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- 日本女性美史 第十三話 (和泉式部の節)幼時は昌子內親王のおはす宮中で育てられ、十七歲にして早くも女房の役についた。さうして、二十三歲のとき和泉守橘道貞と結婚した。和泉式部の名はそこから出たらしい。道貞は和泉守だからたいてい任地にゐて式部とは別居してゐた。小式部が生れた。そのころから和泉式部については何かと噂󠄀があつた。しかも式部の…11キロバイト (2,456 語) - 2019年2月26日 (火) 14:47
- のゝしるうちに夜更けぬ。 廿二日〈にイ有〉、和泉の國までとたひらかにねがひたつ。藤原の言實船路なれど馬の餞す。上中下ながら醉ひ過ぎていと怪しくしほ海のほとりにてあざれあへり。 廿三日、八木の康敎といふ人あり。この人國に必ずしもいひつかふ者にもあらざる〈二字ずイ〉なり。これぞ正しきやうにて馬の…709バイト (8,112 語) - 2023年8月17日 (木) 13:28
- さゝせらるべき、人君たらむ上には、人をしるを第一の事と、古人も申伝へ侍りしは、かゝる類にやあるべき、此後和泉守へいろ〳〵と仰せらるゝ旨ありて、父子の中も和らぎ、奥の軍に供奉せし跡にて、和泉守不慮に討たれしかば、勝成仰を蒙りて刈屋にまかり、先陣に馳せ加り、美濃国会根・大柿の…91バイト (10,216 語) - 2024年5月10日 (金) 03:52
- のように姿をあらわすと云うだけのことで、その以上のことは何も判(わか)らないのであるが、場所が場所だけに、それだけの噂󠄀でも近所の女子供の弱い魂(たましい)をおびやかすには十分であった。 「なに、夜鷹(よたか)だろう」 気の強い者は笑っていた。柳原通りの筋違から和泉…93キロバイト (18,524 語) - 2019年2月27日 (水) 14:50
- のわたりのつにとまりて。夜ひとよ舟にてかつ〴〵物などわたす。めのとなる人は。おとこなどもなくなして。さかひにて子うみたりしかば。はなれてべちにのぼる。いとこひしければ。いかまほしくおもふに。せうとなる人(定之[義イ]大學頭文章博士今奉號和泉介)いだきてゐていきたり。みな人はかりそめの…445バイト (20,332 語) - 2020年7月26日 (日) 02:36
- の武家のさほうを取失ひきのふ下人かと見れば今日は主となり女が男の出立を仕り新家のだちて【按ニのたちてハ伸ビ立チ栄ユルノ意ナラン】たとへばぶがくに至る迄真(しん)なることを不㆓見知㆒して嘲(あざけり)成る事を用る故本侍迄一世の…297バイト (2,550 語) - 2024年2月2日 (金) 17:51
- 和泉守差添、罷㆓出於御上段㆒。 公方様御装束御衣紋を勤、直に大納言様御衣紋之規式勤㆑之。高倉復座之時、御衣紋之儀相勤難㆑有旨、和泉守言㆓上之㆒、上意有㆑之て退座。 土御門陰陽頭、右出座、於㆓御下段御敷居の内㆒御目見、高家披露。御下段上より三畳目迄和泉…85バイト (12,931 語) - 2024年3月24日 (日) 09:48
- だちにのぼれば北上川南部より流るゝ大河也衣河は和泉か城をめぐりて高舘の下にて大河に落入る康衡等か舊跡は衣か關を停て南部口をさしかため痍(夷ノ誤リナリ)をふせぐと見へたり偖も義心勝つて此城にこもり功名一時のくさむらとなる國破れて山河あり城春にして草靑みたりと笠うち敷て時のうつるまで泪を落し侍りぬ…37キロバイト (8,952 語) - 2023年8月17日 (木) 13:31
- 立花遺香 (カテゴリ 日本の近世文学)目次の見出しは底本本編の頭注から生成している。 目次 立花遺香 秀忠へ宗茂の奉公木村主水の仕を罷む小野和泉武功を説く清正と和泉和泉六十一にして初めて書に志す武士の最大事和泉武功に誇らず乱世武士道顕はる鳥居の兵粮入由布雪嘉由井下総善導寺を焼く戸次を立花と改む宗茂の幼時車返の陣小刀と脇差家康の人の…5キロバイト (62,219 語) - 2024年4月21日 (日) 09:37
- 高野參詣日記 (カテゴリ 日本の紀行文)のうちのくるしさをも忘れはてぬ。つとめてこのところの本堂みるベきよし申せしかば。こゝかしこみめぐらすに。心ことばもをよばざる莊嚴美麗のさまになむ侍りし。かくて和泉の堺南庄の光明院よりむかへの輿などをくられしかば。やどりを出てまかりたちしに。堺の…437バイト (3,320 語) - 2023年8月12日 (土) 09:07
- だ)したゝかひ有由早雲(さうゝん)聞及(およ)び。是天のあたふる所。霊夢(れいむ)のつげ時をえたりと。よろこび。はじめは相州(さうしう)の。上杉修理(しゆり)(の)大夫定正(さだまさ)とくみし山(の)内殿の分国(ぶんこく)。伊豆(いづ)を延徳(えんとく)年中に切てとり。後は上州の…198バイト (21,098 語) - 2023年11月20日 (月) 00:09
- の約(やく)を定(さだ)むべし。文録二年癸巳(みづのへのみ)〈[#ルビ「みづのへのみ」は底本では「かのとのみ」]〉九月十五日。日本無双(ぶさう)岩間(いはま)小熊(こぐま)と書(かき)たり。蒐角(とかく)が弟子(でし)。数(す)百人あり此札(ふだ)を見て。にくきやつめが。札(さつ)の…206バイト (13,023 語) - 2023年11月20日 (月) 00:36
- 矢も射出すへからすと下知したりけれは敵一千計難なく川を越こなたの岸に打あかりおめきさけんて突掛る丹波守敵あひ五段計と見るより鬨をつくり突かくる和泉守は爰を先途と防けとも丹波守喚叫て戦へは和泉守防兼て見にしか承禎は之を見て和泉うたすな味方の者共つゝけやものともと身をもたへて下知すれは進藤山城守平井加賀…81バイト (6,274 語) - 2024年3月25日 (月) 14:26
- 上杉将士書上 (カテゴリ 日本の近世文学)され、一手の大将になり申候。橡尾の城に差置き申され候。謙信十三歳の時、黒田和泉守逆心致し候時、謙信兄の長尾半蔵景康、其次左平次景房討たれ候て、総領長尾弥六郎晴景は、首城郡へ落ち申され候。謙信をも、討手の兵共、追々来り候を、春日山の城二の丸の…768バイト (20,470 語) - 2023年11月26日 (日) 18:25
- 和泉守定義〕抱きゐて往きたり。皆人はかりそめの假屋などいへど、風すさまじく引綿〔綿を引被ること歟〕などもしなどしたるに、これは男〔乳母の夫〕なども添はねば、いと手ばなちにあら〳〵しげに、苫といふものを一重うち葺きたれば、月のこりなくさし入りたるに、紅(くれなゐ)の…93キロバイト (19,962 語) - 2023年7月5日 (水) 08:46
- 大阪物語 (カテゴリ 日本の近世文学)の兵の首三十余人但馬守討取り、即ち両御所へ上げられければ、物始めよしと御感斜めならず。扨て又和泉の堺の津(つ)は、八百年以後少しも断絶せず、福祐の地にして、倉廩(さうりん)を構へ、財宝蓄へ積める所により、無縁の僧、寺堂(てらだ…5キロバイト (22,925 語) - 2024年2月5日 (月) 07:57
- 神皇正統記 (カテゴリ 日本の歴史書)のぬぼこ)をさづけ給。此矛又は天の逆戈(さかほこ)とも、天魔返(あまのさか)ほこともいへり。二神このほこをさづかりて、天(あま)の浮橋(うきはし)の上にたゝずみて、矛をさしおろしてかきさぐり給しかば、滄海(あをうなばら)のみありき。そのほこのさきよりしたゝりおつる潮(しほ)こりて一(ひとつ)の…373キロバイト (76,412 語) - 2023年8月17日 (木) 14:28
- 太祖一代軍記 (カテゴリ 日本の近世文学)のて、主君顕定・房能を弑し奉り、其報にて其身越中にて討死。子供二人は、寵臣黒田和泉守が為に亡ぼされ、汚名を末代に伝へん事心憂しに、我れ亦兄晴景に向つて弓矢を取らん事、末世の恥辱之に過ぎず。所詮出家隠通の身とならんと申されけるを、宇佐美古き例を以て、大に諫め何の…567バイト (26,586 語) - 2023年12月8日 (金) 14:45
- させて、水の深みに追はめ、雌雄を一時に決せんが為と也。去程に明れば五月二十一日に、六波羅の勢五千余騎、所々の陣を一所に合せ、渡部の橋まで打臨で、河向に引へたる敵の勢を見渡せば、僅に二三百騎には不過、剰痩たる馬に縄手綱懸たる体の武者共也。隅田・高橋是を見て、さればこそ和泉・河内の勢の分際、さ…39キロバイト (9,333 語) - 2022年12月1日 (木) 08:01
- 上杉三代日記 (カテゴリ 日本の近世文学)和泉守は、越前牢人なるを、為景、美童なるにより小姓になし、黒田が名跡を継ぎ、大身に成り、親胎田も大身となる。二男伊豆守、金津の跡を下され、重恩なるに、為景討死の以来逆意あり。殊に和泉守は、景虎の兄平蔵景康・同三男左平治景房を殺し申す。其間十年計りありて亡びける。天罪〔罰カ〕の…3キロバイト (18,944 語) - 2024年3月24日 (日) 14:42