うもれ木

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うもれ


第一回

 ゑがき出だすや一すゐの筆さきに、五百羅漢ごひやくらかん十六善神じふろくぜんじんくうに楼閣をかまへ、思ひを廻廊にめぐらし、三寸さんずんの香炉五寸ごすん花瓶くわびんに、大和人物やまとじんぶつ漢人物からじんぶつ、元禄風のなるもあれば、神代様じんだいやううづたかく、武者のよろひのおどしを工夫し、殿上人でんじやうびとに装束の模様をらみ、ある帯書おびがきに華麗をつくす花鳥風月くわてうふうげつ、さてはを極むる高山流水かうざんりうすゐ、意の趣くところ景色とゝのひて、濃淡よそほひなす彩色の妙、打ちをらくと見る素人目しとうとめに、あつと驚歎さるゝほど、我れ自身おもしろからず、筆さしおきて屢々しばなげく斯道しだう衰頽すゐたい。あはれ薩摩さつまといへば鰹節かつをぷしさへ幅のきく世に、さりとは地に落ちたり我が錦襴陶器きんらんたうき

 おもひ起す天保てんぱうの昔し、苗代川なはしろがはの陶工朴正官ぼくせいくわん、その地に錦様にしきでたくみなきをたんじ、とし十六の少年の身に、奮ひ起す勇気千万丈せんばんぢやう奉行ぶぎやうを説き藩庁に請ひ、竪野たての二人ににんの教授をむかへて、相伝さうでん法受はふじゆの苦を尽くしつ、なほ心胆をねる幾春秋いくしゆんじう安政あんせいのはじめ田の浦の陶場たうぢやうに、焼着やきつけ画窯ゑがま良結果りやうけつくわを奏するまで、刻苦艱難かんなんいくばくぞや。それが流れに浴する身の、美術奨励の今日けふうまれ合はせながら、此処こゝ東京の地にばかり二百に余る画工のうち、天晴あつぱれ道の奥を極めて、万里海外のあを眼玉めだまに、日本固有の技芸の妙、見せつけくれんのはらわたもつものなく、手に筆は取り習らへど、心は小利小欲のかたまり。「美とはなんまうぐちか、乃至ないし吉原よしはら洲崎すさきのちりからたつぽう。品川にも又捨てられぬ代物しろものあり」と、口三味線くちざみせん筆拍子ふでびやうしに、なぐり書きしての自慢顔。「兎角とかくは金の世の中に、優でござるの妙でさふらふのと言ふところが、結局つまりは仕切り値段ねだんの上にあること。問屋とひやうけのよき物一致いつちありがたし」とは、そも何方いづこより出ることばぞ。

 さればこそ売国の奸商かんしやうどもに左右されて、又も直下ねさげ又も直下げと、さらでものうでねぢられながら、無明むみやうの夢まだ覚めもせず、これでは合はぬの割仕事わりしごとに、時間をいと費用いりめを減じて、十をもつて一にふる粗画濫筆そぐわらんぴつ、まだ昨日きのふ今日けふ絵の具台にすわりて、稽古けいこねぶりの白雲頭しらくもあたまを、張りこかして手伝はするふちがき腰がきの模様、かすみ砂子すなごみだれ砂子の乱れ書きに、美といふ字はぬぐひさる絵のぐ雑巾のよごれ同様、さりとはそゝがれぬ恥ならずや。このまゝならば今十年と指をらぬに、今戸いまどやきの隣に座をしめて、あらものの店先に、砂まみれにならんも知れた物でなし。これほどのこと気のつかぬ、痴漢うつけばかりあるはずなけれど、時の勢ひは出水でみづの堤、切れかけたも同じこと、我等ふせぎはとんと不得手ふえてづは高見で見物が当世ぞと、頬杖つらづゑつきて宙腰ちうごしの、ふらとせし了簡れうけんには、自己おのれ々々が不熱心を、地震雷鳴かみなりおなじ並みに心得て、天だ天だと途方途轍とてつもなき八つ当り、的になる天道さま気の毒なり。

 りながらそれも道理ことわり、身は蜻蜓洲せいていしう幾十万のかしらかずに加はりて、かまどけぶり立居たちゐにまで、かしこき大御心おほみこゝろなやませ奉る、かたじけなき心得もせず、大日本帝国だいにほんていこくの名誉といふ事、みくちやにしてはきだめの隅に、投げ出すやうばちしらずが、其処等そこらあたりに珍らしからぬ世の中、憤るほどくだなるべし。「さりとも我れは我が観念あり。握りめたる筆の因果、よしきやうといはゞ言へ、と笑はゞ笑へ、千万せんまん黄金こがねつんで来るとも換へぬ心を腕にみがきて、軽薄浮佻けいはくふてうを才子と呼ぶ明治のに、愚直のあたひどれほどのもの、熱心の結果はいかに、斯道しだうしん那辺いづくにあるか、よし人目にはなにとも見よ、我が心満足するほどの物つくりいだして、我れ入江いりえ籟三らいざう変物へんぷつの名を、陶器歴史に残さんずもの、口惜くちをしや赤貧の身の、むなしく志しをいだひて幾年間いくねんかん、このまゝならば胸中の奇計、なんに向つて何時いつゑがくべき。恨みはこれぞ、これ骨までの恨みぞ」と、取りしむる右の腕手かひなたなくびぶるふるへて、煮えよはらわた、熱涙のみ込みつゝ悲憤の声は現はさねど、誰れいふとなくかうがい先生せんせいと仇名して、酒席のうはさはづれぬ代り、しばの戸たゝくもの稀々まれなれば、友なく弟子なく女房なく、おてふとよぶいもと相手にして、此処こゝ高輪たかなは如来寺によらいじまへに、夕顔かきにからみ、蚊やり火のきにけぶる佗住居わびずまゐ渋団扇しぶうちはに縁のある暮しをなしけり。


第二回


 散るにすら、笑みぞあまると聞く十六七を、貧にくるしめば月も花も皆なみだの種。同じほどの少娘こむすめが、流行はやりし帯の新形染しんがたぞめ浴衣ゆかたきて、姿どこやらたほやかに、よく見ればよくもなき顔だちも、三割とくの白粉しろいものぬりくり、幾度いくどじれたる癖直くせなほしの、おかげにふくらむ鬢付びんつきたぼ付き、天晴あつぱれ美人と招牌かんばんうつて、れ違ひに薫る香水の追風おひかぜまで、ぱツとせし扮粧いでたち夕詣ゆふまうで。何を願ひぞ、神さまさぞやお困りの連中に、顧みられて我がなりはづるとなけれど、こゝろよからねば洗ひざらしの浴衣ゆかたの肩、我れ知らずすぼめて小走りするお蝶、並らぶ縁日の小間こまものみせに目もくれず、そゝぐは一心いつしん兄の上ばかり。「願ひは富貴でなく栄華でなし。我がなりこの上の襤褸つゞれに、よしやなはの帯しめよとまゝ、我れ生涯しやうがいべき運、あらば兄様あにさまの身にゆづりて、腕の光りの世に現はるゝやう、みがく心の満足されるやう、二つには同じ画工のあなどがほするやつを、兄さまの前に両手つかせたく、仏壇のおかたに、おはいはくつけて欲しき」がそもの願ひ。手内てないしよく手巾問屋はんけちどんやに納むる足をそのまゝ、霊驗れいげんあらたかなりと人もいふ、白金しろかね清正公せいしやうこうに日参の、こむる心を兄には告げねど、聞かば画筆なげ出して、「芸に親切の志、我れまだ其方そなたに及ばず」とや言はん。

 下向げかうはことに家のこと気になりて、心も足もいそぐ道の、とある小路こうぢおびたゞしき人だち。喧嘩けんくわか物どりかなににもせよ、側杖そばづゑうたれぬやうとけて通る、多くの人のそでのしたを、れて聞こゆる涙ごゑ、ふつと耳に止まりて、我しらずさしのぞけば、あはれや五十あまりの老女、貧にも限りのなきものかな、我れに比べていまばいあさましき有様。むかしは由緒よしある人か、しわめる眉目びもくどこかひんもあるを、不憫ふびんやこれが商売あきなひの、何焼なにやきとかいうあかがねの板、うち渡せし小屋台こやだいのかげに、かしらすりつけて繰りかへすわびごと。相手は三十ばかりのひげむしやくしやと、見るからがな奴、大形の浴衣ゆかた胸あらはに着て、力足ふみ立てつ耳もしひよとわめたつるは、いづれ金がかたきの世の中。元来もとは懇意づくの、うまれながらに顔赤め合ひしなかでもあるまじきに、始めは伏し拝みてうけたる恩、返へすことのならぬは心がらならず、この社会に落入りし身の右左不如意ふによいにて、約束せしこと約束のやうにもならねば、我れと恥ぢて心ならぬ留守もつかひ、果ては言ひたくなきうそに、一月ひとつきを延ばし十五にちを過ぐせど、その揚句さてなんともならず、つまりつまりては烏羽玉うばたまのやみのいへぬしのかきの外に両手合はせて拝みながら、不義理不名誉の欠落かけおちもすめり。さてもこの老女そのたぐひとおぼしく、四辺あたりはづかしくや小声の言訳、つは涙ながらのことばとて、首尾全くは聞えぬ物の、取り集めて察すれば、娘にやあらんつゑはしらの子、煩ひてゐるかの様子。

「それ本復さへなさば、又つくべきかたもあり。今暫時しばしまちて給はれ」と、あはれはらわたしぼり 尽くす悲しげな声。聞くお蝶は涙もろの女の身、ましてや同じじやうくみて知らぬ事もなければ、 なんの人事と聞き過ぎられず。

「さりとはあの男の聞訳きゝわけなさ。百円のかたに網笠あみがさなれど、この屋台おこせといふ。それ取られてはわたくしと娘、今日からべる事がなりませぬ、お慈悲と合す手を、あれちをつた、憎くいやつにくい奴。自分は手前はさして困る様子もなく、大々たいしい身躰からだつきのやまもなささうなに、あの老人としよりのしかも病人抱へて、困苦さこその察しもなきは鬼か夜叉やしやか。あらばあの横つら金で張つて、美事みごと老女救つてやりたきもの。それどころではなき身、この財布の底はたけばとて、なにになる物でなし。口惜くちをしや可愛かあいや」と、お蝶身もだえする程残念がり、黒山と立つ人じろりながめて、「めて一人ひとりはこの中にあはれと見る人ありさうな物」と、歎息する一刹那さつな、お蝶の肩さきるほどにして、猶予もなくずつといでし男。何ものと思ふまもなく、たけりたつ鬼男おにをとこの前、ふりあぐる手のひぢめて、かろくふくむ微笑の色、まづ気をまれて衆目のそゝぐ身姿みなりはいかに。くろ羽織はおりに白地の浴衣ゆかたわざとならぬ金ぐさり角帯かくおびはしかすかに見せて、温和の風姿か優美のさうか、言はれぬところ愛敬あいきやうもある廿八九の若紳士わかしんし。老女のかた顧みさまことばつき叮嚀ていねいに、わたくし通りすがりの身。来歴は何か知らねど、たかが女なり。老人としよりに失礼はあり勝ち、あれ御覧ぜよあの通りわびてもゐること、往来はそのうちにも人の目口うるさきに、洋刃さあべる厄介やつかいも御身分がらいかゞかや。なんわたくしに此処こゝの花、もたせては下さらぬか」

と、青柳あをやぎのいと優しくれば、

「はてさて、他人のらぬ口出し。わびことばですむほどなら、我等今頃いまごろは手を引くはずなり。済まぬ次第きゝたしとならば聞かせもせん。我等つき三がげつ雨露あめつゆしのがせた事もある大恩人、その上に彼奴あやつめが口車に乗せられて、五円といふ大金たいきん貸したは此方こつちも商売づく、五一ごいち利息りそくはよしや天地が逆さまにもなれ、一人子ひとりごの病人死にもせよ、待つてやる約束もなければ、負けてやる覚えもなし。それに何ぞやなきごとの数々、地蔵の顔も方図はうづのあるもの。利足りそくかたにも不足なれど、なに一つでも取るが取りどく、この代物しろもの引取つて行かんといふは、余り無理でもなきつもり」

と、鼻で笑ふひげづら憎くし。若き男はからと高笑ひして、

なにぞと思ひしに金ですむ事なりしか。さりとては訳もなし。らぬ他人と言はるれど、いづれ四海しかい内輪うちわ同志どし、金は我れ立て換へん」

と、紙入れ探ぐつて五円札一枚、一円一顆ひとつ

「これではまだ御不足ならんが、内実ないじつ持ち合せはこれりなり。なんと雨露しのがせるほどの大恩人さま、了簡れうけんしてはつかはされぬか」

と、あくまで柔和はよそほひながら、「否なと言はゞあの純白の拳󠄁こぶし何処いづこふるつて、あの髭男ひげおとこ微塵みじんになるも知れがたし」と、芝居気しばゐぎのある見物がさゝや可笑をかし。

 の男はきさるやうに、金懐中ふところにねぢ込んで、いだす証書幾通、幾多いくたの人の涙の種を印刷にせし文言もんごん名当なあて、あれかこれかとがしして、

「よしか、たしかに渡しましたぞ。不足を言はゞまだなれど、取らぬにはし。これで算用ずみとすれば、老婆ばゝあめはたいしたまうけもの。親分おやぶん見付け出して、これから利の出ぬ金借りらるゝやら。人事ながら慈善家の末が案じられる」

と、冷笑あざわらつて払ふもすそちり、礼も返さず恥ぢもせず、人かき分けてのさりのさり、行くての大地だいぢ裂けもせず、つまづく石のなきも不審いぶかし。若き男は老女がぶる礼よくも聞かず、

なん是式これしきのこと、有つたればこそ役にも立つたれ、無くは我れと其方様そなたさまといづれ替らぬ難義なんぎふち。浮き沈みは浮世の常に、お礼は其方様大分限だいぶげんになられし時、此方こなたより御催促ごさいそくに出るまでは、お預けのことお預けのこと。はて名告なのりをする程聞こえてもをらぬ名、先づそれもご免なされ」

と、取すがるそで引はなして、優然いうぜんと去る後ろ影、光明赫灼かくしやくとして輝くとぞ拝まれぬ。


第三回


 とし十三の暁より、絵筆とりめて十六年、一心いつしんこの道に入江いりえ籟三らいざう、富貴を浮雲ふうんむなしと見れど、なほ風前のちり一つ、名誉を願ふ心はらひがたく、三寸の胸中欲火よくくわつねに燃えて、高くかくるべき心鏡しんきやう、くもりといふはこれのみなり。さればとて世にび人にこぶること、しやうをかへぬ限りならぬたち、我れよりかしら下ぐること、金輪こんりん奈落ならくいやといふ一点ばりに、頑物ぐわんぶつの名高くなるほど、我慢と意地は満身にゆきわたりて、れられぬ世と弥々いようしろ向きになる心。「見をれこの腕なにが住むか、一飛いつぴ得意とくいの暁には」と、人も聞かぬ大言はきて、わづかに熱腸ねつちやうを冷やす物の、さても諸道のさまたげと言ふ、貧よりほか伴侶はんりよのなき身、その得意の暁いつとか待たん。弥勒みろくの出世と並らべ立てゝ、甲乙のなき物よと思ふに、口惜くちをしの念胸をさして、まぶたの合はぬ夜半よはも多かり。

 ぬに明けたるあした、おく庭草の露を見て、亡師ぼうしのことふツと思ひ出し、にはかに寺参り仕度なり。垣根かきねの夏菊無造作むざうさに折りとつて、お蝶が暫時しばしと止むるも聞かず、朝飯あさめしまへに家をいでけり。

 寺は皿子さらご台町だいまちなれば、さまでには遠くもあらず。泉岳寺せんがくじわきの生垣いけがき青々とせし中を過ぎて、打水すゞしく箒木目はゝきめのたつ細道を、がらりがらりと百足むかで下駄げたに力を入れて、まつはる片裾かたすそうるさしと、くり上ぐるや空臑からすねあらはに、なんの見得もなく、身は小男こをとこおもざし醜くからねど、色くろと骨だちて、高き鼻しまりし口、まなざしぎろりと青く凄く、沈鬱ちんうつしよう何処どこさびしく、紺薩こんさつ古手ふるてしろ兵児へこの姿。懐中ふところ建白書けんぱくしよ相応なれど、右手めてに持つ夏菊の花の色、流石さすがにやさしきところも見えけり。

 心つて見る目には、映るものも映る物も皆その色、細づくりの格子戸かうしどまへに、米沢よねざは数寄屋すきやはだつき美くしき人、黒繻子くろじゆすおび腰つきすつきりとして、芙蓉ふようおもてに淡彩の工合、楊柳やうりうの髪に根がけの好み、「さてもかな、さても美かな。この美にすさむ心がけを我が陶画の上に移して、共に協力の友を得たし」と、茫然ばうぜんしつながめ入れば、「あれ薄気味の悪るき人」と、にげこまれて、我れながら、取りとめなき考へ馬鹿ばからしく、ふりむきもせず又五六三歳みつばかりの男の子のちよろいでしが、そでなし浴衣ゆかたの模様は何、まがきに菊の崩しがたか、それよ今度の香炉にあの書き廻しも面白かるべし。注文は龍田たつたがはとか、なんの我がうでで我が書くに、らぬ遠慮究窟きうくつくさし。先師せんし言付いひつけよりほかは他人の意見いれたことなき籟三、「身ひんに迫つて意を曲ぐるなどやな事なり。さりながら我れ頑物の兄故あにゆゑに、世の人並みのこともせず、こめ味噌みそ醤油しやうゆに追ひつかはるゝお蝶、思へば兄風あにかぜも吹かされねど、ゆきあきらめてゐてくれる様子。それもそれなり、時運めぐらば何時いつかは花も咲くものよ、衡門かぶきもんに黒ぬり車出入しゆつにふさせて、奥様とあがめらるゝやうになるも不思議はなし。鳴呼あゝその衡門かぶきもんよりは、天晴あつぱれの人物えらびて添はせたきもの」と、なにがなしに案じてふツと仰げば、今も想像の衡門に、篠原しのはら辰雄たつをといかめしき表札。「さても立派の住居すまゐかな。主人公はどんな人、身分はいかに。愛国の志しある人ならば、日本固有の美術の不振、我が画工疲弊ひへいじやう、説かば談合のひざにも」と、夢知らぬ人に望みを属す、狂気の沙汰さたに心もつかず、あれを思ひこれを思ひ、何時いつとはなしに坂も登りぬ。

 もんくゞり入れどおそうどの寐坊ねばうにや、まだ看経かんきんの声もなく、自然おのづから寂寞境じやくまくきやうに、あさ風さつと松に吹いて、身にしみる心地なんとも言へず。本堂をめぐりて裏手の墓処ぼしよへと、をけらぶ阿伽井あかゐのもとを過ぎる時、

「入江様、しばし」

と呼止める声、少し覚えのと顧見かへりみれば、つかせ寄つて、物言はずだいに両手を突く男、あやしや何者、とあきれて立つ、足もとに身を縮めて、

「お見忘れか、たゞ人外にんぐわいわたくし、おことばも下されまじとか。正路しやうろ潔白の君に対して、合はすべき面貌おもてもなく、言ふ詞出処でどころもなき失策、後悔しぬきし改心の今日けふ、我が田へ水の弁解いひわけではなし、懺悔ざんげに滅ぼしたき罪のあらまし、聞いて給はる人ほかになき身。あひのよしみ昔なじみ、君を見かけてのお頼み」

と、かしらも上げずあやまてい領足えりあしごとに耳うらに二つなら黒子ほくろ、「それなり、姿こそ変りたれやつ新次しんじめ。先師がこと寵愛ちようあいにて、行行ゆくゆくは養子にもと骨折られしを、生地きぢ注文にと多分の金ひきして、そのまゝのゆくしれず、師の臨終にもあり合さぬにんにん今頃いまごろ此処こゝらを彷徨うろつくこと憎くし、なんの相弟子、失礼至極」と、生来せいらい疳癖かんぺきじりに現はれて、言ふことよくは耳にも入れず、

「聞きたくなし、お黙りなされ。相弟子ならば兄弟分、言ふ事あり、とがむる事あり、責むる事あり。さりながらお前様と我れ、なんでもなし、他人も他人、見ず知らず。いり籟三らいざう潔白をたつとぶ身の、友とも仰せらるゝな、中々の耳ざはりなり。其処そこ退きて給はれ。露をさながら志しのけの花、しをるゝも口惜くちをしければ」

と、ことばずくなに行き過ぎるたもと、あわたゞしく先つとひかへて、

御尤ごもつともながら恨めしきおことば。責め給へ、とがめ給へ。罪と知つて苦るしき身の上、折檻せつかんしもとにもはゞ、かへつて身の本懐なるを、捨てゝ顧見かへりみぬ他人向きの仰せ。昔しの入江様、今日けふの入江様、お人替りしか、お心二つか、われ今までの目違めちがひいか。君を先師の形見とみて、改心のじつも謝罪のじやうも、君に寄つて現はしたき願ひ、さりとは画餅ぐわべいのおことばかな」

と、なかばいはさずふりかへる籟三、

「だまれ」

と声欝憂うついうの気のりたる余り、物あらば当らん破裂の勢ひ、くちびるぶるふるへて生来のとつべんいよとつに、

おのれ新次、人非人、恩しらず義理知らず道しらず。おのれが罪の身を責むるは知らず、我れをなんするか、我れを批難するか。我れ籟三昔しも今も、正義を立て公道を踏んで、一歩のあやまち覚えなき身。どこの何処いづくなんの欠点、言ひ聞かん言ひ聞かん」

と、詰め寄る眼尻まなじりきりと釣つて、

おのれ不忠不義のやつも、先師寵愛ちようあいの余りには、世にその罪を包まれて、知る者は師と我ばかり。我れたび言はじと定めて十年近く、この口ひらかねばこそおのれ安穏に、月日つきひの光り拝むは庇護かげ。頼まれずとも折濫せつかんしもと此処こゝにあり、墓前へ手向たむけん志しの、この花で打つに不思議もなし。うつは籟三、精神は先師、くちしくは身にしみよ骨にしみよ」

と続け打ち、手に持つ菊花きくくわなげつけて、白眼にらみつむるの内に感じきたれる新次がてい、昔しながらのがん今一層のひんを備へて、あはれ好男子じろぎもせず、まぶたにあふるゝ後悔の涙、眉宇びうに満つ漸愧ざんきの状、「このひと先師の愛せし人、我れに謝罪と思ひ込みし人、憎くむが本義か、捨つるが道か」とばかり迷つて判断の胸うやむやになる時、静かにかしらを上げて言ひいづる一通り、「聞けば誤りたり、我れ短慮軽忽けいこつ処為しよゐ。この人のつみ罪ならず、とるところ岐路きろおちし不幸の身」と、先づあはれみのじやうより聞けば、わたく元来もとより私欲にらず。小を捨てゝ大に付く国利国益の策、立てしといふが抑々そもの破滅にて、 思へば了簡れうけんが若かりしなり。腕を組みての考へと、手を下ろしての実験とは、冠履くわんりの相違、うんでいの差別。人は我より利口にて、世は思ふまゝならぬ物と、つくづく歎息するにつけて、正義は人間の至宝といふことに漸々やうに発明し、才ばしりたる考へ身を離れしは、弥々いよ一物いちもつの暁がた。らい幾年いくねん志しをみがきて、遠国ゑんごく他国に流浪の結果、不思議に人らしく世に言はれて、少しは名をも知らるゝ境界きやうがいとしめづらしく帰京の錦、心に飾つて拝顔と楽しみし、くん此処こゝ草陰さういん苔下たいかの人、松風にたもとをしぼつて幾朝いくあさくむ阿伽井あかゐの水の、影見ぬ人に残念はまさりて、しほ君のこと懐かしく、慕はしかりし昨日きのふ今日けふ。打たるゝもうれしくのゝしらるゝも嬉しく、しんの兄弟にふ心地」

と、保ちかねてこぼす涙一てき、見る籟三感歎して、だいにつく手まづ上げ給へとたすけ起して、

「知らざりし今までの失礼、知りての後悔、打ち割りし意中に物のなきは見え給ふべし。いざ御墓前に仲直なかなほりせん、心おく事か」

光風くわうふう霽月さいげつ、引いて立つ手に恨みも残らず、取なせば、

「これも先師の導き、ありし朋友ともなり相弟子なり、君もひ給へ」

「お前様も来て御覧ぜよ」

「おすま何処どこぞ」

此処こゝよりは遠からぬ如来によらいまへに、引結ぶいほりの草深きところがそれ」

「さては目鼻の我が宿もこの坂下、篠原しのはらと呼ぶが当時の姓なり」

「さりとは奇遇よ、たつ殿どのとは君の事か」。ママ


第四回


 月に恨み風に憤り、天下てんがを悪魔の巣窟そうくつと見て、黒暗々こくあんうち彷徨さまよひし籟三、何処どこともなく一点の光りかすかに見えて、前途のばう漸々やうに大きくなりぬ。以前の新次、今の篠原しのはらたつと呼ぶ男、ありし職人時代には、負けぬ気象の人受けよからず、師匠の愛のおびたゞしきほど、憎くむ者さまの説を構へ、傲慢がうまんのゝし狡猾かうかつあざけりて、交際する者まれなるを、籟三れいの弱きもの助けたく、おとゝの様に贔屓ひいきせしが、恩は二代の親も同じ、師匠の金持逃もちにげするほどのやつ、師匠も我れも目違ひとあきらめて、なまじひ恥ぢを世に現はさじと、包み通せし七八年目、何処どこぞで悪人のなかいり今頃いまごろは何になりてと、折ふしのおもぐさ流石さすがに忘れぬところもありしに、思ひきや今日けふの身分。変りも変りし立派の紳士になりて、しかもる主義の高潔さ、話し合ふほどたのしさ増さりて、墓参帰りの半日を篠原のもとに説きつ説かれつ。

 辰雄今日けふまでの経歴につきても、善事と悪事をもらさずかくさず、篠原と呼ぶ今の家、何某なにがし地方の金満家なりし事、其処そこに住み込みの最初はじめより、次第に気に入られて、一人娘ひとりむすめ聟養子むこやうしとなりたること、その身しゆとなりて二年とたゝぬに、親女房とも引つゞきて病死せし不幸さ。さてその幾万の財産ゆぴのさしてなく、我が自由になすもらく、家につきての縁類にゆづりて、 退しりぞきたき願ひも、世の人さらに聞き入れてくれず、そのまゝ安座あんざ逸居いつきよの身、我が位置たかまるに付けて、沸ききたる企望のさまざま、及ばぬと知つて捨られぬがこれも癖にや、社会のため東奔西走とうほんさいそう此処こゝ東京に計画ありて、出京の昨日きのふ今日けふ生中なまなか此方こなた彼方かなたに名を呼ばれて、たゝへらるゝ身あせあゆる心地。昔しを思へば大恩の師に、よしや理由わけなににもせよ、重々かさねの不始末もあるを、素知そしらぬ顔に青天せいてん歩行あるくさへ、日月じつげつの手前恐ろしく、世をあざむくに似て心安からず、手を置かぬ胸ゆめおどろきて、人知らぬ罪中々なかにくるしかりきと、腹ある限り告白して、いさぎよしとする様子、表面うはべをつくろひて底にごる、軽薄者けいはくしやりういとふ目には、よくも返りし本善の善、まれなる人よと感じられて、過ぎし過失は美玉のくもり、しかもぬぐひ去つて見るに、かへつて光りはまさる心地、籟三しきりに憎くからずなりぬ。


 中々なか物語り尽きもせぬに、交際ひろき人のならひ、訪問者陸続りくぞくとうるさく、

なんと入江様、人気ひとげなき閑静なところにて、一日ゆるりと御高説うけたまはりたし。君は何時いつもおひまか」

と問はれて、

「はてさて、貧者に余裕はなし、気楽な事いひ給ふな。人気なきところと言はゞ、我れ佗住居わびずまゐの閑静さ、裏の車井くるまゐつるくる音か、表に子守り歌きこえる位のもの、此処こゝよりは其処そこなり。何時いつぞは来て御覧ぜよ、むぎめしかせて薯預汁とろゝ位の御馳走ごちそうはすべし」

無造作むざうさことば

「さりとは浦山うらやましきかな。世の事聞かず人に交はらず、何事の憂きも宿らねば、胸中いつもすゞしかるべく、凡界ぼんかい俗境ぞくきやう遠く離れて、取る筆一つにたのしみをしる御身分、我れ雲泥うんでいの相違」

と歎息する辰雄。籟三引きとりて、

なんの浦山しき身分か。ふで心にまかせずわざ世と合はず、我れともるゝ身のはては、首陽しゆやうべきか底しらずの境界きやうがい。さりとは世の中あてもなし」

と笑つて、遠慮なき昔し語りに、胸もらく障子の外に出づれば、廊下いく曲りか広々とせしすまに人の身は水の流れと、物言はず顧みれば莞爾につこと送る辰雄の姿。嗚呼あゝ人物と心にほめて、下婢かひなほ百足むかで下駄げた、これ特色のはづていなく、喜色きしよく洋々やう門内をいでしが、帰宅ののちもお蝶相手にこの物がたり。平常つねかつきらふ世の人、あにさまのものとはどんな人、お蝶見たしと思はねど、喜ぶ兄に我もうれしく、一日ありて二日目ふつかめの夕がた、のきばのえのきぐらしの鳴きいづころ、手仕事叮嚀ていねいに取片づけ、家のめぐれいに掃除して、打水いそがしき門口かどぐちに、

「入江様は」

と音なはれて、

誰君どなた

と振かへるたすきすがたを、さてもけいと見るは辰雄。お蝶はツママ心付こゝろづきて、にはかにさすや双頰さうけふくれなゐ、色はなにいろ我れしらず。「見しは清正公せいしやうこうのあの時のあのお人。なんとしてわがへは」と、さわだつ胸にこれよりや知る恋。


第五回


 ゆかのもとの竈馬こほろぎかたさせと鳴いて、都大路みやこおほぢに秋見ゆる八月はつきの末、宮城きうじやうの南三田みたのほとりに、じん二三十買ひつぶして、新たに工事をいそぐは何。おしたてしくひせおもてに博愛医院建設地と墨ぐろにるして、積み立つる煉瓦れんぐわの土台に、きやりの声のにぎはしきととも四方よもに聞えわたる篠原辰雄、うきのうきを憂きと捨てずして、よしがみの人情あさましゝと、しん奮ひ起す愛世済あいせいさいみんの法。我れ微力せうの身の、たふれてまばまんのみ、今日こんにち細民困窮のあり様、見るにはらわたたえずやある。知らずやきん九重きうちやうの人、埋火うづみびのもとに花を咲かせて、面白しと見る雪の日は、節婦こごえて涙こほるべく、たい高楼かうろう岐阜ぎふ提燈ちやうちんともしつらねて、風をまつ納涼のは、やりのもとに孝子泣くめり。中にあはれは疾病しつぺいの災ひ、名医もんにあり、良薬ちかきにあつて、しかも求めがたく得がたき身、天命ならず定業ぢやうごふならず、救はるべき命の残念さ、妻の子の身いくばくぞや。人生れながらに悪意なけれど、迫まりてはとくとく取捨の猶予なく、天を恨み地を恨み、はんこれより乱れて国家の末いと危ふし。これを救ふことじんにありと、我れ先づ資産をなげうつて、一着手を救生きうせいの急なるに起し、一方かたへは富国利民の策を講じ、一方かたへけん紳商しんしやうの門に、協力賛助を求むること切なるに、とくならず、何某なにがしの殿それの長官、意気投じ処論合つて、甲より乙に美声を伝へれば、徳義をつの名誉と心得るともがらなんとなしに雷同して、世上の評判くわつと高く、見ぬ人聞かぬ人を慕ひ、天晴あつぱれ仁者と知らぬ者なくなりぬ。

 その行ひそのことば、見るにつけ聞くにつけ、まじはるにつけつむにつけ、籟三だいに慕はしくたつとく、口腐くちくされ他人にじよは仰がじと定めし、我慢のつのはこの人の前に折れて、鬱悶うつもんの心しのびがたく、わがげふへい不振の物語より、

だう挽回ばんくわいの志し一日の休むなけれど、まことをいはゞ勢力なき身の聞き入れてくれてもなく、生中なまなか説くこと嗤笑ものわらひになりて、はては後ろ指さゝるゝことくちし。さりながらそれも道理ことわり、我れこの道にいりたちて十六年、まだたびの共進会に名を掲げたることもなく、我れ自由の筆、貧ゆゑにはばられねど、中々の直行にくまれて、とんうけよからねば、注文はれんぶつほかもなく、こと心とがつせず、筆なにとしてふるはるべき。不満々々のかたまりは、なんの世の中、あきめくども、これ相応と投げ出しものにして、意匠もちひず鍛錬たんれん馬鹿ばからしく、品物のおもてよごしてやれば、我が血涙をみし粗物も、れ衣食のためにする粗物も、見る目になんの変りなく、口ほどもなきものあざけられて、我が名いよ地に落ちたり。れん月鍛げつたんの筆、経営惨憺の意匠、心にあつて物にゑがかず、我れ男子の身の精神一到、なほことらぬ腑甲斐ふがひなさ。世人めいなきか我れもし惑へるか、誰れに寄つて語り合さんすべなく、冥々めいの内に重ねし年幾年いくねん。君びはだうの流れに立ちし人、み知り給ふ事もあるべし。我がための名案くだし給へ」

と、打明かす意中、辰雄しきりに歎じてまず、

「げによくも合へる物かな、我が国家を見る心そのほかいづる事なし。徳義の廃頽はいたい人情の腐敗、れを憂ひれを歎けど、道に立つ人大方おほかたは、濁流こうに身を投じて、しかもけがれを知らぬともがら、味方少なくあだは多し。さりながら捨てぬところに物は成り立ちて、二人ふたりたりの正義の士に、知られめし昨日きのふ今日けふの事業。はゞかり多けれどこれ手本とも御覧じて、れられぬ世を捨て給はず、腕かぎりの品物こしらへて見給はずや、その資金は我れ受けもたん。この事廉直れんちよくの君が心にいさぎよしとおぽさぬか知らず、それは君一身の小事のみ。いくの画工のねむりを覚まして、国益の一助、たゆたふところか。吾邦わがはう特有の石陶器いしやきもの価廉あたひれんといへどしなえいふつに及ばず、独り薩州陶器のみは、しつ釉料いうれう他邦に類なく、天晴あつぱれ名誉の品なるを、惜しや画工に気慨なく、とんいつの精神なく、今日の成行なりゆきくちをしの思ひ、我れも多年の胸中にありし。不思議に心のがつするもおのづからの時機なるべし。づし給ふな」

と熱心に力を添ふれば、籟三感涙にまぶたぬれて、

「何分にも」

と生れて始ママめてのことば。辰雄そのは聞かず言はさず、「こと一切此処こゝにに此処に」と胸を打ちけり。

 かず隔だつることいくママ、三田の工事のかしましきとともだう画工の耳そばだつること沸き来たりぬ。如来寺によらいじ門前くさふかきところうづもれものゝ慷慨かうがい先生せんせい、三ねん無かず飛ばずのりやう、現はさんとする風説うわさ、立つや我れより高き人、くじきたきがこのともがらの常、いんやうに批評たくましくすれど、後ろだて確かなる身の、かへりては心可笑をかしく、静かにがきの筆を下ろしぬ、生地きぢもとよりちん寿官じゆくわんが精製の細璺陶さいふんたうらみは籟三かねての好み、三尺の細口ほそぐちにして、台付だいつき龍耳りうじ花瓶くわびんつひ百花ひやくくわこれより乱れ咲いて、さんたる金色きんしよくみるは幾月いくつきのち。心らいに先づすれば、人物景色けいしよく眼前に浮かんで、我しらず莞爾くわんじと笑む籟三。「王侯にんなんの物かは」、じん遠く身を離れて、凌風りやうふううんの仙に入る心地、覚えず明けぬ暮れぬ。


第六回


 恩に感じ行ひに服して、我れは神ともたつとぶ人の、彼れより心にかきはず、つれらるゝ事勿体もつたいなくうれしく、篠原といふ名知らず聞かずの最初そも、身にしみし一漸々やうに形づくりて、れゆく月日の深きほど、れんの胸、やみになりぬ。お蝶あくまで優しき姿、はぎ下露したつゆもろげに見えて、立てし心は現はさねど、思ひ込まばみづの中も、よしや命は仮の世と定めて、二つの道は踏まぬ気象、「我身せんの教へもなきに、君様きみさま世上に敬まはるゝお身。なるまじき願ひ」と我れをかりて、さていよ捨てがたく、染みし思ひのこれを友に、我身一生一人ひとりずみと、あはれの観念さすがにるぐは、折ふし耳にする世の評判。よしと言はれてよろこぶは格別、「何某なにがししやく最愛の娘、是非の人に」と申込みのうはさ、聞く胸なにかとゞろいて、おぼろ兄に問へば、「大丈夫」と笑つて退けられぬ。

 されど流石さすがに気になりてや、そのつぎのはれし時、籟三その事いひ出して、「まことか」と問へば、

虚言うそではなし。旧大名の幾万石とか、聞くばかりも耳うるさく、断り言ひしも五か六度。いまだに仲人なかうど殿どのむだ足に参らるゝ事可笑をかし」

とばかり、辰雄こゝろとゞめぬ様子。

「それは何故なにゆゑのお断り、君もまだ年若としわかの、これより独身にもゐられまじ。望み好みのあるは知らず、大方おほかたならばめられたがよからんに」

と、籟三こゝろあつて言へば、

「我れ独身にて終らんとも思はねど、華族のむこになる願ひなく、姫君様女房にようばうにしたくなし。かうはな茶の湯に規則どほりのようとゝのひて、お役目の学問少々ばかり、なんになる物でなし。世路せろの困難ふんでも見ず、一人ひとりちの交際もならぬような、木偶でくのばうてきのおかみさま持込れて、親の光りにかしらさぐるなど、いやな事なり。我れ望みは身分でなく親でなし、その人自身の精心せいしん一つ。行ひ正しく志しごとならば、今でもお世話ねがひたきもの」

と、あざやかなことば、籟三かたゑみしてお蝶をかへり見ぬ。

 此処こゝに来て遊ぶ時の辰雄、世に高名の人ともなく、さながら家人の打とけ物がたり、たゞなつかしくむつましく、友か親族みよりなほ一段、籟三たしかの望み出来て、る時お蝶にほのめかせば、たもとくはへて勝手元に逃げしが、そのころよりお蝶いよ身の行ひつゝしみて、徳を修むる事専一せんいちと心がけ、姿綿めんのいやしきは恥ぢねど、ことばづかひたちふるまひ、家の内の経済より始めて、世の交際つきあひ人づかひと、こまかに顧みればまだ身に整はぬ事ばかり、げきが中に恋といふ怪しのもの、折々の波むねに起して、飽かれまじいとはれまじ、喜こばれたし愛されたし、なんとせば永世えいせいめつの愛を得て、我れも君様も完全の世の過ぐさるべきと、欲は次第に高まりて、さまの想像わき来たれば、ふに嬉しき物がたりの、裏はいかにとえだを疑がひ、我れと我れを歎げき身を責めて、一心のなかばは辰雄のもの、辰雄ありての喜怒哀楽、善も悪も黒白こくびやくも辰雄が指のさし次第、恋の山口やまぐちくらくなりぬ。

 籟三局外に立つ身の、迷ひを捨てゝ見る目には、辰雄の愛のいもとくだらず、れも真情れも真情、取ならぶるかうつゐとこゝろ嬉しく、二人ふたり長閑のどかに物がたるを聞けば、百花のその双蝶さうてふの舞ふ心地、春風しゆんぷうその座に吹渡つて、我れも蕩然たうぜんの楽しみ限りなく、右も左も喜びの中に、こゝろさはらず意気昂々いきかう、取る筆いさんでぐわうごき、唐草からくさ模様わり模様、ふちこしがきつぶしの工夫、濃彩淡彩畢生ひつせいたくみ、したきなつて又かまかまかまよはいつしか、残菊さんぎく落葉らくえふときのの霜と消えて、煤払すすはらひの音もちきの声、北風の空に松や飾り松。


第七回


 送るとしくるとし珍らしからねど、心改たまれば一段の光り、のぼるはつの影にそひて、くみあぐる若水わかみづくるまに、ぐる世の中おもしろく、屠蘇とそさかづきまづとししたよりと、さすも可笑をかしやいつ二人ふたり活計くらしに、内裏だいり儀式のむかしを学びて、三つぐみぢうふるきを捨てず、新らしき物は二けんまいえんがはの障子、切り張りのまだらならず、これ例年に替りたるところ、篠原が庇護かげなりとて、元旦早々うはさは出でぬ。

 籟三片意地かたいぢの質、人に受くる恵み快からねど、おぽるゝ芸に我れと負けて、二十きん生地きぢじふもんめ金箔きんぱく比処こゝ四五つきの費用幾度いくど窯代かまだい、積もりし恩の深きが上、なほ心づけの数数もうるさく、その都度に断わるを、新年しんねんの料にとて、送られし去年こぞの反物、迷惑さ限りなく、やりつ返ヘしつの止々とゞの果、「さらばいもとに頂戴させん。我れは男のよき衣類きものきてうれしからず」と、兄弟ぶりの一反を返へして、残こす一反に人のなさけにせじと、お蝶のはれに仕立させて、今日の姿つくろひしを見れば、今歳ことし十八のばなの色、玉露の香り馥郁ふくいくとして、一段の見栄みば流石さすがに嬉しく、この服装なり平常着ふだんぎにさせたく思へり。

 人は廻礼に忙がしき日も、世捨て人のその苦なく、今日一にちはと仕事休みして、横にろぶひぢまくらぎよけいの声に夢やぶれて、珍らしや誰れと問へば、平常つねときとん何某なにがし、末広にしうめて、長々と去年こぞ不沙汰ぶさたわび、これよりの懇信、一向ひたすらたのみて行きしこと、お蝶その通り取次げば、「はてさて、利欲にくらみし眼は、何処どこまでらきか方図のなき物。そのことば我れへではなし、ご本尊は彼方かしこに」とて、指さすは座敷の花瓶くわびん、これ高くなりし評判に、出来上がらぬ内より我れ買ひ取らん、いや是非ともわたくしにとせり合ひの申込まうしこみ、一々にねつけて、としコロンブス博覧会に出品の計画、諸事は辰雄の周旋に、優然いうぜん構へる小気味よさ、籟三いよだいげんを吐きけり。

 暮れてその日も点燈ひともしごろ、辰雄廻礼の車をそのまゝ、交際ひろき身のつかれもいとはず、かど梶棒かぢぼうおろさすれば、春色いとゞ長閑のどかになりて、いふ事きく事一々におもしろく、籟三いかのぼりの昔しを言へば、辰雄まは独楽こま面白おもしろさ忘れずと語り、彼れに移り是れに移り、次第々々にみつになりて、

幾変遷いくへんせんの今の身、中々にそのかみのしん恋しきばかり。世のこと人のこと目に移りて、彼れも助けたく是れも救ひたく、不想応の事業に身をゆだねて、及ばぬ力の我ながらくちしく、暗涙を呑むことわざならねば、訴ふるにところもあらず。りにこりし憂鬱いううつの気の晴るゝは、此処こゝにかく遊ぶ時ばかり」

と、何故なにゆゑか例に似ぬことば、籟三とがめて、

「怪しき事かな。君が博愛の徳、かみに聞えしもに渡つて、推尊すゐそんせぬ人なきはずを、何故なにゆえの御不満ぞ」

と問へば、

「何事も言はぬが花なり。お互に聞きつ聞かせつ、楽しき事ならばよけれど、我が胸にさへ持切れぬ苦を、君達に分けてなる事か。元来もとよりせいじやに押され、ちよくきよくに勝ちがたきが常、何事も問ひ給ふな、脳いよ乱るゝやうなり」

と、振あふぐおもて気の処為せゐにや、血のも見えず青く白く、くちびるんで沈思のてい。お蝶たまらず兄のたもとそとけば、籟三少し前に進みて、

「よき事のみを聞き聞かせの友いくらもあり、いうともにと言ふところ真実の価値あたひならずや。これをくされて喜こぶ者、世の中にはあるか知らねど、われ同胞きやうだいおもしろくなし、とはそんことばなれど、兄弟と思ふ君の事、水火の中にも手を携へたきが願ひ、なんと打明かしては下さらぬか。承らねば気も落付かず、我よりはお蝶、どのくらゐ心ぼそきか。女は気の狭きもの、役にも立たずくしと気にして、我れも迷惑、可愛かあいさうにもあり、五足いつあしあしの同じくは、もろともに苦を分けたし」

と腹からのことば、お蝶もの言はず打しほれて、組み合はす手を解きつ返しつ、あはれや胸のどう高かり。

 辰雄にはかに心付きてや、

「さても馬鹿ばかな事いひして、折角せつかく面白おもしろさ台なしになりぬ。苦あれば楽あり、楽あればこそ苦もあるなれ。順環じゆんくわんして行くところ奇な物なるを、一々にれはしと見る日には、五十年の寿命たまる事か。お蝶さま案じ給ふな、今いひしは皆ゑひの上の譫言たわごと泣上戸なきじやうこ言分いひぷん、何でもなし何でもなし。笑ひ顔みせて我れにもおちつかせ給へ」

と、からと笑つて一ぶつの残らぬ様子。再度ふたゝびもとの話しに返つて、ふけくるおそく帰宅せしが、お蝶いよこゝろもだえて、られぬまくらうくばかり、涙のとこにつくづくと案ずれば、「いとしや君様、あれほど熱心の計画に、何ごとのひゞいりたるか。談合する友は少なく、打こわすあだは多き世の中、くちしさいかばかりぞや。よひことば、今宵の顔色、必らずさいなくてはかなはじ。我れに隔ての包みかくしか、我れに歎きを懸けまじとてか。とにもせよ角にもせよ、我れは君の妻、に隔ての包みかくしか、我れに歎きをけまじとてか。とにもせよかくにもせよ、我れは君の妻、君を置きて我がつまなし、見すべき心はかゝる時よ。万人一様表面うはべは同じ、そのかはひとしたの下の骨に刻んで忘れぬは何。知らせて知りていうは共にしたきもの」と、思ひを暁の鐘にかぞへて、新玉あらたまのとしの始め長閑のどけからず、ひまなき恋に身は使はれ物。

 さんにちも過ぎて七種なゝくさの日に、辰雄誕生日の祝ひながら、新年のえん開きたく、お蝶さま是非借りたしとの文言もんごん、我れよろこばせんためかあらぬか、当日一式の身の廻り、何処いづく貴顕の席にも恥かしからず、心をこめし贈り物の品々。籟三喜こんで許るせば、我れもその人の意にそむかじと、こらすよそほひは錦上きんじやうの花。「嗚呼あゝ純粋の淑女しくじよさま、この運この姿なり、見せたき物は亡き親」といはれて、お蝶かゞみの前に泣きけり。


第八回


 百花にさきがけて咲くや窓の梅、うぐひすわが宿は、春風ぞ吹く品物の落成。かまびのかまの心配、まきの増減けぶりの多少、いろに胸をもやし微響びきやうにも気をいためて、ひゞいりたる、流れやしけん、金色きんしよくめい絵の具の変色、苦をめつくせし此処こゝ幾月。思ふこと思ふにかなひて、新藁しんわらみがきにみがいだせし光沢、耀かゞやく光りは我が光り。花瓶くわびんの上部見切みきりのうち、正面はりうに立つなみの丸模様、ぐりに飛ばす菊桐きくきりの、あしらひは古代唐草にして、見切りの境界けいかい雲形くもがたの、上下じやうげゑがくや東大寺模様、此処ここさやがた七宝しつぱうつぶしに、帯の菊の丸ありふれたれど、丹誠たんせいの筆いやしくもせず。上部終つてわくどりの内の画は、表面つゐの金銀閣寺、裏面かひ合はす湊川みなとがは稲村いなむらさき、誠意誠心みちて、よそほひなす彩色凡筆ぼんぴつならず。わくの廻ぐりはさつふうの秋の七草、金模様の蝶のちらし書き、このつぶしの雲ぼかしがた金なし地、先人未発の工夫をこらして、刻苦の跡いちじるく、台の書きつぶし淵腰ふちこしのわり模様。「微ならず細ならずとそしらばそしれ、眼を持つものは来ても見よ。一打棒ひとうちぼうにも美はこもる。我れ籟三不器用の技倆ぎりやう、この品物にとゞめぬ」と誇りて、晩酌ばんしやくぱい酒気さへ添へば心いよおもしろく、篠原に風聴ふいちやうがてら、お蝶まねかれし日の礼も言はんと、立出づる門口に、

兄様あにさましばし」

そでひかへるいもと、言はんとして言はんとしてたゆたふを、

なんぞ用か」

もどりすれば、

なんでなけれど夜風お寒むし。風ひきて給はるな」

の心づけうれしく、

「それほどおそくはならぬつもり。なれどもゑひざめは油断がならず、おり今一つ着て行かん」

と、立帰つて着重ぬるえんの先、えりに手を添へて折りながら、

兄様あにさま大層たいそうひげへたり。新年といふに見苦るしや」

と、横顔つくながめられて、

なんの、るではあり知れる事か。明るきところ明日あすりて給はれ。づは品物も出来上がりて、小成せうせいに安んずるではなけれど、祝ひてもよき事なり。四五にちうちに辰雄どの誘ひ出して、三人連れに何処どこぞへ行かん、その約束よひして来る心、おそくはならねどかねの物、うちにあるだけ不用心なり、かどの戸さして待ち給へ。さりとは胸に雲もなし、嗚呼あゝ月もよし」

と立上がる兄。その手にすがつてかどまで送くれば、地上に落つる影二つ、見る見る一つは遠くなるを、見送つて立つ影うらかなしく、夜風のきばのえのきさみし。

 昔しは他処よそにみし表札、やがてはおとゝかどくゞる籟三、頼む、どうれの玄関向きうるさく、辰雄の居間はかねて知る、庭口の戸を押せば明きたり。しもにしめりししばの上、踏むに音なきそでがきがくれ、聞こゆる声は高からねど、影は障子に二人ふたり三人みたり、聞きたしなんの相談会と、引き立つる耳にことふたママこと、怪しや夢か意外の事ども。「それしやくたまにつかひて、何某なにがし長官に歎願さへせば、この事必らず成り立つべし。それの殿の証印は柳橋やなぎばしのに握らせ次第、金穴きんけつは例の大尽だいじん気脈きみやくかねて通じおきたり。跡は野となれ、山師ともいへ詐欺さぎとも言へ、愚者に持たせて不用の財、引き上げる事ためなり。思ふも腹筋はらすぢは洋行がへりの才子どの、何の活眼くわつがん、しれた物よ。魔睡ますゐざいは入江のいもと、この間の宴会にじりかく見て取りぬ。あの頑物ぐわんぶつに説きつけがづかしけれど、恩と言ふ獄屋ごくや入り、からげも同じこと。女はして懐中ふところそだちの世間見ず、じやうの深きだけまろめ安し。下ろす元手の細工は粒々りう。籟三といふやつおもひのほかつかひ道むきなれど、飼つて置かばなににかなるべし。くすのきどのゝ泣き男、人間に不用もなき物、ひろく愛するこれもじんか」と不敵のことば。声は辰雄か、「おのれ」とばかり、奮然ふんぜん立ち上がつてさらする腕の無念さ。内には何時いつか話し絶えて、玉笛ぎよくてきの声喨喨りやうりやうと聞え出でぬ。


第九回


 この人の一せうに無限の喜こびを知り、この人の一るゐ万斛ばんこくの憂ひをみ、形より濃き影の如く、きよに心はしたがふその人、玉をのべし容顔ようがん憂ひを含んで、しみじみとの物語り。「なんの契りの君と我れ、宿すくあやしく忘れがたく、国家のために尽くす心、半分は君に取られて、人に言はれぬ物をも思ふ身、はかなしやお心も知らず、てんに妻は又なしと定めて、なんの子爵の娘、振りむくどころか、にべもなく断りしがありの一けつまことを言はゞ我がしよわるかりし。その子爵殿ししやくどの今までの一にて、支出のきんに事も欠かず、事業はこびかけし今日けふになりて、にはかに破約の申込み。このみちたえて又ことらず、恨らみをんで我れこのまゝに退しりぞかんか、残すそしりもあざけりも、君故きみゆゑと知れば惜しからねど、なにとなるべき世の中にや、国家の末を思ひいたれば、残懐ざんくわい山のごとくこの胸やぶるゝばかり、この事れに語らるべき。隔てぬ仲の君にさへ、言はれぬはかゝる訳。ほかにとる道なきでもなけれど、それいよ心苦るしく」と、言ひはてぬことばなほもどかしく、「この真情まごゝろまだ見えずや」と打うらめば、「さりとはその真情まごゝろ、見えて悲しきはこと君が上なり。せい善悪はお心一つ。今日賓客ひんかく一人ひとり彼れ有力のけん、我がため金穴きんけつたらんと言ふ。心はと問へば、苦るしきはこのところ、君のうはさをいかに聞きしか、一向ひたすらいもとと思ひ込みて、たつてのしよまうつらからずや。君を他人にゆるして我れ、国家の為と断念あきらめられず。よし我れ欲をなるゝとも、この事なんとして我が口より言はるべき」と、しや恋人だんちやうのけしき。

 れんせうぢよ魂を奪はれ骨を消されて、せめを我が身の上に負へば、「みさおを破つて操をたてんか、人知らぬ罪わが心の内にあり。さりとて我れゆえ君が名まで、世に滅ろぶるを他処よそに見んこと、恩をあだなる畜類のしよ。あれもらしこれも憂し、なんとせん」とんばかりの胸、りよ分別かげきえて、取るところたゞ死の一つ。「影あり形のある世なればぞ、障り多く妨げ多し。生れぬ昔しのくうりやう、我れお蝶という身がなくば、何方いづくへ義理なくはゞかりなく、この恋円満にあるべきはず。よしこれも天命なり、病ひに死ぬも恋に死ぬも、命は一つよたびは行かぬ道。天地にも恥づるところあらず、神仏しんぶつもとがめ給はじ。あにさまもるし給へよ、我れも悔むところなし」と、決心するどく未練なく、あはれお蝶潔白さうの身、濁りにまじ乱れじの行ひ、の夢のしばしも忘れず、ふうに眼をとぢ貧賤ひんせんに心をみがきて、とし十八年くもりなきぎよく、打ちくだく大魔王は恋といふ胸の一物いちもつ。形を辰雄にり声を篠原にかりて、る時は誘ふ春風しゆんぷう花ひらくその、ある時は指さすしゆううん月くらき天、いうを包みしたもとのさき、引きて伴ふ果ては何処いづくぞ。東西南北かげもなく形もなく、愛らしかりし双頰さうけふゑくぼいづくに行きし、なつかしかりし遠山ゑんざんまゆいづくに行きし、双星さうせいまなこらいの口、又耀かゞやかず又らかず、黒漆こくしつの髪雪白せつぱくはだへ、あれもなしこれもなし。寒風ふきしきるはんの月に、追へども見えず呼べども答へず、形見はとゞむる一封のふみに、残す手跡のうるはしきも涙。


第十回


 どつかと座す花瓶くわびんの前、あふれいづる熱涙はらひもあへず、にらみつむる眼光と散つて、取りしむるかひな、「くだけよこの骨、むしろ生れながらに指まがりすぢつまりてあらば、斯道これにと志ざすこともなく、いりたぬ昔しに何をか願はん。生中なまなか陶画のすゐと呼ばれし、先師のぐわこうに一とたゝへられて、我れは売らねどおのづからは人も知る名、貧ゆゑうづもるゝ事くちしの念、我れ潔白の心に沸きて、願ふまじき名誉ねがひしは何故なにゆゑ、たのむまじき人頼みしは何故、くろふまじき不義のしよくこの口にみしは何故、るすまじきお蝶、不義の人に免るせしは何故。おのれ汝れこの腕この芸、心をまどはし目をくらまして、見えず悟らず今月今夜、お蝶不幸の家出はわざみがきし多年の筆故ふでゆゑに、最愛のいもところさするか、ねりし経営惨憺の苦は、じよくを我が身に染みこませしか、冷笑あざわらひし辰雄、あざけりし辰雄、声はれよ罪はなんぢよ。交りをつて悪声を出ださぬ、我れ君子の道は知らねど、受けし恵みの泰山蒼海たいざんさうかいねん骨髄にとほれど恩は恩なり。彼れ奸悪の秘事この耳にして、まこと聞き捨てにすべきならず、世のため人の為正義の為、ふるふべきこぶしこゝにあり、秘蔵の短剣ひらめかして、あのむなもとを貫くも容易。さりとは無念やこの品物、この恩この恵み身をしばりて、向くべきやいばなくふるふべきこぶしなし。思へば恨らみは我れにあり、腕にあり芸にありこの花瓶くわびんにあり。憎くしくちあだかたきだいあくめ、おのれを砕いて辰雄も刺さん。汝れなくはなんの恩なんの恵み」と、こぶしをかためてつツママち上がり、見れば見れば月明りに、浮きて見ゆる金銀閣寺、すな一つすぢぽん心をこめぬところもなく、ましてぐりのきんなし。「鳴呼あゝ幾年いくねんの苦の名残、ゑがきも描きたり我れながら、天晴あつぱれだうめうの妙、この筆たえてつぐ人ありや。我れ道にりて十七年、惜しみに惜しみし名をるして、見よや海外のあをだま、来たれ万国の陶器画工、ほん帝国ていこくの一臣民、入江籟三まんの筆と、心に誇りし満足の品、これなんとして砕かるべき、これ何として砕かるべき。にもかくにも世に合はぬ身の、一生の思ひ出これにとゞめて、らんかやまの、それもくちし。お蝶ふたゝび帰りもせば、辰雄に邪心のなくもあらば、このしな保存もなるべきを」と、双手さうしゆいだいてためつすがめつ、ながる心こつとして、我れ画中にりたるか、ぐわ我が身に添ひたるか。お蝶もなし辰雄もなし、我慢もなし意地もなし、きんくわう我が身に耀かゞやいて、四方よもに沸く喝采かつさいの声、莞爾につこと笑めば耳ちかく、

「籟三ぷつのつかひ道なし」と、聞こえ出づるは篠原か、「おのれ」と振仰ぐそでひかへて、「お風めすな」と優しき声、「うれしや、お蝶かへりしか」「にいさま、彼方かしこ諸共もろともに」と、指さすかたは金閣寺銀閣寺、咲くや秋草てふとんで、たちわたる霧さりとては、我がきんなしにさも似たり。

 面白おもしろし面白し、蛟龍かうりうつひにちうの物ならず、湧き来たる雲形のうちに立浪たつなみの丸模様、のぼりう下り龍りうまる、蝶の丸花の丸鳳鳳はうわうの丸、をどりぎりくるひ獅子じし二葉葵ふたばあふひ、源氏車槌車つちぐるま、ぼたん唐草からくさ菊がら草、吉野龍田の紅葉もみぢに花に、「あれも美なり、これも美なり。お蝶も美なり辰雄も美なり、 中につひて我がふで美なり。これを捨てゝ何処いづこに行かん、天下万人みな明きめくら、見すべき人なし見せて甲斐かひなし。我が友はなんぢよ、汝が友は我れよ、いざ共に行かん」といだきあげて、投げ出だす一対いつつひ庭石の上、戞然かつぜんのひゞき大笑のひゞき。はん鐘声しようせいとほく引きて、残るものは片々へんぺん金光一輪きんくわういちりんの月。

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。