て來キぬるに、路ミチにて軍士イクサビトどもに妨サマタげられて、巴阿𡂰バアリン の納牙 那顏ナヤ ノヤン(卷五なる你出古惕 巴阿𡂰の納牙阿)に遇アひて、荅亦兒 兀孫ダイル ウスン 言イハく「この息女ムスメを成吉思 合罕チンギス カガンに見ミせまつらんとて來キぬ、我ワレ」と云イひき。そこに納牙 那顏ナヤ ノヤン 言イハく「汝ナンヂの息女ムスメを我等ワレラ 俱トモに見ミせまつらん」とて止トヾめけり。止トヾむる時トキ、荅亦兒 兀孫ダイル ウスンに「汝ナンヂ 獨ヒトリにて往ユかば、路ミチにて軍士イクサビトども亂アバるゝ時トキに、汝ナンヂをも活イさず、汝ナンヂの息女ムスメをも亂オカすべし」と云イひて、三日ミカ 三夜ミヨ 止トヾめけり。そこより忽闌 合敦クラン カトンと共トモに荅亦兒 兀孫ダイル ウスンを率ヒキゐて、共トモに納牙 那顏ナヤ ノヤンは、成吉思 合罕チンギス カガンに致イタせり。それより成吉思 合罕チンギス カガンは、納牙ナヤに「いかんぞ妨サマタげて居ヰたる、汝ナンヂ」とて、甚ハナハだ怒イカりて、嚴キビしく仔細シサイを問トひて、「法ハフにあてん」とて問トひつゝある時トキ、忽闌 合敦クラン カトン 言イはく
「納牙阿ナヤアは言イひき。「成吉思 合罕チンギス カガンの大官人タイクワンニンなり、我ワレは。我等ワレラ 俱トモに汝ナンヂの息女ムスメを合罕カガンに見ミせまつらん。路ミチにて軍士イクサビトども亂オカさん」とて勸スヽめけり。今イマ 納牙阿ナヤアより別コトなる軍士イクサビトどもに遇アはば、亂ランに[又マタは]正セイに入イりけんか(明譯若モシ不ズ㆘遇アヒ㆓著︀テ 納牙ナヤニ㆒畱住トヾマリヰ㆖呵バ、如今イマ 也マタ不ズ㆑知シラ㆓如何イカニヲ㆒)。この納牙阿ナヤアに遇アひたるは、我等ワレラの幸サイハヒとなれり。今イマ 納牙阿ナヤアを問トひ給タマふに、合罕カガン 恩賜オンシせば、上帝アマツカミの命イノチにて父母チヽハヽの生ウみたる皮膚ヒフを問トひ給タマはば」と奏マウさしめけり。納牙阿ナヤアは、問トはるゝ時トキ「合罕カガンより外ホカに我ワが面カホは「向ムカふこと」無ナくあるぞ。外國トツクニ合哩の民タミの腮ホヽ合察兒 美ウツクしき 女子ムスメ 妃キサキ合屯、臀節︀シリブシ合兒含 好ヨき騸馬センバに遇アへば、「大君オホギミ合罕のもの[それ]も」と云イひて居ヲりしぞ、我ワレ。これより外ホカに我ワが心コヽロあらば、死シなん、我ワレ」と云イひき。成吉思 合罕チンギス カガンは、忽闌 合敦クラン カトンの言上ゴンジヤウを善ヨしとして、その日ヒに便スナハち審シラべ試コヽロみれば、忽闌 合敦クラン カトンの奏マウしたるに違タガはずして、成吉思 合罕チンギス カガンは、忽闌 合敦クラン カトンを恩賞オンシヤウして愛イツクシみたり。納牙阿ナヤアの言コトバ 違タガはずして、[成吉思 合罕チンギス カガンは]善ヨしとして、「實マコトの言コトバある[人ヒト]なりき」と云イひ、「大オホイなる勾當コウタウを委ユダねん」とて恩賞オンシヤウせり。
成吉思 汗 實錄 卷の七 終り。