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三壺聞書

 
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三壺聞書

 
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一、装幀は玉井敬泉氏の手に成るもの、図案は国幣中社白山比咩神社蔵の国宝螺鈿鞍文様を資料として作図せられた。
一、校訂は末尾の解説と共に石川県史編纂係の日置謙氏を煩はした。
一、校正は太田南圃氏が主としてその労をとられた。

 
 
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三壺聞書序
 
夫此の物語は、天文以来諸国の武将の事有増書記す中に、加越能三州の興起を専ら書載せ侍りける。是れ信長公の臣太田和泉守、御当家の儒者小瀬甫庵道喜斎、信玄の家臣春日源五郎兄弟等の記録、其の外諸書詳かに記すの珍敷にはあらねど、彼作者は博学多才にして漢語をまじへ、善悪の評判をそへ、巻数多くして浅才下賤の人弁る事かたし。昔源平盛衰の物語は、信濃前司行長が百二十句の物語に作りて、生仏といふ座頭にをしへ語らせ、是を平家物語といふ。夫より舞・うたひ抔に作り翫びければ、犬うつ童子迄も皆是をしれり。今此時代は近くして若輩のしる事稀也。知らんと欲すれば大部の書籍求めがたし。たまたま求め得て見んとすれば、暇なき者は見つくすこと成りがたし。斯の如きの侘人累年懇望に依て、精粗是を記す。偏に下賤愚昧の少童の為なれば、言葉いやしく、句みじかく、幽玄の語を除き、唯事理のあきらかならんを而已本とす。元来愚作の事なれば、其誤り多かるべし。此上に諸儒の記録を見給はゞ弥々分明成べし。気鬱上火の人、眠る事を得ざる時しも是を見ば、暫心を慰め或は眠を催し、いささか正気堅固なるべきものなり。
 
 
三壺聞書目錄
 
 
御系図 一八
 
 
 
 
 
 
 
宝円寺の事 一〇三
幡屋城攻の事 一一二
大津城攻の事 一一四
上田合戦の事 一一七
 
伊奈図書が事 一二七
 
軍役御定の事 一五二
 
信達合戦の事 一六七
古田織部が事 一六九
大坂落城の事 一七三
正栄が事 一七四
 
伊勢踊の事 一八〇
御葬礼の事 一八二
江戸御局の事 一八五
諸侯所替の事 一八六
 
 
佃源太郎事 二一七
 
安見隠岐の事 二二七
 
同先祖の事 二五〇
 
三谷喧嘩の事 二六一
追腹の事 二七〇
前田志摩の事 二七二
於竹様の事 二七四
 
石黒権平事 二七八
鷹栖松雲が事 二八一
犬追物の事 二八二
式次第の事 二八三
犬追物初る事 二八四
 
本多兵庫事 二九三
諸勝負時行事 二九六
諸侯登城の事 三〇〇
 
内裏炎焼の事 三一一
多田権内事 三一二
梶原左内事 三一七
 
御天守台の事 三二七
追腹衆の事 三三一
脇田猪之助事 三三六
御遺物の事 三三七
 
 
 

この著作物は、1931年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。