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北条五代記/巻第七

北条五代記巻第七 目次

 
 
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【オープンアクセス NDLJP:528】
 
北条五代記巻第七
 
 
 
見しは昔(むかし)。北条氏直公(うぢつなこう)関(くわん)八州を静謐(せいひつ)におさめ。賞罸(しやうばつ)たゞしく。国の政道(せいだう)を取をこなひ。民(たみ)豊(ゆたか)にして後々末代(ごゞまつだい)までも。目でたかるべしとおもひつるに。天運(うん)つくるにや。天正十八寅(とら)の年七月六日。氏直公をはじめ。一家(か)一門(もん)関八州の諸侍(しよさふらひ)ほろび果(はて)ぬたゞ五更(かう)の油(あぶら)かはひて。灯(ともしび)まさにきえんとほつする時。光(ひかり)をますがごとし。なげきても甲斐(かひ)なかるべし。然るにわれ。氏直の先祖(せんぞ)を尋(たづね)るに。古き文にも見へず。あらかじめ聞伝(つた)ふるに。むかし山城(しろ)の国に伊勢(いせ)新九郎氏茂(うぢしげ)といふ侍(さふらひ)あり。後(のち)は入道(にうだう)し北条早雲庵主(ほうでうさううんあんしゆ)と改名(かいみやう)〈[#ルビ「かいみやう」は底本では「かいややう」]〉す。此早雲京都よりするがの国(くに)へ下り。今川(いまがは)五郎氏親(うぢゝか)をたのみ。牢人(らうにん)分にて有しが文武(ぶんぶ)智謀(ちぼう)の侍(さふらひ)たるにより。今川殿縁者(江んじや)となり。其後早雲は駿河(するが)高国寺(かうこくじ)に在城(ざいじやう)也。其比伊豆国(いづのくに)に堀越(こりこし)の御(ご)所と申て。北条にまします。是は義教公(よしのりこう)の三男(なん)。左兵衛督(かみ)政知公(まさともこう)の御子(こ)。茶々丸(ちや〳〵まる)成就院(じやうじゆゐん)殿と号(がう)す。されば伊豆(いづ)の国は年久しく無事に有て。弓矢もなかりけり。然所に御所に逆臣(ぎやくしん)有て。伊豆の国みだれしづかならず。早雲(うん)此よしを聞。ねがふにさいはひ哉時来りぬと人数(にんじゆ)をもよほし。伊豆(いづ)とするがのさかひ。きせ川を夜中(やちう)に取こし。北【オープンアクセス NDLJP:529】条へ乱(みだれ)入て戦(たゝか)ひ。終(つゐ)には御所を亡(ほろぼ)し。伊豆の国を切て取よしあまねく云つたへり。扨又或(ある)老士(らうし)語りけるは。早雲は今川殿と府中(ふちう)に一所に有しが。清水浦(しみづうら)より舟にて渡海(とかい)し。伊豆を切しよし物語せり。是は異説(いせつ)なりといへ共しるし侍る。老士語ていはく。早雲病気(びやうき)となぞらへ。伊豆の国修善寺(しゆぜんじ)の湯(ゆ)にしばらく入て。諸人(しよにん)の物語を聞に。伊豆の国は三郡山国(ぐんさんこく)也。東西(とうざい)へ一日南北(なんぼく)へ半日(はんじつ)の行程(かうてい)。南の海中(かいちう)へ出。島国(しまくに)とおなじ。関東永享(ゑいかう)より乱国(らんごく)といへ共。伊豆は無事(ぶじ)に有て。一郡(ぐん)を十人廿人宛(づゝ)分持(わけもち)にし。下々の侍(さふらひ)共は田地(でんち)を手作(てさく)し。礼義風俗(ぎやうぎふうぞく)。侍(さふらひ)共百姓共見分(わけ)がたく。しかとしたる大将(しやう)一人もなきよしつぶさに聞届(とゞけ)。早雲府中(ふちう)に帰(かへ)り。氏親(うぢゝか)に語て云予(よ)。年来拝領(としごろはいりやう)せしむる所帯(しよたい)をもて。勇士(ゆうし)を二百人かゝへ置(をけ)り。ねがはくば三百人御加勢(かせい)有にをいては。伊豆の国をたやすく。切て取べき計策(けいさく)有むね申されければ。氏親(うぢちか)聞て早雲。智謀(ちぼう)武略(ぶりやく)の心ざしを感(かん)じ。勇士をえらび。三百人加勢也。早雲のぞみたんぬと喜悦(きゑつ)浅(あさ)からず。清水浦(しみづうら)にをいて。大船(せん)十艘(そう)用意(ようい)し。都合五百人の勇士に。下知していはく。それ合戦の勝負。大勢小勢によらず。たゞ士卒(しそつ)の心ざしを。一つにするとせざると也。此等の兵士(ひやうし)。他国(たこく)に目をかけ。はるかの海路(かいろ)を渡(わた)り。戦場(せんじやう)にをもむく所存(しよぞん)たのもしき成。たとひ敵(てき)百万騎(き)むかふといふ共。なかじは雌雄(しゆう)を決(けつ)せざるべき。其上たけて。いさめるのみにあらず。兼(かな)てははかりごとを廻(めぐら)し。智恵(ちゑ)を先(さき)とす。一方に戦(たゝか)ひを决(けつ)し。万方に勝(かつ)事をうるは。是武略(ぶりやく)の威徳(いとく)なり。埋(むも)れぬ名(な)を永(なが)き世(よ)に残(のこ)さんこそ。弓矢取身の本懐(ほんぐわい)なれ頗(すこぶ)る勇士(ゆうし)の本意(ほんい)といふは。智仁勇(ちじんゆう)の三ツの徳(とく)をかね。死(し)を善道(ぜんだう)にまもり。節(せつ)ををもくするをもて義(ぎ)とせり。此度諸卒軍戦(しよそつぐんせん)を。はげますにをいては。恩賞(をんしやう)は忠功(ちうこう)によるべしと申されければ。をの〳〵いさみすゝみて。義(ぎ)を金石(きんせき)よりも。かたくし。命(めい)を一塵(じん)〈[#ルビ「じん」は底本では「びん」]〉よりかろく忠(ちう)をいたさんとす。延徳(えんとく)年中清水浦(しみづうら)より。太船十艘(そう)に。五百人取乗(の)り。纜(ともづな)といて順風(じゆんふう)に帆(ほ)をあげ。明ぼのに乗(のり)出し。日中に伊豆の国。松崎(まつさき)。西奈田子(にしなたご)。あられの湊(みなと)に着岸(ちやくがん)す。此舟(ふね)共はたを立。みな甲冑(かつちう)を帯(たい)しぬれば。浜辺在所(はまべざいしよ)のもの共是を見て。やれ敵(てき)海賊(かいぞく)来るぞと。おどろきさはぎ。親をすて。子をすて。我(われ)先にて。山嶺谷底(みねたにぞこ)へぞにげ入たる。五百人は舟よりくがにあがり。さはぐけしきもなく。おもひ〳〵に舟道具(ふねだうぐ)を陸へあげ。苫(とま)ぶきに陣屋(ぢんや)をかけ。其屋に入て。まづ三ケ条の高札(かうさつ)を立る

    禁制(きんせい)一あき家(いへ)に入諸道具に手をかくる事
一一銭(せん)に当(あた)る物(もの)何にても取候事
一伊豆国中(いづこくちう)の侍(さふらひ)并土民(どみん)〈[#ルビ「どみん」は底本では「どろん」]〉に至る迄其住所(ぢうしよ)を去(さる)事

右条々(でう〴〵)堅停止(かたくちやうし)せしめ若(もし)違犯(いはん)の輩(ともがら)是あるにをいては。在家(ざいけ)を放火(はうくわ)すべき者也仍執達(しゆたつ)件(くだん)のごとし
【オープンアクセス NDLJP:530】と。右の三ケ条を。在々所々(ざい〴〵しよ〳〵)に立置(をき)たり。扨村里(むらさと)のあき家(いへ)を見るに。いかなる家(いへ)にも五人三人宛(づゝ)。病者(びやうしや)ふしてあり。大かた千人にも越(こえ)つべし。是はいかにと尋ぬれば。此比風病(ふうびやう)はやり。諸人(しよにん)五日七日づゝ前後(ぜんご)もわきまへず。一家(け)に十人わづらひ。八九は死(しに)候敵(てき)海賤(かいぞく)〈[#「海賤」はママ]〉。俄(にはか)の事なれば。我等あしたゝず親(おや)は子(こ)をすて。子は親(おや)をすて。いづくともしらず迯行(にげゆく)といふ。早雲(さううん)聞て不便(ふびん)の次第哉。孟子(まうし)に大人は其赤子(せきし)の心をうしなはざる者也と云々。故(ゆへ)に君子(くんし)は万事に通(つう)じてしらざる所なく。よくせざる所なし。情(なさけ)は人の為(ため)ならず。かれらを打捨(すて)。われさきへ行ならば。此病人(びやうにん)みな死(しす)べし。生(いく)べき者をばいかし。殺(ころ)すべき者をば殺すをもつて。仁政(じんせい)の道とせり。急(いそ)ぎ医師(くすし)に仰て。良薬(りやうやく)を調合(てうがう)し。五百人の人々打散(ちり)て。看病(かんびやう)し。薬(くすり)を用ひ。好物(こうぶつ)の食事(しよくじ)を与(あた)へ給へば。此療養(れうやう)によつて。一人も死(し)せず。五日三日の中(うち)に。皆(みな)本復(ほんぷく)し。命(いのち)助(たす)かりたる御恩賞いつの世にかは。報(ほう)じ尽(つく)しがたしとよろこび。此者どもいそぎ。山嶺(みね)に入て。子は親に語(かた)り。おやは子にしらせ。なふ此人々よろひ甲(かぶと)を着(き)給へば。あらけなき鬼神(をにがみ)のやうに見へけれ共。御心はやさしく。慈悲忍辱(じひにんにく)の生仏(いきぼとけ)にて。我々が命を助(たすけ)給ひ候ぞや。急(いそ)ぎ山を出て。親(おや)の命(いのち)子(こ)の命(いのち)。助かりたる御礼(れい)申上給へといへば。皆山峯(みね)を出て我屋に帰り。よろこびけり。是を聞つたへて。五里(り)十里四方(しはう)の者。皆こと〴〵く来(きたつ)て。是はそんじやう其所のさふらひ。是は山守(もり)。是は在所(ざいしよ)の肝煎(きもいり)などいへば。其所前々(ぜん〴〵)のごとく。相違(さうい)有べからずと。印判(ゐんばん)を出す。早雲病者(びやうじや)ゆへ一七日滞留(たいりう)其うちに三十里近辺(きんぺん)は。皆みかたにはせ参(さん)じたり。然る所に関東(くわんとう)道二十里。山のおく深根(ふかね)と云所に。関戸(せきど)幡摩守(はりまのかみ)吉信(よしのぶ)といふ者あり。是はいにしへ御所のゆかりと云つたへ。名高(なだか)き人也。みかたにも参らず。あまつさへ。古城(ふるしろ)を取立候。手労(てせい)わづか二百。其外一類(るい)の侍(さふらひ)共あつまりて。雑兵(ざいひやう)五百有べしと告(つげ)来る。早雲(さううん)聞て。ねがふにさひはひかな。当国へ発向(はつかう)すといへども。むかふ敵(てき)なければ物さびしく思ひつるに。先(まづ)かれをほろぼし。軍神(いくさがみ)の血(ち)まつりにせんと。鶏鳴(けいめい)より此在所(ざいしよ)を打立。うしろの山を越(こえ)。日中に深根(ふかね)へはせ着(つき)たり。扨又爰(こゝ)かしこの侍(さふらひ)共はせ来て。はた下に付ぬれば。みかたの勢(せい)二千よきになる。此城北(しろきた)は山。東南はぬまにて。寄所(よりどころ)なし。西(にし)一方に城(ほり)〈[#「城」はママ]〉

をほり。堀(へい)〈[#「堀」はママ]〉さかも木を引せ。門矢蔵(もんやぐら)を立。こゝを専とぞかためたる。早雲(さううん)是を見て。あたりの在家(ざいけ)を。百家(け)ばかり引破(ひきやぶ)り。二千の人一かづきづゝ持寄(もちより)て。堀(ほり)をうめ即時(そくじ)に平地(へいぢ)となる。すきもあらせず責(せめ)入たり。幡摩守(はりまのかみ)は衆(しゆ)をいさめ。爰をせんどゝたゝかひ。長刀(なぎなた)にて切てまはるといへ共。五百人心ざしを一ツにして責(せめ)ければ。縦(たとひ)千騎(き)万騎。くろがねの楯(たて)をつきふせぐと云共(いふ)。かなふべしとは見へず。幡摩守父子(ふし)五人。鑓下(やりした)にて討(うた)るれば。残る者其敗軍(はいぐん)し。にぐるを追(おい)たをし。追まはし。城(しろ)に籠(こも)る者どもをば。女わらはべ法師(ほうし)までも。一人残さず首(くび)を切。城(しろ)めぐりに千余(よ)かけをきぬれば。是を見聞しより。国中の諸侍(しよさふらひ)。此威(い)にをそれ。急(いそ)ぎはせ来て。降(かう)人となる。居(ゐ)ながら伊豆一国は。早雲の国となる事。武略(ぶりやく)世にこへたる名将(めいしやう)。仁義(じんぎ)をもつはらとを【オープンアクセス NDLJP:531】こなひ給へるがゆへ也。仁者(じんしや)といふは慈悲(じひ)愛敬(あひきやう)有て。あやうきを助(たす)け。災難(さいなん)をすくはんとす。敵国へ来。死にのぞむ病者(びやうしや)。千余人を助け。諸人の心をなだめ給へるも。是仁(じん)の道なり。扨又義者(ぎしや)と云は。万事よく思ひ切て。死(し)すべき所にて死するも義なり。敵(てき)をほろぼし国を治(おさむ)るも義(ぎ)の道(みち)也。聖人(せいじん)の制詞(せいし)にも。道理(だうり)に当(あた)りてころす時は数万(すまん)の敵(てき)をうつといへども。無道(ぶだう)にあらず。殺(ころ)すまじき道理あらば。罪(つみ)なき者一人。つみすといふとも。仁道(じんだう)にあらずといへり。然に早雲翌日(よくじつ)。伊豆の北条に付給ひぬ。此所むかし北条時政(ときまさ)居住(きよぢう)と。在所(ざいしよ)の者申ければ。早雲聞て。前(さき)​(の)右兵衛佐(すけ)頼朝(よりとも)。平治(へいぢ)の比ほひ此北条蛭(ひる)が小島(じま)へながされ。廿一年の星霜(せいさう)をむなしくをくられしが。四郎時政をかたらひ。治承(ぢせう)四年八月十七日。伊豆の国の目代(もくだい)。和泉判官(いづみのはんぐわん)兼隆(かねたか)を屋牧(やまき)が舘(たち)にて夜討(ようち)にし。義兵(ぎへい)をあげられし所。吉例(きちれい)なりとて。此旧跡(きうせき)を再興(さいこう)有て。早雲居城(ゐじやう)し給へば。皆人北条殿といふ。早雲いはく。北条家(け)たえて久しき跡(あと)也。われ此名(な)もとめずといへ共。諸人其名をよぶ。早雲この家(いへ)をつがん願望(ぐわんまう)によて。三島(しま)大明神(みやうじん)に参籠(さんろう)通夜(つや)し給ふ霊夢(れいむ)に。不思儀(ふしぎ)のつげ有とかや。扨又大杉二本有けるを。鼠(ねづみ)一ツ出て喰折(くひおり)たると見て覚(さめ)ぬ。此夢(ゆめ)をうらかたに尋ね給へば。此目(め)でたき御霊夢(れいむ)なり。関東奥州(おうしう)までの国司(こくし)。両上杉殿上野(かうづけ)相摸(さがみ)両国にまします。此二本の上杉を。御退治(たいぢ)有べしと申ければ。早雲観喜(くわんき)浅(あさ)からず。此両上杉をほろぼさんと。昼夜(ちうや)思量(しりやう)をめぐらさるといへ共。上杉殿は。さがみ武蔵(むさし)下総(しもふさ)。常陸(ひたち)。下野(しもつけ)。上野(かうづけ)。越後(ゑちご)佐渡(さど)。出羽(では)。奥州(おうしう)までもことごとく。彼(かの)下知(げち)に随(したが)ふ然所に。両上杉殿運(うん)の末(すゑ)にや。扇谷修理(あふぎのやつしゆり)大夫定正(さだまさ)の家老(からう)。長尾(ながを)兄弟の中に。鉾楯(むじゆん)出来。其上長尾左衛門尉。子息(しそく)四郎右衛門尉むほんし。あまつさへ両上杉殿の中あしく成て。弓矢乱(みだれ)。やむ事なし。早雲此由を聞。讒臣(ざんしん)国を乱(みだ)すといへる。古人(こじん)の言葉(ことば)是也。両上杉ほろぶべき時至りぬと。人数(にんじゆ)をもよほし。箱根(はこね)足柄(あしがら)山を越(こえ)。小田原の城(しろ)をのつとる事明応(めいおう)の比ほひ也。此勢(いきほひ)に其年。相摸(さがみ)半国(はんごく)切て取。其後定正(さだまさ)は病死(びやうし)。民部大夫顕定(あきさだ)も滅亡(めつばう)し。早雲永正十五年七月十一日。三浦(うら)​(の)介道寸(だうすん)居城(ゐじやう)三浦の新井(あらゐ)の城をせめ落す。早雲子息(しそく)氏綱(うぢつな)時代(じだい)小弓の御所義明(よしあきら)公。上杉朝興(ともおき)子息朝定(ともさだ)父子(ふし)を討(うち)ほろばし。武総(ぶそう)両国へ手をかけ。氏康(うぢやす)時代(じだい)に。豆(とう)。相(さう)。武(ぶ)。総(ふさ)四ケ国の人数(にんじゆ)にて。上杉憲政数万騎と。年久しくたゝかひ。数度(すど)に勝利(せうり)をえ。天文十五丙午年(ひのへむまのとし)の大合戦(かつせん)に氏康(うぢやす)うちかつて。憲政を追討(ついたう)し。関八州を治(おさ)め給へる事。文武(ぶんぶ)。智謀(ちばう)世にまれなる猛強(まうがう)の大将たる故也。氏康(うぢやす)いはく。罪(つみ)のうたがひをば。是かろくし。功(こう)のうたがひをば。是をもくするにしかじ。近年諸侍(しよさふらひ)身命(みやう)をなげうつて粉骨(ふんこつ)を尽(つく)し。数度(すど)の忠功(ちうこう)軽重(けいぢう)に応(おう)じ。国郡(くにこほり)をさきあたへ給ひければ。諸侍(しよさふらひ)よろこびの眉(まゆ)をひらき。名誉(めいよ)を関八州にあげ。子孫(しそん)繁昌(はんじやう)万歳(ばんぜい)をいはひ。氏政(うぢまさ)氏直(なを)まで五代。静謐(せいひつ)に国を治(おさ)め給ひしが。北条家(け)武運(ぶうん)末になり。宿報(しゆくほう)やうやくかたぶき。天心(てんしん)にも背(そむ)き。仏神(ぶつじん)もすて給ふにや。天正十八寅(とら)の年。氏直(うぢなを)時代(じだい)に至てほろびぬと語(かた)る。早雲の合戦是は異説(いせつ)なりといへ共。此物語の題号(だいがう)。見聞(けんもん)の二【オープンアクセス NDLJP:532】字に応(おう)じてしるし侍る者也

 
 
見しは昔。北条氏直と武田勝頼(たけだかつより)〈[#「勝頼」は底本では「頼勝」]〉戦(たゝか)ひの時節(じせつ)。駿州の内。高国寺(かうこくじ)と三枚橋(まいばし)は。勝頼の城(しろ)也。泉頭(いづみかしら)。長久保(ながくぼ)。戸倉(とくら)。志師浜(ししばま)。此四ケ城はするがの国中(こくちう)たりといへ共。先年今川義元(よしもと)時代。北条氏綱(うぢつな)切て取しより以来(このかた)。氏直領国(りやうごく)となる。義元(よしもと)信玄(しんげん)時代。此するが領を取返さんと。遺恨(いこん)やむことなしといへ共。つゐに叶(かな)はず。扨又沼(ぬま)津の浦つゞき。香貫(かぬき)。志下(しげ)。志師浜(ししはま)。真籠(まごめ)。江浦(えのうら)。田飛(たび)。口野(くちの)此等の浦里(うらさと)もするが領氏直持(もち)也。志師浜には大石(いし)越後(ゑちご)守在城(ざいじやう)す。此城の後(うしろ)に。わしずと云高山(かうさん)あり。勝頼(かつより)するがへ出陣の時は。わしず山に物見の番所(ばんどころ)有て。人しかと住(ぢう)し。浮島(うきしま)が原を見わたせば。勝頼(かつより)の陣場(ぢんば)の様子(やうす)目の下に手に取がごとし。さればするが浦(うら)に。氏直兵船(ひやうせん)かけをくべき湊(みなと)なきゆへ。伊豆重須(おもす)の湊(みなと)に。兵船こと〴〵くかけをく。沼(ぬま)津よりは二里へだゝりぬ。梶原備前守(かぢはらびぜんのかみ)子息(しそく)兵部(ひやうぶ)大夫。かしらとし。清水(しみづ)越(ゑち)前守。富長(とみなが)左兵衛尉。山角(かど)治部少輔(ちぶのせうゆう)。松下(まつした)三郎左衛門尉。山本(もと)信濃(しなの)​(の)守などゝ云船(ふな)大将(しやう)此重須(をもす)浦に居(きよ)住す。氏直伊豆の国にをいて。軍船(いくさぶね)を十艘(そう)作(つく)り給ひぬ。是をあたけと名付たり。一方(ぱう)に櫓(ろ)二十五丁両方合五十丁立の兵船(ひやうぜん)也。常(つね)にひとりさぐる鉄砲(てつぱう)にて。十五間前(さき)に板を立玉(たま)のぬけぬ程(ほど)に。むくの木板(いた)をもて。船(ふね)の左右艫舳(ともへ)をかこひ。下に水手(かこ)五十人。上の矢倉(やぐら)に侍(さふらひ)五十人有て。矢(や)さまより弓(ゆみ)鉄砲(てつぱう)はなつ様(やう)に作りたり。舳(へ)さきに大鉄砲(てつぱう)を仕付をきたり然に天正八年の春(はる)。勝頼(かつより)駿河に出陣(しゆつぢん)す。氏直も伊豆の国へ出馬(しゆつば)し。三島(みしま)にはたを立たゝかひ有。重須(おもす)の兵船(ひやうせん)駿河海(うみ)へ働(はたらき)をなすべき由(よし)。氏直下知(げぢ)に付て。毎日(まいにち)駿河海へ乗(のり)出す。勝頼(かつより)旗本(はたもと)は。浮島(うきしま)が原。諸勢(しよせい)は沼津(ぬまづ)千本の松原より吉原(よしはら)迄(まで)。寸地(すんち)のすきまなく真砂(まさご)の上海(うみ)ぎはまで陣取(ぢんどる)然に十艘(そう)の舟(ふね)にかけをきたる。大鉄炮(てつぱう)をはなしかくる敵(てき)こらへず皆こと〴〵く退散(たいさん)しへい〳〵たる真砂地(まさごぢ)白妙(しろたへ)に見えたり扨又敵(てき)の諸勢(しよぜい)浜(はま)へ来て。砂(いさご)をほり上其中に有て。鉄題を数(す)百挺(ちやう)がけをき舟(ふね)を待(まつ)所に十艘(そう)の舟汀(みぎは)をつたひこぎ行。陸と舟との鉄炮いくさ。雨(あめ)のごとく舟にあたるといへ共兼ての用意(ようい)。板垣(いたがき)とをる事なし。敵船(てきせん)は清水(しみづ)のみなとにかけをくといへ共。小船(せうせん)ゆへ終(つゐ)に出あはず。日暮(くれ)ぬれば伊豆へ帰海(きかい)す。然所に勝頼(かつより)下知(げち)として三月十五日の夜いまだ明ざるに。敵船(てきせん)三艘(そう)重須(おもす)のみなとへ来て。鉄炮(てつぱう)をはなつ。すは敵船こそ来りたれと。舟(ふね)を出す敵船は櫓二十丁立にて小船(すえせん)なり此舟をおひ行所に。沼津河(ぬまづがは)へも入ずして。勝頼(かつより)の陣場(ぢんば)浮島(うきしま)が原(はら)下へこぎ行所に。又沼津(ぬまづ)川より舟二艘(そう)出し。合五艘に成ぬ。浜辺(はまべ)に付てこぎ行(ゆく)を十艘(そう)の舟をひかへる。此五艘の舟沖(おき)へこぎ出ては又浮島(うきしま)が原(はら)下へこき帰る。勝頼(かつより)は舟(ふね)いくさ見物(けんぶつ)として浜(はま)へおり下り。旗(はた)馬しるし見えたり。諸勢(しよぜい)浜(はま)へ打出塩水(しほみづ)の中。腰(こし)だけに入て。弓(ゆみ)鉄炮(てつぱう)をはなつ。十艘(そう)の舟あつまりて。評定(へうぢやう)していはく。敵船(てきせん)清水(しみづ)沼津(ぬまづ)へもにげゆかず。又勝頼(かつより)の【オープンアクセス NDLJP:533】旗本(はたもと)浮島(うきしま)が原(はら)の前海(まへうみ)に来る事。勝頼下知(げぢ)として。舟いくさ見物(けんぶつ)としられたり。すべて味方(みかた)の舟二艘(そう)は。浜辺(はまべ)の前後(ぜんご)に有て。八艘(そう)の舟(ふね)は沖(おき)より敵船(てきせん)を取まはし。うつとらんと智略(ちりやく)をめぐらすといへども。小船(せうせん)にてはやければ。をひつきがたく。広(ひろ)き海(かい)中に。算(さん)をみだしをひめぐる。勝頼(かつより)五艘(そう)の船共。にぐるを見て。はらわたをたつ。其節(せつ)持出(もちいで)たる。はた馬じるし。甲冑(かつちう)こと〴〵く其仕場居(しばゐ)にて。焼(やき)すて本陣(ほんぢん)に帰り給ひぬ。日も暮(くれ)ぬれば。十艘(そう)の舟。伊豆(いづ)へ帰海(きかい)す。或(ある)老士(らうし)云(いひ)けるは。それ大将は是非(ぜひ)を分明(ぶんみやう)し進退(しんたい)有べき事也。軍(いくさ)の勝負(せうぶ)は時の運(うん)による事なれば。まけたるとても耻(はぢ)にあらず。たゞ引まじき所引。かくまじき所をかくるを。大将の不覚(ふかく)といへり。武略(ぶりやく)智謀(ちぼう)は武士(ぶし)の名誉(めいよ)。是をしるを。文武(ぶんぶ)の達者(たつしや)。懸引(かけひき)上手(じやうず)の勇士(ゆうし)とはいへり。然に敵(てき)小船(せうせん)にて大船(せん)に出あひ。とられぬを手柄(てがら)にすといへどもにぐる計(ばかり)にては。何の益(ゑき)あらん。相摸(さがみ)はたつかたと俗(ぞく)に云(いふ)てわが立方(たつかた)を引は。世のならひ也いかにいはん味(み)かた。終日(しうじつ)。にぐるを見て。諸軍(しよぐん)もいかで遺恨(いこん)なからん。益(ゑき)なき舟軍(ふないくさ)見物(けんぶつ)をこのみ。却(かへつ)て耻辱(ちじよく)を招(まね)き。大将末代(まつだい)まで不覚(ふかく)と申されし。されば浮島(うきしま)が原(はら)。田子(たご)の浦(うら)は。分(わき)てことなる名所(めいしよ)。海士(あま)の釣舟(つりぶね)うかび。原(はら)にはしほやく煙(けぶり)をこそ。歌(うた)にもよみたれ。其比はむかしにかはり。波(なみ)には軍舟(いくさぶね)数々うかび。原(はら)には鉄炮(てつぱう)の薬(くすり)の煙空(そら)によこをれ。鬨音(ときのこゑ)矢(や)さけびの音(をと)のみやむ事なく。修羅(しゆら)のちまたとなれり。いにしへ鴨(かも)の長明(ちやうめい)。東国(とうごく)行脚(あんぎや)せし。海道(かいだう)路次(ろじ)の記(き)に。田子(たご)の浦(うら)に出(いで)て。富士(ふじ)の高嶺(たかね)を打ながめて云。貞観(でうくわん)十七年冬(ふゆ)の比。白衣(はくゑ)の美女(びぢよ)二人ありて。山のいたゞきにならび。都(みやこ)のこしかゞ富士(ふじ)の山記(き)に書たる。いかなるゆへぞとおぼつかなし

富士(ふじ)の根(ね)の。風にたゞよふ白雲(しらくも)は。あまつ乙女(をとめ)が袖かとぞ見る

とよめり浮島(うきしま)が原(はら)は。いづくよりもすぐれて見ゆ。北(きた)は富士(ふじ)の麓(ふもと)にて。東西(とうざい)へはる〳〵とながき沼(ぬま)あり。布(ぬの)をひけるがごとし山のみどり陰(かげ)をひたし。空(そら)も水(みづ)もひとつなり。芦(あし)かり小舟(をぶね)所々にさほさして。むれたる鳥(とり)おほくさり来(き)たる。南は海(うみ)のおもて遠(とを)く見わたされて。雲(くも)の波(なみ)けふりのなみ。いとふかき詠(ながめ)なり。すべて孤島(こたう)の真砂(まさご)にさへぎりなし。わづかに。遠孤(をんこ)の空(そら)につらなれるをのぞむ。こなたかなたの眺望(てうばう)。いづれもとり〴〵に心ぼそし。原にはしほやのけふり。たへ〴〵立わたりて。浦風松(うらかぜまつ)の梢(こずえ)にむせぶ。此原昔(むかし)は海(うみ)の上にうかびて。蓬萊(ほうらい)の三(みつ)の島(しま)のごとくに有けるによりて。浮島(うきしま)と名付(なづけ)たりと。聞にもをのづから。神仙(しんせん)の栖(すみか)にもやあるらん。いとゞおくゆかしく見ゆ

影ひたす。沼の入江に富士の根の。煙も雲も浮島が原

と詠(ゑい)ぜりやがて此原につゞきて。千本の松原(まつばら)と云所あり。海の渚(なぎさ)遠(とを)からず。松はるかに生わたりて緑(みどり)〈[#「緑」は底本では「縁」]〉の陰(かげ)きはもなし。沖(おき)には舟は行ちがひて木の葉のうける様に見ゆ。彼(かの)千株(せんしゆ)の松の本(もと)に。双峯(さうほう)の寺(てら)。一葉(えう)の舟(ふね)の中(うち)の。万里(ばんり)の身と作(つく)れるに。彼(かれ)も是もはづれず。眺望(てうばう)いづくにもすぐれ【オープンアクセス NDLJP:534】たり

見わたせば。千もとの松のすゑ遠(とを)み。みどりにつゞく浪(なみ)のうへかな

と長明よめり。彼(かの)千本の松原は。勝頼(かつより)時代(じだい)海賊(かいぞく)のためのさはりとて。切捨(きりすて)げり。今は其名(な)ばかりぞ残(のこ)りける

 
 
聞しは昔。越後(ゑちご)の上杉藤原輝虎(ふぢはらてるとら)入道鎌信(けんしん)〈[#「鎌信」はママ。以後同じ]〉と。相摸(さがみ)北条平氏康(たいらのうぢやす)と戦(たゝか)ひ。終(つゐ)に和睦(くわぼく)の儀なし。然に輝虎(てるとら)いかなるおもはくにや。氏康(やす)と一味(み)の心ざし有によて。氏康の七男(なん)三郎殿を養子(やうし)に所望(しよもう)せり。輝虎実子(じつし)なきがゆへなり。是によて三郎殿十七歳(さい)にして。永禄(ゑいろく)十二年の春(はる)。越後(ゑちご)へ越山(ゑつざん)。家老(からう)には。遠(とを)山左衛門尉。山中民部(みんぶ)をさしそへられたり。輝虎(てるとら)望(のぞ)みたんぬと。自他(じた)の嘉幸(かゝう)なゝめならず。其上甥(をい)の長尾(ながを)喜平次景勝(かげかつ)妹(いもうと)を。三郎殿の妻(つま)となし。上杉三郎景虎(かけとら)と改名(かいみやう)し。家督(かとく)をつぎ春日(かすが)山に居(ゐ)給ひぬ。然に氏康は元亀(げんき)元年十月三日に逝去(せいきよ)。輝虎(てるとら)は天正六年三月十三日頓死(とんし)也。鎌信(けんしん)居所(きよしよ)は春日山の本城(ほんじやう)。景虎(かげとら)は二の曲輪(くるわ)なり。景勝(かげかつ)はならびの曲輪(くるわ)に有しが。野心(やしん)をさしはさみ。越後(ゑちご)の国をうばひとらんと。計策(けいさく)をめぐらすといへ共。景虎(かげとら)此くはだてを夢にもしらず鎌信(けんしん)第一の家老(からう)。北城(きたじやう)丹後守(たんごのかみ)をはじめ。諸侍(しよさふらひ)景虎(かげとら)を尊敬(そんきやう)により。其心付なく油断(ゆだん)する所に。時日(じゞつ)を移(うつ)さず。景勝(かげかつ)同十三日人数(にんじゆ)引(ひき)つれ。本城(ほんじやう)へはしり入て。門(もん)をかため二の曲輪(くるわ)を。目の下に見て。弓を射(い)かけ。鉄砲(てつぱう)をはなしかくる。景虎(かげとら)たゝかふといへ共こらへず。出城(しゆつじやう)し。越後(ゑちご)の府中(ふちう)。お舘(たち)の城(しろ)に取こもる。北条丹後(たんご)守は。越後の内。とちうの城(しろ)に。遠路(ゑんろ)をへだて有つるが鎌信(けんしん)頓死(とんし)によて。春日(かすが)山にたゝかひ有よしをきゝ。急(いそ)ぎはせ参(さん)じ。景虎(かげとら)へ一味(み)す。是によて諸卒(しよそつ)を。善光寺(ぜんくわうじ)へ移(うつ)し。陣(ぢん)を張(はつ)て。春日山へ人数(にんじゆ)をさしつかはし。軍(いくさ)有て。いどみたゝかふ。景勝(かげかつ)がたまけたるべしとぞ。人沙汰(さた)しける。然ども景勝へおもひ〳〵にはせくはゝり。一揆(き)皆一味(み)す。景勝智略(ちりやく)をめぐらし。夜中(やちう)に忍(しの)び入て。丹後守(たんごのかみ)が陣取(ぢんとつ)。善光寺(ぜんくわうじ)のうしろへ人数(にんじゆ)をまはし。近々(ちか〴〵)と取寄(よつ)て。ときをどつと作(つく)り。おめきさけんで切かゝる。北条丹後守は。其名(な)を得たる。大かうの者なりといへ共。おもひの外(ほか)とおどろき。すでにはいぐんす。府中(ふちう)の城(しろ)を心がけ落行(おちゆき)所に。景虎(かげとら)運(うん)の末(すゑ)にや。北城(きたじやう)いた手負(おひ)。府中(ふちう)に入て。其日に死(し)す〈[#ルビ「し」は底本では「す」]〉。武田勝頼(たけだかつより)は。景虎(かげとら)の妹(いもうと)むこたり。越後(ゑちご)鉾楯(むじゆん)のよしを聞。人数(にんじゆ)をつかはし。勝頼(かつより)の跡より出陣(しゆつぢん)する所に。景虎(かげとら)うちまけ勝頼の陣中に入。先もて安堵(あんど)の思ひをなす。其頃勝頼の家老(からう)。長坂長閑(ながさかちやうかん)。跡部道印(あとべだういん)。出頭(しゆつたう)し其威(い)に。甲斐(かひ)国中(こくちう)飛鳥(とぶとり)も落(おち)ぬべしといふ。此両人深欲(しんよく)にふけり。無道(むだう)を沙汰(さた)し。武田(たけだ)の家(いへ)滅亡(めつばう)のはしと。云(いひ)ならはす。然に輝虎(てるとら)当夏(なつ)中。京都(と)へせめのぼるべきよし。かねての支度(したく)に。貯へをきたる。黄金(わうごん)数箱(すはこ)に入をきたるを。幸(さいはひ)なる哉此金(きん)を取出し。長坂長閑(ながさかちやうかん)に千両。路部道印(あとべだういん)〈[#「路部」はママ]〉【オープンアクセス NDLJP:535】に千両。勝頼(かつより)へ五千両つかはし。越後(ゑちご)よりにげゆく。景虎(かげとら)を誅罸(ちうばつ)し。此度景勝(かげかつ)を御引立(ひきたて)これあるに付ては。生前(しやうぜん)の大幸(たいかう)たるべきむね。使札(しさつ)をさしつかはす所に。彼(かの)両臣(しん)千両ヅヽの金(きん)を見て心まどひ。勝頼へ申て云。君(きみ)は織田信長(をだのぶなが)といふ大敵(てき)を持給ひて。たゝかひやむことなし。其上越後(ゑちご)と相摸(さがみ)。一味(み)にをいては。甲州(かうしう)持国(じこく)はたして。あやうかるべし。三郎殿を誅(ちう)し。越後と和順(わじゆん)然るべしとしきりに。いさめ申に付て。勝頼(かつより)は万事(ばんじ)。両臣(しん)はからひなれば。其儀にまかせ。三郎を害(がい)し給ひぬ。越後鉾楯(むじゆん)の義小田原へ聞え。急(いそ)ぎ人数(にんじゆ)をさしつかはす所に。先陣(せんぢん)は上州沼田(ぬまた)に付。氏政(うぢまさ)は武州河越(かはごえ)まで着馬(ちやくば)。遅参(ちさん)ゆへ。三郎は勝頼(かつより)のために誅(ちう)せらるゝよし。途中(とちう)より。益(ゑき)なく引返すと語(かた)りければ。かたへなる人聞て。景虎(かげとら)の滅亡(めつばう)は。輝虎(てるとら)かねてのはかりごと。遺言によて也。其乱觴(らんしやう)を尋るに。輝虎実子(じつし)なきゆへ。甥(をひ)の景勝を養(やう)子に思ひさだめり。されどもわれ。明日(あす)にも死(し)すならば。氏政は信玄(しんげん)聟(むこ)一味(み)なり。越後(ゑちご)へはたらくに至ては。景勝は幼雅(ようち)はたして。ひとの国となるべし。しかしたゞ氏康の子(こ)三郎を養子にもらひをき。景勝成人(せいじん)までは。人ぢちに取たると心得べしと。家老(からう)の者にいひふくめ。永禄(ゑいろく)十二年より。天正六年までは。十年以前(いぜん)よりの謀計(ぼうけい)なりと語(かた)る。或(ある)老士聞て。それ人は一生涯(しやうがい)。欲心(よくしん)にまよひ。子(こ)は親(おや)とあらそひ。弟(をとゝ)は兄(あに)と鉾楯(むじゆん)する事。いにしへも今も有ならひなり。輝虎遺言なしといふ共。景勝越後(ゑちご)を取べき計策(けいさく)有て。三郎を誅(ちう)したるは理(ことは)り也。さて又輝虎(てるとら)遺言。もし治定(ぢぢやう)にをいては。悪逆無道(あくきやくぶだう)果(はたし)て。仏神(ぶつじん)のにくみをうくべし。かくのごときの武略(ぶりやく)。先古(せんこ)にも聞(きか)ず。末代(まつだい)とても有べからず。是偏(ひとへ)に小人の謀(はかりごと)にて。大人にはなき事也。かばかり我国あやうく思ふに至ては。隣国(りんごく)と真実(しんじつ)に。和平(わへい)なくして。仁義(じんぎ)に背きたるはかりごと。縦(たとへ)一旦(たん)利(り)をうる事有といふとも。世のゆびさす所。人のをそるゝ計略(けいりやく)也。ざいくはん本(もと)種(たね)なし。悪(あく)事をもて種とすと云々。神明(しんめい)に横道(わうだう)なし。鬼意正直(きいしやうぢき)をこのむ。たゞ簾直(れんちよく)をむねとし。身のわざはひをのがれ。祈念(きねん)を先として。家(いへ)の運(うん)を待(まつ)にはしかじ。然ときんば。悪鬼(あくき)却(かへつ)て守護(しゆご)し。神明(しんめい)すなはち利生(りしやう)有。それ大将と云は。仁道(じんだう)を専(もつぱら)とし。慈悲(じひ)愛敬(あいきやう)有て。義(ぎ)を心とし。清白(せいはく)を身として。業報(ごうほう)を。をそるべき事なりといへり
 
 
見しは今。相模(さがみ)。安房(あは)。上総(かづさ)。下総(しもふさ)。武蔵(むさし)此五ケ国の中に。大(おほき)なる入海(うみ)あり。諸国(しよこく)の海(うみ)をめぐる大魚は。此入海を。よきすみ所と知(しつ)てあつまるといへ共。関東(くわんとう)のあま。取事をしらず。磯辺(いそべ)の魚(うを)を小網釣(あみつり)をたれて取計(はかり)なり。然所に今武州江戸はんじやうゆへ。西国(さいこく)の海士(あま)は。こと〴〵く関東(くわんとう)へ来り。此魚(うを)を見て。ねがふに幸(さいはひ)かなと。地岳(ぢごく)あみといふ大網(あみ)を作り。あみの両のはじに。二人して持(もつ)ほどの石(いし)を二つくゝり付。是を千貫(ぐわん)石と石付縄(なわ)を二筋(すぢ)付。長(なが)さ三尺ほど。はゞ二三寸の木をふりと名付て。大綱(づな)の所々に。千も二千も付る。此真木(まき)といふ木魚(うを)の目には。ひ【オープンアクセス NDLJP:536】かるといふ。早(はや)舟一艘(そう)に水手(かこ)六人宛(づゝ)。七艘(そう)に取乗(のり)。大海(かい)へ漕(こぎ)出で。綱をおろし両方へ三艘づゝ引わけて。大綱(つな)を引。一艘はことり舟と名付網(あみ)本に有て。左右の綱のさし引する。此網の内にある。大魚(うを)小魚一つも外(ほか)へもるゝ事なし。海底(かいてい)のうろくづまでもこと〴〵く引上る。扨又砂底(すなぞこ)にある貝をとらむとて。網(あみ)のもとに石(いし)を二つ。をも荷(に)につけ。それにかな熊手(くまで)を作り付網(あみ)を海(うみ)へおろし。大綱(づな)を引はへて。舟の内にまき車(くるま)を仕付。いかりを打て。綱を引ぬれば。砂(すな)三尺底(そこ)にある。もろ〳〵の貝(かい)共を。熊手(くまで)にかけて引おこす。天地かいびやくより。関東にて見も聞もせぬ。海(かい)ていの大魚(うを)。砂底(しやてい)の貝を取上る。其程に四時(じ)を待て。波(なみ)の上砂(いさご)の上に出る。魚貝(うをかい)共今は時をしらず。常(つね)にぶくしぬれば。江戸にて初(はつ)魚初貝のさたなし。はや二十四五年以来(このかた)此地ごくあみにて。取つくしぬれば。今は十の物一つもなし。数罟汚池(ざつこをち)に入ずんば。魚鼈(ぎよべつ)あげて喰(くらふ)べからずとは。孟子(もうし)の言葉(ことば)なり。其上淮南子(わなんし)に。流(ながれ)をたつてすなどるときんば。明年(めいねん)に魚なしといへるも。おもひ出てうたてさよ。もろ〳〵の魚の中(なか)にも。とり分鯛(たい)鱸(すゞき)こそ床(ゆか)しけれ扨桜鯛と名付春に用ひ鱸を秋の季(き)によみ給へるも。いとやさしかりき。鰹(かつを)鮪(しび)は毎年度に至て。西海(さいかい)より東(とう)海へ来る。伊豆(いづ)。相模(さがみ)。安房(あは)の浦(うら)につり上る。初鰹(はつかつを)しやうくはんなり。天文六年の夏(なつ)。小田原浦近く。釣舟(つりぶね)おほくうかび。鰹をつる。此よし北条氏綱(つな)聞召。小舟にめされ。海士(あま)のしわざを御見物(けんぶつ)。珍事(ちんじ)の御遊(ぎよゆう)。盃酒(はいしゆ)に興(けう)じ給ふ所に。鰹一つ御舟へとび入たり。氏綱喜悦(きゑつ)におぼしめし。勝負(せうぶ)にかつうをと御祝詞(しうし)。なゝめならず。即時(そくじ)酒肴(しゆかう)に用ひらる。然におなじき七月上旬(じゆん)。上杉五郎朝定(ともさだ)。武州へ発向(はつかう)のよし告(つげ)来る。氏綱出陣(しゆつぢん)同十五日の夜いくさに。氏綱討勝(うちかち)て。武州(ぶしう)を治(おさ)め給ひぬ。其比は四方(よも)に敵(てき)有て。毎(まい)日戦(たゝか)ひやむ事なし。氏綱賞翫(しやうくわん)し給ふ件(くだん)の鰹(かつを)は。勝負(せうぶ)にかつうをと。もてはやし常(つね)に支度(したく)し。諸侍(しよさふらひ)戦場(せんぢやう)門出(かどいで)の酒肴(しゆかう)には。鰹(かつうを)をもつはらと用ひ給ひぬ。扨又本草綱目(ほんさうかうもく)に人魚(にんぎよ)ありかたち人に似(に)て。腹(はら)に四足(そく)有。ひれのごとし。海山河(うみやまかは)にも有魚人(ぎよじん)のあみにかゝる人をそれてくらはずとむかしみちのく出羽(では)の海浦(うみうら)へ。人魚死(しん)でながれよる事度々(どゞ)にをよべり。文治(ぶんぢ)五年の夏(なつ)。そとの浜(はま)へ。人魚(にんぎよ)ながれよる。人あやしみこぞつて是を見る。おなしき年の秋(あき)。秀衡(ひでひら)子息こと〴〵く滅亡(めつぼう)す。又建保(けんぽ)元年の夏(なつ)。秋田(あきた)の浦(うら)へ人魚ながれよる。此よし鎌倉(かまくら)殿へ注意(ちうしん)〈[#「注意」はママ。「注進」の意か]〉す。此義を。はかせにうらなはせ給へば。兵かくのもとひと申に付て。御祈祷(きたう)あり。同​(き)年五月二日。和田義盛(わだよしもり)大いくさあり。建仁(けんにん)三年四月。津軽(つがる)の浦へ。人魚(にんぎよ)ながれよる。将軍(しやうぐん)実朝(さねとも)公。悪禅師(あくぜんじ)に害(がい)せられ給ひぬ。宝治(ほうぢ)元年三月十一日。津軽の浦へ人魚ながれよるよし。注進(ちうしん)す。是によて。八幡宮(まんぐう)にをいて御祈祷あり。同き六月五日。三浦(うら)​(の)泰村(やすむら)が合戦(かつせん)あり。同二年の秋。そとの浜(はま)へ。人魚ながれよるよし風聞(ふうぶん)あり。其比鎌倉(かまうら)殿のじつけんは。北条左近将監(さこんのしやうげん)時頼(ときより)なり。此よしをきゝ。先規(せんき)不快(ふくわい)の義なりと。おどろきみちのくの国司(こくし)。三浦五郎左衛門尉盛時(もりとき)に。尋(たづね)らるゝによつて。奥州(おうしう)へ飛脚(ひきやく)をつかはす所に申て云。去九月十日津軽(つがる)の浦(うら)へ。人魚(にんぎよ)な【オープンアクセス NDLJP:537】がれよるといへ共。先々三度(ど)御注進(ちうしん)申。皆もつて不吉(ふきつ)の事。地下(ちげ)人かくし。申上ざるのよしを申。此義不快(ふくわい)たるにより。将軍家(しやうぐんけ)諸寺(しよじ)諸社(しや)へ御祈請(きしやう)の事あり。魚(うを)の中(うち)に人魚有事。必定(ひつぢやう)海人(かいじん)の殺生(せつしやう)。いふにたへたりと申されし
 
 
見しは昔(むかし)。天正の此ほひ。常陸(ひたち)​(の)国江戸崎(さき)といふ所に。諸岡(もろをか)一羽(は)と云て。兵法(へいほう)の名人(めいじん)あり。いにしへの。飯篠長威入道(いひざゝちやういにうだう)にも。をとるべからずといひならはす。然るに土子(つちこ)どろの助。岩間(いはま)小熊(ぐま)。根岸(ねぎし)莵角(とかく)と云て。名をうる弟子(でし)三人あり。此者共兵法に身をなげうち。昼夜(つちうや)付そひけいこする所に。諸岡重病(ぢうびやう)に臥(ふし)。存命不定(ぞんめいふぢやう)也。莵角(とかく)病人(びやうにん)を見すて。逐電(ちくてん)す。然る両人の弟子(でし)扨もにくし莵角めを。追(をつ)かけうたんも行衛(ゆくゑ)をしらず。師(し)の深恩(しんをん)を忘るゝ事。仁義(じんき)の道(みち)に。そむき神明(しんめい)の冥感(みやうかん)にもはづれたり。師の罸(ばつ)のがるべからず。かく有べしと知(しる)ならば。切てすてべきをと。矢じりをぞかみける。両人は身まづしければ。刀(かたな)脇指(わきざし)を沽却(こきやく)し。一衣(ゑ)までも代(しろ)がへ。医術(いじゆつ)を尽(つく)し。三年看病(かんびやう)すといへ共。師(し)の諸岡(もろをか)。ついに死(しゝ)たり。彼(かの)莵角(とかく)。相州(さうしう)小田原へ来る。天下無双(ぶさう)の名人(めいじん)と云ならはす此者長高(たけたか)く。髪(かみ)は山臥(ぶし)のごとく眼(まなこ)に角(かど)ありて。物すごく。常(つね)に魔法(まほう)を。おこなひ天狗(てんぐ)の変化(へんげ)と云夜(よる)の臥(ふし)所を見たる者なし。愛岩(あたご)山太郎坊。よる〳〵来て。兵法の秘術(ひじゆつ)を伝(つた)ふると申て。微陣流(みぢんりう)と名付。人にをしへ弟子(でし)共多かりけり其後武州(ぶしう)江戸へ来て。大名(みやう)小名に弟子(でし)おほく有て。上見ぬ鷲のごとし。然に常陸(ひたち)の相弟子(あひでし)両人此よしを聞及び。是非(ぜひ)に江戸へ行。蒐角を討(うつ)べし。其上師伝(しでん)のりうを埋み私曲(しきよく)をかまへ。微塵流(みぢんりう)と号(がう)し。兵法つたふる事。師(し)も草のかげにて。さぞや悪(にく)しとをぼすらん。天罰(てんばつ)のがるべからず。木刀(ぼくたう)にて打をろし。蒐角がかばねを。路頭(ろとう)にさらし。耻(はぢ)をあだふべし但(たゞし)これ一人を二人して討(うつ)ては。うれしからず。世の聞へも然べからず。我々が手なみをば。莵角こそ兼(かね)てよく知(しり)たれ。両人が中にて𩰘(くじ)をとり。みくじに取あたる者。一人江戸へ行(ゆく)べしと定(さだ)め。小熊(こぐま)𩰘(くじ)にとり当(あたつ)て。江戸をさして行。どろの助は国にとゞまり。時日(じゞつ)を移さず。鹿島(かしま)の明神にまうでゝ。願書(ぐわんしよ)をこめ奉る

   敬白(うやまいてまをす)願書(すぐわんじよ)奉(たてまつる)㆑納(をさめ)㆓鹿島大明神(かしまだいみやうじん)御宝前(ごほうぜん)㆒

右心ざしの趣(をもむき)は。それがし土子(つちこ)泥之(どろの)助。兵法(ひやうはふ)の師匠(ししやう)。諸岡(もろをか)一羽(いつは)亡霊(ぼうれい)に。敵対(てきたい)の弟子(でし)あり。根岸(ねぎし)莵角(とかく)と名付(なづく)此者師(し)の恩(おん)を。あだをもつて。報(ほう)ぜんとす。今武州(ぶしう)江戸に有て。私曲(しきよく)ををこなひ逆威(ぎやくい)をふるひ畢(をはんぬ)。是によつて。かれを討(うた)ん為それがしの相弟子(あひでし)。岩間小熊(いはまこぐま)。江戸へはせ参じたり。あふぎねがはくは。神力(しんりき)を守(まも)り奉る所なり。此望(のぞ)みたんぬにをいては。二人兵法の威力(いりき)をもつて。日本国中を勧進(くわんじん)し。当社(たうしや)破損(はそん)を建立(こんりう)し奉るべし。若(もし)小熊利(り)を。うしなふにをいては。それがし又かれと。雌雄(しゆう)を決すべし一ツ。千に。それがしまくるに【オープンアクセス NDLJP:538】至ては。生て当社へ帰参(きさん)し。神前(しんぜん)にて腹(はら)十文(もん)字に切。はらわたをくり出し。悪血(あくち)をもつて。神柱(じんちゆ)をこと〳〵くあけにそめ。悪霊(あくりやく)と成て。未来永劫(みらいえいこう)。当社の庭(ひは)を。草野(さうや)となし。野干(やかん)の栖(すみか)となすべし。すべて此願望(ぐわんまう)毛頭(もうとう)。私欲(しよく)に非(あら)ず。師の恩を謝(しや)せんがため也。いかでか神明(しんめい)の。御憐(あはれ)み御たすけのなからん仍如件

 文緑二年癸巳(みづのへのみ)〈[#ルビ「みづのへのみ」は底本では「かのとのみ」]〉九月吉日          土子(つちこ)泥(どろ)之助

と書(かき)て。御宝殿(ほうでん)に納(をさ)め。本宅(たく)に帰りぬ。扨又小熊は江戸へ。夜を日に継(つい)で急(いそ)ぎける。然に小熊(こぐま)江戸へ来るを見るに。小男(をとこ)にて色黒(いろくろ)く。髪(かみ)はかぶろのごとし。ほうひげ。あつく生(お)ひたる内より。眼(まなこ)ぎらめき。誠に名(な)にしおふたる小熊なり。此者兎角(とかく)が事をばさたせずして。御城(しろ)の大手(て)。大橋(はし)のもとに先札(まづふだ)を立つ。そのをもむきは。兵法(へいほう)望(のぞ)みの入是あるにをいては。其仁(じん)と勝負(しやうぶ)を決(けつ)し。師弟(してい)の約(やく)を定(さだ)むべし。文録二年癸巳(みづのへのみ)〈[#ルビ「みづのへのみ」は底本では「かのとのみ」]〉九月十五日。日本無双(ぶさう)岩間(いはま)小熊(こぐま)と書(かき)たり。蒐角(とかく)が弟子(でし)。数(す)百人あり此札(ふだ)を見て。にくきやつめが。札(さつ)の立様(やう)かな。天下にかくれなき。莵角(とかく)江戸におはするを知(しつ)てたてけるか。しらで立たるか。先(まづ)札を打わつてすて。小熊(こぐま)をば寄(より)あひ。たゞ棒(ぼう)にて打殺(ころ)せとのゝしりあへる所に。とかく聞て愚人(ぐにん)夏(なつ)の虫(むし)。飛(とん)で火(ひ)に入とは。小熊(こぐま)なるべし。たゞ一うちに。われ打ころし。諸人に見せんと放言(はうげん)し。御奉行(ぶぎやう)所へ此義(ぎ)を申上。則(すなはち)大はしへ両人出たり。御奉行衆はじめ両方に弓鑓(ゆみやり)を持(もち)て稽古(けいご)し両人の刀(かたな)脇差(わきざし)を預(あづか)り給ひぬ。扨両人はしの東西(とうざい)へ出る。莵角は大筋(すじ)の小袖に。しゆすのめうちのくゝりばかまを着(き)。白布(はくふ)をよりて。たすきにかけ。黒(くろ)はぎわらんぢをはき。木刀(ぼくたう)を六角(かく)に。ふとくながふ作(つく)り。鉄(てつ)にて筋(すぢ)がねをわたし。所々に肬(いぼ)〈[#「肬」は底本では「肱(ひじ)」]〉をすへ。是を提(ひつさげ)いぶせき体(てい)にて出る。小熊(こぐま)は鼠色(ねずみいろ)の木綿(もめん)あはせに。あさぎの木綿はかまを着(き)。足半(あしなか)をはき朴(ぼく)少(せう)なる姿(すがた)にて。常(つね)の木刀(ほくたう)を持(もち)出る。両方よりすゝみかゝつてうつ。両の木刀はたと打あひ。たがひに押(をす)かと見えしが。小熊莵角を。はしげたへ押付(をしつけ)。片足(かたあし)を取て。さかさまに川へ。かつぱとおとしたり。小熊はすまふも上手(ず)と聞えしが。此度の仕合に出合たると皆人さたせり。莵角はぬれ鼠(ねずみ)のすがたにて。それより逐電(ちくてん)す。小熊は天下に名をあげたり。愚老(ぐらう)見物(けんぶつ)せしか共。人群集(ぐんじゆ)故。たしかには見ざりけり。侍衆さたし給ひけるは。此者どものたゝかひを見るに。木刀(ほくたう)を脇(わき)に提(ひつさげ)。両方はしりかゝつて。はたと打合たる斗なり。両人様々の太刀(たち)を知(しる)といへ共。極位(ごくゐ)に至ては。五尺の身を目当にして。切より外の太刀はなしと知(しら)れたり。むかし下総(しもふさ)の国。香取(かとり)に塚原木伝(つかはらぼくでん)と云。兵法者有しが。是希代(きたい)の名人。末代(まつだい)にをいて。木伝が一ツの太刀といひならはせり。ていれば太刀の名。様々有といへ共。きはまる所は一刀(たう)と知(しら)れたり。但(たゞし)一刀としるといふ共。稽古(けいこ)なくして。本分のくらゐに。至りがたし。莵角(とかく)も小熊も名人たるによつて。目がねの寸尺(しやく)少もはづれず。両方の太月。中(ちう)にてはたと当(あたつ)て。其木刀(ぼくたう)ほごれざるも。奇特(きどく)なり。勝負(せうぶ)のならび。一方かち。方まく。たゞ運命(うんめい)の厚薄(ごうはく)にこたへたり。され【オープンアクセス NDLJP:539】共兎角。橋(はし)げたへ押(をし)付られ。川へおとされしは。小熊に勇力(ゆうりき)。をとりたる故なるべしと申ければ。爰に岩沢(いはさは)右兵衛助と云人是を聞て。其節(せつ)われ奉行(ぶぎやう)の内に加(くは)はり。橋(はし)もとに有て。勝負(せうぶ)をたしかに見たり。小熊はとく来て西より出(いで)。兎角(とかく)は東(ひがし)より出向(むか)ふ所に。わが近所に。高(たか)山豊後守(ぶんごのかみ)と云老士(らうし)有しが。是を見て。いまだ勝負(せうぶ)なき以前(いぜん)。すは莵角まけたり〳〵と二声(こゑ)申されしを。不審(ふしん)におもひ其後其言葉(ことば)をたづねしに。豊後守云けるは。小熊右に木刀(ぼくたう)を持(もち)。左(ひだり)の手にて頭(かしら)をなであげ。いかに莵角ととばをかくる。莵角さればと立て。ほうひげをなでたり。是にて高下(かうげ)のしるしあらはれたり。其上莵角。御城(しろ)へ向(むかつ)て釼をふり。いかで勝(かつ)事をえん。是運命(うんめい)のつくる前表(ぜんぺう)なり。然ば莵角は。大男(をとこ)の大力(りき)なる故に。小熊をあなどりて。たゞ一打と。上段(だん)にかまへたり。小熊は小男(をとこ)にて。無力(ぶりき)なれ共。功者(こうしや)たる故相(かひ)打して叶ふべからずと。則妙(そくめう)に機(き)を点(てん)じ。下段(だん)にもつ。案(あん)のごとく苑角一打とうつ所に小熊はたと請(うけ)とめ。とかくを橋(はし)げたへ。押(をし)付る。はしげた腰(こし)より下に有ければ。兎角川へさかさまに落(おち)たりすべて兎角強力(かうりき)をたのみとし是非(ぜひ)の進退(しんだい)をわきまへず。威(い)有てたけし。是血気(けつき)の勇士(ゆうし)といひて。本意にあらず。小熊は項王(かうわう)がいさみを心とし。張良(ちやうりやう)がはかりごとを旨(むね)とす。敵(てき)つよくをごれども。我はをごらず。柳(やなぎ)の枝に雪おれのなきがごとし。変動(へんどう)つねになし。敵(てき)によつて転化(てんくは)すといへる三略(りやく)の言葉(ことば)。小熊が兵法(へいほう)にて。思ひあたれりと申されし

 
北条五代記巻第七終