馬乳ウマノチを[求モトめて]飮ノみて、夜ヨルは草クサの菴イホの房ヘヤに來キて寢イぬるなりき。
§29(01:18:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
彼カの民タミ、孛端察兒ボドンチヤルの黃鷹ワカタカを求モトむれども、與アタへざりき。彼カの民タミ、孛端察兒ボドンチヤルに誰タレのとも何ナニのとも問トふこと無ナく、孛端察兒ボドンチヤルも彼カの民タミに何民ナニタミと問トひ合アふこと無ナく行オコナひ合アへり。
§30(01:18:07)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
不忽 合塔吉ブク カタギなるその兄アニは、孛端察兒 蒙合黑ボドンチヤル モンカク 弟オトヽを「この斡難︀ 河オナン ガハに沿シタガひ去サれり」とて尋タヅね來キて、統格黎克トンゲリク 小河ヲガハに沿シタガひ起タちて來キにける民タミに「かくかくの人ヒト、かゝる馬ウマあるなりき」とて問トへば、
§31(01:19:03)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
彼カの民タミ 言イはく「人ヒトも馬ウマも、汝ナンヂの問トへるに似ニたるあり。黃鷹ワカタカあるにぞある。日ヒごとに我等ワレラの處トコロに來キて、馬乳ウマノチを飮ノみて去サれり。夜ヨルは蓋ケダシいづくにか宿ヤドりけん。西北ニシキタより風カゼ 起オコれば、黃鷹ワカタカに捕トらせたる鴨雁カモカリどもの翎毛ハネケは、飄ヒルガヘる雪ユキの如ゴトく散チりて刮ハかれて來クるなり。こゝに近チカくあるぞ。今イマ 來クる時トキとなれり。暫シバラく待マて」と云イへり。
§32(01:20:03)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
暫シバラくありて統格黎克トンゲリク 小河ヲガハに泝サカノボり一人ヒトリの人ヒトク 來クるあり。到イタりて來キぬれば孛端察兒ボドンチヤルなりき。不忽 合塔吉ブク カタギなるその兄アニ 見ミると(蒙語、兀者︀ 額惕、見てすぐに、又は見るや否やの意にて、稍 輕し。以下すべて動詞の下に額惕なる後置詞ある時は、大抵「云云すると」と譯せり)認ミトめて、引ヒき伴ツれて、斡難︀ 河オナン ガハに泝サカノボり馬ウマを驅カりて去サり