それから仁王門そばの観世物小屋へ入り込んだのであろう。その死体の発見されたのは、夕七ツ(午後四時)に近い頃であった。
下谷通新町(したやとおりしんまち)の長助(ちょうすけ)という若い大工が例の景品をせしめる料簡(りょうけん)で、勇気を振るって木戸をはいって、獄門首の晒(さら)されている藪のきわや、骸骨(がいこつ)の躍っている木の下や、三三途(さんず)の川や血の池や、それらの難所をともかくも通り越して二筋道の角に出た。
最初からその覚悟であるから、長助は猶予せずに左の路を取って進むと、さなきだに薄暗い路はいよいよ暗くなった。どこかで燃えている鬼火の光りをたよりに、長助は二、三間ほども辿(たど)ってゆくと、不意にそのたもとを引くものがある。見ると、路ばたに小さい蒲鉾小屋(かまぼこごや)のような物があって、その筵(むしろ)のあいだから細い血だらけの手が出たのである。ぜんまい仕掛けか何かであろうと思いながら、長助は取られた袂を振払ってゆく途端に、なにか人のような物を踏んだ。透かして見ると、路のまん中に妊(はら)み女が横たわっているのであった。女は半裸体の白い肌を見せながら、仰向(あおむ)けに倒れていて、その首や腹には大きい蛇がまき付いていた。
「へん、こんなことに驚くものか。江戸っ子だぞ」と、長助は付け元気で呶鳴(どな)った。
この時、なにかその顔をひやりと撫(な)でたものがある。はっと思って見あげると、一匹の大きい蝙蝠(こうもり)が羽をひろげて宙にぶらさがっていた。また行くと、今度はその頭の髷節(まげぶし)をつかんだような物がある。ええ、何をしやあがると見かえると、立ち木の枝の上に猿のような怪物が歯をむき出しながら、爪の長い手をのばしていた。
「さあ、鬼でも蛇でも来い。芯でも後へ引っ返すような長さんじゃあねえぞ」
彼はもう捨て身になって進んで行くと、眼のさきに柳の立ち木があって、その下には流れ灌頂(かんじょう)がぼんやりと見えた。このあたりは取分けて薄暗い。その暗いなかに女の幽霊があらわれた。幽霊は髪をふり乱して、胸には赤児(あかご)を抱いていた。どんな仕掛けがあるのか知らないが、幽霊は片手をあげて長助を招いた。
「な、なんだ。てめえたちに呼ばれるような用はねえのだ」と、長助は少しく声を顫(ふる)わせながらまた呶鳴った。
路は狭い、幽霊は路のまん中に出しゃばっている。忌でもこの幽霊を押退(おしの)けて行かなければならないので、さすがの長助もすこし困ったが、それでも向う見ずにつかつかと突き進むと、幽霊はそれを避けるようにふわりと動いた。ざまを見ろと、彼は勝ち誇って進んでゆくと、その足はまた何物にか躓(つまず)いた。それは人であった。女であった。
その女につまずいて、長助は思わず小膝(こひざ)を突くと、女は低い声で何か云ったらしかった。そうして突然に長助にむしり付いた。驚いて振り放そうとしたが、女はなかなか放さない。長助も一生懸命で、滅茶苦茶に女を撲り付けて、どうやらこうやら突き倒して逃げた。こうなると、もう前へむかって逃げる元気はない。彼はあとへ引返して逃げたのである。
表の木戸口まで逃げ出して、彼は木戸番に喰(く)ってかかった。
「ふてえ奴(やつ)だ。こんないかさまをしやあがる。生きた人間を入れて置いて、人を嚇(おど)かすということがあるものか。さあ、木戸銭を返せ」
木戸銭をかえすのは差したることでも無いが、いかさまをすると云われては商売にかかわると云うので、木戸番も承知しなかった。論より証拠、まずその実地を見とどけることになって、長助と木戸番は小屋の奥へはいると、果して柳の下にひとりの女が倒れていた。それは人形でも、拵え物でもなく、確かに正真の人間であるので、木戸番もびっくりした。
こういう興行物に変死人などを出しては、それこそ商売に障るのであるが、所詮(しょせん)そのままで済むべきことではないので、事件は表向きになった。


[編集]
長助に踏まれた時には、女はまだ生きていたらしいが、それを表へ運び出して近所の医者を呼んで来た時には、まったく息は絶えていた。医者にもその死因は判然(はっきり)しなかった。おそらくかの幽霊におどろきの余り、心の臓を破ったのであろうと診断した。検視の役人も出張ったが、女の死体に怪しむべき形跡もなかった。からだに疵(きず)の跡もなく、毒などを飲んだ様子もなかった。
ほかの観世物と違って、大勢が一度にどやどやと押込んでは凄味(すごみ)が薄い。木戸口でもいい加減に人数を測って、だんだんに入れるようにしているのであるが、彼女は長助のはいる前に木戸を通った者である。女のあとから一人の若い男がはいた。それから男と女の二人連れがはいった。その三人はいずれも右の路を取って、無事に出てしまった。その次へ来たのが長助である。して見ると、彼女は大胆に左の路を行って、赤児を抱いた幽霊に嚇されたらしい。
これは浅草寺内の出来事であるから、寺社奉行の係りである。それが他殺でなく、幽霊を見て恐怖のあまりに心臓を破って死んだと云うのでは、別に詮議(せんぎ)の仕様もないので、事件は手軽に片付けられた。
さてその女の身許(みもと)であるが、それも案外に早く判(わか)った。その当日、駿河屋の養子の信次郎も、商売用で浅草(あさくさ)の花川戸(はなかわど)まで出向いた。その帰り路で、幽霊の観世物小屋で見物の女が死んだという噂󠄀を聞いたが、自分の養母の身の上とは知らないで、そのままに照降町の店へ帰ると、日が暮れてから隠居所の女中が来て、ご隠居さんがまだ帰らないと云う。朝から観音参詣に出て、夜に入るまで帰らないのは不思議であると云うので、ともかくも店の若い者一人が小僧を連れて、あても無しに浅草観音の方角へ探しに出た。
それが出たあとで、若主人の信次郎はふと彼(か)の観世物小屋の噂󠄀を思い出した。もしやと思って、さらに番頭と若い者を出してやると、その死人は果して養母のお半であったので、早速に死体を引取って帰った。それから三日ほど後に、駿河屋では立派な葬式(とむらい)を営んだ。
今年の夏は残暑が軽くて、八月に入ると朝夕は涼風(すずかぜ)が吹いた。その八日の朝である。三河町(みかわちょう)の半七の家へ子分の松吉(まつきち)が顔を出した。
「親分、なにか変ったことはありませんかね」
「ここのところは不漁(しけ)だな」と、半七は笑った。「ちっとは骨休めもいいだろう。このあいだの淀橋のようながらがらを喰っちゃあ堪まらねえ。幸次郎はどんな塩梅(あんばい)だ」
「おかげで怪我(けが)の方は日増にいいようです。もうちっと涼しくなったら起きられましょう。実はきのう千住(せんじゅ)の掃部宿(かもんじゅく)の質屋に用があって出かけて行くと、そこでちっとばかり家作の手入れをするので、下谷通新町の長助という大工が来ていました。だんだんに訊いてみると、その大工は浅草の幽霊の観世物小屋で、照降町の駿河屋の女隠居が死んでいるのを見付けたのだそうで、その時の話を聞かせやしたよ。長助はまだ若けえ野郎で、口では強そうなことを云っていましたが、こいつも内心はぶるぶるもので、まかり間違えば気絶するお仲間だったのかも知れません」
「むむ。そんな話をおれも聞いた」と、半七はうなずいた。「そこで、観世物の方はお差止めか」
「いいえ、相変らず木戸をあけています。まあ、なんとか宜しく頼んだのでしょう。世の中はまた不思議なもので、幽霊におどろいて死んだ者があったなんて云ったら、客の足がばったり止まるかと思いのほか、却ってそれが評判になって毎日大繁昌、なにが仕合せになるか判りませんね」
「そこで、長助という奴はどんな話をした」
「ちっとはお負けも付いているかも知れませんが、まあ、こんなことでした」
松吉の報告は前に云った通りであった。それを聴き終って、半七はすこし考えた。
「その女隠居はどんな女か知らねえが、観音まいりに出かけたのじゃあ、幾らも金を持っていやあしめえな」
「そうでしょうね。女ひとりで参詣に出たのじゃあ、いくらも巾着銭(きんちゃくぜに)を持っていやあしますめえ」
「女ひとりと云えば、その隠居は女のくせに、たった一人で左の方へ行ったのは、どういうわけだろう。まさかに景物が欲しかったのでもあるめえが、よっぽど気の強い女だとみえるな」
「もちろん大家(たいけ)の隠居だから、景物が欲しかったわけじゃあありますめえ。小屋のなかは暗いのと、怖いこわいで度を失ったのとで、右と左を間違えて、あべこべに歩いて行ったのだろうという噂󠄀です。怖いもの見たさではいったら、案外に怖いので気が遠くなったのかも知れません」
「そう云ってしまえばそれまでだが……」と、半七はまだ不心得らしく考えていた。「おい、松。無駄骨かも知れねえが、まず取りあえず駿河屋をしらべてくれ」
半七の注文をいちいち承って、松吉は早々に出て行ったが、その日の灯のともしごろに帰って来た。
「親分。すっかり洗って来ました」
「やあ、ご苦労。早速だが、その女隠居は幾つで、どんな女だ」
「名はお半といって、四十五です。八年前に亭主に死に別れて、三年前から杉の森新道に隠居して、お嶋(しま)という女中と二人暮らしですが、店の方から相当の仕送りがあるので、なかなか贅沢(ぜいたく)に暮らしていたようです。四十を越してもまだ瑞々(みずみず)しい大柄の女で、ふだんから小綺麗(こぎれい)にしていたと云います」
「駿河屋の養子はなんというのだ」
「信次郎といって、ことし二十一です。先代の主人の妹のせがれで、先代夫婦の甥にあたるわけです。先代には子供がないので、十一の年から養子に貰われて来て、十三のときに先代が死んだ。何分にも年が行かねえので、当分は養母のお半が後見をしていて、信次郎が十八の秋に店を譲ったのです。十八でもまだ若えが、店には吉兵衛(きちべえ)という番頭がいるので、それが半分は後見のような形で、商売の方は差支え無しにやっているそうです。若主人の信次郎は色白のおとなしい男で、近所の若え女なんぞには評判がいいようです」
「信次郎はまだ独り身か」
「そんなわけで、男はよし、身上(しんしょう)はよし、年頃ではあり、これまでに二、三度も縁談の申込みがあったそうですが、やっぱり縁遠いと云うのか、いつも中途で毀(こわ)れてしまって、いまだに独り身です。と云って、別に道楽をするという噂󠄀も無いようです」
「お半は四十を越しても瑞々しい女だと云うが、それにも浮いた噂󠄀はねえのか」
「それがね、親分」と、松吉は小膝をすすめた。「わっしもそこへ見当をつけて、女中のお嶋という奴をだまして訊いたのですが、この女中は三月の出代りから住み込んだ新参で、内外(うちそと)の事はあんまり詳しくは知らねえらしいのです。だが、女中の話によると、隠居のお半は毎月かならず先代の墓まいりに出て行く。浅草の観音へも参詣に行く。深川(ふかがわ)の八幡(はちまん)へもお参りをする。それはまあ信心だから仕方がねえとして、そのほかにも親類へ行くとか何とか云って、ずいぶん出歩くことがあるそうです。後家さんがあんまり出歩くのはどうもよくねえ。この方には何か綾(あや)があるかも知れませんね」
「そうだろうな」と、半七はうなずいた。「三年前といえば四十二だ。養子だって十八だ。それに店を譲って隠居してしまうのは、ちっと早過ぎる。店にいちゃあ何かの自由が利かねえので、隠居ということにして、別居したのだろう。そうして、勝手に出あるいている。いずれ何かの相手があるに相違ねえ。そこで、もう一度訊くが、お半が観世物小屋にはいると、そのあとから一人の若え男がはいつた。それから男と女の二人連れがはいった。その次に大工の長助がはいった……と、こういう順になるのだな」
「そうです、そうです」
「お半の前にはどんな奴がはいったのだ」
「さあ。それは長助も知らねえようでしたが……。調べましょうか」
「お半のあと先にはいった奴をみんな調べてくれ。如才もあるめえが、年頃から人相風俗、なるたけ詳しい方がいいぜ」
「承知しました。木戸番の奴らを少し嚇かしゃあ、みんなべらべら喋(しゃべ)りますよ」
松吉は請合(うけあ)って帰ると、入れちがいに善八(ぜんぱち)が来た。
「おお、いいところへ来た。おめえにも少し用がある」
「今そこで松に逢いましたら、これから浅草のお化けへ、出かけるそうで……」
「そうだ。お化けの方は松に頼んだが、おめえは照降町へまわってくれ」
半七から探索の方針を授けられて、善八も怱々(そうそう)に出て行った。


[編集]
観世物小屋の一件は寺社方の支配内であるから、半七は翌あさ八丁堀(はっちょうぼり)同心の屋敷へ行って、今度の一件に対する自分の見込みを報告し、あわせて寺社方への通達を頼んで帰った。寺社方に捕手(とりて)は無いのであるから、その承諾を得れば町方が手をくだしても差支えはない。まずその手続きを済ませた上で、半七はさらに北千住(きたせんじゅ)の掃部宿へむかった。
きょうは朝から曇って、この二、三日のうちでも取分けて涼しい日であった。千住の宿を通りぬけて、長い大橋を渡ってゆくと、荒川(あらかわ)の秋の水が冷やかに流れていた。掃部宿へゆき着いて、丸屋(まるや)という質屋をたずねると、すぐ知れた。質屋と云っても半分は農家で、相当の身上であるらしい。その裏手に二軒の家作があって、大工や左官などがはいっていた。
「もし、長さんは来ていますかえ」と、半七はそこにいる大工の小僧に訊いた。
「ええ、長さんはそこにいますよ」
小僧はあたりを見まわして、一人の若い男を指さして教えた。彼は二十三四の職人であるが、印半纏(しるしばんてん)の仕事着も着ないで、ただの浴衣を着たままで、猫柳(ねこやなぎ)の下にぼんやりと突っ立って、他人(ひと)の仕事を眺めていた。よく見ると、彼は右の手に白布を巻いていた。顔にも二三ヵ所かすり疵があった。彼は何か喧嘩(けんか)でもして、右の手を痛めた為に、今日は仕事を休んでいるのであろうと察せられた。
「おまえさんは大工の長さんだね」と、半七は近よつて声をかけた。
「ええ、そうです」と、長助は答えた。
「おととい、わたしの内の松吉がおまえさんに逢って、浅草の話を聴いたそうだが……」
長助は俄に顔の色をかえて、恐れるように半七をじつと見つめた。彼は松吉の商売を知っている。したがって、半七の身分も大抵想像したのであろう。それにしても、人を恐れるような彼の挙動が半七の注意をひいた。
「済まねえが、そこまで顔を貸してくれ」
半七は彼を誘って、七、八間も距(はな)れた茗荷畑(みょうがばたけ)のそばへ出た。
「おめえ、きょうは仕事を休んでいるのか」
「へえ」と、長助はあいまいに答えた。
「怪我をしているようだな。喧嘩でもしたのかえ」
「へえ、詰まらねえことで友達と……」
職人が友達と喧嘩をするのは珍らしくない。ただそれだけの事で、彼が顔の色を変えたり、人を恐れたりする筈がない。半七は俄に覚(さと)った。
「おい、長助。おめえは友達と喧嘩したのじゃああるめえ。きのうも仕事を休んだな」
長助の顔色はいよいよ変った。
「きのうも仕事を休んで浅草へ行ったろう」と、半七は畳みかけて云った。「そうして、幽霊の小屋へ行って、何かごた付いたろう。はは、相手が悪い。おまけに多勢に無勢だ。なぐられて突き出されて、ちっと器量が悪かったな」
図星をさされたと見えて、長助は啞(おし)のように黙っていた。
「だが、相手はこんな事に馴(な)れている。ただ殴って突き出したばかりじゃああるめえ。そこにはまた、仲裁をするような奴が出て来て、兄い、まあ我慢してくれとか何とか云って、一朱(いっしゅ)の一つも握らせてくれたか」と、半七は笑った。
長助はやはり黙っていた。
「もうこうなったら隠すことはあるめえ。おめえは一体(いってえ)なんと云って、あの小屋へ因縁を付けに行ったのだ」
「あの時、飛んだところへ行き合わせて、わたしもいろいろ迷惑しました」と、長助は低い声で云った。「観世物の方はあの一件が評判になって、毎日大入りです。なんとか因縁を付けてやれと、友達どもが勧めますので、わたしもついその気になりまして……」
「だか、そりゃあちっと無理だな。そんな所へ行き合わせたのは、おめえの災難と云うもので、誰が悪いのでもねえ。それで因縁を付けるのは、強請(ゆすり)がましいじゃあねえか」
半七の口からゆすりと云われて、長助はいよいよ狼狽(うろた)えたらしく、再び口を閉じて眼を伏せた。
「まあ、いい。おめえはどうで仕事を休んでいるのだろう。丁度もう午(ひる)だ。そこらへ行って、飯でも食いながらゆっくり話そうじゃあねえか」
長助はおとなしく付いて来たので、半七は彼を大橋ぎわの小料理屋へ連れ込んだ。川を見晴らした中二階で、鯉こくと鯰(なまず)のすっぽん煮か何かを食わされて、根が悪党でもない長助は、何もかも正直に話してしまった。
「きょうのことは当分誰にも云わねえがいいぜ」と、半七は口留めをして彼と別れた。
その足で更に浅草へ廻ろうかと思ったが、ともかくも松吉や善八の報告を待つことにして、半七はそのまま神田へ帰った。
秋といっても、八月の日はまだ長い。途中で二軒ほど用達(ようたし)をして、家へ帰って夕飯を食って、それから近所の湯へ行くと、その留守に善八が来ていた。
「どうだ。判ったか」
「大抵はわかりました」と、善八は心得顔に答えた。「駿河屋の女隠居には男があります。松の云う通り、女中は新参でなんにも知らねえようですが、わっしは近所の駕籠屋(かごや)の若い者から聞き出しました」
「その男はどこの奴だ」
「葺屋町(ふきやちょう)の裏に住んでいる音造(おとぞう)という奴で、小博奕(こばくち)なんぞを打って、ごろ付いているけちな野郎ですよ」
「違うだろう」と、半七はひとり言のように云った。
「違いますかえ」
「いや、違うとも限らねえが……」と、半七は首をかしげていた。「そこで、その音造とう奴は杉の森新道へ出這入(ではい)りするのか」
「そんな奴が出這入りをしてちゃあ、すぐに近所の眼に付くから、深川の八幡前に音造の叔母というのが小さい荒物屋をしている。そこの二階を出逢い所としていたようです。音造は二十七八で、いやにぎすぎすした気障(きざ)な野郎ですよ。あんまり相手が掛け離れているので、わっしも最初は可怪(おかし)く思ったのですが、だんだんに調べてみると、どうも本当らしいのです」
駿河屋の若主人はまったく色気なしか」
「いや、これにも女の係り合いがあるようです。両国の列(なら)び茶屋(ぢゃや)にいるお米(よね)という女、これが可怪いという噂󠄀で、時どきに駿河屋の店をのぞきに来たりするそうです。わっしも念のために両国へまわって、飲みたくもねえ茶を飲んで来ましたが、そのお米という女は若粧(わかづく)りにしているが、もう二十三四でしょう。たしか若主人よりも年上ですよ。ねえ、親分。照降町の駿河屋といえば、世間に名の通っているお店(たな)だのに、その隠居の相手はごろつき、主人の相手は列び茶屋の女、揃いも揃って相手が悪いじゃあありませんか」
「それだからいろいろの間違いも起るのだ」と、半七は苦笑いした。「そこで、その音造という奴はどうした」
「どうで慾得でかかった色事でしょうから、相手の隠居があんな事になってしまっちゃあ、金(かね)の蔓(つる)も切れたと云うものです。それでもまだ金に未練があると見えて、隠居の通夜の晩に、線香の箱かなんか持って来て、裏口から番頭の吉兵衛を呼出して、これを仏前に供えてくれと云う。番頭もそのわけを薄うす知っているので、そんなものを貰ってはあとが面倒だと思って、折角だが受取れないと云う。その押問答が若主人の耳にはいると、信次郎は奥から出て来て、おまえからそんな物を貰う覚えはないと、激しい権幕で呶鳴り付けたそうです」
「激しい権幕で呶鳴り付けたか」と、半七はうなずいた。
「主人の勢いがあんまり激しいので、音造の野郎もさすがに気を呑まれたのか、それとも大勢がごたごたしている所で喧嘩をしちゃあ自分の損だと思ったのか、主人にあたまから呶鳴り付けられて、尻尾(しっぽ)をまいてこそこそと逃げて帰ったそうです。どっちにしても、意気地のある奴じゃありませんな」
善八は軽蔑(けいべつ)するように笑っていた。


[編集]
やがて松吉も帰って来た。
その報告によると、浅草の観世物小屋では、当日のお半の来る前は客足はしばらく途切れていた。お半の少しあとから若い男がはいった。それから男と女の二人連れ、その次に長助、すべて前に云った通りである。長助はもう判っているが、ほかの男女三人の人相、年頃、風俗、その説明を松吉から聞かされて、半七は肚のなかでほほえんだ。
「じゃあ、いよいよ仕事に取りかからなければならねえが、松は木戸番に顔を識(し)られているから拙(まず)い。善八、おめえは亀(かめ)を誘って浅草へ行って、観世物小屋の裏手へ廻って、右と左の出口を見張っていてくれ。おれは客の振りをして、素知らぬ顔で表から入る。あとは臨機応変だ。あしたの午頃までに間違いなく行ってくれ」
「承知しました」
約束を決めて、その晩は別れた。あくる日はからりと晴れて、又すこし暑くなったが、顔をかくすには都合がいい。半七は日除(ひよ)けのように白地の手拭をかぶって、観世物小屋の前から来かかると、善八と亀吉はひと足さきに来て、なにげなく小屋の看板をながめていた。勿論、たがいに挨拶もしない。半七は眼で知らせると、二人は心得て裏手へ廻った。
半七は十六文の木戸銭を払って、ただの客のような顔をして木戸口をはいった。狭い薄暗い路を通って、例の獄門首や骸骨を見ながら、二筋道の曲り角を左に取ってゆくと、どこかで青白い鬼火が燃えているらしかった。半七も血だらけの細い手に袖をひかれた。妊(はら)み女の死骸をまたがせられた。大きい蝙蝠に顔をなでられた。もうここらだろうと思うときに、半七の頰かむりの手拭をつかむ者があった。
髷節を取られない用心のために、半七は髷と手拭のあいだに小さい針金を入れて置いたので、手拭は地頭(じあたま)よりも高く盛り上がっていた。それを知らない怪物は、いたずらに手拭を摑(つか)んだに過ぎなかった。爪の長い手が手拭をずるりと引いた時、半七はすぐにその手を取って、あべこべにぐいと引くと、不意をくらって怪物は立ち木の枝からころげ落ちた。透かして見ると、それは猿のような姿である。
「馬鹿野郎」
半七はその横っ面をぽかりと殴りつけると、怪物はあっと悲鳴をあげた。半七はつづけて二つ三つ殴った。
「なんだ、てめえは……。変な者に化けやあがって、ふてえ奴だ。そっちの幽霊もここへ出て来い。おれは御用聞きの半七だ。どいつも逃げると承知しねえぞ」
御用聞きの声におどろいて、猿のような怪物はそこに小さくなった。柳の下に立っていた女の幽霊も、思わずそこに膝をついた。行く先の藪のかげでも、何かがさがさいう音がきこえて、幽霊の仲間が姿を隠すらしく思われた。
無事に左の路を通り抜けたものには、景品の浴衣地をやると云い、それを餌にして見物を釣るのであるが、十六文の木戸銭で反物をむやみに取られては堪まらない。そこで、左の路には作り物のほかに、本当の幽霊がまじっている。或る者が幽霊その他の怪物に姿を変じて、いろいろの手段(てだて)を用いて人を嚇すのである。この時代にはこんな観世物のあることを半七はかねて知っていた。
「てめえは猿か。名はなんというのだ」
「源吉(げんきち)と申します」と、十三四の小僧が恐れ入って答えた。
「そっちの幽霊は何者だ」
「岩井三之助(いわいさんのすけ)と申します」と、幽霊は細い声で答えた。彼は両国の百日芝居の女形(おんながた)であった。
「こんないかさまをしやがって、不埒(ふらち)な奴らだ」と、半七はまず叱(しか)った。「これから俺の訊くことを何でも正直に云え。さもねえと、貴様たちの為にならねえぞ」
「へい」
猿も幽霊も頭をかかえて縮みあがった。半七はそこにころげている捨石に腰をおろした。
「先月の末に、照降町の駿河屋の女隠居がここで頓死(とんし)した。貴様たちが何か悪い事をしたのだな。質(たち)のよくねえ嚇し方をしたのだろう。隠さずに云え」
「違います。違います」と、二人は声をそろえて云った。
「それじゃあ誰が殺したのだ」
二人は顔を見合せていた。
「さあ、正直に云え。云わなけりゃあ貴様たちが殺したのだぞ。人を殺して無事に済むと思うか。どいつも一緒に来い」
半七は両手に猿と幽霊をつかんで引っ立てようとすると、源吉も三之助も泣き出した。
「親分、勘弁してください。申上げます、申上げます」
「きっと云うか」と、半七は摑んだ手をゆるめた。「貴様たちの云う前に、おれの方から云って聞かせる。女隠居と一緒に、若い男がここへ来たろう」
「まいりました」と、三之助は答えた。「隠居さんは怖いから忌(いや)だと云うのを、男が無理に連れて来たようでした」
「そうか。そのあとから男と女の二人連れが来たろう。前の男と、あとの二人……。この三人のうちで、誰が隠居を殺した。おそらく前の男じゃああるめえ。あとから来た男が殺したのか」
「へい」と、三之助は恐るおそる答えた。
「貴様たちは、ここにいて何もかも見ていたろう。あとから来た奴がどうして隠居を殺した」
「わたくしが女の髷をつかむと、女はぎゃっと云って、男に抱き付きました」と、源吉は説明した。「男は、なに大丈夫だと云って、女を抱えるようにして三之助さんの方へ歩いて来ました」
「わたくしが手をあげて招くようにすると、女は又きゃっと云って男にしがみ付きました」と、三之助が代って話した。「その時に、あとから来た男が駈け寄って、なにか鉄槌(かなづち)のような物で女の髷のあたりを叩(はた)きました。薄暗くって、よくは判りませんでしたが、女はそれぎりでぐったり倒れたようでした。それを見て、男同士はなにか小声で云いながら、怱々に引っ返してしまいました」
「連れの女はどうした」
「連れの女はあとの方から眺めているだけで、これも黙って立去りました」
この事実を眼のまえに見ていながら、かれらはそれを口外しなかったのは、自分たちの秘密露顕を恐れたからである。あの観世物小屋には人間が忍ばせてあるなどという噂󠄀が立っては、商売は丸潰(まるつぶ)れになるばかりか、どんな咎(とが)めを受けないとも限らないので、かれらは素知らぬ顔をしていたのである。
「よし、それで大抵わかった。いずれまた呼出すかも知れねえが、そのときにも今の通り、正直に申立てるのだぞ」
半七は二人に云い聞かせて、左の裏口から出ると、そこには亀吉(かめきち)が待っていた。
「親分、どうでした」
「もういい。これから八丁堀へ行って、きょうの顛末(てんまつ)を旦那に話して、それぞれに手配りをしなけりゃあならねえ」
そこへ善八も廻って来た。
「駿河屋の女隠居を殺した奴らは三人だ」と、半七はあるきながら囁(ささや)いた。「若え男というのは駿河屋の養子の信次郎だ。年頃から人相がそれに相違ねえ。女は列び茶屋のお米だ。もう一人の男が判らねえ」
「音造じゃありませんか」と、善八は訊いた。
「そうじゃあねえらしい。年頃は四十ぐれえで、堅気らしい風体(ふうてえ)だったと云うから、お米の兄貴とか叔父とかいう奴じゃあねえかと思う。なにしろそいつが手をおろした本人だから、下手なことをやって、そいつを逃してしまうと物にならねえ。信次郎やお米はいつでも挙げられる。まずその下手人を突き留めにゃあならねえ」
「じゃあ、すぐに洗って見ましょう」
「むむ。お米の親類か何かに大工のような商売の者はねえか。気をつけてくれ。下谷の長助も大工だが、あいつじゃあねえ」
「ようがす。今夜じゅうに調べます」と、善八は請合った。
子分ふたりに途中で別れて、半七は八丁堀へ向った。
日が暮れて、涼しい風がまた吹き出した。油断すると寝冷えするなどと云いながら、四ツ(午後十時)の鐘を聞いて寝床にはいると、その夜なかに半七の戸を叩(たた)いて、松吉が飛び込んだ。
「親分、たいへんな事が出来やした。駿河屋の信次郎が殺された」
「駿河屋が殺された……」と、半七もおどろいて飛び起きた。
「まだ死にゃあしねえが、もうむずかしいと云うのです」と、松吉は説明した。「なんでも今夜の四ツ過ぎに、清五郎(せいごろう)という男と一緒に……。どこかで酒を飲んだ帰りらしい。ほろ酔い機嫌で親父橋(おやじばし)まで来かかると、橋のたもとの柳のかげから一人の男が飛び出して、不意に信次郎の横っ腹を突いたので……」
「相手は誰だ。音造という奴か」
「そうです。突いてすぐに逃げかかると、連れの清五郎が追っかけて押さえようとする。相手は一生懸命で匕首(あいくち)をふり廻す。そのはずみに清五郎は右の手を少し切られた。それでも大きい声で人殺し人殺しと呶鳴ったので、近所の者も駈けつけて来て、音造はとうとう押さえられてしまいました。信次郎は駿河屋へ送り込まれて、医者の手当てを受けているのですが、急所を深くやられたので、多分むすかしいだろうという噂󠄀です」
「連れの清五郎というのは何者だ」
「向う両国の大工だそうです。本人が番屋で申立てたのじゃあ、駿河屋で何か建て増しをするので、その相談ながら両国辺でいっしょに飲んで、駿河屋の主人を照降町へ送って帰る途中だと云うことです」
半七は忌々(いまいま)しそうに舌打ちをした。
「やれやれ、飛んだ番狂わせをさせやあがる。その清五郎はまだ番屋にいるのか」
「清五郎の疵はたいした事もねえので、そこで手当てをした上で、まだ番屋に残っています。なにしろ人殺しと云うのですから、八丁堀の旦那も出て来る筈です。住吉町(すみよしちょう)の親分も来ていました」
ここらは住吉町の竜蔵(たつぞう)の縄張り内である。その竜蔵が顔を出した上は、半七がむやみに踏み込んで荒し廻るわけにも行かなくなった。仲間の義理としても、この手柄の半分を彼に分配するのほかはなかった。
「じゃあ、もう一度親父橋へ行って、竜蔵にそう云ってくれ。その清五郎という奴は大事の科人(とがにん)だから逃しちゃあいけねえ。あしたの朝おれが行くまで厳重に番をしていてくれと……。音造も人殺しだが、それを押さえた清五郎も人殺しだ。うっかり逃がすと事こわしだ。いいか、よくその訳を云ってくれ」


[編集]
「これでお判りになりましたろう」と、半七老人は云った。「さっきからお話し申した通り、観世物小屋へは最初に女隠居のお半がはいる。つづいて養子の信次郎がはいる。そのあとから大工の清五郎とお米がはいる。お半を抱えていたのが信次郎で、うしろから鉄槌で叩いたのが清五郎です」
「それにしても、なぜお半を殺すことになったんですか」と、わたしは訊いた。
「つまりはお定まりの色と慾です。お半と信次郎は叔母甥とは云いながら、しょせんは他人、殊に三十代で亭主に別れたお半は、信次郎が十七八の頃から、おかしい仲になってしまったんです。そこで、一つ家にいては人目がうるさいので、お半は信次郎に店を譲って杉の森新道に隠居することにして、信次郎が時どきに訪ねて行ったり、誘い合わせてどこへか一緒に出かけたりしていた。それで済んでいればまだ無事だったんですが、そのうちにお半には音造、信次郎にはお米という別々の相手が出来た。それがこの一件の原因です」
「お半はどうしてそんなごろつきのような男に関係したんですか」
「それはよんどころなく……・。と云うのは、お半と信次郎が深川の八幡様へ参詣に行って、そこらの小料理屋へはいり込むと、丁度にそこへ音造が来ていて、二人の秘密を覚られてしまったんです。照降町の駿河屋といえば、世間に知られたお店(たな)です。その女隠居が養子と不義密通、それを悪い奴に見付けられたんですから、もう動きが取れません。しかし駿河屋には大勢の人間が控えているから、音造も店の方へは近寄らないで、杉の森新道の隠居所へ押掛けて行く。最初は金をいたぶっていたんですが、度重なるうちに色気にころんで来る。それがこういう奴らの手で、色気の方に関係を付けてしまえば、何事も自分の自由になる。お半も我が身に弱味があるから仕方がない。忌々(いやいや)ながら音造の云うことを肯(き)いていたと云うわけです。
それをまた、信次郎に覚られた。勿論、信次郎にも弱味があるから、表向きに音造を責めることも出来ず、お半を怨(うら)むわけにも行かない。しかし内心は面白くないから、幾らかお半に面当(つらあ)てのような気味で、両国の列び茶屋などへ遊びに行って、お米という女と関係が出来てしまった。それがお半に知れると、自分のことを棚にあげて信次郎を責める。信次郎も音造の一件を楯(たて)に取ってお半を責める。こういう風にこぐらかって来ると、ひと騒動おこるは必定。おまけにお米の叔父の清五郎というのが良くない奴で、相手が駿河屋の若主人というのを付け目に、お米をけしかけて駿河屋へ乗込ませる魂胆(こんたん)、これではいよいよ無事に済まない事になります。
お半は隠居したと云うものの、信次郎は養子の身分であるので、家付きの地所家作なぞはまだ自分の物になっていない。お米を自分の店へ引っ張り込むなぞと云うことは、とてもお半の承知する筈がない。かたがたお半を亡き者にしてしまわなければ、何事も自分の自由にはならない。以前の信次郎ならば、まさかそんな料簡も起こさなかったでしょうが、かの音造の一件からお半に対して強い嫉妬(しっと)を感じている。そこへ付け込んで、清五郎がうまく焚(た)き付けたので、とうとう叔母殺しという大罪を犯すことになったんです。年が若いとは云いながら、人間の迷いは恐ろしいものです。
そこで、どうしてお半を片付けようかと狙っていると、かの浅草の観世物の評判が高い。そこへ引っ張り込んで殺すという計略、それは清五郎が知恵を授けたんです。当日お半と約束して、信次郎は花川戸の同商売の家へ行くと云い、お半は観音へ参詣すると云い、途中で落ち合って一緒に浅草へ出かけました。二人の出合い場所はふだんから決まっているので、浅草辺の小料理屋の二階で午過ぎまで遊び暮らして、それから仁王門の観世物小屋へ見物に行く。幽霊の観世物なぞは忌だとお半が云うのを、信次郎が無理に誘って連れ込んだ。しかし二人が一緒にはいっては人の目に付くと云うので、ひと足先にお半をはいらせて、信次郎はあとからはいる。かねて打合せてあるので、又そのあとから清五郎とお米もはいる。お米に手伝いをさせる訳ではないが、木戸の者に油断させるために、わざと女連れで出かけたんです。
お半は幽霊を怖がって、中途から右の路へ出ようと云うのを、胸に一物ある信次郎は、無理に左の方へ連れ込むと、お半はいよいよ怖がって信次郎にすがり付く。そこを窺(うかが)って、清五郎が鉄槌で頭をひと撃ち……」
「お半を殺した三人は、幽霊が生きていることを知らなかったんですね」
「そこが運の尽きです」と、老人はほほえんだ。「なんと云っても、みんな素人の集まりですから、こういう観世物の秘密を知らない。木の上の猿も、柳の下の幽霊も、それが生きた人間とは夢にも知らないで、平気で人殺しをやってしまったんです。しかし前にも申す通り、猿や幽霊の方にも秘密があるので、自分たちの眼の前に人殺しを見ていながら、それを迂闊に口外することが出来ない。そこで一旦は計略成就して、お半は幽霊におびえて死んだことになって、無事に死骸を引取って、葬式までも済ませたんです。定めてあっぱれの知恵者と自慢していたんでしょうが、そうは問屋が卸しませんよ」
「さっきからのお話では、あなたは最初から駿河屋の信次郎に眼を着けて居られたようですが、それには何か心あたりがあったんですか」
「心あたりと云う程でもありませんが、なんだか気になったのは、お半の帰りが遅いと云うので、店の若い者を浅草へ出してやる。そのあとで信次郎は、観世物小屋で女の見物人が死んだという噂󠄀をふと思い出して、さらに番頭をだしてやると、果してそうであったと云う。勿論そういうことが無いとは限りません。しかしその話を聞いた時に、わたくしは何だか信次郎を怪しく思ったんです。義母の帰りが遅いからといって、幽霊の観世物を見て死んだんだろうと考えるのは、あんまり頭が働き過ぎるようです。本人は当日花川戸へ行って、その噂󠄀を聞いて来たと云うんですが、噂󠄀を聞いただけでなく、何もかも承知しているんじゃあないかと云う疑いが起ったんです。
もう一つには、お半という女隠居が、自分ひとりで左の路へ行ったことです。連れでもあれば格別、女のくせに右へは出ないで、左に行ったのが少し不思議です。路に迷ったと云っても、右と左を間違えそうにも思われません。おそらく誰かに連れて行かれたのじゃあ無いかと思われます。そうなると、信次郎も当日浅草へ行ったと云うのが、いよいよ怪しく思われないでもありません。だんだんに調べてみると、お半のあとから木戸をはいった若い男の年頃や人相が信次郎らしいので、まず大体の見当が付きました」
「お半を殺したのは大工らしいというのは、鉄槌からですか」
「そうです。喧嘩でもして人を殺すならば、手あたり次第に何でも持ちますが、前から用意して行く以上、手頃な物を持って行くのが当然です。疵のあとを残さない用心といっても、わざわざ鉄槌を持出して行くのは、ふだんから手馴れている為だろうと思ったんです。本人の清五郎の白状によると、まだ驚いた事がありました。お半のあたまを鉄槌でがんと喰らわしたばかりで無く、長い鉄釘(かなくぎ)を用意して行って、頭へ深く打込んだのです。こんにちならば検視のとき発見されるでしょうが、むかしの検視はそんな所まで眼がとどきません。男と違って、女は髪の毛が多いので、釘を深く打込んでしまうと、毛に隠されて容易に判りません。これなぞも大工の考えそうなことで、長い釘を一本打込むのでも、素人では手際よく行かないものです。
頭へ釘を打込まれたら即死の筈です。そのお半が長助に武者振り付いたと云うのは、ちっと理窟に合わないようですが、長助は確かにむしり付かれたと云っていました。この長助は職人のくせに、案外に気の弱い奴ですから、内心怖いと思っていたので、死骸が自分の方へでも倒れかかって来たのを、むしり付かれたと思ったのかも知れません
わたくしが掃部宿へたずねて行った時に、長助がなんだかびくびくしているのは変だと思いましたら、案の通り、浅草の観世物小屋へ因縁を付けに行って、幾らか貰って来たんです。お半にむしり付かれた時には、長助は半分夢中だったのですが、それでも幾らかは周囲の様子をおぼえている。その話によると、お半の倒れていたあたりには、人間の化け物が忍んでいたらしい。考えようによっては、その化け物がお半を殺したかとも疑われるんですが、わたくしは最初の見込み通り、どこまでも信次郎に眼をつけて、とうとう最後まで漕ぎ着けました。わたくしどもの商売の道から云えば、これは紛(まぐ)れたあたありかも知れませんよ。しかし幽霊の観世物を利用して人殺しを思いつくなぞは、江戸時代ではまあ新手の方でしょうね」
「信次郎は死にましたか」
「あくる日の夕方に死にました。その朝、わたくしは駿河屋へ乗込んで、まわりの者を遠ざけて、信次郎の枕もとに坐って、どうせお前は助からない命だ。正直に懺悔(ざんげ)をしろと云い聞かせますと、当人ももう覚悟したとみえて、何もかも素直に白状しました。その死にぎわには、おっかさんの幽霊が来たなぞと、囈語(うわごと)のように云っていたそうです。それでも信次郎は運がいいのです。もし生きていたら義母殺しの大罪人、引廻しの上で磔刑(はりつけ)になるのが定法であるのを、畳の上で死ぬことが出来たのは仕合せでした。
音造が信次郎を闇撃(やみう)ちにしたのは、大抵お察しでもありましょうが、お半との関係を云い立てて、駿河屋から幾らかの涙金を取ろうとする。番頭の吉兵衛も世間体をかんがえて、結局幾らかやろうと云い出したんですが、信次郎がどうしても承知しない。金が惜しいのじゃあなくて、お半との関係について強く嫉妬心を持っていたからです。それがために話がいつまでも纏(まと)まらない。音造も表向きに持出せる問題じゃあないから、所詮は泣き寝入りにするのほかはない。その口惜(くやし)まぎれに刃物三昧に及んだわけですが、その音造を取押えた為に、清五郎もすぐにその場から縄付きになるとは、天の配剤とでも云うのでしょうか、まことに都合よく行ったものです。
音造も清五郎も無論死罪ですが、お米だけは早くも姿を隠しました。それから七、八年の後に、両国辺の人たちが大山(おおやま)参りに出かけると、その途中の達磨茶屋(だるまぢゃや)のような店で、お米によく似た女を見かけたと云うのですが、江戸末期のごたごたの際ですから、そんなところまでは詮議の手がとどかず、とうとうそのままになってしまいました」

この著作物は、1939年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。