太閤記/巻十六
吉野山梢のはなのいろ〳〵におとろかれぬる雪のあけほの
又関屋のはなの本にて
芳野山誰とむるとはなけれともこよひもはなのかけにやとらん
木々ははな莓路は雪とみよしのゝ分あかぬ山の春のそてかな 関白秀次公
桜ちる木々の梢のにしき着てよしのゝ山を分かへるなり 右大臣晴季
ちりそふもよしやおしまし芳野山花を木かけの雪となかめて 中納言秀俊
関屋の花を
芳野山木の本毎に関すゑてもるとはなきも花にやすらふ 准三宮道澄
御芳野やはなは深雪とふり茂みおひもなつまぬ木々の下草 三位法印玄旨
あけほのゝ雪とや見えんよしの山ときは木まても花のあらしに 紹巴
こたへせぬはなにそといむよしの山むかしもかゝる春にあふやと 昌叱
白雪をまつわけそめて芳野山おく猶おもふ花さかりかな 大納言輝資
よゝのはる君にひかれてもろこしの吉野の奥のはなをこそ見れ 中山大納言親綱
雪のいろも春の詠めの芳野山梢のはなやけふを待らん 右衛門督永孝
乙女子か袖をもかへせ芳野山稀にはなみる人をまちえて 中納言雅枝
かく短冊あそはし其後かねの鳥居、仁王門をとをらせ給ふて、
二月廿九日 御歌会
詠五首和歌
花の願 いつしかと思ひをくりし芳野山の花をけふしも見そめぬる哉 秀吉公
不散花風 春風の吹とも花は且さきてあつ心にしなかめけるかな
滝の上の花 滝津波下すいかたのよしのやま梢の花のさかりなるかな
神前の花 春はなを神のめぐみの桜はなまふでゝみるや御芳野の山
花の祝 乙女子か袖ふる山に千年へてなかめにあかし花の色香を
花の願 年月を心に懸し御芳野の花の木かけにしはしやすらふ 関白秀次公
不散花風 かた分てなひく柳も咲いつる花にいとはぬ春の朝風
滝の上の花 みるか内に槙のしつえもしつみけり芳野の滝の花のあらしに
神の前の花 ちはやふる神やみるらん芳野山から紅のはなのたもとを
【 NDLJP:417】花の祝 おさまれる代のかたちこそみよしのゝ花にしつやも情くむ声
花のねかひ いそかれてさけと待ぬる花と又をしむ心はいつくならまし 右大臣晴季
不散花風 うつろはぬ木々の梢をさそふらし花の香はかり送るやまかせ
滝の上の花 咲つゝく上より落て芳野山はなにせかれて滝のしら波
神の前の花 人こゝろへたてもなしや神垣の花のしらゆふあかぬ色かな
花の祝 うへ添て千年のはるを契りをかん花も老せぬかけをならへて
華の願 四時おなしいろにもさきつれておもふはかりの花のうへかな
花をちらさぬ風 さそはすはなを吹とてもいとはめや花にみえたる春の夕かせ 権大納言親綱
滝の上の花 御芳野やさなから花を水の上になして落そふ滝のしらなみ
神の前の花 けふといへは大宮人の袖ふれて神のいかきの花を見るかな
花のいはひ 移しうゑてあかぬ心に立なれんはなの千年も君かまに〳〵
花のねかひ かけたかき雲井の花にみよしのゝ山をさなから移てしかな 権大納言輝資
不散花風 霞をは吹はらひては心あるやはなにさはらぬ春の山かせ
滝の上の花 岩ふれてみなきり落る滝の上のはなの梢はいかてたをらむ
神の前の花 春はなを袖ふりはへて行かふも花にみち有神のひろまへ
花の祝 色も香も替らぬ花の木の本に幾代の春を立なれて見む
花のねかひ まちかぬる花も色香を顕して咲や芳野の春雨のをと 大納言家康卿
不散花風 咲花を散さしと思ふ御芳野は心あるへき春の山風
滝の上の花 花のいろ春より後も忘めや水上遠き滝のしら波
神の前の花 年〳〵の華の砌のよしの山うら山敷もすめる神垣
花の祝 君か代は千とせの春も芳野山はなにちきりは限りあらしな
花の願 年〳〵に来てもみねとも御芳野のはなに心を懸ぬ間もなき 権中納言秀保
不散花風 はるはたゝ風に心をつくすかな芳野の山の花をふくやと
滝の上の花 水上はいつく成らん御芳野の滝に落そふ花のしらなみ
神の前の花 みわたせは芳野の山は白妙に花の色こき神かきのうち
花の祝 天地のめくみもふかき君か代は花も幾春みよし野の山
花のねかひ み芳のゝ花の盛りをみぬ人にみせはやとのみ思ふばかりそ 権中納言秀俊
不散花風 よし野山梢をわたる春かせもちらさぬ花をいかてたをらん
滝の上の花 水上に花やちるらんみよし野のたきの白たま色におちそふ
神前の花 芳野山奥の宮井に立つゝくかすみを花のいかきなりけり
花の祝 君か代はたゝしかもけりみよしのゝ花にをとせぬ峰の松かせ
花のねかひ 春ことに心をかけてみよし野の花の色かをまちそかねぬる 参議中納言秀家
不散花風 風吹と花にはよけよ芳野やまわか身ひとつの春にはあらねと
滝の上の花 見よしのや花の匂ひも高峰より霞にもるゝたきのしら糸
【 NDLJP:418】神前花 植をきし神のいかきの花さかり代々ふるためし春を契らん
花の祝 白妙によしのゝ山はさくら花ちとせふるとも忘られんやは
花の願 花咲と心をかけすよしのやままたこん春を思ひやるにも 参議左近衛中将利家
不散花風 ちらさしとおもふ桜の花の枝よしのゝ里は風もふかしな
滝の上の花 ちる花に滝の白波ましはりて雪かとみねの雲そかゝれる
神の前の花 ちはやふる神のめくみにかなひてそけふみ芳のゝ花をみる哉
花の祝 よしの山花のさかりの久しきに君かよはひはかきりあらしな
花の願 花の木の限しられぬみよしのをこゝのかさねにうつしてし哉 近衛中将雅枝
不散花風 春風も心あれはやさかりなる花はさそはぬみよしのゝおく
滝上花 滝つせのうへよりみえて吉野山なかれも出ぬ花のしらなみ
神の前の花 神の世にうつし植てやよしの山いかきにたてる花の木たかき
花の祝 おさまれる代の春なれは花もなを君をそまたん御芳野の山
花のねかひ 春ならぬ時もかはらて桜はなさかは来てみんみよしのゝ山 右衛門督永孝
不散花風 山かせも心ありてやたゆむらん枝もうこかぬ花のさかりは
滝の上の花 水上の花のにしきををのつからをるやよしのゝたきの白糸
神の前の花 咲花にぬさとりそへて神かきや長閑にかよふ春のみや人
花の祝 花にめてゝ心のはへはとし〳〵もつきせぬ春になをやなれみん
花のねかひ おなしくはあかぬ心にまかせつゝちらさて花をみるよしも哉 侍従政宗
不散花風 とをくみし花の梢もにほふなり枝にしられぬ風やふくらん
��上の花 よしの山たきつなかれに花ちれは井せきにかゝる浪そ立そふ
神の前の花 むかし誰ふかき心の根さしにてこの神かきのはなをうへけん
花の祝 君かためよしのゝ山の槙の葉のときはに花のいろやそはまし
花のねかひ 花の春くるゝかきりのなくもかなよし野の桜あくまてはみん 准三宮道澄
不散花風 御芳野のよしやうらみし花盛ちらさぬ華の風のやとりは
滝の上の花 石はしる滝の水上まさるやとみしは嵐の花のしら波
神の前の花 神垣にうへをく花はをのつからとし〳〵たえぬたむけ也けり
花の祝 かた〳〵の花みる人の往来にもおさまれる代の程はしるしも
花のねかひ 年月のねかひもみちぬ芳野山奥かおくなる花をとめ来て 入道前内大臣常真
不散花風 おさめしは君か心やあふかましかせ吹ぬ世の花につけても
滝の上の華 行水のはやくの事もおもひ出て袖をそひたす花の滝なみ
神の前の花 ちはやふる神のみまへの杉むらにかけてそ祈る花のしらゆふ
花の祝 あくまても詠やせまし年〳〵の春のたへすは花もたえせし
花のねかひ 玉きわる我老らくの花もかな君か千とせの春毎にみむ 法印全宗
不散花風 立かくす霞のうちの花のいろちらぬはかせのたよりにそみる
【 NDLJP:419】滝の上の花 石はしる滝つ流に落つもる花はみなからあはとこそなれ
神前の華 なへて世のちりに交はる誓をも花にみせたる神かきのうち
花の祝 むすこけのあを根か嶺の花盛こすえはさらに十かへりの松
花のねかひ 花にけふ心はなきぬ春毎におもひやりにしみよしのゝ山 法眼紹巴
不散花風 御船山華のにしきのよそひしてのとけき春の風やまつらん
滝の上の花 滝の上もあさからぬかな芳野山雨のなこりの花のしつけさ
神の前の華 杉むらのみとりの色もをしなへてあけのいかきに花や咲らむ
花の祝 うへそふか芳野の奥の山桜花のさかりは万代まてに
花の願 芳野山花の木たちををのつから都のうちに移しをかはや 法眼由已
不散花風 咲花のちるともみえぬ御芳野の山の外をやかせはふくらむ
滝の上の花 よしの川ちりそふ華の滝波に嶺の雲さへなかれてそ行
神前の花 心なき人やたをらん花の色をみや木もりなるみよしのゝ山
花の祝 芳野山千とせの後も春をへて君かよはひに花もあはなん
花のねかひ あらましに送来つゝも春をへし花をけふこそみよしのゝ山 法橋昌叱
不散花風 芳野山すゝ吹風も霞てや花のにほひにあけ渡るらん
滝の上の花 水上の花咲色に滝の糸もからくれなゐをふり出す哉
神の前の花 移ろはん色ともさらにみつかきのひさしき春に花もならひて
花の祝 その上のはるを思へは行すゑもなをいつまての花のみよし野
御歌の会の翌日山上の花色異なりけれは
紅葉せぬ松の葉こしの花の色に家路忘れて千代もへぬへし
こもりの宮のもとにてよみ侍る 折にふれ今をさかりの花のいろ雲井につゝく桜木のみや
山松のかせやへたてゝ霞らむかけに桜のちるよしもかな
ひたすらにかこちもやらす散は咲雨より後の花のみよし野 関白秀次公
色も香も名にめてゝみむをのつからちる桜あれは桜木の宮 右大臣晴季
ちれは又桜木の宮の花に来てなを奥ふかき春をたつねん 法印全宗
上の蔵王宮にて 帰らしとおもふ家路を入あひの鐘こそ花のうらみなりけれ 秀吉公
同 いそかれぬ道成けりな芳野山木のもと毎の花のにほひに 中納言秀俊
○高野詣之事 三月三日秀吉公高野へ御登山なされ、青巌寺に御寄宿まし〳〵て、二親尊霊のため、御焼香いかにも懇に沙汰し給ひけり、かくて一山八千人の僧徒被㆓召寄㆒、御母堂の御志として、八木評曰、此感尤よし、おしゐかな、其暁しさにて民を悪むは、国主の勤めなり、此勤相違すれは、天のとかめはけちくして、後目出からぬ物としり給はぬは、いと不審なる事共なり、
又或曰、いや左ではなし、能心を付て見給へ、此一
同三月十五日大坂本丸におゐて、由己法橋〈播州人也〉新作の謡、芳野花見高野参詣、明智、柴田、北条、此五番、金春八郎に仕舞を沙汰し候へと、兼て被㆓仰付㆒、其伝を受させ給ひ、御能を遊し、簾中がたへ見せ参らせられ候はんためとかや、五番のゝち、金春二番舞候へ共、さすか物なれたる上手なるに依て、出来し侍らさりし、弥本マヽ吉 公御気色にて有つる
評曰、女房達なとに威を封し、事外に仕舞をも自嫚し侍りし事、暁しき君にはいかゞ敷有つれ共、吉公の才芸すくれたる故にや、其誹もなかりしなり、凡て才厚き人は、何事もめてたき物なり、第一天之与し給ふ意味ありけると見えたり、心盲なる人〳〵は爰に至らすして、却て此意味をさみし下さんか、
一御太刀長光 一御馬金覆輪鞍置て 一しらか糸二百斤 一御小袖五拾内十唐織 一鈍子二十巻
御酌は永岡越中守、羽柴肥前守、蒲生飛騨守、加は、羽柴孫四郎、丹羽五郎左衛門尉、森右近大輔也、是又東山殿御成之記録に応して如㆑此、御かはらけたひ〳〵めくり、御酒宴さま〳〵の興あり、幸若八郎九郎二番舞し後、御はやし五番有しか、何も出来侍りて、御気色事之外なり、
翌日九日之進上一御腰物吉光 一銀子 千枚 一絹 二百疋
利家長臣之面々、二十一人、太刀折紙にて御礼申上しかは、則御かはらけたふて、晩日御機嫌よく還御なされにけり、
○秀吉公有馬御湯治之事 卯月廿九日御湯治に付て、れき〳〵の御伽衆十九人被㆓召列㆒、御慰のかす〳〵云はんかもなし、御逗留中方々より捧物其数をしらす、有馬中へ鳥目二百貫、泉州堺津
ひつ河の端に生たるかばさくらちるこそ花のとちめなりけれ
となん、長巳より引廻し青山峨々と聳岐、径路松柏生茂りたり、其洞に醐醍寺有㆑之、遠寺晩鐘を貢す、其みねに引つゝき、僧喜撰か住し由もちかゝりし、則喜撰か岳と云伝ふるなり、をしならひて三室戸と云高山聳つゝ、老松琴を吟し、夜わたる猿のこゑいとわびし、麓なる寺院、三十三所の順礼札をうつ観音堂あり、順礼歌とて昔より、
夜もすがら月を見むろも明行ば宇治の川瀬に立はしら波
見渡せは朝日山共いはす月さし出て、川辺も一きはいさぎよく、千鳥こゝかしこをとつれにけり、平等院扇の芝、塔之島、山吹
ふして見は玉の覚もあたならむ月のみやこの影たかき代に
如此種々さま〳〵の風景と云、
評曰、如㆑此多景備りし所とは、昔よりおほされけめど、時により其慮出来侍るにや、天下半治りし時は大坂、全備にちかゝりし時は聚楽、日本はをきぬ、高麗までしたがへ給ひてよりは、伏見を城墎に定められし事いとかしこし、寔に其初中後其時に応する事、能々沉思すへし、及はれぬきはあらんか、
文禄三年二月初比より、廿五万人之着到にて、醍醐山科比叡山
一筆申上まいらせ候、此春だいごの春にあひ候へとの御をとづれ、こよなふ御うれしく存まいらせ候、誠にうつしゑの花にのみ、としとし山家の花をながめ、春をくらし侍りつる、あさからぬ御さた共、いとめてたく存しまいらせ候、局〳〵もめしつれ候へのよし、積りぬる鬱々を、だいごの山の春風に、ちらしすてん事、おさ〳〵しき恩風にてこそ候へくはしは、孝蔵主申上候はんまゝ、筆をとめまいらせ候、めてたくかしこ
正月十五日 北政所内 小少将
参る 人々申給へ
醍醐御普請之覚
一三宝院小破之所をば可㆑加㆓修理㆒也、大破なる所は新儀に立直し、たゝみ以下も、あたらしく可㆓申付㆒候事、
一院外五十町四方、三町に一ケ所宛、番所を立、弓鉄炮之者を置、かたく番を沙汰し可㆑申事
一伏見よも醍醐に至て、道の両辺に埓を結せ、可㆑申事、
一寺々宿札を打候て、破壊之所あらば、可㆑致㆓修理㆒之事、
一院内院外、掃除念を入可㆓申付㆒之事、
一振舞等其外、万
一百姓以下并往還之旅人等、不㆓迷惑㆒様に可㆑在㆑之之事、
右堅可㆓申付㆒者也
慶長三年戊戌正月廿日 徳善院玄以僧正
浅野弾正少弼殿 増田右衛門尉殿 石田治部少輔殿 長束大蔵大輔殿
大津宰相 福島左衛門大夫 増田右衛門尉
右三人として、供之上下みだりかはしき事なきやうに可㆓相計㆒之、
【 NDLJP:424】○惣構之内へ出入人々奉行事山中山城守 中江式部大輔
右両人として人を撰み、御用人之外一切出入可㆓停止㆒者也、
御幸山を、はヾかり給ひつゝ、一首かくなん、
名をもかへあらためてみん御幸山花はむかしにかはらさりけり 秀吉公
万代をふるや御幸の山さくら松に小松の色をそへつゝ 木食興山上人
となん祝したてまつる
御輿之次第
一番 政所殿 御こしそひかしら小出播磨守 田中兵部大輔
二番 西之丸 木下周防守 石河掃部助
三番 松之丸 朽木河内守 石田木工頭
四番 三之丸 平塚因幡守 太田和泉守
五番 加賀殿利家卿之息女 河原長右衛門尉吉田豊後守
六番 東御方 但利家卿女中
三実院におひて、御成まし〳〵て、こしそひの諸侍なと返しつかはし、及㆓夕日㆒下々めしつれ可㆓相越㆒との御事なり、則此院にて右之御うへ〳〵将東かへ給ひしか、花やかなる粧いとおひたゝし、各思ひおもひの出立、異やうなるしな〳〵、いつれもはれならすと云事なし、これ、より寺々の名花、所々の花園まて、道の左右に埓をとをし、五色の段子のまんまくをうち、秀吉公父子其外上臈衆かちにて、いとしづかなる有さま、人間の住家にはあらざるにやと、おもはれて艶なり、麓には当山の鎮守たうとく物さひてけり、左には鐘楼堂あり、右には五重の塔婆有、桜にあらぬ諸木まて、木たち物ふりつゝ、又在へきとも覚えさりき、谷々の水落あふて、清き流の末々、魚の遊ひたはふれ、をのかさま〳〵なるを御覧しつゝ、尚楽あへりぬ、古き石の橋に枯木を欄干に、しつらひをのづから山路に事足て、寂莫たり、世にかゝつらひ、事しけき住家に事かはり、世のうき事を忘れつゝ、寔に七年の夜雨を悔しも、実
聞説醍醐花世界、見来此処雪乾坤、
又有人の あめか下残らぬ花の盛には山より山や風にほふらん
となんよめりけり、
上なか下の人々長閑やかにうちみえ、あはれ此日を山の端よぎて、入すもかなとかねことの願もふかく、花に戯れ水に心をすましめ慰給ふ、御心のうち当なふこそみえにけれ、
仙洞にも、けふは風も心し雨もはれ、長閑なる花をみるらむとて、広橋中納言を勅使につか【 NDLJP:425】はされしかは、摂家衆も清花のかた〳〵もこと〳〵く使者まいらせられにけり、御供にあらぬ諸侯大夫、并京堺の歴々より、折作物珍物尽㆓其員㆒名酒には加賀の菊酒、麻地酒、其外天野、平野、奈良の僧坊酒、尾の道、児島、博多之煉、江川酒等を捧奉り、院内に充て院外に溢にけり、寔に門前市をなすとは過にしかたも、かやうの事有て俗云初けるかやと思はれしなり、岩下聊
鳥はなしあらしに付よ花の鈴、となん云置し事をもおほし合せ給ふて、弥御感有、又中将秀
頼卿の御慰のため、庭の遣水に、小舟を作り人形をのせ、岩に当りおとろきあへりぬる体は、唯人かと疑にけり、又巣鷹を作り餌乞の声を出し、とはへぬる体、たくめはけに工まるゝ物やと思はれぬ、これやうのあやつり物、おほかりけれは、羽林の御気嫌事外にそよかりける、五番徳善院玄以は、有へき式のかりやかた営み奉りぬ、いかにも大やうに、大体のよきを本意とせり、秀吉公立よらせ給ふて、折なと上り給ひつゝ返り給ふ、
評曰、徳善院気象つね〳〵大体を本意として、こま〳〵しき事なとは、強て不㆑勤なり、
六番長束大蔵大輔茶屋は、晩日に及へきを兼て期せしに依て、御膳の用意なり、将軍この茶屋へ成せられ、饗膳あらは急き上よと仰しかは、大蔵大に悦ひ、則上奉る、政所殿其外之御上々いつれも御膳あかり給ふて、御機嫌いと宜しくおはしまし、各装束をかへさせ給ふに、異やうなる御出立もあり、又おほとかなるもあり、何も〳〵衣香撥当薫し、心も空になりぬ、方々よりの捧物なと披露有しかは、則ひらきたまふて、下々御下行有㆑之、ゆる〳〵と御休息【 NDLJP:426】まし〳〵つゝ、短冊をも御覧しなされ、褒貶之事なと委御沙汰、有七番御牧勘兵衛茶屋、是もけつかうを尽しけり、八番新庄東玉、種々の異風体をいとなみ、御機嫌を望にけり、鞍馬のふこおろしなとを沙汰し、其下に岩つたふ流を手水に用ひ、山居の興を尽せり、此茶屋をも御覧有て過させ給へは、よしありけなる柴垣なとしつらひ、竹の編戸したる茶屋あり、又町屋有、色々の売物をいたしおき、茶屋にやき餅有しを、御心よけに上りしかは、則おあしをと乞奉る、みせたなにありつる瓢簞を御腰に物し給へは、是もかはりを被㆑下候やうにと乞つゝ茶屋のかゝ廿はかりなる二三人、両の御手にすかり、おあし給り候へ、すまさせ給へとて笑をふくみかけ申せは、秀吉公も殊外打ゑませ給ひつゝさらは算用をとけ御すまし有へきとて、内へ入給ひしか、勘定の声はなく御酒宴と見えて、目出たや松の下千世も幾千代、ちよ〳〵なと云、小歌の声〳〵に夜いたく更行けれは、奉行共めし、能に申付よと被㆓仰付㆒立去給ふ、思へは我朝のせはき国の興さへ、甚以おひたゝしき事共也、さて唐玄宗後宮の花軍に戯れし風流之陣、隋煬帝か宮女を集め、花に月に興せし夜遊之庭、おひたゝしき事になん有へし、是よりは回翁のたのしみは、ふかき意味も有へしと思ふ人も有へし、秀頼卿より三宝院へ銀子二百枚小袖拾重、政所殿より鳥目百貫精糸二十疋まいらせらる、其外之御局かたよりも其沙汰おひたゝし、今度殿下三宝院万の馳走をのつからなるを、殊勝に覚しめし、新知千六百石寄附し給ふ、所は日野三ケ村勧修寺村笠取村小野村なり、来秋又紅葉を御覧あるへきと御約諾まし〳〵て、還御なりにけも、
翌日目録を以醍醐之寺々、門前之下々、并今度御供之人々、殊には八幡山比叡山愛宕山等之寺院なとへも、方々よりの捧物を分与し給ふ、伏見大坂之普請衆へも、酒肴恩賜有て、聊
評曰、今度花見之事三月十五日たるへしと、兼ての御定にて有しに、上旬の比より風雨あらましく侍りしかは、いかゝ延給はんやとの、とり〳〵にて有し処に、十四日之暮かたより晴に赴き、十六日の暁天まて長閑に有しか、午前より雨そほちつゝ、廿日比まてしつかなる事なかりしなり、秀吉公の徳、天感の及へき事は、聊もなかりし、自然之天なるへし、太田和泉守記には、此事を天こと〳〵しう感し給ふやうに、記し侍りぬ、
孔雀 靡香 白象 黒象 馬 唐犬
織物金襴百巻 段子同 綾百端 錦五十巻 繻子二百巻
【 NDLJP:427】大明之両使、宿より御城まての行列は唐の乗物にのり、盖をさし掛られ、笙筆篥笛太皷なとの鳴物にて、幢をさゝせて参りし也、千畳敷にして御対面、即饗膳給り、御茶過侍りて、御暇之時、忝旨しめやかに御礼取つくろひ立にけり、二日大坂を立伏見をさして上りけるに、午の刻より雨そぼち出しかば平方に泊りぬ、打続き大雨なるに依て逗留し、五日の日伏見上着、六日御城へ被㆓召寄㆒、饗膳被㆑下、其後殿守へめされけり、青貝の刻橋を上りけれは、段々に以㆓金銀㆒瑩き立たる種々の調度、様々の屏風、
一上々繻子 むれう 五万端 一唐木綿 二十六万端 一金襴 純子 五万端 一白糸 十六万斤 一ゐんす 千五百内ひか三百 一麝香箱 一但二人持
一生たる庁香 十 一生たる猿 十五
猿之
殿下注文之旨御覧まし〳〵て禁中へ生たる鸚鵡一、二人持の麝香箱一、金襴純子二百端奉㆑捧㆑之、其外摂家清花諸侯大夫御馬廻等中間に至るまて、それ〳〵に応し御支配いとおひたゝしき事になん有しなり、并京堺大坂奈良の町人等にも被㆑下、何方もにきはひわたり、長曽我部には、銀子五千枚其外色々諸侯なみに被㆑下、家中の
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