暁月夜

提供: Wikisource
ナビゲーションに移動 検索に移動


だいくわい[編集]

さくらはなうめとめてやなぎえだにさく姿すがたと、くばかりもゆかしきをこヽろにくきひとりずみのうはさ、たつみやびこヽろうごかして、やまのみづに浮岩あくがるヽこひもありけり、花櫻はなざくら香山家かやまけときこえしは門表もんへうじゆよむまでもなく、同族中どうぞくちう其人そのひとありとられて、みづのながれきよ江戸川えどがは西にしべりに、和洋わやうづくりきはめねど、ひとあしむる庭木にはきのさまざま、翠色すゐしよくしたヽるまつにまじりて紅葉もみぢのあるおやしきへば、なかはしのはしいたとヾろくばかり、さてひとるはそれのみならで、一重ひとへばるヽ令孃ひめ美色びしよくあねいもと數多かずおほ同胞はらからをこしてかたぬひげのをさなだちより、いで若紫わかむらさきゆくすゑはとするこヽろ人々ひと/″\おほかりしが、むなしく二八のはるもすぎて今歳ことし廿はたちのいたづらぶしなにごとぞくまでやさしき孝行かう/\のこヽろにす、父君ちヽぎみ母君はヽぎみ苦勞くらうたねよめいりの相談さうだんかけたまふごとに、わがまヽながらわたく一生いつしやうひとりみのねがひあり、おふせにそむくはつみふかけれど、ればかりはと子細しさいもなく、千扁一律せんべんいちりついやいやをとほして、はては世上せじやういまはしきうたはれながら、せま乙名をとめにもかけず、けゆくとししみもせず、しづかに月花つきはなをたのしんで、わざとにあらねど浮世うきよかぜちかづかねば、慈善會じぜんくわいそでひかれたきねがひもかなはず、園遊會ゑんいうくわいものいひなれんたのみもなくて、いとヾ高嶺たかねはなごヽろにるしむひとおほしときしが、牛込うしごめちかくに下宿住居げしゆくずまゐする森野敏もりのさとしとよぶ文學書生ぶんがくしよせい、いかなるかぜさそひけん、果放はかなき便たよりに令孃ひめのうはさみヽにして、可笑をかしきやつわらつてきしが、その獨栖ひとりずみ理由わけひとともにわからぬところなにゆゑかさぐりたく、なんともして其女そのをんな一目ひとめたし、いなたしではてくれん、かぶもの滅金めつきをも、秘佛ひぶつとなへて御戸帳みとちやうおくぶかにしんさするならひ、朝日あさひかげたまだれの小簾をすにははぢかヾやかしく、むすめともはれぬ愚物ばかなどにて、慈悲じひぶかきおや勿体もつたいをつけたるこしらごとかもれず、れにりてゆかしがるは、ゆき後朝あしたすゑつむはな見參げんざんまへのこヽろなるべし、さて笑止せうしとけなしながらこヽろにかヽれば、何時いつ門前もんぜんとほときれとなくかへりて、ることもれかしとちしが、ときはあるもの飯田町いひだまち學校がくかうよりかへりがけ、日暮ひくまへ川岸かしづたひをさびしくれば、うしろより、ごゑいさましくけしくるまのぬしは令孃ひめなりけり、何處いづくかへりか高髷たかまげおとなしやかに、白粉おしろいにはあるまじきいろしろさ、衣類きものなにとむるもなけれど、くろちりめんの羽織はおりにさらさらとせし高尚けだか姿すがた、もしやとさとしわれらずせば、さてこそひきこむ門内もんないくるまなんにふれてか、がたりとおとして一ゆりれヽば、するりおちかヽるうしろざしの金簪きんかんを、令孃ひめ纎手せんしゆけとめたま途端とたん夕風ゆふかぜさつと其袂そのたもときあぐれば、ひるがへる八つくちひらひらとれてものありけり、れとらねばくるまそのまヽ玄關げんくわんにいそぐを、さとしなにものともらずあわたヽしくひろひて、懷中ふところにおしれしまヽあとずにかへりぬ。

れしくるまたしかに香山家かやまけものなりとは、車夫しやふ被布はつぴぬひにもれたり、十七八とえしはうつくしさのゆゑならんが、年齡としごろむすめほかにりともかず、うはさの令孃ひめれならんれなるべし、さらばうはさもうそにはあらず、うそどころかきしよりは十倍じふばい二十倍もつとし、さても、其色そのいろ尋常なみえなば、つち根生ねおひのばらのはなさへ、絹帽しるくはつとはさまれたしとねがふならひを、美色びしよくにて何故なにゆゑならん、あやしさよとばかさとし燈下とうかうでみしが、ひろひきしは白絹しろぎぬ手巾はんけちにて、西行さいぎやう富士ふじけむりのうたつくろはねどもふでのあとごとにきたり、いよいよさとりめかしきをんな不思議ふしぎおもへば不思議ふしぎかぎりなく、あのあいらしきなかなんてか、ひとじらしの振舞ふるま理由わけるべし、ゆめさらこひなどもやらしきこヽろみぢんもけれど、此理由このわけこそりたけれ、わかをんなさだまらぬこヽろ何物なにものるヽことありて、れよりおこりし生道心なまだうしんなどならば、かへすがへすあさましきことなり、だい一は不憫ふびんのことなり、中々なか/\高尚けだかこヽろもちそこねて、魔道まだう落入おちいるは我々われ/\書生しよせいうへにもあるを、なにごとにもすぢなる乙女氣をとめぎには無理むりならねど、さりとはなげかはしきまよひなり、かくしたしくひてしたしくかたりて、いさむべきはいさなぐさむべきはなぐさめてやりたし、さはへどりがたきがなかなれば令孃ひめにもわろむしなどありて、其身そのみきたくおやりたけれど嫁入よめいりのせき落花らつくわ狼藉らうぜき萬一もしづかへば、むすめはぢはぢ流石さすが子爵ししやくどのくして、一生いつしやう箱入はこいりらしくらさせんとにや、さすれば此歌このうた無心むしんきたるものにて半文はんもん價値ねうちもあらず、いなこの優美いうびふでのあとはなんとしても破廉耻はれんちひとにはあらじ、かならずふか子細しさいありて尋常なみならぬおもひを振袖ふりそでつヽひとなるべし、さてもゆかしやそのぬばたま夜半よはゆめ

はじめは好奇かうきこヽろさそはれて、むなしき想像おもひをいろいろにゑがきしが、またをりもがないまたびみたしとねがへど、それよりは如何いか行違ゆきちがひてかうしろかげだにることあらねば、みづもとめてときかわきにおなじく、一念いちねん此處こヽあつまりては今更いまさらまぎらはすべき手段しゆだんもなく、あさひるしよくをとりても、はては學校がくかうきてもしよらきても、西行さいぎやううた令孃ひめ姿すがただれてまへはなれぬに、さとしわれながらあきれるばかり、天晴あつぱ未來みらい文學者ぶんがくしや此樣このやうのことにて如何どうなるものぞと、しかりつけるあとよりこヽろふらふらとるに、是非ぜひもなし是上このうへはと下宿げしゆく世帶しよたい一切いつさいたヽみて、此家こヽにも學校がくかうにも腦病なうびやう療養れうやう歸國きこくといひて、たちいでしまヽ一月ひとつきばかりを何處いづくひそみしか、こひやつこのさても可笑をかしや、香山家かやまけ庭男にはをとこみしとは。


だいくわい[編集]

さとしおさなきより植木うゑきのあつかひをきて、小器用こぎようはさみ使つかへば、竹箒たけばヽきにぎつて庭男にはをとこぐらゐなんでもなきこと、たゞ素性すじやうられじとばかり、まこと只今たヾいま山出やまだしにて、つちをなめてもれを立身りつしん手始てはじめにしたきわが〈[#ルビの「わが」はママ]〉ひと、れながらくもへたるうそにかためて、名前なまへをも其通そのとほり、當座たうざにこしへらて〈[#「こしへらて」はママ]〉吾助ごすけとかひけり、さてもかぬとてれほどの役廻やくまはりあるべきや、浮世うきよつとめめを一巡いちじゆんをはりて、さてもなほかヽるべき怠惰のらにてもあらば、如來樣によらいさま出迎でむかひまで此口このくちつるしてもかれず、くさむしりに庭掃除にはさうぢぐらゐはとて、六十をとこのする仕事しごとぞかし、勿躰もつたいなや古事記こじき舊事記くじき朝夕あさゆふらきて、万葉集まんえふしふ不審紙ふしんがみをしたるを、泥鉢どろばちのあつかひにがすことひとらねど、らちもなく万年青おもとあらひ、さては芝生しばふつてひろ姿すがたわれながらられたていでなく、これを萬一もし學友ともなどにつけられなばと、こヽろ笹原さヽはらをはしりて、門外もんぐわい用事ようじ兎角とかくいとへば、勝手かつてばたらきの女子をんなども可笑をかしがりて、東京とうきやうおにところでもなきを、土地とちなれねばのやうにこはきものかと、美事みごと田舍ゐなかものにしてのけられぬ。

きみゆゑこそ可惜あたら青年わかもの一人ひとり此處こヽにかくあさましきていたらくと、まど小笹をざヽかぜそよともげねば、らぬ令孃ひめ大方おほかた部屋へやこもりて、ことなどにいよいよこヽろなやまさせけるが、をりふしのにはあるきに微塵みぢんきずなきうつくしさをみとめ、れならぬ召使めしつかひにやさしきことばをかけたまふにてもなさけふかきほどられぬ、最初はじめ想像さう/″\には子細しさいらしく珠數じゆすなどを振袖ふりそでなかきかくし、經文きやうもん讀誦どくじゆ抹香まつかうくさくなりて、むすめらしきにほひはとほかるべしとおもひしに、そのやうのぶりもなく、柳髮りうはついつも高島田たかしまだむすげて、おくすぢえりにださぬたしなみのよさ、さてもこのみのくまでに上手じやうずなるか、たゞしは此人このひとひし果報くわはうか、しろかね平打ひらうち一つに鴇色ときいろぶさの根掛ねがけむすびしを、いうにうつくしく似合にあたまへりとれば、束髮そくはつさしのはな一輪いちりん中々なか/\あいらしく、此處こヽ一つに美人びじん價値ねうちさだまるといふ天然てんねん衣襟えもんつき、襦袢じゆばんえりむらさきなるとき顏色いろことさらしろくみえ、わざ質素じみなるくろちりめんに赤糸あかいとのこぼれうめなどひん一層いつそう二層にそうもよし、あるがなかにも薄色綸子うすいろりんず被布ひふすがたを小波さヾなみいけにうつして、緋鯉ひごひをやる弟君おとヽぎみともに、餘念よねんもなくをむしりて、自然しぜんみにむつましきさヽやきの浦山うらやましさ、さとしもとより築山つきやまごしにをがむばかりのねがひならず、あはれ此君このきみ肺腑はいふりて秘密ひみつかぎにしたく、時機をりあれかしとつま待遠まちどほや、一月ひとつきばかりをあだくらしてちかづく便たよりのきこそは道理だうりなれ、令孃ひめ高嶺たかねはなこれはふもとちり、なれどもあらし平等びやうどうものぞかし。

甚之助じんのすけとて香山家かやまけ次男じなん、すゑなりにはないとヾ大輪おほりんにて、こヽのつなれども權勢いきほひしのぎ、腕白わんぱくかぎりなく、分別顏ふんべつがほ家扶かふにさへはず、佛國ふつこく留學りうがく兄上あにうへ御歸朝ごきてうまでは、此君このきみにあたるひとあるまじとえけるが、ひめとは隨一いつなかよしにて、なにごとにも中姉樣ちうねえさましたれば、もとよりものやさしきたちの、これはまた一段いちだん可愛かあいがりて、ものさびしきあめなど、燈火ともしびもと書物しよもつらき、ひざいだきてせ、これは何時何時いつ/\むか何處どこくにに、甚樣じんさまのやうなつよひとありて、其時代そのときみかどそむきしぞくち、大功たいこうをなして此畫このゑ引上ひきあげところ、このうまりしが大將たいしやう説明はなせば、雀躍こをどりしてよろこび、ぼく成長おほきくならば素晴すばらしき大將たいしやうり、ぞくなどはなんでもなくち、そして此樣このやう書物ほんかれるひとりて、父樣とうさま母樣かあさま御褒美ごはうびいたヾくべしと威張ゐばるに、令孃ひめ微笑ほヽゑみながらいさましきをめて、そのやう大將たいしやうたまひても、わたしとはいまかはらずなかよくしてくだされや、大姉樣おほねえさま其外そのほかのおひと夫々それ/\片付かたづきて、ひと奧樣おくさまたまわたしにはお兄樣にいさまとお前樣まへさまばかりがたよりなれど、れよりもわたしはお前樣まへさまきにて、何卒どうぞいつまでもいまとほ御一處ごいつしよりたければ、成長おほきくなりておやしき出來できとき、かならずともなひておちや御用ごようにてもたまへ、おわかりにりしかとほヽずりしてへば、しだらもかれながらくちばかりは大人おとならしく、それはぼく大將たいしやうりて、そしておやしき出來できさへすれば、其處そこ姉樣ねえさまれてきて、いろいろの御馳走ごちそうをなし、いろいろの面白おもしろきことをしてあそぶべし、大姉樣おほねえさま小姉樣ちひねえさまぼくすこしも可愛かあいがりてれねば、んなやつには御馳走ごちそうもせず、もんをしめてうちれずにかしてやらん、とふをめて、其樣そのやう意地いぢわるはおつしやるな、母樣かあさまがおきヽにならばるし、れでも姉樣ねえさまたちは自分じぶんばかり演藝會えんげいくわい花見はなみきて、中姉樣ちうねえさま何時いつもお留守居るすゐのみしたまへば、ぼく我長おほきくならば中姉樣ちうねえさまばかり方々はう/″\れてきて、ぱのらまやなにかヾせたきなり、れは色々いろ/\いきたるやうきてありて、鐵砲てつぱうなにかも本當ほんたうやうにて、火事かじところもありいくさところもあり、ぼく大變たいへんきなれば、姉樣ねえさま御覽ごらんにならば吃度きつときならん、大姉樣おほねえさま上野うへののも淺草あさくさのも方々はう/″\のを幾度いくどしに、中姉樣ちうねえさま一度いちどれてかぬは意地いぢわるではきか、ぼくれかくらしければと、おもふまヽを遠慮ゑんりよもなく可愛かあいさ、左樣さうおもふてくださるはうれしけれど、其樣そのやうのこと他人ひとふてたまはるなよ、芝居しばゐ花見はなみかぬのはわたしのきにて、姉樣ねえさまたちの御存ごぞんじはなきことなり、もう此話このはなしはしまするほどに、なんぞお前樣まへさま今日けふあそびて、面白おもしろおもひしおはなしがあらばかしてくだされ、今日けふ吾助ごすけがどのやうなおはなしをいたしました。

この大將たいしやう若樣わかさまなんなくさとしとりこになりけり、令孃ひめとのなかむつましきをるより、奇貨きくわおくべしと竹馬たけうま製造せいざうはじめに、植木うゑき講譯かうしやく、いくさ物語ものがたり田舍ゐなかぢいばあ如何いかにをかしきことひて、何處いづこ野山のやま如何いかにひろく、それうみにはのつけやうもなき大魚たいぎよありて、ひれうごかせばなみのあがること幾千丈いくせんぢやうれがまたとりしてと、めづらしきことあやしきこととりとめなくつまらなきことを、可笑をかしらしくはなして機嫌きげんれば、おさこヽろ十倍じふばい百倍ひやくばいおもしろく、吾助々々ごすけ/\きまとひてはなれず、こヽろ面白おもしろしとけばれをそのまヽ令孃ひめかたりて、吾助ごすけはなしはなにごともうそならぬかほつき、眞面目まじめらしくりつぐをけば、時鳥ほとヽぎすもず前世ぜんせ同卿人どうきやうじんにて、くつさしと鹽賣しほうりなりし、其時そのときくつひてだいをやらざりしかば、れが借金しやくきんになりてもずあたまがらず、時鳥ほとヽぎす時分じぶんをさがしてかへるなどをみちくさにさし、れをはせておわびをするとか、れは本當ほんたう本當ほんたうはなしにて和歌うたにさへめば、姉樣ねえさまきてもわかることヽ吾助ごすけひたり、吾助ごすけ大層たいそう學者がくしやにてなにごともらぬことなく、西洋せいやうだの支那しなだの天竺てんじくなにかのこともりて、其話そのはなしが面白おもしろければ姉樣ねえさまにも是非ぜひかせまうしたし、從來まへかたぢいちがぼく可愛かあいがりて姉樣ねえさまめて、本當ほんたうやつなれば、今度こんどぼくくつしたをみてたまはるときれにもなにこしらへてたまはれ、よろしきか姉樣ねえさま屹度きつとぞかし姉樣ねえさま、と熱心ねつしんにたのみて、覺束おぼつかなき承諾しようだくことば其通そのとほさとしつたふれば、此消息このせうそく人目ひとめせきはヾかりもなく、玉簾たまだれやすやすえて、るは邂逅たまなる令孃ひめ便たよりをさとし日毎ひごとるばかり、事故よしありげなるこヽろそこも、此處こヽにはじめて朧々おぼろ/\わかれば、可憐いとほしねんむらむらとへがたく、きみゆゑにこそくまでにくすわれ木石ぼくせきならぬ令孃ひめくかるべきはずなし、此荊棘このいばらなかすくひしてと、かげだなるこひたけはしら詫住居わびずまゐおもひぬ。


だいくわい[編集]

やみつねなるひとおやごヽろ、ゆゑみちまよはぬはきものをとさとし此處こヽむれば、香山家かやまけ三人みたり女子むすめうちかみむづかしくすゑ活溌はねにて、容貌きりやう大底たいていなれどもなんとしてきみおよものなく、れにても同胞はらからかとおもふばかりの相違さうゐなるに、あやしきは母君はヽぎみ仕向しむけにて、流石さすがかるがるしき下々しも/″\たちへだてはけれども、おな物言ものいひの何處どこやらがく、らかるべしとおもふこと折々をり/\えけり。

子爵ししやくきみ最愛さいあいのおもひものなど、桐壼きりつぼ更衣かういめかしきがたなるが、此奧方このおくがたねたみつよさに、可惜あたらはなざかり肺病はいびやうにでもなりて、形見かたみとゞめし令孃ひめならんには、父君ちヽぎみあいいかばかりふかかるべきを、いよいよむねわるくくらしくおもひ、しかるべきえんにもつけず生殺なまごろしにして、他處目よそめばかりは何處どこまでも我儘わがまヽらしき氣隨きずゐものにて、其長そのながした父君ちヽぎみをもみしか、この一令孃ひめありとこヽろくすものなく、るは甚之助殿じんのすけどのばかりなる不憫いぢらしさよ、いざや此心このこヽろふではして、時機あはよくは何處いづこへなりとも暫時しばしともなひ、其上そのうへにてのさくまた如何樣いかやうにもあるべく、よし一時いちじ陸奧みちのく名取川なとりがはきよからぬながしてもし、はゞかりのなか打割うちわりてれば、天縁てんえんれにつて此處こヽはこびしかもれず、いまこそ一寒いつかん書生しよせいもなけれど、やがては令孃ひめをも幸福かうふく位置ゐちゑて、不名譽ふめいよへしはわけもなきことなり、さて濱千鳥はまちどりふみかよみちはともすがらふでにぎりしが、もとより蓮葉はすはならぬ令孃ひめの、こと庭男にはをとこなどにはずなければ、最初はじめより艷書ふみりては、たまふかいな其處そこまことにあやふし、如何いかにせんと思案しあんくるしみしが、れよ、人目ひとめにふるヽはみちおなじこと、なに度胸どきよう半紙はんし四五まい二つをりにして、すみつぎうすふみらぬかまぎらはし、わざぢて表紙へうしにもき、此趣向このしゆかううまくゆけかしとくるをちけるが、ひとしらぬこそ是非ぜひなけれ、此處こヽとなりざかひの藪際やぶぎはにて、用心ようじんためにと茅葺かやぶきまうけにまはする庭男にはをとこさてさて此曲物このくせものとは。

日影ひかげうらうらとかすみてあさつゆはなびらにおもく、かぜもがな蝴蝶こてふねむましたきほど、しづかなるあした景色けしき甚之助じんのすけ子供こどもごヽろにもたちて、何時いつよりはやにはにかけりれば、若樣わかさま、とかさずびて、笑顏ゑがほをまづする庭男にはをとこに、そのまヽすがりて箒木はヽきうごかせず、吾助ごすけまへがかけるかと突然とつぜん可笑をかしさ。もかきまするうたみまする騎射きしやでも打毬だきうでもおこの次第しだいわらへば、それならばきてれよ、ゆふ姉樣ねえさまかけをして、これがければぼく小刀ないふられる約束やくそくれは吾助ごすけのことからにて、ぼく吾助ごすけけるとひしを、姉樣ねえさまはかけまじとひたり、けては口惜くやしければ姉樣ねえさまおどろくほど上手じやうずに、のちはずにいますぐきてれよ、掃除そうぢなどはずともしとて箒木はヽきうばへば、吾助ごすけすここまりて、きてはあげまするがいますこし、のち吾助ごすけ部屋へやへおいでなされ騎馬武者きばむしやをかきてまゐらせん、れとも山水さんすゐ景色けしきにせんかとまぎらせば、いやいやいやいまでなくてはなんでもいやなり、のちになぞとはヾそのうちにぼくけて、小刀ないふられるからいや、どうぞ是非ぜひいますぐかきれよ、かみふで姉樣ねえさまのをりてべし、と箒木はヽきてヽすに、づおまちなされとあわたヾしくめ、ぐとおつしやれば是非ぜひなけれど、下手へた出來できなばかへりて姉樣ねえさまわらはれ、若樣わかさままけものなり、うなされ、はゆるゆると後日ごにちことになし、吾助ごすけよりもうた名人めいじんにて、田舍ゐなかりしとき先生せんせいなりしゆゑ其和歌そのわか姉樣ねえさまにおにかけておどろかしたまへ、それこそかならず若樣わかさまかちるべしとへば、はや其歌そのうためとせがむ懷中ふところよりぶみいだし、れはごく大切たいせつうたにてひとすべきではけれど、若樣わかさまをおたせまうしたく、ほかひと内證ないしよにて姉樣ねえさまばかりに御覽ごらんたまへ、はやく、内證ないしよで、姉樣ねえさまにおげなされ、と三つ四つにりて甚之助じんのすけ懷中ふところおしいれしが、無心むしんところなんともづかはしく、おとさぬやうにひとせぬやうにと呉々くれ/\をしへ、はやくおでなされとへば、兩手りやうてむねいだきて一しん甚之助じんのすけ、おおとしなさるな、とびもならず、にはかに心付こヽろづき四邊あたりれば、はなかぜれをわらふか、人目ひとめはなけれど何處どこまでもおそろしく、庭掃除にはそうぢそこそこにたヾひとはじとはかり、さとしこれほどの小膽せうたんともおもはざりしを。

おもひとほどはづかしくおそろしきものはなし、女同志をんなどししたしきにても此人このひとこそとうやまともに、さしむかひてはなにごともはれず、其人そのひと一言ひとこと二言ふたことに、はづかしきはくまではづかしく、おそろしきはくまでおそろしく、ちりほどのことにしみぬべし、男女なんによなかもかヽるものにや、甚之助じんのすけ吾助ごすけしたふはれともことなりてあはものなれど、わがこのひと一言いちごんおもく、ふみふところにして令孃ひめ部屋へやときは、すゑ姉君あねぎみ此處こヽにありて、お細工物さいくもの最中もなかなるに、いませてはるかるべしと、情實わけもとよりはずなけれど、吾助ごすけともはであそけるが、甚樣じんさまわたしの部屋へやへもおいでなされ、玉突たまつきしてあそびますほどに、と面白おもしろげにさそひて姉君あねきみはやねがしにはたはた障子しやうじてヽ、姉樣ねえさまこれ、と懷中ふところよりなかせ、吾助ごすけ上手じやうずなれどうたはうなほ名人めいじんゆゑ、これを御覽ごらんれさへすれば、ぼくつと吾助ごすけひたり、てばぼく小刀ないふぼくのにて、姉樣ねえさまのごむ人形にんぎやうはお約束やくそくゆゑいたゞくのなり、さあたまはれとかき〈[#ルビの「かき」はママ]〉ねれば、令孃ひめ微笑ほヽゑみながら、いやいや、お約束やくそくなるにうたにてはいやよ、ごむ人形にんぎやうげまじとかしらをふるに、れでも姉樣ねえさまこのうたごく大切たいせつのにて、ひとにもせずおとさぬやう御覽ごらんれろと吾助ごすけひしは、よりもきに相違さうゐはなし、是非ぜひ人形にんぎやうたまはれとて手渡てわたしするに、何心なにごヽろなくらきていちぎやうよむとせしが、物言ものいはずたヽみて手文庫てぶんこをさめれば、其顏そのかほ不審いぶかしげにあふぎて、姉樣人形ねえさまにんぎやうくださるか、げまするとわづかにうなづ令孃ひめ甚之助じんのすけうれしくたちあがつて、つたつた。


だいくわい[編集]

此思このおもつうじさへせば此心このこヽろやすかるべしとねがふはあさし、入立いりたつまヽによくさりて、はてなきものこひなりとかや、さとしはじめての艷書ふみこヽろをいためて、萬一もしりもせばつみれのみならず、らじとて令孃ひめるされまじ、さらでもの繼母御前まヽはヽごぜ如何いかにたけりて、どのやうことにまでたちいたるべきか、おもへば思慮しりよあさはかにて、甚之助殿じんのすけどのたのみしは萬々ばん/″\不覺ふかくなりし、ともおもまたみづからはげましては、なんわけもなきこと、大英斷だいえいだん庭男にはをとことさへりしわれ此上このうへ出來できごと覺悟かくごまへなり、たゞあやふきは令孃ひめこヽろにて、首尾しゆびよくふみとヾきたりとも、つれなくへされなば甲斐かひもなきこと、兎角とかく甚之助殿じんのすけどの便たよきたしとまちけるが、其日そのひ夕方ゆふがた人形にんぎやうちて例日いつよりもうれしげに、おまへうたゆゑ首尾しゆびよくかちり、此樣このやう人形にんぎやうりしとほこかほすれば、姉樣ねえさまうた御覽ごらんなされしや、してなんおつしやりしとへば、なんともはずに文庫ぶんこいれてお仕舞しまひなされしが、今度こんどまたあのやううたみて、姉樣ねえさま御覽ごらんれよかし、おまへめられなばれとてもうれしきものをと可愛かあゆふに、おもひある一層いつそうたのもしく樣々さま/″\機嫌きげんりて、姉樣ねえさまさだめし和歌うたはお上手じやうずならん、是非ぜひ吾助ごすけ拜見はいけんたければ、此頃このごろ姉樣ねえさまにおねがひなされ、おてをいたゞきてたまはれ、かならず、屹度きつと返事へんじ通路つうろ此處こヽにをしへ、一日いちにち二日ふつかち、三日みつかりても音沙汰おとさたきにさとしこヽろもだえ、甚之助じんのすけるごとにれとなくうながせば、ぼくもらつてりたけれど姉樣ねえさまくださらねばと、あはいたばさみにりてこまりしてい子心こごヽろにも義理ぎりかれてかなかちて胡亂胡亂うろうろするを、さとしいろ/\にたのみて此度このたびふうぶみに、あらんかぎりの言葉ことば如何いかきけん、文章ぶんしやう艶麗えんれい評判ひやうばんをとこなりしが。

なば美男びなんともふべきにや、鼻筋はなすぢとほりもとにぶからず、豐頬しもぶくれ柔和顏にうわがほなるさとし流石さすが學問がくもんのつけたる品位ひんゐは、庭男にはをとこりてもはなれず、吾助吾助ごすけ/\勝手元かつてもとかしましき評判ひやうばんは、おちやして大奧おほおくにもたかく、お約束やくそく聟君むこぎみ洋行中やうかうちうにて、寐覺ねざめ寫眞しやしんものがたる總領そうりやう令孃ひめさへ、垣根かきねさくられかし吾助ごすけ、いさヽかの用事ようじにて大層たいそうらしく、御褒美ごはうびたまはる菓子くわし花紅葉はなもみぢ、おづからなる名譽めいよはあれど、こひ本尊ほんぞんあればわきだちにれるなく、一しんおもひみてはありむかしのさとしならで、可惜あたら廿四の勉強べんきやうざかりを此体このていたらく殘念ざんねんともおもはねばこそ、甚之助じんのすけ追從つゐしようしあるきて、本心ほんしんにはるまじきふみ趣向しゆかう案外あんぐわいのことにて拍子へうしよくき、文庫ぶんこをさたまひしとはがもの、と一たびいさみけるが、それよりのち幾度いくど幾通いくつうかきおくりしふみに一たび返事へんじもなく、さりとて無情つれなくなげかへしもせねど、らきてみしやいなじんすけこたへぶりの果敢はかなさに、此度このたびこそとかきたるは、ながひろにあまりおもふでにあふれて、れながらくまでもまよものかと、ふみ投出なげだして嘆息たんそくしけるが、じんすけむかひてはなほさらかなしげに、姉樣ねえさまはあくまで吾助ごすけくみて、あれほど御覽ごらんれしうたに一たびのお返歌へんかもなく、あまつさへ貴君あなたにまで、このやう取次とりつぎするなとさへおつしやりし無情つれなさ、これほどはぢをとこの、をめをめおやしきられねば、いとまたまはりて歸國きこくすべけれど、たま田舍ゐなかには兩親りやうしんもなく、たヾ一人ひとりありしいもとれと非常ひじやうなかよかりしが、いませてなにもなき、そのいもと姉樣ねえさま正寫そつくりにて、いま在世あらばとこひしさへがたく、お前樣まへさま姉樣ねえさまなればれにはいもとやうおもはれて、そのての反古ほごにてもへてたば本望ほんまうなるべく、めて一ふで拜見はいけんねがひたきなり、されども下賤げせんれ、いかやうおもふともおよびなきことにて、無禮ぶれいものとおしかりをければそれまで、なれどもおいやならばおいやにて、むしろ斷然さつぱり目通めどほりもいややなれば此處こヽねかし、とでも發言ありて、いよ/\るまじきことらば其上そのうへ覺悟かくごもあり、くまでのおもなんとしてもゆるはずなけれど、覺悟かくご次第しだい斷念あきらめもつくべし、いま此文これげて、あきらかのおこたいてたまはれ、次第しだいにて若樣わかさまにもおわかれにるべければと虚實きよじつをまぜて、子心こごヽろあはれとくやうたのみければ、じんすけもとより吾助ごすけ贔負びいきにて、此男このをとこのこと一も十も成就じやうじゆさせたく、よろこかほたさの一しんに、これまでのふみ幾通いくつう人目ひとめれぬやうとヾこほりとヾけ、令孃ひめこヽろらず返事へんじをとめしが、このせまりたることばれまづかなしく、今日けふこそはかならず返事へんじり、其方そちよろこやうにすれば、田舍ゐなかくことはめになし、何時いつまでも此處こヽれよ、突然だしぬけ田舍ゐなかきてはやぞとき、其涙そのなみださとしぬぐはれてなほかなしく、にすがりて何時いつまでもきしが、三歳子みつごたましひいつはりにはらで、このこと心根しんこんにしみてかなしければこそ、其夜そのよ閑燈かんとうのもとに令孃ひめがみて、吾助ごすけおもひてふを、後生ごしやう姉樣ねえさま返事へんじたまはれ、けつして此後こののちわがまヽもはず惡戯いたづらもなすまじければ、吾助ごすけ田舍ゐなかかへらぬやう、いままでどほり一しよあそばれるやう返事へんじたまはれ、たヾ一寸ちよつと吾助ごすけ一筆ひとふでにてもとひたれば、此卷紙このまきがみなにかきぼくたまはれ、吾助ごすけ田舍ゐなかかへりてもところなれば、大方おほかた乞食こじきるべきにや、それ〈[#ルビの「それ」はママ]〉れではぼくどうしてもやなり、是非ぜひ此文これ御覽ごらんなされて、一寸ちよつとなにとかふてくだされ、よう姉樣ねえさま、よう姉樣ねえさま、おねがひ、此拜これ、とて紅葉もみぢはす可憐いぢらしさ、なさけふかき女性によしやうの、此事これのみにてもなみだ價値あたひはたしかなるに、よし山賤やまがつにせよ庭男にはをとこにせよ、れをひとくかるべきか、令孃ひめ情緒こヽろいかにもつれけん、じんすけ母君はヽぎみのもとにばれ、此返事このへんじなく、のこしげに出行いでゆきたるあとにて、たまかひな此文これいだき、むねてヽもすがらきけり。


だいくわい[編集]

二十はたちはるゆめらして、落花らくくわゆふべになにごとをおもひつきてか、令孃ひめ別莊住居べつさうずまゐしたきねがひ、鎌倉かまくら何處どことやらに、眺望てうばうえらんで去年こぞはれしが、はなしのみにてぬもゆかかしく〈[#「床かしく」はママ]〉別亭はなれ洒落しやれたるがありて、名物めいぶつまつがありてと父君ちヽぎみ自慢じまんにすがり、わたく年來としごろまヽくらして、此上このうへのおねがひはまうしがたけれど、とてもの其處そこおくらしてはたまはらぬか、甚之助樣じんのすけさま成長おうきうならば、つかはさるべきお約束やくそくとや、それまでのお留守居るすゐまた父樣とうさまをりふしのお出遊いでに、人任ひとまかせらずは御不自由ごふじいうすくなかるべく、何卒なにとぞ其處そこまはせて、白波しらなみ浦風うらかぜおもしろく、うめ花貝はながひでもひろはせてたまはれとのねがひ、不憫ふびん如何樣どのやう子細しさいあればとて、月花つきはなをかしきさかりのとしに、千人せんにん萬人まんにんすぐれし美色びしよくを、かヾみきからぬかのやううへ他人ひとごとにしてうれしとはかれぬを、おやといふのまして如何いかならん、さりとは隱居樣いんきよさまじみしねがひも、令孃ひめこヽろには無理むりならぬこと、生中なまなかみやこきて同胞きやうだいどもが、浮世うきよめかすをするもらし、なにごとものぞみにまか〈[#ルビの「まか」はママ]〉かせて、みたしとならば彼地かしこませ、きなことでも松風まつかぜはし、氣儘きまヽくらさせるがめてもと、父君ちヽぎみ此處こヽにおるしのでければ、あまりとても可愛想かあいさうのこと、よし其身そのみねがひとてやうとほくに、みちれほどでけれどりにてはれも心配しんぱいなり子供こどもたちもさびしかるべく、甚之助じんのすけそのうちにもしたひて、中姉樣ちうねえさまならではけぬに、朝夕あさゆふ駄々だヾいかにさりて、あねたちの難義なんぎゆるやうなれば、いましばらくまりてと、母君はヽぎみものやはらかにのたまひたれど、おゆるしのいでしに甲斐かひなく、夫々それ/\支度したくして老實まめやか侍女つきらみ、出立しゆつたつ何日々々いつ/\内々ない/\とりきめけるを、甚之助じんのすけかぎりなく口惜くやしがり、父君ちヽぎみなげ母君はヽぎみめ、長幼ふたり令孃ひめあたりあるきて、中姉樣ちうねえさまいぢすことヽらみ、ぼくをも一處ともにやれとまり、令孃ひめむかへばわけもなくあまへて、りつきしまヽきてはなれず、姉樣ねえさまなにごとをはらたちて鎌倉かまくらなぞへおいでなさるぞ、れも一つき半月はんつきならばけれど、お歸邸かへり何時いつともれずと衆人みなひたり、どのやうおつしやるともそれはうそにて、鎌倉かまくらかばおかへりのきにまりたれば、のこりてさびしからんよりれも一處ともにゆき、れも此邸こヽかへるまじ、父樣とうさま母樣かあさまや、れをてヽも諸共もろともかんとばかり、令孃ひめしづかにさとして、其身そのみもほろりとし、可愛かあゆこといふてかしたまふな、鎌倉かまくらきてかへらぬとはれがひしか、それこそはうそにて、一寸ちよつとあそびにき、そのうちにかへつてまするほどに、おとなしうちてたまはれ、よしかへらずとて彼地あしこはお前樣まへさまのおやしきゆゑ、成長おほきうなりたまふまでのお留守居るすゐいまもおまうしたけれどそれこそさびしく、やにりて母樣かあさまこひしかるべし、なに柔順おとなしう成長おほきうなりたまへと、わびるやうになぐさめられて、それでもと椀白わんぱくへず、しくしくきに平常つね元氣げんきなくなりて、悄然しよんぼりとせし姿すがた可憐いぢらし。

令孃ひめ鎌倉かまくらごもりのうはさむねとヾろきてさとししばしはあきれしが、なほ甚之助じんのすけくはしくへば、相違さうゐなき物語ものがたりなかばきながらにて、何卒なにとぞめにやう工風くふうきかとたのまれて、さてなにとせん、うで思案しあんにもあたはず、しほれかへる甚之助じんのすけ人目ひとめ遠慮ゑんりよなきをうらやみて、こヽろそらになれどつち箒木はヽき面倒めんだうさ、此身このみりしもゆゑかは、つれなき令孃ひめ振舞ふるまひ其理由そのわけぐれず、此處こヽてられてとりのこされんわれ、いでや出立前しゆつたつまへの一をとこヽろねがひしが、むなしくかげずに明日あす早朝さうてううらめしき便たより、いまなにてヽ一にち病氣びやうきしけるが、こひみだるヽこヽろあはれかなしくも、令孃ひめ部屋へやまいへだてに、今宵こよひかぎりの名殘なごりしまんとて、こヽろそら宵闇よひやみはる落花らくくわにはあしおとなきこそよけれ、めてはゆめれかしとしのびぬ。

けてのきばに風鈴ふうりんのおとさびしや、明日あす此音このおといかにこひしく、此軒こののきばのこと部屋へやのこと、取分とりわけては甚樣じんさまのこと、父君ちヽぎみのこと母君はヽぎみのこと、平常つねまでならぬ姉妹しまいのこと、こひしかるべきものをといまこひしく、とこものおもふ令孃ひめ甚之助じんのすけ暫時しばしかたはらはなれず、今宵こよひ此處こヽんとひしを、明日あすあさ邪魔じやまなればと母君はヽぎみ遠慮ゑんりよして、かれしあとのなほさらさびしく、おもへば明日あすよりの閑居かんきよいかならん、甚樣じんさまはしばしこそれをしたひてきもしたまはめ、ほどへなばおのづとわすれて、姉樣ねえさまたちにたまはんは必定ひつぢやうれはぎるヽことこひしさ日毎ひごとさりて、笑顏ゑがほみたしとてもおよことにあらず、父君ちヽぎみとてもなりかし、とほはなれて面影おもかげをしのばヽ、ちかきには十ばいまして、ふかかりし慈愛じあいこゑこのみヽはなれざるべし、れによりてこそ此處こヽをもて、いとヾしきおもひにるしむれど、吾助ごすけのこともわすれがたし、るせよ吾助ごすけゆめさらさらくからねばこそ、こひすまじとて退ぞかし、うつせみのかるためまたありや、らぬこヽろうらみもせんくみもせん、そのくまるヽを本望ほんまうにての處爲しよゐもらひしふみ何處どこまでもしきに、ふうこそらぬ手文庫てぶんこめて、一しやうきはまではともとせんこヽろ、さりとては生先おひさきのあるきに月日つきひながからんことらや、何事なにごともさらさらとてヽ、からず面白おもしろからずくらしたきねがひなるに、春風はるかぜふけばはなめかしき、枯木かれきならぬこヽろのくるしさよ、あはつききか此胸このむねはるけたきにと、にいよいよ動悸どうきたかく、みしめるそでなみだこぼれて、令孃ひめ暫時しばらくうちしてきけるが、吹入ふきい夜風よかぜたがたましひか、あくがるヽこヽろ此處こヽたへがたく、しづかにつて妻戸つまどせば、いま廿日はつかつきおもかげかすんで、さしのぼには木立こだちおぼろおぼろとくらく、たりや孤徽殿こきでん細殿口ほそどのぐちさとしためにはくものもなきときぞかし。


だいくわい[編集]

はぬ浮世うきよ樣々さま/″\には如何いかなることやひそむらん、いまむかしのなみだたねこひならぬ懺悔物ざんげものがたり、くもかなしきうへあり、はるふけてにしむかぜに、寐屋ねや燈火ともしひまたヽくかげもあはれさびしや丁字頭ちやうじがしらの、はなばれし香山家かやまけひめいま子爵ししやくおなはらに、双玉さうぎよくとなへは美色びしよくかちめしが、さりとて兄君あにぎみせきえず、物靜ものしづかにつヽましく諸藝しよげい名譽めいよのあるがなかに、ことのほまれは久方ひさかたそらにもひヾきて、つきまへちゆうなほときくもはれてかげそでにち、はなむかつて玉音ぎよくおんもてあそべばうぐひすねをとヾめてふしをやまなびけん、子爵ししやく寵愛ちようあいよりもふかく、兩親おやなきいもと大切たいせつかぎりなければ、きがうへにもきをらみて、何某家なにがしけ奧方おくがたともをつけぬ十六の春風はるかぜ無慘むざん玉簾たますだれふきとほして此初櫻このはつざくらちりかヽりしそで馬廻うままはりに美男びなんきこえはれど、つき雲井くもゐちり六三ろくさなんとして此戀このこひなりたちけん、ゆめばかりなるちぎ兄君あにぎみにかヽりて、遠乘とほのり歸路かへりみち野末のずゑ茶店ちやてんをんなはらひて、因果いんぐわふくめしなさけことばさても六三ろくさ露顯ろけんあかつきは、くびさしべて合掌がつしやう覺悟かくごなりしを、ものやはらかにかも御主君ごしゆくんが、げるぞ六三ろくさやしき立退たちのいてれ、れもあくまで可愛かあゆ其方そちに、つかはさるべくはつかはしたけれど、七萬石ひちまんごく先祖せんぞ勳功くんこうたひし、皇室くわうひつ藩屏はんべいといふたいし、このことばかりはなしがたきに表立おもてだちてはひめやしきおきがたけれど、れには一人ひとりいもと、ことに兩親りやうしん老後らうごにて、形見かたみおもへば不憫ふびんかぎりのなきに、其方そちこヽろ一つにてれも安堵あんどひめきずもつかず、此處こヽをよく了簡れうけんなし斷念さつぱり退のいれかし、さりながら此後こののちありつきにと包物つヽみものたまはりて、はねど手切てきれの、端金はしたにはあらざりけんを、六三ろくさ此金これとヾめず、重々ぢゆう/\大罪だいざいくびおふせらるヽともらみはきを、なさけのおことばてつしぬとて男一匹をとこいつぴき美事みごとなきしが、さても下賤げせんてば、こひかねゆゑするとやおぼす、これより以後いご一生いつしやう五十ねん姫樣ひめさまにはゆびもさすまじく、まし口外こうぐわいゆめさらいたすまじけれど、かねゆゑぢるくちにはあらず、此金こればかりはとおそれげもなく、つきもどしてさてつくづくとびけるが、歸邸きていそのまヽ暇乞いとまごひしき名殘なごりひめともはず、うまれかはらば華族くわぞくにとばかり、此處こヽでヽ何處いづこゆきけん、わすれぬひめのことわすれねばこそ、義理ぎりといふなみだんで、こヽろやしきはなれざりしが、帳臺ちやうだいふかくにものおもふひめ六三ろくさいとまつたくより、こヽろむすぼほれてくることく、さて慈愛じあいふかき兄君あにぎみつみともはでさし置給おきたま勿体もつたいなさ、七万石ひちまんごくすゑうまれておやたまとも愛給めでたまひしに、かはらにおとる淫奔いたづらはづかしく、なほ其人そのひとこひしきもらく、なみだしづんでおく月日つきひに、らざりしこそをさなけれ、うへきをかさねて、宿やどりしたね五月さつきとは、さてもとばかなげふしてなきけるが、いまひとにもはじものおもはじ、たヾねかしとすてものにして、部屋へやよりそとあしさず、一心いつしんくやめては何方いづかたうつたふべき、先祖せんぞ耻辱ちじよく家系かけいけがれ、兄君あにぎみ面目めんもくなく人目ひとめはずかしく、我心わがこヽろれをめてひるず、一身いつしんつかれてせにせし姿すがた兄君あにきみこヽろやみにりて、醫藥いやく手當てあてづからの奔走ほんそういよいよかなしく、はて物言ものいはずなみだのみりしが、八月やつき壽命じゆみやう此子このこにあれば、月足つきたらずの、こゑいさましくげて、たま姫樣ひめさま御出生ごしつしやうきもへず、るやさくらむなしくなりぬるを、何處いづくりてか六三ろくさ天地てんちなげきて、ひめいのちゆゑばかりみじかきちぎりにあさましき宿世しゆくせおもへば、一人ひとりのこりてなんとせん、待給まちたま諸共もろともにのこヽろなりけん、しのたまはりしひめしごき緋縮緬ひぢりめんを、最期さいごむね幾重いくへまきて、大川おほかわなみかへらずぞりし。

不幸ふかう由來もとさとめて、ちヽこひはヽこひしの夜半よはゆめにも、かぬさくらかぜうらまぬひとりずみのねがかたくなり、つヽむにもれ素性すじやうひとしらねばこそ樣々さま/″\傳手つてもとめて、香山かやま令孃ひめくるしく、一切いつさい衆生しゆうじやうすてものに、わがまヽらしき境界きやうがいこヽろにはなみだみて、しや廿歳はたちのいたづらぶし、一ねんかたまりてうごかざりけるが、いはをもとほなさけさとしがことにしみそめて、其人そのひとゆかしからねど其心そのこヽろにくからず、ふみいだきて幾夜いくよわびしが、れながらよわこヽろあさましさにあきれ、ればこそはけばこそはおもひもすなれ、いざ鎌倉かまくら退がれて此人このひとのことをもわすれ、かるヽこヽろちたきものと、决心けつしん此處こヽりし今宵こよひめては妻戸つまどごしのおこゑきヽたく、とがめられんつみわすれて此處こヽしのそでにすがりてさとしなげヽば、これをはろ勇氣ゆうきいまく、よし人目ひとめにはこひともこヽろくるはねばと燈下とうか對坐むかひて、るまじきこひおもひをるしさ、さとしはじめよりの一ねんかたり、めてはあはれとのたまへとうらむに、勿体もつたいなきことヽて令孃ひめき、おこヽろざしのふみふうらねど御覽ごらんぜよ此通このとほりと、手文庫てぶんこまことせしが、さてわれゆゑけばうれしきかかなしきか、行末ゆくすゑいかに御立身ごりつしんなされて如何樣どのやうなお人物ひとたまふおにや、おもへばたつとき御勉強ごべんきやうざかりをれなどのためにとは何事なにごとぞや、いよいよこひあさましきもの果敢はかなきものくきもの、生涯しやうがい此樣このやうかなしく、ひとはれぬものおもふも、あさましきこひゆゑぞかし、れにはらぬおやむかし、かたるまじきことれもめ、父君ちヽぎみさらなり母君はヽぎみにもいへはぢとてつヽむを、かせまゐらするではなけれど、一しやうに一打明うちあものがたり、きいたまはれ素性すじやうと、此處こヽなみだくしてかたあかせば、ゆめとやはんはるあげがたちかく、とりがねそらきこえてさてせはしなし、きみみやこれは鎌倉かまくらに、ひきはなれてまた何時いつかはふべき、定離ぢやうりためしを此處こヽれば、こひ一人ひとりやすかりける、何事なにごとはじおもはじ、おふせられてもたまはるなとて、あかつきつきかげわかちしが、これよりひめ如何いかりけん、さてさとし如何いかりけん、つれなくえし有明ありあけつき形見かたみそらながめて、(あかつきばかり)とうめ〈[#「口+斗」、U+544C、29-11]〉きけんからず。

この著作物は1924年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。